第243号 平成27年2月20日 大船渡市立 末崎地区公民館 津 波 な ん か に 負 け な い ! 電話(F 兼)29-2955 年経過 駐 車 場 利 用 に ついて 最近、日中にふるさとセ ンターの駐車場に大型車・ ワゴン車などが駐車してい ることが多くあり、利用者 から苦情が寄せられていま ★受賞おめでとうございます ★ いや し の 集 い 28 14 28 体育室ステージ幕新調 ふるさとセンター体育室 のステージ幕が、 しボロボロになっていまし たが、この度、バック幕・ 引き幕、袖幕すべてが新調 (土)(土)(土) ★ デ ジ タ ル公 民 館ま っさ き 活動 ◇ ま っさ き ふ れ あ い映 画 館 映 画 夢 は 牛 のお 医 者 さ ん 」 「 (201 4年 ) 新潟県の山あいにある小 さな小学校に3頭の子牛が 入学した。当時、小学校3 http://www.massaki.jp/ 年生だった少女が牛の世話 26 をするなかで抱いた夢・・ 分 それは 牛 「 のお医者さん 」 夢を追った少女の 年間 分 15 に密着したドキュメンタリ 3月7日 時 16(土) ー映画です。 日 時 時~ 14 期 日 2月 日 3月 日 3月 日 時 間 時~ 時 3 ( 日共 ) 場 所 ふるさとセンター ※裁 縫道 具を お持ち くだ さい 。 時 上映 ふるさとセンター デジタル公 民館 まっ さき HP 30 86 分 場 所 無料 30 トーク 参加料 ◇ 土 曜 日 子 ども 活 動 (土) 15 ~ ふ れ あ いキ ッズデ ー 居 場 所 ハウ ス~ 3月 日の春分の日を控 え、ぼたもちをみんなで作 り、いただきます。当日は フィリピンで台風被害を受 けた被災者の居場所ハウス 訪問もあり、ぼたもちを通 じた国際交流も予定。 日 時 3月 日 時 分~ 時 分 場 所 居場所ハウス 参加料 無 料 デ 「 ジタル公民館まっさき 」 Webサイトでは、今まで の活動内容やその動画をご 覧になれます。また、Fa cebookでも情報発信 しています。 30 14 21 in 13 16 (手前は地蔵尊4基) 13 されました。 1月 日に開催された 大 「 船渡市生涯学習・市民 運動推進のつどい に 」 おい て、リーダーとして地域の 融和や活性化に尽力したと して感謝状が贈呈された。 末崎で は3 人が 受賞 した 。 日 分 (金) 45 30 31 ★末崎町民 2月 時~ 集 合 9時 競技 ふるさとセンター シ ャフルボ ー ド 大 会 日 時 場 所 体育室 参加料 無料 12 27 す。 これからは、各種団体の 総会・研修会など、車での 来館者が多くなります。特 に、土曜日・日曜日は会議 が多くありますので、中学 校体育館入り口付近、ふる 尾 形 三 昭 さ ん 小( 細 浦 ) 公民館長6年 臼 井 幸 雄 さ ん 小( 田 ) 公民館長6年 副公民館長4年 大 和 田 東 江 さ ん 西( 舘 ) 公民館長4年 副公民館長6年 お疲れ様でした。今後も 末崎の振興にお力添えをお 願いします。 10 また、正面引き幕の電動 開閉盤も修理していただき ました。 ステージ利用者はもとよ り、体育室利用者にとって 気持ち良く使える環境が整 いました。いろいろなイベ ントで利用頂ければと思い ます。 さとセンター前などには長 時間駐車しないよう協力し てください。 明治・大正・昭和の初め頃、末崎にも茶屋と呼ばれた店があ った。 南から三猿峠を越え末崎に入り、愛宕神社の鳥居前を通ると 「アヤメ茶屋」(高清水、細川家)、あとを継いだ「オモト茶屋」(小 田、佐竹家)があり、そこから北に100m進むと「エリッコ茶 屋」(小田、後藤家)、更に300m離れて樋の口の頂き(平林バ ス停)の南下に「タカタ茶屋」(小田、上部家)があった。泊里には 碁石に越える元椿並木のはずれに「エリッコ茶屋」(大豆沢、尾﨑 家)、そして乙坂を登った丸森の村境には「前小田茶屋」(船河原、 和泉家)が設店されていた。 茶屋については通常、昔の宿場や峠にあった休憩茶屋を想像 しますが、実際には場所等によりいろいろ形態の異なる茶屋が 多く、末崎の茶屋は日常必需品(米、砂糖、醤油、酒、煙草、駄 菓子等)を求めるには商店街から遠い地域のため、身近で気軽に 店先に腰を下ろし、世間話でコミュニケーションをはかりなが ら購入出来る場所であったと考えられる。 丸森には村境のお地蔵様向かいの「前小田茶屋」(船河原、和 泉家)と海岸上に「丸森茶屋」(大船渡、佐藤家)があり、これは前 記茶屋と異なり、仕出しは飲食品が中心で飯、うどん、餅、酒、 惣菜等であった。「前小田茶屋」には5年程前まで食品を提供し た際の椀、膳等の食器類が残っていたと、故和泉サツ子さんが 話していた。「丸森茶屋」は村境の東方200mの JR 線を越えた 海岸崖上にあった本格的な料理屋、茶屋で旅客は勿論、一般客 も持て成す二階建ての店で女中等も居たと云われている。明治 33年7月23日には盛岡中学の石川啄木が冨田小一郎先生や 学友と共に気仙地方を旅した際に、船河原海岸で海水浴をした 後、今は無き「下り松」の坂を上って、この茶屋で休息し、丸飯(お にぎり)を食べている。 なお、気仙地方には次のような茶屋があった。 ○珊瑚島(三合島)には昭和初期まで「浜松館」(大船渡、佐藤家)、 「松葉館」(細浦、米沢屋小谷部家)があり、女中さん達もおり、 お客さんは船で渡り大変賑わった時代もあった。 ○遠野街道の日頃市石橋から上有住に越える小松峠があり、大 正12年2月17日郡立気仙農学校の生徒3名が正月休みに盛 町から上有住の自宅に帰る途中大雪に難渋し凍死した峠である。 頂近くに「峠茶屋」(宮田政吉夫婦と娘)があり、側には湧水高清 水もあって大正時代までは重要な交易路でもあった。 ○盛街道江刺に越える住田の種山峠には、昭和30年頃まで「茶 屋姥石屋」(姥石、佐々木家)があった。 ○気仙坂と云われた浜街道の気仙町長部から気仙沼鹿折に越え る松の坂峠と綱木峠があり、松の坂峠を越えた唐桑大沢に「沢内 茶屋」、更に綱木峠を越えると鹿折東中才に善茶屋があった。 ○大船渡町に「茶屋前」の地名 があるが、これは元大船渡郵 便局辺りに「茶屋」(佐藤家」が あったことから「茶屋前」「茶 屋前通」と呼ばれるようにな った。 ○最近、陸前高田市の気仙川 河口に津波から残された1本 の松にちなんで「1本松茶屋」 が開店し、来客達に喜ばれて いるという。(聖) 村境 の「 前小 田茶 屋」があった 跡地 ステージ幕ご利用の際は ~末崎の茶屋について~ 丁寧な取り扱いをお願いし ます。 末崎の風土散策 (32)
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