常議員立候補にあたってのご挨拶

常議員立候補にあたってのご挨拶
田 中 敏 博
この度、PA会からご推薦を戴きまして、平成 28
と思いました。
年度の日本弁理士会常議員に立候補させて頂くこと
1992 年、名古屋市内にある足立国際特許事務所
になりました田中敏博と申します。どうぞ宜しくお (現・名古屋国際特許業務法人)に転職しました。初
願い申し上げます。立候補に際しまして、簡単に自
年度は、年収が前年の 2 割ほど落ちました。しかし、
己紹介させて頂きます。
社宅制度があり、地下鉄の駅から徒歩 3 分の3DK
私は、1986 年に名古屋大学大学院工学研究科(応
のマンションを月額 1 万円で利用できたため、助か
用化学)を卒業しました。実は、大学受験のときには
りました。1994 年、2 度目の弁理士試験で合格し、
建築学科を目指していたのですが、残念ながら点数が
その年のうちに弁理士登録を済ませました。当時、
足りずに応用化学科に回されてしまいました。当時、 事務所には私を含めて 3 名の弁理士しかいなかった
化学はあまり好きではなかったため、浪人するかどう
ため、特許無効審判や審決取消訴訟、侵害訴訟など
か迷いましたが、高校の先生の助言を受けて応用化
を担当させていただきました。非常にいろんなこと
学科にしぶしぶ進学しました。ところが、実際に化学
を経験し、また学ばせていただきました。
を勉強してみると、思いのほかおもしろいことがわか
お世話になった弁理士受験機関には、小島清路先
り、特に有機合成化学に興味を持ちました。当時は野
生(現・日本弁理士会副会長)が講師としておみえ
依良治教授(のちにノーベル化学賞を受賞)をはじめ、 になりました。小島先生は私の大学の先輩でもあり、
名古屋大学の有機合成の分野には世界的に評価を受
その小島先生から弁理士登録直後に「今度、PA会
けている先生方が多くみえましたので、その先生方の
中部部会を設立することになったが、君が入会して
影響も強く受けました。そうしたことから、4 年から
くれないと人数が足りず設立できない。」と言われ、
M2 までは有機合成系の研究室に所属し、新規な生理
それをすっかり真に受けて、PA会に入会しました。
活性物質の合成に取り組みました。
そのPA会中部部会も今年で設立 20 周年を迎えまし
大学院卒業後は、化学メーカーの中央研究所に6
た。去る6/26 に名古屋市のキャッスルプラザでそ
年間(1986 − 1992)勤務しました。当時、その会社
の記念式典が開催され、微力ながら実行委員として
の有機部門は人数が急速に増えており、会社の柱に
手伝わせていただきました。PA 会中部部会の先生
なりそうな雰囲気がありました。私はここで医薬・
方をはじめ、東京の先生方にもご尽力いただき、盛
農薬のプロセス開発に従事しました。また、開発し
況をもって記念式典を終えることができました。
たプロセスの発明者として特許を出願しました。こ
これまで、私はPA会推薦により綱紀委員会、コ
のとき初めて弁理士という職業があることを知り、 ンプライアンス委員会、特許委員会などに委員とし
弁理士の資格に興味を持つようになりました。その
て参加させていただきました。最近では、倫理研修
頃、たまたま私の父のいとこが弁理士であることを
講師を担当したり、メッセナゴヤのセミナー講師を
知りました。そこで、その方に弁理士についてお話
担当したりしています。
を伺いました。その方は、3 年間毎日 3 時間勉強を
最後になりましたが、常議員に当選させて頂きまし
してそれでも受かるかどうかわからないのが弁理士
た暁には、日本弁理士会、そして構成員である弁理士
試験だ、そういう状況を想像してそれに耐えられる
の皆様のお役に立てるよう、微力ながら精一杯務めさ
なら弁理士を目指しなさい、と言われました。その
せて頂く所存です。皆さまのご指導、ご支援のほどを
話を伺い、私は弁理士の資格を取るのなら、特許事
賜りたくご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
務所に転職して実務を学びながら受験に注力すべき
− 10 −
(文書責任者:渡邉伸一)