第3回 時代のせい

第3回 時代のせい
第3回 時代のせい
「申し訳ありませんでしたの一言くらいないの
か!」
「どうしてですか」
とあるオフィスの一室。社運をかけて取り付
けた大口の契約が、ひとりの新入社員の凡ミス
によって水の泡になってしまった。部長がその
新入社員を呼び出し、皆の前で叱責している。
「どうしてですかって、お前の責任だからだろ
う!」
「いいえ。僕のせいではありません」
「 お 前 じ ゃ な か っ た ら、 誰 の せ い だ と 言 う ん
だ!」
「時代のせいです」
部長はうなだれてため息をついた。また始ま
った。この男はどんな失敗をしてもまったく反
省せず、同じ言い訳ばかりするのだ。
「お前、自分の言っていることが分かってるの
か?」
「はい。僕のことは僕が一番よく分かっていま
す」
「お前は悪くないというのか?」
「はい。時代のせいで僕はこうなった訳ですか
ら、僕は何も悪くありません」
「 ふ ざ け る な! お 前 の せ い だ よ! お 前 が 馬
鹿だから、うちの今期の売り上げが見ろ! ゼ
ロになったんだよ!」
部長が拳を思い切り机に叩きつけた。
「僕は馬鹿ではありませんが、もし仮に、部長
に馬鹿だと思われるような行動をしていたとし
ても、時代がそうさせたんですから、悪いのは
僕ではなく時代です」
「 い つ も い つ も 時 代、 時 代、 時 代、 時 代。 何 な
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第3回 時代のせい
「黙れ! 馬鹿にしているのか!」
「馬鹿にしているわけではありません。思った
ですから」
んだ! お前は!」
「何なんだと言われましても、これが僕らしさ
ていました」
「僕も面接の時は、もっと楽しい職場かと思っ
の時はもう少し見込みのある男だと思ったんだ
「お前なんか採用するんじゃなかったよ。面接
日増しに加速しているように見えた。
ことを正直に申し上げているだけです」
「何だと? お前が俺を怒らせてばかりいるか
すっかり毎朝の恒例行事と化した平行線の言
い争いを、社員たちは仕事をしながら横目で眺
らだろう! お前が来る前はもっと楽しい職場
だったよ!」
がな!」
「いいか、これは時代の問題じゃない! お前
の 問 題 だ! 死 ん だ 魚 み た い な 目 を し や が っ
て!」
「ああ、お気に召さないよ!」
めていた。
「この目がお気に召しませんか」
「でも、この目も時代のせいです。僕にはどう
合わなかった。前々から部長の短気は社内でも
新入社員の男は二十歳そこそこ。団塊ジュニ
ア世代である部長とは普段からまったくそりが
時代がこうさせたんですから」
読み込んだのだろう。ボロボロになった本のあ
題された新書サイズのビジネス書だった。相当
部長が鞄から一冊の本を取り出して机に叩き
つけた。『ゆとり世代社員の正しい育て方』と
で買ったんだぞ!」
し よ う も あ り ま せ ん。 何 度 も 申 し 上 げ た 通 り、 「俺は、お前みたいな馬鹿のためにこんな本ま
有名だったが、この男が入社して以来、短気は
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第3回 時代のせい
「はい。そもそも、ゆとり世代はゆとり世代と
「恩着せがましいだと……?」
も、困ります」
「部長。そんな恩着せがましいことを言われて
び出ていた。
ちらこちらから、いくつもカラフルな付箋が飛
しばらく二人が見つめ合ったまま空気が凍り
ついた。
のことを知りたがっておられるようですから」
て差し上げようと思いまして。部長が我々世代
「いえ、折角なので、その本の答え合わせをし
「何だと……?」
はどんなことが書いてありました?」
部長、そんなことも知らないんですか?」
とめにして雑に扱われるのが、一番嫌なんです。
けて向き合おうともしないで、最初からひとま
一人にもちゃんと個性はあります。それを見つ
とり世代になった訳じゃないですし、僕ら一人
「はあ、なるほど。でも、そんなことはありま
会社をやめることを考える」
怒られた経験が少ないから、怒られるとすぐに
「人と比べられることを嫌う。今までの人生で
た。
沈黙の後、部長は乱暴な手つきで本をめくる
と、付箋を貼っていたページを大声で読み上げ
呼ばれて周りの連中と一緒くたにくくられるこ
「知らないんですかって、お前、何を偉そうに
せん。僕は口うるさい両親に結構怒られて育て
とが嫌いなんです。別に僕たちが好き好んでゆ
……」
られても、毎日休まずに出社しています」
再び二人が見つめ合ったまま時間が止まった。
られましたし、ほら、現に部長にこんなに怒鳴
言い返す気力も失せて、もはやため息すらも
出て来ない。
「あの、部長。逆に質問なのですが、その本に
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第3回 時代のせい
行って仕事の話をしないのであれば、それは人
れにはちゃんと理由があります。部長と飲みに
「 あ あ、 出 ま し た。 飲 み 会 断 る 問 題。 で も、 そ
思っていない」
仕事においてコミュニケーションが大切だとは
「自分の予定を優先し、上司との飲み会を断る。
部長が心底呆れた様子で首を横に振る。別の
ページをまた読み上げた。
全力で仕事に取り組んでいます」
います。目標に向かって、僕はいつも前向きに、
「んー、どうでしょう。そんなことはないと思
らなくなって、投げ出す」
とと違うことが重なると、どうしていいかわか
満々で仕事に取り掛かるが、頭で考えていたこ
「根拠のない自信はあるが、実践に弱い。自信
長い沈黙の後、部長が別のページを読み上げた。
思います。ねえ? 皆さん」
んには、僕の優秀な仕事ぶりは伝わっていると
には分からないでしょうが、ここの部署の皆さ
柔軟かつ、正確に仕事をこなしています。部長
「とんでもない。僕はよく考えて、先を読んで、
い」
も、 先 を 読 ん で 柔 軟 に 対 応 す る こ と が で き な
「言われたことしかできない。指示待ちのマニ
げた。
そ の 口 答 え を 聞 い て い た の か、 い な い の か、
間髪をいれずに部長がまた別のページを読み上
ません」
であれば、もはやブラック企業と変わりがあり
と同じです。残業代の出ない残業を強要するの
なさらないので、それでははっきり言って残業
ュアル人間。少し考えればわかることであって
間的なコミュニケーションで、とても大事だと
そう言って新入社員が振り返ると、にやにや
眺めていた社員たちが一斉に目を逸らした。
は思います。ですが部長はどうせ仕事の話しか
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第3回 時代のせい
「もういい。お前のためを思って言うが、お前
は自分が見えているのか? 周りからどんな人
間に見えているか、分かっているのか?」
「はい。分かっています」
だろう」
「時代が変われば、たぶん僕も変われると思い
ます」
「時代が変われば、か……」
「じゃあ、どうして今回こんなミスが起きたん
「はい。僕はいつも完璧な仕事をしています」
と?」
「はい」
「もういい……。席に戻れ」
「はい。時代です」
「時代、ねえ……」
「 自 分 を 分 か っ た 上 で、 自 分 は 完 璧 な 人 間 だ、 「はい」
だ?」
体がざわざわと騒がしくなっていく。
禅問答のようなやりとりに堪え切れなくなっ
た社員たちから笑い声が溢れ始めた。フロア全
「はい。時代です」
「……時代、か」
「時代が悪いからです」
「お前ではなく……」
それを合図にして、社員たちが新入社員のと
いてオフィスを出て行った。
しばらくして部長が鞄と上着を摑んで立ち上
がると、ホワイトボードの行き先欄に本社と書
叩く音だけが静かに響いた。
からない。社員たちのカタカタとキーボードを
が帰ってきた。また部長がいつ怒鳴りだすか分
新入社員の男が自分の席に戻ると、皆が急に
真面目な顔に戻り、フロアにはいつもの緊張感
「時代が悪いからです」
「どうすれば、お前を一人前の男にしてやれる
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第3回 時代のせい
「お前、今日の説教、最高だったよ!」
ころに駆け寄る。
つーの」
ら、こっちも萎縮して、またミスが増えるんだ
「あいつがいちいち鬼のように怒鳴り散らすか
「あいつの短気のせいで、俺ら生きた心地がし
「ストレス解消になるわー」
を言うっていう、お前のアイデア。最高だわ」
あだ名を〝時代〟にして、皆の前で堂々と悪口
「ホント。お前は仕事の出来る男だわ。部長の
新入社員が得意げに胸を張ると、皆が爆笑し
た。
仕事をこなす、が僕のモットーですからね」
「よく考えて、先を読んで、柔軟かつ、正確に
「流石だわー」
「ははは。ありがとうございます」
て。よく言うよ」
「時代が変われば、僕も変われます! とかっ
「はい。任せてください」
「頼むぜ、新入社員」
は異動になるだろうと思います」
う一つくらい大きなミスを上手くやれば、部長
「たぶん、そうですね。僕の計算では、あとも
ぜ。いひひひ」
先輩社員がホワイトボードを指さした。
「あれ、お前のミスを本社に謝りにいったんだ
「はははは」
「ええ。〝時代〟が」
「〝時代〟が、な」
「はい。全部〝時代〟が悪いんです」
職場なのになあ」
「マジで、あいつさえいなきゃ、最高に楽しい
よ。あいつが変わらなきゃ、何も変わらねえっ
「そうですか? ありがとうございます」
「いや、やばい。最高!」
ないもんなあ」
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「頼もしいなあ」
先輩たちが新入社員の肩をばしばしと叩いた。
「よし、今日、仕事終わったら飲み行こうぜ」
「いいんですか?」
「あ、俺も行く」
「俺もー」
「私もいいですか」
「私もー」
「おう。行こうぜ、行こうぜー。ははは」
世代を超えた笑い声がフロア中に響き渡った。
だが、おそらくその飲み会で部長の話はほとん
どしないのだ。今はそういう時代なのである。
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