的畿をめぞ喜

いざとなったら置き去り
この「あってはならない存在 jとされている事が象徴的にあらわれたのが、 3
1
1原発事故での混乱や非常時での「命の重さの選択」の露骨なおしつけで
す。直後に福島に行き、そこで聞いたのは原発から 20km30km圏内で、逃
げてくるときに要介護の在宅の高齢者を置き去りにしたとしづ悲痛な証言です。
i
.
指
4\.-~
動物が餓死したことなら、外国のメディアに露出してからですが、日本でもテ
レビ・新聞で、取り上げられるようになったけれど、要介護の仲間を置き去りにし
餓死させたことはいまだに、ど、このメディアにも載らず事実は闇へと葬り去られ
ているようです。
避難計画のウソ
しかし、この証言のような事態は決して対岸の火事ではありません。明日にで
も起こりうるのです。川内原発再稼動へむけた準備で去年発覚した、原発事
故発生時の避難計画に要援護者は避難する対象からはじめから除外されて
て見捨てたように、自分も見捨てられる」原発はその優生思想ゆえに、将来
にわたってと、んな人も苛み続ける潜在的威力を持つっているのです。
誰も置き去りにしない、全ての命がともに輝ける未来を実現するため、これ以上、
命の選別をおしつける、原発の再稼動は絶対に許せません I I
S
T
O
P原子力安関電包囲行動古井正代
的畿をめぞ喜
一母体血検査ピさ主義
いました。たとえ後で追加しても、そもそもデザインが違うので、実効性などあ
るはずがありません。
昨年に大飯原発を動かそうとしたときも、広域避難で
近隣の兵庫県に避難する計画で、ど‘この町に何人と綿密な計画が立てられ
ましたが、要援護避難者は人数に一切数えられていませんでした。これらは、
全体主義社会への傾斜の中
原発に象徴される高度経済成長で便利さを求めてきた戦後社会の縮図で、
す
。
辺野古に無理に基地を作ろうとし、慰安婦や強制連行のような都合の悪い
史実は「なかったこと」にするような強引な言説があまりにも横行しすぎていま
内なる儀生思想
す。マスコミが、まるで第二次世界大戦の戦時中のように、一方的な価値観
想像してみてください、 3
11のあとの避難区域で、みんな避難した後、ひと
からの情報しか流さなくなった空気も感じます。さらに、特定秘密保護法のよ
うな、本当の事が世間に流れないような仕組み、それこそ「全体主義社会」
り家の中で f
今日はへルパーさん来ないなあ」と思って、「お腹がすいたな
に傾斜しかねません。
不快の棄
あJ
I
トイレがしたいなあ J
rのと、が渇いたなあ jと思いながら死んでいった仲
間たちの無念のことを。これが原発再稼動を私たちが、我が身を超えた人
間の重大問題ととらえる原点です。そればかりか、本来は被害者のはずの
被爆した女性を、今度は自分の選択でわが子を殺す加害者にしかねない
藤田省三は高度成長期の日本人の f 切の不快の素を機械的に一掃しよう
状況がつくられています。例えば事故直後に政府が言った f
ただちに健康
とする」心的態度を「恐るべき身勝手な野蛮 J
と断じましたo 戦時中の日本人
異文化の人々を一掃磯滅することに何の跨踏もなかった」ように、障害者
がf
の姿形や動作、振る舞い、ペースといったものを一掃したいと願う心は、健全
に影響はない」という不気味な言葉です。将来の健康への影響に対する
者だけの社会で健全者ペースだけが良くて、そうでない存在を厄介な手間が
かかる相手として介護の客体に押し込め、主体性を奪い無力化し続けてきた
別するJ
意識をおしつける言葉なのです。個人の快適な暮らしのため、科
学技術と経済だけを求めてきた結果、我々の内部には、流出が止まらない
のです。
汚染水のように、優生思想が知らず知らずのうちに泌みこんできていると感
あってはならない存在
政府の責任回避は、放射能汚染の不吉な予感を、一気に「奇形児・障害
児を生むこと jの恐怖に転ずる作用をもつのです。つまり、女性に「命の選
じるのです。
でも、明日は自分のこと
人災による悲劇と、そこから起こるさら怠る悲
劇:
国会の原発事故調査委員会が[明らかに人災 jとした悲劇的な事故ですが、
この人災としヴ言葉は重く私たちにのしかかってきます。原発を推進してきた
原発村と政府、さらにはその利益を無頓着に享受してきた私たち国民。この
事故は悔やんでも悔やみきれません。
私は悲劇がこれだけでは終わらず、今後、新たに「人の起こす災い jを生んで
しまうのではないかと危倶しています。この危機感は原発事故後に導入され
ることとなった母体血検査により現実味を帯びてきました。
f
直ちに健康に影響はない jという違和感がある放射能の呪文は、暗に「将来
にわたっての不安jを紡備とさせますo その不安のもとで出産を迎えるお母さ
んは、命の選別を迫る母胎血検査を受けずにいられるので、しょうか・・・。私に
は母親達が無意識の優性思想により苦悩し「子殺し」を選ぶ未来が頭に浮ん
でしまいます。
被曝が誘発する鍾性思懇:
私は原発事故自体が優性思想を爆発させる仕組みを内包していると考えて
います。その仕組みとは放射能の不安から始まります。放射能は目に見えず、
その影響も自に見えません。白に見えないからこそ不安になるのですロ「漠然
さらに、その要介護状態を f
汚 れJ
I負担 J
I負債」とみなし、介護が必要な「劣
はその「負担 jの多さに応じ世間の目につかなし、ところへ隔離して排
等国民 J
さらに、誰もが忘れている(認めたくない)しかし少し考えれば自明な事実があ
は対処する方法はありません。対象物を見つけ恐怖に変ることで初めて対処
除することが、綿々と半世紀以上にわたり続いてきたので、すo 戦後経済成長
ります。それは、障害者は絶対に健全者にならないけれど、健全者は(年とと
することができるのです。ですから私たちは安易に恐怖の対象を探してしまい
の名の下に優生保護法が出来ました。原発は経済成長・利潤・能率を求め
もに増加する相当な確率で)障害者になるという、非対称的な可能性です。
今の社会では、自の前の障害者に明日の自分を重ね合わせる想像力など
がちなのでしょう。被爆や原発事故の不安はどの様な恐怖に変るでしょう
る文脈の中で成長し続け、障害者はその障害者ペースゆえに「自由な経済
活動 jを阻害すると言われ、この世l
二「あってはならない存在 jとされ続けてき
たのです。
完全に失われているのではないでしょうか?このままでは、内なる優生思想
が自らの首を絞める生き地獄のような事態が次々と再生産されます。旬、っ
として理解できない不吉な予感 jそれこそが不安であり、対象のない予感で
か?
原発事故の人体への影響について考える時、一番はじめに思い起こされる
のはチエルノブ、イリでしょう。国連総会でも上映された「チ工ルノブイリ・ハートj
という 2
003年のドキュメンタリー映画では映像と共に先天性の奇形児や障
害児が増えていると紹介されています。原発事故圃被爆はこのイメージが強
基づくものです。
まさにそれが答えです。障害者にとって障害を作っているのは社会ですo
いと思います。
そしてそのイメージは恐怖の象徴のように語られます。そこに障害者を産み
生きにくさを強要されている人を葬るのでは無く、社会の障害を改善・除去す
ることが必要なのではないですか?日本はこれから想定外の高齢社会から
育てることへの不安も加わり、子供への障害が恐怖に変わってしまうo ここま
急速な人口減少社会を迎えます。お年寄りが増える中叫ばれるよう!こなった
でくれば優性思想へ向かう道のりができてしまいます。
原発事故がきっかけで起こる被爆への不安が障害への恐怖に変わり優性,思
バリアフリー。バリアがあるのは社会です。そして皆さんも怪我をしたり、事故に
あったり、年をとりその障害を背負うことを忘れないでください。
想につながるのです。
そこに追い打ちをかけるように国の「直ちに健康に影響はない」という放射能
でも不安にならないでください。人生とは、どのようなスタートを切ろうとも本人
には肯定し楽しめるものだし、それを否定するのは社会であってあなたじゃな
児“障害児を反原発の中心におく一部の反原発運動もその助けになっている
ことで福島の原発事故は優性思想、を爆発させます。
命の選別はすべきではない
そのことを踏まえた上で結論からお話しします。原発に起因する被爆の深刻
な影響がこれから産まれてくる子供たちに現れる可能性は高し、と言われます。
そしてこのタイミングで母胎血検査です。いまはまだ特定の遺伝子しか検査
をしません。しかし将来的にはなし崩し的に拡大される可能性が高し、と考え
ています。今のように原発事故は収束し健康被害は無いとする国に都合が
悪い事実が発生した場合は、被爆被害を閣に葬る道具として利用される可
能性すらあるのではないかと恐怖を覚えます。そもそも出生前診断とは命の
選別を迫る検査以外の何物でも無い。親が検査を決断したら、検査の後に
迎えるのは選別の苦悩だけではないですか?そしてその苦悩と重荷はどのよ
の呪文と開示する情報の不透明さが不安をあおり、動植物の奇形や奇形
ように感じます。
さらに付け加えるなら障害者を産み育てることへの不安を育む社会も加わる
子供の未来を奪うのは放射能ではなく母
胎車検査
国から轄に示される不安
うな結果を迎えてもお母さん達が背負うことになります。
直ちに健康には影響しな~\]なんと不安な響きがある言葉でしょうか。将来に
私からの提言
わたっての健康について私は関心を持っているというのに。話したくない事情
があるのか、状況を把握していないのか。ただ私たちは情報の不確かさだけ
を知っています。
さらに今年 9月に国際オリンピック委員会総会で「福島原発の状態がコントロ
ール下にあることを私は保証します。東京には今までもこれからも被害が出る
原発事故はすでに起きました。これはまぎれもない事実です。そしてすでに
多くの方が被爆した可能性も否定できない。将来の親とその子供達の健康
が害されてしまった可能性は十分にあります。でももう起きてしまったのですo
それは覆ることはありません。
と安倍首相は世界中l
こ向けてスピーチしましたo
ことは絶対にありえません。 J
私はこのスピ チを聞いて率直に驚きました。私の日々感じている感覚と安
だからこそ、まずこれ以上の健康被害の可能性を避け、すこしでも危険性の
ある土地で、食べ物を作らすきに移住すること o 愛した土地を離れるのは悲劇で
す。しかし悲劇は起きてしまったのです。
のような未来予想図が、被曝の被害として多く語られています。
すべての命と共に生きる覚悟をしていただく為に知っていただきたいことがあり
倍首相の言葉には大きな隔たりがあったからですo 高濃度汚染水が漏れたり、
一部の食品が出荷できないなどの現状で「コントロール下にあり被害がない j
なんて言葉こそ H想定外 H でした。
ます。
安全や安心とはほど遠い、このような不安がさらに多くの優性思想をかき立
です。今回の原発事故は国や電力会社が起こした人災なのは間違いありま
てているのです。
せんが、それを後;甲ししたのは利便性をもとめる私たち一人一人の責任でも
あります。
白を覆いたくなる不幸とは?生まれることが不幸な人生とはつ
反原発の主張に潜む震性思鶴
考えてみてください。それは誰が感じていることですか?生まれてくる子供達
私たちは原発の本当の恐ろしさとは何か見極めなければならないと思います。
今求められていることは健康被害や障害をもった子供達を未然に選別するこ
とではなく、私達の求めた利便性の結果を図らずも背負わされた子供達、親
達、子孫達を全力でサポートしてし、く準備で、はないでしょうか?国や電力会
がそう言いましたか?
一部の反原発運動の中に放射能汚染エリアでの奇形動植物を紹介すること
社や私達が、責任と苦悩を一部の人々に背負わせ「子殺しjの選別を迫る仕
私は九死に
生を得て生まれました。障害者として生まれ、同時に医師に余
で放射能の怖さを表現したり、奇形児や障害を持つ子供の誕生を危慎する
1年と宣告を受けました。悲観した母は無理心中を図るというのが私の
命 1
人生のスタートでした。その後、結婚し三人の子供を出産しました。子供達の
参観日や行事に参加しアメリカにも住みました。次第!こ動かなくなる体も電動
声があります。その様な中には優性思想が潜んでいるように感じます。
放射能の影響は自で見えない。だからこそ自に見える結果にだけフォーカス
組みをつくり、黙殺する事にならないように、社会の過ちを私達全ての国民が
受けとめる社会にしていこうではありませんか。
そうだとしても、皆さんには生まれる全ての命に対して共に生きる覚悟をお願
いしたいのです。生存が苦痛でしかないような子供。そしてその子供達を見
守るしかない悲劇、支え続けても見通のない未来。自を覆いたくなる不幸。こ
苦痛と恐怖は誰が感じているのか?
車いすを駆使することで反原発運動にも参加しています。私は私の生を十二
があたりやすく、恐怖の対象となっているのではないでしょうか。
放射能による健康被害は怖いという論調がいつの間にか奇形や障害は怖い
分に堪能し、感謝しています。辛いことは山ほどあります。皆さんと同じように。
にすり替わってはいないでしょうか。
幸せなこともたくさんあります。皆さんと同じように。年を重ねるにつれ身体は
いうことをきかなくなり、痛みもあります。皆さんと同じように。しかし私の人生
に恐怖はありません。楽しいのです。私は生まれることが不幸な人生などない
と信じています。
原発事故の恐ろしさとは?
原発・原発事故の恐ろしさは f
不幸な子供(障害児 )
Jが産まれることではない
と私は考えます。障害や健康被害を受けた子供達が産まれるのは親の健康
切り替えるべきは頭のスイッチ
平成
2
5年 1
2月中日の参議院本会議で全会 致で批准が承認された国
連の障害者権利条約は、「障害は個人ではなく社会にある jといった視点に
が害された結果の現れです。障害を持つ子供達が生まれるのは放射線障
害の つの結果に過ぎません。
真の恐ろしさとは親だけではなく全ての人々の健康を徐々に害し、私たちの
愛するこの国の自然風土-文化を破壊することでないで、しようかつ
国は汚染されていない地域へ負担なく移住できる制度を。そしてその影響が
出てしまった子供達を私たちの社会は暖かく迎え入れ共に生きる事が必要
古井正代
9
5
2年姫路市生まれ。障害者解放運動
古井正代(ふるいまさよ) 1
等を通じ、優生思想の問題性を社会へ訴え続け、現在脳性まひ者
の生活と健康を考える会主幹。福島原発事故後は福島へ行き、被
災地障害者支援センターにて支援活動。経産省前、大阪関電本社
前などの原発再稼働抗議行動に参加しつつ、原発と優生恩想の関
係等、深い視点からの発言を続ける。環太平洋障害学学会等で震
災後の福島の状況などを世界へ伝えた。