清澄な山の頂に吹く風は、なぜフュルフュルと頬をなぜるのでしょうか? 手に取れるほど近 くにあ る星の瞬きは、ハラハラと人を泣かせるのでしょうか? 水路を行く水は、どこからきて どこへ消えるのでしょう? 雲の切れ間から、突き出るように佇む天空都市マチュピチュ。初めてその写真を見たときのせ つなさを、私は今も覚えている。 人々は何を恐れ、何を求めて、渓谷の頂に都市を作ったのか。困難すぎる場所にあえて街を作 びと った理由を、解き明かそうとすればするほど、私はインカ 人 へのせつなさでいっぱいになる。そ れは支配者に対してではなく、無謀とも思える都市計画を実行に移した、名もない人々の努力に 対するせつなさだ。車輪もない時代に石を切り出し運び、山頂に街を築いたのだ。途方もない苦 労と執念のたまもの。私は報われず死んでいった人々に、せめて後世の人類の驚嘆の声を届けた いと、思い続けてきた。 けれど近年発掘が進み、水路や要塞のような段々畑の石積みが姿を現すにつれ、私は考え違い に気づき始めた。精巧なインカの石積みは、誇りを持つ人間にしかできない作業だ。巧みな石工 びと の技は強制ではなく、インカ 人 自らが進んで高めた技術。人々は報われない思いを抱きつつ、死 んでいったのでなはい。 マチュピチュの風や星が伝えるのは、せつなさではなく、インカ人の誇りと喜びだった。石積 びと みは人間の無限の可能性を知らしめるため、インカ 人 から後世の私たちへ向けられたエール。 「生きる意味を問うこともなく、黙々と石を運び続けたなら、偉大な人生が積みあがる」という メッセージ。 びと インカ 人 を慰めようなどとはおこがましい。慰めたいと思った私が慰められていたのだ。文 明が進んでも人の哀しみや喜びは変わらない。エールは時を超えた今も、色あせることはない。 後世に生きる私たちは、気負わず世界遺産から発信されるエネル ギーや感情を、素直に受け取る だけでいいのかもしれない。
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