「人間にとって未知のものとの接触ほど恐ろしいことはない。人間は自分を

「人間にとって未知のものとの接触ほど恐ろしいことはない。人間は自分を掴
もうとしているものを、見たいと思うし、それが何か、あるいは少なくとも、
それがどんな種類のものか、つきとめたいと思う。人間には、常に見知らぬも
のとの肉体的な接触を避けようとする傾向がある。夜になると、あるいは一般
に暗がりでは、思いがけぬ接触に対する恐怖が、パニック状態にまで嵩じるこ
ともある。衣服さえ身の安全を十分には保証してはくれない。衣服を引き裂き、
犠牲者の、裸の滑らかな無防備な肉体に侵入することなど、実に容易だからで
ある。
人間たちが自分たちの周囲に設ける隔たりはすべて、この接触恐怖が命じたも
のである。彼は無断の立ち入りを禁じている私邸に閉じこもり、そこで初めて、
我が身のある程度の安全を感じる。夜盗に対する恐怖は、強奪されることへの
恐怖だけではなく、暗闇の中から突然不意に掴まれることへの恐怖でもある。」
(群衆と権力)
「あらゆる問いは侵入である。問いは、権力のひとつの道具として用いられる
と、ナイフのように犠牲者の肉に突きささる。
(中略)彼(=問う者)は外科医
のような自信に満ちた態度で、内臓に手をつける。だが、彼は特殊な外科医で
あり、自分の犠牲者についてもっと多くのことを知るためにその者を生かして
おき、麻酔をかける代わりに、身体の他の部分について知りたいと望むものを
見出すために、わざとある器官に苦痛を生ぜしめるのである。
問いは答えられることを予期している。答えを得ない問いは、空中に射はなっ
た矢のようなものである。
(中略)ちょっとのあいだわれわれは他人を引きとめ、
考えることを強制したのである。彼の答えが明瞭で得心のいくものであればあ
るほど、われわれはいっそう速やかに彼を立ち去らせる。彼は望み通りのこと
を与えたのであり、われわれに二度と会う必要はないのである。
しかしながら、時には、問う者はこれに満足しないで、いろんな問いをつぎつ
ぎと発することもあろう。問いが続くと、問われる相手の人間はすぐにいらい
らしてくる。つまり、彼は物理的に引きとめられているだけではなく、答える
たびに、自分についてのさまざまのことを明らかにせざるを得なくなるからで
ある。彼が明らかにすることは、ある全く皮相な、つまらぬものであるかもし
れないが、それを彼から聞き出したのは見知らぬ他人なのであり、それは彼の
内部のより奥深いところにひそむ、はるかに重要な他のいろんなことと関連が
あるかもしれない。したがって、彼の困惑はじきに不信に転化する。
つまり、問う者の立場から見ると、問いの効果は権力感情の高揚である。彼は
この感情を楽しみ、したがって、ますます問いを発する。彼の受け取る答えは
すべて、服従の意を表している。個人の自由は多分にさまざまの問いから自ら
を守ることにある。もっとも悪質な専制政治は、もっとも悪質な問いを発する
ものである。」
(群衆と権力)
「かつて実験心理学で「神経症生成実験」というのが行われたことがあります。
イヌに2枚の図形を見せます。片方は円、もう一方は楕円。この両者が識別で
きるとエサを与える。できないと電気ショック。イヌは次第に間違わずに両者
を識別するようになります。そうしたら問題の難度をアップする。今度は若干
潰した円と前より丸っぽい楕円を見せるわけです。そしてどんどんこれを続け
ていく。とうとう誰の目にも区別がつかないような2枚の図形がスクリーンに
映し出されることになります。もちろん実験者にも区別できないわけで、
「より
円に近いもの」を勝手に決めて、エサを与えたり電気ショックを与えたりする
ほかありません。イヌはそれでもがんばります。がんばって挫折し、がんばっ
て挫折し、そうしているうちに、突然破壊的な行動に出るようになります。実
験器具に体当たりするもの、エサを拒否するもの、実験者の命令に逆らうもの、
噛みつこうとするもの、その出方はイヌによってまちまちです。なかにはこん
睡状態に陥ってしまう者もいたそうです。
(中略)このイヌは、
「識別のコンテクスト」から「賭けのコンテクスト」に移
行したことに気がつかなかった―というか、気づく手がかりを巧妙に奪われて
しまっていた。主人と実験室に入った時点で、イヌはがんばって問題を解くこ
とが主人の望むことであり、ひいては自分の生存の安定につながるのだという
ことを無意識のうちにも思い込んでいるその思いは、実験の最初の段階では確
証され補強されていく。ところがいつのまにか、がんばるだけアホという状況
にはまりこんでいた。だがそれに気づかないイヌはなおもがんばり、
「罰」を受
け続けていく。そんななかで、それまで安定していたはずの主人との関係が脅
かされてくる。
本当にショックなのは関係破綻の脅威なのです。主人のしぐさも、彼の白衣も、
実験器具の存在も、
「識別せよ」という命令を発しているのに、状況全体が発し
ているのは、識別しようとしても無駄だというメッセージ。主人は「私にした
がえば大事にしてやろう」という支配と用語のメッセージを発しながら、同時
に「おまえは私にしたがうことはできない」と言っている。
これが、ベイトソンが「ダブルバインド」と呼んだ状況です。」
(知の論理)