SURE: Shizuoka University REpository http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/ Title Author(s) Citation Issue Date URL Version 地域とつながる音楽文化関連授業 小西, 潤子 技を媒介とした学びに熱中する子どもの育成プログラム ; 2011. p. 31-34 2011-03-31 http://hdl.handle.net/10297/7189 publisher Rights This document is downloaded at: 2016-02-02T10:16:04Z 地 域 と つ な が る音 楽 文 化 関 連 授 業 音楽教育講座 小西 潤子 は じめに 音楽文化関連授業 として実施しているものは、何らかのかたちで地域 とつながるものの 方が多い。以下であげる実践例は、今年度新規に行われたものに限ることにする。これら は、内容的にも連携相手も多種多様である。いずれも単発的ではあるが、中には継続可能 な もの もある。 とはい え、 これ らは学 生 に とつての経験 の機会 と幅 を広 げ るの に大 い に有 意義 であ った と考 え られ る。 ¬ 森 の 音 あそ び これは、NPO法 人 しずおか環境教育研究会 (以 下、エコエデ ュ)主 催 によるサ ウン ド スケープ関係 のイベ ン トである。エ コエデ ュは、これまでにも しずおか里 山体験学習施設 ・ 「 遊木 の森 で 2010年 2月 6日 (土 )に イヤーゲーム創始者 の長谷川有機 子氏を招いて 音 のフ ー クシ ョップ∼心の耳を育てる」 を実施 している。 イヤーゲーム とは、森羅万象に耳を澄 ま して五感 を目覚めさせ 、感 じたことを表現 した り、互いに分 かち合 うことで、心 と身体 の感性をよみがえらせ るプ ログラムのこ とである。 これを受けて、2010年 4月 24日 に遊 木 の森 で 「森 の音あそび」 を実施す ることになった。 一方、私 が担当す る博物館実習では、今年度 か ら初めて本ノ1根 町にある音戯 の郷での実 習生受け入れ が決まった。 当該施設 は、 日本 で も類 のない音 に特化 した施設である。それ に先立ち、実習希望学生には音やサ ウン ドスケー プヘの関心を高 めてもらいたい と考 えて いた。エコエデ ュのイベ ン トは、時期的にも内容的にもこの 目的にかな うものであつた。 そ こで、博物館実習および文化芸術事業実習 を選択する学生有志 か らなる 7名 の学生 とと もに本イベ ン トに参カロした。 エ コエテ ュのスタッフの指導 により、まず は遊木 の森 の 自然環境 に気づ くことか ら始ま つた。 日常的には見過 ごして しま う身近 な自然 を発見 した り再発見 した りして、参加 した 子 どもたちともども新鮮な気持ちになつた (写 真 1)。 次 に、全員が 目隠 しをして一列に な り、前 の人 の肩を持 つて音 を頼 りに歩いた。 (写 真 2)。 どこまでも遠 くまで歩いた気 になったが、 日隠 しを取る とほとん ど移動 していないことがわかつた。それ か ら、少 し山 の上まで移動 した後、音を聴 いてそれぞれがイメー ジをスケッチすることになつた。小 さ な子 どもは、音 のスケ ッチ とい うのがわか りにくかつたのか 「お絵 か き」タイムになつて しまったきらいがあったが、や つてみる と意外 にお となにも難 しか つた (写 真 3)。 この 頃、少 し雨がパ ラパ ラ降つて きた こともあつて、少 し集 中度 が落ちた。最後 に、また下に 下 りて各 自が音を探 した (写 真 4)。 そ して、 グループに分かれて合奏す る試みをした。 -31- サ ウン ドス ケー プ活動 としては入 門的な試み ではあ つたが 、恵 まれ た 自然環境 の 中で精 神 的に も開放感 があった。 蝙隧 ¬ 1 ず■■ 憑鯰 写真 ♂ A 身近 な 自然 に気 づ く 写真 2 音 を頼 りに 日隠 しで歩 く = = 一 写真 3 音 のス ケ ッチ をす る 写真 4 音 を出す 2.浜 松 花 蝶 ち ん 2010年 5月 10日 、全学共通教育科 目の芸術論 にちん どん屋 グルー プ・ 浜松花蝶 ちんを 招聘 して 、実演 を交 えなが らお話 を していただいた。 メ ンバ ー は 、50歳 代半ばを中心 とす る会 社員 、 主婦 、保 育 士 、元警察官 な ど多様 である。 座長 の藤 田潤 吉氏 と知 り合 い にな っ た こ とか ら、急速 この 「特別講義」が決 ま っ た の である。 ちん どん屋 は 、現在 パ フ ォーマ ンス として 「復活」 してお り、藤 田氏 による とちん どんサ ー クル がある大学 もあるとい う。 しか しなが ら、宣伝 のプ ロ フェ ッシ ョナ ル として の ちん どん屋 を生で 見 る機会 は 、学 生の 世代 ではほ とん どな い であろ う。 そ う した もの めず らしさに加 えて 、 ちん どんの音楽 は 、 日頃学生 たちが接 してい る音楽 とは本質的な違 い がある。す なわち、 ちん どんの美学 は一 般 的な音楽 美学 では語れ な い とい う特徴 があるのである。 そ もそ も、宣伝 の ために人 を惹 きつ ける ことを 目的 として い るちん どん の場合 、演奏 が上 手 けれ ば よい とい うわ けには い -32- かない。 花蝶 ちん の メ ンバ ー に 「なぜ ちん どんをす るのか ?」 とイ ンタ ビュー す る と、意外 に も 「変身願望」 に よる こ とがわ かつた。 これ ほ どまで の変身 をす る と、一 体誰 だか 見 当 もつ かな くな る。 日頃 の職業や 生活 との ギャ ップがあれ ばあるほ ど、本人 に とつては よいス ト レス発散 に もな るだろ う。 また 、音楽 とのかかわ り方 として も 「楽 しむ 」 ことを第 一 に し てい る ところがあげ られ た。 もち ろん 、演奏 は上手 い に越 した こ とはな いの であるか ら、 メ ンバ ー も演奏技術 の 向上 に努 めて い る こ とで あろ う。 しか し、 そ の精神性 に面 白さが な けれ ば、 ちん どん としては成 り立たな くな る。 ま じめに、 かつ 面 白い ちん どん の世界 は、学 生に とつて少 なか らず カル チ ャー 0シ ョック を与 えるもの であ った。 浜松花蝶 ちんは、身近 な ところにある異文化 だ とい えよ う。藤 田 氏 は 、 しき りと学生 に もち ん どん を進 めて い たが、ひ ょつ とす る と授 業 に参加 していた学 生 の 中か ら何 年 か後 にちん どんを して い る者 が排 出 されて い るか も知れ ない。 ﹁111 月 鰐 写 ト L 写真 5 写真 写真 大学会館 にちん どんが来 た 7 6 写真 どこまで も派手 に -33- コ ン ト55歳 8 ?! ちん どん の体験 3.能 楽 師 との 交 流 事 業 これ は 、財 団法人静 岡県文化財 団 が これ まで 日本伝統音楽振興 の ために行 つて きた事業 の一 環 である。 2002年 度以来、静 岡大学教育学部 は財 団法人静岡県文化財 団 の運営す るグ ラ ンシ ップにおいて 、音楽文化専攻 の学 生 を中心 に学芸 員実習科 目と しての文 化芸術事業 実習 の受 け入れ をお願 い して い る。実習 生 の 関 わ る事業 の 1つ として 「能楽鑑 賞教 室 」 が あ り、 これ まで も実習生が この参加者 (特 に子 ども)へ の対応 にあた るな どして きた経 緯 もある。加 えて 、2009年 1月 26日 には同財 団 のア ウ トリー チ事 業 の一 環 として 、小鼓方 大倉流 16世 宗家・大倉源次郎 御家元 を静 岡大学 の授業 にお 招 き しての実践的講演 を してい ただ い た。 今年度 は、12月 12日 に同財 団 の事業 として若 手能楽師 との交流事業 が実施 された。これ は、同財 団事業 に関 わ つて きた学校教育機 関等 を対象 に行 われ た もの である。 同財 団 とし ては、 この よ うな事業 を通 じて多 くの若者 が伝統文化 に関心 を持 つて もらい たい とのね ら い があ る。当 日、2名 ではあ ったが静岡大学教育学部学 生 も参加 し、身近 な ところで伝統文 化 の担 い手 と直接接す る ことがで きた。 写真 9 若 手能楽師 の話 を聞 く 写真 10 ‐ 1 F 馬= n■ 能 面 を披露 省 齢一 写真 11 月ヽ 鼓 のデ モ ンス トレー シ ョン 写真 -34- 12 特別 なデ モ ンス トレー シ ョン
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