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セレンゲティ
国立公園
35°
ンゴロンゴロ・
クレーター
オルデアニ山
3,188m
マスワ狩猟動物保護区
カラトゥ
マニャラ湖
オルデアニ 国立公園
ンゴロンゴロ保全地域
崖
ドゥンドゥイナ
エ
ヤ
シ
ヒヒ狩りの
地点
エ
地
トリーカ
マタラ
デ
キ
湖
溝
マニャラ湖
丘
ガ
シプン
ロ
ヤエダ渓谷
ムブル
原
ヤ
ィ川
シビテ
帯
シ
陵
スング
大
エンダマガイ
マンゴーラ
断
モンゴ・ワ・モノ
高
ヤエダ湿地
4°S
ル
ム
ハッザ族の生活圏
1950 年代後半
ブ
現在
農地に
変わった地域
赤字は、ハッザ族の
主な生活圏の名前
0 km
MARTIN GAMACHE AND LISA R. RITTER, NG STAFF
SOURCE: UJAMAA COMMUNITY RESOURCE TRUST
失われる生活圏
10
35°E
アフリカ
かつてハッザ族は、大地溝帯の 1 万平方キロ余りの一帯を自由に移動し
拡大図の範囲
ていた。だが、農耕民や牧畜民の進出で、生活圏は以前の 4 分の 1 まで縮小した。タンザニ
TANZANIA
タンザニア
ア国民の中には、発展を遂げる国にとって、ハッザは恥ずべき存在だと見る向きもある。
「人類史上最悪の過ち」であり、私たちはその
る。ハッザ族ほど多様で安定した食生活を送
代償を払い続けてきたという。
る人々は、世界でも少ないだろう。
ハッザ族は戦争をしない。小さな集団で散
彼らの生活には、自由時間がたっぷりある。
らばって暮らすため、感染症が深刻な脅威と
人類学者の推定では、食料の確保に費やす
なることもない。飢饉に苦しんだという話も聞か
“ 労働時間 ” は 1日4 ~ 6 時間だという。しかも、
ない。むしろ凶作の年には、農耕民がハッザ
ハッザ族はその長い歴史を通じて、環境にほと
のキャンプに身を寄せたという記録が残ってい
んど負荷を与えない暮らしを営んできた。
筆者マイケル・フィンケル
(Michael Finkel )
は、2009 年
10月号の「揺れるインドネシア」
などを執筆したジャーナリス
ト。写真家マーティン・ショーラー
(Martin Schoeller )
は、
人物の顔を大きく写したポートレート作品で知られている。
んど物を所有しない。家財道具は、鍋、水を
オンワスのような伝統的なハッザ族は、ほと
おの
入れる容器、斧など、毛布で包んで肩に背負
えるほどしかない。
ハッザ族
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