五十嵐レポート 平成 27 年 3 月 24 日 所得のパイと物価との関係 景気回復をもたらす物価の落ち着き 今年は物価が上昇しないから景気がよくなる。図 1 は年度別にみた日本の GDP 成長率と その需要項目別寄与度の推移を示している。2014 年度の成長率は前年比-1.0%と景気後退 の年になることが確実である。その主因は、寄与度が-1.8%にも達する個人消費の大幅な 落ち込みだ。もちろん、14 年度から消費税率が引き上げられたため、その直前の駆け込み 消費の反動減が 14 年度の初めにあり、このことが消費のマイナス寄与を大きなものにした のは間違いない。しかし、その要因を差し引いたとしても 14 年度の経済を縮小させた主因 は個人消費であった。 図 1 実質 GDP 成長率と需要項目別寄与度 (前年度比、寄与度、%) 4 3 個人消費 住宅 設備投資 純輸出 在庫 実質GDP成長率 政府支出 予測 2 1 0 -1 -2 -3 2011 2012 2013 2014 (出所)内閣府「四半期別GDP速報」 (注)2014年度以降は弊社調査部予測値 2015 2016 (年度) 個人消費が減少した主因は物価の上昇だ。14 年度の雇用者報酬(≒現金給与×雇用者数) の伸びは名目で前年比 2%程度だったが、消費者物価が 3%程度上昇したため実質ベースで 約 1%減少した。実質ベースで家計の収入が減少したために消費が減少したのだ。 もっとも、物価が上昇すると常に消費が減少するわけではない。たとえば毎月の家計費 が 20 万円の世帯を想定してみよう。物価が 3%上昇した場合、消費水準を維持するために は 20 万 6000 円の支出が必要だ。逆に言えば、家計費を 20 万 6000 円に増やせば消費水準 を維持することができる。しかし 20 万円の生活費を増やす余裕がない世帯にとっては、物 価上昇の影響を吸収するためには消費量を減らすしかない。前者のケースなら物価上昇が 消費量に影響を及ぼさないが後者では消費量が減少する。結論として、家計に余裕がない -1- 時に物価が上昇すると消費が減ってしまうということだ。14 年度の日本の家計には余裕が なかったということになる。 もはやデフレではない? 今年(15 年度)は状況が変わる。物価が上がらないのだ。14 年度に 3%程度上昇した消 費者物価は 15 年度は 0.2%程度の上昇に止まると予想している。原油価格の大幅な下落が 主因であることは言うまでもない。15 年度の名目雇用者報酬の増加率は 14 年度よりむしろ 低下すると見ているが(当社予測では 14 年度:1.9%増、15 年度:1.3%増)、消費者物価 の上昇率に大きな差が生じる。このため実質雇用者報酬増加率は 14 年度が-1.1%であっ たのに対し、15 年度は+1.1%になると予想している。その結果、個人消費が増加に転じる ことが景気の回復をもたらす主因になるのだ(図 1 参照)。 しかし、物価が上がらないから景気がよくなると言うと、「デフレ脱却」目標との関わり という観点からは違和感が生じる気もする。この点について考えてみよう。そこで図 2 を 見てほしい。 図 2 消費者物価指数と円レート (2010年=100) 140 (2010年=100、季節調整値) 104 CPI(コアコア) 名目実効円レート(右目盛) 103 130 102 120 101 110 100 100 99 90 98 80 97 70 05 06 07 08 09 10 11 12 (出所)総務省「消費者物価指数」、日本銀行「実効為替レート」 (注)CPI(コアコア)とは食料品とエネルギーを除いた消費者物価を指す 13 14 (年、月次) このグラフは消費者物価のまさに核である CPI(コアコア)の水準と名目実効円レート の推移を示している。ご覧のように CPI の水準は一貫して低下しており、デフレが続いて きたことがわかる。しかし、この指数も 12 年の終わり頃に底を打ち、その後の 2 年余りの 期間は上昇している(14 年の初めに消費税率引き上げの影響で急上昇している) 。つまり、 少なくとも最近 2 年間は物価は下落していない。「もはやデフレではない」のだ。 デフレは諸悪の根源だと言われてきたし、安倍首相も黒田日銀総裁もデフレ克服を目標 -2- に掲げている。デフレが終われば「いい経済状況になる」し、「日本経済はよくなる」はず なのに、実際にはそうはなっていない。それは、「物価下落=デフレ」「デフレ克服=物価 上昇」という単純な考え方に基づいて、物価が上がりさえすればうまくいくと結論付ける ことが誤っているからだ。物価は上がり方が問題なのだ。 最近の物価上昇は円安が主因 最近の 2 年間、物価が上昇してきた理由を説明しているのが図 2 のもう一つの線、名目 実効円レートだ。これは「様々な海外通貨と円との為替レートを平均したもの」だ。「円対 海外通貨全体との為替レート」だとも言えるから、円の総合的な強さを示す指数である。 この指数が 12 年の後半から大幅に下落、つまり円の価値が下落している。このことが輸 入物価上昇を通じて消費者物価を押し上げてきたのだ。 単純化して、輸入業者、流通業者、消費者という 3 つの経済主体を想定してみよう。円 安の進行は輸入価格を上昇させて輸入業者の収益(所得)を減少させる。これを回避する ために、輸入業者が増加したコストの一部を価格転嫁すれば、流通業者の収益(所得)が 減少する。これを流通業者が価格転嫁すると消費者物価が上昇する。 結局、現実として起こることは、購入価格の上昇によって輸入業者、流通業者、消費者 のすべてが所得の一部を失うという事態だ。3 者が失う所得の総額は、円安によって輸入業 者が当初失った所得であり、同時に、円安によってわが国から海外に流出した所得である。 換言すると、円安が進行しても輸入量が変わらなければ、円安の程度に応じてわが国から 所得が流出する。その失われる所得を誰が負担することになるのかは、その後の価格転嫁 次第だということになる。転嫁が徹底されるほど消費者物価が上昇するのだ。 結局、図 2 が示しているのは、この 2 年間の消費者物価上昇の主因が円安であるという 事実だ。しかも、この物価上昇はわが国から所得が海外に流出するという効果を伴ってい るのだ。所得が減少して物価が上昇するという状況を「デフレが克服された」とか、「もは やデフレではない」と喜べるだろうか。先に物価は上がり方が問題だと指摘したのはそう いう意味だ。 交易条件と所得のパイ 日本から所得が流出したという事実を示す指標がある。次ページの図 3 だ。ここで示さ れている交易条件指数とは、図下の(注)にあるように「輸出物価指数を輸入物価指数で 割ったもの」だ。日本経済を日本株式会社にたとえると、輸出価格は日本株式会社の販売 価格であり、輸入価格は仕入れ価格だから、交易条件は「採算」だと言える。 輸入価格が上昇すると交易条件指数は低下するが、これを「交易条件が悪化する」と言 う。採算が悪化するという意味であり、それはすでに説明したように「わが国から所得が -3- 海外に流出する」ことでもある。日本株式会社の所得のパイが縮小するのだ。 図 3 を見ると、リーマンショック時の混乱期を除くと、交易条件指数は一貫して低下し ている。採算の悪化、所得の流出がずっと続いてきたのだ。その状況は、13 年以降に物価 が上昇し始めた後も変わっていない。つまり「デフレの克服」は所得のパイを縮小させな がら進んできたのだ。それが日本が目指すべき姿なのだろうか。 図 3 交易条件指数と GDP デフレーター (2010年=100、季節調整値) (前年同期比、%) 3 115 GDPデフレーター 交易条件指数(右目盛) 2 110 1 105 0 100 -1 95 -2 90 85 -3 07 08 09 10 11 12 13 (注)交易条件=輸出デフレーター÷輸入デフレーターを指数化したもの (出所)内閣府「四半期別GDP速報」 14 (年、四半期) 望ましい物価上昇とは こんな物価の上昇も考えられる。企業のコストの半分が人件費だとしよう。人件費を 2% 引き上げるとコストは 1%上昇する。これがそっくり価格転嫁されると、販売価格が約 1%、 物価も 1%程度上昇する。従業員にとっては給料が 2%増えて物価上昇率が 1%だから消費 が増やせる。消費が増えれば企業の売上げも増える。まさに経済に好循環が生まれること になるわけだ。 ラフな議論ではあるが、今の日本においては、こうした国内由来の物価上昇が起こるの は望ましいことだ。しかし円安がもたらす輸入価格の上昇が国内に転嫁されて起こる物価 上昇は、国内の実質所得を減少させることになるので望ましくない。 幸いにして、今は原油価格が大幅に下落したことが輸入価格の下落を通じて国内物価を 押し下げている。交易条件が改善して、日本株式会社の所得のパイが拡大している。冒頭 で今年は物価が上がらないから景気がよくなると言ったのはそうした状況を指しているの だ。やや乱暴な言い方をすれば、日銀は昨年秋、原油価格の下落が物価上昇(デフレ脱却) の妨げになるとして、円安を通じて、輸入価格の下落を食い止めるために追加金融緩和に 踏み切った。 -4- しかし、円安で物価を上昇させようとするのは邪道だと言うべきだ。景気改善を通じて 賃金の上昇と、その結果として緩やかな物価上昇が実現することが望ましいのは明らかだ。 ただ、これからそうした好循環が始まるかどうかはまだ不確かだ。 (MU投資顧問客員エコノミスト 兼 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 執行役員調査本部長 五十嵐 -5- 敬喜) MU投資顧問株式会社 登録番号 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第 313 号 一般社団法人日本投資顧問業協会会員 一般社団法人投資信託協会会員 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-3-11 電話 03-5259-5351 ※ この資料は、三菱UFJリサーチ&コンサルティング㈱とタイアップし、同社調査部の作成した 経済レポートを中心に掲載しております。本資料の記載内容の一部を引用あるいは転載さ れる場合には、必ず「MU投資顧問株式会社 資料より」と明記してください。 ※ 本資料に含まれている経済見通しや市場環境予測は、必ずしも当社の見解を示すもので はありません。内容はあくまでも作成時点におけるものであり、今後予告なしに変更されるこ とがあります。 ※ 本資料は情報提供を唯一の目的としており、何らかの行動ないし判断をするものではありませ ん。また、掲載されている予測は、本資料の分析結果のみをもとに行われたものであり、予測の 妥当性や確実性が保証されるものでもありません。予測は常に不確実性を伴います。本資料の 予測・分析の妥当性等は、独自にご判断ください。 -6-
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