Title アンダルシア地方における人口流出 : セビリアの一 - HERMES-IR

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アンダルシア地方における人口流出 : セビリアの一山村
を事例として
栗原, 尚子
一橋論叢, 88(5): 685-706
1982-11-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/12999
Right
Hitotsubashi University Repository
(117) アンダルシア地方における人口流出
栗 原
尚 子
市圏への流出となっている。その結果、この国において
進的な農村地域から、前記の先進工業地域である三大都
.バスク三県である。国内人口移動の基本的な類型は、後
し、他方社会増が著しいのは、マドリヅド、バルセロナ、
年代に人口の社会減を経験したのが、三五県で七割に達
動している。県雫o丘暮ポレベルでみると、一九六〇
^2︺
一九9四万人が市町村冒冒一〇菅oレペルで屠住地を移
一九六〇年代には三七一・九万人、一九七〇年代前半には
時期とは比肩しえない重要性をもっている︵図−参照︶。
移動は、その量的およぴ空間的拡大において、先行する
察しうる現象である。しかし、一九六〇年代以降の人口
いえ、スペイン資本主義の歴史的形成過程で一貫して観
アンダ〃ツiア地方に■おける人口流出
!セビリアの一山村を事例として1
スペインでは、一九六〇年代に注目すぺき高度経済成
長を達成した。第一次産業部門の就業人口構成比が、一
九六〇年の三九・九%から一九七〇年の二四・九%まで滅
少したのに対し、第二次産業部門は二八・七%から三七・
四%へ、第三次産業部門は三一・四%から三七・七%へ
上昇している。このような産業構造の変化は、必然的に
^1︶
就業人口の空間的配置にも急速な変化を惹起じ、国内に
おける人口移動を加速化させている。国内人口移動は、
何も一九六〇年代に始まったことではない。一九三六−
四〇年の市民戦争の前後、その傾向が一時衰退したとは
685
序
千0
60
10.0%
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.
1
■
40O
国内人口移動総数
ヨーロッパ諸国への人口移動数
フランスヘの季節移動を含めた
人
一’一一ヨーロッパ諸国への人口移動数
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1
第五号 (Lユ8)
第八十八巻
一橋論叢
図1 スペインにおける人口移動(1961−1975)
・・・…一一GNP成長率1%〕
0.O
bajo Ia Djo胞dur且F胆nq1」i;t副(1939_1975),B皿celom,La1〕or.p−74_75一
(1990)I E;Pai副
資料1 注4) c訓rdo1也畠、Jordi,pp.293−296,A皿tonio Bie彗oa昌,J,y M−Tl1i6n de Lal=a
19616263646566676869707172737475年
も、農村における急激な人口減少とそれ
に起因した従来の地域社会の変化および
大都市における過密問題の深刻化が間題
とされてきている。このような状況を背
景として、個別学問分野においても、国
内人口移動は重要なテーマの一つと位置
づけられ、近年多くの研究成果が蓄稜さ
れてきている。従来の研究は、移動の実
︵3︺
態の統計的把握に中心がおかれているが、
、 ^4︶
移動の実態を正確に把握するには、統計
資料の整備、その精確度など研究の基本
的レベルでの困難を伴っている。国立統
計局Hヨ㎝ま鼻O乞竃一〇墨−ま崇一P皇峯S㎝
H乞向が中心となって資料を整備し、一
九六一年以降は、県別に移動実数を毎年
年鑑に発表している。これは、各地方自
治体における住民登録の移動結果を集計
したものであり、従って、移動に伴って
手続きがなされた場含のみに限定されて
いるという根本的欠陥を合んでいる。ま
686
(119) アンダルシア地方における人口流出
た県レベルよりも下位の市町村レベルでの考察が不可能
という問題も含んでいる。しかしINEは、その他重要
ないくつかの資料を刊行している。例えぱ、﹃国内にお
ける人口移動﹄では、職業、世帯規襖一教育・文化水準、
︵・o︶
消費水準などの移動者を杜会階層的にとらえる指標と地
域別とのマトリヅクスをつくり、人口移動の統計的分析
に加えている。また未だ数としては久ないが・市町村レ
11,1’
一
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く・・∼ト∼\〆、
9^
幻
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賢料1 注) 図1に同』Antomo B祀昌o日s,J.y M.
肉
de Lar艘(1980)P.81
スペインに特有な地域構造すなわち著しい地域格差と関
︵7︶
連づけて国内人口移動を把握する視角であろう。その背
後には、一九六〇年代の高度経済成長政策を唱導した理
念−一九六二年の世界銀行調査団勧告書およぴ一九六
四年から七五年までの第三次にわたる﹁経済・社会発展
計画里顯目O。]︶窃彗H昌O里O昌巨OO<ωOO邑﹂に象徴さ
れる1に対する批判、すなわち経済効率優先の空間再
本稿は、このような研究成果をふまえ、顕著な人口流
編成に対する批判をしばしぱ内に含んでいる場合が多い。
調査を基
出地域であるアンダルシアの一山村カサージャ・デ・ラ
れつつあ
生み出さ
究成果も
速な人口流出の過程を跡づけた後に︵第二章︶、人口流.
することを目的としている。分析視角は、まず第一に急
スペインにおける国内人口移動の実態の一端を明らかに
.シエラO、、竺芭O。一臼望睾轟︵セビリア県︶を事例に、
る。これ
し︵第三章︶、スペインにおけるペリフェリーの中での
出を生産構造のこの地域に固有な間題と関連づけて把握
特徴は、
している
果に共通
の研究成
研究成喋にみられないものと位置づけられる。分析期間
第四章にかかわる分析視角は、スペインにおける従来の
れる問題の指摘︵第四章︶に■焦点をあてることとする。
ペリフユリーとして再編される過程、およぴそこにみら
?︺
らの多く
優れた研
礎とした
ペルでの、とくに人口流出の著しい地域での詳紬な実態
図2スペインにおける人口流出(1961一ア0)
㍉.
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口Hミ“
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、 :■
H茸キN重細欝茜斗ω灘齢阜鐵曝伽 焦薄α図塒凄・串凍婁
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第五号 (120)
第八十八巻
一橋論護
ω奮
序園・房蟻︵里顯§︶o覇ヰ蜻
巌涛 旨緊棚 く 這く唱、
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688
(121) アンダルシア地方における人口流出
は、統計的資料の制約から、主として一九六〇年から一
九七五年を対象としているが、テーマによってはそれ以
降の期間も含まれている。なお、本稿にかかわる実態調
査は、一九八一年一月に実施されたものである。
^10︶
ブロの近くの山頂に祭られている﹁山のビルヘン<テ
を意味し、強い帰属意識をもっている。守謹神は、プユ
○目昌宗一旨O鼻O﹂で、伝統的にはこのムラヘの帰属意識
の紐帯を形成してきたが、現在でも夏のフィエスタや雨
乞いの、・、サなど農祭事には山から担ぎ出され、町の中を
れており、したがって、住民の帰属意識という点からも、
練り歩くロメリアが行われている。一村一教区で構成さ
人口の推移について具体的に分析する前に、調査対象
前回の調査地イビサ島におけるよりも、一行政体を調査
二 人口の推移・移動
地域について概観しておきたい。
対象地域とすることの意味があると考えられる。
で約一時間北上したシエラ・モレナの山中にある山村で
出している人口数が多く、一九八○年人ロセンサスの結
五九人となっているが、住民台帳の原票を移動せずに流
一九七九年の総人口は、村庁の示す数値によると六、六
カサージャ.デ.ラ・シエラは、セビリア市から鉄遣
ある︵総面積三五三・五二平方キロ︶。マドースの地理
挙辞典によると、十九世紀後半は、南隣のエル・ペドロ
^8︶
果は、一九七九年とは不連続的により少ない数値を示す
八五七年の第一回センサス以降上昇を続けた人口は、一
だろうことが予測されている。風4に明白なように、一
ソ自霊串o,oとの境にある鉄鉱山から産出する鉄鉱業
が最も重要な産業であったことが記されている︵一八八
七−一八八八年に閉山︶。現在は、オリーブ栽培と牧畜
^9︺
と同様に、プエブロ召〇一U一〇と一般的に呼称される申心
カサージャの居住形態は、アンダルシアの他の農山村
九六〇−七〇年間にセビリァ県が全体で七・五%の増加
三五%に達している。このような急遠な人口減少は、一
の減少はとくに著しい。一九六五−七〇年間の減少率は
九五〇年をピークに急速に減少し始め、一九六五年以降
集落、町に人口の八三%︵一九七〇年︶が集住している。
率を示しているのに対して、シエラ・モレナ山中のムニ
に基礎をおく農業以外みるべき産業はない。
住民の地理的知覚は、カサージャというとこのプエブロ
689
‘
人oo
という局住空間の再編を指摘できる。
からも明らかである︵県平均一六・八伽︶。
人口流出の実態に関しては、資料保管の不備から一九
シビオに特徴的
に現われている、
しか得られず、調査対象期間全体の傾向をみるには限界
六一−六三年のみの住民台帳移動田里盲勺邑H昌の結果
があるが、一九六五年以降の急速な人口移動が始まる以
カサージャは鉱
前の状況を知る端緒とはなりえる。なお、調査数は一九
業開発に特化し
ン・テ・ラ.フ
ているアルマデ
六一−六五年の推定移動総数の約五〇%に相当する。結
^11︺
“ “
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果を纏めた表1より以下の諸点を特色として指摘できよ
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o①−印﹃−ρ“曹の
■ .
ラタ >−冒9oo■
シニラ・モレナ
四三%とともに、
の中でも高い滅
少率を記録して
いる。他方、セ
ビリァ市周辺町
村の人口増加率
一九六〇年代に、
中核都市域圏への人口集中と経済的隈界地域の人口減少
は顕著で、セビリア県レペルでみても
(1860−1975)
カサージャの急速な人口減少が人口流出に由来するも
園㎜
●
40 59% SE': Seville
ok
1〔
50
0
CA: Cazalla de la Sierra
-
lO−19%
図4 Cazal1乱de1a Siemにおける人口推移
のであることは、自然増加率が七・三伽に寺ぎないこと
図5 セピリア県の人口流出率(1961−70)
1020304050607075年
1860
77 87 1900
』
5,OOO
J:
20-39c/
60 6
lo
9%以下
10 “
第五号 (122)
第八十八巻
一橋論叢
690
(123) アンダルシア地方における人口流出
166
6 6
1 ’⊥
3 2
カ労人
一働ロ
33
ワ 就
イ事業
ホ家
非
4 1
11
3 E]
10
その他
土つo
H移動形態。家族形態での流出が、移動件数全体
の三〇%であるのに対して、一五∼三九歳の独身者
の単身移動が五三%を占めており、人口流出初期の
段階の特色を示している。因に、近年︵一九七一−
七五年︶について、移動人口を世帯構成員規模別に
みると、アンダルシアは他の地域に比して、五人以
上の世帯の割合が高いという結果がでている︵スペ
^12︶
イン平均二二%に対し四〇%︶。
H転出先。バルセロナが全体の六一%に達し、次
位のセビリア市の一五%をはるかに陵駕している。
一九六三年のセビリア県全体でみても、バルセロナ
で二位となっている。一九七〇年代に入ると、。バル
が全体の六八二%を占め、マドリッドが七・三%
£︶
セロナの割合が次第に減少し、ラス・パルマス、バ
レアレスの比率が増大してくるが、その割合は未だ
圧倒的に大きく伝統的にアンダルシアからの移動人
一口の流出先は、バルセロナであることを示している。
移動が、初期の段階から直接的に大都市圏へ向かう
類型が地方都市1ここではセビリア市1を経由
691
件数の揺弧内は家族形態ての流出致。2)非蹴棄人口の家班はほとんどが主婦。
注 1)
16
3
8
55
16
1
51
33
15
転出先(件)
Barce1ona
35
29
不 明
Seve】1a
4ア
19
4
7
2
19
10
1
3
60…69
70歳以上
7
5
9
Madrid
51 ユOフ
14
50〕59
35
20
家 事
学 生
幼 児
年齢生活者
10
40}49
4 3
91
29
19
6
4
5
0
19
1
3 1
年齢構成
52
5
9
9歳以下
20
6
2
9
2
30−39
“
84(25)
ラ
39
54(15)
ト
21
25(8)
S
20川29
1963
件 数
19
15
1962
職業構成
就業人口
26
12
10
職 人
農 業
農業労働者
10}19
1961
1963
1962
1961
Cazalla de la Sierra
表1流出人口の社会的特徴
資料1 B皿]皿p日droll.1961−1963。田n Ca1alla do l^Slen=o.
第五号 (124)
第八十八巻
一橋論叢
して移動するステヅプ移動の類型よりも卓越していると
合を占め、国際的人口流出の母体を成しているのに対し、
口流出とこの地域の農業構造との関連を示しており、次
推定される。農業労働者の割合の減少が顕著である。人
は、一九六〇年と七五年の就業人口の職業構成をみても
いる。農業労働者階層が、人口流出の主柱であったこと
%を占め圧倒的に多く、職人、ホ.ワイトカラーと続いて
流出人口の社会階層をみると、錘業労働者が全体の六四
目流出人口の社会階層。就業人口の職業構成によって
ある。しかし、基本的傾向に大きな変化はないことから
はこれまでの分析と期間的に対応させることは不可能で
リア県の一九七七−七九年に関するものであり、厳密に
季節的人口移動について今回入手できた資料は、セビ
している。
られ、社会的にも地域的にも選択的であったことを反映
を示している。国際的人口移動は先進的地域に顕著にみ
じょうに少なく、国内人口移動の傾向とは対照的な結果
シェラ・モレナ地域は、他地域と比較してもその数がひ
章で展開する課題である。もう一つ注目されることは、
参考として利用することは可能である。一九七九年を事
いえる。
伝統的な職人階層の流出が早いことで、加えて都市的生
最後に、国際的人口移動と季節的人口移動について付
〇年と比するとその多様性を失なっている。
東と南東部山地の地域に集中しており、シエラ.モレナ
くなっている。ムニシビオ別にみるとセビリア県印央部
三〇歳以下が六割近くを占めるが四五歳以上の割合も高
例にその特徴を概観すると次のようになる。年齢階層は
^帖v
言しておきたい。移民労働としての国外への人口流出は、
に五人を数えるにすぎない︵多いところはロス.コラー
地域からの移動は少なく、カサージャからはこの三年間
活様式の進展に伴い、一九七五年の職業構成は、一九六
スペイン全体でみると、一九六一年の三六、四九五人か
レスのように三、〇九三人に達するところもある︶。行先
ら七五年の三、八五九人と一貫して減少し、一九六五年
からすでに流出数よりも帰国数の方が上回る傾向を示し
強を占め、ナバラ、マラガ、バレアレス、バルセロナと
を県別にみると、ハエン、コルドバの二県で全体の六割
ている。セビリァ県について同様に一九六一−七六年を
気︺
みると、セビリア都市圏が全体の四六%と圧倒的高い割
692
(125) アンダルシア地方における人口流出
パレアレス、マラガヘの移動は観光シーズンと対応して
農業労働の季節的移動であることを示している。他方、
続いている。ハエン、コルドバ、ナバラの高い割合は、
の穀作物に相当︶が主要なもので、その他はいずれも非
三〇㎞︶、牧草四、五〇〇㎞︵約五分一は休閑地システム
地のオリーブが四、五〇〇㎞、穀物作七四二㎞︵灌漉地三
産の実態をみると、農地面穣九、八五五㎞のうち、非灌概
を分析し、この地域の低開発性の形成要因に焦点をあて、
が大きい。この点を解明するために、次章では農業構造
となど、この地域の主要な経済基盤である農業との関係
よび国際的・季節的人口移動が重要性をもっていないこ
しており、その流出人口の主体をなす杜会階層の特徴お
内先進地域とくにバルセロナヘ向けての流出が基本を成
以上のことから、カサージャにおける人口移動は、国
オリーブ耕作によって占められ、オリーブがこの地域の
を失っているのが特徴である。生産的な農地の犬部分は、
年進展しているのが目立つくらいで、山林が経済的価値
営は、搬出に便利なところに僅かにユーカリの植林が近
されている。土地利用はきわめて粗放的であり、林業経
を占めるが、その約三分の一は天然の牧草地として利用
地面穣は総面稜の二七・八%にしかすぎず山地が大部分
灌概地で、ブドウ八七㎞、果樹二六㎞となっている。農
^16︺
いる。
人口流出との関係の考察を試みることとする。
最も重要な商品作物となっているが、その六割強は才リ
づけられている。したがって、農業生産と土地所有の実
と分極的な土地所有に規定された生産関係によって特徴
生産基盤は農牧業である。この農牧業は、低位な生産カ
シェラ・モレナの他地域と同様、カサージャの主要な
する割合︶、カサージャは、シエラ・モレナ地域の中で
に位置しているが︵二八・七%。括孤内は農地面積に対
︵四三・一%︶などに高く、シエラ・モレナ地域は中位
ペ向ω冨旧①︵六一・七%︶、エル・アルファラヘ里≧︷胃邑Φ
ルチャーはセピリア県の農業地帯区分でみることエステ
ーブ油用の低位品質で生産性は低い。オリーブのモノカ
態分析からこの地域の農業構造を明らかにしたい。
はとくに高い割合を示している。カサージャにおけるオ
三 農業構造
⇔農業生産。一九七九年の農地の利用状況から農業生
693
第五号 (126)
第八十八巻
一橋論叢
既に十九世紀末に、その低位の品質のため、市場ではオ
このようなセビリア県におけるオリーブ耕作の拡大も、
いる。セピリア県への拡大は、歴史的に比較的新しく一
リーブ耕作の拡大は、セビリア県におけるのと対応して
八三〇年代で、アンダ〃シアを席巻したオリーブブーム
リーブ油としての価値しかもたず、コストが嵩むわりに
^ど
は収益性が低いと指摘されている。現在、消費量の頭打
の時期と一致している。オリーブ耕作拡大は、領主制経
U量巨は、セビリアでは、オリーブ耕作の拡大が、鉄遣
体制への移行を象徴するものとして注目される。声
リーブの限界生産性は、一㎞あたり平均的な平野都で
のオリーブ耕作はとくに間題が大きい。一九七八年のオ
ブ耕作の危機がさけぱれているが、シエラ・モレナ地域
ち、オリーブ油輸出の伸ぴ悩みに誘引されて、オリー
敷設と時期的に符号すると指摘しているが、カサージャ
二、五〇〇㎏、傾斜の強い山地では一、九〇〇㎏である
済に基づく旧体制から商品作物の浸透による新しい経済
・^g
が、南東に隣接するコンスタンチーナOo畠件彗ま墨と
︵一九七一−七五年平均。スペイン全国平均は、一、○
ウに代替し、後者はドラスティヅクにその重要性を消失
い。十九世紀後半以降、オリーブが商品作物としてブド
サージャでは、商品作物としてのブドウ栽培は皆無に近
ブドウ酒は重要な移出産品であった。しかし、現在、カ
ージャは、セビリア県の三大ブドウ耕作地に数えられ、
る。十九世紀半ぱには、コンスタンチーナとともにカサ
ーブの拡犬と対照的な結果をみたのは、ブドウ耕作であ
史的役割によるところが大きいといえる。またこのオリ
化しているのは、この両ムニシビオの間を通る鉄遭の歴
占める労働費の割合は、平野部よりそれぞれ八四・五%、
それぞれ三〇〇、二一七、一四二となっている。総費用に
り、また総費用に占める労働費の比率の変化をみると、
中位の傾斜度の山地では三〇五、平野部では二〇五とな
一㎞あたりの総費用は、傾斜度の強い山地では三五五、
顕著に現われている。一九五九年と七八年を比較すると、
ている。生産コストの上昇は、生産条件の不利な山地に
価な労働カによって支えられてきた生産基盤を揺るがし
労賃背同騰が、生産コストの上昇につながり、伝統的に安
○○㎏︶。とくに、一九七〇年代に入ると、農業都門での
^18︶
ともに、シエラ・モレナ地域の中でもオリーブ耕作に特
したといえる。
69壬
(127) アンダルシア地方における人口流出
表2Cazal]a de la Siem農地規模別農業経営数の変化
2.5
12
3.0
.2
15.4
200 - ・-99
16
2.2
29
7.2
300-499
17
2.3
10
2.5
46
6.3
34
8.5
500 ha
17
2.3
18
4.4
f)
602
82.0
308
76.7
132
18.2
94
6.0
1 OO - 149
159
39.6
l 50 - 199
92
23
-' t)
1.
9
62
4.2
24
33.8
9
12.5
31
25.2
1.2
185
2 48
9 ha ・ AT
J
7
18
7
4,2
七一二%と高
^20︶
い。 シエラ・モ
っている。市場における競争カは以前にまして弱体にな
り限界生産地化の過程を促進している。
機械化による代
に、一部労働の
平均が一㎞あたり二、一〇〇㎏、肥沃な平野部が二、四〇
格差が大きい。例えぱ小麦を例にとると、アンダルシア
オリーブ耕作と同様に、穀物耕作も他地域との生産性
替が不可能なと
ど生産性向上の
量品種の導入な
おいては、多収
てカサージャに
うな状況に対し
与える。このよ
階層をみると、以下のような特徴を指摘しうる。経営規
農業センサスから、経営農地規模別農家数を指標に農民
ついて考察したい。まず初めに、一九六二年と七二年の
生産諸関係を概観し、急遠な人口流出を誘引した要因に
⇔土地所有構造。土地所有の構造から、カサージャの
られていった結果の産物といえよう。
農業の資本主義的再編成の過程で限界地として位置づけ
費の上昇はとく
ための資本投下
模が五〇㎞以下の農家数の割合は、一九六二年で五六・
な経済的機会に恵まれていた山村経済が、アンダルシア
は全くなされず、
八%︵一九七二年で七〇・七%︶に達するのに対し、総
このような生産性楕差の拡大は、かつてはむしろ多様
八四%がオリー
面稜に占める割合は二二・三%にすぎない。他方、五〇
^22︶
ブ油用の低位品
〇㎞以上の経営規模をもつ二・三%︵一九七二年、四・
に大きな影響を
ころでは、労働
〇∼二、八○○㎏であるのに対して、シエラ・モレナは
^刎︺
五〇〇∼八○○㎏で約三分の一にすぎない。
レナ地域のよう
−
種の栽培に留ま
695
5.2
17
402 100.0
%
より作戒。
Ce皿昌o Agmエio do E昌pa舶痂o1962y1972,SevIHa.
資料:
21
2.9
734 100.0
(/j¥
4.9
19
%
1972
1962
1972
2.2
10- 19
20- 29
30- 49
(/ j¥
36
99
5070-
69 ha
1962
二%︶が借地胃篶目3ま昌ざに、一二%︵O・八%︶
働カを必要としている。①と②のいわゆるラティフンデ
れる。労働カは家族労働を主体とし、一−二人の雇用労
をみると自作地が多いが、中には借地形態のものもみら
○1二〇〇頭の羊、六〇1一〇〇頭α山羊、五〇頭前後
の数値︶。農業センサスは、農家の経営規模別に統計を
が小作地岩胃8まに属している︵括弧内は一九七二年
オリーブ耕作に生産の基礎をおいている。農地所有形態
ないが、自作地の高い割合は、所有形態別にみても、一
オリーブ耕作に生産の基礎をおいている。④五〇㎞前後
て二つの類型を指摘しうる。⑧八○㎞前後の経営農家。
ィオに対して、自立的農業経営が成立する限界をめぐっ
部農家へ農地が著しく集積していることを裏づけている。
の経営農家。オリーブ耕作、五−一〇頭の乳牛飼育によ
る生乳生産、三〇−六〇頭の羊、一〇1二〇頭の豚の飼
育という複合的経営を行っており、農地所有形態は多様
である。
以上の経営農家。粗放的な農地利用で牧畜に基礎をおき、
^刎︺
な農家類型をみると以下のようになる。①農地五〇〇㎞
経営体の圧倒的犬多数が、自立的な農業経営を行うため
^%︶
の生産基盤を欠いていることになる。五〇㎞以下の経営
よって特徴づけられ、五〇㎞を基軸とした場合には、農業
葦;皇oと零細農経営冒巨︷冒goへσ顕著な両極分解に
以上のことから、カサージャの農業は、大農経営一㌣
六〇−一〇〇頭の牛、七〇01一、OO○頭の羊、一〇
規模を細分化してみると、九㎞以下が、一九六二年に
は三三・八%、一九七二年には三九・六%を占め、、、、二
〇1二〇〇頭の山羊、一五01二〇〇頭の豚の飼育を行
農地三〇〇㎞前後の経営農家。一。○−二〇頭の牛、一五
なっている。雇用労働カは常雇五人位を必要とする。②
経営規模別の経営内容の特徴から、この地域の代表的
体の六二%、総農地面横の九%を占めるのに対し、五〇
^響
○㎞以上は、それぞれ七%、四五%となっている。
モレナ地域全体をみると五〇㎞以下の農地所有者数は全
土地台帳O黒鶉茸O宗射饒峯Sを利用して、シエラ.
︵八二・九%︶が自作地肩o官&邑に、一八.五%︵ニハ.
の豚の飼育というような牧畜経営とともに、約三割は、
集計しているため、所有形態別の農家の階層性を知りえ
四%︶の農家が、三六・二%の農地を尊有している。農
第五号(128)
地を所有形態別にみると、一九六二年には、七七.六%
第八十八巻
一橋諭叢
696
(129) アンダルシア地方における人口流出
フンディオの零細性が一層明白に示される。これらのミ
・︸
関係をみると、シェラ・モレナ地域では、年間供給量︵三、
なるものかが最も重要な問題となる。近年、他地域にお
の農業労働者にとっては、この地域の労働カ市揚がい加
前述のように、自立的経済基盤を欠いた零紬農と多く
歴史 的 実 証 的 分 析 は 未 だ 手 が つ け ら れ て い な い 。
カサージャをはじめとしてシエラ・モレナ地域に関する
シアのラティフンディスモ一凹婁冒畠蜆目oの形成過程に
茅︺
ついては優れた研究業繍が数多く生み出されているが、
り、歴史的に農業問題の根幹を形成してきた。アンダル
カサージャのみでなく、アンダルシアに固有なものであ
産手段の不平等な所有に規定された特徴的な農業構造は、
ていることは改めて指摘するまでもない。このような生
労働者の存在を前提として、ラティフンディオが成立し
これらの大きな割合を上]めるミニフンディスタスと農業
五・二%と全体の約四分の一に達していることである。
は経営農地を持たない経営体︵例外規定農家︶が、二
結果が得られる。一九六二−七二年の間に、農地をもつ
ろで指摘した通りであるが、農業センサスからも同様の
う。その例証は、既に前章の流出人。口の社会階層のとこ
惹き起した基本的プッシュ要因として作用したといえよ
存在形態が、一九六〇年代後半以降の急速な人口流出を
幹産業の農業都門内における生産関係およぴ労働カの
⇔人口流出。H、⇔で記したように、カサージャの基
しい不均衡が、結果としてこの地域の農業部門内に、常
的変動に特徴づけられている。労働力需給関係のこの著
る。他地域ほどではないにしても労働カの供給は、季節
五月にビークが現われ、三、四、七月は谷間となってい
の収穫時である十−十二月と、耕種部門の収穫時である
%︶。年間の農業都門の労働カ分布をみると、オリーブ
ない︵一−三月三八%、四−六月四七%、七−九月三七
ず、供給量の多い十−十二月でも五三%を満たすにすぎ
六七四︶は、需要量︵八、四〇二︶の四四%にしか達せ
けるような建設業あるいは第三次産業部門での雇用機会
総農業経営体数およぴ例外規定農業経営体数の激滅︵各
ニ7−ンディオに加えて注目を要するのは、一九六二年に
^26︺
の創出もみられず、伝統的に農業部門内に余剰労働カを
々五四九から三七八八、一八五から二四︶と農地二〇㎞
に失業・潜在的失業状態で労働カを滞留させてきた。
^28︺
吸収せざるをえない。しかし、農業都門内の労働カ需給
697
げられるのも、またこの地域の発展にとって何が最も必
位の理由が、まずこの地域に雇用の機会がないことがあ
^”︶
合員の流出も同様のことを象徴している。流出する第一
居住地およぴ社会階層を一九七九年を事例にみると︵住
に、外都企業による農地取得がみられる。農地取得者の
以降近年にかけて多くみられる。④一九七六年と七九年
である。③プエブロ内の家匿の所有権移動は一九七四年
地片の移動の割合が高い。ミニフンディオの農地の移動
は一九六〇年代前半と一九七三年以降︵一九七五年を除
要かという問いに対する回答が、雇用機会の創出といわ
られるガレオンΩ邑ω昌地区の農業組合の消滅と、組
エブロに近い、いわゆるルエドス昌&易といわれる小
民台帳と照合︶、カサージャに居住する件数五二、カサ
下の諸点を指摘できる。①農地の所有権移動のほとんど
所有権移動の資料を統計的に整理すると︵表3参照︶、以
九年までの農地とプエブロ内の家屋についての不動産の
築積がみられるかについての分析である。一九六〇1七
層が土地を獲得しているかあるいは特定の階層に土地の
のようになっているのか、すなわち、どのような社会階
いのは、人口流出に伴って不動産とくに農地の移動はど.
諸側面について纏めてみたい。従来の研究でその例がな
急激な人口流出が、カサージャの社会に与えた影響の
得がカサージャでもみられるようになったことと関連し
段としての土地敢得というよりも土地投機の目的での取
流動性の目珊まりは、農業危機の深刻化につれて、生産手
連づけることの困難性を示している。一九七三年以降の
以上の結果は、不動産の流動を人口流出と直接的に関
無職ニハ、学生一となっている。
者一一、左官、大工、バン屋、商業、サーピス業各一、
二、ホワイトカラ⊥一、農民四、農業労働者一一、企業
なっている。カサージャ居住者の職業をみると、公務員
ーラ、グアダルカナル、マグダレーナ︶、その他一八と
ージャ以外は四︵コルドバ、ヘレス・デニフ・フロンテ
の件数が相続よりも売買によっている。②農地について
四 人口流出とその影響
く︶の移動件数が多いが、その内容をみると前者は、プ
れるのも、前記の仮定を実証している。
未満の経営体の相対的に高い減少は、零細経営層からの
第五号 (130)
流出が多いことを反映している。また、唯一の廃屋のみ
第八十八巻
一橘論撞
698
(13ユ) アンダルシア地方における人口流出
表3 Caza11a de la Siemaにおける不動産の所有権移動(1960−1979)
移転
農
耕地片数
年
1960
5
61
14
62
68
63
8
売却人数
面 積
6ア.15
66.85
1,874.19(6)’〕
5
9
36
44
18
2ユ5.91
12
27
η9.49
15
4
1970
13
71
72
6
6
73
28
数
(プエプロ内)
8
1(3p)2)
4
1(1p)
1O
ユ4
ユ3
9
7
8
2
1
3
4
397.68
95ア.44(2)
ユ4
69
星
ユ6
7
1
9
68
粕続件数
5
5
110.32
64
67
購入人数
5
9
1965
66
家.
地
50.50
444.51
73.22(1)
211.45
1,259−53(3)
74
22
1975
4
76
28
ユ59.32(14)
η
78
ユ7
39.53(6)
334.84(3)
3
8
4
1
3
4
16
15
7
7
14
23
9
4
4
604.03
79
29
2(14p)
1(4p)
11
4
12
5(10p)
31
8
ユ2
2(2p)
39
729.92
20
17
1(8p)
14
ユ2
86
74
注1)耕地片p肚㏄laの一部であるため面積が不明の耕地片数。
ている。外部からの土地取得はその
代表例である。カサージャ居住の土
地取得者をみても、農業以外の社会
階層に属する割合が高く、同様の傾
向を一面で示している。しかしこの
傾向は、アンダルシアの農村におい
て歴史的に現在に到るまで観察しう
る現象であると指摘されている。農
^30︺
村社会における中産階層の土地集積
の事例である。他方で、農民、農業
労働者による取得もかなりみられる
ことも注目すぺきであろう。
プヱブロにおける家屋の所有権移
動の代表的な例は、夏季あるいは週
末の別荘としての取得であるが、シ
エラ・モレナの観光地としての開発
は、アンダルシア南都のシェラ・ベ
ティカほどには進んでいない。とく
699
にカサージャの場合は、夏季に上水
遺の給水制隈があり、避暑地として
2)耕地片の数
−
の観光開発の障害となっている。セピリア市に流出した
が二二・四%から九・O%へと、激減しているのが目につ
パクトは、人口構成・の変化にみられる。年齢階層別にみ
第二に、人口流出による人口減少が与え次大きなイン
をみると、人件費の増大がとくに顕著で、逆に各種行政
び三六・一%から四七・九%へと増加している。支出構造
の補助金割合が、各々二二・九%から三六・六%へ、およ
く。関接税も二一・七%から二・二%へと同じ低下傾向を
ると、人口構成の老齢化傾向は顕著で、六〇歳以上の年
サーピス支出が低下しているのが特徴的である。このよ
示している。反対に、外部財源依存率およぴ他機関から
齢階層は、一九六〇年の二一・六%から一九七五年の一.
うな自主財源率の減少による財政的自治能力の低下は、
の人口数はかなり増大する。
九・八%に上昇している。他方、一〇歳以下の幼年人口
フランコ体制以降の新たな政治状況の中で、主要な争点
人口のセカンド・ハウスに残されている侃も多く、夏季
の割合は二八・九%からニハ・一%へ減少している。経年
入れなけれぱならないが、一九六〇年の一九九から七九
が多く、セビリアで洗礼を受ける例が多いことを考慮に
変化は、ヨーロヅバ先進工業諸国の移民労働に対する門
ふれておきたい。石油シ冒ヅク以降の国際的経済環境の
最後に、近年の経済環境の変化に関連して人口移動に
o
、つ ’
年の八二と半減しており、同様の結果を示している。青
戸を狭めてきた。同様に、スペイン国内においても、国
ことができない人口を滞留させている。カサージャでも、
内先進地域の経済停滞が、農村部に国内的にも移動する
第三に、カサージャのムニシビオの財政基盤と人口流
のセビリア県における部門別失業率をみると、建設業が
^31︺
がみられるのは近年にない傾向といわれる。一九七九年
調査時の一九八一年ほどオリーブ収穫時に多くの労働者
と、まず第一に、財政収入において直接税のためる割合
い。同様に、一九六〇年と七五年の財政構造を比較する
出・減少との関連をみると、その影響は少なからず大き
ている。
壮年層の流出は、人口の再生産構造に大きな影響を与え
って代替させると、近年ではセピリア市で出産すること
となっている﹁地方自治﹂の確立にとっても問題となろ
第五号 (132)
の出生数が得られないので教会洗礼簿による洗礼数によ
第八十八巻
一橋論叢
700
(133)アンダルシア地方における人口流出
業一八・二%、農業二二・五%となっているが、カサージ
第一位で三二・九%を占め、サービス業二三・三%、工
程でのカサージャの位置づけを明らかにするという点で
年代の高度経済成長に伴う経済地域の空間的再編成の過
映している。
部地域とセビリア県西部で、これら地域の経済構造を反
都門が第一位を占めるムニシビオは、シエラ・モレナ北
二〇.一%がこれに次いで高い割合を示している。農業
外部から課される諸条件によって規定されるだけでなく、
している。隈界地化の過程すなわちペリフェリー化は、
産条件の悪化が一層隈界地化を促進している状況に対応
なオリープのモノカルチュァの隈界地に位置し、その生
面している農業部門の中で、カサージャが、さらに深刻
有効性をもつ。具体的には、一般に、危機的な間題に直
一九七〇年代後半以降、国内における失業人口率の増
カサージャ内部の要因すなわち生産性向上のための農業
ャは、農業部門が五九・五%と圧倒的に高く、建設業の
加に伴い、スペインの国内人口移動も新たな局面を迎え
資本投下の欠如など内都からのペリ7エリー化の助長と
化させた要因は、低位な生産カに特徴づけられる農業生
出過程を加速化させたことがより重要である。その加遠
れたものであるが、この地域に固有な農業構造がその流
九六〇年代のスペイン経済の高度成長によって惹き起さ
カサージャ・デニフ・シェラの急遠な人口流出は、一
た。人口流出は、ペリフェリー化の過程で生みだされる
フェリー化の実態のいくつかについては既に前章に記し
スタス軍巨邑奉豊を頂点とする生産関係である。ペリ
有構造に規定された不在地主化しているラティフンディ
であろう。カサージャについて具体的にみれぱ、土地所
維持している内部の要因の分析をも含むという点が重要
ている。
いう問題をもっている。ペリフェリー化の概念は、単に
産基盤と分極的な土地所有構造であったことは既に分析
空間的側面の分析だけでなく、そのような構造を形成し
した通りである。このような人口流出を把握する分析的
であるといえよう。このような議論に対して、それでは
ぴ
ものであり、また同時にペリフェリー化を促進するもの
結
枠組として﹁ペリフェリー化﹂という概念は、一九六〇
701
五
第五号 (134)
第八十八巻
一橘論叢
︵1︶ Ω胃oポ固彗げ彗99>1︵−竃o︶卜s,oミ§軌§﹄ミs
るテーマであるが、今後の研究課題としたい。
各々の地域社会においていかに再編されたのか関心のあ
かという疑問、すなわち、むしろ過剰人口の流出により
.逆にカサージャにとっての適正人口規模はいかなるもの
むしろ適正規模に近づいているのではないかという疑問
“§§H鶉=言8忌Uo窒H冒昌o夷他o日︸o量−一d目才撃眈巨邑ま
智o§雪、oミ§§&s、雨︸ミミミぎ田彗8−昌里一−等p
8旨o向8目oヨざ9−墨勺1+H印一︺−鶉竃一b︷怠ミ竃sき蜆ミ・
ざミ§軋婁§ −oop峯曽oH−♀ε3一H島饒言8 ρo Uo蜆胃−
る。卜S︸§暗、SOざミ鶉︷ミ“ミ︸Oミ︸葛㌔Sきざ3向︸§きOOミ§辻︸−
︵4︶Ω胃oζ尉彗げ臼9庁9>・の一連の研究が代表的であ
る。
までの研究状況を紹介し、詳紬な巨セ一〇唱まぎをのせてい
︵田胃8−o墨︶一H一昌⋮ピ勺勺.ミー−2・一九六〇年代前半
轟q昌$ぎ富ユ實轟彗向蜆層詩一亀§室sき9o雫慧邊
︵3︶ O芭勺〇一曽’︵H0ひoo︶ ■o蜆血蜆芹自o︷o蜆凹o^wHop︷o−顯岨目巳o百.
︵2︶曇戸﹂§ミぎ史§§︸§P黒垣員>ま二漂H1Hξo・
①量目閏opH里巨嘗No。︸s.
が提示されるかも知れない。しかし、人口流出は選択的
であり、不均衡な人口構成に結果するような流出は、地
域社会にとって適正な人口構成とはいえないであろう。
カサージャの例でも明らかである。
最後に、本稿の主題が、一九六〇年以降の人口流出で
あったため、これまで充分展開されなかった近年の杜会
変化についてふれておきたい。カサージャの近年の社会
変化は、人口流出が及ぼすインバクトのみでなく、ひろ
く、都市的生活様式の浸透あるいは一九七五年以降のス
ベイン政治の変化と深く関連している。カサージャにお
いてこの変化を象徴するのは、新たな階層からの村長の
峯邑ユ戸旨一や 2串夢ポ言﹃鴇︵岩g︶卜s言ミ§まミ“︸・
>ユ♀ざ着﹂z目︵岩g︶ミ蒔§まぎ、芝﹃§ミ§、祭︷§臭
ω里−自㎝饒胆目OO色O閏目−Oo ︵−o,o︶﹂ミ“ミ之︸匙雨、Sもoミs、臥ミ
、§oミo猪ざk、トs××一団嘗H8−昌戸>ユ♀oo8や
出現であろう。初めての地方選挙の実施により選出され
た地方議会議員の互選で選ばれた首長は、カサージャの
動については、O宵N05勺跨9一−o器︵岩ooo︶旨血目冨−ぢ凹︷
吊彗ぎ豊亘曽阜勺.本稿と関連するアンダルシアの人口移
ミoミ§㌣ミs§蒔§“ミ軌ε、o豪sミ§込§3&呉峯poH童一
き向魯§や峯邑H員>ユ色一H竃勺−O胃3屋蜆;R巳︵Ho葛︶
唯一の代表的工業であるアニスの醸造工場の労働組合出
壼︺
身である。弱冠三〇代前半の村長は、一九七五年以降の
政治状況の中での新しい世代と社会階層を代表している。
フランコ体制下の社会的組織が、このような状況の中で、
702
(135) アンダルシア地方における人口流出
札. ,
夢巨義一尋募ぎ向魯§昌、sきミ§翁§︸§婁吻o。ミ章
§ミ§9喜。ドぎ§・ミ皐雨§§き§、§き昏
§ミ思O翁§きき“§§、§§§ωミし−邑ま一塁一1
↓g邑宗昌員箒与.忠・竃冒竃一く︵岩ま︶皮“§︸ミ・
︽峯oま昌一・彗豆二冨げ&o㌣8旨庁一〇ぎ葦o昌邑畠彗−
きミこs§§§ぎきぎ、、§軋§ざ§黒ミぎH§δ曽一
目。芦電・S−㎞ω.U墨亘旨︵宕ご︶史§き軸§§−
○婁§§旨ま戸畠.H。昌g一8ξ.彗蜆曇︵岩s︶
峯§8、き萎§ミ砧餉§ミ§§言冊冬§oト曽邑・芦
ω桓・×曽二H8.寄ま晒目昌曽胃書墨﹃︵§N︶卜・
、§§§一§ミミ、恰。・嚢§邑軋こミミミ§翁ミミ
.一.昌茎雪巨昌思−−、似昌曾註昌ま気申o丘目8まω才昌〇
宗青冒き一声g寮5q。ξ■︵−凄o︶■.要■尼胃
ま>5冒ま雰邑Pa3.ω曾彗一旨︵岩S︶更
吻ミ、葭S︷亀軋軸昂oS“き 葛“寒匙札o㎞ 恥軸o昧、恩ooク 崔映5帽P Oム顯
N一㎞与. ・
焦§o§§“§㌧邑ミ§札亀9軋§ミ:田實邑o;一ξ邑一
一、o﹃蜆−.①ヰH顯目o司0HO①O①−oαo與−0Ng〇一岩‘尉一ω一■oωo“
と共−冒由昌き篶少宝o.Ω冨電・さ]︺彗己p︵s富︶べ・
ると、最も高い県はピスカヤの二〇一・二千ペセタで、マ
︵7︶ 一■九七五年の一人当り県民所得を指標に地域格差をみ
§ぎ目§き“§§§富§雪§まミき§ぎ向ミss峯邑・員
豪昌員ミ3・震亭算一呂.︵Ho葛︶、ミ§、崔ミ§
き雪﹄ミ芝ミ§一−冨巨けεo忌U窃實〇一−o夷遇o畠一
て、低い県は、カセレスの八五・九千ペセ.タを筆頭に、ル
ドリヅド、ギプスコア、バルセロナと続いているのに対し
ーゴ、バダホス、ハェンと続いている。ピスカヤとカセレ
d自才彗己註まω望自顯一主ε1内邑9Ω1︸ρωo彗一鶉
黒蜆姜邑畠ま昌二量鶉碁aop﹂§膏︸きいsミ曇・
︵岩gI$︶■o岨オき&邑o・霊彗麸ξ8m竃≧o昌竃一串一
ス間は二・三四倍の格差がある。全国平均を上回る県は一
五県で、中でもマドリッド、バルセロナ周辺四県、バスク
︷−“電﹂s−崖o・5墨ω彗oぎ・p︵岩ミ︶旨§的−
§きミ§§ミ§..﹄§ざ注、“芝ぎ§軋婁一峯邑・員向宇
三県とその周辺三県が高く、他方、全国平均七〇%以下の
造と人口流出﹂一橋論叢 七二巻六号 ﹂九七四。
穿星蜆一言﹃昌︵岩葛︶一拙稿﹁スペイン南部における農業構
ている。︵4︶O顯H0討困閏ユ︺嘗コo︼一〇一>.︵H岨No︶一ラHωoo.O葭﹃−
占めている一後者の諸県が人口流出の著しい地域に相当し
ェンカ、バダホス、アピラ、サモラ、ルーゴ、オレンセが
県は一二県に達し、東アンダルシア四県、アルバセテ、ク
o−o眉餉まHoHH98oo、注︵6︶参照。
§ミきぎさ§き葦く〇一IHくー旨O司冨〇一昌9巨O﹃一〇曇一
︵5︶舅向︵岩ミ︶婁§§軋二言言ミ§ざ、sぎこミ、−
昌老q易︸嚢員邑o二0No﹁員弓ζ−
︵6︶■ξ竃O昌毒oy>.︵−竃企︶■§膏§き一ミ意雨軋ミ
、盲軋さ.雨曇、ミざ§ざ9§盲ぎき盲Oミきざ昏・−
邑o逼苧具sN一やト自毛⑦霊o事向.︵岩墓︶臭一ミ§・
703
■
第五号 (136)
第八十八巻
橋論叢
︵〃︶雰昌芦峯.−>.︵岩3︶5、§¥s盲・ぎミミs§
岩;く彗訂ま彗︷畠潟冨H一富しξp
○ぎまω睾嘗p冒叩まσ自〇一ま彗宅$o邑旨o葦一く畠く
募ミぎ皆皮盲替︺;一含言婁§§あき﹃ミ・自§ミ一峯苧
ざミ室・§﹄ミ耐§ぎ恥ぎ§一峯邑・員冒膏互勺o﹂箒
︵8︶峯邑o“句.︵畠嵩︶皇oo︸§ミざ篶o雫§§圭§∼室ぎ.
︵9︶髪童一−昌a︵岩ご︶向、、§§きぎぎSぎま芒
旨♀ごき−叩−電.N等ーミo1
住している人々の双方を意味し、その場所というoo昌、
︵10︶ プエブロという言葉は、場所旦凹8とその場所に居
︵20︶Ω昌喀向.宍ト︵H湯o︶卜§富巽︸§§萎§き“§§
︵19︶︵〃︶甲畠oI
巨庁目H卑勺胃貝署O−m.Nもや
吻§§雨−崇言§棄きO“軸亀きO§“§§ぎHま蜆OO.尋岸
︵18︶]︶量貝声︵岩ミ︶卜婁§ミ一棄ミ餉きざ、§ぎ軸き
目自邑身に対する強い帰属感が示されている。虫ま−射ξo易一
lH00H一
−>.は、このようなコンバクトなムラヘの居住願望が、
○自庄く0HoP>一︵−oooo︶へCs“、s㎞sSミ良o、ざ昌、∼一〇邑く雪−
峯邑ユ戸彗目艮邑Oま>OqH−O邑ε員毫.墨H−旨ω’■毛S
ぎ§冬ミ§■怠§§崖−“1畠貞籟彗8−o冨一芹邑一や
中央およぴ南スペインの社会構造を決定している重要な要
宗“勺Ls
因の一つで、しぱしぱ指摘されるこれら地域の地方的な
○自岸自Hp㌣気O﹃oq寧目守嘗9o目mユ目oざ邑︵Hoα阜︶−O雨ミき ﹄昧・
︵22︶舅■昌8一きo墨ま目o昌色;昌艮邑oま>管−
︵21︶︵20︶Ω昌唱向−男.>’勺−H言1
○品o串萎しξ− ︵ 器 9 & . ︶ 一 電 1 α 1 o ・
;きき向魯§§§oH8∼一昌邑o昌畠雫o色昌邑o竃。芦
㎜δ邑急9彗邑p−豪や
︵u︶ 人口の自然増加率を考慮して算出される人口数との差
ω望旨psや;蜆目o︵岩ご︶o§き﹄巽ミざき■︸言§
唱洋ユo雰冨の強い感憎に対応しているとしている。H5
によって代替。
§o岩sω署旨p器ユo>︸軍
尋毛τ・;ぎ穿胃P9一S。日9ま①d邑く婁ξ・片O巨−
︵12︶︵5︶電.;1芦
︵14︶︵4︶∪量貝峯9内〇一〇αoξ一向’︵−凄o︶〇二1−ω.
串oi昌邑ま−曇目奉o﹃6ま>oqま巳巨﹃pω薯一一−p妃−旨
︵23︶旨・旨肉自貝︸.9§§§、ざ竃ぎ念ミ§峯ミ專
き吻§ミ畠︸寒ミ§註ミ︷.o§舅冒戸冒亙ρま昌
︵H︶︵4︶]︶轟貝芦︵H署ω︶一電・おー葦
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聞きとり結果は一一九員左上段に示す通りである。
︵25︶ 農地五〇㎞は、この地域で一家族が複合的農業経営を
所有する経営体Lと定義している。︵22︶昌o;S一〇、
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を必要とする。
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29
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50.0 - 149.9
25
25
50
16
16
12
12
211
412
150.0 - 299.9
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33
4
50
8
25
300,0-599.9
4
16
9
49
600 ha J
4
79
者の下で農業経営を行う経営体﹂と定義し、後者を﹁二頭
的・経済的単位を構成している農地を利用し、一人の経営
地を持たない農業経営体﹂を分類し、前者を﹁同一の技術
︵26︶ 農業センサスでは﹁農地を有する農業経営体﹂と﹁農
いわれ、企業的農業として成立するためには三〇〇㎞以上
行うことによって生計を維持することのできる限界規模と
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アンダルシア地方における人口流出
(137)
本稿は、一九八○年度文部省科挙研究費補助金海外学術
調査﹁地中海地域における過疎−人口珍動に伴う社会
−着亀︶一峯葭亭己一ω后−o××−一Nξo.
題番号五〇四二一五︶に基づく調査結果の一部である。
的・生活空間の再編成1﹂︵研究代表者 竹内啓一、課
カサージャ・デニ7:ソエラにおける実態調査に関連し、
︵28︶ ︵20︶O;︸o.向.幻.>J︸勺.むωーま∼・
雪o昌拭量oa目耐目自自凹8昌凹﹃sまぎ甘鶉冨器く畠顯目p
多大の協カをして下さったカサージャ・デニフ:ソエラの
︵29︶旨o篶冒し竃畠o︵Sミ︶ぎ“まま餉︸毒一〇曇竃富
oo目或旨;6昌簑目目嘗妃o篶目o歓彗g艘冒勺o㎝6︽向昌厨畠−
た研究課題に関連し有益な助言を与えて下さったセピリア
村庁をはじめ、情報を提供して下さった多くの方々に、ま
犬学地理単教室の軍o守留gNoま老閏冨旦o農業省出先
〇一〇一80■向岩凹饒昌まぎω晶E一ρ嘗射彗目ま自ρO>鼻呂・
︵30︶ ︵η︶︸o昌巴一峯拭冨−−>.︵]ミ企︶一甲S1昌Φ・
弓色ooq畠向岩嘗饒o−霊一ωoo目oくぎ自oくー︵岩ミ︶一崖勺−
︵31︶ IRIDAにての入手資料。
機関の研究員H轟、峯彗“旨射目守、マルセーユ大挙地理学
︵お茶の水女子大挙講師︶
教室の軍o雲餉冒芦∪轟巨の各氏に御礼を申し上げます。
︵32︶ 議会議事録はこの間の緊迫感を伝えて興味深い。国政
数に達しなかった 。
の第一党USD派の議員数は、首長選幽には一稟差で過半
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第五号 (138)
第八十八巻
一橋論叢
706