ー融通無碍に出会ってー フィールドクリエイター 川口

ー融通無碍に出会ってー
フィールドクリエイター 川口 恵美子
8月半ばの父の七七日の法要後、母が子供達や親族にお礼の言葉と共に
「遠くで暮らしている子どもが多く、これからも私を心配して頻繁に帰省して
貰うのは気が引ける。自分達の生活を大事にして欲しいので、シルバーマンシ
ョンに入居する事に決めた。
ここ数年夫の介護や自分の病気でみんなに世話になったけれども、元気になっ
た今、やり残した事をしたい。先ずは戦争を知らない世代に伝えたい自分達の
体験記を完成させてしまわなければ。そして学生時代は戦時中で英語は禁止さ
れていたので、どうしても勉強してみたい。
他にも色々したい事があるし、これからの人生を楽しみたい。
それでもこの先お世話になる事ばかりだと思うので、今後もよろしく。」
と一人暮らしを明るく宣言したのです。
87歳の母の挨拶に私は頭では「大したものだ。あっぱれだ。」と思いつつも何
故か「母に負けた・・・」とこれまで母と競争していた訳でも無いのに、無性
に悔しくて悔しくて仕方なかった。
自宅に戻っても何に悔しいのか悲しいのか分からないままだったが、体の奥底
から出て来る感情は少しも静まらずに数日が過ぎて行ったのです。
コースの朝、少し早く着いた私は、近くの宇都宮公園の森の中を散歩しようと
一歩足を踏み入れた途端、歩道のウッドチップの感触も手伝ってか留めどなく
涙が溢れて止まりませんでした。
そして時間が来るまで、朝の光と木々の緑の中で溢れる涙と悔しい感情のまま
に佇んでいました。
公園管理のボランティアのおじさんが2~3人声をかけてくれたのを、心地良
く聞きながら。
「何に悔しいのだろう?」 「悲しいのだろう?」 「母に怒っているのだろうか?」
直接、母に怒っているのでは無い事は確かです。
ある対象に向かっているのでは無いのです。
唯、唯、無性に悔しくて悔しくて仕方ないのです。
向かっているとすれば、自分に対してです。自分のこれまでの生き方に対して
です。
でもそれも違うような・・・。
8月20日の午後、偶然お時間の空いた郁恵さんにセッションをお願いした。
「誕生前から両親をサポートする為に生まれて来たと思い込んで来た私は、こ
れから先、年老いていく母をしっかり支えて、私の役割を全うする予定だった
のに、突然の母の宣言に肩すかしを食って戸惑ってしまった。
こんなにしっかりした母だったのに・・・。
私が支える必要も無かったのか・・・。
数年前から、より鮮明になって来た誕生以前の感覚や記憶も、胎内での緊張で
苦しかった記憶も、誕生直後の記憶も、4歳から自分の生き方を決めて歩いて
来た事もみんな私の錯覚からだったのだろうか?
私の人生は一体何だったのだろう? 今度こそ大丈夫と思ったこれまでの積み上げたものが、またガラガラと音を立
てて崩れて行く感覚に襲われてしまった。」
そんな事を溢れる涙と共に話していた。
郁恵さんに
「今感じている口惜しさに留まってみるのはどう?」と提案され、自分の中を
見ていると、「二人の私」が出て来ました。
子どもの頃から「二人の私」はいたのですが、今回は違います。以前のお互い
助け合い、励ましあい、支え合った横並びの対等な二人では無いのです。
二人は前後にいるのです。
前にいる私は、周りの状況を見ながら自分で考え行動するのですが、時々疲れ
ては立ち止まるのです。
すると後ろにいる、もう一人の私はアドバイスするのでもなく、一緒に動いて
くれるのでもなく、結果だけを見ては文句ばかり言うのです。
「自分で決めたんでしょ!」 まるで一所懸命走っている馬に鞭を打っては、早く早く、もっと走れと言って
いるかのようです。
私の中から「何なの?自分は何にもしないのに、文句ばかり言って!!」と後
ろの私に激しい怒りが出てきました。
これまでずっと仲良しの二人だと思っていたのに・・・
郁恵さんが
「これまでの二人は頭の中の二人だったのかしら?」 私は良く分からず「そうだったのかな~」
それでもこれまでの私の生き方を、誰に誇れる人生でもないけど、頑張って来
た私なりの人生を褒めて欲しいとお願いした。
すると前を歩いている私は変わらないけれども、後ろの私が段々小さくなって
行って、前にいる私だけになったのです。
そして一人になった私は大地に両足をしっかり着け、見上げる程の大きな樹の
ようになっていたのです。
以前森の中のイメージが出て来た時は、沢山の大きな木々の中で私の伸びる場
所が無く、小さいなりにもしっかり場所が欲しいと思った事がありました。
私は小さい時から、みんながフラットな関係でいたかったのだと思い出し、今
もその事を大事に思っているという事を郁恵さんに話していました。
すると郁恵さんが
「えみちゃんには融通無碍っていうのは無いの?」
と言われたのです。
優柔無碍?にも聞こえましたが・・・。
どちらにしても、その言葉を知らなかった私でしたが、
「自由自在?」って事か
しら?と思いながら、自分の中を見ていると大きな樹のような私の周りを、小
さな郁恵さんが右に左に上に下にと手を叩きながら笑いながら、ピョンピョン
飛び跳ねているのです。
ワークの中で郁恵さんが登場したのは初めてです。
からかうのでも無く、馬鹿にするのでも無く、どっしりと微動だにしない私の
周りで楽しそうに変幻自在に踊っているのです。
微動だにしなかった私が動揺し始めました。
「何なの?これは」
私の哲学、私の美学だと自分の生き方を一所懸命に考えながら、周りの状況を
見ながら、時に軌道修正しながら歩いて来たはずだったのに・・・
何て窮屈で頑なな生き方をして来たのだろう。
融通無碍・優柔無碍という言葉の意味以上に目の前にいる郁恵さんの姿に宇宙
を感じ「タオ」を感じたのです。
20数年間出たり入ったり、最近は郁恵さんに対して批判的な意見を向け続け
た私でしたが、あまりの大きさに身の縮む思いでした。
そしてこれまで鬱蒼とした森の中の道を時に這いながら、時に打ち払いながら
歩いて来た感のある、私の目の前の道が、太陽が輝く青空の下に何の障害も無
く真っ直ぐに伸びているのが、はっきりと見えました。
ここ数日「くやしい」という思いに取りつかれていた私は、郁恵さんに「これ
から何がしたいの?」と聞かれても何も思いつかず、
「母のお腹の中にいた時は
ずっと緊張していた。一度で良いからリラックスしてみたい。」と言いました。
郁恵さんは後ろから私の両肩をやさしく抱いて「ずっと緊張していたのね~」
と声をかけてくれ、私は涙と共にその温かさと柔らかさを味わっていました。
しばらくその感覚を味わっていたのですが、
「すみません。ちょっとトイレに行っても良いですか?」
と私は何故かトイレに行ったのです。
すると、何だか全身の力が抜け、色んな事が馬鹿馬鹿しくなって、笑い出して
しまいました。
そして
「ただ、ただ、私を生ききりたい。誰の為でもなく」
と思ったのです。