間投表現の意味論;pdf

第 32 回福岡認知言語学会
2015 年 3 月 26 日
西南学院大学
間投表現の意味論
古賀恵介
(福岡大学)
1.
間投表現(interjections)とは
文法や意味の研究の大半は、叙述文の形を取った統語的表現やその一部をなす語句の性質の分析に費
やされてきている。だが、言語には、叙述文(predicational sentence)の構造をなさず、一般的な統語
法から外れた形で用いられる語句がある。典型的には、間投詞(interjection)という名のもとに分類さ
れている以下のような語句である。
(1) wow, oh, ah, boo, gee, ouch, oops
(2) eh?, mm, uh-huh, hush
(3) hey, hi, damn, shit, hello, good bye
これまで間投詞が文法研究の中心になることはなかったが、それでも、古代ローマ時代のラテン語文法
家たちから現代の研究者たちに至るまで、多くの論者たちにより(簡単にではあるが)取り上げられ、
細部の違いはあれ、統語的・意味的におよそ以下のような性質を有すると考えられてきた。(Ameka
(1992); see also the summaries by Goddard (2014) and Meinard (2015))
(4) 非統語的:
通常の叙述的文構造の中に統合されず、独立的・付加的・挿入的な用い方がなされる。
(5) 表出的:
話者の気持ちや感情的反応をそのままに表す。
しかし、以上のような研究史の中で問われていない最も重要な、そして本質的な問題がある。即ち、
そもそも何故このような性質の表現が言語に存在するのか、ということである。というのも、言語現象
の中心的な部分に位置するのは、対象指示的(i.e. 言語主体の外部に設定された対象を表す)で構成的
な(i.e. 述語を中心にして、それに複数の要素が様々な形で結びつく)統語構造を持つ叙述文であり、
間投表現は、叙述文から見るとあくまで例外的な現象でしかないからである。
本発表では、この問題に対して、動物から人間へのコミュニケーション進化の途上における、表出型
と対象指示型の分化にその原因がある、との主張を展開する。具体的には:
(6) (人間以外の)動物のコミュニケーションは、ほとんどの場合表出的(expressive)であり、
対象指示的(referential)なものはごく例外的にしか見られない。
(7) 人間の言語に至って初めて、本格的な指示的コミュニケーションが登場する。
(8) 間投表現は、進化的に古い表出的形態のコミュニケーションが、指示的表現を主体とする言語
の中に遺制として生き残ったものである。
との考え方を展開するものである。
だが、本論を展開する前に、間投表現の持つ上記のような特異性を理論的に捉えようとする代表的試
みとして、Natural Semantic Metalanguage、Relevance Theory、Cognitive Grammar の3つを簡単
1
に見てみよう。
1.1.
Natural Semantic Metalanguage
Wierzbicka (1992) は、自らが提唱する Natural Semantic Metalanguage(NSM)を用いて、間投
表現の意味を以下のように記述している。(同様の意味記述が Ameka (1992)、Wilkins (1992)、Goddard
(2014)などでも展開されている。NSM の詳細については Wierzbicka (1986, 1988) などを参照のこと。
)
例えば、Haiman (1989: 156) が間投詞の働き(expressive function of language)と通常の叙述文の働き
(representational function of language)の違いを示すものとして取り上げた以下のような例を挙げ、
(9) Yuck!
(10) I feel disgusted.
Wierzbicka (1992: 162-163) は、NSM を使って以下のように記述できるとする。
(11) “Yuk!”
I feel disgusted (no illocutionary force)
(12) “I feel disgusted!”
I say: I feel disgusted (illocutionary force)
I say this because I want to say what I feel
(13) “Ouch!”
I feel pain
(14) “I feel pain.”
I say: I feel pain
I say this because I want to say what I feel
このような記述方法を用いれば、確かに各間投詞の代表的な“意味”を(辞書的に)わかりやすく記
述することはできる。ただ、間投表現が持つ“意味”の異質性がどのようなものであるか、が本質的・
理論的に説明されるわけではない。例えば、上の例にあるように、Wierzbicka (1992) は、間投詞と叙
述文によるそのパラフレーズの違いを I say という発話内効力の有無にあるとしているが、同じく NSM
を利用している Wilkins (1992) は、間投表現はそれ自体で独立の発言(utterance)を構成するので、
機能的に一つの文に相当し、発話内効力を持つとしている。
(加えて、Wilkins (1992) は、間投表現は
その意味の中に I、you、now などの直示的要素を含んでいるので、一種の直示表現(deixis)であると
主張している。
)
この問題は、結局のところ、間投表現の定義および範囲確定と、そもそも発話内効力とは何かという
本質的な問題をどう捉えるか、という問題に行き着くのであるが、NSM はあくまで記述法に過ぎない
ので、NSM そのもので、その違いに決着をつけることができない。
(この他に、各論者によって、NSM
の記述法が微妙に異なるという問題もあるが、ここでは触れない。
)
1.2.
Relevance Theory
Wharton (2003) 及び Blakemore (2011) は関連性理論の立場から、間投詞が表すのは(discourse
marker などと同様に)
「手続き的意味」であり、名詞や動詞などが表す「概念的意味」とは質的に異な
ったものである、という論を展開している。具体的には、damn や bastard のような間投詞が表すのは、
procedures which result in the representation of a person’s emotional state (Blakemore (2011:
3542))であり、
「手続き的意味」である点では、well や so などの談話表示表現(discourse marker)
2
と本質的に変わらないということである。
更に、Wharton (2003) は、コミュニケーション行為の機能には showing と saying があり、showing
は非言語的行為、saying は言語表現としての機能であるが、間投表現には、前者の性格が強いものから、
後者の性格が強いものまで様々なものが存在し、その間には連続性があると言う。
showing
saying
shiver>smile>ugh/ow/oh/ah>shh/psst>yuk/ouch/aha/wow>haha/teehee>huh/eh>to wow/yucky
1
2
3
4
5
6
7
8
図 1. Showing/saying continuum (Wharton (2003: 210))
間投表現の意味が、通常の言語表現の意味とは質的に異なっている(conceptual vs. procedural)点
を理論的に捉えようとしたこと、また、Wharton (2003) が、その違いを showing/saying という、直観
的にわかりやすい形で整理したことは大いに評価できるが、ではそもそも、何故そのような区別がコミ
ュニケーション形態の中に生まれたのか、という点が何ら論じられていない。
1.3.
Cognitive Grammar
Langacker (2008: 13.2.4 Expressives) では、間投詞表現と呼びかけ表現(vocatives)がまとめて
expressives という名で取り上げられている。Langacker も、やはり、expressives は objective content
を表すものではなく、speech act(の一部)をそのままに表すものであると論じている。
(15) Because their essential import resides in facets of the speaker-hearer interaction, these
might well be regarded as special kinds of speech acts. What makes them special is their
relationship to the situation described---or rather their nondistinctness from that situation.
They deviate from the canonical arrangement with stating, questioning, promising, and so
on, where the interaction constituting the speech act is separate from the expression’s
objective content. Instead, their “content” is a facet of the interaction itself.
Langacker (2008: 475)
ただ、問題なのは、Langacker は、表現の profile を onstage な要素に限っているため、expreesives
は profile を持たないと言わざるを得なくなっていることである。
(16) What do expressives profile? Perhaps nothing, at least in a narrow sense of the term. An
expression’s profile is the onstage focus of attention, objectively construed by definition. …
If we stick to the narrow definition, therefore, expressives are principled exceptions to the
generalization that every expression has a profile. (Langacker (2008: 476)
この点は、筆者が古賀 (2004, 2005) で指摘しておいた通りである。
2.
コミュニケーション進化の諸段階
人間の言語が登場するまで、コミュニケーション形態の進化の最大の特徴は、表出型から対象指示型
が分化したこと(cf. from dyadic to triadic: Hurford (2007))と、伝達目的・内容が汎用化したことで
ある(古賀 (2014))
。以下、それらを具体的に取り上げてみたい。
2.1.
表出型コミュニケーション
人間以外の動物にも多様なコミュニケーション形態があることが知られているが、それらのほとんど
3
は表出的なものである。ここで「表出的」というのは、相手に向かって何かの信号(物理的刺激)を発
し、その信号の種類に応じて何らかの内容を相手に伝える、というコミュニケーション形態のことであ
る。
信号
受信者
発信者
図 2. 直接表出
具体的には、以下のような形態のものが見られる。
(17) 視覚的: 身体部分の色や形の変化、発光など
(18) 聴覚的: 鳴き声、超音波、羽を擦り合わせる音など
(19) 嗅覚的: 化学物質(フェロモン)、排泄物や体臭によるマーキング
(20) 触覚的: 身体部位の接触、サルの毛づくろい(grooming)
2.2.
対象指示型コミュニケーション
これに対して、対象指示的なタイプのコミュニケーションというものがある。対象指示というのは、
「外部にある対象に相手の注意を向けることで、その対象に関する情報を伝える」という意味である。
この意味で対象指示的なコミュニケーション形態は、人間以外の動物の世界では、ごく例外的にしか存
在しない。代表的なものとしては、次のようなものが指摘できる。
(21) ベルベットモンキー(やその他のサルで見られる)警戒音
(22) 犬や猫などで見られる、縄張り明示のためのマーキング
(23) 一部の鳥類で見られる、つがい相手の歓心を買うための巣作りや贈り物
これらでは、伝達内容の中核をなす対象が発信者の外部に存在しており、受信者に対してそれに注意を
促すような信号が発せられている。但し、対象を直接に指し示す行為を行っているのは(23)のみである
し、これらが、受信者に或る認識を抱かせるという意味で言語と基本的に同じ構造を持つかどうかに関
しては議論の余地があるところであろうと思われる。(e.g. 受信者は、信号に対して、単に生得的に決
まった反応をしているだけかもしれない。動物行動の解釈にはこの種の懐疑が常につきまとう。)
一方、言語を含めて、人間における対象指示は、明確に共同注意(joint attention)の構図を基礎に
している。1
対象
呼びかけ
受信者
発信者
図 3. 直接的対象指示
言語や指さしのような人間の対象指示行為においては、発信者が受信者に対して呼びかけを行うと同時
に、対象に対して注意を誘導し、その対象を受信者に認識させることで、何らかの情報を伝えるという
共同注意の構図が、言語に深くかかわっていることは、あらためて言うまでもなかろう。
(See, for
example, Tomasello and Tomasello (1995), (2003), and Baldwin (1995).)
4
1
構造が成立している。指さしと言語の違いは、指差しが対象を直接に指し示す直接指示の形(図 2)を
取っているのに対して、言語は、慣習的に割り当てられた記号を介して対象を指示するという代用指示
(or 間接指示)の形を取ることである。
(古賀 (2014))
対象
記号
受信者
発信者
図 4. 代用指示
従って、言語においては、対象が、発信者・受信者と物理的同一場面に存在する必要がない。それど
ころか、そもそも現実に存在している必要もない(e.g. 架空の人物・物や非特定的対象物)のである。
この、対象からの「分離可能性」という特質は、displacement という用語で Hocket (1960) により取
り上げられて有名になったものであるが、Bouchard (2014) 謂うところの OBS(Off-line Brain System)
によって可能となったものであると考えられる。Bouchard (2014)によれば、
(大雑把に言って)動物は、
目の前に存在する事物(から受ける刺激)に関わるオンライン処理しかできないのに対して、人間は、
外界刺激がなくても、記憶や想像力からの入力によりオフライン思考を行うことができる。これが言語
能力の獲得に決定的な役割を果たした、ということである。
それから、もう一点注意しておくべきは、対象指示においても、発信者から受信者への直接的呼びか
けが何らかの形で存在しなければならないという点である。受信者の注意を対象に向けさせるためには、
その前に受信者に対して注意喚起の働きかけをする必要があるのであり、受信者の注意を捉えることが
できなければ、対象指示は空振りに終わってしまう。つまり、対象指示と言えども、その中に部分的に
表出機能を含んでいるということである。
2.3.
コミュニケーションの汎用化
動物のコミュニケーション全般に言えることは、表出的なものであれ、指示的なものであれ、すべて
目的が特化されており、信号の内容やそのコード化のされ方がほとんど生得的に決まっているというこ
とである。従って、コミュニケーションの目的は、(一部に例外はあるが)生存と繁殖に密接に関わる
もの(e.g. 食餌、闘争、求愛)に限定されているし、或るコミュニケーション形態が多様な目的で用い
られたり、特定の目的のためのコミュニケーション形態が他の目的に柔軟に転用されるというようなこ
とは行われないのである。
これに対して、言語のような人間のコミュニケーション形態では、その目的は多様でかつ汎用的であ
る。もちろん、生存・繁殖にとって必要な情報伝達も行われるが、それ以外に、社交・娯楽などにも用
いられる。また、あらためて言うまでもなく、言語の形式とその内容の対応関係は恣意的・慣習的であ
り、地域的変異が見られると共に、歴史的変化を被る。2
これに対して、Burling (2005) が gesture call と呼ぶ非言語的コミュニケーション(e.g. 笑う、泣く、
怒る)では、伝達形態と伝達内容の間の関係はほぼ一定であり、人類全体で普遍的(或いはそれに近い)
と言えるだろう。
5
2
2.4.
表出と対象指示の分化の意義
上に述べたように、言語の進化にあたっては、表出型コミュニケーションから対象指示型コミュニケ
ーションの分化が起こった。その結果、言語における表現の主要形態は、主体の外部に対象として設定
した事物を概念を用いて描き出す、というものに変わったのである。しかし、上でも指摘したように、
対象指示的コミュニケーションにおいても、(共同注意の構図の中でも見たように)表出機能は、発信
者から受信者へ向けての《呼びかけ》という形で存在している。そして、これが、言語の中に二つの形
で生き残ることになったと考えられる。
一つは、叙述文に伴う発話内効力(illocutionary force)という形である。叙述文は、概念を規則的に
組み合わせて複合構造(=統語構造)を作り、それを用いて対象となる事態を描写する、という形を取
ったコミュニケーション形態であり、その対象指示的部分(事態叙述=命題内容)に何らかの発話内効
力を伴うという構造を持っている。平叙文に典型的な形で現れる《断定》
(assertion)、疑問文における
《発問》
(interrogation)
、命令文における《要求》
(request)などは、第一次的な発話内効力と考えて
いいであろう。これらは、話し手から聞き手に対する力(force)或いは行為((speech) act)としての
面が前面に出ており、文の意味の中の命題内容(propositional content)とは異質の“意味”を成して
いることが、Austin (1962) および Searle (1969) に始まる発話行為論、更にはそれに続く語用論で取
り上げられてきた。
(特に、これらが、文の命題内容の真理条件的側面を扱う伝統的な意味論ではなく、
そこから外れる側面を扱う語用論で取り上げられてきたことに注意すべきである。See also Langacker
(2008: 13.2.3 Speech Acts)
もう一つは、本発表の主題である間投表現である。間投表現は事態叙述を抜きにした表出型表現であ
る。対象指示的な形での事態叙述を欠いているため、話し手の感情や心理的反応を直接的に表すように
感じられるのである。また、統語構造に規則的に組み込まれることがなく、付加的・挿入的、あるいは
独立的に用いられるのもこのためである。
3.
間投表現の分類とその原理
前節では、動物レベルの表出型コミュニケーションから言語という対象指示型コミュニケーションが
分化し、それに合わせて、統語構造に組み込まれる形の表出機能(発話内効力)とそうでないもの(間
投表現)が分化した過程を明らかにした。
しかし、一口に間投表現と言っても、その中には様々な性格を持つものが含まれており、その一部は、
言語と非言語の境界領域をなしている。そこで、本節では、間投表現の多様性を形式面と内容面から分
類し、その全体像を提示しておきたい。
3.1.
形式面からの分類
(24) oh, wow, oops, ah, eh, aha, um-hum, etc.
(25) ouch, gee, hi, hey, hello, etc.
(26) shit, oh my god, my goodness, good heavens, boy, oh my, etc.
3.2.
機能面からの分類
(27) oh, wow, oops, ah, aha, um-hum
(28) shit, oh my god, my goodness, good heavens, boy, oh my, yes!, oh no!, etc.
6
(29)
(30) um-hum, eh, hey, yes, no, hi, hello, etc.
(31) good morning, good night, good bye, etc.
3.3.
対象に対する感情表現
(32) bastard, son of a bitch
(33) fucking
(34) bloody
4.
まとめ
(35) 間投表現はなぜ言語らしくないのか
(36) 間投表現はなぜ統語構造に組み込まれないのか
(37) 間投表現はなぜ感情をそのまま表すように感じられるのか
(38) 間投表現はなぜ分離可能性(displacement)を持たないのか
参考文献
Ameka, Felix (1992) “Interjections: The universal yet neglected part of speech.” Journal of
Pragmatics 18, 101-118.
Austin, John L. (1962) How to Do Things with Words. Oxford University Press, Oxford.
Baldwin, Dare (1995) “Understanding the link between joint attention and language.” Moor and
Dunham, eds., 131-158.
Bickerton, Derek (1990) Language and Species. University of Chicago Press, Chicago.
Bickerton, Derek (1995) Language and Human Behavior. University of Washington Press, Seatle.
Bickerton, Derek (2007) “Language evolution: A brief guide for linguists.” Lingua 117, 510-526.
Blakemore, Diane (2002) Relevance and Linguistic Meaning: The Semantics and Pragmatics of
Discourse Markers. Cambridge University Press, Cambridge.
Blakemore, Diane (2011) “On the descriptive ineffability of expressive meaning.” Journal of
Pragmatics, 3537-3550.
Bouchard, Denis (2013) The Nature and Origin of Language. Oxford University Press, Oxford.
Burling, Robins (2005) The Talking Ape – How Language Evolved. Oxford University Press, Oxford.
Cuenca, Maria J. (2000) “Defining the indefinable? Interjections.” Syntaxis 3, 29-44
Goddard, Cliff (2014) “Interjections and emotion (with special reference to ‘surprise’ and ‘disgust’).”
Emotion Review 6, 53-63.
Hill, Virginia (2007) “Vocatives and the pragmatics-sysntax interface.” Linga 117, 2077-2105.
Haiman, John (1989) “Alienation in Grammar.” Studies in Language 13, 129-170/
Hocket, Charles (1960) “The origin of speech.” Scientific American 203, 88-96.
Hurford, James (2007) The Origins of Meaning. Oxford University Press, Oxford.
Hurford, James (2012) The Origins of Grammar. Oxford University Press, Oxford.
7
古賀恵介 (2004) 「意味の三層構造仮説」『福岡大学人文論叢』36-1, 107-135.
古賀恵介 (2005) 「文とは何か」 大津隆広・西岡宣明・松瀬憲司(編)
『ことばの標 平井明徳君追悼論
文集』九州大学出版会. 71-84.
古賀恵介 (2014) 「言語における対象指示の構造」
『福岡大学人文論叢』46-3, 543-567.
Kryk, Barbara (1992) “The pragmatics of interjections: The case of Polish no.”
Journal of
Pragmatics 18, 193-207.
Langacker, Ronald W. (2008) Cognitive Grammar: A Basic Introduction. Oxford University Press,
Oxford.
Libert, Alan (2011) “On the conversational valence and the definition of interjections.” Proceedings
of the 42nd Australian Linguistic Society Conference, 281-295.
Meinard, Maruszka E. M. (2015) “Distinguishing onomatopoeias from interjections.” Journal of
Pragmatics 76, 150-168.
Moor, Chris and Philip Dunham, eds. (1995) Joint Attention: Its Origins and Role in Development.
Psychology Press, New York.
Norrick, Neal (2007) “Pragmatic markers, interjections and discourse.” Journal of Pragmatics 41,
866-891
Norrick, Neal (2009) “Interjections as pragmatic markers.” Catalan Journal of Linguistics 6,
159-168
Quirk et al. (1985) A Comprehensive Grammar of the English Language. Longman, London.
Searle, John (1969) Speech Acts: An Essay in the Philosophy of Language. Cambridge University
Press, Cambridge.
高増名代 (2000) 『英語のスウェアリング』 開拓社、東京。
Tomasello, Michael (1995) “Joint attention as social cognition.” Moor and Dunham eds., 103-130.
Tomasello, Michael (2003) Constructing a Language: A Usage-based Theory of Language
Acquisition. Harvard University Press, Cambridge, MA.
Wharton, Tim (2003) “Interjections, language and the ‘showing’/‘saying’ continuum.” Pragmatics &
Cognition 11, 39-91
Wierzbicka, Anna (1986): “A semantic metalanguage for the description and comparison of
illocutionary meanings.” Journal of Pragmatics 10, 67-107.
Wierzbicka, Anna (1988) The Semantics of Grammar. John Benjamins, Amsterdam.
Wierzbicka, Anna (1992) “The semantics of interjection.” Journal of Pragmatics 18, 159-192.
Wilkins, David (1992) “Interjections as deictics.” Journal of Pragmatics 18, 119-158.
8