コチラ

~弥栄と松陰・文の兄「民治」の関係~
2015 年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が放送されました。
主役は、みなさんご存じだとは思いますが、吉田松陰の妹・杉
ここレイクプラザやさか傍に、文の兄で、松陰の兄でもある「杉
文です。
みん じ
民治」の石碑があります。
平成 3 年(1991 年)、弥栄ダムは完成しました。その時、湖底に埋没しないように移されたのが、
【柳原翁表徳】、【杉 民治】、【三分一健作】の三つの石碑です(下写真)
民治の石碑
民治は、本郷(現岩国市本郷町)の代官所に勤めており、山代地方の道路整備や水田開発などに
大変な業績を遺しました。
はさい
しゅんせつ
明治 7 年(1874 年)、小瀬川の急流4キロメートルにわたり、巨岩を破砕し、川底を 浚 渫 して
通線路が開発されました。この大事業に民治は深く関わっているのです。
この川舟の開通によって、山代地方が弥や栄えることを願って「弥栄」の地名が生まれました。
その名づけ親が、民治だと言われています。
「坂上村史」より
杉 民治(1828 年~1910 年)
萩藩士・杉百合之助の長男で通称を梅太郎という。
幼少期から弟吉田松陰とともに百合之助・叔父玉木文
之進の指導を受け、天保 13 年(1842)玉木が創始し
た松下村塾に学ぶ。明治 2 年、民政に尽力した功労に
より藩主から「民治」の名を拝領する。さらに山口県
に出仕し、明治 11 年に退職、閉鎖されていた松下村
塾を再興し、子弟の指導にあたった。また私立修善女
学校長となり、子女の教育にも努めた。
レイクプラザやさかにお立ち寄りの際は、ぜひこの三つの石碑もご覧になってください。