「平高の風 第42号」を掲載します。

Hirakou
第42号
( H27.2.13 )
~
no
kaze
平高の風
島根県立平田高等学校
校長
マチルダ
人生には準備ができていなくても踏み出さないといけない時がある
長野
博
~
振り返ってみると、若い頃の私は臆病だった。派手なことへの抵抗も強く、新しい世界へ飛び込
む勇気も無かった。そのくせ、心を許した仲間の中では仕切り屋で通し、自己顕示欲も強かった。
内弁慶とも少し違う、そんな自分の性格に嫌気がさしたことは多い。
私がスキーを始めたのは 28 歳の時である。大学時代に何度も誘われ、研究室では年 1 回の恒例行
事にもなっていたが、屁理屈をつけて頑なに拒んだ。28 歳の時、当時勤務していた佐田中学校で生
徒のスキー研修が新しく行事に加わった。事前練習を余儀なくされ、仕方なく借り物で三瓶山に上
ったが、その日から病みつきになった。何でこんなに楽しいものを拒んできたのだろうと、無駄に
してきた 10 年間を悔やんだ。
大学時代には留学するチャンスも多くあった。私の一番親しい友人がサンフランシスコへ留学す
ることになった際には、心の片隅でうらやましい気持ちがありながら、自分には到底できないと思
った。英語が喋れないというのが一番の理由だったが、私の友人も喋れるわけではなく、彼は、だ
からこそこの機会に勉強するんだと言っていた。短期間とはいえ、違う世界に身を置く不安、留学
のために努力しなければならないことなど、新たな苦労や煩わしさを嫌ったというのが本音だった
と思う。要するに、自分の人生に横着だったのである。
約一年間、本校にAFS留学生として在籍していたマチルダが過日離県、離日し、母国フランス
に帰っていった。お別れの会で彼女は全校生徒を前に堂々としたスピーチを行い、クラスとESS
部でのお別れ会を経て出雲から旅立った。生徒の様子から日々の人間関係がうかがわれ、仲間から
愛された留学生であることが良くわかった。
一年前に初めて校長室で会った時には不安そうな表情をしていたが、その心配もすぐに払拭され
た。スピーチでは、初めは慣れるのがとても難しくほとんど泣いて暮らしていたと言っていたが、
私にはそのような姿は見せなかった。積極的にほとんどの授業を受け、クラスメイトと生活を共に
した。文化祭では、留学に至った経緯と自分の思いを日本語で語り、聞く者に感動を与えてくれた。
球技大会や体育祭、スキー研修などの学校行事にも本校生徒と全く同じように参加し、町内のスケ
ートリンクではアイスホッケーまでしていた。出雲大社をはじめとした出雲市内の名所はほとんど
巡り、松江水郷祭、石見銀山にも足を運び、和服にも袖を通したようだ。
(前略)・・・私は、日本の文化をたくさん学びましたが、もっと大事なことは新しい考え方と生
き方を手に入れたことです。自分を、世界を発見しました。私にできることや可能性、たくさんの
生き方を発見しました。生き方は一つではありません。あなたは、あなたの人生でいろいろなこと
ができます。後悔しないよう挑戦してください。失敗しても大丈夫です。学ぶことと挑戦すること
は無限です。
私が新しいものを求めてフランスを離れたとき、この留学がどんなものになるか予想がつきませ
んでした。私は他の誰かより勇気があるわけでは無く、ただ最初の一歩を踏み出しただけです。100
%心の準備ができていたわけではありません。何もしなければ、失敗することは無いけれど、成功
もありません。
私は皆さんに自分自身の考え方で考えてもらいたいと思っています。・・・(後略)
16 歳のマチルダは「人生には準備ができていなくても踏み出さないといけない時がある。全ての
ことに心の準備をすることはできない。完璧なタイミングを一生待っていてはだめだ。」と言い、踏
み出せと全校生徒に呼びかけた。
40 年前の私が叱咤激励された。58 歳でも遅くはない・・・か。