森中定治氏(左派の異端者)への質問と返答 (8

森中定治氏(左派の異端者)への質問と返答
(8)人間社会は社会科学と自然科学の両方が,バランスが取れていなければならな
いということですが,どちらから先に学べばよいでしょうか.
(返答)どちらから学んでも OK です.誰でも得意不得意があります.社会科学と自
然科学のバランスを取るということの意味を,分かり易い最近の事例でご説明
いたします.無人飛行機“ドローン”が首相官邸の上を飛びました.僅かの放
射性の土が搭載されていたようですが,もしこのドローンにプルトニウムの微
粉末が搭載されていたらどうなったでしょうか? プルトニウムの放射線は
遠くから探知できません.風でそこら中に飛び散って,非常に近くに計測器を
当てて初めて分かります.飛散したプルトニウムを二度と集めることはできま
せん.永田町界隈はパニックになるでしょう.そんな微粉,誰も一粒たりとも
吸い込みたくないからです.ドローンを禁止してもダメです.ラジコンヘリ,
ラジコンセスナ,科学の粋を詰め込んだ現代仕様の弓矢でも可能かも知れませ
ん.日本に恨みを持つたった一人の狂人が日本を仮死に追い込むことができま
す.我々人類の持つ科学のレベルがどれくらいのものか,これでご理解頂ける
でしょう.
科学者が面白いと感じること,自分の興味を追いかけることはよいのです.
それが人間社会の進歩につながります.しかし,同時に科学の進歩が人間に何
をもたらすか,正の部分だけじゃなく,負の部分をも明確に認識することが大
事です.科学者には,過去ならそこまでは要求されなかったのです.しかし現
代は,その気になれば一人の人間が国を滅ぼすことができます.科学のポテン
シャル(力の水準)がそこまで達したので,それが必要になったのだと思いま
す.
一方,社会学者は,観念と言いますが頭でいろいろ考えます.実社会からデ
ータをとることもありますが,そのデータに基づいてやはり頭で考えます.こ
ういう社会が理想だとかこういうシステムにすればよいとか,思考の結果が出
てきます.しかし,それは理想ではあるけれども机上の空論になり易いのです.
自然科学者は人類の未来がどうなるのか,どうなればよいのか,自分の研究
の成果と併せて意識する必要があり,社会学者は自分の研究の成果が実社会に
即しているか,実の人間に適応できるのか,自然科学的な視点を持つことが必
要です.
これが,両方のバランスを取るということです.“学ぶ”ということの意味
は教科書を読んで,その通りに受け入れることではなくて,書いてあることを
土台にして自分で考えることです.そして自分の意見を持つことです.
(9)お話のあった「制度ではなく,人が変わらねばならない」との主張は,意味は
理解できるのですが,下手をすると起動戦士ガンダムの“ニュータイプ”待望
論になるのではないでしょうか.
(返答)起動戦士ガンダムの“ニュータイプ”とは,私は知らなかったのでインター
ネットで調べてみました.最初は,現人類が持たない力を有している,空を飛
んだりテレパシーの能力を持ついわゆる超能力者のことかと思ったのですが,
どうもそうではないようです.私は明確につかむことができませんでした.原
作者は,「真のニュータイプとは、今までのニュータイプ論で描いた精神的な
共感に加えて肉体的な体感を持ち、それらを隣の人を大事にするために活かす
ことができる人である」と述べているようです.
市民シンポジウムでの記憶すべき最も重要なテーマですが,“人間は個々に
区別されるが,また一つであって分けることができない”ということを真に知
れば,人間同士が殺しあう戦争,他人が苦しんで死んでゆく状況を放っておけ
なくなりますが,少なくとも精神的にはそのような人間のことだと思います.
自分自身も大事にし,また他人も大事にするということです.それであれば,
現在の我々が一歩成長のステップを登るだけであり,それになることは現在の
人類で十分可能です.
(10)プルトニウムを消去する可能性は本当にあるのでしょうか? 米国は本当に武
装解除する可能性があるのか,革命の力すなわち強制をもってそれをやらない
革命否定論であるならば,その方法を示してください.
(返答)プルトニウムを消去する方法は,まだ実用化商業化はされていませんけれ
ど,十分可能だと思います.プルトニウムは人間が原子炉で造り出したので
す.であれば,やはり原子炉で壊すことが可能だと直感的に感じませんか.
その他の方法,例えば燃やす(化学的),腐らせる(生物学的)などでは無理
だと思います.あらゆる原子炉に反対,何でも反対,絶対反対という人は自
らの考え方を変えることになり非常に不快であることは分かります.しかし,
実際の可能性を捨てていることになると思います.
私は暴力革命には否定的です.理由は以下の通りです.
1.
人間はものを考えることができる,知恵のある動物です.考えた上の
合意あるいは納得ではなく,力で強制することは基本的に正しくないと思い
ます.
2.
暴力革命は成功しないと思うからです.暴力革命はどういう革命理論
であっても,意識下にある人間の感性と衝突するからです.よく議論しよく
考え合意の上での改革が必要です.物理的な力で革命を起こせば,革命を起
こした後どうするのですか.遂には起こした方が訳が分からなくなり,厳し
い規則の上に,つまり教条的になってしまい,現在の自由社会とは別の形の
酷い社会になると思います.
暴力によらない革命,資本家も合意できるあるいは承知せざるを得ない変
革を行うことが重要であり,また可能であると私は思います.この話は長く
なるので,機会があれば是非したいと思います.
(11)“離散原理”と“同一原理”についてもう少し詳しく知りたいです.両者のジ
レンマはないのでしょうか.
(返答)“離散原理”とは,人間が個々に離れており識別が可能であることです.
“同一原理”とは,一つであって分けることができないことです.
ジレンマはもちろん生じるでしょう.しかし,人間はその両方を持ってい
ることを知る,つまりそのことを明示的に理解すること,つまり意識上に上
げれば,その時々においてどうすればよいか広い視点で判断でき,乗り越え
ていけると思います.それを明示的に知ることが大事です.
(12)日本生物地理学会では辺野古の生物調査はしていないのでしょうか.日本生態
学会をはじめ声明が出ているようですが,生物地理学上の知見があれば教えて
ください.
(返答)日本生物地理学会として,辺野古の生物調査はしていません.弊学会の会
員で沖縄在住の方もいらっしゃるし,弊学会会員個人では調査をしている方も
いらっしゃるかもしれません.学会誌への投稿があって初めて分かりますが,
今のところ辺野古の生物についての投稿はありません.
(13)“超克”という言葉が印象に残りましたが,現在の経済学は“お金”で成立し
ています.右翼左翼の諍いや,格差問題を解決するためにも,環境問題や生態
系の維持のためにも,新しい経済学が必要と考えますがいかがでしょうか?
(返答)その通りです.戦争のない人間社会,餓死者のいない人間社会に結果として
つながる経済学が必要だと思います.マルクス経済学も,現代の資本主義経
済学も,資本とは何か,あるいは社会システムについて一所懸命考えていま
すが,そのシステムを動かし,またそのなかで生活する当事者,つまり人間
のことを殆ど考えていません.資本主義経済学では単純な前提をおいていま
す.最も合理的に,最も低コストで自己利益の最大化を目的とするいわゆる
“ホモ・エコノミクス”です.最近では,実験経済学などで必ずしもそうで
ないことが証明されてきていますが.
次の質問につながりますが,私はそこにこそ大きな問題があると思います.
(14)
“超克”という言葉を強調されましたが,人間は変わらないのではないですか?
だからこそ組織,システム,社会の有り様を変えようと左派の人は長い間それ
を考え,論議を尽くしているのではないでしょうか?
“人が悪いからだ”という属人的思考に持っていっては何も生まれてこないと
思いますが,いかがでしょうか?
(返答)ご指摘のように,“人が悪いからだ”と個人に総ての責任を押し付けて,そ
れ以外何も考えない,議論しないというのでは善い社会にならないことはその
通りです.「あの人の話が聴きたい」という人がいます.特定の個人なので“属
人的”です.これでは何も生まれないでしょうか? その人が話す内容がどこ
にでもあり誰でも言うようなステレオタイプのお話ではなく,その人固有のオ
リジナルな内容であって,面白くて深く考えさせられるというのであれば,自
分の成長につながり考えるためのヒントになり,私は大変有用だと思います.
そうではなくて,その人の話す内容はどうでもよい.その人と個人的な関係か
ら自分が何らかの私利を得られるからだという場合,自分自身の利得を目的と
したいわゆる“ごますり”では,結局は自分の成長につながらないと思います.
また“ごますり”でなくとも,いわゆる“信者”つまりその人でさえあれば何
でもよいというのも自分の成長にとって大した意味はないと思います.
映画スターやポップスのスターなどに憧れることを私は悪いとは思いませ
んし,また社会運動においても人をまとめていく点において“カリスマ”は必
要なのかもしれませんが,いずれにしてもその運動に加わる個々人総ての,そ
の人自身の成長が必要であって,それは明らかに“属人的”なものです.分か
り易い話が“私は価値観が変わった”と言います.「私は今まで自分個人の出
世を目的として,自分個人の利得だけを考えて行動してきた.これが私の価値
観であった.しかし,他の人もいること,同じように生きていることが分かっ
た.あの時から私の価値観が変わった」と言います.価値観が変わったのでは
なくて,元々自分の心の内に持っていたものに気づいただけかもしれませんが,
社会を構成する一人ひとりが変化すること,これは“属人的”です.“属人的”
の中味をよく考えないで,“属人的”という言葉の基に総てを否定してしまう
のはどうかと思います.逆に,自分が本心からそう思っていないこと,とても
できるとは思えないようなことを美しいとか理想だということで他人に引っ
張られて決めてしまうことは,大変危険だと思います.ギリシャ,ローマの哲
学者,ヘーゲルやマルクス,現代の思想家などが“自由”を最も重視すること
の意味です.人間はどこまでできるのか分からないではないかという考え方も
あるでしょうが,できそうだとかとても無理だとか,およそ分かります.
市民シンポジウムでお話ししましたが,人が少し変わる(成長する),する
と社会が少し変わる,少し変わった社会がまた人を少し変える・・・人と人が
構成する社会の相互作用,この間の少しずつの変化の繰り返し,弁証法ですが,
これが大事だと思います.
(15)“原発”というのは日本だけ,世界はみな“核発”と言っています.日本は今
後どう言うべきでしょうか.
(返答)私の見るところ,日本では,核兵器や核戦争など“核”は兵器,軍事に使わ
れ,原子力は日本では,“原子力発電”と使われ,軍事利用ではなく平和利用
であると区別され強調されるために使われました.原子力規制委員会などとい
う言葉もあります.これらも併せて“核”に統一するというのもよいと思いま
す.
しかし,兵器も原子爆弾と言うし,核爆弾とも言います.専門用語ではなく,
誰もが使う日常の言葉なので融通が利きます.原子力は英語では atom,atomic
で atomic bomb(原子爆弾),atomic weapon(原子力兵器)などと軍事にも
使われます.一方,核爆弾と言えば nuclear bomb です.どちらも同じ意味で,
微妙ですね.