1 平安時代に確実に存在していたと思われる寺院。正覚院は真言宗醍醐派

平安時代に確実に存在していたと思われる寺院。正覚院は真言宗醍醐派、妙知山
観音寺と号し、金剛峰と八が峰に挟まれた山中にあるので、通称「山寺さん」と呼
ばれて、島中の信仰を集めています。寺伝説によると、行基が諸国行脚の折、本島
に渡ってこの山に登り、仏像深き霊場とみて、一寺を建立したという。
実際には行基の活動は畿内の外にはでていないのだが、彼の民間布教と、五畿内
に四〇余の寺を建てた業績とが、正覚院においても、行基開基の伝承をうんだので
あろう。真言宗醍醐派の大本山であるここ正覚院は弘法大使と並ぶ讃岐五大使の一
人「理源大使」誕生の地として知られています。
本尊と脇侍の不動明王、毘沙門天および、十一面観音鏡像は、重要文化財で鰐口、
懸仏、
梵鐘など多くの指定文化財があり参道の途中には、
理源大使の母綾子姫の墓、
弘法大師の作と伝える磨崖仏の水不動があります。
現在、正覚院では例年 7 月第 3 日曜日に全国から修験者が集まり、大護摩供養が行
われています。 不動真言を唱える修験者たちの声は、立ち振られる錫杖やほら貝
の響きと混じり合い見る人を神秘の世界へと誘い込みます。参拝者の願いを書かれ
た護摩札すべてが燃え尽くされたあと、その灰の上を素足で渡る「荒行火渡り」が
行われます。参拝者は火渡りの手前で修験者から祈祷を受け、目の前の不動明王に
願いを込めて、ゆっくりと熱い灰の上を渡っていきます。
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もくぞうかんのん ぼ さ つ ぞ う
木造観音菩薩像
(国指定重要文化財)
天平年間(729~749)に行基菩薩の開基と伝えられ本尊の木造観音菩薩像は、33
年ごとに開扉される秘仏。檜材の寄木造り、漆黒の高さ 99.3 ㎝の座像。850 年ほど
前の鎌倉時代初期に、中央の優れた武士によって作られたとされており、国からの
重要文化財の指定を受けています。平安時代の優美さと鎌倉時代の力強さを持つこ
の彫刻技術が非常に優れている、と称されています。
木造観音菩薩像
不動明王像
毘沙門天像
せんこくじゅういちめんかんのんかがみぞう
線刻 十 一 面 観音 鏡 像
(国指定重要文化財)
線刻十一面観音鏡像は、平安末期か鎌倉初期の作で重要文化財に指定されている。
径19.8㎝の鋳銅の鏡で、鏡面に蓮華に坐した十一面観音鏡像と、その下の右側
ば すう せんにん
みしょうたい
に立ち姿の婆藪仙人、左側に同じく吉祥天を毛彫りで表している。これは御正体と
かけぼとけ
いって、鏡に礼拝像を刻んだもので、上端に二個の小孔があり、懸 仏 として神前に
つるしてあったと思われる。
ふどうみょうおうぞう
不動明王像 (国指定重要文化財)
高さ 98.7 ㎝、檜材、寄木造の立像で、鎌倉時代の作。毘沙門天像とともに観音菩
わき じ
薩像の脇侍である。頭髪は巻髪で頭上は花形を結った莎頚になっている。
びしゃもんてんぞう
毘沙門天像 (国指定重要文化財)
高さ 106.4 ㎝、檜材、寄木造、彫眼の立像で鎌倉時代初期の作。地髪はまばら彫
である。目は怒り、口を閉じ、顔をやや左向きにしている。左手に宝塔を掲げ、右
手は振り上げてほこを持ち、右足を少し上げ邪鬼を踏みつけている。
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えいとくげんねんざいめいわにくち
永徳元年在銘鰐口 (市指定文化財)
鰐口は、仏殿前の軒下につるす金属製の仏具で、参詣者は吊り下げてある布で編
んだ網を振り動かして打ち鳴らす。
正覚院が所蔵しているこの鰐口は、直径 33.0 ㎝、厚さ 12.1 ㎝、重さ 7.5 ㎏
おう えいにじゅうはちねんざいめいかかほとけ
応永二十八年在銘懸仏 (市指定文化財)
懸仏は、古くは御正体と呼び、多くは神社の本地仏を円鏡形の金属板などに取り
付け、神社の本殿、稀には仏殿に掛け現世安穏,後世善所、子孫安楽、無病延命な
どのご利益を祈ったもの。最も大きいものが直径 29.7 ㎝、厚さ 1.2 ㎝、重さ 525g
えんぽう ご ね ん ゆ う さ ん ざいめいぼんしょう
延宝五年宥算在銘 梵 鐘
(市指定文化財)
はかまごし しょうろう
正覚院の仁王門を入ったところの 袴 腰 鐘 楼 につるされている鐘である。寛永年
間(1624~1644)に塩飽の年寄宮本伝左衛門は伝太夫同意の追善供養のため、巨鐘を
この寺に寄進した。
だいはんにゃなみ ら みつたきょう
大般若波羅密多経
(市指定文化財)
だ い は ん に ゃ は ら みつ たきょう
正覚院所蔵の大般若波羅密多経は、折本の版木経と写経本の 2 種である。
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