月にJ R 女 川 駅 が 完 成 、 J R石巻線が復旧したことで、 まちを 訪れる 人 も 少 し ずつ増 えてきました。 本市から女川町へ派遣され、 復 興 推 進 課に所 属する中 村 光 宏職員と中西康夫職員は ﹁ 日々工 事は進んでおり 、駅 周 辺を始め、復興へと力強く進ん でいくまちの景色の移り変わり に驚いています﹂と語ります。 J R 女 川 駅の 完 成 を 契 機 に、徐々に周辺施設の整備も進 み、プロムナード沿いの商 店 街 には地 元の食 品やお土 産 を 取 り 扱 う 店 舗やカフェ、タイルの 絵 付 け 体 験ができる工 房など が集まってきています。 ﹁駅周辺の整備が進むにつれ て、まちのにぎわいが戻ってきて いるのを感じます。役場も職員 みんなが 復 興 という 目 標に向 かって、一一体となって動いていま す。震災後、人口減少が続く女 川町ですが、宝塚 市の皆さんに もぜひ気軽に訪れてほしいと思 います﹂ Onagawa Topics 女川みらい創造株式会社は、魚市 場買受人協同組合、観光協会、商工 会 、合 同 会 社 、女 川 町 が出 資する第 セクター として、町 を 挙 げて作っ た会社です。女川駅周辺の商店街を 中心に、まちの活性化を目指して運 営をしています。 女 川 町 に は 、山 や 海 と いった 景 観 、自 然 など が あり 、釣 りなどのア ウトドア、おいしい海産物やお酒な 被災地から 憩いの地へ 女川みらい創造株式会社 専務取締役 近江弘 一 さん 商店街で人気を集めるスペインタイル工房。 掛け時計や表札などをお土産として購入でき るほか、 タイルの絵付け体験も人気。この工房 で作られたタイルがまちのあちらこちらに ! 南三陸町 11 鉄道で約90分 宮城県 女川町 鉄道とバスで 約2時間半 仙台 台 昨年3月にJR女川駅が完成し、震災で 途絶えていたJR石巻線が開通。その 後J R仙石線も全線開通したことで、 仙台からもアクセスしやすくなった。 ど、魅力的なものもたくさんありま す 。商 店 街 には 、今 までな かった ス キュー バダイ ビングのお店や工 房 、 飲食店などの店舗が入り、駅周辺の 施設も充実してきています。最近で は、小さな子どもを連れた若い家族 も見かけるようになりました。 今 後 は 女 川 の 魅 力 を ど う 見 せて いくのかが大切です。皆さんが憩え るエリアを 作り、女 川 町 をゆっくり 楽しめる場所にしていきたい。これ からは被災地という意識から、新し い意 識を持ってやっていかなければ ならないと感じています。女川町は いい意味で小さなまちで動きやすい ので、 これから変わっていけると思っ ています。 近江弘一さん。女川みらい創 造 株 式 会 社 専 務 取 締 役とし て、プロムナードに沿って展開 される商店街の運営や地域の マネジメントに取り組む。 平成 ︵︵2011︶年 月月 日 。東 日 本 大 震 災 が 発 生 した あの日から、まもなく 年を迎 えます。被災地では人々の住ま い、そしてまちのにぎわいを 取 り 戻 す た めの 復 興 事 業 が 急 ピッチで進められています。 宝 塚 市は震 災 直 後 から 、西 宮市・川西市および猪名川町と 共に阪 神 支 援チームとして宮 城 県 女 川 町と南 三 陸 町へ職 員 を派遣し、継続した支援を続け ていま す 。震 災 から 年 を 経 て、復興が進むまちの元気な姿 を特集します。 ウミネコが 羽 ばた く 姿 を イ メージして作られたJ R女川駅 を降りると、 その先には、真新し Interview 3 女川町 3 5 5 い店 舗が集うプロムナード︵ 遊 歩道︶ と女川湾が広がります。 町 内の至る所で復 興の槌 音 が響き渡っている女 川 町 。昨 年 女川町の都市計画、離半島部の漁 業集落の復旧などに携わる中村 職員(左)と中西職員。 23 女川町 これ 復興 、 そして か ら 3 8 No.1202 平成28 (2016) 年3月号 特 特 集 集 ま ち い ろ BOX 50 く ら しの ガ イ ド 意 見 募 集 南三 陸町 阿部俊光 企画課長 髙橋一清 産業振興課長 復興 新たなステージに 震 災 後 年 間は、道 路や防 波 堤 、 高台住宅団地、災害公営住宅などの ハード面の整備事業が主でしたが、 これからは住まいに戻ってきた人た ちのために、一日も早く低地部にに ぎわいを戻していきたい。子どもた ちが喜ぶような公園を作ったり、仕 事帰りに立ち寄れる飲食店など、暮 らしにつながるソフト面の事業を進 めていきます。復興はソフト面まで 落ち着いたら一区切りだと思ってい ます 。南 三 陸 町の復 興は今 、新たな ステージを迎えています。 南三陸町には、魅力たっぷりの海・ 山・里 が あ り ま す 。春つつじの 頃 の 田 束 山 や 南 三 陸 屈 指 の 景 勝 地で あ る神割崎、南三陸町の四季に応じた 旬の食 材 を 使 う キラキラ 丼 を 味 わ いに、ぜひお越しください。また、南 院 教 育 南三陸病院・総合ケ アセンター南三陸。 ア 医療・福祉部門を集 約した町立病院。開 放 的 な 建 物 からは 町内の風景を見渡 すことができる。 水 三陸町を訪れる際には、防災集団移 転 促 進 事 業 によ り 整 備 し た 団 地 や 災 害 公 営 住 宅 も 見ても らいたいで す。一部の大きな団地の工事は遅れ ていますが、それ以外は年度内にす べて工事が完了します。復興が着実 に進んでいる姿を見ていただけたら と思います。住まいが戻るというこ とは大きなことです。みんなが過ご していた被災前の町にそのまま戻る ことはありませんが、自分たちの記 憶にある穏やかだったまちに戻れた らと思います。 阿部俊光企画課長(左)と髙橋一清産業振 興課長は、 まちの政策・復興事業の調整、 復興後の産業づくりに取り組む。 道 相 談 窓 口 約1年ぶりに訪れた女川町と南三陸町。復興事 業が進み、着実に新たなまちに生まれ変わりつつ ありました。私自身も、被災地への派遣職員として 半年間過ごした場所であり、今では第2のふるさと のように感じています。訪れる前には遠い場所に感 じていた東北も、今ではとても近い存在に。機会が あればぜひ訪れてほしい場所です。 (前) Interview Minamisanriku Topics 病 被災地を訪れて 5 南三陸町名物キラ キ ラ 丼 。春 は 南 三 陸野菜、夏はウニ、 秋はアナゴ、冬はイ クラなど季 節 の 旬 な食材を使う。 使う。 集約した﹁南三陸病院・総合ケ アセンター南三陸﹂が完成しま した 。また 、被 害の大 きかった 低 地 部においても、早 期 整 備エ リアの造成が完了し、今年から 建 物の基 礎 工 事 などができる 状 態になりました。今 後 、三 陸 自 動 車 道・志 津 川インターチェ ンジ︵ 仮 称 ︶ の開 通 も 期 待され ます。 ﹁﹁ を 超 える 全 国の自 治 体 から、派遣職員がそれぞれの経 験 や 仕 事の流 儀 を 持って復 興 支援に取り組んでいます。考え 方の相違でぶつかることはあり ますが、一一日も早い復 興への気 持ちは皆一一緒です。震災から 年。町内のあちこちで住宅の建 築 が 始 まり 、新 たな 生 活 も 始 まっています 。住 民の心のケア にはまだ時間が必要ですが、復 興が進むまちの姿を見ると、う れしく感じます﹂ ト ピック ス No.1202 平成28 (2016) 年3月号 ☎/市外局番の記載のないものは (0797) です 9 南 三 陸 町 を 車で走 り 、志 津 川 中 学 校 前から町 内を見 渡す と 、美 しい志 津 川 湾 と 復 旧 作 業 が 続 くまちの姿 が一一望でき ます。南三陸のまちを望みなが ら﹁ 阪 神・淡 路 大 震 災との復 興 の速 さの違いを 大 き く 感 じま した。あの時はすぐに建築工事 が始まり、整備が進んでいきま したが、南三陸町では津波によ る 被 害の 大 き さ を 感 じ ま す ﹂ と、本市から南三陸町へ派遣さ れている仲 村 孝二職 員 と 北 垣 敏明職員は話します。 東日本 大 震 災で壊 滅 的な被 害 を 受 けた 南 三 陸 町 も 、復 興 に向け一一歩ずつ着 実に進みつつ あります 。今 年 度には、津 波で 被 災した戸 倉 小 学 校の新 校 舎 や 、医 療・保 健・福 祉の分 野 を 被災地特集 南三陸町 5 仲村職員(左)は用地買収や町有財産の管理、北垣職 員は商工業の立地推進に携わる。 南三陸町 市 長 か らの 手 紙 あの日から5 年
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