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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
長崎変成岩類の地質学的研究-1 : 長崎市東部茂木町附近の地質
Author(s)
橘, 行一
Citation
長崎大学学芸学部自然科学研究報告. vol.4, p.61-70; 1955
Issue Date
1955-02-28
URL
http://hdl.handle.net/10069/33365
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎市東部茂木町附近の地質
(長崎変成岩類の地質学的研究 I)
橘 行一
1.緒言
ノモソノギ
野母・西彼杵両半島に分布する変成岩類は日本列島の最も西端に露出している変成岩類であ
るが.これ迄どちらかと言えば研究が取り残された感じがあり、そのくわしい構造的或は層位
的研究も充分行われて来たとは言い難い櫨があった。従って乙の変成岩類は従来三波川式変成
岩類の延長と考えられ、或は叉三部変成岩芙酌こ含まれると考えられ・て来ているものであるが、
まだはっきりし充事がわかっていない。特にこの変成岩類は本地域では石炭を含む苫第三系の
基盤岩類を構成しているものであるから、そZ=)いう点でも単vz:岩石学的な研究にとゞまらず、
更に広い地質学的な立場から見て見る必要があると思う。
こ」に始めにとりあげたのは、長崎市の東部にある所の古くから茂木の化石植物群で知られ
ている茂木町附近の変成岩類であって、野母半島の変成岩類の新第三系・古第三系・火山岩類
等の他の諸岩類に対する関係が本地域では良く観察されるO特に_苗第三系の存在はこれ迄茂木
附近には知られていなかっ挺ものである。
なお茂フ園丁の以北の部分に広大な露出を示し野母・西彼杵両半島の変成岩類を分断する所0火山岩類につい-Z:は、別に「長崎市周縁部の火山岩類」としてその中に地質図と共に報告の予
定であるのでそれに譲り.こゝには簡単に触れて置くにとゞめる。
SEBB
2・樽石附毎の結晶片岩類と安山岩質火山角膜岩類との関係
野母半島の変成岩類の北限が露出して、しかも上位の安山岩質火山角礫岩との接触関係が露
顔..の上で良く見られるのは転石附近である。
そトコJI
特に茂木町に至る県道と元木場vz:至る道路の分岐点から、売木場迄の間の道路に沿って、こ
れ等の関係を良く観察する事が出来る。歩測によるノレ-トマップを第1図に示したが、この中
第1図1.石墨絹雲母片岩2.緑色片岩3.安山岩質火山角礫岩
註I.野母半島・西彼杵半島の両変成岩類は相互に関係があると考-られる。従って両者を一括して
長崎変成岩類と呼ぶ事にして置く。
-61-
A・Bの2箇所に関係の良く見られる露頭がある。
Aの露頭の観察:A地点でぽ結晶片岩の上に安山岩質火山角礫碧が載つて居り、第2図の如
く1、H、皿、
W、の部分に分
けて下位より説
明する。
’IJ、へわゆる黒
色片岩で、鏡下
にぽ石墨・絹雲
母。石英が認め
罪
られ、片状構造
が著しい。片理
第2図 転石東方A地点(第1図)の露頭・結晶片岩と安山岩との関系を示す。 面の走向・傾斜
はN70。Wで30つNEである。上位の安山岩類の貫入にもか』わらす擾乱されてv・ない。
1と亜の間の境界一この境界面はN30⊃W30。NEの走同、傾斜を有する。この境界面多
少凹凸があるが、あまり乱されで・へない。
E一安山岩質の火山岩塊乃至火山角礫を含み、基質は安山岩質であるが著しく風化してい
る。これらの火山岩塊は検鏡するに多くは複輝石安山岩に属するものである。著しく不規則に
もめて居り複雑な形を示す。部分的に非常に不規則な形で結晶片岩類を取り込んで居り、結晶
片岩礫を一部に含む。下位の1の結晶片岩と接触する附近では、結晶片岩の一部を境界面に沿
つてけすりとつてV・る。
豆と夏の間の境界一極めて形が不規則で、1と豆の間の境界面が整然としているのに比較
して著しV・対照をなしている。
璽一この結晶片岩は著しくもめて居て、安山岩の貫入により片状組織が破砕されて仕舞つ
て原状をと黛めね部分は風化し、所々に角礫を残して居る。片状組織の残つている箇所も図の
如く著しく折れ曲つていて、安山岩の貫入によっセ強い圧力を受けた事を示している。角礫は
結晶片岩礫のみである。叉安山岩の一部が複雑な形で図の如くこの結晶片岩の中に入り込んで
来ている。
IV一安山岩であつて雇の結晶片岩との間の境界面は乱れて居らなv・。
Bの露頭の観察:第3図て示した通りで緑色岩類と火山角礫岩とが接触している。Aの露頭
の場合と比較して両者ともあまりもめて居らない。しかし図の如く見掛け上緑色岩類の方が安
山岩類の上にある様に見え、その当時の結晶片岩類は可なり凹凸のある地形を示していた事が
_62
考えられる。火山角礫岩の中には一部緑色岩類の岩
片左取り込んでいる。
以上の2個所のA・9の露頭について見ると、〕)結
晶片岩類以外の岩片が、これらの火山角礫岩の中に
含まれていない事から、その当時少くもごの附近に
は結晶片岩以外の岩類ぽ先づ露出していなかつた事
』一 2)A地点の露頭は安山岩類が流下して来ながら基盤
懸£翻 の繍片岩類濃蝕しつ」取り込んだも碗、その
第3図第1図のB地点の露頭図の左 時に流下してぐる際の強い圧力により、その中にと
の緑色片岩(2)が見掛け上火山角
り込まれた結晶片岩が破砕されて角礫となったり、
礫岩(1)の上位に来ており、その
当時の複雑な地形を示す。 折れ曲ったりした。一方又その強い圧力によってと
り込んだ結晶片岩の中に安山岩類が不規則な形状で貫入して行つたものである事、3)その当時
の基盤をなす結晶片岩類は可なり不規則な地形を示していた事等が考えられる。
第4図に
凡そ見られ
る如く、結
晶片岩類の
走向・傾斜
は田上より
茂木町にか
けては可な
りの規則性
左示し、あ
まりもめて
いないQ即
ち全体とし
ての一一般走
一
醸
鼻
鳶o
向はNW方
向で’(N20つ
第4図 1・結晶片岩・2・北浦蕾(古第三系) 3・玄武岩 .
4。茂木植物化石層(新第三系)5.火山角礫岩
W−N700
W)・NEに50−40。の比較的低角度で傾斜している。これぽ野母・西彼杵半島全体の結晶片岩
63
類の傾斜についても大体言える事で水平に近い場合も稀でない。但し細かく岩層を見ると、緩
傾斜であり乍ら細かい部分に複雑な摺曲左している箇所が見られ、第三紀層等の緩傾斜のもの
と異なつて、複雑な機構の下に生成されたものである事左こ㌧に特に述べて置く。本地域では
緑色岩類の方が比較的広く分布をなし、緑泥陽起石片岩や緑簾片岩が普通であつて、点紋絹雲
母石英片岩や石墨石英片岩と互層したり、横に移過している。
3.赤崎の鼻附近の結晶片岩類と北浦層及び火山角礫岩類との関係
結晶片岩類:赤崎の鼻の尖端の一部に小露出を示す。一般に緑色片岩を主とし、これに珪岩
類を部分的に來んでいる。緑色岩類は検鏡するに緑泥石を主とし、これに石英左ともなつてい
る。著しく複雑な稽曲をしていて、岩層は片状構造が著しい。茂木町附近の結晶片岩類が余り
摺曲していないのに比較すれば著し、、(差異が認められる。或は野母半島の結晶片岩類の北端に
位置する事より、大きな地質構造と伺等かの関連があるのかも知れない。 走向は一一定せす
N80つE→N20つE→N20つW→}160つWと種々の変化を示し、傾斜も同様に変化しているが、大き
く見れば一つの小さな脊斜構造を示している様である。しかしこの結晶片岩は大半は海中にあ
り、恐らく茂木港の海底で対岸の結晶片岩と連絡しているものであらう。
北浦層:本層は海中に大部分没しているために、その存在は従来殆んど注意されなかつた
ものである。主として砂岩の部分が海中に島となつて残つて居り、これと互層する頁岩の部分
は侵繁されて海底に浅く露出している。砂岩にば部分的に円礫が多量に含まれて礫岩とした方
が良い様な部分もある。礫は良く円磨されて拳頭大から難卵大程度の円礫が多い。珪岩礫が多
く、そのほか石英安山岩や角閃片岩が含まれる。しかし結晶片岩礫はあまり多くない。砂岩の
←部ぽ石灰質の所があつて、鏡下では石英、長石、緑泥石、磁鉄鉱の微粒が可なり含まれるほ
かに、流紋岩質の岩石の細かV・破片が可なり混じている。そしてこれらの基質は方解石で充て
んされている。西彼杵半島七ツ釜附近の石灰質砂岩に若干似ている所もあるが,七ツ釜のもの
は、遙に石灰質であつて、その他の点においても可なり異なつている。頁岩は一般に露頭では
暗黒灰色を呈しているが、部分的に暗紫紅色となつている所があるのは注意を要する。礫は頁
岩には含まれてv・ない。一般の走向、傾斜はN60つ一740Eで]5Q−250NWであるが、上位の
火山角礫岩と接近している様な部分ではN]0つE・]5。W となつている所がある・海中に没し
ている部分があるので、正確な層厚は不明茨が、大体]00m前後であろうと思う・(巻末の写
真図版参照)
本層は岩相・層位・古地理上の点から見ると長崎湾の古第三系の下部の赤崎層群(松下久道
博士に従うならば特に香焼層2Fとしたもの)に関係がある様な特徴を持つているのは注意すベ
ドイ クピ ツカボリ タケロ
き点であつて、土井の首・深堀・岳路などの基盤岩類である変成岩類の上に載つているものと
は極めて良く似てv・る。
今この茂木町の北浦層左長崎湾の赤崎層群に含まれる香焼層に比較出来るとするならば(古
64
地理的に両者が連絡する可能性は考えられる)、北浦層は天草の深海暦(一赤埼層)と同時期
に属する堆漬物であるという事になり、この結果から北浦層に関して筆者は次の様に一一応考え.
ているQ
]・松下久道傳士の古地理図左見ると・橘滲内には赤崎層を堆樟した海は湾入せす・むしろ
古牛深湾入と古長崎湾入との間に一つの障壁即ち西南に突出した半島があつた為に、橘湾内へ
の進入がさまたげられていたと解されるのであるが、北浦層の存在によづて赤崎層(深海層♪
の海が橘湾内にも及んでいた事はこれで明らかになつた。
2.北浦層が陸成の赤疇層型でなく、深海層型である事も、天草の下島や長崎湾のものと規
を一にして居り、これらがいづれも深海層型のものを堆積している点で、古地理的に関連のあ
つた事を示している。
3. この事より、天草の下島では上位に上島・坂瀬川層群が重なり、長崎湾では高島・伊』王
島層群が重なつている以上、この両地域の中間に位置する橘湾内においても、北浦層に引きつ
穿いてこれらの古第三系に相当する海の進入及び堆積もあつたであろうという事は考えられ得
る。
4.矢上の含炭古第三系は、同じ橘湾内に分布している事、北浦層と極めて接近して存在を
する事及び3の事項より考えて見ると、古地理的に時代的に北浦層の存在と全く関連のないも
のであるといろ事は、必すしも言えないようにも思える。この場合には矢上の爽炭層の延長が
橘湾の海底にも存在する可能性がある。
5・。いま北浦層と矢上の含炭古第三系とが、長崎湾における香焼層とそれより上位の含炭古
第三系との間におけるような時代的な関連を持つていないとするならば、矢上の爽炭層は橘湾
内の海底に迄延びてはいないのであるまいかと考えられる・別言すれば兆浦層の存在する茂木
地域と矢上地域とは確に近接しているが、この間には古地理的に両者の関係を断切する様な障
ゐ、
壁が恐らくあつたのではなかろ俄と考へられるのである。
北浦火山角礫岩3:北浦を中心として茂木港周縁部に見られる火山角礫岩を一括したものを『
称する。これには火山岩礫のみから成る本質火山角礫岩と結晶片岩類や砂岩の岩片を含む異質
火山角礫岩とがある。結晶片岩類と関連のあるのは後者の,大山角礫岩で、茂木港周縁部のもの
は層理も明らかである。一般:にN70つW・]5つ一25つ}Eの走向・傾斜を持つている。特に北浦
から赤崎の鼻東部に至る海岸には好露出がある。今赤崎の鼻の結晶片岩の上に不整合で載つて
いる基底の部分からの一般柱状図を、赤崎の鼻より東方に向つて約40Cmの間において得たも
のについて示せば、第5図の通りであり、その厚さは約20mである。結晶片岩の岩片はこの
柱状図の上部の方においても含まれ、砂岩も同様である。又下位より約ζmの所には凝灰岩質
註2松下久道1950九州北部炭田の地質 九州拡山学会誌 特別号
3火山角礫岩としたものは従来の集塊岩に相当する。久野久、1954.火山及び火山岩 岩波全書
_65_
の部分に木炭の小片が爽在している。この事はその当時樹木の生育
9%,
しているような個所があり、それ左とり込んで来たものである事を
推定させる。火山岩塊はlm大のものもあり、人頭大一拳頭大
程度のものが最も多く含まれる。これらは種々の型の安山岩から成
例硬.
る。検鏡したものについて述べると、酸化角閃石複輝石安山岩・複
輝石安山岩・複輝石角閃石安山岩等がある。酸化角閃石は鏡下では
1.も』奄%ρ』’φ、
赤褐色で多色性が著しく、・周縁部がオパサィト化しているものであ
蒙髪篶鞘
る。又これと共に中央部が紫蘇輝石で、周縁部が角閃石でオパサイ
ト化しているものがある。角閃石にはそのほか緑色のものがある。
一般的に言うと茂木から北浦、さらに赤崎の鼻に露出する異質火山
角礫岩には角閃石を含む安山岩質の火山岩塊が見られる。石基の構
造も種々で、角閃石を含む安山岩には7・フェルリチツク構造を示す
10飢’
ものがあり、ミク・ライトの毛状のものが放射状になつてるのを
コシキ
襯察する事が出来る。この北浦火山角礫岩よりは後期のものに甑
イワ イ カ
岩や矢岳等の凄輝石安山岩がある・その他飯香の浦・愛宕山・更に
戸町附近の安山岩顛との廻係は別の機会に述べる。
茂木植物化石層は上部になるとこの火山角礫岩に移過するもので
1一・3
う
あるから,これらの安山岩質火山岩の噴出も第較紀終末期に始まつ
輩噌∼攣
ていたものであ7)ろ。本火山角礫岩は前述の如く結晶片岩を不整合
一畠
に被覆すると共に、古第三系の北浦層左も不整合に被つている。こ
一”8
の三者の関係
は赤崎の鼻の
海浜にて観察
噛⇔
o隣
第5図 赤崎の.鼻より東
方にかけての異質火山
圖∂回2§§塵 聯7図に示
角礫岩の柱状図を示す
第6図 赤崎の鼻附近の結晶片岩北浦習・火山角礫 した。
岩片の中、1…安山岩
岩の関係を示す。 1.結晶片岩 2.北浦層
3・火山角礫岩これらの三者はいづれも不整
合関係にある。
2・一結晶淵』岩・ 3。一木炭
4…砂岩.結轟片岩や砂
岩の岩片は可なり上部
に.迄含まれているo
66_
4.北浦附近の結晶片岩類
北浦より元木場に向う途中の山道には、風化しているために岩質の区別がつき難い岩体が可
なり広く分布している。肉眼的には多少緑黄色を呈しているのが判るが、可なり汚染されてい
る。しかし鏡下においては、附近に分布する火山岩類とは別系統の緑色岩類の中に含めるべき
岩類である事がわかつた。片状構造は肉眼的に不明瞭であるが、薄片にすると干渉色の極めて
低い緑泥質物より成り、可なり片状構造が明らかで,又極めて細かい石英脈に切られている。
本岩類は従来知られなかつたが、野母半島の結晶片岩類の分布の北限を示し、又その当時の結
晶片岩の地形の状況を考えるろえに一つの材料となるものである。
.5.結晶片岩及び北浦層の砂岩・頁岩の岩片の分布
結晶片岩の岩片の分布:結晶片岩の岩片は第8図に示した様に,結晶片岩に接近した火山角
礫岩・茂木植物化石層・北浦層には何れも含 ,
まれているが、この中でも火山角礫岩の中に
広く含まれる。但し転石・元木場附近の火山
角礫岩は結晶片岩に接しているにもか」わら
す,あまり結晶片岩の岩片を含まないのに対
して、茂木町から北浦・赤崎の鼻にかけて’
は可なりの量の岩片が火山角礫岩中に見られ
る。特に筆木植物化石層の上位の火山角礫岩
一鋤.
には2・n近くの巨大な結晶片岩塊を含む。分
布の北限は第8図の赤崎の鼻の東部のA塒 牒
であつて、これより以北には結晶片岩の岩片 第8図 結晶片岩r)岩片を点で示し、その分
布状況を示す。P…北浦層 N…茂木植物
が火山角礫岩中に見られない。即ちこのA地
化石脅他は4図に同じ
点では異質火山角礫岩が本質火山角礫岩と断
層で接しているのでないかと思われる程急激に変化する。尚赤埼の鼻と,A地点の間には現在結
晶片岩が露出していないにもか』わらす、この間の海岸に露出する火山角礫岩の中には結晶片
岩の岩片が含まれている。この事は、結晶片岩が過去の安山岩の噴出当時ほこの聡近迄分布し
ていたものであるか,或は現在も海中にはこの附近迄分布しているのか兼だ明らかでない。し
かし飯香の浦には層理の明瞭な、一見茂木附近と同様な軽石質の凝灰岩を爽んだ火山角礫岩が
再び現われているが、これには結晶片岩の岩片は最早含まれで、(ない。火山角礫岩の中の片岩
の岩片の分布が結吊片岩の分布と関係がある以上・飯香の浦において既に見ないと言う事実は
その当時には、結晶片岩類は飯香の浦附近にもはや露出していなかつた様にも一応考えられ
67_
る。この点なお明らかでないが、少くも赤崎の鼻の東部A地点附近迄は結晶片岩が分布してい
た事は言える様である。
茂木植物化石層中の結晶片岩の岩片については後述するが、下部層を除くと今迄述べて来た
火山角礫岩程には多く含まれない。更に下位の北浦層になると、既述の如く予想外に結晶片岩
の岩片が少くなり、砂岩中にも絹雲母の岩片が混在していない。
砂岩・頁岩の岩片の分布:元木場・転看附近の火山角礫岩には砂岩・頁岩の岩片が含まれてい
灘撫 ない点で結晶片岩の場合と異なる・この事
離
蓬 から砂岩・頁岩の岩片が北浦層から由来し
騨 『 ているものである事ほ疑い得ない。第9図に
示している通り北浦層を中心として、茂木
樽
港周縁部の火山角礫岩中に砂岩・頁岩の岩
醸
片が見られ、図の赤崎の鼻の東方のA地点
郵 驚
一軸 ,
迄結晶片岩の場合と同じく分布している。,
!
P
500m
一
第9図 北浦層の砂岩・頁岩の岩片の分布状況
岩片の大きさは人頭大から鶏卵大のもの迄
あつて、その形は角礫状であるが、稀に円
礫が含まれている事もある。特に北浦から
赤崎の鼻にかけては部分的に火山岩塊や.火
山岩片よりも多量に含まれている場合がある。
6。茂木植物化石層争の礫について
『
霧
茂木町の厳島神社の附近には古くより植物
.・
讐
化石を産出するので有名な新第三系があり、
第1噛
N
。じ
豪
”9
右側の海岸に
露出している
茂木植物化石
“顧一一B
海岸に露出している部分を第]0図に示して置
層
いた。筆者は本植物化石層を大別して便宜上
1.玄武岩
下部層と上部層とに分ける。
2。下部層
_X
下部層:厳島神社から東の海岸にかけて黒
4.火山角礫岩
色の玄武岩が露出している。部分的に火山角
も2櫨×・・働化石
礫岩となり、斑晶には撒麓石等が含まれる。
議
見掛け上この玄武岩の上位に来るのが、主と
して礫岩より成る所のこの下部層である。礫
には玄武岩が見られす、大部分は結晶片岩類
である。この結晶片岩礫は大体緑色岩類が多
3.上部層 、
認3欝
o O O
90
蟹勢圏3匝トロ1
68_
く、角閃片岩・緑廉片岩・陽起石緑泥片岩等から成るが、これは茂木町附近の結晶片岩が緑色
片岩の多い所に由来している様である。勿論そのほか石墨絹雲母片岩の類も含まれている。礫
としてそのほか主意すべきもの矯愈白雲母花謁者が含まれている事である。そしてこの中の斜
長石は鏡下で見ると劇しく轡曲していて動力変質の影響も蒙むつている事も示して“る。礫の
形は多少円磨されている程度で完全な円礫でなv・ものが多v・。しかし中には良く水磨された円
礫も部分的には可なり含まれている。岩層は海岸の方では薄く、厳島神社側になると厚くなつ
てV・るo
上部層:下部の岩層の上に載つているのであるが、その間には軽微な不整合関係と思われる
様な点もあるので上部暦として区別した。一般に凝灰岩質の部分が多く、礫が含まれない。但
し第]0図のBの箇所の上部に近い所には結晶片岩礫や安山岩礫が含まれる。この安山岩の岩
片には複輝石安山岩や角閃石を含む輝石安山岩がある。植物化石はこの上部暦に含まれるもの
で、しかもこのように火山岩塊左含み火山角礫岩により被われる事は、長崎近傍の安山岩の時
代を推定する材料となるものである。走向・傾斜を見ると:N400Eの走向で】oo内外の緩い傾
斜を持ち第10図の如く軽微な栖曲がある。下部暦の礫暦は部分的に多少異なりN800W位の走
向左持つている。これらは安山岩の噴出后づ地殼変動に属する変動であろう。北浦暦の襯珀は
これより更に前である事ぽ既述の通りである。
7.要
約
含炭古第三系の基盤岩類である野母半島の変成岩類の北限の部分が露出している茂木町附近
の地質について、以下簡単に要約すると次の通りである。
1・茂木町附近の結晶片岩には緑色岩類の方が多くも緑泥石を含む緑簾片岩・陽起石片岩や
角閃片岩・変斑礪岩等があり、点紋石墨絹雲母片岩類に移過したり互暦したりする。
2・茂木町附近に始めて古第三系の北浦暦の存在する事が判明し、天草の深海層や長崎湾の
香焼暦に比較されるので、橘湾にも赤崎暦に相当する地暦のある事が明らかになつた。
3・古くから有名な茂木植物化石層は一応上部と下部とに分けられる。下部は結晶片岩礫を
多量に含む礫暦で、この中には茂木附近に露出を見ない白雲母花崩岩礫がある。植物化石は上
部暦に含まれる。本暦の上部ほ紫蘇輝石角閃石安山岩礫が含み、火山角礫岩に被わ顧移過す
る0
4・その当時の基盤を構成していた結晶片岩類及び北浦暦の岩片を多量に混在してV・る火山
角礫岩は茂木港周縁部に分布し、角閃石や酸化角閃石を含む複輝石安山岩の岩塊を含むが、
コもキイワ
甑岩附近の複輝石安山岩類よりも早期のものと考えられる。
5・転石附近の安山岩類は基盤の結晶片岩の上を可なり強い圧力の下に流動して来たもの
で、その結果基盤岩類を取り込んで摺曲や破砕を生ぜしめ、或はその一部に逆に貫入した。
_69
6・赤崎の鼻では摺曲した結晶片岩の上に北浦暦が不整合に堆積し、更に地殻変動によって
怒曲し挺後に.火山角礫岩が更vz:この両者を不整合に被覆し、その後叉地殻変動を受けた。
7・第三紀終末期乃至第四紀初期の安山岩の噴出当時の結晶片岩の北縁は赤崎の鼻の東部か
ら北浦を経て転石にかけて存在して小粒ものの如く、当時の結晶片岩類が構成していた地形は
可なり凹凸があり複雑であったと考えられノる。
Geology of the Vicinity of Mogi-machi, East of Nagasaki.
(Geological Study on the Nagasaki Metamorphic Rocks : I).
K. Tachibana.
For the purpose of investigating the crystalline schists of Nomo PeninsuJa, the
writer has engaged in geological researches of the vicinity of Mogi-machi, about 5 ^m
east of Nagasaki city, where the northern end of the crystalline schists above mensi・
oned is well exposed.
The crystalline schists forming the basement rocks of this district is mainly consisted
of
chlorite・actir二olite
schist,
chlorjte-hornblerde
schist
ar二d
chlorite-epidote
schist,
some of which alternate with graphite-sericite schist.
These crystalline schists are overlain by the Neogene and. Palaeoger-e rocks and. by
andesite and its volcanic breccia. The Palaeogene first discovered by the writer from
this district is called the Kitaura bed by him and is provisionally correlated with
the Akasaki group. The Neogene underlain by a lava of olivine-basalts is divided into
two parts with disconformable relation, namely the upper the plant-bearing bed. con
tormably overlain by the volcanic breccia and the lower the conglomerate bed in
which pebbles of the crystalline schists are abundantly found accompanied with
psbbles of a mmcovite granite. The andesite occuping the northern part of this district
mainly belongs to two pyroxene hornblende ardesite. The 、volcanic breccia exposed
along the coast of Mogi bay includes the fragments of the crystalline schists and the
sandstone and shale of the Kitaura bed. In this paper, the writer has describe♂ the
geologic relation between these overlying rocks and the crystalline schists.
-70-
第1図 赤崎の鼻における結晶片岩(CS)、北浦層(P)、火山角礫岩(VB)の関
係を示す。北浦層(古第三系)は、北西に緩く傾斜して結晶片岩の上に不整
合にのり、火山角礫岩により更に不整合に被われ、大半は海中に没している。
右は橘湾である。
灘騰
第2図 同上.北浦曹の砂岩中には、多くの円礫が含まれ、部分的に礫岩伏
を呈する・ (写真は何れも干潮時に筆者撮影)