親として、子として

親として、子として
私事ですが、我が家の娘と息子は、昔から私の考え通りに行動することはまずありませんでした。子
どもたちが高校受験や大学受験を控えていたときにも、人並みに、親として勉強の大切さを熱心に話し
もしました。
「父さんはこういう風に勉強をしたから、やってみたら・・・」しかし二人とも決して私の
指示通りに勉強をすることはありませんでした。
「もっと本を読まないとあかんよ・・・」この言葉も何度も伝えました。二人とも往復2時間以上の
電車通学をしていました。その時間を無駄にしてはいけないと思い、実際に是非とも読んで欲しい本を
買ってきて与えたりもしました。しかし、その手渡した本は決して読まれた形跡もなく、いつもの場所
に置かれたままでした。勉強や読書に限らず、様々な生活の仕方、ものの考え方、生き方に、親として
自身の体験を伝えようとしました。しかし結果はほとんどと言って良いほど、
「無駄な努力」に終わりま
した。
翻って、私には 91 歳の父親がいます。今もっていろいろ話をする度に衝突を繰り返しています。いく
つになっても子どもは子どもですから、きっと頼りなく見えるのでしょう。小さいときから反発をする
ことが多かった私でしたから、特に父親は私に対して「言うことを聞かない息子」だとずっと考えてい
たと思います。いくら父親が良かれと思って私にしてくれたアドバイスでも、絶対に私の信念からする
と相容れない生き方であったし、自分は自分のことをちゃんと考えているという思いが強かったからか
も知れません。
二つの文章を読んでいただいて、
「なんて自分勝手」ときっと笑われたのではないかと思います。親と
いうのは、子どもに失敗や挫折をしてほしくないという気持ちが出てしまうのでしょうね。そして子ど
もというのは、親の思い通りになかなか育たないものなのですね。親でもあり子でもある私が、このこ
とになかなか気づけなかったのです。自分のことは自分で何とかしていくと思えるのですが、一方、我
が子が、壁にぶつかって苦しむ状況を見ることは、親として辛いことです。そんな相矛盾する感情の中
で、二人の子どもに対しては、今このときこそ、この子たちが成長するチャンスだと信じ、そっと見守
っていこうといつしか考えるようになってきました。
『子どもと自分は違う。子どもには子どもの人生が
あるのだから、とにかく、子どもを信じよう。』って。
自身が親になり、そして孫ができて祖父になり、最近、若い時によく聴いたフランク・シナトラの「マ
イ ウエイ」の歌詞がよくわかるようになってきました。
校長
五十嵐 信博