配信日:2015/12/01 01 イスラエルの悔い改め スタディーガイド 今回は、ご再臨の全体像を想像していただくため、反キリストに追われて「ボツラ」に逃 げ込むイスラエルの民について振り返ってみましょう。 黙示録 12 章 6 節 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備え られた場所があった。 この箇所は、 「女」と呼ばれているイスラエルの民が、反キリストに追われて「ボツラ」 という場所に逃げる、大患難時代後半の預言です。 ボツラは、ヨルダン国にある世界遺産となっている紀元前 2 世紀からの遺跡で、ギリシャ 語ではペトラと呼ばれています。そこに 3 年半である 1260 日間、イスラエルの民が養わ れます。 反キリストは彼らを抹殺するために攻撃しますが、神様の御手に守られて、抹殺できませ ん。 ゆえに、黙示録 16 章 16 節で、世界中のリーダーや王たちをハルマゲドンと呼ばれるメギ ドの丘の近くに集めます。そして「ユダヤ人問題最終解決会議」を開きます。 反キリストに付く軍隊が、世界中から集められます。ほとんど軍隊がいなくなっているバ ビロンに、大患難時代の生存者である聖なる勇士たちによってバビロンが完全に破壊され ます。 ボツラとイスラエルでは、世界中から集められた軍隊、東西南北どこを見ても敵の軍隊で す。 現在のクリスチャンによって隠されていた聖書を見つけ、それを読んだイスラエルの民が 真理に目と心を開けます。そして、イエス様こそ真の神様、創造主ご自身であったことに 気付きます。 神様が三位一体であったことを知り、御子の成し遂げてくださった贖いに気付きます。 イザヤ書 53 章は、この時のユダヤ人の悔い改めが預言されています。その一部を見てみ ましょう。 黙 47-1 イザヤ書 53 章 3 節-6 節 彼は……人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、 彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰 せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪の ために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安 をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のよう にさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たち のすべての咎を彼に負わせた。 3 節「彼は……人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 」 創造主であられるのにユダヤ民族からのけ者にされ、人々が顔を背けるほど、ひどく鞭打 たれてさげすまれました。 彼らを救うためにメシアとして現れたのに、メシアとして尊ばなかったことを彼らが悔い 改めています。 4 節「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思っ た。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」 イエス様が鞭打たれて、十字架に架けられたのが、彼自身の罪のために神様が彼を罰せら れたからだと思っていたが、なんと、イエス様は私たちの病を負って、私たちの痛みをに なってくださったのだと気付いています。 5 節「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやさ れた。 」 イエス様の受けられた苦しみは、彼らに平安を与えるためであったこと、そして、鞭打た れたのは、彼らの癒やしのためであったことを知ります。 6 節「私たちはみな……自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべ ての咎を彼に負わせた。」 自分勝手な道を歩んでいたのに、神様は彼らの罪の赦しのために、すべての咎をイエス様 に負わせたことに気付いています。 ホセア書 6 章 1 節-3 節 さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打った が、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私 たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知る ことを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たち のところに来、後の雨のように、地を潤される。 1 節「さあ、主に立ち返ろう。」 イエス様を主とする思いが与えられています。 黙 47-2 1 節「主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくだ さるからだ。」 メシアを拒否して世界離散となり、ホロコーストを通るという苦しみがありましたが、彼 らを再び約束の地に戻してくださった主の哀れみを思い、真の悔い改めが始まります。 2 節「主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。 」 これは二日間の悔い改めを表しています。 民族的にイエス様を拒否したので、民族的に悔い改めなければなりません。 二日間、飲まず食わずで泣きわめきながら、先祖が犯した罪と自分たちのイエス様に対す る態度を悔い改めることでしょう。 ゼカリヤ書 12 章 9 節-10 節 その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。わたし は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分た ちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために 嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。 10 節「ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くよ うに、その者のために激しく泣く。」 一人子を失うことや初子を失うことは、人間にとってこの上なく悲しいことです。それほ どに嘆き悲しむ悔い改めです。 そして、 三日目に立ち上がります。 この悔い改めの後、彼らがついにイエス様に向かって、 メシアをお迎えする言葉で叫びます。 マタイの福音書 23 章 39 節でイエス様がおっしゃいました。 「あなたがたに告げます。 『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが 言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。 」 「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」 これは、ユダヤ人がメシアを迎える時にのみ使う言葉です。彼らは民族的に犯した罪を認 めて、民族的に悔い改めて叫びます。そして「もう一度来てください」と懇願するでしょ う。この叫び声を聞いて、イエス様がお答えになります。 ホセア書 6 章 3 節「主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところ に来、後の雨のように、地を潤される。」 イスラエル民族の叫びで天が開け、主は暁の光のように現れます。最初のご再臨の場所は ボツラです。 黙示録 1 章 7 節 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼 を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。 黙 47-3 イエス様のご再臨のお姿を、地上のすべての諸族が見る時です。 近代社会は、 世界中の人々が一箇所の出来事を見ることができるテクノロジーがあります。 衛星放送を通して、すべての諸族が見ることができるのです。 しかし、 「ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る」と記されているように、ボツラの 中のイスラエルの民は、肉眼でイエス様を見ます。 ◆MEMO◆ 黙 47-4
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