ヒラリズム 9の17 陽羅 義光 天資の廃人 上田秋成を名作『雨月物語』の作者として、知っている人は多か ろうが、その「ひととなり」は知らぬ人が多かろう、わしもそう詳 しく知っているわけではないが、ちょいと上田秋成の晩年を紹介し ようかな。 秋成はごぞんじのように国学者として作家として江戸時代に活躍 した人物だが、五十七歳のときに左眼の明度を失った。 そ の 衝 撃 で「 天 資( う ま れ つ き )の 廃 人 と な り し 也 」と 嘆 い た が 、 これは単なる嘆きではなく、居直りであったとわしは考えている。 秋成は五歳のときに天然痘にかかり、そのせいで手の指が奇形化 してしまっていた、つまり自分はうまれついての廃人であり、いま さら眼をやられて廃人になったわけではない、仕方ないではないか という諦めに近い居直りである。 秋成は眼をやられる前年に義母と養母を相次いで亡くし、七年後 には最愛の妻を亡くし、翌年には(一時であるが)全盲となる。 医学的にどうかは解らぬが、結果的には肉親を亡くすと、眼にく る人だった。 以後七十六歳で亡くなるまで口述筆記で書き続けたが、とにかく 辛い辛い後人生であったのは間違いない。 その辛い辛い後人生を生き抜く術として、 「 天 資 の 廃 人 」と い う 言 葉を生み出したのであろう。 わしは作家というものは、少なくとも真の作家というものは、み な肉体的もしくは精神的に、 「 天 資 の 廃 人 」で あ る と 、昔 か ら 考 え て いる。 そのころは上田秋成の晩年のことは知らなかったが、わし の好きな作家がみなそうであったし、わし自身もそうであったから だよ。 だが考えてみれば、 「 天 資 の 廃 人 」で も な け れ ば 、あ の 奇 跡 的 な 傑 作『雨月物語』を書けなかったことは確かではある。
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