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デラカート博士が考える「学習障害」
デラカート博士も ,研究者として大変尊敬されるべき博士です 。デラカート博士は ,
まだ自閉症の研究が進んでいない頃から,その自閉の研究をされ ,「さいはての異邦
人 」(風媒社発行,阿部秀雄訳)の中で自閉症を「感覚障害」と位置付け,その謎を
明らかにしています。さらに,デラカート博士は学習障害の謎にも挑戦され,研究を
進められました。その結果を ,「読めない子どもの出発 」(風媒社発行,小笠原平八
郎訳,阿部秀雄監訳)に,研究成果をまとめられています。
1 .「読めない子どもたちに共通する,次の諸点」
(「 読めない子どもの出発」から転載)
(1)彼らは身体各部の整合性を欠いているようにみえる。歩いたり走ったりしても
ぎこちない。歩いたり走ったりするのが充分に発達していないようなので,彼ら
が四つ這いや腹這いするのをみてみると,やはりへたである。
(2)多くの五,六歳児は利き側が決まっているのに,彼らは右手利きか左手利きか
が決めがたい。六歳をとうにこえていても,どちらの手を使うべきかはなかなか
決められない子どもも多い。このことは足や目の使い方にも及ぶ。ボールを蹴る
ようにいわれると,ボールに駆け寄るが,どっちの足を使ったらよいか決められ
ないため,そこでためらうことが多い。ライフル銃でねらいを定めるようにいわ
れると,右手で銃をかまえ,それから首をねじってぶかっこうに左目で銃眼を覗
いたりする。望遠鏡を渡されると,書く手と反対の目で覗く傾向がある。
(3)約二〇パーセントが左手で文字を書いたりボールを投げたりする。左利きの割
合は,よく読める子どもたちに比べて三倍近く多い。
(4)音楽が大好きで,きょうだいより楽しんで聞く。
(5)手書きの文字の傾き方が一定していない 。”h,j,p,t,l”などの縦軸
がいろいろな角度で書かれる
(6)検査結果では大半の子どもの目は正常だが,どの子どもも効率的に見るのに困
難があるらしい。その結果,読もうとするとき本に目を近づけすぎる。紙に鼻を
つけんばかりにして書く子も多い。
(7)逆から読んだり書いたりする子が多い。二学年、三学年になっても ,”saw
”を”was ”,”42”を”24”とやったりする。これは,一学年の子どもには
よく見られる現象だが、正常に読む子の場合はやがてなくなっていく。読みに問
題のある子の場合,それがなかなかなくならない。読むようにならない子どもが
「バックワード 」(後ろ向き)と呼ばれてきたのはそのためであろう。
(8)綴りをあまり知らない。一連の単語の綴りの宿題は出来るし,翌日のテストに
も合格したにもかかわらず,二日後には,そんな単語は見たこともないといった
顔をする子どももいる。
(9)読みよりも算数の方が出来る子が多い。また全員書くよりも話す方が得意であ
る。
(10)全員目からより耳からの方が,言葉をよく理解する。
2 .「治療の四つの段階」
デラカート博士は ,学習障害の治療に四つの段階を考えられています 。第一段階は ,
神経構成理論から,腹這いと目と耳の発達の関係,第二段階は,四つ這いと目と耳の
発達の関係,第三段階は,手を交互に振って歩くことと目と耳の発達の関係,それぞ
れの発達と成熟の段階ととらえられています。そして,最終段階として完全な優勢半
球の確立,すなわち利き目と利き耳と利き手と利き足が一致するのが良いという考え
です。この点につきましては,神経心理の立場から,完全に一致しなくても良いので
はないかという考えもあります。しかし,左右の脳が完全に活性化しての両利きと,
左右の脳が両方とも未熟なままの両利きとでは ,異なるのではないかと考えています 。
3 .「読むことへの動機づけ」
デラカート博士は,本の中で『「 読めない子ども」は,往々にして何のために読む
のかわかっていない。読むことは,生活とは何のつながりもなくてただ恐ろしく,失
敗ばかりする学校の教科にすぎないと考えている 。』と述べられています。読めるよ
うになっても,これまでの失敗に懲りているので,読むことに極めて消極的な態度に
なっています 。これを 、いかに改めるかが ,大きな課題となります 。ドーマン博士も ,
「赤ちゃんに読み方をどう教えるか 」(サイマル出版会発行、食野雅子訳)という本
の中で ,『学校教育が魅力に欠け,おもしろくなかったので,私たちはつい,ものを
教えるときは,堅苦しくまじめくさって教えなければならない,と思ってしまってい
る。学校で ,「ふざけるな! 」「まじめにやれ!」としょっちゅう言われてきたので,
教える場合も学ぶ場合も,おもしろいと思うのは罪であるように思っている。それこ
そばかげている。なぜなら,おもしろいのが学習であり,学習はおもしろいものなの
だから。楽しければ楽しいほど,学習の成果も上がるというものだ 。』と述べられて
います。