西暦 2016 年 02 月 18 日 ダレナン博士の研究所 研究報告書 No.187 題名:コンテンツの魅力と、魔力と、無力と 報告者:ナンカイン 現在は様々なメディアがあるために、情報も溢れている。そのため、その情報が正しいかどうかは、情報を 見て判断する側に委ねられている。判断する側が様々な知識を持ち、この情報は有用である、ないという判断 ができれば、それに越したことはない。しかしながら、多かれ少なかれ、人はあらゆる情報に操作され、時に はその情報が正しいか、否かを判断できなくなることもある。特に、情報を与えられた側が精神的に参ってい る、すなわち、やや自分を見失いかけている際に、正しいと思われがちな判断を与えられると、それがすべて 正しいとして鵜呑みにしてしまう魔力がある。いわゆるマインドコントロールされた状態である。 マインドコントロールまではいかないにせよ、その人にとって正しいと思える判断が伴えば、その情報はそ の人にとって魅力なものとなる。現在では、Web 上の情報も無視できず、事実、テレビやラジオといったメ ディア以上の価値を持つこともあり、そこでの情報がテレビやラジオの情報の価値をはるかに上回ることさえ ある。一般的なニュースなどはテレビやラジオでも、様々な情報を知ることもできるが、実際はテレビやラジ オの報道の規制に引っ掛かり、歪曲された情報も少なくはない。その点、新鮮度で言えば、その情報が歪曲さ れたかどうかは別として、今では Web 上の情報の方がはるかに価値があることも、知っている人は多い。そ れは、2015 年 11 月 13 日にフランスにてテロの事件でも立証され、その事件における速報性やその現場 の雰囲気として、テレビなどの報道によるニュースよりも、Web 上の方が価値のある情報が流れているとの 意見があった 1)。現代の情報のコントロールは、まさしくスマートフォンありきであるが、スマートフォンが その情報に革命をもたらしていることも事実である。 あらゆる情報に関して、 少なくとも Web 上に掲載されている情報はコンテンツと称される。コンテンツは、 IT の分野では、 「媒体によって記録・伝送される、人間にとって意味のあるひとまとまりの情報のこと」2)で あるが、Web 上では、その掲載された、あるいは、閲覧できるすべての情報を、コンテンツとしてみなされ ている。そのコンテンツには必ず作成者がいるが、その作成者がどのような人物であろうとも、コンテンツに は、実はその人物なりが現れやすいことが知られている 3) 。一方、デジタルコンテンツは簡単にコピペ(コピ ー&ペースト)することができるために、それを安易にコピペする人もいることも事実である 4) 。コンテンツ を作成する側が、安易にコピペされたとすれば、法律的に問題があるばかりではなく、コピペした側の人格も 疑われることは間違いない 4)。ただし、コンテンツの真の魅力や、そのコンテンツが持つ魔力については、作 成者が牛耳っていることも、やがてコンテンツの購読者は理解するであろうと信じてやまない。コピペは、コ ピペでしかないコンテンツであり、そこには価値は 0 である。まっとうにコンテンツを作成している人であ れば、どの人も頷ける話である。しかしながら、まっとうにコンテンツを作成していても、そのコンテンツが Web 上で価値がないと判断されることになれば、多くの人にそのコンテンツは無用・無力となる。本報告書 の、このコンテンツが魅力があるか、または、魔力があるか、または、無力であるかは、購読者の判断に委ね たいが、少なくともコピペではない。必死にコンテンツを更新している方には響く報告書だと信じてはいる。 1) 出典不明 2) http://e-words.jp/w/コンテンツ.html (閲覧 2016.2.19) 3) http://www.wakatta-blog.com/blog-marketing-human.html 4) http://naifix.com/g-ken/ (閲覧 2016.2.19)
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