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私は変われる
「大人しいね。」
「真面目だね。」
小学校の頃の私はよくそう言われていた。相手はほめてい
るつもりかもしれないけれど、「真面目」と言われて心から
嬉しい人 な ん て い る だ ろ う か 。
東三鷹学園三鷹市立第六中学校 三年
佐藤 晴
笑 う し っ か り 者 の 私 で い よ う と 思 っ て い た。 で も、 中 三 に
なって進路の授業等で自分のことを考えているうちに、自分
の直したいところが見つかったのだ。そして思った。
友達がたくさんいるのは大切。だけどそれより、本当の自
分でいたい、と。
は 変 わ り た か っ た。 ク ラ ス の 華 や か な 子 た ち が う ら や ま し
私の直したいところは
「変わりたい!」
そう、私は今、昔と同じように心の中でこう思っている。
かった。もっとたくさんの友達が欲しい、もっといろんな人
「人に弱いところを見せられないところ」と
真面目は悪いことではない。むしろ良いことだ。でも、私
と話した い と ず っ と 思 っ て い た 。
三兄弟の一番上という立場上、我慢することも多かった。
「何かに全力になれないところ」だ。
とても素敵なクラスメイトと出会い、前より明るく、男女関
それに加えてとても負けず嫌いだったために、いつしか私は
そして私は中三になり、その夢は叶ったと思う。中二の時、
係なく多くの人と話せるようになった。学校が毎日楽しかっ
人前で泣いたり、弱音を吐いたりすることができなくなって
でも、これから先は受験や将来の進路等、きっと辛いことが
いた。大変な仕事を「全然大丈夫!」と強がることもあった。
た。
しかし今私は、このままの自分でいいのかなと思い始めて
いる。実は中二の頃は、毎日楽しいから、ずっと、このよく
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
て打ちこめる人になりたい。
私はしっかり者キャラじゃなくていい。素直で夢に向かっ
周りに伝えたい。弱音を吐けば「しっかり者」の私でなくな
「あたしの未来なんて誰にわかる?でも一つだけ分かって
たくさん待っていると思う。その時、一人で抱えこまないで
る。でも そ れ よ り 私 は 素 直 に な り た い !
ることがある。それは、たとえ何が起こっても選択するのは
いつだって私だってこと。それってサイアクなことじゃない。
そ し て も う 一 つ の「 何 か に 全 力 に な れ な い と こ ろ 」
、これ
は「将来の夢が見つからないところ」でもある。小学生の頃
サイコーなことだ。
」
この前、ある本でこんな台詞を見つけた。そう、選択する
は水泳選手になるのが夢だった。しかし、今はそれがどれだ
け難しいことか分かっている。そして諦めかけている。だか
のはいつでも自分。変わりたいと思えば、きっと…私は変わ
れる!
ら何かに興味をもっても、自分でストップをかけてしまう。
ところ が 、 そ う 言 う と 、 母 が
して、そんな私を受け入れてくれる友達に囲まれていたらい
さて、未来の私は素直かな。人の役に立っているかな。そ
と言った。ハッとした。そういえば体育祭で「クラスの役に
いな。
「体育祭、あんなに打ちこんでたじゃない。」
立ちたい」と夢中で練習した。さらにその後、学校で「国境
なき医師団」の方がお話してくださる機会があり、そのお仕
事に興味 を も っ た 。
そして気付いた。私はスポーツ選手のように自分のために
頑張ることより、人のために頑張ることの方が好きだ。将来
は海外で人の役に立つ仕事がしたい。せっかく見つけた夢。
私はこの 夢 に 向 か っ て 頑 張 り た い !
最近よく「○○ちゃんって○○キャラだよね」という言葉
をよく聞く。でも○○キャラなんて決めつけないでほしい。
本人は変わろうとしているかもしれないのだから。
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町田市立南成瀬中学校 三年
柴 日菜多
はっきりとした夢が無かったことがわかり、とても驚きまし
なりたい自分に
なるために
学 校 な ど で 自 己 紹 介 を す る と き、「 好 き な こ と 」 や「 特
私の父は、音楽に関係する仕事をしています。好きなこと
た。
やっていて楽しいことや、長い間続けているものなどもなく
を仕事にできて、いつも羨ましいと思っていました。ところ
技」の欄で手が止まり、困ってしまうことがよくあります。
はないのですが、人に紹介するとなると、何を書けば良いの
が実は、音楽の仕事がしたいと気付いたのは、大人になって、
今 の 前 の 仕 事 を 始 め て か ら だ っ た そ う で す。 そ れ か ら 思 い
かわから な く な っ て し ま う の で す 。
それはなぜなのかを考えてみると、今までの自分は、自分
好きな仕事に就けたのは運もあると思いますが、それまで
きって仕事を辞め、もう一度学校に入り直し、勉強したそう
ないこと」をそれなりにこなし、あとはただぼんやり過ごし
いたどの環境でも精一杯やって、たくさん失敗もしてきたか
がいる環境を、ただその時楽しむだけで終わっていたからだ
て い た か ら な の で す。 こ れ で は 胸 を 張 っ て「 好 き 」
「得意」
らこそ、これだ!というものが見つかったのだろうと思いま
です。
と言えないのは当たり前です。高校入学くらいまでには将来
す。今も日々新しい目標を見つけ、楽しそうに頑張っている
ということに気がつきました。つまり、「やらなければなら
の夢や方向性を決めておかなければならないと思っていた私
父を見ていると、正直とても憧れます。だから私も、今は、
つけるための準備期間なのだと思うようになりました。
自分の可能性をできるだけ広げて将来本当にしたいことを見
は、この こ と に 少 し 焦 り を 感 じ て い ま し た 。
しかし、中学三年生になり、父から初めて今の仕事に就く
までの経緯を聞いたとき、父も中学生の頃は私と同じように
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
クにもなったけれど、最後までやり遂げることができました。
行ってからは、大変なこともたくさんあったし、ホームシッ
の中で遊ぶのが楽しそう」と思って行くことを決めました。
留学へ行ったことがありました。私はただ「自然がたくさん
小学四年生のとき、一年間親元を離れ、一人で山形へ山村
す。
くことができたら、とても幸せなのではないかなぁと思いま
にまた飛び込んでいく、そんな自分を楽しみながら生きてい
もしれません。でも、いつかは前を向き、新しい環境や世界
あるかもしれないし、後ろ向きになってしまうこともあるか
東京へ帰 る 日 、 担 任 の 先 生 が 、
「 あ な た の 良 い 所 は、 失 敗 を 恐 れ ず に 何 に で も 飛 び 込 ん で い
けるところだよ。」
とおっしゃってくださいました。その言葉で私は、一つ、自
分の長所に気付くことができました。それ以来、いつもこの
ことだけは意識して行動するようにしています。
しかし、今まではただ飛び込むだけで、何をしても中途半
端になっていた気がします。これからは飛び込んだ先で、小
さくてもいいから何か必ず目標をもつことを心がけてみよう
と思います。たとえ小さくても、いくつも目標を達成したり
失敗したりしていくうちに、それが自分の自信になり、目指
す方向も だ ん だ ん と わ か っ て く る と 思 い ま す 。
考えてみると、私の目指す未来の自分は、まさにこの生き
方をずっと続けて、前に向かって進んでいく父の姿なのかも
しれませ ん 。
時には失敗に打ちひしがれて、立ち止まってしまうことも
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未来の町医者へ
大人になった僕は果たして夢を叶えているのであろうか。
僕は地域に貢献する町のお医者さんとして働いているのだろ
うか。
筑波大学附属中学校 二年
植松 昌弘
てくれているからだろうと思う。
また、 最近身近な人に関係するできごとで更に気持ちは
固まった。
気にかかっているわけでもないので、やはり高齢の影響だと
一人は近くに住む祖母だ。祖母はついこの前まで原付バイ
僕は小さい頃から近くの商店街にある医院によく行ってい
思う。今までできていたことが急にできなくなり、行動範囲
昔からなんとなく医者になりたいなあという気持ちはあっ
る。その商店街は小さな店ばかりでだんだん店の数も減って
も狭くなり生きるのが辛いとつぶやくこともある。祖母は早
クで買い物をして、一日中忙しく動き回っていて、誰から見
いるが、どこの店も買い物に行くと気軽に声をかけてくれ、
く良くなろうといろいろなことを試しているが、病院の先生
た。難しい手術や研究をする医者や救急医療を行っている医
笑顔で迎えてくれる心の和む場所である。医院はその一角に
が親身になって話を聞いてくれ、的確なアドバイスをしてく
ても元気なおばあちゃんという感じだった。だが、急に足が
あり、いつもたくさんの患者さんが待っている。先生は患者
れるとまた前向きに頑張ろうという気持ちになっている。逆
者もいるが、なぜか僕は地域で患者さんと距離の近い医者に
さんに対して優しく話を聞いてくれ診察してくれる。周辺に
に薬を出されるだけのような診察の時は不安になっている。
悪くなり、歩くのにも不自由するようになってしまった。病
病院や医院はあるが、混んでいてもこの医院にくるのは、先
つまり、町医者には、子どもも、高齢者も来る。そういう時、
興味があ る 。
生の診察や医院の雰囲気が注射の痛みや病気の辛さを軽減し
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
病気の診察をして、薬を出すだけでなく、子どもだったら注
は克服したいと思う。
さんが聞きやすい言葉できちんと説明ができるようにこの点
入り、国家試験に受からなくてはならない。僕は内科の医院
町医者になる素質があったとしても、まず大学で医学部に
射の痛み、高齢者だったら病気の痛みや、いろいろなことが
思うようにできなくなるもどかしさといった本人にしかわか
らない心の痛みに寄り添ってあげるのが大事だと思う。
亡くなった。その二ヶ月の間、病院に入院していたが、医者
祖父は約二ヶ月危篤を繰り返し、最後は苦しまず眠るように
できるようになるまでには時間がかかりそうだが、目標に向
現場で、経験を積んでいかなくてならないのだ。地域に貢献
来ると思う。きちんとした診断ができるように、いろいろな
の医者になりたいので、いろいろな症状をもった患者さんが
や看護師さんが適切に処置をしてくれ二ヶ月間も生きること
かって進んでいきたい。
もう一人は祖父だ。この夏、祖父が八十五歳で亡くなった。
ができた。家族はとても助かったし、働く姿をみて医療の仕
事は大変だと思ったが、やりがいはありそうだと感じた。病
院に入院する前に日頃通っていたかかりつけの先生が祖父の
葬儀に参 列 し て く れ た の は 印 象 的 だ っ た 。
僕は、理由がわからないけれど、よく優しいと言われるこ
とがある。自分自身も意識はしていないが、恐らく優しいと
感じられる何かをもっているのだと思う。先日も、祖母が歩
く時に手を支えてあげたらとても感謝された。また、小さな
頃から周りに大人が多く、いろんな人の話を聞きながら育っ
て い る の で、 僕 は 聞 く と い う こ と が 苦 で は な い。 町 医 者 に
とって人に優しく接したり、話を聞いてあげることはとても
大事だと思うので、これらの部分は変わらないようにしたい。
一方で話すのは好きだが、滑舌が悪いと言われるので患者
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これからの自分
私には大きな短所があります。それは何事にも消極的であ
調布市立第五中学校 三年
澤田 里奈
未練を残すことはなかったでしょう。
とらなくても、平均点より上なら良い。走るのが遅くても、
勉強やスポーツでも思いあたることがありました。百点を
年生の時 の 担 任 の 先 生 か ら 言 わ れ た 言 葉 で す 。
私より遅い子がいるから大丈夫。
「普通でいい、普通がいい」
、
るということです。この短所に気付いたきっかけは、小学五
「何でできるのにやろうとしないの?中途半端だよ。
」
ていき、全ての泳法で泳げるようになりました。しかし進級
例えば習っていた水泳。泳ぐのが好きで、どんどん上達し
ディションです。消極的な私はやりたい役があったのにもか
せてくれたできごとがありました。それは学芸会の役のオー
しかし、そんな私に「やればできる」ということを実感さ
「みんなと同じくらいが丁度いい」と、常にこのような考え
したクラスが、男の子ばかりで友達ができなかったことや、
か わ ら ず、 受 け て も ど う せ 落 ち る と 考 え、 ま た い つ も 通 り
最初は納得がいかず、先生のおっしゃっている意味が分か
タイムを縮めること、長い距離を泳ぐことを要求されたこと
オーディションのない役にしようと考えていました。そんな
方で取り組んでいました。その結果、私は勉強でもスポーツ
などで、一気に水泳に対する熱が冷め、私は水泳をやめてし
私に先生は、
りませんでした。しかし、よく考えてみると思いあたること
まいました。続けていたらどこまで上達しただろうか、どの
「少しでもやりたい気持ちがあるなら受けなさい。
」
でも、いつも「中途半端」な子でした。
くらいのタイムが出せたのだろうかと、今でも思う時があり
と背中を押してくださいました。私はオーディションを受け
がいくつ か 出 て き ま し た 。
ます。つまらない理由でやめず、最後までやり遂げていたら、
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
を喜びとし、仕事の糧にできると思います。それは私の強み
今の私はまだ積極的な人になれてはいません。それでも、
ることにし、たくさんの台詞の練習をしました。そして合格
このできごとは、私にとって大きな意味をもつものとなり
分岐点に立った時に積極的な選択をしたいという気持ちは常
です。
ました。やらなくては何も始まらない。できなくても挑戦す
にもっています。この気持ちをもち続けることでいつか変わ
し、やり た か っ た 役 を や る こ と が で き ま し た 。
ることで得られるものはたくさんある。挑戦する勇気、成し
れると信じています。
ず、進むべき道を選択していきたいと思います。
夢の実現のためにも、消極的な自分を克服することを諦め
遂げるための努力、その過程がとても大切で、意義のあるこ
となのだ と 気 が つ き ま し た 。
だからといってすぐに積極的な人になれるかというと、そ
うではありません。しかし、初めからやらない方を選んでい
た私に、やろうかなという選択肢が生まれました。どちらか
を選択しなくてはいけない機会はこれからも度々おとずれる
でしょう。そのような分岐点に立った時、私は常に「やる」
を選べる人間になりたいと思っています。そうすれば、
「中
途半端」 な 私 か ら 卒 業 で き る は ず で す 。
将来、私は看護師になりたいと思っています。授業で行っ
た職業調べで、仕事内容ややりがい等、実際に看護師をして
いる方から話を聞き、その思いが強くなりました。この職業
ではきっと私の長所が生かせると思います。その長所は思い
やりがあるということです。私は人の弱い所に気付いてあげ
ることができます。看護師になることができたら、患者さん
に優しく接することができますし、感謝してもらえたらそれ
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夢に出会ったあの夏
私は、中一の夏休みにアメリカのテキサス州にホームステ
葛飾区立常盤中学校 三年
高根 咲良
と答えた。すると、不思議そうな顔で、
年の女の子の三人家族。たった一ヶ月だったが、ホストファ
と言われた。私は言われて初めて、自分の国のことをよくわ
い?」
「君は自分の国の問題について何の意見ももっていないのか
ミリーは、いろいろなところに連れて行ってくれた。そこで
かっていないことに気がついた。そして同時に、出会う人た
イに行った。ホストファミリーはお父さんとお母さん、同い
見る街並や景色、すれ違う人々・・・。今自分のいる場所は
ちに
と言っていた自分がとても恥ずかしくなった。
「日本人だ。
」
日 本 と 同 じ 地 球 に 存 在 す る の か、 夢 の 中 な の で は な い か と
疑ってしまうほど見るもの全てがキラキラと輝いていた。生
活スタイルも常識も日本とは大きく違っていたので、日々新
ともあった。それは、いろいろな話をホストファミリーとし
しかし、ただ楽しかっただけではなく、考えさせられるこ
り関心もなかった。毎日、友達と流行していることの情報収
なかった。自分とは関係のない話のように思っていて、あま
を話してはいけない雰囲気を感じていたから深く話すことも
日本では家族や宗教、近隣諸国との関係などの複雑な問題
ていた中で、日本と近隣諸国との関係についてどう思うかと
集をして、たわいもない話を楽しんでいた。でも、今は、話
しい発見 を し て 楽 し く 過 ご し た 。
聞 か れ た と き の こ と だ。 な ん と 答 え れ ば い い の か 分 か ら な
かった自分が恥ずかしい。
題にならないからといって自分の国のことを知ろうとしな
」
I don't know
かった私 は 、
「
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
それからは、新聞を読んだり、ニュースを見たり、分から
ともっと知りたいし、日本のことも世界中の人にもっともっ
ず友達とはそういったことについて話すことはしないから、
とができたのは、たくさんのことを私に教えてくれた素敵な
ただ何となく毎日を過ごしていた私が、こんな夢をもつこ
と知ってもらいたい。それが、今の私の夢である。
私の周りの人がどんな意見をもっているのか分からないのが
ホストファミリーに出会えたからだ。そして、十三歳という
ないことは調べたり、家族と話し合ったりしたが、相変わら
惜しいと こ ろ だ 。
将来のことを考え始める大切な時期にアメリカにホームステ
夢を叶えるまでの道のりは簡単なものではないだろう。し
少しずつ日本のことが分かって自分の意見ももてるように
い回しによって微妙にニュアンスが変わってしまう話は、日
かし、それが実現したとき、きっと分かり合える喜びを感じ
イにいく機会を与えてくれた両親がいたからだ。私の夢の原
本語でも上手に伝えることは難しい。なんとか日常会話を話
られるはずだと思う。そう思うだけで頑張れる。十三歳で感
なって気がついたことがある。それは、複雑な問題を話す時
す私が、そういった自分の意見を英語でしっかりと伝えるた
じたあの気持ちを、そして今十五歳で感じているこの気持ち
点はここにある。
めには、語彙力はもちろん、言い回しもたくさん知らなけれ
を忘れないで、私は懸命に夢を追いかける。
は言葉を慎重に選ばなければならないということ。言葉の言
ばならない。今、私にできることはしっかり授業を聞いて、
分からないところは、辞書を引いたり先生に質問したりして
きっちり勉強していくこと。時間があれば常に英語を耳にし
てリスニング力を上げ、たくさんの本を読んで表現力を豊か
にしてい く こ と 。
いつの日にか、日本とアメリカ、そして世界のあらゆるこ
とについてホストファミリーと語り合いたい。そして、その
先の将来、アメリカに限らず、世界中の国も見たい。どんな
ところで、どんな人が、どんなふうに生活しているのかもっ
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「夢と向き合う」
世田谷区立東深沢中学校 二年
小島 響
知る度にワクワクした。私は次第に宇宙について研究する仕
思うようになった。宇宙についての本を読んで新しいことを
果てしもなく広がるような壮大な感じ。気の遠くなるような
事をしたいと考えるようになった。
私は宇宙が好きだ。小学生になる前から好きだった。あの
数字がポンと出てくるその世界は、私にとってとても魅力的
ささやかな夢が叶った。頭上に広がる、たくさんの星とたく
に、いつか生で見てみたいと思った。北海道に行って、その
でしか見たことがなかったのだ。その写真や映像を見るたび
る機会はない。星座の本にのっている写真や、テレビの映像
なかった。東京に住んでいるから、身近にきれいな星空を見
もなくて、星空だ。私はそれまできれいな星空を見たことが
かった。でも一番印象に残っているのは、動物園でも花畑で
園で動物を見たり、富良野の花畑に行ったりと、とても楽し
小学校三年生の時に、北海道へ家族旅行をした。旭山動物
ないことを、何もしないうちからあきらめて、できる可能性
うのは良いことではないと思う。努力すればできるかもしれ
りたいことを自分にはできないと決めつけてあきらめてしま
るのと同時に、悪いことでもあるのかもしれない。でも、や
まっている。先のことについて考えられるのは良いことであ
え て し ま う の だ。 私 は 先 の こ と に つ い て 悪 く 考 え す ぎ て し
奥にしまいこんでしまうのだ。きっと自分にはできないと考
と聞かれても、素直に自分のなりたい職業を言わず、のどの
のなりたい職業を迷いもなく言っていたのに。将来の夢は、
た。いや、言わなくなったのかもしれない。小さい頃は自分
でも、いつからか、私は将来の夢を言えなくなってしまっ
さんの未知がつまった空。その光景は、今でも目に焼きつい
を0パーセントにしてしまっているからだ。私は恥ずかしく
だ。
ている。それからは、宇宙についてもっともっと知りたいと
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
なった。同い年でも将来の夢がきちんと言える人がいる。そ
の人は自分の夢に向き合っているのに、私はどうだろう。何
もしないうちから、自分にはできないという理由を盾にして
自分の夢から逃げている。これでは自分の夢からどんどん遠
のいてい る だ け だ 。
私は自分の夢としっかり向き合えるようになりたいと思う。
夢だけでなく、今ある自分の目標も、自分にはできないだろ
うと言ってあきらめるのではなく、どうしたらできるように
なるのかを考えていけるようになりたい。そうすれば、夢や
目標に近づけるからだ。誰だって最初から何でもできるわけ
ではない。強い意志をもって努力することで、できないこと
もできる よ う に な る 。
宇宙について知るには、物理学や地学などのたくさんの知
識が必要だ。だから、今の私は、数学や理科をしっかり勉強
し、得意にしなければならない。宇宙の九十五パーセントは
未だ謎で包まれている。私は自分の夢と向き合い、夢を叶え、
〇・一パーセントでも宇宙の未知に迫りたい。
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自分を見つめる
府中市立府中第一中学校 二年
吉田 思温
挙げろと言われたら、いくつも言える。運動ができないとこ
れたら、きっと言葉に詰まるだろう。でも、短所を具体的に
ことができなかった。別に、
「優しい」と言ってもらって嬉
言った。でも、それに私は素直に「ありがとう。
」と伝える
返 し た。 す る と そ の 友 達 は、
「 あ な た は 優 し い ん だ ね。
」と
なったよ」と言ってくれた。私は嬉しくて、
「良かった」と
ろ。空気が読めないところ。初対面の人と上手く話せないと
しくないわけじゃない。ただ、その「優しい」という三文字
私は、私のことが大嫌いだ。長所を具体的に挙げろと言わ
ころ。そして、そんな自分を変えられないところ。この問題
に自信がもてないのだ。
てない。なぜ私は「私の長所」に自信がもてないのか。それ
私は今でも、友達が教えてくれた「私の長所」に自信がも
は、自分の問題だ。誰かに相談することもできない。言った
ところで、「そんなことないよ。」と言われるだけだからだ。
私には、「そんなことない」理由を知らない。
「最近悩みごとがあるんだ。」と。なんだか頼られることが嬉
らなかったのだ。どういうことが好きで、どういう人になり
より考えることができなかった。私が私のことをまったく知
を考えてみることにした。しかし、わからなかった。という
しくて、話を聞いてみることにした。話の内容は、ありきた
たくて、どういうことが嫌なのか。こんなことがわからない
つい最近だっただろうか。私の友達が私に話しかけてきた。
りなものだった。嫌われているかもしれない、嫌なことをし
だから、私はまず自分のことをよく見つめて知ることにし
のなら、自分の長所に自信がもてないのは当然だと思う。
と相槌を打って、自分の思ったことをそのまま伝えた。三、
た。どんなことが好きか。人と話すことが好きだ。頼られる
てくる人がいる。私はそれに対して、「うん」「大丈夫だよ」
四十分程度話をしていると、友達は「ありがとう。少し楽に
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
ことが好きだ。なにかを作ることが好きだ。どんな人になり
たいか。自分のことを鼻にかけない人になりたい。自分で決
めたことは最後まで努力してやり切る人になりたい。細かな
ところまで気を配れる人になりたい。どんなことが嫌か。自
分の好きなものを悪く言われるのが嫌だ。嫌われるのは嫌だ。
陰口とか、ひきょうなことは嫌だ。まだまだわからないこと
だらけだけれど、それでも自分と向き合ってみるだけで、た
くさんの こ と が 知 れ た だ ろ う 。
そこで、知ったことのうちの一つに「理想のなりたい自分
と今の自分がかけはなれすぎている」ということがある。す
ぐ人に自慢してしまうし、あきっぽいし、大ざっぱだ。自分
が嫌なやつだと思い込んで、悲しくなったことも少なくない。
ただ、そんなとき、母親から一つの言葉を聞いた。
「目標が
あるなら、少しずつそこに向かっていけばいい。一秒先も未
来だけど、百年後も未来なんだよ。あなたが死ぬときに、理
想の自分になってればいいじゃない。何も今すぐじゃなくて、
いいんだよ。」この言葉は、今も私の心を軽くしてくれてい
る。自分を見つめ直したことで、目標ができた。それなら、
あとは少しずつ努力していけば良い。成長していけば良い。
これから、自分のことが嫌になって、どうしようもなくな
るときがたくさんあると思う。そんなときは、もう一度自分
を見つめて、目標を立て、歩いていこう。
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一歩前に進んだ私
世田谷区立松沢中学校 三年
千葉 彰子
の時には、自治委員長も務めました。でも、幼稚園や小学校
さいました。その先生のおかげで、みんなの前に出ることも
絶対できる。
」と声を掛けてくださり、自信を持たせてくだ
も背中を押してくれるような先生でした。いつも「大丈夫。
低学年のころは、みんなの前に出ることがとても苦手でした。
できるようになりました。いろいろなことに自信をもってト
私は、中学一年生の時に、自治委員になりました。二年生
幼稚園のころの私は、とても人見知りで、知らない人が来
にもなりました。それから、人見知りも克服し、前に出て発
ライできるようになり、六年生のころにはクラスの代表委員
小学校低学年のころは、前に出て発表するということがと
表することも緊張せずにできるようになりました。また今で
るといつ も 泣 い て い ま し た 。
ても苦手でした。いつもだれかの後ろにかくれていて、授業
は、選手に声を掛けて一緒に話すのが大好きです。
私はその頃から、ある夢をもつようになりました。それは、
中手を挙げるということは全くありませんでした。
また、私はプロ野球観戦が大好きで、よく大好きな選手た
今まで、人の前に立つことが本当に苦手でしたが、その先生
ひっこみ思案だった私の背中を押してくださり、自信をもた
でも、今のような自分になったのは、ある先生との出会い
との出会いで、その気持ちはなくなり、自信をもって人の前
ちに会いに行きます。このころの私は、選手に声を掛けると
がきっかけでした。小学校五・六年のころの担任の先生に出
に立てるようになりました。だから、その先生のように生徒
せてくださった先生のような小学校の先生になることです。
会ったことで私は変わりました。その先生は男の先生で、最
に自信をもたせられる先生になりたいと思います。
いうこと も 、 本 当 に 苦 手 で し た 。
初は怖そうだなぁと思いました。でも、その先生はどんな時
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
私は、教師という職業が、どれほど大変なものかを知って
います。なぜなら、私の父が高校で教師をしているからです。
私は小さい頃から教師として働いている父の姿を見てきまし
た。生徒との接し方や授業の組み立て方など、いろいろなこ
とを考えるというのは、本当に大変なことだと思います。ま
た、私の兄は、今、大学生で、教師になるための勉強をして
います。父や兄の姿を見ていると、私にできるのかと不安に
なることもありますが、自信をもって前向きにトライしてい
きたいと 思 っ て い ま す 。
東京オリンピックが開催される六年後、私は大学生で、教
師になるための勉強をしていると思います。今の私には、ど
んなことができるか分かりませんが、六年後、オリンピック
を通じて自分にできることをやっていきたいと思っています。
そして、教師になって、その経験を子どもたちに伝えていき
たいと思 い ま す 。
ひっこみ思案だった私が、どこまでできるかは分かりませ
んが、前向きに自信をもって、教師になるという夢を叶えた
いと思い ま す 。
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
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選
世界をつなぐ架橋
筑波大学附属中学校 三年
磯野 有梨花
たいと思っている。さまざまな場面で通訳ボランティアとし
様方に、おもてなしの心をもって、日本や東京の魅力を伝え
も増してにぎやかな東京が想像できる。私はその外国のお客
多くの人たちが来日し、そして東京を訪れてくれる。いつに
と私と同年代の人たちが多いことだろう。さまざまな国から
だ。オリンピック競技に出場して活躍する選手たちも、きっ
した。私はその年、二十一歳になる。大学に通っている予定
族のように優しく受け入れ、心からもてなしてくれた。一週
を経験した。初めて会う私をホストファミリーは、本当の家
レスに食事の差し入れをしたりするという、生活習慣の違い
ルバスで通ったりする。休日に教会へ足を運んだり、ホーム
家の中でも土足で過ごしたり、学校へは皆マイカーやスクー
もかもが大きい。見るもの全てが私の目には新鮮に映った。
やってみると意外とできるものだ。大きく広いアメリカ。何
一 歩 飛 び 出 し た か っ た。 ど う し よ う と あ れ こ れ 迷 う よ り も
で生活する。とても不安だった。でも、自分のカラを破って
て活動していこうと考えている。そのために必要なことは、
間通ったハイスクールでは、授業内容は理解できなかったが、
二〇二〇年に東京でオリンピックが開催されることが決定
語学力を磨くこと、日本の魅力を学び知ること、そして異文
皆フレンドリーに接してくれた。感謝の気持ちを日本語で表
現するのと同じようにしっかりと伝えたかったのだが、私の
化を理解 す る こ と だ と 思 う 。
私は英語が大好きだ。今年の海外体験を通して、私が感じ
も歯がゆかった。絶対に英語を使いこなせるようになりたい
語学力ではお決まりの簡単な表現しか出てこなかった。とて
まず、春休みにアメリカ短期留学とホームステイを経験し
と強く思った。また、このアメリカでの経験によって、外国
たことを 書 い て み た い と 思 う 。
た。初めて家族と離れ、初めて会う知らない外国人家族の家
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
の生活習慣、文化などの違いを認め、それを受け入れること
の大切さを知るとともに、自分が受け入れてもらえたことで
橋となりたいのだ。
私には元気な体がある。きっと、今の気持ちを大切にこう
通っていた。また、観光客向けに開発された地域のリゾート
成し、前回訪れた時とは全く様変わりしていた。高速道路も
次に夏休み。家族旅行でバリ島を訪れた。空港が新しく完
きっとあっという間に六年間が過ぎていくだろう。どんな東
れない。しかし未来はいくらでも変えることができるのだ。
め自分の足で乗り越えていこうと思う。過去は決して変えら
ば何でもやることができる。何があってもしっかりと受け取
なりたい、こうしたいという強い意志と精神力を持ち続けれ
ホテルでは日本と同じように快適に過ごすことができる。し
京、そしてどんな自分に会えるのか、本当に楽しみだ。
生まれ育 っ た 日 本 を 誇 り に 思 う こ と が で き た 。
かし、そこから少し離れた地元の人たちが住む地域や離島で
は、トイレは水洗ではない。シャワーもお湯が出ずに水のみ
であったり、また多くの野良犬が歩き回ったりと、日本とは
かなり異なる環境での生活を送っている。イスラム教信者の
バリの友人は、断食を終えたばかりだった。一緒に食事をし
ても豚肉 を 食 べ ら れ な い 。
世界地図を見ると日本は本当に小さい。そして私が自分の
目で見たことのある国はほんの一握りしかない。世界は本当
に広く、その中には多くの人種、宗教、歴史をもった国々が
ある。異なるものを理解すること、受け入れることは争いの
ない平和な世の中を築くための第一歩である。私は世界中を
見て回りさまざまな異文化に触れてみたいと思っている。そ
して自分が生まれ育った日本の素晴らしさを世界に発信し伝
えていきたい。少し大げさかも知れないが、世界をつなぐ架
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
30
入
選
医者になるという夢
私は将来進みたい道として、医者の道に興味がある。病気
お茶の水女子大学附属中学校 三年
染谷 実奈
られるところだ。夢中になったら、時間までも忘れて没頭す
力添えできる医者という職業は、私の中ではあこがれの職業
必要とされる存在だ。そんなふうに必要とされて、人の命に
いないのにこしたことはないが、そうはならないから医者は
のあるように思えるからである。もちろん、病気になる人が
ネにして努力をするかが、その後の自分の成長の明暗を分け
自分の行動にあると思う。根腐れをするか、その悔しさをバ
まうのだ。しかし、大切なのはその事実ではなく、その後の
分が劣ることが悔しくてならない。自分自身に腹が立ってし
また、私は負けず嫌いだ。運動でも勉強でも、誰かより自
ることもある。この性格は治療の試行錯誤などをする時には
だ。私にそう思わせたのは、医療ドラマや医療マンガだ。患
るだろう。今後も私が負けることは幾度となくあると思うが、
の原因をさまざまな検査や症状からつきとめ、薬や治療法を
者の病気を治そうと、時には自分自身や自分の家族をも犠牲
その「負け」から多くのことを学び、吸収して知識や技術を
プラスに働きかけると思う。
にして、一生懸命になる姿がとても素敵で輝いて見えた。決
磨いていけば、必ず夢を実現できると思う。
選択し、患者の病気を治すというひと流れがとてもやりがい
して、それらの中で描かれているほど、華やかな仕事ばかり
私の性格には、医者を志し、医者として活動していくうえ
何 か 心 配 ご と や 失 敗 し た こ と が あ る と、 頭 の 中 は そ れ ら で
よくよと後悔してしまうところだ。普段は明るい性格だが、
私の性格の中で治すべきところは、些細なことに悩み、く
で、良いところも妨げになるところもある。良いところは、
いっぱいになってしまう。もちろん、患者を想い、悩むこと
ではないと思うが、それでも今は医者を志している。
一つのことを自分の満足するところまで、とことん突き詰め
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
安を根本からなくすのだ。この方法だと、不安は必ずしもゼ
さんの知識と技術を身につけ、絶対的な自信をもち、その不
は、その悩みのタネ自体を作らないという方法がある。たく
ガティブ思考を改善するためには何をすべきだろうか。まず
力を欠き、ミスをするリスクも高めてしまう。では、このネ
のに、さらなる不安を自ずと与えてしまうし、治療でも集中
めかねない。そうなれば患者はただでさえ不安でいっぱいな
は医者として必要だが、行き過ぎた場合には自分自身を苦し
者になって、たくさんの人を救っていきたい。
くんでいきたい。そして一度きりの人生だから、なりたい医
だから、公言できるくらいの強い覚悟をもって、勉強に取り
いかれてしまう。それは負けず嫌いな私としては許せない。
を切っている友達もいる。このままでは私はどんどん置いて
しかし、もう公言をして、医者を目指してスタートダッシュ
なら、医者になれなかった時に恥ずかしいし、こわいからだ。
私はまだ、医者という夢を周囲に公言できていない。なぜ
ロになるとは限らないが、「自信」によって軽減されるだろ
う。また、悩まずに開き直るという方法もある。どんなに悩
んでも、起きてしまったことは変わらないから、もう悩むの
はやめようという方法だ。そうすれば心の負担が軽くなり、
立ち直ることができる。私はこの二つの方法を実践して、ネ
ガティブ 思 考 を 克 服 し て い き た い 。
ここまで、自分の性格を見つめてきて、自分と向き合うの
は決して簡単なことではないと思った。自分の良いところを
知るとともに、改善すべきところも見つかり、複雑な気持ち
になった。しかし、悪い部分を改善していかないと人間的に
も成長できないし、医者という夢にも近づくことができない
だろう。そう考えると、今回、自分の性格を再確認できたこ
とは自分 に と っ て 必 ず プ ラ ス に な る だ ろ う 。
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
32
入
選
絶対に叶えたい夢
私には将来に絶対叶えたい夢があります。その夢は近そう
墨田区立両国中学校 二年
後藤 彩花
あれから七年が経ちましたが、なりたい気持ちはまったく
ルをもらっただけでもうれしいのに、知らない人、キャスト
に名前を書いてもらってよく見える位置につけました。シー
に母が連れていってくれた時のことです。バースデーシール
たので、よく休みの日に母親と行っていました。私の誕生日
年生のころでした。ディズニーランドはもともと大好きだっ
東京ディズニーランドで働きたいと思ったのは、小学校一
い と 言 わ れ ま す。 い つ も 元 々 の 顔 の せ い だ と 思 っ て い ま し
しているのだろうかと不安になりました。私はよく顔がこわ
という言葉を読んで、私は本当に、友達や家族に優しく接っ
「強いものこそ優しくなれる。手を差しのべられる。
」
話がありました。そこにのっていた、
す。そこには、ディズニーだからこそ起こるような心温まる
本を買いました。ディズニーランドで実際にあった実話集で
変わっていません。私は六年生のころ、ディズニーに関する
さんから 、 す れ 違 う た び に
たが、間違っていたことに気づきました。元々ではなくて、
で、とて も 険 し い 道 で す 。
「お誕生日 お め で と う ! 」
日々の生活に幸せを感じていなかったり、楽しんでいなかっ
中学校に入り、私自身が変わろうと決心してがんばりまし
と笑顔で言ってもらえました。今思うと、よくある光景です
様 に な っ た よ う な 気 分 で し た。 そ ん な 気 分 に さ せ て く れ た
た。自分のなりたい仕事のために、毎日目標を決めて、でき
たりしたからです。
キャストさんをその日からとても好きになっていて、憧れて
た ら 次 に 進 む と い っ た や り 方 で 続 け ま し た。 デ ィ ズ ニ ー に
が、そのころの私からすると、とてもうれしくてまるでお姫
いました 。
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
動 に お い て も 実 践 し て み ま し た。 目 標 は、 ま ず は 笑 顔 で の
て、とびきりの笑顔で言葉を交わしているような、頼もしく
そしていつの日か、ピカピカの衣装を着て、相手の目を見
ます。
あいさつから始めて、人が動くより前に自分から動いたり、
て自信に満ちあふれているキャストを目指して、これからも
行った時にキャストさんから学んだことを、学校生活、部活
困っている人がいたら、できるだけ力になれるようにしたり
目標を達成していきたいと思います。
ようにがんばっていきます。
高校生になったら、自分がもっと理想に近づいていられる
して、挑 戦 し て み ま し た 。
ある時、小学生からの知り合いの友達に私は変わったか聞
いてみま し た 。 す る と 、
「昔よりも元気なイメージになったね。」
と、とてもうれしい言葉をもらえました。私自身、少し変わ
れたかなとは思いますが、まだまだです。とびっきりの笑顔
で、来た人たちを幸せにしていくキャストさんたち。私も、
これからも目標を高めていって、小さい子どもたちからお年
寄りまで、ディズニーに来た人たち全員を幸せにしたいと思
います。たとえ、落とされたとしても、そのために頑張って
きたことは、ぜったいにむだにならないで、これからの人生
に役立つ は ず で す 。
「 も し も そ の 夢 を 思 い 描 け る な ら、 あ な た は そ れ を 叶 え る
ことができる。私たちにそれを求め続ける勇気があれば、す
べての夢はかならず現実になる。」
このウォルト・ディズニーの言葉を信じて私はこれからも
未来に希望をたくして、一日一日を過ごしていきたいと思い
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
34
入
選
自分の可能性
新宿区立牛込第三中学校 二年
三宅 楓子
力をもっていて、少しのことで落ち込まない前向きな人」で
マを見たとき、最初に思い描いたのは、「強い精神力と忍耐
たいと考えています。「今の自分」「未来の自分」というテー
また新しいことに挑戦できると思います。実際に私にもその
しかし、失敗の経験を何度もすれば、失敗が恐くなくなり、
んの挑戦をすれば、やはり失敗することも多くあるはずです。
をして、自分の可能性を広げていきたいと思います。たくさ
から新しいことに挑戦することを忘れずに、たくさんの経験
した。そんな人なら、大人になってもたくさんのことに挑戦
ようなことがありました。
私は「挑戦」をたくさんすることで、自分の可能性を広げ
し、自分の可能性を広げ続けることができると考えたからで
ちは、いろいろな道を選択できて、たくさんの可能性がある
う。」などと、人の目を気にしすぎてしまうからです。私た
た ら ど う し よ う。」「 失 敗 し た ら あ の 人 に 悪 く 思 わ れ て し ま
やらない人であると思います。なぜなら、私はよく「失敗し
ら、初めから「できる」と分かっていることしかできない、
今の私がそのまま大人になって、働くことになったとした
るかもしれないな。
」と思っていました。でも、誰も私が失
た挑戦はしないほうがいいのかな。
」
「他の放送委員に怒られ
聞いていたのになぁ……。
」と落ち込んで、
「もう、思いきっ
緊張し、その放送で失敗をしてしまいました。
「全校生徒が
容の放送を実践しました。しかし、初めてのことだったので
で企画をし、担当の曜日の給食時間に、今までとは違った内
何か新しいことに挑戦したいと考えました。そこで、委員会
私は小学校の時に放送委員会に入り、給食時間の放送で、
のに、失敗を恐れて、できることしかやらないとなると、そ
敗 を し た こ と に つ い て は 言 わ ず、 他 の 放 送 委 員 は 何 事 も な
す。
の可能性の数が一気に減ってしまいます。だから私は、
"今"
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
にしました。それ以来、昔に比べれば、失敗を恐れないよう
ないものだ。」ということに気づき、あまり気にしないこと
具合でした。そのとき私は、「人の失敗なんて、誰も見てい
かったかのように、また別の放送内容を提案してくるという
けることができる人」になれるのではないでしょうか。
くさんすれば、最初に述べたような「自分の可能性を広げ続
戦ができるはずです。そんなふうに前向きに、今、挑戦をた
い。
」
「気にしなくていい。
」と感じれば、また思いきった挑
になりました。このとき放送委員会では、さらに新しい企画
を出し合い、今までになかった放送をやり続けたところ、た
くさんの人から良い評価を受けることができました。もちろ
ん、トラブルも何回か起こりましたが、放送委員として活動
した時間は、今でもこんなに覚えているほど充実したもので
した。それはやはり、「挑戦」をたくさんしたからではない
でしょう か 。
さらに、私はこの活動を通じて、こんな仕事をしたいとい
う 考 え が、 い く つ か 湧 い て き ま し た。 一 つ は、 放 送 の 内 容
を考えることがとても楽しかったので、「テレビやラジオの
番組の企画をする仕事」、もう一つは、放送で自分の声が校
内 に 響 く の が、 気 持 ち 良 く て 好 き だ っ た の で、
「声を使う仕
事」です。このように、「挑戦」をすれば、「どんな将来にす
るかの選択肢が増える」、つまり、可能性が広がっていくと
考えます 。
これからたくさんの「挑戦」をして、さまざまな人に会っ
て、自分とは違う考え方に触れ、「案外、何も恐れなくてい
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
36
入
選
小さな一歩
中央区立銀座中学校 一年
小森 野々
をつくっ て 、 自 分 を ご ま か し て き た 。 そ し て
てしまうのもしかたない、みんな、そうなんだという言い訳
ろうか。今までの私は、よくあることだから自分があきらめ
てしまう。私たちの年頃では、よくあることなのではないだ
かってしまうかもしれないと、考えて、立候補するのをやめ
よ う と す る け れ ど、 そ れ が 恥 ず か し い こ と で、 皆 の 反 感 を
やるという人がいなくて自分がやろうかなと思い、立候補し
も私と同じようなことを思う人は、いると思う。リーダーを
りの大人の人たちは、この考えをおかしいと思うだろう。で
候補することを恥ずかしいことだと思うようになった。まわ
が、学年が上がっていくにつれて、自分から手を上げたり立
ではない。小学校低学年の頃は、率先してやる方だった。だ
リーダーや代表者になろうかなと思った時、
自分を私は、好きではなかった。私は、変わろうと決意した。
て、私はそのとき、やっと目が覚めたような気がした。今の
いんだとごまかすことを、自分はまだ続けていいのかと考え
きないだろう。それならしょうがない、自分には、向いてな
る?もし叶えられたとしても、良い看護師になることは、で
は、 今 の 自 分 は? 今 の 自 分 の ま ま で 夢 を 叶 え る こ と が で き
でなく、判断力やリーダーとしての資質も必要だと思う。で
なるには、高校、大学で一生懸命に勉強して資格をとるだけ
るように絶対に夢を叶えたいと思うようになった。看護師に
辛さを改めて知ったりして、少しでも多くの患者さんを救え
テレビでがん患者の方がでていたり、闘病記を読んでがんの
と。最初は、なれたらいいなぁという軽い気持ちだったが、
夢ができた。それは、がん看護専門の看護師になるというこ
「誰か、や り た い 人 は い ま す か ? 」
「のの、やって。」
私は、班やグループのリーダーや代表などをやるのが嫌い
というこの言葉が怖くなっていた。そんな時、私には、ある
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
という言 葉 を 待 つ の で は 、 な く 、
私は、今、給食委員として頑張っている。体育大会での用
と自分から率先してやることは、とても小さなことだけれど
さいことだけれど、私は少し成長できた。これからも自分ら
本当に良かったと思う。世界からみれば、みえないほどの小
具係は、とてもよい思い出になった。あの時、勇気を出して
とても難しいことだ。目立ちたがりやでしゃばりなどと陰口
しく少しずつ夢に向かって歩いていきたい。
「じゃあ、やろうかな。」
を言われるのもとても怖い。でも前の自分とはちがうんだと
考えて、 私 は 、 精 一 杯 、 頑 張 ろ う と 思 っ た 。
中学校に入学してからまだ数日しか経っていないその日は、
委員会決めの日だった。五、六年生で代表委員をやっていた
私は、絶対、委員会に入ろうと決めていた。入りたいなぁと
思っていた委員会は、希望者が多く、手を挙げられなかった。
もう無理かぁと思っていた時、給食委員と先生が読みあげた。
希望者は、一人もいない。私の心臓がドクンと鳴った。入学
してから数日。周りにいるのは、好きな物も誕生日もしらな
い人たち。手を挙げるのは、普段の何倍も勇気がいる。でも
それは、逆にチャンスなのではないだろうか。私は、変わっ
た。ここで勇気を出さなきゃと考えて、私は手を挙げた。手
を挙げる こ と が で き た 。
まわりからみればとても小さなことだろう。ふつうでしょ
と思う人もいるかもしれない。でも私は、とても嬉しかった。
歩幅は、すごく短いかもしれないけど一歩、夢に近づけた気
がした。
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
38
入
選
将来の夢に向かって
小平市立花小金井南中学校 一年
松本 佳純
かげで緊張が少しほぐれて、落ち着いて手術に臨むことがで
きた。この経験で人の気持ちを察して、行動に移すことので
患者さんのことを第一に考えられる医者、それが私の将来
の夢だ。私が考える医者の仕事は、病気や怪我で病院に来た
きる人になりたいと思った。
二つ目は父の仕事の影響だ。父は消防士で救急車やポンプ
人の病状などを素早く確認して薬を出したり、風邪の予防を
呼びかけたりすることだ。自分の手で患者さんを助けること
一つ目は、小学校四年生の時に、盲腸で入院した経験から
私が医者になりたいと思うようになった理由は三つある。
の中、命を守ろうと頑張る父を私はとても尊敬している。消
があれば、すぐ、現場に駆けつけるそうだ。危険と隣合わせ
真夜中でも、出動から帰ってきたばかりでも、一一九番通報
車等に乗り、日々地域の安全を守るために働いている。父は
である。一晩中お腹が痛くて早朝に病院で診察を受け、その
防士と医者は違う職業だけれども、私は命を守るという意味
ができたら、将来の自分の自信になると考えた。
日のうちに手術をし盲腸を切り取った。突然のことで心の準
三 つ 目 は、 以 前 テ レ ビ で 放 送 さ れ て い た「 海 の 上 の 診 療
で同じだと思うので、患者さんの要請にきちんと対応し、一
で 一 杯 だ っ た 私 を 救 っ て く れ た の は、 内 科 や 麻 酔 科 の 先 生
所」というドラマの主人公の影響だ。主人公である「瀬崎航
備ができていなかった私は、手術台に乗ると手や足、口が震
だ っ た。 特 に 麻 酔 科 の 先 生 は 、 イ チ ゴ の 香 り の す る 麻 酔 薬
太」が、無医島に住んでいる人たちのために海診丸という医
人でも多くの命を救える医者になりたいと思った。
に し て く だ さ っ た り、「 す ぐ 終 わ る か ら ね。」 や「 大 丈 夫 だ
療船に乗って回診を行い、島の人々の命を守るという話であ
えるほど緊張した。手術に対する不安やドキドキする気持ち
よ。」などの優しい言葉をかけてくださったりした。そのお
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
る。私は、「瀬崎航太」の島の人々を全力で守ろうと頑張る
姿に心を 打 た れ た 。
この三つの理由から、私は患者さんのことを第一に考えら
れる医者 に な り た い と 思 う よ う に な っ た 。
しかし、医者になるためには患者さんのことを第一に考え
られるような優しい心をもつことだけが大切なのではなく、
いろいろな人とコミュニケーションを取る力も必要だと感じ
た。そのため、三年間という短い中学校生活はいろいろな人
と仲良くしてコミュニケーション力を身に付ける期間とし、
人の気持 ち を 考 え て 行 動 し て い き た い 。
夢が実現して医者になることができたら、私は小児科医に
なりたい。入院をして手術をしたという経験を生かして、ド
キドキしていたり、緊張している気持ちが伝わってきたりし
たら少しでも安心できるように、コミュニケーションが取れ
ると思うからだ。コミュニケーションを取りながら少しずつ
話しかけ、一人一人との距離を縮めて何も隠さずに話しかけ
てもらい、いろいろな話をしたり、一緒に遊んだりする仲の
良い関係を作りたい。そうすれば、患者さんの心が軽くなり、
病気の回復が早くなると考えたからだ。そして病院にも笑顔
が増えて 明 る く な る と 思 う 。
私は患者さんとのコミュニケーションを大切にしながら、
患者さんのことを第一に考えられる医者になりたい。
その夢に向かって、私は今日から、
「コミュニケーション
力を付け、人の気持ちを考え行動できる人」を目標人物とし
てかかげて全力で頑張っていきたい。
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
40
入
選
人の役に立てるように
世田谷区立砧中学校 一年
松田 理沙
は、人の喜ぶ顔が見たいからだ。人の手伝いをした時や困っ
「大丈夫よ。ありがとう。
」
りの人に、
と言ってティッシュを受け取った。その後、おばあさんは周
ている人を助けた時など必ず相手は「ありがとう」と笑顔で
と言って何度も頭を下げていた。おばあさんに笑顔が戻って
私は将来、人の役に立てる大人になりたい。なぜか。それ
返してくれる。人の笑顔は私の気持ちも温かくしてくれる力
い た。 私 は 勇 気 を 出 し お ば あ さ ん に 声 を か け て 良 か っ た と
思った。
がある。
ある日おばあさんが私の目の前で転んでしまった。私は恥
「大丈夫ですか。」
んどやったことが無かったのでとても不安だった。しかし、
出た。私は自分でメニューから考えて作るということをほと
また、こんなこともあった。
と声をかけていた。私はそのやりとりをそばで見ていた。よ
お父さんやお母さんは何が好きだろうか、お姉ちゃんはトマ
ずかしくてすぐにおばあさんに声をかけられなかった。する
く見るとおばあさんは転んでひざにけがをしていた。私は勇
トが苦手だななどと考えているうちにメニューを書いている
家庭科の授業で、自分でメニューを考え食事を作る宿題が
気を出し 、
手がすらすらと動いた。私はその時、家族の喜ぶ顔を想像し
と、私のそばにいた数人の大人がおばあさんに近づいていき、
「ひざをけがしているようなので使ってください。
」
ながらメニューを考えていた。
そしてみんなの反応にドキドキしながら、テーブルに自分
とティッ シ ュ を 差 し 出 し た 。 お ば あ さ ん は 、
「ありがとう。」
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第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
「美味しい。盛り付けもきれいですごい。」
の作った 料 理 を 並 べ た 。 す る と 、 み ん な
ぼらなくてもいいと思う。たくさんの経験を積み重ねていっ
まだ具体的な職業は決まっていない。しかし、一つの夢にし
経験をする。しかし、時に上手にいかなかこともあるかと思
てから決めればいいと思っている。これからたくさんの勉強、
などとほめてくれた。私はそれだけで嬉しかった。しかし、
う。そんな時でも前を向き、夢を現実のものとしていきたい。
「食材のバランスもとれていていいね。」
何より嬉しかったのは、みんなの笑顔が見られたことだった。
私はこのようなことから、大変なことでも人の役に立って
相手が喜んでもらえれば、自分自身も嬉しく、幸せな気持ち
になれる。笑顔はそうやってつながっていくんだと思った。
このことを学んでから自分から積極的に笑顔を見つけに
いった。学校では休み時間に教室に一人でいる子がいたら自
分から、
「一緒に遊ぼう。」
と声をか け た 。 そ の 子 は と て も 嬉 し そ う に 、
「うん。いいよ。」
と笑顔で言ってくれた。さそって良かったと思った。
また、祖母の家ではいろいろな手伝いをした。庭掃除、風
呂掃除、食器洗いなど祖母が困っていることは積極的に取り
組んだ。その度におばあちゃんは満面の笑みで、
「ありがとう。とても助かるよ。」
と言ってくれる。私の心は温かい気持ちでいっぱいになる。
将来、人の役に立てる大人になりたいという思いはあるが、
第23回“明日のTOKYO”作文コンクール 優秀作品集
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