Title Author(s) Citation Issue Date Type アンダルシア地方における人口流出 : セビリアの一山村 を事例として 栗原, 尚子 一橋論叢, 88(5): 685-706 1982-11-01 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/12999 Right Hitotsubashi University Repository (117) アンダルシア地方における人口流出 栗 原 尚 子 市圏への流出となっている。その結果、この国において 進的な農村地域から、前記の先進工業地域である三大都 .バスク三県である。国内人口移動の基本的な類型は、後 し、他方社会増が著しいのは、マドリヅド、バルセロナ、 年代に人口の社会減を経験したのが、三五県で七割に達 動している。県雫o丘暮ポレベルでみると、一九六〇 ^2︺ 一九9四万人が市町村冒冒一〇菅oレペルで屠住地を移 一九六〇年代には三七一・九万人、一九七〇年代前半には 時期とは比肩しえない重要性をもっている︵図−参照︶。 移動は、その量的およぴ空間的拡大において、先行する 察しうる現象である。しかし、一九六〇年代以降の人口 いえ、スペイン資本主義の歴史的形成過程で一貫して観 アンダ〃ツiア地方に■おける人口流出 !セビリアの一山村を事例として1 スペインでは、一九六〇年代に注目すぺき高度経済成 長を達成した。第一次産業部門の就業人口構成比が、一 九六〇年の三九・九%から一九七〇年の二四・九%まで滅 少したのに対し、第二次産業部門は二八・七%から三七・ 四%へ、第三次産業部門は三一・四%から三七・七%へ 上昇している。このような産業構造の変化は、必然的に ^1︶ 就業人口の空間的配置にも急速な変化を惹起じ、国内に おける人口移動を加速化させている。国内人口移動は、 何も一九六〇年代に始まったことではない。一九三六− 四〇年の市民戦争の前後、その傾向が一時衰退したとは 685 序 千0 60 10.0% i ・ ・ . 1 ■ 40O 国内人口移動総数 ヨーロッパ諸国への人口移動数 フランスヘの季節移動を含めた 人 一’一一ヨーロッパ諸国への人口移動数 「 、 、 、 、 、 ‘’二 、、、一 ﹄、 ‘ ノ } ’ 、 / ノ ! 20O ’ ’ .1 ‘ ^ ’、 ’︷ 、 ’ ‘ ‘ ’ ‘ 、 ’ 、 ’ 5O 、 ノ ’ 1 ‘ 「 ■ 1 第五号 (Lユ8) 第八十八巻 一橋論叢 図1 スペインにおける人口移動(1961−1975) ・・・…一一GNP成長率1%〕 0.O bajo Ia Djo胞dur且F胆nq1」i;t副(1939_1975),B皿celom,La1〕or.p−74_75一 (1990)I E;Pai副 資料1 注4) c訓rdo1也畠、Jordi,pp.293−296,A皿tonio Bie彗oa昌,J,y M−Tl1i6n de Lal=a 19616263646566676869707172737475年 も、農村における急激な人口減少とそれ に起因した従来の地域社会の変化および 大都市における過密問題の深刻化が間題 とされてきている。このような状況を背 景として、個別学問分野においても、国 内人口移動は重要なテーマの一つと位置 づけられ、近年多くの研究成果が蓄稜さ れてきている。従来の研究は、移動の実 ︵3︺ 態の統計的把握に中心がおかれているが、 、 ^4︶ 移動の実態を正確に把握するには、統計 資料の整備、その精確度など研究の基本 的レベルでの困難を伴っている。国立統 計局Hヨ㎝ま鼻O乞竃一〇墨−ま崇一P皇峯S㎝ H乞向が中心となって資料を整備し、一 九六一年以降は、県別に移動実数を毎年 年鑑に発表している。これは、各地方自 治体における住民登録の移動結果を集計 したものであり、従って、移動に伴って 手続きがなされた場含のみに限定されて いるという根本的欠陥を合んでいる。ま 686 (119) アンダルシア地方における人口流出 た県レベルよりも下位の市町村レベルでの考察が不可能 という問題も含んでいる。しかしINEは、その他重要 ないくつかの資料を刊行している。例えぱ、﹃国内にお ける人口移動﹄では、職業、世帯規襖一教育・文化水準、 ︵・o︶ 消費水準などの移動者を杜会階層的にとらえる指標と地 域別とのマトリヅクスをつくり、人口移動の統計的分析 に加えている。また未だ数としては久ないが・市町村レ 11,1’ 一 . fo く・・∼ト∼\〆、 9^ 幻 Tuioo 賢料1 注) 図1に同』Antomo B祀昌o日s,J.y M. 肉 de Lar艘(1980)P.81 スペインに特有な地域構造すなわち著しい地域格差と関 ︵7︶ 連づけて国内人口移動を把握する視角であろう。その背 後には、一九六〇年代の高度経済成長政策を唱導した理 念−一九六二年の世界銀行調査団勧告書およぴ一九六 四年から七五年までの第三次にわたる﹁経済・社会発展 計画里顯目O。]︶窃彗H昌O里O昌巨OO<ωOO邑﹂に象徴さ れる1に対する批判、すなわち経済効率優先の空間再 本稿は、このような研究成果をふまえ、顕著な人口流 編成に対する批判をしばしぱ内に含んでいる場合が多い。 調査を基 出地域であるアンダルシアの一山村カサージャ・デ・ラ れつつあ 生み出さ 究成果も 速な人口流出の過程を跡づけた後に︵第二章︶、人口流. することを目的としている。分析視角は、まず第一に急 スペインにおける国内人口移動の実態の一端を明らかに .シエラO、、竺芭O。一臼望睾轟︵セビリア県︶を事例に、 る。これ し︵第三章︶、スペインにおけるペリフェリーの中での 出を生産構造のこの地域に固有な間題と関連づけて把握 特徴は、 している 果に共通 の研究成 研究成喋にみられないものと位置づけられる。分析期間 第四章にかかわる分析視角は、スペインにおける従来の れる問題の指摘︵第四章︶に■焦点をあてることとする。 ペリフユリーとして再編される過程、およぴそこにみら ?︺ らの多く 優れた研 礎とした ペルでの、とくに人口流出の著しい地域での詳紬な実態 図2スペインにおける人口流出(1961一ア0) ㍉. ㌣ト “θ斗ト\口 口Hミ“ “ N 握商泣 、 :■ H茸キN重細欝茜斗ω灘齢阜鐵曝伽 焦薄α図塒凄・串凍婁 図閑 甘噂1V↓ 、 、 溶言宣。ち . 岩↑崇臨“、“ 旨洪司半刊嵩耀挙黒 ご離糠薄書鴫黒料尋 宝 x油xマ 崖蝉適蒔甫岩宍轟決蜜嵜8 >メ毒園黒 麗蟷予蓑嚢 §醸 ■ 第五号 (120) 第八十八巻 一橋論護 ω奮 序園・房蟻︵里顯§︶o覇ヰ蜻 巌涛 旨緊棚 く 這く唱、 Hoo } 688 (121) アンダルシア地方における人口流出 は、統計的資料の制約から、主として一九六〇年から一 九七五年を対象としているが、テーマによってはそれ以 降の期間も含まれている。なお、本稿にかかわる実態調 査は、一九八一年一月に実施されたものである。 ^10︶ ブロの近くの山頂に祭られている﹁山のビルヘン<テ を意味し、強い帰属意識をもっている。守謹神は、プユ ○目昌宗一旨O鼻O﹂で、伝統的にはこのムラヘの帰属意識 の紐帯を形成してきたが、現在でも夏のフィエスタや雨 乞いの、・、サなど農祭事には山から担ぎ出され、町の中を れており、したがって、住民の帰属意識という点からも、 練り歩くロメリアが行われている。一村一教区で構成さ 人口の推移について具体的に分析する前に、調査対象 前回の調査地イビサ島におけるよりも、一行政体を調査 二 人口の推移・移動 地域について概観しておきたい。 対象地域とすることの意味があると考えられる。 で約一時間北上したシエラ・モレナの山中にある山村で 出している人口数が多く、一九八○年人ロセンサスの結 五九人となっているが、住民台帳の原票を移動せずに流 一九七九年の総人口は、村庁の示す数値によると六、六 カサージャ.デ.ラ・シエラは、セビリア市から鉄遣 ある︵総面積三五三・五二平方キロ︶。マドースの地理 挙辞典によると、十九世紀後半は、南隣のエル・ペドロ ^8︶ 果は、一九七九年とは不連続的により少ない数値を示す 八五七年の第一回センサス以降上昇を続けた人口は、一 だろうことが予測されている。風4に明白なように、一 ソ自霊串o,oとの境にある鉄鉱山から産出する鉄鉱業 が最も重要な産業であったことが記されている︵一八八 七−一八八八年に閉山︶。現在は、オリーブ栽培と牧畜 ^9︺ と同様に、プエブロ召〇一U一〇と一般的に呼称される申心 カサージャの居住形態は、アンダルシアの他の農山村 九六〇−七〇年間にセビリァ県が全体で七・五%の増加 三五%に達している。このような急遠な人口減少は、一 の減少はとくに著しい。一九六五−七〇年間の減少率は 九五〇年をピークに急速に減少し始め、一九六五年以降 集落、町に人口の八三%︵一九七〇年︶が集住している。 率を示しているのに対して、シエラ・モレナ山中のムニ に基礎をおく農業以外みるべき産業はない。 住民の地理的知覚は、カサージャというとこのプエブロ 689 ‘ 人oo という局住空間の再編を指摘できる。 からも明らかである︵県平均一六・八伽︶。 人口流出の実態に関しては、資料保管の不備から一九 シビオに特徴的 に現われている、 しか得られず、調査対象期間全体の傾向をみるには限界 六一−六三年のみの住民台帳移動田里盲勺邑H昌の結果 があるが、一九六五年以降の急速な人口移動が始まる以 カサージャは鉱 前の状況を知る端緒とはなりえる。なお、調査数は一九 業開発に特化し ン・テ・ラ.フ ているアルマデ 六一−六五年の推定移動総数の約五〇%に相当する。結 ^11︺ “ “ ’ ’ ’ :: “ ■ ’ ’ . 十 皿 果を纏めた表1より以下の諸点を特色として指摘できよ ・; o①−印﹃−ρ“曹の ■ . ラタ >−冒9oo■ シニラ・モレナ 四三%とともに、 の中でも高い滅 少率を記録して いる。他方、セ ビリァ市周辺町 村の人口増加率 一九六〇年代に、 中核都市域圏への人口集中と経済的隈界地域の人口減少 は顕著で、セビリア県レペルでみても (1860−1975) カサージャの急速な人口減少が人口流出に由来するも 園㎜ ● 40 59% SE': Seville ok 1〔 50 0 CA: Cazalla de la Sierra - lO−19% 図4 Cazal1乱de1a Siemにおける人口推移 のであることは、自然増加率が七・三伽に寺ぎないこと 図5 セピリア県の人口流出率(1961−70) 1020304050607075年 1860 77 87 1900 』 5,OOO J: 20-39c/ 60 6 lo 9%以下 10 “ 第五号 (122) 第八十八巻 一橋論叢 690 (123) アンダルシア地方における人口流出 166 6 6 1 ’⊥ 3 2 カ労人 一働ロ 33 ワ 就 イ事業 ホ家 非 4 1 11 3 E] 10 その他 土つo H移動形態。家族形態での流出が、移動件数全体 の三〇%であるのに対して、一五∼三九歳の独身者 の単身移動が五三%を占めており、人口流出初期の 段階の特色を示している。因に、近年︵一九七一− 七五年︶について、移動人口を世帯構成員規模別に みると、アンダルシアは他の地域に比して、五人以 上の世帯の割合が高いという結果がでている︵スペ ^12︶ イン平均二二%に対し四〇%︶。 H転出先。バルセロナが全体の六一%に達し、次 位のセビリア市の一五%をはるかに陵駕している。 一九六三年のセビリア県全体でみても、バルセロナ で二位となっている。一九七〇年代に入ると、。バル が全体の六八二%を占め、マドリッドが七・三% £︶ セロナの割合が次第に減少し、ラス・パルマス、バ レアレスの比率が増大してくるが、その割合は未だ 圧倒的に大きく伝統的にアンダルシアからの移動人 一口の流出先は、バルセロナであることを示している。 移動が、初期の段階から直接的に大都市圏へ向かう 類型が地方都市1ここではセビリア市1を経由 691 件数の揺弧内は家族形態ての流出致。2)非蹴棄人口の家班はほとんどが主婦。 注 1) 16 3 8 55 16 1 51 33 15 転出先(件) Barce1ona 35 29 不 明 Seve】1a 4ア 19 4 7 2 19 10 1 3 60…69 70歳以上 7 5 9 Madrid 51 ユOフ 14 50〕59 35 20 家 事 学 生 幼 児 年齢生活者 10 40}49 4 3 91 29 19 6 4 5 0 19 1 3 1 年齢構成 52 5 9 9歳以下 20 6 2 9 2 30−39 “ 84(25) ラ 39 54(15) ト 21 25(8) S 20川29 1963 件 数 19 15 1962 職業構成 就業人口 26 12 10 職 人 農 業 農業労働者 10}19 1961 1963 1962 1961 Cazalla de la Sierra 表1流出人口の社会的特徴 資料1 B皿]皿p日droll.1961−1963。田n Ca1alla do l^Slen=o. 第五号 (124) 第八十八巻 一橋論叢 して移動するステヅプ移動の類型よりも卓越していると 合を占め、国際的人口流出の母体を成しているのに対し、 口流出とこの地域の農業構造との関連を示しており、次 推定される。農業労働者の割合の減少が顕著である。人 は、一九六〇年と七五年の就業人口の職業構成をみても いる。農業労働者階層が、人口流出の主柱であったこと %を占め圧倒的に多く、職人、ホ.ワイトカラーと続いて 流出人口の社会階層をみると、錘業労働者が全体の六四 目流出人口の社会階層。就業人口の職業構成によって ある。しかし、基本的傾向に大きな変化はないことから はこれまでの分析と期間的に対応させることは不可能で リア県の一九七七−七九年に関するものであり、厳密に 季節的人口移動について今回入手できた資料は、セビ している。 られ、社会的にも地域的にも選択的であったことを反映 を示している。国際的人口移動は先進的地域に顕著にみ じょうに少なく、国内人口移動の傾向とは対照的な結果 シェラ・モレナ地域は、他地域と比較してもその数がひ 章で展開する課題である。もう一つ注目されることは、 参考として利用することは可能である。一九七九年を事 いえる。 伝統的な職人階層の流出が早いことで、加えて都市的生 最後に、国際的人口移動と季節的人口移動について付 〇年と比するとその多様性を失なっている。 東と南東部山地の地域に集中しており、シエラ.モレナ くなっている。ムニシビオ別にみるとセビリア県印央部 三〇歳以下が六割近くを占めるが四五歳以上の割合も高 例にその特徴を概観すると次のようになる。年齢階層は ^帖v 言しておきたい。移民労働としての国外への人口流出は、 に五人を数えるにすぎない︵多いところはロス.コラー 地域からの移動は少なく、カサージャからはこの三年間 活様式の進展に伴い、一九七五年の職業構成は、一九六 スペイン全体でみると、一九六一年の三六、四九五人か レスのように三、〇九三人に達するところもある︶。行先 ら七五年の三、八五九人と一貫して減少し、一九六五年 からすでに流出数よりも帰国数の方が上回る傾向を示し 強を占め、ナバラ、マラガ、バレアレス、バルセロナと を県別にみると、ハエン、コルドバの二県で全体の六割 ている。セビリァ県について同様に一九六一−七六年を 気︺ みると、セビリア都市圏が全体の四六%と圧倒的高い割 692 (125) アンダルシア地方における人口流出 パレアレス、マラガヘの移動は観光シーズンと対応して 農業労働の季節的移動であることを示している。他方、 続いている。ハエン、コルドバ、ナバラの高い割合は、 の穀作物に相当︶が主要なもので、その他はいずれも非 三〇㎞︶、牧草四、五〇〇㎞︵約五分一は休閑地システム 地のオリーブが四、五〇〇㎞、穀物作七四二㎞︵灌漉地三 産の実態をみると、農地面穣九、八五五㎞のうち、非灌概 を分析し、この地域の低開発性の形成要因に焦点をあて、 が大きい。この点を解明するために、次章では農業構造 となど、この地域の主要な経済基盤である農業との関係 よび国際的・季節的人口移動が重要性をもっていないこ しており、その流出人口の主体をなす杜会階層の特徴お 内先進地域とくにバルセロナヘ向けての流出が基本を成 以上のことから、カサージャにおける人口移動は、国 オリーブ耕作によって占められ、オリーブがこの地域の を失っているのが特徴である。生産的な農地の犬部分は、 年進展しているのが目立つくらいで、山林が経済的価値 営は、搬出に便利なところに僅かにユーカリの植林が近 されている。土地利用はきわめて粗放的であり、林業経 を占めるが、その約三分の一は天然の牧草地として利用 地面穣は総面稜の二七・八%にしかすぎず山地が大部分 灌概地で、ブドウ八七㎞、果樹二六㎞となっている。農 ^16︺ いる。 人口流出との関係の考察を試みることとする。 最も重要な商品作物となっているが、その六割強は才リ づけられている。したがって、農業生産と土地所有の実 と分極的な土地所有に規定された生産関係によって特徴 生産基盤は農牧業である。この農牧業は、低位な生産カ シェラ・モレナの他地域と同様、カサージャの主要な する割合︶、カサージャは、シエラ・モレナ地域の中で に位置しているが︵二八・七%。括孤内は農地面積に対 ︵四三・一%︶などに高く、シエラ・モレナ地域は中位 ペ向ω冨旧①︵六一・七%︶、エル・アルファラヘ里≧︷胃邑Φ ルチャーはセピリア県の農業地帯区分でみることエステ ーブ油用の低位品質で生産性は低い。オリーブのモノカ 態分析からこの地域の農業構造を明らかにしたい。 はとくに高い割合を示している。カサージャにおけるオ 三 農業構造 ⇔農業生産。一九七九年の農地の利用状況から農業生 693 第五号 (126) 第八十八巻 一橋論叢 既に十九世紀末に、その低位の品質のため、市場ではオ このようなセビリア県におけるオリーブ耕作の拡大も、 いる。セピリア県への拡大は、歴史的に比較的新しく一 リーブ耕作の拡大は、セビリア県におけるのと対応して 八三〇年代で、アンダ〃シアを席巻したオリーブブーム リーブ油としての価値しかもたず、コストが嵩むわりに ^ど は収益性が低いと指摘されている。現在、消費量の頭打 の時期と一致している。オリーブ耕作拡大は、領主制経 U量巨は、セビリアでは、オリーブ耕作の拡大が、鉄遣 体制への移行を象徴するものとして注目される。声 リーブの限界生産性は、一㎞あたり平均的な平野都で のオリーブ耕作はとくに間題が大きい。一九七八年のオ ブ耕作の危機がさけぱれているが、シエラ・モレナ地域 ち、オリーブ油輸出の伸ぴ悩みに誘引されて、オリー 敷設と時期的に符号すると指摘しているが、カサージャ 二、五〇〇㎏、傾斜の強い山地では一、九〇〇㎏である 済に基づく旧体制から商品作物の浸透による新しい経済 ・^g が、南東に隣接するコンスタンチーナOo畠件彗ま墨と ︵一九七一−七五年平均。スペイン全国平均は、一、○ ウに代替し、後者はドラスティヅクにその重要性を消失 い。十九世紀後半以降、オリーブが商品作物としてブド サージャでは、商品作物としてのブドウ栽培は皆無に近 ブドウ酒は重要な移出産品であった。しかし、現在、カ ージャは、セビリア県の三大ブドウ耕作地に数えられ、 る。十九世紀半ぱには、コンスタンチーナとともにカサ ーブの拡犬と対照的な結果をみたのは、ブドウ耕作であ 史的役割によるところが大きいといえる。またこのオリ 化しているのは、この両ムニシビオの間を通る鉄遭の歴 占める労働費の割合は、平野部よりそれぞれ八四・五%、 それぞれ三〇〇、二一七、一四二となっている。総費用に り、また総費用に占める労働費の比率の変化をみると、 中位の傾斜度の山地では三〇五、平野部では二〇五とな 一㎞あたりの総費用は、傾斜度の強い山地では三五五、 顕著に現われている。一九五九年と七八年を比較すると、 ている。生産コストの上昇は、生産条件の不利な山地に 価な労働カによって支えられてきた生産基盤を揺るがし 労賃背同騰が、生産コストの上昇につながり、伝統的に安 ○○㎏︶。とくに、一九七〇年代に入ると、農業都門での ^18︶ ともに、シエラ・モレナ地域の中でもオリーブ耕作に特 したといえる。 69壬 (127) アンダルシア地方における人口流出 表2Cazal]a de la Siem農地規模別農業経営数の変化 2.5 12 3.0 .2 15.4 200 - ・-99 16 2.2 29 7.2 300-499 17 2.3 10 2.5 46 6.3 34 8.5 500 ha 17 2.3 18 4.4 f) 602 82.0 308 76.7 132 18.2 94 6.0 1 OO - 149 159 39.6 l 50 - 199 92 23 -' t) 1. 9 62 4.2 24 33.8 9 12.5 31 25.2 1.2 185 2 48 9 ha ・ AT J 7 18 7 4,2 七一二%と高 ^20︶ い。 シエラ・モ っている。市場における競争カは以前にまして弱体にな り限界生産地化の過程を促進している。 機械化による代 に、一部労働の 平均が一㎞あたり二、一〇〇㎏、肥沃な平野部が二、四〇 格差が大きい。例えぱ小麦を例にとると、アンダルシア オリーブ耕作と同様に、穀物耕作も他地域との生産性 替が不可能なと ど生産性向上の 量品種の導入な おいては、多収 てカサージャに うな状況に対し 与える。このよ 階層をみると、以下のような特徴を指摘しうる。経営規 農業センサスから、経営農地規模別農家数を指標に農民 ついて考察したい。まず初めに、一九六二年と七二年の 生産諸関係を概観し、急遠な人口流出を誘引した要因に ⇔土地所有構造。土地所有の構造から、カサージャの られていった結果の産物といえよう。 農業の資本主義的再編成の過程で限界地として位置づけ 費の上昇はとく ための資本投下 模が五〇㎞以下の農家数の割合は、一九六二年で五六・ な経済的機会に恵まれていた山村経済が、アンダルシア は全くなされず、 八%︵一九七二年で七〇・七%︶に達するのに対し、総 このような生産性楕差の拡大は、かつてはむしろ多様 八四%がオリー 面稜に占める割合は二二・三%にすぎない。他方、五〇 ^22︶ ブ油用の低位品 〇㎞以上の経営規模をもつ二・三%︵一九七二年、四・ に大きな影響を ころでは、労働 〇∼二、八○○㎏であるのに対して、シエラ・モレナは ^刎︺ 五〇〇∼八○○㎏で約三分の一にすぎない。 レナ地域のよう − 種の栽培に留ま 695 5.2 17 402 100.0 % より作戒。 Ce皿昌o Agmエio do E昌pa舶痂o1962y1972,SevIHa. 資料: 21 2.9 734 100.0 (/j¥ 4.9 19 % 1972 1962 1972 2.2 10- 19 20- 29 30- 49 (/ j¥ 36 99 5070- 69 ha 1962 二%︶が借地胃篶目3ま昌ざに、一二%︵O・八%︶ 働カを必要としている。①と②のいわゆるラティフンデ れる。労働カは家族労働を主体とし、一−二人の雇用労 をみると自作地が多いが、中には借地形態のものもみら ○1二〇〇頭の羊、六〇1一〇〇頭α山羊、五〇頭前後 の数値︶。農業センサスは、農家の経営規模別に統計を が小作地岩胃8まに属している︵括弧内は一九七二年 オリーブ耕作に生産の基礎をおいている。農地所有形態 ないが、自作地の高い割合は、所有形態別にみても、一 オリーブ耕作に生産の基礎をおいている。④五〇㎞前後 て二つの類型を指摘しうる。⑧八○㎞前後の経営農家。 ィオに対して、自立的農業経営が成立する限界をめぐっ 部農家へ農地が著しく集積していることを裏づけている。 の経営農家。オリーブ耕作、五−一〇頭の乳牛飼育によ る生乳生産、三〇−六〇頭の羊、一〇1二〇頭の豚の飼 育という複合的経営を行っており、農地所有形態は多様 である。 以上の経営農家。粗放的な農地利用で牧畜に基礎をおき、 ^刎︺ な農家類型をみると以下のようになる。①農地五〇〇㎞ 経営体の圧倒的犬多数が、自立的な農業経営を行うため ^%︶ の生産基盤を欠いていることになる。五〇㎞以下の経営 よって特徴づけられ、五〇㎞を基軸とした場合には、農業 葦;皇oと零細農経営冒巨︷冒goへσ顕著な両極分解に 以上のことから、カサージャの農業は、大農経営一㌣ 六〇−一〇〇頭の牛、七〇01一、OO○頭の羊、一〇 規模を細分化してみると、九㎞以下が、一九六二年に は三三・八%、一九七二年には三九・六%を占め、、、、二 〇1二〇〇頭の山羊、一五01二〇〇頭の豚の飼育を行 農地三〇〇㎞前後の経営農家。一。○−二〇頭の牛、一五 なっている。雇用労働カは常雇五人位を必要とする。② 経営規模別の経営内容の特徴から、この地域の代表的 体の六二%、総農地面横の九%を占めるのに対し、五〇 ^響 ○㎞以上は、それぞれ七%、四五%となっている。 モレナ地域全体をみると五〇㎞以下の農地所有者数は全 土地台帳O黒鶉茸O宗射饒峯Sを利用して、シエラ. ︵八二・九%︶が自作地肩o官&邑に、一八.五%︵ニハ. の豚の飼育というような牧畜経営とともに、約三割は、 集計しているため、所有形態別の農家の階層性を知りえ 四%︶の農家が、三六・二%の農地を尊有している。農 第五号(128) 地を所有形態別にみると、一九六二年には、七七.六% 第八十八巻 一橋諭叢 696 (129) アンダルシア地方における人口流出 フンディオの零細性が一層明白に示される。これらのミ ・︸ 関係をみると、シェラ・モレナ地域では、年間供給量︵三、 なるものかが最も重要な問題となる。近年、他地域にお の農業労働者にとっては、この地域の労働カ市揚がい加 前述のように、自立的経済基盤を欠いた零紬農と多く 歴史 的 実 証 的 分 析 は 未 だ 手 が つ け ら れ て い な い 。 カサージャをはじめとしてシエラ・モレナ地域に関する シアのラティフンディスモ一凹婁冒畠蜆目oの形成過程に 茅︺ ついては優れた研究業繍が数多く生み出されているが、 り、歴史的に農業問題の根幹を形成してきた。アンダル カサージャのみでなく、アンダルシアに固有なものであ 産手段の不平等な所有に規定された特徴的な農業構造は、 ていることは改めて指摘するまでもない。このような生 労働者の存在を前提として、ラティフンディオが成立し これらの大きな割合を上]めるミニフンディスタスと農業 五・二%と全体の約四分の一に達していることである。 は経営農地を持たない経営体︵例外規定農家︶が、二 結果が得られる。一九六二−七二年の間に、農地をもつ ろで指摘した通りであるが、農業センサスからも同様の う。その例証は、既に前章の流出人。口の社会階層のとこ 惹き起した基本的プッシュ要因として作用したといえよ 存在形態が、一九六〇年代後半以降の急速な人口流出を 幹産業の農業都門内における生産関係およぴ労働カの ⇔人口流出。H、⇔で記したように、カサージャの基 しい不均衡が、結果としてこの地域の農業部門内に、常 的変動に特徴づけられている。労働力需給関係のこの著 る。他地域ほどではないにしても労働カの供給は、季節 五月にビークが現われ、三、四、七月は谷間となってい の収穫時である十−十二月と、耕種部門の収穫時である %︶。年間の農業都門の労働カ分布をみると、オリーブ ない︵一−三月三八%、四−六月四七%、七−九月三七 ず、供給量の多い十−十二月でも五三%を満たすにすぎ 六七四︶は、需要量︵八、四〇二︶の四四%にしか達せ けるような建設業あるいは第三次産業部門での雇用機会 総農業経営体数およぴ例外規定農業経営体数の激滅︵各 ニ7−ンディオに加えて注目を要するのは、一九六二年に ^26︺ の創出もみられず、伝統的に農業部門内に余剰労働カを 々五四九から三七八八、一八五から二四︶と農地二〇㎞ に失業・潜在的失業状態で労働カを滞留させてきた。 ^28︺ 吸収せざるをえない。しかし、農業都門内の労働カ需給 697 げられるのも、またこの地域の発展にとって何が最も必 位の理由が、まずこの地域に雇用の機会がないことがあ ^”︶ 合員の流出も同様のことを象徴している。流出する第一 居住地およぴ社会階層を一九七九年を事例にみると︵住 に、外都企業による農地取得がみられる。農地取得者の 以降近年にかけて多くみられる。④一九七六年と七九年 である。③プエブロ内の家匿の所有権移動は一九七四年 地片の移動の割合が高い。ミニフンディオの農地の移動 は一九六〇年代前半と一九七三年以降︵一九七五年を除 要かという問いに対する回答が、雇用機会の創出といわ られるガレオンΩ邑ω昌地区の農業組合の消滅と、組 エブロに近い、いわゆるルエドス昌&易といわれる小 民台帳と照合︶、カサージャに居住する件数五二、カサ 下の諸点を指摘できる。①農地の所有権移動のほとんど 所有権移動の資料を統計的に整理すると︵表3参照︶、以 九年までの農地とプエブロ内の家屋についての不動産の 築積がみられるかについての分析である。一九六〇1七 層が土地を獲得しているかあるいは特定の階層に土地の のようになっているのか、すなわち、どのような社会階 いのは、人口流出に伴って不動産とくに農地の移動はど. 諸側面について纏めてみたい。従来の研究でその例がな 急激な人口流出が、カサージャの社会に与えた影響の 得がカサージャでもみられるようになったことと関連し 段としての土地敢得というよりも土地投機の目的での取 流動性の目珊まりは、農業危機の深刻化につれて、生産手 連づけることの困難性を示している。一九七三年以降の 以上の結果は、不動産の流動を人口流出と直接的に関 無職ニハ、学生一となっている。 者一一、左官、大工、バン屋、商業、サーピス業各一、 二、ホワイトカラ⊥一、農民四、農業労働者一一、企業 なっている。カサージャ居住者の職業をみると、公務員 ーラ、グアダルカナル、マグダレーナ︶、その他一八と ージャ以外は四︵コルドバ、ヘレス・デニフ・フロンテ の件数が相続よりも売買によっている。②農地について 四 人口流出とその影響 く︶の移動件数が多いが、その内容をみると前者は、プ れるのも、前記の仮定を実証している。 未満の経営体の相対的に高い減少は、零細経営層からの 第五号 (130) 流出が多いことを反映している。また、唯一の廃屋のみ 第八十八巻 一橘論撞 698 (13ユ) アンダルシア地方における人口流出 表3 Caza11a de la Siemaにおける不動産の所有権移動(1960−1979) 移転 農 耕地片数 年 1960 5 61 14 62 68 63 8 売却人数 面 積 6ア.15 66.85 1,874.19(6)’〕 5 9 36 44 18 2ユ5.91 12 27 η9.49 15 4 1970 13 71 72 6 6 73 28 数 (プエプロ内) 8 1(3p)2) 4 1(1p) 1O ユ4 ユ3 9 7 8 2 1 3 4 397.68 95ア.44(2) ユ4 69 星 ユ6 7 1 9 68 粕続件数 5 5 110.32 64 67 購入人数 5 9 1965 66 家. 地 50.50 444.51 73.22(1) 211.45 1,259−53(3) 74 22 1975 4 76 28 ユ59.32(14) η 78 ユ7 39.53(6) 334.84(3) 3 8 4 1 3 4 16 15 7 7 14 23 9 4 4 604.03 79 29 2(14p) 1(4p) 11 4 12 5(10p) 31 8 ユ2 2(2p) 39 729.92 20 17 1(8p) 14 ユ2 86 74 注1)耕地片p肚㏄laの一部であるため面積が不明の耕地片数。 ている。外部からの土地取得はその 代表例である。カサージャ居住の土 地取得者をみても、農業以外の社会 階層に属する割合が高く、同様の傾 向を一面で示している。しかしこの 傾向は、アンダルシアの農村におい て歴史的に現在に到るまで観察しう る現象であると指摘されている。農 ^30︺ 村社会における中産階層の土地集積 の事例である。他方で、農民、農業 労働者による取得もかなりみられる ことも注目すぺきであろう。 プヱブロにおける家屋の所有権移 動の代表的な例は、夏季あるいは週 末の別荘としての取得であるが、シ エラ・モレナの観光地としての開発 は、アンダルシア南都のシェラ・ベ ティカほどには進んでいない。とく 699 にカサージャの場合は、夏季に上水 遺の給水制隈があり、避暑地として 2)耕地片の数 − の観光開発の障害となっている。セピリア市に流出した が二二・四%から九・O%へと、激減しているのが目につ パクトは、人口構成・の変化にみられる。年齢階層別にみ 第二に、人口流出による人口減少が与え次大きなイン をみると、人件費の増大がとくに顕著で、逆に各種行政 び三六・一%から四七・九%へと増加している。支出構造 の補助金割合が、各々二二・九%から三六・六%へ、およ く。関接税も二一・七%から二・二%へと同じ低下傾向を ると、人口構成の老齢化傾向は顕著で、六〇歳以上の年 サーピス支出が低下しているのが特徴的である。このよ 示している。反対に、外部財源依存率およぴ他機関から 齢階層は、一九六〇年の二一・六%から一九七五年の一. うな自主財源率の減少による財政的自治能力の低下は、 の人口数はかなり増大する。 九・八%に上昇している。他方、一〇歳以下の幼年人口 フランコ体制以降の新たな政治状況の中で、主要な争点 人口のセカンド・ハウスに残されている侃も多く、夏季 の割合は二八・九%からニハ・一%へ減少している。経年 入れなけれぱならないが、一九六〇年の一九九から七九 が多く、セビリアで洗礼を受ける例が多いことを考慮に 変化は、ヨーロヅバ先進工業諸国の移民労働に対する門 ふれておきたい。石油シ冒ヅク以降の国際的経済環境の 最後に、近年の経済環境の変化に関連して人口移動に o 、つ ’ 年の八二と半減しており、同様の結果を示している。青 戸を狭めてきた。同様に、スペイン国内においても、国 ことができない人口を滞留させている。カサージャでも、 内先進地域の経済停滞が、農村部に国内的にも移動する 第三に、カサージャのムニシビオの財政基盤と人口流 のセビリア県における部門別失業率をみると、建設業が ^31︺ がみられるのは近年にない傾向といわれる。一九七九年 調査時の一九八一年ほどオリーブ収穫時に多くの労働者 と、まず第一に、財政収入において直接税のためる割合 い。同様に、一九六〇年と七五年の財政構造を比較する 出・減少との関連をみると、その影響は少なからず大き ている。 壮年層の流出は、人口の再生産構造に大きな影響を与え って代替させると、近年ではセピリア市で出産すること となっている﹁地方自治﹂の確立にとっても問題となろ 第五号 (132) の出生数が得られないので教会洗礼簿による洗礼数によ 第八十八巻 一橋論叢 700 (133)アンダルシア地方における人口流出 業一八・二%、農業二二・五%となっているが、カサージ 第一位で三二・九%を占め、サービス業二三・三%、工 程でのカサージャの位置づけを明らかにするという点で 年代の高度経済成長に伴う経済地域の空間的再編成の過 映している。 部地域とセビリア県西部で、これら地域の経済構造を反 都門が第一位を占めるムニシビオは、シエラ・モレナ北 二〇.一%がこれに次いで高い割合を示している。農業 外部から課される諸条件によって規定されるだけでなく、 している。隈界地化の過程すなわちペリフェリー化は、 産条件の悪化が一層隈界地化を促進している状況に対応 なオリープのモノカルチュァの隈界地に位置し、その生 面している農業部門の中で、カサージャが、さらに深刻 有効性をもつ。具体的には、一般に、危機的な間題に直 一九七〇年代後半以降、国内における失業人口率の増 カサージャ内部の要因すなわち生産性向上のための農業 ャは、農業部門が五九・五%と圧倒的に高く、建設業の 加に伴い、スペインの国内人口移動も新たな局面を迎え 資本投下の欠如など内都からのペリ7エリー化の助長と 化させた要因は、低位な生産カに特徴づけられる農業生 出過程を加速化させたことがより重要である。その加遠 れたものであるが、この地域に固有な農業構造がその流 九六〇年代のスペイン経済の高度成長によって惹き起さ カサージャ・デニフ・シェラの急遠な人口流出は、一 た。人口流出は、ペリフェリー化の過程で生みだされる フェリー化の実態のいくつかについては既に前章に記し スタス軍巨邑奉豊を頂点とする生産関係である。ペリ 有構造に規定された不在地主化しているラティフンディ であろう。カサージャについて具体的にみれぱ、土地所 維持している内部の要因の分析をも含むという点が重要 ている。 いう問題をもっている。ペリフェリー化の概念は、単に 産基盤と分極的な土地所有構造であったことは既に分析 空間的側面の分析だけでなく、そのような構造を形成し した通りである。このような人口流出を把握する分析的 であるといえよう。このような議論に対して、それでは ぴ ものであり、また同時にペリフェリー化を促進するもの 結 枠組として﹁ペリフェリー化﹂という概念は、一九六〇 701 五 第五号 (134) 第八十八巻 一橘論叢 ︵1︶ Ω胃oポ固彗げ彗99>1︵−竃o︶卜s,oミ§軌§﹄ミs るテーマであるが、今後の研究課題としたい。 各々の地域社会においていかに再編されたのか関心のあ かという疑問、すなわち、むしろ過剰人口の流出により .逆にカサージャにとっての適正人口規模はいかなるもの むしろ適正規模に近づいているのではないかという疑問 “§§H鶉=言8忌Uo窒H冒昌o夷他o日︸o量−一d目才撃眈巨邑ま 智o§雪、oミ§§&s、雨︸ミミミぎ田彗8−昌里一−等p 8旨o向8目oヨざ9−墨勺1+H印一︺−鶉竃一b︷怠ミ竃sき蜆ミ・ ざミ§軋婁§ −oop峯曽oH−♀ε3一H島饒言8 ρo Uo蜆胃− る。卜S︸§暗、SOざミ鶉︷ミ“ミ︸Oミ︸葛㌔Sきざ3向︸§きOOミ§辻︸− ︵4︶Ω胃oζ尉彗げ臼9庁9>・の一連の研究が代表的であ る。 までの研究状況を紹介し、詳紬な巨セ一〇唱まぎをのせてい ︵田胃8−o墨︶一H一昌⋮ピ勺勺.ミー−2・一九六〇年代前半 轟q昌$ぎ富ユ實轟彗向蜆層詩一亀§室sき9o雫慧邊 ︵3︶ O芭勺〇一曽’︵H0ひoo︶ ■o蜆血蜆芹自o︷o蜆凹o^wHop︷o−顯岨目巳o百. ︵2︶曇戸﹂§ミぎ史§§︸§P黒垣員>ま二漂H1Hξo・ ①量目閏opH里巨嘗No。︸s. が提示されるかも知れない。しかし、人口流出は選択的 であり、不均衡な人口構成に結果するような流出は、地 域社会にとって適正な人口構成とはいえないであろう。 カサージャの例でも明らかである。 最後に、本稿の主題が、一九六〇年以降の人口流出で あったため、これまで充分展開されなかった近年の杜会 変化についてふれておきたい。カサージャの近年の社会 変化は、人口流出が及ぼすインバクトのみでなく、ひろ く、都市的生活様式の浸透あるいは一九七五年以降のス ベイン政治の変化と深く関連している。カサージャにお いてこの変化を象徴するのは、新たな階層からの村長の 峯邑ユ戸旨一や 2串夢ポ言﹃鴇︵岩g︶卜s言ミ§まミ“︸・ >ユ♀ざ着﹂z目︵岩g︶ミ蒔§まぎ、芝﹃§ミ§、祭︷§臭 ω里−自㎝饒胆目OO色O閏目−Oo ︵−o,o︶﹂ミ“ミ之︸匙雨、Sもoミs、臥ミ 、§oミo猪ざk、トs××一団嘗H8−昌戸>ユ♀oo8や 出現であろう。初めての地方選挙の実施により選出され た地方議会議員の互選で選ばれた首長は、カサージャの 動については、O宵N05勺跨9一−o器︵岩ooo︶旨血目冨−ぢ凹︷ 吊彗ぎ豊亘曽阜勺.本稿と関連するアンダルシアの人口移 ミoミ§㌣ミs§蒔§“ミ軌ε、o豪sミ§込§3&呉峯poH童一 き向魯§や峯邑H員>ユ色一H竃勺−O胃3屋蜆;R巳︵Ho葛︶ 唯一の代表的工業であるアニスの醸造工場の労働組合出 壼︺ 身である。弱冠三〇代前半の村長は、一九七五年以降の 政治状況の中での新しい世代と社会階層を代表している。 フランコ体制下の社会的組織が、このような状況の中で、 702 (135) アンダルシア地方における人口流出 札. , 夢巨義一尋募ぎ向魯§昌、sきミ§翁§︸§婁吻o。ミ章 §ミ§9喜。ドぎ§・ミ皐雨§§き§、§き昏 §ミ思O翁§きき“§§、§§§ωミし−邑ま一塁一1 ↓g邑宗昌員箒与.忠・竃冒竃一く︵岩ま︶皮“§︸ミ・ ︽峯oま昌一・彗豆二冨げ&o㌣8旨庁一〇ぎ葦o昌邑畠彗− きミこs§§§ぎきぎ、、§軋§ざ§黒ミぎH§δ曽一 目。芦電・S−㎞ω.U墨亘旨︵宕ご︶史§き軸§§− ○婁§§旨ま戸畠.H。昌g一8ξ.彗蜆曇︵岩s︶ 峯§8、き萎§ミ砧餉§ミ§§言冊冬§oト曽邑・芦 ω桓・×曽二H8.寄ま晒目昌曽胃書墨﹃︵§N︶卜・ 、§§§一§ミミ、恰。・嚢§邑軋こミミミ§翁ミミ .一.昌茎雪巨昌思−−、似昌曾註昌ま気申o丘目8まω才昌〇 宗青冒き一声g寮5q。ξ■︵−凄o︶■.要■尼胃 ま>5冒ま雰邑Pa3.ω曾彗一旨︵岩S︶更 吻ミ、葭S︷亀軋軸昂oS“き 葛“寒匙札o㎞ 恥軸o昧、恩ooク 崔映5帽P Oム顯 N一㎞与. ・ 焦§o§§“§㌧邑ミ§札亀9軋§ミ:田實邑o;一ξ邑一 一、o﹃蜆−.①ヰH顯目o司0HO①O①−oαo與−0Ng〇一岩‘尉一ω一■oωo“ と共−冒由昌き篶少宝o.Ω冨電・さ]︺彗己p︵s富︶べ・ ると、最も高い県はピスカヤの二〇一・二千ペセタで、マ ︵7︶ 一■九七五年の一人当り県民所得を指標に地域格差をみ §ぎ目§き“§§§富§雪§まミき§ぎ向ミss峯邑・員 豪昌員ミ3・震亭算一呂.︵Ho葛︶、ミ§、崔ミ§ き雪﹄ミ芝ミ§一−冨巨けεo忌U窃實〇一−o夷遇o畠一 て、低い県は、カセレスの八五・九千ペセ.タを筆頭に、ル ドリヅド、ギプスコア、バルセロナと続いているのに対し ーゴ、バダホス、ハェンと続いている。ピスカヤとカセレ d自才彗己註まω望自顯一主ε1内邑9Ω1︸ρωo彗一鶉 黒蜆姜邑畠ま昌二量鶉碁aop﹂§膏︸きいsミ曇・ ︵岩gI$︶■o岨オき&邑o・霊彗麸ξ8m竃≧o昌竃一串一 ス間は二・三四倍の格差がある。全国平均を上回る県は一 五県で、中でもマドリッド、バルセロナ周辺四県、バスク ︷−“電﹂s−崖o・5墨ω彗oぎ・p︵岩ミ︶旨§的− §きミ§§ミ§..﹄§ざ注、“芝ぎ§軋婁一峯邑・員向宇 三県とその周辺三県が高く、他方、全国平均七〇%以下の 造と人口流出﹂一橋論叢 七二巻六号 ﹂九七四。 穿星蜆一言﹃昌︵岩葛︶一拙稿﹁スペイン南部における農業構 ている。︵4︶O顯H0討困閏ユ︺嘗コo︼一〇一>.︵H岨No︶一ラHωoo.O葭﹃− 占めている一後者の諸県が人口流出の著しい地域に相当し ェンカ、バダホス、アピラ、サモラ、ルーゴ、オレンセが 県は一二県に達し、東アンダルシア四県、アルバセテ、ク o−o眉餉まHoHH98oo、注︵6︶参照。 §ミきぎさ§き葦く〇一IHくー旨O司冨〇一昌9巨O﹃一〇曇一 ︵5︶舅向︵岩ミ︶婁§§軋二言言ミ§ざ、sぎこミ、− 昌老q易︸嚢員邑o二0No﹁員弓ζ− ︵6︶■ξ竃O昌毒oy>.︵−竃企︶■§膏§き一ミ意雨軋ミ 、盲軋さ.雨曇、ミざ§ざ9§盲ぎき盲Oミきざ昏・− 邑o逼苧具sN一やト自毛⑦霊o事向.︵岩墓︶臭一ミ§・ 703 ■ 第五号 (136) 第八十八巻 橋論叢 ︵〃︶雰昌芦峯.−>.︵岩3︶5、§¥s盲・ぎミミs§ 岩;く彗訂ま彗︷畠潟冨H一富しξp ○ぎまω睾嘗p冒叩まσ自〇一ま彗宅$o邑旨o葦一く畠く 募ミぎ皆皮盲替︺;一含言婁§§あき﹃ミ・自§ミ一峯苧 ざミ室・§﹄ミ耐§ぎ恥ぎ§一峯邑・員冒膏互勺o﹂箒 ︵8︶峯邑o“句.︵畠嵩︶皇oo︸§ミざ篶o雫§§圭§∼室ぎ. ︵9︶髪童一−昌a︵岩ご︶向、、§§きぎぎSぎま芒 旨♀ごき−叩−電.N等ーミo1 住している人々の双方を意味し、その場所というoo昌、 ︵10︶ プエブロという言葉は、場所旦凹8とその場所に居 ︵20︶Ω昌喀向.宍ト︵H湯o︶卜§富巽︸§§萎§き“§§ ︵19︶︵〃︶甲畠oI 巨庁目H卑勺胃貝署O−m.Nもや 吻§§雨−崇言§棄きO“軸亀きO§“§§ぎHま蜆OO.尋岸 ︵18︶]︶量貝声︵岩ミ︶卜婁§ミ一棄ミ餉きざ、§ぎ軸き 目自邑身に対する強い帰属感が示されている。虫ま−射ξo易一 lH00H一 −>.は、このようなコンバクトなムラヘの居住願望が、 ○自庄く0HoP>一︵−oooo︶へCs“、s㎞sSミ良o、ざ昌、∼一〇邑く雪− 峯邑ユ戸彗目艮邑Oま>OqH−O邑ε員毫.墨H−旨ω’■毛S ぎ§冬ミ§■怠§§崖−“1畠貞籟彗8−o冨一芹邑一や 中央およぴ南スペインの社会構造を決定している重要な要 宗“勺Ls 因の一つで、しぱしぱ指摘されるこれら地域の地方的な ○自岸自Hp㌣気O﹃oq寧目守嘗9o目mユ目oざ邑︵Hoα阜︶−O雨ミき ﹄昧・ ︵22︶舅■昌8一きo墨ま目o昌色;昌艮邑oま>管− ︵21︶︵20︶Ω昌唱向−男.>’勺−H言1 ○品o串萎しξ− ︵ 器 9 & . ︶ 一 電 1 α 1 o ・ ;きき向魯§§§oH8∼一昌邑o昌畠雫o色昌邑o竃。芦 ㎜δ邑急9彗邑p−豪や ︵u︶ 人口の自然増加率を考慮して算出される人口数との差 ω望旨psや;蜆目o︵岩ご︶o§き﹄巽ミざき■︸言§ 唱洋ユo雰冨の強い感憎に対応しているとしている。H5 によって代替。 §o岩sω署旨p器ユo>︸軍 尋毛τ・;ぎ穿胃P9一S。日9ま①d邑く婁ξ・片O巨− ︵12︶︵5︶電.;1芦 ︵14︶︵4︶∪量貝峯9内〇一〇αoξ一向’︵−凄o︶〇二1−ω. 串oi昌邑ま−曇目奉o﹃6ま>oqま巳巨﹃pω薯一一−p妃−旨 ︵23︶旨・旨肉自貝︸.9§§§、ざ竃ぎ念ミ§峯ミ專 き吻§ミ畠︸寒ミ§註ミ︷.o§舅冒戸冒亙ρま昌 ︵H︶︵4︶]︶轟貝芦︵H署ω︶一電・おー葦 ︵15︶留邑昌ま向目官8し︶o厨凹ま目埠oく一昌邑ま一彗. 9墨自ρま旨2o買胆での経営規模別経営内容についての ︵24︶ 向■↑o自巴o■Oo 岨①Hく−9o創①>oロユo自岸自﹃∼ Oo∋ρ昌顯Oo 目崩↑oユOO①H﹃竺︺&90自顯O﹃o向卑凹α詠弍oOOo峯−o司H凹9o自o蜆 ︵16︶忌一晶邑9ま−竃目華血H一〇ま>管ε言員甲睾ぎ− H算邑冒茸−ξ“s葛一;葛−邑昌81 704 聞きとり結果は一一九員左上段に示す通りである。 ︵25︶ 農地五〇㎞は、この地域で一家族が複合的農業経営を 所有する経営体Lと定義している。︵22︶昌o;S一〇、 ぎ婁ミ§ざ§§§o§ざ亀︸帥§ぎ“き﹄ミ匙ミ§ぎ一旨β睾竃一 ︵岩ご︶史雨急ミ︸ミミ餉§o﹄雫ミぎ︸oミ富§−ミ8吻oミ雨 ︵η︶ 代表的なものをあげると田o;顯邑Oまむ巳890. く目H. を必要とする。 向皇9昌鶉ま5射o色ωぎooH量σ&9ωaや籟o追竃 昧、昌こ貝ΩH胆自脾ρP>−官σ①−︵−鵯N0︶−−o①〇一〇里﹃ユO目i∼聖蜆o嘗− 峯彗篶卜﹄.6葛㌧s§ぎo︸ミ向吻§§富きΩ軸余、亀畠﹄− ︵岩竃︶卜富、ミs§§望§雨ミ■善s高や困胃8Ho目p>H−♀ 50 41 29 70 50.0 - 149.9 25 25 50 16 16 12 12 211 412 150.0 - 299.9 f 18S Ar:, : Ji k*一峯巨訂箒ユo宗>岬ユo己g量一sNo.呂顯■;−H自饒o目 ︵岩葛︶向“ぎ“言sきp、、急札雨§軋︸軸善ミ§ざミ秦*﹃トトト −顯O凹竃まくo量お篶ド旬竃lH旨−峯拭自巴>津o5︸98m ミ竃&曳冊§§“§旬婁−雨−﹄s軋ミs包♪ 勺邑︺=o彗⋮o目窃oo 畠与.■o;g一峯.−>’g凹−.︵乞ミ︶9婁黒帖き§札ミsミ雷 まミ§、“§ミg暮余§、︸§ss§、§葛一ω竃8−o目p>ユo−一 まOや団耐∋巳一旨拭鶉−−>1︵岩ミ︶卜昌帖§盲辻昌匙き、S 筈sぎ一〇ミ恕婁呉§雨9ミ“ミミ一く巴od邑き邑ξ勺﹃①揮 目.︵岩ぎ︶﹄雫ミぎ註.弟害ミ;昌嵩軋、§竃這完§o、ミざミぎ 盲曽§p勺胃河向o.勾自&oH一︺凧ユo9含oや旨巴o庫斥貢目. 勺.曽彗ま目S>;ぎ﹃一−︵HO竃︶卜S婁ざS“まS軋き“、畠苧 ○ざミ︸§§“sぎ§ss軋ミミ§’>−敏目H顯d邑くo鶉巨o〇一3oo 以上の牛、馬、羊、山羊、豚、20羽以上の鶏、ウサギ等を 9 33 4 50 8 25 300,0-599.9 4 16 9 49 600 ha J 4 79 者の下で農業経営を行う経営体﹂と定義し、後者を﹁二頭 的・経済的単位を構成している農地を利用し、一人の経営 地を持たない農業経営体﹂を分類し、前者を﹁同一の技術 ︵26︶ 農業センサスでは﹁農地を有する農業経営体﹂と﹁農 いわれ、企業的農業として成立するためには三〇〇㎞以上 行うことによって生計を維持することのできる限界規模と “ 軋ミ§ざ§、3曳okk一㌧呂吊s︵着ミーξ§︶一吻§§s︵;き ︷o■彗凹︵岩葛︶卜§ぎ㎞o︸、ミ§︸§§、雷ぎ富§ざ﹂s− 705 83 むOラ冒竃ま−峯O量一−︵岩ミ︶葭ミミざ§“婁棄軋︸亨 -l 73 2.05,0l0.0- 19.9 ' 20.0- 49.9 4.8 : ! 4 C f ; l) 20 12 i 2 ha. A : * =1 L * :4 f ¥ l ^ =,__ :4 ¥ アンダルシア地方における人口流出 (137) 本稿は、一九八○年度文部省科挙研究費補助金海外学術 調査﹁地中海地域における過疎−人口珍動に伴う社会 −着亀︶一峯葭亭己一ω后−o××−一Nξo. 題番号五〇四二一五︶に基づく調査結果の一部である。 的・生活空間の再編成1﹂︵研究代表者 竹内啓一、課 カサージャ・デニ7:ソエラにおける実態調査に関連し、 ︵28︶ ︵20︶O;︸o.向.幻.>J︸勺.むωーま∼・ 雪o昌拭量oa目耐目自自凹8昌凹﹃sまぎ甘鶉冨器く畠顯目p 多大の協カをして下さったカサージャ・デニフ:ソエラの ︵29︶旨o篶冒し竃畠o︵Sミ︶ぎ“まま餉︸毒一〇曇竃富 oo目或旨;6昌簑目目嘗妃o篶目o歓彗g艘冒勺o㎝6︽向昌厨畠− た研究課題に関連し有益な助言を与えて下さったセピリア 村庁をはじめ、情報を提供して下さった多くの方々に、ま 犬学地理単教室の軍o守留gNoま老閏冨旦o農業省出先 〇一〇一80■向岩凹饒昌まぎω晶E一ρ嘗射彗目ま自ρO>鼻呂・ ︵30︶ ︵η︶︸o昌巴一峯拭冨−−>.︵]ミ企︶一甲S1昌Φ・ 弓色ooq畠向岩嘗饒o−霊一ωoo目oくぎ自oくー︵岩ミ︶一崖勺− ︵31︶ IRIDAにての入手資料。 機関の研究員H轟、峯彗“旨射目守、マルセーユ大挙地理学 ︵お茶の水女子大挙講師︶ 教室の軍o雲餉冒芦∪轟巨の各氏に御礼を申し上げます。 ︵32︶ 議会議事録はこの間の緊迫感を伝えて興味深い。国政 数に達しなかった 。 の第一党USD派の議員数は、首長選幽には一稟差で過半 r 第五号 (138) 第八十八巻 一橋論叢 706
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