EWE ウェブニュース No.210(2015-4)2015-2-13 北沢幸浩様(1960 年電気通信学科卒)に NHK で永年携わった送信所アンテナ建 設の苦労話を随想として寄稿していただきました。全 3 話の予定で、今回は第 1 話です。 「新島 TV 中継局建設の思い出」 深夜 23 時過ぎに新島本村から TV 中継所のある 宮塚山まで車一台やっと通れるがたがた道を タクシーに乗って進みます。タクシーといって もおんぼろ乗用車で、運転者は通称“サブちゃ ん”というおじさんでした。新島 TV 局が開局 したばかりの昭和 40 年の春ごろです。宮塚山 送信所まで約 1 時間サブちゃんの話が続きます 「ここ新島は極悪人が流された島で、多分この 辺が大勢の罪人の首を切った場所で今でもそ の幽霊がよく出る所だよ」と。このような話が ずっと続きますが、この当時の宮塚山周辺は手 つかずの原生林で曲がった雑木に蔦が生い茂 った怖い風景が続きます。 写真は新島 TV 中継局のアナログ時代の全景写真で古河電工が撮影したものです。 送信アンテナ群は双ループアンテナを上に 4 段と下に 8 段横向きに積んだ特殊 なアンテナと 4m パラボラで構成されています。このアンテナに給電するフィー ダーに空気漏れがあり、その点検に毎夜通っていました。放送終了後の作業で すが、給電線が沢山ありなかなか不良個所が見つからず、2 晩、3 晩と点検作業 が続きます。放送機の点検で日電の作業員も来ていましたが、その日電さんの 話です。 “送信機の点検が終わり、局舎の電気を切ったら、闇の中に送信機の 回りを火の玉のような赤い炎がぐるぐる回った”と。 また、古河の作業員は アンテナから下に降りて屋上にいると、 “局舎の回りの暗闇がボーと青白く光っ た”と。 空気漏れがなくなりデハイドレーター(自動空気充填装置)のスイ ッチを入れて、やっと迎えのサブちゃんの車に乗る時には夜が白々と明けてい ました。 (第 1 話完)
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