夕 顔 町 か ら 鉄輪井 へ

 黒田正子 パリの街にはヴィクトル・ユーゴー
通やモーパッサン通という通り名がよ
く似合う。パリと似ているといわれる
下:「鉄輪跡」の石碑(左)。この路地を入った奥に鉄
輪井とほこら、命婦稲荷神社がある(右)
あり、
﹁もとは夕がほの町といふ︵中略︶かゝ
る古跡はもとめてもあらまほしきに、いかな
るものか、夕がほの町といふ名を替て、すし
や町とあらためしは何事ぞや﹂とお怒りの様
子。夕顔町からほど近い新玉津島神社で神官
をしていた北村季吟も﹁此夕顔の宿のしるし
も、すべてすぢなくはかなき事ながら、さすが、
にくからぬわざ﹂と褒めたたえた。なんとも
こうした町内文化は波及するのだろうか。
夕顔町から堺町通を下がること一五〇㍍足ら
粋な町内である。
議に人名由来のものは見当たらない。
ず、そこにあるのが謡曲﹃鉄輪﹄の謡蹟とさ
京都だが、こと地名に関しては、不思
長らくそう思ってきたが、ついに見つ
れる鉄輪井である。石碑を目印に狭い路地奥
前述の﹃京雀﹄には﹁い
鉄輪の伝説といえば、
にしへ物ねたみふかき女あり。かしらに金輪
て命婦稲荷神社が祀られている。
に歩を進めると、鉄輪の井戸とほこら、そし
けた。夕顔町がそれである。
夕顔は﹃源氏物語﹄に登場するヒロ
インの名前。一七歳の光源氏との逢瀬
の最中に絶命する女性で、その夕顔が
住んだのが五条︵現在の松原通︶辺り。
室町期の成立とされる謡曲﹃鉄輪﹄の舞台も
をいただき、賀茂の明神にまうでたりしが、
にもかかわらず、この町内には夕顔
の墳墓とされる供養塔があるというの
また五条辺りで、女はここから貴船神社に丑
とはいうものの、これはあくまでもフ
だ。そして、町名はそれに由来してい
の刻詣りを続け、最後には鬼女となって井戸
鬼になりて︵中略︶その塚いまにこの町にあり﹂
る。室町期の作ともされる供養塔は現
に身を投げる。怖い話はいつの時代も人気を
ィクションである。
在、個人宅の坪庭にあって目にするこ
得て、またたく間に世に広がるものだ。
鉄輪井のある町名は鍛冶屋町。夕顔町と隣
り合うこちらも古い町名で、現在も京包丁の
とおどろおどろしい。夕顔の供養塔と同じく、
とはできないが、その町家の前に﹁夕
夕顔町、鍛治屋町の地名看板
老舗が本社を置く。かつては多くの鍛冶屋や
鍛冶屋町
●鉄輪井
命婦稲荷神社
●
新玉津島神社
顔之墳﹂という石碑が立っている。
雀﹄
江 戸 時 代 の 京 都 ガ イ ド﹃ 京
︵一六六五年刊︶には﹁すしや町﹂と
刃物屋が並ぶ通りであったという。鉄輪町と
の俗称もあったようだが、そもそも鉄輪の伝
説自体が、鍛冶屋の町らしい設定である。
﹃源氏物語﹄のなかでも薄幸の美女とされる
夕顔、鉄輪伝説に登場する嫉妬女、いずれも
モデルとなる女性がいたのかどうかはわから
ない。が、この界隈は平安の昔から庶民の町
として描かれながらも、そこに住む人々は知
的な物語世界に心を遊ばせ、かつ創作的精神
に満ち満ちていたようだ。はたして現代の私
たちは、それほどの文化度を持ち合わせてい
るだろうかと考え込んでしまった。
︿ く ろ だ ま さ こ ﹀ 編 集 者・ ラ イ タ ー。 愛 媛 県 生 ま れ。
同志社大学文学部卒。PR誌編集会社、フリーのコピー
ラ イ タ ー を 経 て、 広 告・ 編 集 会 社 の 設 立 に 参 画。 主 に
京 都 を テ ー マ と し た 刊 行 物 の 企 画、 執 筆、 編 集 を 手 が
地下鉄烏丸線
烏丸通
夕顔町
五条
堺町通
け る。 著 書 に﹃ い ま ど き 京 都 職 人 カ タ ロ グ
京都に住
んで働こう﹄﹃京都の不思議﹄正・続など。
四 条
五条通
●夕顔之墳
松原通
阪急京都線
烏 丸
四条通
を 歩 け ば ︱︱︱︱
四条通にもほど近い夕顔町の辺り
5
2015 春 No.489
三洋化成ニュース
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夕顔町から鉄輪井へ
右:松原通堺町を上がった夕顔町に残る「夕顔之墳」
下:夕顔の供養塔。室町時代の作とされている
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