投資先として再評価されるフィリピン バンコク事務所 東 幸治 治安や汚職などの問題から、外資による投資が進まなかったフィリピンであ るが、2010 年に誕生したアキノ政権の下、これらの問題は改善が進んだ。近年 は、最低賃金で雇用できる安価で豊富な労働力、英語能力の高い人材、充実し た投資優遇措置などの魅力に加え、チャイナ・プラスワンまたはタイ・プラス ワン1の動きの中で、新たな投資先としての評価が高まっている。 1.成長が加速するフィリピン経済 フィリピンは、政情不安、治安上の問題、汚職の蔓延などから、長らく外資 による投資が進まなかった。しかし近年は、対内直接投資が他の ASEAN 諸国 と比較しても高い伸び率を示し、2011 年には日系企業数が 1,000 社を超えた。 2012 年の GDP 成長率は、ASEAN 諸国では2番目に高い 6.6%を記録し、さら に一人あたり GDP は 2,600 ドル(約 26 万円)を超え、耐久消費財の普及が始 まるといわれる 3,000 ドル(約 30 万円)に手が届く勢いである(表1)。 近年のフィリピン経済の特徴は、先進国の企業がバックオフィス業務をアウ トソーシングする、いわゆる「ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO) 産業」の発達であり、世界有数の BPO 拠点に成長した。売上高は約 110 億ドル (約 1 兆 1,000 億円)2と GDP の約5%を占め、特にコールセンターは BPO 売上高の 60%超を占めるほどに成長している。 フィリピン人海外労働者(OFW:Oversea Filipino Workers)による送金も 特徴的である。人口の約1割の約 1,000 万人が出稼ぎに出ており、2012 年の送 金額は、GDP の約 10%に相当する約 214 億ドル(約 2 兆 1,400 億円)3と過去 最高を記録した。近年は、派遣先が米国から欧州や中東などへ分散するととも に、職種も弁護士や医者など高付加価値化し、先進国の景気変動の影響を受け にくい安定的な外貨獲得源となっている。 このように、他国とは異なる経済構造を有するフィリピンであるが、製造業 においても、チャイナ・プラスワンまたはタイ・プラスワンの動きの中で、投 1 2 3 製造業を中心に、海外拠点を中国やタイに集中させることに伴うリスク(政治情勢、賃金高騰、自然災 害など)を軽減するため、その他の地域にも分散投資をする動き 出典:世界銀行フィリピン事務所「 Philippine Development Report」 (2013 年 9 月) 出典:JETRO マニラ事務所「フィリピン概況」 (2014 年) 1 資先として再評価されつつある。豊富で安定した低賃金の労働力、英語能力の 高い人材、積極的な投資優遇措置等の要因に加え、治安の安定化、汚職撲滅へ の取組みが高く評価されている。 表1:ASEAN 主要投資先との比較 フィリピン 2012年 タイ 前年比 2012年 ベトナム 前年比 2012年 インドネシア 前年比 2012年 前年比 直接投資受入額(百万ドル) 2,797 54.0% 8,607 10.7% 8,368 12.6% 19,853 3.2% 日系企業数(社) 1,171 8.9% 1,363 △0.5% 1,081 10.2% 1,308 2.3% 実質GDP成長率(%) 1人当たり名目GDP(ドル) 6.6% 2,614 6.4% 9.6% 5,678 5.0% 5.3% 1,528 6.2% 11.2% 3,592 2.3% (出典:国連貿易開発会議(UNCTAD)、外務省、国際通貨基金(IMF)の統計より作成) 2.フィリピン経済を支える豊富で安価な労働市場 フィリピンの人口は、ASEAN 諸国の中ではインドネシアに次ぐ約 9,840 万人 4で、平均年齢は 22.3 歳(日本は 44.9 歳)と非常に若い。人口構成はきれいな ピラミッド型で、生産年齢人口(15~64 歳)は 2050 年まで増加が続くと予測 されており、将来にわたって豊富な労働力を期待することができる。 英語が堪能な人材が豊富なため、駐在員が現地語を習得しなくても、従業員 との意思疎通が図りやすいことも大きな魅力である。福岡県の進出企業からも、 「英語が通用するため、日本語人材は不要」「お互いネイティブではないので、 日本人の英語でも理解しようとしてくれる」と評価する声がよく聞かれる。 また、 「日本語人材を雇う必要がないので、最低賃金(日額 10 ドル:約 1,000 円)で雇用できる」 「賃金水準はローカル企業と同じ」と人件費の安さに満足す る企業も多い。フィリピン日本人商工会議所にヒアリングしたところ、 「タイと 違ってフィリピンの日系企業はほぼ最低賃金で雇用している。人件費の比較は、 最低賃金ではなく実際の賃金で行うべきである」との指摘を受けた。また、 「工 場のラインは人でカバーできるため、品質維持のためでなければ、最新の機械 を入れる必要はない」というアドバイスもあった。 さらに、失業率が 7.0%5と比較的高いため、タイ(0.7%)やベトナム(1.8%) などの労働力不足に苦しむ国と比べて労働力を確保しやすい。また、 「高い失業 率が原因でストライキは年2~3件程度しか起きていない」(JETRO マニラ事 務所)ため、2013 年のフィリピンの賃金上昇率は 5.0%6 と、インドネシア (24.7%)、ベトナム(12.1%)、中国(9.2%)と比べて大幅に低いことも企業 4 5 6 出典:国連人口統計データ 出典:アジア開発銀行(ADB)統計データ 出典:JETRO「在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査」 (2012 年度) 2 にとっては魅力である。 人材の質については、「仕事に対する意欲が高い」「定着率も高く、ジョブホ ッピングは少ない」と高い評価が多く、 「日本の海運業の7割がフィリピン人船 員なのは、長い船旅で協調性が必要なため。フィリピン人の看護師や介護士を 受け入れることになったのも、協調性とホスピタリティが優れているため。」と いう意見もあった。一方で、 「有能な人材は海外に流出しやすいため、即戦力の 確保は困難。マネージャークラスの人材も少ない。」という声もあった。 3.外資誘致に積極的な投資優遇措置 フィリピンには、フィリピン経済区庁(PEZA)、投資委員会(BOI)のほか、 クラーク開発公社(CDC)、スービック港首都圏公社(SBMA)など数多くの投 資促進機関が存在し、それぞれが法人税、国・地方税、関税、付加価値税(VAT) の免除など、様々な投資優遇措置を提供している。また、約 300 の経済特区が 設置され、対象分野も製造業だけでなく、IT、観光、農業など多岐にわたって おり、他国と比べても充実した制度となっている。あまりに多い優遇措置を整 理する動きもあるが、それだけ豊富な制度が存在しているのは、政府が外資を 歓迎している姿勢の表れでもある。 その中でも、最大の投資促進機関である PEZA は充実した優遇措置を設けて おり、日系企業に最も多く利用されている。通常 30%の法人所得税が4~8年 免除されることは BOI も同じであるが、PEZA の場合は、免税期間終了後も5% 総所得税制(国税、地方税の代わりに5%の総所得税を賦課)が適用でき、現 時点では期限の定めはない。さらに、他国でも実施されている輸出入許可やビ ザ発給などの「ワンストップ・サービス」に加え、24 時間年中無休で企業をサ ポートする「ノンストップ・サービス」を行っていることも大きな魅力といえ る。投資促進機関別でみると、PEZA が全体の 72.4%7 を占め、2位の BOI (25.6%)を大きく引き離しているのも、PEZA が高い評価を得ている証拠であ る。 日本からフィリピンへの投資は、2011 年以降、セイコーエプソン、ブラザー 工業、キヤノンなどのプリンター関連の大型投資が続き、それ以外の分野でも、 村田製作所、横浜ゴム、バンダイナムコ、古河電工、富士フィルム、セメダイ ンなどが進出しており、その多くが PEZA の優遇措置を利用している。 輸出型製造業に対する優遇措置は製品の 70%を海外に輸出することが条件で あるが、フィリピンの国内市場はまだまだ小さいため、日系企業のほとんどは 部品を輸入して、完成品は国内販売ではなく輸出に回している。それでも「フ ィリピン側の最大のメリットは雇用の創出であり、その点で日系企業は大きな 7 出典:フィリピン国家統計調整局(NSCB)ホームページ 3 貢献をしている」(フィリピン日本人商工会議所)のである。 4.フィリピン進出の可能性と課題 フィリピンは治安が悪い、というのが 一般的なイメージかもしれないが、現地 駐在員は、 「事件に巻き込まれているのは 現地事情を知らない観光客」 「現地駐在員 が被害にあった話はほとんど聞かない」 と口を揃え、 「マニラでの生活が気に入っ ている」と答える人がほとんどであった。 実際、多くの駐在員が居住するマカティ 市は高層ビルが立ち並ぶ大都会で、私自 写真1:高層ビルが立ち並ぶマカティ市内 身が訪れた際も特に身の危険は感じなか った。 また、2010 年に誕生したアキノ政権の下、政情及び治安の改善、汚職の撲滅 が進んでおり、「通関手続きでの汚職は減ってきている」(現地通関業者)と実 感する声も聞かれた。 「これまでは汚職の改善をフィリピン政府に要望してきた が、最近の要望事項はインフラ整備に変わりつつある」 (在フィリピン日本国大 使館)ことも、汚職が改善されている証拠だと言えるだろう。 最大の懸念材料であった治安や汚職の問題が改善に向かいつつある現在、最 低賃金で雇用できる安価な人件費、今後も増加が続く豊富な労働力、英語が堪 能な人材、充実した投資優遇措置など、フィリピンの魅力が相対的に高まって きている。特に労働集約的な製造業については、海外進出の際にフィリピンも 候補地として検討する価値は十分にあると思う。 しかしながら、まだまだ多くの課題があることも事実である。例えば、マニ ラ近郊の主要工業団地では、インフラは整っているが、電気料金は ASEAN 諸 国の中では最も高い水準にある。また、裾野産業が発展しておらず、日系企業 の現地調達率は 27.9%8と、タイ(52.7%)やインドネシア(40.8%)の水準を 大幅に下回り、裾野産業の育成が課題となっているベトナム(32.2%)よりも 低い。逆に、日本からの調達率が 41.6%と高水準であり、今後は現地調達率を 引き上げ、調達コストを下げることが求められる。 2012 年のマニラ首都圏での1人あたり GDP は 7,000 ドル(約 70 万円)9を 超え、人口の多さや経済成長による所得向上を背景に、長期的には消費市場と しても期待されている。ユニクロ、良品計画、ライオンのほか、ファミリーマ 8 9 出典:JETRO「在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査」 (2013 年度) 出典:フィリピン国家統計調整局(NSCB)ホームページ 4 ートも参入し、近年は食事の多様化により、吉野家、ミスタードーナツ、和民、 牛角など日本食レストランの進出も増えている。 一方で、一般家庭では商品をまとめ買いする余裕はないため、シャンプー、 調味料、オムツなどはサリサリストア(フィリピン版コンビニ)で小分けして 売られている。 「そのような販売を行っている背景を理解せず、日本のやり方を そのまま適用すると、失敗する可能性が高い」(フィリピン日本人商工会議所) ため、商品によってターゲットを明確にし、それに合わせた販売を行う必要が ある。 このように、短期的にはまだまだ製造業の進出が中心になると思われるが、 中・長期的には、経済が発展して中間層の増加が予測されることに加え、豊富 な人口と OFW の送金が下支えする個人消費により、サービス業においても進出 を検討する価値が高まるものと思われる。 ※為替レート 1ドル=100 円で換算 5
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