目 次

次
目
第一巻
105
第二巻
135
181
録
215
第三巻
第四巻
第五巻
第六巻
第七巻
第八巻
付
訳者解説
索引 用語説明 ローマ・ガリア関連略年表 図版出典一覧
目 次
v
293
081 053 001
335
凡 例
Commentarii de bello Gallico
W. Hering, C. Iuli Caesaris Commentarii
一﹆本書は﹆ガーイウス・ユーリウス・カエサル﹃ガリア戦記﹄第一─七巻およびアウルス・ヒルティ
ウ ス﹃ガ リ ア 戦 記﹄第 八 巻 の 全 訳 で あ る。翻 訳 に あ たって は﹆
を底本とし﹆﹁訳者解説﹂に掲げた
Rerum Gestarum. Vol. I. Bellum Gallicum. Bibliotheca Teubneriana 1987
他の校訂本を併せて参照した。
肩に付した小字)
。訳注などで本文個所に言及する際は﹆
﹁巻・章・節﹂で示した(たとえば﹆七・一
一﹆本文の区分は﹆
﹁章﹂を漢数字で示し
(段落冒頭の太字)
﹆
﹁節﹂をアラビア数字で示した
(文字の右
三・三は第七巻第一三章三節を表す)
。
は慣用に従った場合がある
(ガッリア↓ガリア﹆アルペース↓アルプスなど)
。また﹆部族名の第三変
一﹆固有名詞について﹆同一子音の連続は促音﹆長音は音引き記号によって表記したが﹆地名について
化形語尾は短母音扱いとした。
一﹆本文中で用いた記号の意味は次のとおりである。
[ ] 校訂者による削除提案
︿ ﹀ 校訂者による補足
( ) 訳者による補訳
一﹆人物の発話について﹆原文において直接話法が用いられている場合﹆訳文では前後を一行空け﹆全
体を二字下げて表示した。訳文中に﹁ ﹂で括って示した発話は﹆原文において間接話法によるもの
である。
vi
第一巻 ︵前五八年︶
一 ガリアは全体が三つの地域に分かれ、その一つにはベルガエ人が、もう一つにはアクイターニー
人が、三つ目には彼ら自身の言葉でケルタエ人、われわれの言葉でガリア人と呼ばれる者たちが住ん
1
でいる。これらの人々はすべて言葉と制度と法律がお互いに異なっている。ガリア人の領土はアクイ
1
フランス、スイスにほぼ相当する広い地域を表し、作品
︵ ︶ ガ リ ア︵ Gallia
︶と い う 言 葉 は い く つ か の 異 な る 意 味
で使われる。作品冒頭の﹁ガリア﹂は現在のベルギー、
﹁ガリアと﹁全ガリア﹂
﹂の項を参照。
エという言葉もこの個所が唯一の用例である。訳者解説
で使われる場合を除いてはこの個所以外になく、ケルタ
タエと同義に用いる例は第二巻冒頭でベルガエとの区別
3
全体を通じて用いられる用法である。対して、ここでは、
リア人と呼び慣わしているという。ただ、ガリアをケル
よって隔てられている。これらのうちでもっとも勇敢なのはベルガエ人である。なぜなら、彼らは属
ターニー人の領土からガルンナ川によって、ベルガエ人の領土からはマートロナ川とセークアナ川に
2
その一部を構成するケルタエ人︵ Celtae
︶をローマ人はガ
第一巻 一・一│三
001
1
Commentarii de bello Gallico
州の文化と教養からもっとも遠く離れており、商人たちが行き来して魂を女々しくするようなものを
持ち込むことがきわめて少ないからであり、レーヌス川の向こう側に住むゲルマーニア人の領土と隣
り合っているために、彼らと絶えず戦争しているためである。同様の理由から、ヘルウェーティイー
地へ戦争を仕掛けることもある。さて、これらの民族のうち、ガリア人が領有していると右に述べた
と戦闘を交え、自分たちの領地へのゲルマーニア人の侵入を防ぐこともあれば、自分たちが彼らの領
族もまた他のガリア人を武勇の点で凌駕している。すなわち、ほとんど毎日のようにゲルマーニア人
4
けている。ベルガエ人の領土はガリア人の領土の最北辺から始まる。レーヌス川の下流域に位置して、
セークアニー族の領地とヘルウェーティイー族の領地の部分ではレーヌス川に接し、全体が北方へ開
地域はロダヌス川から始まり、ガルンナ川、大西洋、ベルガエ人の領土によって囲まれるとともに、
5
北東方向へ延びている。アクイターニー人の領地はガルンナ川からピューレーネー山脈および大西洋
6
二 ヘルウェーティイー族のあいだで随一の家柄と富を誇っていたのはオルゲトリクスといい、マル
クス・メッサーラとマルクス・プーピウス・ピーソーが執政官の年に王権への欲望に駆られて貴族同
のヒスパーニアに接する海域までを含み、北西方向へ延びている。
7
2
士で謀議を結び、部族民を説得した。曰く、﹁全軍を率いてわれわれの領地を出よう。われわれの武
1
勇は誰にも負けないのだから、じつにたやすいことではないか、全ガリアの覇権を握ることさえも﹂
。
2
この説得は次の事情のためにいっそう容易になった。地勢上、ヘルウェーティイー族の領地はまわり
3
002
を封じ込まれている。すなわち、一方では、レーヌス川がきわめて広く深い流れでヘルウェーティイ
ー族の土地をゲルマーニア人から隔て、他方では、ユーラ山地のきわめて高い峰がセークアニー族と
ヘルウェーティイー族を分かち、さらには、レマンヌス湖とロダヌス川がローマの属州をヘルウェー
ティイー族から隔てている。このために彼らは行動範囲を狭められるとともに近隣部族に戦争を仕掛
思いをしていた。人口の多さや戦争での武勇による栄光のわりに、自分たちの領地は狭いと考えてい
けるのも容易にはできない状況となっていた。このことから、好戦的部族であるだけに大いに悔しい
4
4
たのである。その広さは東西に二四〇マイル、南北に一八〇マイルであった。
3
5
といったことであった。この準備を完了するのに二年あれば十分と彼らは見積もった。そこで、三年
ぎり大量に行なって道中の穀物の備蓄を十分なものにする、近隣部族との友好和平関係を確保する、
三 こうした事情に動かされ、オルゲトリクスの指導力に踊らされて、彼らは出発に必要な準備を整
えることを決定した。すなわち、荷役獣と荷車をできるかぎり数多く買い集める、種蒔きをできるか
1
パッスス=五ペース。
︶ ヘルウェーティイー族移住の理由については第三一
章、とくに一四節も参照。
4
3
︶ マ イ ル は ローマ ン・マ イ ル で、一 マ イ ル = 約 一・五
キロメートル。また、一マイル=一〇〇〇パッスス、一
︵
目に出発することを法律にも明記した。準備完遂のためにオルゲトリクスが選任された。すると、彼
2
︵ ︶ 紀元前六一年。ローマの年号はその年に就任した二
人の執政官名で示された。
︵
第一巻 一・四│三・三
003
2
3
Commentarii de bello Gallico
子カスティクスを唆し││彼の父親カタマンタロエデースはかつてセークアニー族の王権を長年にわ
は諸部族への使節の任務を買って出た。その途中に彼はセークアニー族のカタマンタロエデースの息
4
た自分の部族の王権を奪取させようとした。同様のことがハエドゥイー族のディーウィキアークスの
たって保持し、元老院から﹁ローマ国民の友﹂という称号を受けていた││、父親が以前に持ってい
5
嫁がせることにする。彼は二人に言って聞かせる、﹁企てを完遂するのはじつにたやすい。なぜなら、
もっとも人気があった。オルゲトリクスはドゥムノリクスに同じく王権奪取の企てをもちかけ、娘を
弟ドゥムノリクスにもなされた。ディーウィキアークスはその頃、部族の首長の地位を占め、民衆に
5
このような弁舌に動かされ、互いの信義と誓約が取り交わされると、彼らは王権奪取の暁にはもっと
。
ウェーティイー族だ。必ずや私は私の財力と軍隊をもってあなた方に王権を手に入れさせてみせる﹂
私自身が部族の覇権を奪取するつもりだからだ。疑いなく、全ガリア中にもっとも強力な部族はヘル
6
四 しかし、このことはヘルウェーティイー族へも通報者を介して知らされた。しきたりに従って彼
らは、オルゲトリクスに縛についたままの釈明を強いた。有罪となった場合、受けるべき罰は火刑で
も有力で強力な三部族の力で全ガリアを掌握できるという望みを抱いた。
7
ある。釈明に定められた当日、オルゲトリクスは裁きの場に自分の一族全員、一万にのぼる人間を四
1
をやはりそこへ駆り集めた。この者たちの力で釈明の場から逃げ去ったのであった。部族の誰もがこ
方から集めた。そのうえ、彼には庇護を与えたり、金を貸し付けている者が大勢いたが、そのすべて
2
3
004
の事態に憤り、武力で正義を貫こうとして大勢の人間が農村から当局によって集められたことから、
オルゲトリクスは死んだ。おそらく、ヘルウェーティイー族の見方もそうであるように、自害したも
のと考えられる。
4
五 彼の死後、それにもかかわらずヘルウェーティイー族は計画の実行を試みた。自分の領地を出よ
うとしたのである。いまや実行の準備が整ったと判断すると、一二にのぼる城市のすべて、四〇にの
2
ぼる村、その他、個人所有の建物を焼き払った。穀物も、一緒に持っていく分以外はすべて焼き尽く
1
たのである。三カ月分の粉に碾いた穀物を持って各人が故国を出るよう指示が出されていた。彼らは
した。それによって、故国へ戻れる見込みを断ち、どんな危険にも立ち向かう覚悟を強くしようとし
3
︵
︵ ︶ ローマの同盟国の指導者に与えられた呼称。
︶ ﹁ラトウィキー︵ Latovici
︶﹂﹁ラトビキー︵ Latobici
︶﹂との写本の読みもある。
落とした部族である││一団に加え、盟友とした。
れはかつてレーヌス川の向こう岸に住んでいたが、ノーリクムの土地へ移り、ノーレイアの町を攻め
をとらせた。城市と村を焼き払って、彼らと一緒に出発させたのである。また、ボイイー族を││こ
ラウラキー族、トゥリンギー族、ラトブリーギー族という近隣部族も説得して、自分たちと同一歩調
6
4
第一巻 三・四│五・四
005
5
6
Commentarii de bello Gallico
非常に高い山が迫っているため、少数の手勢でも容易に行く手を阻むことができた。もう一つはロー
六 彼らが故国を出られる経路は全部で二つしかなかった。一つはセークアニー族の領地を通り、狭
く困難である。ユーラ山地とロダヌス川の狭間にあり、車が一台ずつでやっと通れるほどである一方、
1
瀬の渡河地点があるからである。アッロブロゲス族の領地の最北にあり、ヘルウェーティイー族の領
定されたアッロブロゲス族の領地のあいだにはロダヌス川が流れているが、この川には少なからず浅
マの属州を通る経路で、ずっと容易で便利である。なぜなら、ヘルウェーティイー族の領地と最近平
2
う、さもなくば、力ずくで領地通過を認めさせるまでだ、と考えていた。出発に向けて準備がすべて
らは、アッロブロゲス族なら、まだローマ国民に好意を抱いていないようであるから説得できるだろ
7
地の南端の城市はゲナーウァである。ここからヘルウェーティイー族の領地へは橋が通じている。彼
3
整った。決行の日が決まり、その日にロダヌス川の岸辺に部族の全員が集まることとなった。それは
4
七 カエサルはその知らせ、つまり、彼らがローマの属州を通過しようとしていることを聞くと、都
からの出発を早め、最速の強行軍で外ガリアへ急ぎ、ゲナーウァへ到着した。属州全体に可能なかぎ
ルーキウス・ピーソーとアウルス・ガビーニウスが執政官の年の三月二八日であった。
8
2
に架かる橋の破壊を命じた。カエサルの到着を知ると、ヘルウェーティイー族は彼のもとへ部族の中
り多数の兵員徴集を課し││このとき外ガリアには全部で一個軍団しかいなかった││、ゲナーウァ
9
1
でもっとも家格の高い人々を使節として送った。使節の首席を占めるナンメイウスとウェルークロエ
3
006
ティウスという者が言った。﹁われわれは不正行為を意図していない。属州を通るのは他に道がない
からだ。われわれの通過を快く許可してくれるようお願いする﹂
。カエサルは、執政官ルーキウス・
4
になれば、侵害や不正行為を手控えるとは思えなかった。とはいえ、徴集を課した兵員が集まるまで
いなかったので、譲ってはならないと考えた。また、敵意を抱く者どもであるから、属州通行が可能
カッシウスを殺し、彼の軍隊を撃退して降伏させたのがヘルウェーティイー族であったことを忘れて
10
八 そのあいだに、手持ちの一個軍団とそれまでに属州から集まっていた兵士を動員し、ロダヌス川
に流れ入るレマンヌス湖から、セークアニー族の領地をヘルウェーティイー族の領地から隔てるユー
三日にまた来るがいい﹂。
時間稼ぎをするため、使節にはこう答えた。﹁時間をかけて思案するつもりだ。用があれば、四月一
5
ラ山地まで、一九マイルにわたって高さ一六ペースの城壁と壕を築いた。工事が完了すると、守備隊
1
を配置し、砦の防備を固めた。これは、カエサルの意に背いてヘルウェーティイー族が通過を試みた
2
場合に、阻止の助けとするためのものであった。使節と取り決めてあった日となり、使節が戻ってく
3
︶ アッロブロゲス族はすでに前一二一年に平定され、
外ガリア属州に帰属していたが、前六一年に 乱を起こ
︵ ︶
前五八年。
ると、カエサルは、﹁ローマ国民のしきたりと先例に従い、誰にも属州通過を認めることはできない。
︵
し鎮圧された。
︵ ︶
一個軍団の標準的規模は正規歩兵六〇〇〇。
︵ ︶
前一〇七年。後出一二・四以下参照。
第一巻 六・一│八・三
007
8
10 9
7
矢玉の前に撃退され、この試みも放棄した。
Commentarii de bello Gallico
を渡って、ときに日中、より多くは夜間に突破できまいかと試みたが、防御設備と駆けつけた兵士の
で、結び合わせた船や数多く作った筏を橋代わりにするか、あるいは、ロダヌス川のもっとも浅い瀬
力ずくで試みても、阻止してみせる﹂と言った。ヘルウェーティイー族は許可を得る望みが潰えたの
4
九 残された唯一の道はセークアニー族の領地を抜けるものであったが、これはセークアニー族が不
承知なら、狭いために通れなかった。彼らを説得することが独力ではできなかったので、ヘルウェー
2
頼みを聞き入れてもらおうとした。ドゥムノリクスは人気と気前のよさでセークアニー族のあいだに
ティイー族は使節をハエドゥイー族のドゥムノリクスのもとへ送り、彼の口利きでセークアニー族に
1
狙い、できるかぎり数多くの部族を恩義で繫ぎ止めておきたいと思っていた。そこで、彼は依頼を引
からオルゲトリクスの娘を妻に迎えていたからである。また、王権への欲望に駆られて体制の転覆を
並外れた影響力を有するうえに、ヘルウェーティイー族に好意的でもあった。ヘルウェーティイー族
3
であった。
の通行を阻まぬ一方、ヘルウェーティイー族が通過中に不正行為や侵害を行なわないようにするため
彼は両者のあいだで人質交換を行なわせたが、その目的は、セークアニー族がヘルウェーティイー族
き受け、セークアニー族からヘルウェーティイー族の領土通過について許諾をとりつけた。その際、
4
008
一〇 カエサルに報告が入り、ヘルウェーティイー族の今度の計画はセークアニー族とハエドゥイー
族の領地を抜け、サントネス族の領地へ進むことにあるという。サントネス族はトローサーテス族の
11
領地からさほど遠くなく、トローサーテス族は属州内の部族である。もし彼らの計画が実行されれば、
12
1
つ者どもが、遮るもののない大穀倉地帯の隣人となるからである。このため、構築した砦の指揮は副
属州がたいへんな危険に曝されることがカエサルには分かっていた。好戦的でローマ国民に敵意をも
2
司令官ティトゥス・ラビエーヌスに任せ、カエサル自身は強行軍で北イタリアへ急いだ。その地で二
3
越えの外ガリアへ向かう最短経路をそれら五個軍団とともに懸命に進んだ。そこへケウトロネス族、
個軍団を徴募し、アクイレーイア周辺で冬営していた三個軍団を冬期陣営から連れ出すと、アルプス
13
これらを度重なる戦闘で撃退したあと、内ガリア北端にあるオーケルムの町から七日目に外ガリア属
グライオケリー族、カトゥリーゲス族が現われ、上方の地点を占めて軍隊の行軍を阻もうと試みた。
4
州のウォコンティイー族の領地に着いた。そこからアッロブロゲス族の領地へ、アッロブロゲス族の
︵ ︶ 第一一、第一二軍団。新兵徴募は元老院に権限があ
るが、危急の場合には現場で臨機に行なうことができ、
領地からセグーシアーウィー族の領地へ軍隊を率いた。セグーシアーウィー族は属州の領外、ロダヌ
︶ トローサーテス族の領地︵現トゥールーズ周辺︶まで
は、実際には二〇〇キロメートルほどもある。
︵ ︶ ヘルウェーティイー族の領地︵現スイス︶からサント
ネス︵サントニー︶族の領地︵現サントーニュ Saintogne
周
辺︶までの移動距離は六〇〇キロメートルに及ぶ。
︵
これ以前にもカエサルは、ヒスパーニアで法務官格総督
13
のときに実施していた。
第一巻 八・四│一〇・五
009
5
11
12
ス川を渡って最初の部族である。
2
Commentarii de bello Gallico
一一 このときすでにヘルウェーティイー族の総勢がセークアニー族の隘路と領地を通過し終えてい
た。ハエドゥイー族の領地に達して、いまや彼らの農地を荒らし回っていた。ハエドゥイー族は彼ら
14
15
あってはならない﹂。ときを同じくして、ハエドゥイー・アンバッリー族というハエドゥイー族と縁
とんど目の前で農地が荒らされ、子供たちが拉致されて奴隷にされ、町々が攻め落とされることなど
た。曰く、﹁われわれはどんなときもローマ国民のために尽力してきたのであるから、ローマ軍のほ
3
に抗して自身の命と財産を護ることができなかったので、使節をカエサルのもとへ送り、援軍を求め
1
らせてきた。同様にアッロブロゲス族も、ロダヌス川の向こう岸にあった村々と所有地からカエサル
故と血縁のある部族がカエサルに、農地が略奪され、敵の勢力を町に入れないことすら難しい、と知
4
のもとへ避難してきて、自分たちにはもはや畑の土以外になにも残されていない、と告げた。この状
5
一二 アラルという名の川があり、ハエドゥイー族とセークアニー族の領地を通ってロダヌス川に流
れ込んでいる。信じ難いほど緩やかな流れで、目で見ただけではどちらの方向へ流れているのか見分
ーティイー族が達したときには、友邦の財産すべてが消えてしまっている。
況に動かされてカエサルは手を打つべきだと判断した。さもないと、サントニー族の領地にヘルウェ
6
けられないほどである。この川をヘルウェーティイー族は筏や小舟を結び合わせて渡ろうとしていた。
1
010
リタウィックスによい考えを示してくれるよう懇願した。彼は言った。
Commentarii de bello Gallico
それでは﹆まだ審議すべき問題だというのか。われわれがいまなさねばならぬことではないとい
うのか﹆ゲルゴウィアへ急行してアルウェルニー族に合流することが。それとも﹆信じられない
のか﹆非道な罪を犯したローマ軍がすぐにもわれわれの殺害にやって来ることが。それゆえ﹆わ
7
たちを殺してしまおう。
れわれにいささかでも気骨があるなら﹆無念の最期を遂げた人々の仇討ちをしよう。あの盗っ人
8
三九 ハエドゥイー族のエポーレードリクスは最上流の家に生まれた青年で﹆故国できわめて大きな
権勢を有していた。ウィリドマルスは年齢と人望では彼に並んでいたが﹆出自は異なっていた。彼は
讐するよう激励した。
が殺害されたという同じ噓を用いて傓動した。自分が行なったのと同様のやり方で﹆蒙った不正に復
彼らに残忍な拷問を加えて殺害した。さらに﹆ハエドゥイー族の全土に伝令を派遣し﹆騎兵と指導者
10
彼は彼の保護を頼みとして同行していたローマ市民たちを指し示すと﹆大量の穀物や物資を奪い取り﹆
9
カエサルからの指名に応召して﹆騎兵部隊に加わっていた。二人は互いに第一人者の地位をめぐって
カエサルがディーウィキアークスから預かり﹆下層階級から最高の地位まで引き上げていた。二人は
1
2
248
競っていた。例の政務官職に関する係争において﹆一方はコンウィクトリターウィスの支持﹆他方は
コトゥスの支持に立って争っていたのである。二人のうちエポーレードリクスは﹆リタウィックスの
なく﹆部族も決して軽視できないのだから﹂。
何千という数の人間が敵に合流したとなれば﹆この者たちの身の安全を身内はなおざりにするはずが
せいでローマ国民との友好関係に背くのを見過ごさないでほしい。そうなることは目に見えている。
策謀を知ると﹆真夜中頃にカエサルのもとへ通報に来て﹆懇請した。
﹁部族が青年らの邪悪な計画の
3
四〇 この知らせにカエサルはたいへんに心を痛めた。ハエドゥイー族にはいつも特別に目をかけて
きたからである。そこで﹆一瞬の逡巡もなく戦闘態勢の四個軍団と全騎兵を陣営から引き出した。陣
1
2
⎝ ⎠
営を縮小しているような余裕のある時ではなかった。事は迅速さにかかっていると思われたからであ
3
棄されて︶本陣のみを意味するのか曖昧。副陣営につい
︵三六・七︶との両方のことか﹆︵副陣営が一時的にも放
この陣営が本陣とすでに二個軍団を配備していた副陣営
︵ ︶ 総勢が六個軍団︵前出三四・二︶であるので﹆四個軍
団が出撃して残りが陣営の守備に残ったという記述だが﹆
が困難なため。
というのは﹆少ない兵員では広い敷地に行き届いた防備
記される︵四九・一﹆五一・二︶。なお﹆陣営を縮小する
てはこのあと副司令官セクスティウスが指揮を執ったと
の兄弟らに対しては﹆捕縛命令を出していたけれども﹆わずかの差で敵のもとへ逃亡したことが分か
る。副司令官ガーイウス・ファビウスを二個軍団とともに陣営守備のために残した。リタウィックス
12
第七巻 三八・七│四〇・三
249
12
(51.1)
ガリア軍の砦(46.3)
(44.4)
サ
Commentarii de bello Gallico
て殺すな﹆と命じた。そして﹆すでに殺されたとハエドゥイー族が
彼らの行軍を妨害して止めさせようとしたが﹆全員に﹆誰一人とし
ハエドゥイー族の隊列を見つけたので﹆カエサルは騎兵を繰り出し﹆
な﹆と激励すると﹆全員が逸り立った。二五マイル進んだところで﹆
った。兵士らに﹆危急の時であるので行軍の苦労などものともする
4
わって仲間に呼びかけるよう命じた。この二人の姿を認めて﹆リタ
思っていたエポーレードリクスとウィリドマルスに﹆騎兵部隊に加
5
と嘆願し始めた。リタウィックスは子飼いの者たちとともに││ガ
伸べて降伏の意思を示し﹆武器を投げ出してから﹆殺さないでくれ﹆
ウィックスの欺瞞が明らかになると﹆ハエドゥイー族は両手を差し
6
リア人のしきたりでどんな瀬戸際にも彼らが親代わりの主人を見捨
てることは法度であったので││ゲルゴウィアへ逃げ延びた。
四一 カエサルはハエドゥイー族のもとへ伝令を遣わして﹆戦争の
掟に従えば殺すこともできた者たちの命を自分の恩恵により助けた
ことを伝えさせる一方﹆夜間の三時間だけ兵士に休息を与えてから﹆
ゲルゴウィアへ進軍した。ほぼ半日の行程を進んだとき﹆ファビウ
2
(47.1, 49.3)
ウェルキンゲト
リクスの防備
7
第10
軍団
ゲルゴウィアの城市
城門 カエサルと第10軍団
城門
ラ=ロシュ=
ブランシュ
1
セクスティウスと
第13軍団(51.2)
大岩の高さ6 ペースの防壁(46.3)
マ軍 副陣営(36.7)
250
スが遣わしてきた騎兵が﹆どれほど危機的な事態にあるか説明した。
それによると﹆未曽有の大軍勢が陣営を包囲したという。
﹁敵は頻
繁に疲れた兵を生きのいい兵と交代し﹆わが軍に息つく間を与えず
消耗させている。わが軍は陣営が大きすぎるために同じ兵が防壁の
上に留まり続けねばならないからだ。夥しい数の矢やあらゆる類い
3
立った。ファビウスは敵が退くと﹆城門を二つだけ残して﹆残りは閉鎖し﹆胸壁を防壁に加えた。明
の飛び道具のために多数の負傷者が出ている。ただ﹆この状況を持ちこたえるために弩砲が大いに役
ゲルゴウィア包囲戦
ウェル
リクス
(44.
ピュイ=ド=ジュサ
ラ
(44.1) 奮を示した兵士らとともに夜明け前にファビウスの陣営に戻った。
日また同様の苦境に立ち向かうべく備えている﹂。この報告を受けてのち﹆カエサルはまれに見る発
4
四二 このようなことがゲルゴウィアで行なわれているあいだに﹆ハエドゥイー族はリタウィックス
から送られた最初の知らせを受け取るや﹆確認の手間を完全に省いてしまった。強欲に衝き動かされ
1
小耳にはさんだだけで確かな事実と見なしたのであった。彼らはローマ市民の財産を奪い取り﹆殺戮
た者もあれば﹆怒りと無思慮││これらはこの民族生まれつきの特性である││に駆られた者もあり﹆
2
を行ない﹆連行して奴隷にした。コンウィクトリターウィスがこの動きを助長し﹆民衆を狂気へ駆り
3
立てた。悪行を犯したあとで正気に戻るのを恥と思わせた。軍団士官マルクス・アリスティウスが軍
4
5
団のもとへ向かっていたとき﹆彼らは安全を保証したうえで彼をカビッローヌムの町から連れ出し﹆
第七巻 四〇・四│四二・五
251
ローマ軍 副陣
ガリア軍守備隊が去った丘
77. 3; 83. 6; 88. 4; 89. 6; 90. 2, 3; 8. 44. 3; 46. 4
アルドゥエンナの森 Arduenna silva ガリア北部の広大な森林地帯.
5. 3. 4; 6. 29. 4; 31. 2; 33. 3
アルピーニウス,ガーイウス Arpinius, C. ローマ騎士. 5. 27. 1;
28. 1
アルプス Alpes アルプス山脈. 1. 10. 3; 3. 1. 1, 2; 2. 5; 7. 1; 4. 10. 3
アレクサンドリア Alexandria エジプトの都. 8. 序. 2, 8
アレコミキー →ウォルカエ・アレコミキー
アレシア Alesia マンドゥービイー族の城市,現アリーズ = サント = レ
ーヌ
(Alise-sainte-Reine)
. 7. 68. 1; 75. 1; 76. 5; 77. 1; 79. 1, 3; 80. 9;
84. 1; 8. 14. 1; 34. 1
アレーモリカエ Aremoricae civitates 大西洋沿岸に住むガリアの部族の
総称. 5. 53. 6; 7. 75. 4; 8. 31. 4
アンカリテス Ancalites ブリタンニアの部族. 5. 21. 1
アンティスティウス・レーギーヌス,ガーイウス Antistius Reginus, C. カエサル軍の副司令官. 6. 1. 1; 7. 83. 3; 90. 6
アンデコンボギウス(アンデブロギウス,アンデクンボリウス)
Andecombogius(Andebrogius, Andecumborius)
レーミー族の指導者.
2. 3. 1
アンデス Andes ガリアの部族. 2. 35. 3; 3. 7. 2; 7. 4. 6; 8. 26. 2
アントーニウス,マルクス Antonius, M. カエサル軍の副司令官. 7. 81. 6; 8. 2. 1; 24. 2; 38. 1; 46. 4; 47. 2; 48. 1, 8, 9; 50. 1─3
アンバッリー Ambarri ガリアの部族. 1. 11. 4; 14. 3
アンビアーニー Ambiani ベルガエの部族. 2. 4. 9; 15. 2; 7. 75. 3;
8. 7. 4
アンビウァリーティー Ambivariti ベルガエの部族. 4. 9. 3
アンビウァレーティー Ambivareti ガリアの部族. 7. 75. 2; 90. 6
アンビオリクス Ambiorix エブーローネス族の指導者. 5. 24. 4;
26. 1; 27. 1, 11; 29. 5; 31. 6; 34. 3; 36. 1, 3; 37. 1, 2; 38. 1; 41. 2, 4; 6. 2. 2;
5. 1, 3, 4; 6. 3; 9. 2; 29. 4; 30. 1; 31. 1, 5; 32. 1; 33. 3; 42. 3; 43. 4; 8. 24. 4;
25. 1
アンビバリイー Ambibarii アレーモリカエ族に属する部族. 7. 75. 4
アンビリアーティー Ambiliati アクイターニア,大西洋岸の部族. 3
20. 1; 21. 1; 23. 3; 26. 6; 27. 1; 7. 31. 5; 8. 46. 1, 2
アクイレーイア Aquileia イストリアの町.現ウンディーネ県アクイレ
イア
(Aquileia). 1. 10. 3
アクソナ Axona ベルガエの川,現エスヌ
(Aisne)
川. 2. 5. 4; 9. 3
アゲディンクム Agedincum セノネス族の城市,現サンス
(Sens)
. 6. 44. 3; 7. 10. 4; 57. 1; 59. 4; 62. 10
アッコー Acco セノネス族の指導者. 6. 4. 1; 44. 2; 7. 1. 4
アッロウィコー →オッロウィコー
アッロブロゲス Allobroges 外ガリアの部族. 1. 6. 2, 3; 10. 5; 11. 5;
14. 3, 6; 28. 3, 4; 44. 9; 3. 1. 1; 6. 5; 7. 64. 5, 7; 65. 3
アディアトゥアーヌス Adiatuanus ソティアーテス族の指導者. 3. 22. 1, 4
アティウス・ウァールス,クイントゥス [Tit] Atius Varus, Q. 騎兵隊長.
8. 28. 2
アトゥアトゥカ(アドゥアトゥカ)
Atuatuca
(Aduatuca)
エブーローネス
族の砦,現リエージュ
(Liège)
近郊. 6. 32. 3; 35. 9, 10
アトゥアトゥキー(アドゥアトゥキー)
Atuatuci
(Aduatuci) ベルガエの
部族. 2. 4. 9; 16. 4; 29. 1; 31. 4; 5. 27. 2; 38. 1, 2; 39. 3; 56. 1; 6. 2. 3;
33. 2
アトリウス,クイントゥス Atrius, Q. カエサル軍の指揮官. 5. 9. 1; 10. 2
アトレバテス Atrebates ガリアの部族. 2. 4. 9; 16. 2; 23. 1; 4. 21. 7; 27.
2; 35. 1; 5. 22. 3; 46. 3; 6. 6. 3; 7. 75. 3; 76. 4; 8. 6. 2; 7. 3, 5; 21. 1; 47. 1, 2
索 引
アナルテス Anartes ダーキアの部族. 6. 25. 2
アフリカ Africa 8. 序. 8
アフリカ風 Africus ventus 南西風. 5. 8. 2
アポッロー Apollo 医術を司る神. 6. 17. 2
アラル Arar ロダヌス川の支流,現ソーヌ
(Saône)
川. 1. 12. 1, 2;
13. 1; 16. 3; 7. 90. 7; 8. 4. 3
アリオウィストゥス Ariovistus ゲルマーニア人の王. 1. 31. 10, 12,
15, 16; 32. 5; 53. 3, 4; 4. 16. 7; 5. 29. 3; 55. 2; 6. 12. 2
アリスティウス,マルクス Aristius, M. 軍団士官. 7. 42. 5; 43. 1
アルウェルニー Arverni ガリアの部族. 1. 31. 3, 4; 45. 2; 7. 3. 3; 4. 1;
5. 5, 7; 7. 1, 5; 8. 2─5; 9. 5; 34. 2; 37. 1; 38. 5, 6; 64. 6; 66. 1; 75. 2; 76. 4;
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