いずみホール音楽情報誌「Jupiter」特集記事(150 号より転載) 小菅優インタビュー〈ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズ〉第8回 ピアニスト小菅優が全 8 回の構想で取り組んできた「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全 曲演奏会」がいよいよ最後の公演を迎えることになりました。 取材・文:山野雄大(音楽ライター) 演奏会は一期一会 5年間の旅は、ほんとうに豊かな道程だった。2010 年 10 月に スタートした、小菅優〈ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演 奏会シリーズ〉も、3月の第8回で全 32 曲を弾き通していよい よ完結。「あっという間でした!」とピアニストは朗らかに笑い つつ、 「いずみホールと(東京の)紀尾井ホールと両方で全曲演 奏会を出来たことが、凄く良かった。どちらも素晴らしいホール ですが、その雰囲気が違っていると演奏も違ってきます。だいた いいずみホールで爆発して、紀尾井ホールでちょっと考え直して いる(笑) 」 大阪のお客さんのほうが、小菅優のダイナミックな感情表現をより直に体験しているわ けだ。演奏は弾き手と聴き手がつくるもの、いずみホールの聴衆を得てこそ開放されたも のもあったことだろう。 「ベートーヴェンのソナタって、気負ってたら弾けないんですが、凄く気負いやすい曲で もある。出だしの3つの音だけでも、あれも違うこれも違う‥‥と全然満足いかなかった り。たった数音でもメッセージが凄く強いんです。ですから、自分の気持ちがそこに入り きってから弾かないといけない。いろんなことを考えてしまっても、コンサートではそれ を全部捨ててしまうのが大事。だからその場その場の気持ちも違ってきますし、後で録音 を聴き直してみると〈あれ?私こんなに速く弾いてない!〉て思ったり(笑)」 多様さ、深さを弾く 小菅優の激しい没入──しかし、その中にも練り込まれた本当に美しく自然な表現は、 ベートーヴェンのソナタを通して、作曲家の世界へと迫ってゆくものだった。 「今回のシリーズでは〈ベートーヴェンはどういう人間だったのか〉 、自分の感じるところ を重視して取り組みました。ベートーヴェンは凄く苦労した人でした。苦悩の中で葛藤し ているのが作品からも見えるんですけれども、彼は絶対に逃げないんですよね。私はベー トーヴェンのそこが好きなんです。必ず真正面からあたっていくし、その音楽もどんなに 暗くともどこかに肯定的な姿勢やメッセージがある」 それは、シリーズこれまでの演奏からも強く伝わってきた。なにより小菅優が、その肯 定的な力と共に生きながら、その奥にある可能性の多彩を引き出してゆく──そのリアル な手応えが毎回感じられたように思う。 「彼は様々な面を持った人なので、ソナタ全曲を弾いていくと、ベートーヴェンのいろん な人格が感じられて来るんです。ユーモラスだったり皮肉屋だったり、自然を愛する人だ ったり‥‥。彼のソナタには、凄く斬新な要素と古典的な要素とが、ほとんど同時に現れ ています。あるいは、ファンタジーと哲学的なところと」 その豊かな人間性から生まれる、音楽の多様な側面。 「それぞれの作品のキャラクターに対する見方も変わってきました。悲しい曲かと思って いたら、実はいらいらして怒っているように弾いたほうが曲の深さが良く出たり‥‥と、 アイディアの引き出しかたも変わるんです。ただ綺麗なものを求めるのではなく、そのも っと深い奥へ手が届かなければいけない。ペダリングひとつで全然違う空間が現れてきま すし──あるいは、第 16 番の第2楽章‥‥いっけん普通に綺麗なメロディなんですけど、 実はイタリア・オペラのパロディのように弾かないといけなかったり(笑) 。本当に充実し た勉強でした」 そして、次の旅へ シリーズ第8回は、ベートーヴェン晩年のソナタ第 30・31・32 番の3曲だ。 「この最後の3つのソナタには、ベートーヴェンの孤独感が特に強く感じられながら、平 和を見つけたようなところがあります。第 29 番までのいろんなもの‥‥これまでの葛藤や 努力がすべてベートーヴェンの中に刻まれて、最後の3曲が生まれる。ここには彼の中か ら自然に溢れだす円熟があると思うんです。第 30 番も第 31 番も、出だしはちょっと即興 的なところがあるんですけれども、その深さに驚かされます。さーっと書いているように みえても、心のいちばん深いところから来ているのがとても良く分かる。第 32 番の最後は 〈これでやっと平和を見つけた‥‥〉という音楽で、彼のソナタはここで完結します。も しこの先に〈第 33 番〉があったとしたら‥‥私には想像がつかないんですよ」 ピアノ・ソナタの旅は終わる。しかし、これは次の旅への始まりだ。 「ソナタだけで終えてしまうのは寂しいですから、今後もベートーヴェンの書いたピアノ つきの作品を全て、人生の課題として弾いていこうと思っています!──ベートーヴェン は、ひとつ弾くとまた次の曲を弾きたくなるし、もっと知りたいという好奇心がほかの作 曲家以上に湧いて来る」 と愉しそうに今後の計画を語りながら、小菅優はふと思い出したように、 「ベートーヴェンのソナタって、第1番の最初がドの音から始まって、第 32 番の最後もド の音で終わる‥‥どう思います?(笑)」 そう、旅は大きな円環を描くのだ。終わりは、始まり。全8回の円環が新たな扉をひら く瞬間に、私たちも心して立ち会いたい。 小菅優 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズ 最終回/全8回 2015/3/19(木)19:00 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第 30 番 ホ長調 op.109 第 31 番 変イ長調 op.110 第 32 番 ハ短調 op.111 一般=¥4,000 学生=¥2,000 公演の詳細ページはこちら 小菅優さんからのメッセージはこちら YU KOSUGE 高度なテクニックと美しい音色、若々しい感性 と深い楽曲理解で最も注目を浴びている若手ピア ニスト。9 歳より演奏活動を開始し、05 年カーネ ギー・ホールで、翌 06 年には、ザルツブルク音楽 祭でそれぞれリサイタル・デビュー。 世界各地でオーケストラと共演、リサイタルを 行っている。録音は「ベートーヴェン:ピアノ・ ソナタ集第 3 巻『自然』 」を含む 13 枚の CD をソニーよりリリース。 撮影:樋川智昭 第 13 回新日鉄音楽賞、04 年アメリカ・ワシントン賞、第 8 回ホテルオークラ音楽賞、第 17 回出光音楽賞を受賞。14 年第 64 回 芸術選奨音楽部門 文部科学大臣新人賞受賞。
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