ヴェブレンとポスト・ケインジアンの資本主義論

第 19 回進化経済学会大会報告原稿
企画セッション「ポスト・ケインジアンと制度派経済学の融合は可能か?―資本主義の
退行的進化をめぐって―」
ヴェブレンとポスト・ケインジアンの資本主義論
―資本の集中と資本主義の進化―
新井田智幸1
はじめに
2008 年に発生したリーマンショックは、金融工学に裏打ちされ、膨張しつづけていた金
融構造の脆さを露呈させ、世界中を不況に陥れた。その混乱のなかで、そうした構造をも
たらした原因を説明する理論として、ミンスキーへの注目が高まったことは、記憶に新し
い。ミンスキーの金融不安定性仮説は、経済の進展とともに金融制度が変化していくなか
で、内生的に脆弱性が高まっていくメカニズムを示したものであり、経済システムの動態
を制度の変化によって説明するものとなっている。
近年、ウェイレンなどによって、ポスト・ケインジアン制度主義という試みが進められ
ているが、それはミンスキーのこうした制度進化論的な分析を導きとしている。主流派経
済学に対抗して、動態的理論への志向性、不確実性や不安定性への注目、制度や歴史的時
間の強調などを特徴とする理論として、ポスト・ケインジアンと制度派はそれぞれ類似性
をもつということで、その統合を図ろうとしているのである。
ミンスキーの理論は、金融システムの脆弱化に注目されることが多いが、その前提とし
て、経営者資本主義からマネーマネージャー資本主義へという、資本主義の性格の変化が
踏まえられている。これは資金運用の担い手に、より大きな資金が集中したことによる変
化である。つまり、独占化(資本の集中)をともなった資本主義の進化であるといえる。
このように独占化を資本主義の発展経路として捉える発想は、カレツキに見られるよう
なポスト・ケインジアンの伝統に沿ったものである。一方で、制度派においては、ヴェブ
レンが独占化による制度進化の展開を独特の視点から描いている。どちらの系譜も経済の
独占化傾向を、経済システムの変化における重要な要素として位置付けていることは確か
である。
したがって、ポスト・ケインジアン制度主義を検討するにあたって、両者が独占化と資
本主義の進化をどのように捉えたかを比較することは有意義であろう。本報告では、ヴェ
ブレンの現代資本主義論のなかで独占がどのように分析されているかを主に示すとともに、
それがポスト・ケインジアン制度主義にどのように活かせるのかを検討したい。
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岐阜大学地域科学部助教 [email protected]
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1.ポスト・ケインジアンの独占理論
不完全競争の市場経済におけるマクロ経済の動態を論じたカレツキは、その理論の中核
に独占度という概念を用いて、それが傾向的に高まっていくことを示した。独占度とは、
ある企業がその産業のなかで他社がつける平均価格に対してどれくらい高い価格をつけら
れるかを示す係数である。独占度が高まるということは、企業がより高い値付けをする力
を持つようになるということを意味する。産業内でシェアの大きい企業が現れると、その
企業は自社がつける価格に他社も追随することが期待できるようになり、そのことで独占
度がさらに高まっていく。価格競争が広告、販売促進活動を通じた競争に取って代わるな
かで、独占度が高まる傾向は強くなる。こうして産業の内部で大企業への集中が進み、さ
らには産業を超えて、独占的な大企業への所得の移転が導かれるという。
このカレツキの理論を受け継いで、
「独占資本主義論」の先駆者となったシュタインドル
は、この集中化の傾向を「絶対的集中化仮説」としてまとめた。この理論によれば、独占
的競争市場のなかで、企業間で技術格差があると、技術的に優位な企業には超過利潤が発
生することになる。それを利潤として分配せずに、シェア拡大のために再投資するという
行動を原則的なものとすると、産業の生産力が増大する。それが需要を超過すれば、競争
力の低い企業は退出を余儀なくされ、寡占化が進んでいくことになる。
ここでカレツキらが対象としているのは産業資本の集中化である。生産力の発展が、収
穫逓増による規模の経済を生み出す以上、資本主義の発展は、その物質的な条件によって、
内生的に独占化をもたらすということが示されている。そして、寡占状態になった市場で
はイノベーションの減速が起こったり、稼働率の低下が引き起こされたりすることで経済
は停滞傾向に向かうと考えられた。ではその先はどうなるのだろうか。戦後の資本主義の
展開をもとに、それを追求したのがミンスキーの金融不安定性仮説であったということが
できる。
ミンスキーは、経営者が株主や銀行や市場から強い圧力を受けることのなかった戦後の
安定的な時期を、経営者資本主義と呼び、この時期に産業は弱体化したと述べる。これは
寡占体制のもとで、経済は停滞傾向をもつというカレツキ以来の主張とも一致している。
そして次にこの構造に大きな変化をもたらしたものとして、産業の側面ではなく、金融の
側面を見る。1980 年代に入ると金融家が、非効率な企業の買収を仕掛けるようになる。こ
のような動きに対して、経営者は短期的な利益追求を行い、企業の株主価値を高める方針
をとるようになる。このように投資家の利益に支配されるようになった段階がマネーマネ
ージャー資本主義である。この段階は、前段階の経営者資本主義の時期に、金融技術の発
達によって、さまざまなファンドが生まれたことや、安定的な成長の下で年金基金が増大
していたことなどの結果として生まれたといえる。つまり金融部門における独占化(資金
の集中)の結果導かれた、資本主義の進化だったということができるだろう。産業の独占
化が落ち着いて停滞状態になった後にきたのは、金融における独占化だったということで
ある。
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カレツキが産業資本の独占化として資本主義の動態をとらえたのに対し、ミンスキーは
金融資本の独占化としてそれをとらえた。両者は対立するものではなく、資本主義の進化
の段階の違いを表わしているということができる。産業の構造の変化が目立った時期と、
金融の構造の変化が目立った時期とで理論対象に違いが生まれたわけであるが、両者は連
関して進化を遂げているのであり、それを全体的に扱うことも可能であろう。両側面を合
わせて資本主義の進化を独占化の観点から捉える見方として、続いてヴェブレンの資本主
義論をみていこう。
2.ヴェブレンの資本主義進化論
①手工業段階から機械制工業段階へ
ヴェブレンは 19 世紀末から 20 世紀初頭にかけてのアメリカ資本主義を観察し、企業合
同が進んで資本主義が変化していく動きを制度進化論によって分析した。『企業の理論』
(Veblen[1904])にまとめられた分析では、手工業と貨幣経済による初期の段階の資本主義が
機械制工業と信用経済による新たな段階へと進化したと捉えられている。
これはまず産業の技術的な変化を契機としている。手工業の段階から生産性を向上させ
ていく経過のなかで、道具や設備が大規模化し、産業技術は機械制工業へと発展していく。
このときに、それらの資本設備をファイナンスするための仕組みも同時に発展する。それ
が貨幣経済から信用経済への変化である。信用の利用が一般化し、それなしには効率的な
生産が不可能になると、どれだけの信用を受けられるかが企業にとって死活的な重要性を
もつようになる。信用を受けられる大きさは、その企業の資本価値に依存するが、この産
業の発達の間に、その意味する内容も変化を遂げる。貨幣経済の時代は企業の資本価値と
は資本財を構成する物的手段の蓄積量によって測られていた。しかし、信用経済が発達し
てくると、資本価値は、収益から還元された価値として評価されるようになる。それは物
的手段の量とは直接的には無関係であり、大概は物的な資産額以上の資本価値として評価
される。物的資産額を超過した資本価値は、のれん価値(good-will)という企業の無形資産と
なる。こののれん価値が高まれば、企業価値が高まることで信用の拡張可能性は高まる。
そして信用の拡張はさらなる効率的な生産を可能にすることで、収益性を高め、より一層
の資本価値の増大と、信用のさらなる拡張を可能にする。こうして、産業の規模が大きく
なると、信用が競争的に拡大されながら企業規模の拡大が進行していく。
この動きは、さらなるのれん価値の上昇を追求した企業合同の運動へと発展する。企業
合同は、期待収益率を高めることによってのれん価値を上げるという点では、以前と同様
であるが、この場合には産業の設備自体が大規模化、効率化することは必ずしも必要とさ
れない。ここでは、収益増加の根拠が企業の市場支配力の強化による価格つり上げ能力に
見出される。つまり、その産業内で、生産を抑制することによって十分な利潤が得られる
価格をつけられるような、独占的地位に対する評価なのである。この展開は技術的規模が
大きくなった産業では次々と進み、各産業における独占化が進んでいく。これがヴェブレ
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ンによる独占化の展開の説明である。
この一連の動きの原動力となっているのは、金銭的利益を追求する営利原則である。こ
れ自体は手工業時代から持続しているのであるが、産業の規模が大きくなると、その発揮
のされ方が形を変えてゆくことが分かる。当初は商品を作ることによって利益を追求して
いたものが、商品の生産を通じたのれん価値の追求へと変わり、さらには企業合同を通じ
たのれん価値の追求へと変わるに至って、生産性の追求とは切り離されてしまう。ヴェブ
レンは生産に携わる「産業(industry)」と金銭的利益を追求する「営利(business)」とを区
別し、両者が一致して豊かさを増加させていた手工業時代に対して、豊かさを犠牲にしな
がら金儲けだけを追求するような独占体制を批判したのである。
②「金銭王」による支配の段階
ヴェブレンは産業の独占化による産業と企業の性格の変化をこのように論じたが、
『企業
の理論』の数年後に著した論文「資本の本質について」(Veblen[1908])において、独占化の
進行のさらに先の段階について触れている。本論文の二部構成のうち、第二部の副題「投
資、無形資産、金銭王(pecuniary magnate)」に示されているように、
「金銭王」の出現が、
一つの主要な論文のテーマとなっている。
この論文で、ヴェブレンは資産の価値について、こう明記している。
「ある資産の価値(つ
まり量)は、それが有形であれ無形であれ、富の資本化された(資本化されうる)価値で
あり、それは所有者への所得稼得能力を基礎に算出される」
(Veblen[1908]p.364)。ここで
の有形資産と無形資産は、
『企業の理論』で提示されていた、物的資産と企業ののれん価値
のことを指している。そして両者の共通点を次のように述べる。
「無形資産は有形資産と同
様に資本である。つまり、それらは資本化された富の一種である。したがって、資産の両
種目は、期待される「所得の流れ(income-stream)」を表わし、それは次のような明確な特
徴、すなわち、単位時間当たりの決まった金額として算出されうるものを表わしている。」
(Veblen[1908]p.373)ここであげられている共通点とは、単位時間当たりの比率として収
益率を計算できるということである。この意味の資産が資本の収益源になっている点では、
手工業段階も機械制工業段階も違いはない。しかし、ヴェブレンは現代資本主義の中にそ
れとは別のものを見出すのである。
ヴェブレンは次のような事実に注目する。
「資本化されうる富の必須の条件に当てはまら
ない所得の流れがある。そして現代の営利取引においては特に、資本化されえないものの、
合法的に営利所得を稼得する、大きな安定した所得の源泉が存在する。」(Veblen[1908]
p.374)これは「監督賃金」や「企業家賃金」や「起業家利益」と称されるが、ヴェブレン
はそれは不適当だと否定する。なぜなら、そうした「稼得能力」による利益だとすれば、
それが再資本化され、利子や配当として現れるはずだが、そうなってはいないからである
(Veblen[1908]p.377)
。そして、重要なもう一つの理由として、
「それが明確な「時間の型
(time-shape)」を持たない」こと、つまり「そのような利益は、その決定に関して本質的な
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形で、あるいは意味のある程度に、時間的関係が考慮されないという意味で、無時間的で
ある」(Veblen[1908]p.378)ことがあげられる。時間と切り離されているということは、
産業の過程と切り離されているということを意味する。こうした形の所得を手にしている
のが、ヴェブレンがここで「金銭王」と呼ぶ階層である。
ではそのような所得はどこからもたらされるのだろうか。「産業の将帥、金銭王、は一般
の投資にかかる比率を超過する所得を、通常得ている。しかし、彼の大規模な保有がなけ
れば、彼はその大きな利益を得る地位にはいられない。」(Veblen[1908]p.375)ここでは、
金銭王の所得の源泉が、
「大規模な保有」にあることが指摘されている。「この企業家階級
が現在得ている利益の種類と大きさは、所有者(または代理人)が企業社会の営為に対し
て自由裁量と制御を行使できる条件にのみ依存する。しかし、利益、つまり行使される自
由裁量と制御の大きさは、この自由裁量に影響を与える富の大きさによって、ある程度確
定的に条件づけられる。
」
(Veblen[1908]p.375)要するに、富の所有の大きさが、所得の大
きさを決めるということである。富の所有から、無時間的な、つまり産業の過程と切り離
された起源を持つ所得が生み出されているのである。この所得の源泉をヴェブレンは簡潔
に「売買可能な資本の取引(traffic in vendible capital)」と呼び、次のように述べる。
優位な営利企業に特徴的な方法、あるいはやり方や手段は、売買可能な資本の取
引である。この領域から稼得される富は、通常、資本化された形態をとり、利益
を生み出す金銭王や「利害関係者(interests)」の利益になるように、各取引におい
て、企業社会の資本化された富からの控除や抽出をなす。その直接の目的は、資
本化された富を、よその資本家から、利益をあげる資本家に移転することである。
(Veblen[1908]p.381)
これは株式などの有価証券の売買によって資本家の間で富が移転する場面を指している。
なかでもヴェブレンは、名目資本の増資によって富が抜き取られる例をあげ、そうした富
の再分配では、大金融家が利益を得る側に立つと述べている(Veblen[1908]p.381)。企業
社会での「自由裁量と制御」というのは、こうした金融的操作による支配のことであり、
これによって、通常の企業は利益を差し引かれることになるのである。「古い形態の雇用主
資本家が産業社会の技術的効率を独占したのと同様の方法で、現代の金銭王は企業社会の
資本の効率を独占している。
」
(Veblen[1908] p.382)そして、「古い形態の雇用主資本家は
裁量的主導権を失い、抽出と伝達の補助機関として、社会全般からの収入を金銭王へ集め
運搬する、仲介者となった。
」
(Veblen[1908] p.383)このように描かれる経済社会の特徴は、
産業が大規模化した結果として企業合同が形成された局面とは一線を画する。産業資本家
が信用を利用しながら独占化を進めた段階を超えて、いわゆる金融資本家が金融的手段に
よって独占化を進める新たな段階をヴェブレンは認めるのである。ヴェブレンの資本主義
像は手工業段階、機械制工業段階に加えて、金融的な独占段階ともいうべき、金銭王によ
る支配の段階をもつ3段階の進化を含んだものになっているといえる。
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③資本主義進化の原動力と反発力
こうした3段階の資本主義進化を描くにあたって、ヴェブレンはそれが自然法則的な必
然性をもっているようには説明しない。そもそもヴェブレンにとって、進化とは非目的論
的な展開であって、どこに向かうかを予知できるものではないからである。しかし、進化
の過程には当然因果関係が存在し、それを促した原動力が見出される。また、一方で、変
化に抵抗する反発力も発生するのであり、それらが合成された結果として進化過程は進行
する。ここでは資本主義の進化を、手工業段階から機械制工業段階へのステップと、機械
制工業段階から金銭王の支配段階へのステップとに分けて、それぞれの進化の因果関係を
見ていく。
まず、最初のステップは、先に述べたように、手工業から生産性を向上させる努力が、
やがて機械を生み出すという過程である。この過程において進化の原動力となったのは、
生産性向上の努力に職人たちを向かわせた営利原則である。営利原則とは金銭的利益を追
求する行動原則のことを指すが、それは所有権の制度から派生したものであり、またそれ
は、労働によって得られた成果は労働者の所有物になるという自然権思想に根差している。
この近代の思想が職人たちの製作本能と結び合わさることで、生産性の飛躍的向上が始ま
ったのである。初期の段階における産業技術も小規模なうちは、営利原則は産業のあり方
と矛盾なく機能していた。しかし、やがて機械が生み出され、産業が機械過程によって規
律づけられるように変わっていくと、それらは矛盾を抱えるようになる。設備が大規模化
するにしたがって産業の独占化が進み、その下で営利の追求のために生産性の抑制が行わ
れるようになるからである。機械過程とそれを支える技術者や労働者が効率を追求するの
に対して、営利原則がそれを抑え込むという緊張関係が生まれることになる。
続くステップは、上記のような産業の独占化の上に、産業から切り離された形で金融的
な独占が進み、金銭王が登場する過程である。機械制工業の発達は、それを金融的に支え
る信用経済の発達という、経済環境の変化をもたらした。ヴェブレンのいう「売買可能な
資本」が豊富になったということである。このなかで、資産を比較的多くもつ企業家は、
そのような資本を売買し、操作し、支配することで、より多くの富を独占するようになっ
ていく。以前は産業を制御することで富を追求した企業家は、金融的に産業を支配する金
銭王と、それに従属する企業家とに分化し、いまや富は産業と乖離したところに集中する
ようになる。この進化の過程も、明らかに富の追求が行われていることから、営利原則が
原動力となっているということができるだろう。すると手工業段階から一貫して営利原則
が機能しているといえそうであるが、ヴェブレンはこの進化の段階について次のような興
味深い指摘をしている。
社会全体にとっては、その産業的効率性はすでに実質的に雇用主資本家の所有権
と物的設備の制御によって独占されているため、経済環境の進化の後半のステッ
プは、明らかに本質的に重要な問題ではなく、感情的な不安の問題である。
・・・
この資本主義の新局面の始まり、より高次元の営利企業は、実際、最も強烈な不
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安をもって眺められる。
・・・現代社会は―古い体制の―営利原則に染まっている。
教訓と手本によって、人々は、
(真正の時代遅れの規模と種類の)営利が我々の文
明のパラダイムであると教わってきた。
・・・そして、現存する雇用主資本家の金
銭的支配の妨害は、社会の幸福を全体的な荒廃の受難に巻き込むだろうと感じら
れるのである。
」
(Veblen[1908]pp.383-384)
ここでヴェブレンはこの段階での金銭王の支配が、営利原則と緊張関係にあることを述
べている。ここにきてわかるのは、手工業段階から受け継がれてきた営利原則は、単なる
金銭的利益の追求ではなく、産業や生産的労働を通じた金銭的利益の追求だったというこ
とである。産業の独占化が進む段階までは、利益はまだ産業から生み出されてきた。それ
が産業を抑圧することで高められるという歪んだ状態だったとしても、富の源泉は生産物
にあった。しかし、金融的な利益には、生産との接点がない。これは、受け継がれてきた
営利原則からは逸脱した利益である。こうして金銭王の支配は、前段階からの実質的な変
化を被らない労働者を含めて、広範な反発を生むことになる。このことから、ヴェブレン
は結論として、資本主義の新局面がこのまま進み、金銭王の企業全般への支配が確立され
るかは懐疑的であるとしている。
以上のように、資本主義の進化をその原動力と反発力とで見てみると、そこには錯綜し
た関係があることが分かる。営利原則は産業の発展を促し、産業資本の集中をもたらした
が、その結果として、機械過程という産業のあり方との緊張関係が生まれる。さらに、営
利原則は金融を発達させ、金銭王による金融資本の集中をもたらしたが、それは営利原則
自体がもつ、産業との関わりの規範によって反発を生み、旧体制を保守するような圧力が
加わる。ここでは機械過程と、古い営利原則と、金銭王の支配体制とが重層的に対立関係
に陥っている。このような力の混在から、次の進化は導かれるため、それは一意に定まら
ない。金銭王の支配体制が反発を抑えて進んでいくのか、それが保守的な巻き返しを受け
るのか、あるいは機械過程が営利原則自体を覆してしまうのか、それはすべてありうる進
化の方向性なのである。
3.制度派とポスト・ケインジアン制度主義
以上みてきたヴェブレンの資本主義の進化論から、ポスト・ケインジアンに対してどの
ようなことがいえるだろうか。両者とも資本主義が進展とともに性格を変えることに注目
し、その分類と変化のメカニズムを解こうとしている点では共通している。また、ヴェブ
レンの3段階の進化過程も、局面ごとにはポスト・ケインジアンの分析と整合する内容と
なっているのではないだろうか。カレツキの産業資本の独占化はヴェブレンの機械制工業
の段階における独占化に相当すると考えられる。また、特に、ミンスキーの経営者資本主
義からマネーマネージャー資本主義への進化は、ヴェブレンの3段階論の後半の進化に相
当するものとみなせるだろう。両者はそれぞれに緻密な分析を提示しているが、対象とす
る段階の違いと、産業か金融の一方からのアプローチにとどまっていることで、資本主義
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の進化のより大きなイメージを示せずにいるように思われる。産業の独占化は金融の進化
とも結びついており、それを一体的に描き出すにはヴェブレンのようなスケールでの考察
は有意義であろう。
そしてその作業はこれからの資本主義の進化を考えるうえでより意義が大きいと思われ
る。それは過去の進化の局面での原動力や反発力が何だったのかを捉え、どのような力が
今後の進化の過程で働くかを考察することができるからである。ヴェブレンの重要な洞察
は、制度の進化が一方向的に発散するものではなく、過去の制度の影響を常に受け、
「先祖
返り」をしばしば繰り返しながら進むものだと見たところにある。ヴェブレンは金融資本
の支配がすんなり受け入れられて安定した段階に進むとは想定していない。そのような進
化の局面では、古い制度が常に顔を表すからである。このような「退行」を含んだ制度進
化を考察するには、過去の制度の蓄積に目を配る必要があり、歴史的な分析が不可欠とな
る。ポスト・ケインジアン制度主義においても、そのような視角が望まれるところである。
<参考文献>
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(小原敬士訳[1965]『企業の理論』勁草書房)
―[1908] “On the Nature of Capital” in Veblen,T[1919] The Place of Science in Modern
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Whalen, C. [2011] Financial Instability and Economic Security After the Great
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