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古代キリスト教の殉教文学 : ユダヤ教殉教文学の遺産
(上)
土岐, 健治
言語文化, 24: 21-41
1987-12-20
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/8968
Right
Hitotsubashi University Repository
古代キリスト教の殉教文学
ユダヤ教殉教文学の遺産
(上)
土 岐健 治
1
本稿は,「殉教者行伝」と呼ぱれる一群の古代キリスト教殉教文学が,先行する古
代ユダヤ教(いわゆる,後期ユダヤ教)(1)の殉教文学の遺産を,どのような仕方で継
承しているかを,具体的な資料に即して,明らかにすることを目的とする。本稿は,
古代キリスト教の殉教論あるいは殉教神学(theology of martyrdom)と古代ユダヤ
教のそれとの関係を取り扱うのではなく,古代ユダヤ教において生まれたと考えられ
る「殉教文学」ないし「殉教物語」という文学類型ないし文学様式が,どのような形
で古代キリスト教の殉教文学としての「殉教者行伝」に受継がれていったかを,個々
の殉教者行伝の本文(2)の分析をとおして,考察しようとするものである。両者共に
「殉教(者)の宗教」と呼ばれることもあるユダヤ教とキリスト教との,殉教の描き
方の比較検討は,決して周辺的な間題に留まらないであろう。
古代ユダヤ教の殉教文学と古代キリスト教の殉教文学との関係については,すでに
いくつかの研究が公にされており,それらの研究において,両者の間に密接な関係が
存すること,そして,言うまでもなく,前者が後者に大きな影響を与えていることが,
明らかにされている(3)。筆者は,本稿においてこの点を改めて蒸し返すつもりはなく,
それどころか,それらの研究の成果の正当性を基本的に承認するものである。しかし
ながら,筆者の概観した限りにおいては,従来のその種の研究は,全体としてのユダ
ヤ教殉教文学のあちらこちらに散在している様々な要素が,全体としての古代キリス
ト教殉教文学のあちらこちらに認められる,という指摘に留まっている。従って,そ
こではr形式」とr思想」とが容易に混同され,何をr殉教文学」と称する(あるい
はr定義する」)のか不明であり,殉教文学と,多少なりとも殉教について論じてい
る文献とが,区別なく取り上げられるのである。つまり,そこでなされているのは,
22 言語文化No.24
総じて,古代ユダヤ教と古代キリスト教の殉教論・殉教神学の比較検討である(4)。も
ちろん,殉教文学と殉教論・殉教神学との間に密接な関連のあることは,当然である
が,研究の順序として,ひとまず両者を区別することが必要である。本稿においても
必要に応じて当該文献の思想的特質にも言及し,比較の対象としていくつかの思想の
有無をも取り上げる予定であるが,それはあくまでも,文学類型の比較のためであり,
殉教論や殉教神学そあものの比較のためではない。本稿においては,筆者は,r古代
ユダヤ教殉教文学」(ないし「殉教物語」)と古代教会の殉教文学である「殉教者行伝」
とを,文学類型の観点から比較検討する。
ところで,前稿r『ユダヤ戦記』II151b−153の文学的性格」(本誌19号(1982年)
67−73頁。以下r前稿」と略記)69頁に指摘しておいたように,古代ユダヤ教殉教物
語と古代キリスト教殉教者行伝とを概観してみると,後者の一つ一つの行伝が,ユダ
ヤ教殉教物語を構成している基本的な要素を必ずしも備えていないことに気づかされ
る。つまり,殉教者行伝は全体として古代ユダヤ教殉教物語の影響を強く受けながら,
個々の行伝の構成においては,ユダヤ教殉教物語の構成とは相違しているのである。
本稿において筆者は,このような類似と相違の実態を,個々の殉教者行伝のレヴェル
において調査することをとおして,殉教者行伝が古代ユダヤ教殉教物語の遺産をどの
ような形で継承しているかを考察することにしたい。(なお,「殉教文学」と「殉教物
語」ということばは,本稿では,比較的大きな分量の・それ自身で独立完結したもの
がr文学」,比較的小さなまとまりをなしており,より大きな文献の文脈の一部を構
成しているものが「物語」,というくらいの意味で用いられており,「殉教文学」と
「殉教物語」ということばの間に本質的な差異は考えられていない。)
2
筆者は,前稿において,ヨセフス『ユダヤ戦記』II151b−153の歴史資料としての
正しい取り扱い・評価のために,その部分がユダヤ教殉教物語に属していることを明
らかにし,その関連で,ユダヤ教殉教物語の構成要素を抽出した。それらは,以下の
7つである(一部補正)。前稿に従って,数字の前に「T(=Topos)」を付ける。なお,
前稿の(T2’)と(T3’)を(T2A)と(T3A)と改める。
(T1)殉教者(たち)の,死あるいは身の危険をも恐れぬ覚悟。
(T2)律法あるいは神との契約への配慮と忠誠。
(T2A)迫害者(たち)による背教の勧告。
古代キリスト教の殉教文学 23
(T3)しぱしば極めて残酷な拷問の描写。
(T3A)迫害者ないし拷問者の,殉教者の態度に対する驚嘆。
(T4)殉教者の平然(毅然)とした態度,激しい拷問に対する殉教者の忍耐強さ。
(T5)永遠の生命(あるいは,来世,復活,霊魂不滅)の信仰の表白(殉教者によ
る場合が多いが,報告者による揚合もある)。
以上の内,(T2A)と(T3A)とは,古代ユダヤ教殉教物語の必要不可欠な構成要素
ではなく・省略されることもある。(T3A)には,r驚嘆」のみでなく,r同情」や,r迫
害者の改宗」のモチーフをも加えるのが適切であろう。(T2)は古代キリスト教殉教
文学の揚合には,rイエス・キリスト」ないしrキリスト教の教え」(r古い契約」に
対して「新しい契約」と呼ぶこともできる)に対する配慮と忠誠,ということになる。
殉教文学である以上,(T2)が存在することは当然であり,以下,個々の文献の検討
においては,特に注目すべき揚合を除いて,(T2)の検討結果の報告は原則として省
略する。(T1)と(T4)については,一応,前者は,迫害や拷間に先立つ(まだ拷間
を受けることが確定していない)場面でのこと,後者は拷問を受けることが決定した
後のこと,と区別するが,特に殉教者行伝では,審問と迫害・拷問とが並行する(拷
問しながら審問したり,一旦審間を中断して拷間し,その後で再び審間する)揚合が
多く,必ずしも明確に区別しにくい揚合もある。また,殉教者行伝にしばしば認めら
れる,r彼は首をはねられた」といった類の記述は,(T3)に数えない。本稿では,前
稿の結論に従って,(T2A)と(T3A)を除く,5つの構成要素を基本構成要素とし,
これらを備えたもののみを古代ユダヤ教殉教物語とみなす。本稿の検討の対象となる
古代ユダヤ教文献は,このように定義された古代ユダヤ教殉教物語に限定される(そ
の際,rモーセの遺訓」のみが例外となる可能性もある。後述参照)(5)。
さて,上述のように,上記の構成要素を古代キリスト教の殉教者行伝について調査
してみると,殉教者行伝のほとんどが,上記の5つないし7つの要素を兼ね備えては
おらず,従って,殉教者行伝は古代ユダヤ教殉教物語の遺産を受継ぎながら,その文
学類型としての型は必ずしも受継いでいない,ということが予想されるのである。前
稿では,古代ユダヤ教殉教物語という文学類型の確認のために,殉教物語の基本的な
構成要素を抽出したのであるが,本稿では,古代キリスト教殉教文学が,その文学的
形成に際して,古代ユダヤ教殉教物語という文学類型の遺産をどのような形で継承し
たか(または,継承しなかったか)を探るために,上記の7つの要素以外のさらに多
くの要素をも取り上げて,比較のポイントをさらに多くすることが必要である。筆者
は,対象となる文献全体を概観した結果,両者に共通すると想定される,以下の9つ
24 雷語文化No.24
の要素を抽出した。(各要素の略号は,(AS)を除いて,その要素を意味するラテン語
の頭文字である)。
1.(Ex=Excellentia)殉教者が,宗教的倫理的ないしはその他の点において優れ
た人物であること,または,声望の高い人物であることへの言及。r高齢」への言及
もここに力匡えられる(6)。
2.(U=Ultio)迫害者に対する神の刑罰(復讐)への言及。
3.(PニPiaculum)殉教(者)に,何らかの意味で,罪を腰うカ,あるいは,人々
を救うカ,現在の迫害ないし苦難を終わらせるカ,がある,とする思想。
4.(v=Visio)殉教者ないしその仲間による幻視体験。神と殉教者との近さを示
す,神(ないし,神的存在)からの殉教者に対する語りかけも,ここに含まれる。
5.(S=Satan)悪魔とその仲間(手下)への言及。
6.(D=Disputatio)殉教物語の文脈から離れた,教義ないし教説の,やや長い表
白ないし解説。殉教者と迫害者の対話の形を取ることもある。
7・(Re』Reliquiae)殉教者の遺体への配慮。
8,(Tu=Turba)迫害者の側に立つものとして,群衆が登場する。
9,(C=Clamor,Clamavit)死の直前に殉教者が天に向かって目(ないし・手)を
上げ,神に向かって大声で叫ぶ(ないし,祈る),というモチーフは・福音書の受難
記事のイエスの最期の揚面と使徒行伝のステパノの最期の場面の影響下に,キリスト
教殉教者行伝では好んで用いられたものと思われるが,ユダヤ教の殉教物語において
も,必ずしも明示的ではないが,萌芽的に認められる(7)。
なお,r殉教者行伝」にのみ現われ,古代ユダヤ教殉教物語には認められない要素
として,以下の要素が挙げられる。もとよりこれらは両者の比較の対象ではないが,
比較との関連で,r殉教者行伝」内部における共通性と差異の分布を見るための手が
かりとなり得ることが期待される。
10.(Reg=Regnum)殉教文学の最後の定式的な締めくくりの文章における,イエ
ス・キリスト(ないし神)の永遠の王としての支配への言及(これ自身定式的)。
11.(Tr1=Trinitas1)同じく,定式的な締めくくりの文章(doxologyの定式の
揚合が多い)の中に,三位一体の神が讃め称えられる。
12.(Tr2=Tτinitas2)Tr1とは別に,本文の中で三位一体論が言及ないし展開
され’る0
13.(Er=Erotica)殉教物語の文脈に適合しない,エ・チックないしはグ・テスク
な揚面が描かれ,る(8)。
古代キリスト教の殉教文学 25
14・(ASニAnti Semitism)しばしば群衆のモチーフと結合して,ユダヤ人が悪役
として登揚する。ユダヤ人批判ないしユダヤ教批判が展開されることもある。
3
まず第一に,ユダヤ教文献を概観する。その際,前稿において検討した文献にいく
つかの文献を加え,前稿の検討の結果はふまえて,上記の7ないし16の要素につい
て,検討する。本稿では,検討の対象として取り上げるユダヤ教文献をほぼ年代順
に(9),以下のように並べた。(1)ダニエル書(ギリシア語版),(2)第2マカベア書
6:18−31(前稿のi),(3)第2マカベア書7:1−42(前稿のii),(4)第2マカベ
ア書14:37−46,(5)モーセの遺訓,(6)第4マカベア書4;26−7:23(前稿のiii),
(7)第4マカベア書8:1−18:23(前稿のiv),(8)ヨセフス『ユダヤ戦記』1648−
655(前稿のvii),(9)ヨセフス『ユダヤ戦記』II151b−153,(10)ヨセフス『ユダ
ヤ戦記』vII417−419(前稿のix),(11)イザヤの殉教,(12)『バビ・ニア・タル
ムード』rベラコス」61b(前稿のv),(13)『バビ・ニア・タルムード』rアボダ・
ザラ」18a(前稿のvi)。以下,この番号順に検討して行くが,紙数の制限により,
調査検討結果の報告は極めて簡略なものとならざるを得ない。
【1】 ダニエル書(ギリシア語版。本稿の目的にとってはテオドティオン版もLXX
版も基本的に同じ)。本書を殉教文学に数え得るか否かは微妙である。3章では,ネブ
カデネザル王の命に背いて3人のユダヤ人青年が王の建立した金の像を拝まなかった
ために,王によって,燃えさかる炉の中へ投げ入れられるが,神のカにより何の害も
被らなかった,という物語が,6章では,ダニエルが,ダレイオス王ならぬ神(ヤハ
ウェ)に祈りを捧げたのが王の禁令に触れたとして,ライオンの穴の中へ投じられる
が,やはり神のカにより何の害も被らなかった,という物語が伝えられるが,いずれ
の物語にも(T5)は見当らない。これに対して,著者に近い時代の事実としての迫害
と殉教を伝える11=29以下は,黙示文学特有の幻の形をとっており・11:32−35に,
(T1)(T2)(T3)に該当することばが認められなくはないが,この部分を殉教物語に
数えるのは躊躇せざるを得ない。しかし幻の部分(12:2f・)に(T5)が認められ,
3章と6章の物語はこれを前提していると考えて差し支えないので,全体として殉教
文学と認定した。本書は最古の殉教文学ということになり,同時に,「モーセの遺訓」
およびrイザヤの殉教」と共に,黙示文学が殉教物語の構成要素をとりいれたケイス
となる。
26 言語文化No.24
(T1,T2)3:16−18,6:10f。,(11=32f、)。(T2A)3:14f.,6:14−18。(T3)
3:19−23。46,6:16f、,(11=33)。(T3A)3:91−96,6:23。25−27。(T4)3=24f。
51,6121f。。(T5)12:2f。。(Ex)1119f・,2,(11:33)。(U)3148,6:24(いずれの
揚合も,王自身は無傷で,最後に改宗する。王は,悪臣に欺かれ唆されて,迫害の道
具となっただけ,というとらえ方の反映。現実の王もこのようであって欲しい,とい
う願望の表現であろう),(11145。現実には王が神により罰せられる。LXX版(うξε‘
あρατラgσ碑τεえε‘αgαδτoD,κα10δκざσταごδβ0ηθのレαδτ夢)の方がテオドティオン
版(号ξε‘εωgμ6ρoogαうτoD,κα∼のκ面τ‘ッ6づ06μεレogαOτ6ッ・)に比ぺてr王の最
期」のモチーフが明瞭)。(V)3149・92(全編にわたって,この他にも幻は多い)。
(D)3:25−45.51−90(「アザリャの祈りと3人の若者の歌」と呼ばれる部分)。
【2】 第2マカベア書6:12−31。(T1)(T2)(T2A)(T3)(T4)(T5)の存
在は,すでに前稿で確認した。(以下章数省略)。老エレアザルはr著名な律法学者の
一人で」r風貌のすぐれた」(18)人物であり,rみごとな白髪」(23)の持主である
(Ex)。殉教物語本体直前の,「迫害・殉教は,ユダヤ民族を滅ぽすためでなく,教育
するために神から与えられたものであり,ユダヤ民族のみに対する神の特別な恵みの
しるしである」(12−16)という趣旨の編者のことばは,(P)に数えられる・その他
の要素は見当らない。
【3】第2マカベ7書7:1−42。(T1)(T2)(T2A)(T3)(T3A)(T4)(T5)
の存在は,すでに前稿で確認した。(U)迫害者=王には「生命へのよみがえりはない」
こと,王とその子孫を神が苦しめるであろうことなどが,予言される。(7=13・17・
19.35−38)。(P)【2】で挙げた6:12−16に加えて,殉教者の苦難は彼ら佃人の罪
ではなくユダヤ民族全体の罪の結果であり,かれらが民の罪を背負って民の代表とし
て罰を受けることにより,神はユダヤ民族と和らぎ,民は救われる,という思想が,
開陳される(7:6・32f・37f・)。そして,救いは8章において直ちに実現する。(D)7:
27−38で,無よりの創造の思想や殉教論が長々と論じられるが,これを(D)に数え
得るか否かは微妙である。
【4】第2マカベア書14:37−46。エルサレムの長老ラジスが,敵の手にかかって
殺されるよりは,自死を選ぶ。(以下章数省略)。(T1)ラジスは「先の内乱の時代に
・・ユダヤ教信仰のために情熱をもって霊も肉も投げ出し」(38),今回もr異邦人の
手におちて……はずかしめを受けるよりは,いさぎよく死ぬことを選ぶ」(42)。(T3)
ラジスは剣の上に身を伏すが急所を外れ,激しい苦しみの後,切り立った岩の上から,
敵の兵士たちめがけて自らの臓腋を投げつけて,ようやく死を迎える(41−46)。
古代キリスト教の殉教文学 27
(T4)ラジスは,敵の手におちることを避けるべく,瀕死の状態の中で,「勇をふる
って」壮絶な努力を繰り返す。(T5)彼は,r生命と霊との支配者に,これらのもの
(臓胴ないし肉体)をふたたぴ与え給えと祈りつつ」生命を断つ(46)。ここには,キ
リスト教文献ほどに明示的ではないが,(C)も認められる。(Ex)ラジスは「市民た
ちを愛していたゆえに評判が高く,その愛情のゆえにユダヤ人の父と呼ばれていた」
(37)。
【5】 モーセの遣訓。従来一般にrモーセの昇天」と呼ばれてきた本書の文献学的
な諸問題については,拙訳「概説」参照。モーセが死を前にして,後継者ヨシュアに
語った予言(10),という体裁を取る,本書の6−10章に,ヘロデス時代,つまり著者と
同時代の迫害と殉教が語られる。(T1,2)殉教者は,神の誠めを踏み外すよりは死を
選び取り,断食の後洞窟に入って死ぬ(9=6f・)。これを(T4)ととれば,(T1)は無
いことになる。あるいはむしろ,(T1)と(T4)が一つになっているとも考えられる。
(T3)6:3−6・9,8:1−5。(T5)10:8−10で,殉教者たちは天上に上げられる。
(Ex)殉教者は神の誠めを踏み外していないことが明記される。(u)迫害者は神によ
り罰せられる(10:7・10。Cf・9:7)。(P)殉教者の血が神の前に復讐を要求する,と
言われ(9:7),殉教者の死と共に悪魔の支配が終わり,神の支配が出現する様が描か
れる(10)。(V)と(S)は10章に認められる。本書には(T4)(ないし(T1))が
欠けているか,または(T1)と(T4)が一つになっていると考えられるが,これは
本書が黙示文学に属していることと関連があるであろう・黙示文学においては,迫
害・殉教という事態は,あたかも自然の運行のごとくに,神の定めに従って生起する。
【6】第4マカベア書4:26−7:23。第4マカベア書は東西の古代キリスト教会に
よって非常に愛好され’重んじられた(詳しくは,拙訳r概説」参照)。(T1)(T2)
(T2A)(T3)(T3A)(T4)(T5)の存在は,すでに前稿で確認した。(Ex)殉教
者エレアザルはr祭司の一族に属し,知識にかけては律法の教師,……その高齢のゆ
えに,僧主の側近の多くに知られて」おり(5:4),r真に高潔にして品格のある人物
であった」(6二5)。(U)迫害者=王は,rこの世においても復讐されたが,死んだ後
も罰を受け」(18:4),「神の裁きは,のろわれた王を(すでに)捕え,(今後も)これ
を逃すことがない」(18122)とされる。18章のこれらの章句は,この殉教物語とも
つながりを持つと考えるのが自然であろう。(P)rわれわれの同胞のため(になされた
ところ)のわれわれの義をよみしたもうて,あなたの民を憐れんで下さい。わたしの
血を彼らのための浄めの供物(澱磁ρσωレ)となし,わたしの魂を彼のための腰い
(ゐτ’ψ曜oレ)としてお受け下さい」(6:28f・)。上の引用文中に示した二つのギリシア
28 言語文化No.24
語は,新約聖書においては用いられていないが,古代キリスト教文書の中で多用され,
特に後者(dレτ‘ψひxoレ)が殉教(者)との関連で使徒教父文書においてしばしぱ用い
られて居ることが注目される(lgn。Eρh・21・11id・S卿鍔薙・10・2;id・Po砂o・2・3)。
1:11の「(殉教者たちの殉教は)同胞に対する支配を打ち倒す原因となり,その結果
祖国は,彼らによってきよめられた」,およぴ,18:4のr彼らのゆえに国民は平和を
楽しみ」も,ここで引用するのが適切であろう。エレアザルが,死の直前に,r目を
神の方へ向けて」最後の祈りを捧げた,との記事(6:26−29)に(C)が認められる。
(D)が多いのは,哲学的なテーゼの証明をこととする第4マカベア書の性格から当然
である(5=5−38,6:17−21,27−29)。Fische1,367は,6:5の「エレアザルは,
夢の中にいるような様子で拷間を受け」に(V)を認めるが,これは無理であろう。
【7】第4マカベア書8:1−18:23。(T1)(T2)(T2A)(T3)(T3A)(T4)
(T5)の存在は,すでに前稿で確認した。(Ex)7兄弟は「美しく,慎み深く,高貴
にしてあらゆる点において上品」(8;3)であると称えられ,王も「その美しさと身
に備わった優雅な振舞いとに驚く」(8:4)。(U)としては,【6】で挙げた18:4・
22の他に,9:9.24.32,10:11,12112−14。18,17:21を挙げることができる。
(P)は,【6】で挙げた1二11と18:4の他に,17:21f・「彼ら(殉教者)のゆえに敵
はわが民を支配することができず,王は懲らしめを受け,彼らが同胞の罪の腰い
(枷τ1ψひzoレ)となることによって祖国がきよめられ……敬塵な彼らの血と,かれらの
死のなだめ(どえασ切ρωレ)をとおして,神の摂理は苦しめられ悩まされたイスラエル
を救いだしたもうた」に明瞭である。ここでもまた,(D)は8:16以下,912−8,
11:20−27など,豊富である。17:8f・の殉教者の墓碑銘への言及に(Re1)が認めら
れ,るo
【8】ヨセ7ス『ユダヤ戦記』1648−656。(T1)(T2)(T3)(T4)(T5)の存
在は,すでに前稿で確認した。(Ex)殉教者は「賢者」(σoφごστ加=∠フ⊃〔)と呼ぱ
れ,「父祖伝来の律法に通暁しているという評判で,そのことの故に,全国民から名
声を得ていた」云々(648f・)。(U)へ・デス大王を暗示する悪人の悲惨な死に方の予
告(650)と,それに対応した,その時以来へ・デスの病状が悪化したとの記事(656。
rあの賢者たちのたたりだ」とする解釈も紹介される)。並行個所である『ユダヤ古代
誌』XVII148−168は,『ユダヤ戦記』にくらべて長く引き延ばされているが,構成
要素については変りはない。
【9】ヨセフス『ユダヤ戦記』II151b−153。前稿で確認した(T1)(T2)(T3)
(T4)(T5)に加えて,先行するエッセネ派の長い報告に(Ex)が認められ’,この殉
古代キリスト教の殉教文学 29
教物語の部分でもこれは前提されている。
【10】 ヨセ7ス『ユダヤ戦記』VII417−419。前稿で確認した(T1)(T2)(T3)
(T3A)(T4)(T5)以外の要素は,認められない。
【11】 イザヤの殉教。これは,「預言者イザヤの殉教と昇天」と呼ばれるキリスト
教文書の前半に当たる1−5章の背後に想定されるユダヤ教起源の著作を指す。この
部分にもキリスト教的潤色が認められるが,ここでは明らかにキリスト教的な筆と認
められる部分は除き,検討の対象をできるだけユダヤ教部分に限定するよう務めた。
しかし,両者は戯然と分けられるものではなく,この点に関する研究者の意見も一致
していない。本書の内容は,ヘブル人への手紙,殉教者ユスティノス,アンブロシウ
ス,オリゲネス,ヒエロニュムスなどによって知られていた(11)。
イスラエルの王ヒゼキヤの子マナセは,父の死後王位につくと,かねて預言者イザ
ヤが予言していたとおりに,サタンに仕え,国民を堕落させるに至る。同僚の預言者
たちと共にユダの荒野に逃れたイザヤは,捕えられて鋸でひかれるという殉教死をと
げる,というのが内容梗概である。(T1)イザヤは,ヒゼキヤに対して,イザヤの拷
問と殺害を含むマナセの将来の悪行を予言し,マナセを殺そうとするヒゼキヤをとど
め,自らに定められた運命に従容として従う意志を明らかにする(1:7−13)。(T2A)
5:8。(T3)予言どおり,イザヤは木鋸で身体を切断される(5)。(T4)イザヤは身
体を両断されながら,迫害者を見据え,迫害者に向かって呪いと侮辱のことばをはき,
泣き喚くことなく,聖霊に語り続ける(5:7・9f・14)。(T5)は,昇天を信じる篤信の
人々に言及した2:9に認められる(ただし,この部分を後代の付加とする説もある)。
イザヤに対するヒゼキヤの信頼の厚いことをうかがわせる第1章の記述に,(Ex)が
認められる。(U)として,1:3のr永遠のさばき,ゲヘナの苦痛」への言及と,迫害
者に対するイザヤの呪いのことば(5:9)を挙げ得る。(V)はr主の幻」への言及
(5二7)に認められるが,イザヤが聖霊に語り続けながら殉教したという記事(5114)
を(C)に数えるぺきか否かは微妙である。群衆は5:11に登揚する(Tu)。悪魔とそ
の手下は,マナセを背後から動かすものとして全編に登揚する(S)。
【12】 『バビロニア・タルムード』rベラコス」61b。前稿で確認した(T1)(T2)
(T3)(T3A)(T4)(T5)に加えて,「天からの声」への言及に(V)が認められる。
【13】 『バビロニア・タルムード』rアボダ・ザラ」18a。(T1)(T2)(T3)(T3A)
(T4)(T5)の存在は,すでに前稿で確認した。r天からの声」への言及に加えて,
死を前にした殉教者がrトーラーの巻物は燃えているが,(そこに記されている)文
字は空高く舞い上がっている」光景を目撃する,という記事に(V)が認められる。
30 言語文化No.24
4
以上で古代ユダヤ教殉教物語の再検討を終わったが,古代キリスト教の殉教者行伝
の検討に移る前に,両者の中間にあって,前者の影響を受けつつ,後者に影響を与え
たことも予想される,新約聖書の中の殉教物語を取り上げることにする(12)。それら
は,福音書の中のイエスの受難物語と使徒行伝の中のステパノの殉教物語である。殉
教者行伝の殉教者たちは,しばしばイエス(やステパノ)の足跡に従う者たちとして
描かれており,殉教者行伝の著編者たちが新約聖書の殉教物語を手本にした可能性は
大きい。また,新約聖書に続いて,新約聖書外典の中の殉教物語的な部分を瞥見する。
【共観福音書】検討の対象となるのは,マタイによる福音書26章以下,マルコに
よる福音書14章以下,ルカによる福音書22章以下。3つの福音書は,章数によって
区別する。並行する部分では,マタィ,マルコ,ルカの順に個所を示す。各福音書固
有の個所には,(Mt)(Mk)(L)を付す。
(T1)26:2(Mt),26:12=14:8,26:21−23=14:18−20=22:21,22:15(L),
26:46=14:42。(T1)+(T2)26:39=14:35f・=22:42(最終的には神の意志の実現
を求めつつも,苦難の忌避を願う殉教者の姿は,他の殉教物語や殉教者行伝には認め
られない),26=42(Mt,神の意志に従うイエスの意志を強調)。(T3)26=67f・=14:
65=22:63−65,27:27−31=15:16−20(ルカは並行を欠く),27:33−50=15:22
−37=23:32−38。ルカでは(T3)は非常に弱められている。(T3A)27:13f・=141
4f・,27:15−25=1516−15=23:17−25(ピラトゥスはイエスの無罪を認め,釈放し
ようとする。ルカはイエスの無罪性を,統治者による無罪性の確認を繰り返すことに
よって強調する;2314(L)・14f・(L)),27:54=15:39=23147,23:48(L。註13
参照)。(T4)26163f・=14:61f・=22:66−70(ルカはイエスの沈黙のモチーフを欠
く),27:12−14=15;3−5(イエスの沈黙のモチーフはマタイの方が強い)。(T5)28
=16=24
0
(P)26:28=14:24=22119f・(ルカはパン烙きにもrあなた方のために与えられ’
る」ということばを付け加える)。(Tu)26:47需14:43=22:47(13),27:15−25=15:6
−15=23=13−25(ルカにおいても,イエスに有罪の判決を下すようピラトゥスに迫
った責任は,民衆(λα6g)も指導者たちと共に負わされる。註13参照),(V)27=45
=15:33=23:44,27:51−53=15138=23:45(マタイはイエスの死後の異象を強
調),2811−10=16;1−8=24:1−9。(C)27:46。50=15:34・37(神への叫び),
古代キリスト教の殉教文学 31
23:46(L。ルカは,マタイとマルコの伝えるイエスの絶望の叫びを,神への全幅の信
頼の叫ぴに変える。これ・によってイエスは殉教者の理想に近づく(14))。(S)22=3(L)・
31(L)(cf・ヨハネ13:2)。(U)27:3−5(Mt)。(U)とは反対に,ルカのイエスは,
大祭司の奴隷(イエス逮捕の際の群衆の一人)の斬り落とされた耳をもとどおりにし
(22:51(L)),十字架上の悔い改めた罪人に天国を約束し(23:40−43(L)),迫害者
に対する赦しを神に祈る(23:34(L)(後の殉教者行伝にも認められるこのモチーフ
は,Ve=Velhaとでも名付けて比較検討の項目に加えるべきかもしれない)。(Re1)
27:57−61=15342−47=23:50−56
0
【ヨハネによる福音書】 (共観福音書の殉教物語と並行する部分を中心に)。(T1)
12:7213:1。 (T1十丁2) 12=27f,,14:31。 (T3) 19;1−3.17f。23f.。 (T3A)
18:29.38f.,19=4,12。14f.。 (T4) 18:5.8。11.20−24,19:25−27.34,(T5)
20。(P)11:50,18:14。(Tu,AS)18:31以下で,r群衆」としてrユダヤ人」が登
揚する(ASは共観福音書でも含意されているかもしれないが,ヨハネではそれが明
示されている)。(V)12:28f・,20。(Re1)19:38−42。(S)13:2(cf。ルカ22:3)。
(D)は極めて多い。(C)は存在しない。
【使徒行伝6:1−7:60】 (ステパノの受難記事。Stと略記)。(T1,V)6:15(この
節は,ステパノの死をも恐れぬ毅然とした態度を示しているが,彼の顔が天使の顔の
ごとくであったと記している点で(V)にも数えられる(15))。(T1+T2+D)7:2−53
(この長い演説の最後で,ステパノが,迫害された殉教者としての預言者像に言及す
る点が注目される)。(T3)7157−59。(T4,C)7:59f。。ステパノは,リンチを受け
ながら神に祈り続け,最後に神に向かって大声でr主よ,この罪を彼らに負わせない
で下さい」と叫ぶ。これは,ルカ福音書のイエス像に認められたVeniaのモチーフと
共通しており,おそらくこれらの影響によって,r迫害者に対する赦しを殉教者が神
に祈る」というVeniaのモチーフが殉教者行伝に現われる。(T5)7=59(ステパ
ノは,自らの霊が主イエスに受入れられることを信じている)。(Ex)6:5・8。(Tu)
6:(8)・12, 7=54以下。(V)7:55f.(16)。
【外典行伝】 殉教者行伝の検討に入る前に,最後に,新約聖書外典の中の使徒たち
の行伝に含まれる,殉教物語的な部分の検討結果に,簡単に触れることにする。それ
は,「ペテロ行伝」35−41,「トマス行伝」159−171,および「パウロの殉教」(17)であ
る。これらの行伝は,ほぼr殉教者行伝」と並行する時代(2世紀中葉以降)にまと
められ形を整えていったものと想定されている。そこに含まれている殉教物語と我々
の「殉教者行伝」との関係については,ここでは立ち入らない。
32 言語文化No。24
rペテロ行伝」(APと略記)。(T1)ペテ・は,自らの殉教を予感して・喜ぶ。(35f・)・
(T4,D)ペテ・は十字架刑の判決を受けた直後も,逆さはりつけになった後も,平然
と,周囲の人々に長い演説をする。十字架の判決に対して,彼は逆さはりつけを自ら
志願する。殉教のようすを伝えるのは,r人々が,彼(ペテ・)の望みどおりの仕方
で,彼を(十字架に)架けた時」という一節(38)のみであり,(T3)は無いと考え
られる。(V)は40と41に,(Re1)は40に,(Tr1)は41に,認められる。ペテロ
は死の直前に「生命のことば」と「イエス」に向かって語りかける(39=C)。群衆は
殉教者の側に立つ者として登揚する・
「トマス行伝」(AThと略記)。(T1)トマスは自らの拷間と殉教死を覚悟する(160)。
(T5)トマスは,殉教後は自分はr主イエスのもとへと引上げられるのだ」と語る
(159)が,これを(T5)に数え得るか否か微妙である。殉教のようすを伝えるのは,
r四人の者が彼(トマス)を刺し殺した」(168)のみであり,(T3)は存在しない・
(S)は170に,(V)は169f・に,(Re1)は168,170に,(D)は165他に,認めら
れる。トマスは,神に向かって語りかけた後,兵士たちに自らの処刑を命ずる(167
=C)。この行伝でも,群衆は殉教者の側に立つ。
rパウロの殉教」(MPと略記。個所はギリシア語テキスト(註17参照)の頁・行
によって示す)。(T1,V)パウ・は,聖霊に満たされて,皇帝ネ・の尋問に対して・
堂々と自らの信念を開陳する。(110・11f・)。(V)は115・15,116・4−10にも認められ
る。(T3)=110・2,112・1f・。(T3A)迫害者たちは,驚嘆し,改宗する(115・18−
116・4,116・10−117・6)。(T4)死刑(斬首)の判決後もパウ・は臆することなく語り
続ける(112・3f・他)。(T5)パウロはキリスト教徒は神に対して生きる(ζ卵τφθεφ)
故に決して死なないことを人々に教え,処刑後すぐに甦る(112・15f・,114・15−115・
1,115・6f.,116・4−10.15)。(U)=112・1,114・1.9−11,116・8f.。(S)=106・3(πoレηρδg
δごdβoλog),112・6(6πoソηρ6g)。パウ・は,処刑直前に,r両手を天に向かってさし上
げ,長い間祈り,祈りの中で,ヘブル語で(…βραビστ1は「アラム語で」の意味かも
しれない)父祖たちとことばを交わした」(115・14f・)という記事を(C)に数え得る
か否か,微妙である。
註記 紙数の制限により,古代キリスト教殉教者行伝の検討と,本稿全体の総括
は,本誌次号掲載予定の(下)に委ねられる。なお,38−41頁に,続稿をも含む本
稿全体において検討対象となった(または,なる予定の)すべての文献における,構
成要素の有無を示す一覧表を掲載した。本号で取り上げたものは,論文中の順序のと
古代キリスト教の殉教文学
33
おりに提示。新約聖書と新約聖書外典の文書名の略号については本文参照。殉教者行
伝はMusurilloのテキストの順に,Musurilloの番号にそのテキストの言語を表すL
(=Latin)またはG(=Greek)を加えた略号によって示す。番号を示す数字の後の
「A,B・一・」は,「A版,B版・一・」を示す。構成要素の有無は,「T(=True=有)」
または「F(=False=無)」によって示す。
註
1.「後期ユダヤ教」(Spatludentum)ということぱは,ほぽr第二神殿時代」を指して用い
られるが,どこからどこまでがr後期」なのかという点は暖昧なまま,用いられて来たよう
に思われる。(そこで,同じ時代を取り扱いながら,L漉剛獄襯4R躍8づ凹♂θεF地勿砕
4θη傭郷(参考文献表参照)というタイトルの書物も現われ’て,我々を戸惑わせることにな
る)。本稿では,以下の論述より明らかなごとく,ヘレニズム・ローマ時代,特に紀元前二
世紀から紀元後一世紀ないし二世紀初頭までのユダヤ教文献が中心的に取り扱われるが,一
部いわゆるラビ文献をも取り上げる(註5参照)、
2・本稿ではr殉教者行伝」のテキストとして,Musurilloを用い,適宜Knopfを参照する。
3・surkaulFischell Frend,M碗粥ぬ蜘31−78所収の論文Judaism and Martyrdoml
Frend,Persecutions l Baumeister;Lohse等0
4・文学:類型(Literaturgattung)の問題を取り扱うことを序において標榜しているSurkau
も例外では無い。
5・従来の研究ではラビ文献の中から,本稿で取り上げたものの他にもいくつかの個所が殉教
物語として取り上げられてきたが(註3で挙げた文献参照),それらは,本稿で取り上げる
ものの他は基本構成要素を備えていない。たとえば,最も多くの基本構成要素を備えている
rバビロニア・タルムード』rサンヘドリン」13b−14a(R Judah b・Babaの例)も(T5)
を欠き,『ミドラシュ・ラッバ』創世記LxV、22のJoseph Meshith乱の例は(T3)のみ,
同一個所のR Jose b・Jo{ezerの揚合は(T3)と(T5),『バピロニア・タルムード』「タ
アニス」18b(≒『ミドラシュ・ラッバ』伝道の書III。17)のJulianusとPapPusの場
合は(T3)(と(U))のみしか存在しない。もっとも,rモーセの遺訓」にも(T4)(ない
し(T1))が欠けているとも考えられ,基本構成要素を1つだけ欠いているという意味で
はR Judahb・Babaの例は取り上げるのが適当であるようにも見えるが,rモーセの遺訓」
ではT1とT4が一つになっていると考えれば,rモーセの遺訓」は基本構成要素を備え
ていることになる上,rモーセの遺訓」の成立が紀元後一世紀初頭と考えられているのに対
して,rバビ・ニア・タルムード』の編纂は5世紀初頭(上記のミドラシュ文献はそれ以降)
と想定されており・あえてここで取り上げる必要は無い。我々が取り上げたラビ文献中の二
つの殉教物語もrバピ・ニア・タルムード』の一部であるが,それらの殉教の年代はいずれ
も紀元後135年頃であり物語自身はかなり早い時期に成立した可能性が高い。さらに,それ
らは,古代ユダヤ教殉教物語の型がいわゆるラビ的ユダヤ教の時代(ラビ文献)にまで保存
伝承された例として,(あるいは,殉教物語の型の確認に役立つ限りにおいて)取り上げたの
であって,これらが(もちろん,最終編集の前の伝承段階において,ということになるが)
殉教者行伝に何らかの影響を与えた可能性を想定しているわけでは無く(むしろ両者は共通
34 言語文化No。24
の根から生じた枝(ないし,兄弟)のようなものである)・従って・本稿においては・これ
以上ラビ文献に立ち入る必要は認められない。ラビ文献中のr殉教物語」とそれ以前の古代
ユダヤ教殉教物語との関係は,本稿の問題とは別個の問題である。なお,r預言者の生涯」
(旧約聖書偽典)の中のいくつかのr生涯」も預言者の殉教にふれているが(イザヤ・エレ
ミヤ,エゼキエル,(ダニエル),ミカ,アモス,ゼカリヤ(エホヤダの子)),それらは文学
類型的に他の古代ユダヤ教殉教物語とは遠く離れており,本稿では取り上げない。
6.Cf.Fische1,380.
7。このような要素を列挙したものとして以下のものが挙げられる。Surkau,74−82;Fischel,
383f.(…stereotyped scheme of unabridge(i Jewish and christian卿α7’1γγ∫α…)l Stauffery
314−7(Beilage I:Hauptelemente der altbiblischen Martyrertheologie)l Henge1,27レ7
(Das Verstandnis des Martyriums bei den Zeloten).筆者のものは,資料に基づいて,
これらとは独立に考えられたものであり,これらを参照した後も基本的に変更する必要は認
められなかったが,Fische1のものが筆者のものに最も近く,参考になる点が多かった。
StauHerの弱点については,Beck,30n・7を参照。なお,殉教者が神の加護により・拷
問の危害を被らない,というモチーフ(Fischel,376f・)を加えるぺきかもしれない。
8.Cf.Fischel量286,‘One should not forget that a pre(iilection for the perverted or
erotic was quite prominent in Hellenistic literature,・
9.「ほぽ」年代順なのは,大部分の文書の正確な成立年代が不明なためである。参考文献に邦
訳の示してあるものについては,さしあたり,そこに付されているr概説」を参照されたい。
10・Fischel,369は,「殉教者による自分自身の運命の予知」のモチーフを,独立したものと
して扱う。ただし,rモーセの遺訓」には言及しない。
1L以上の点について,詳しくは,村岡訳への概説を参照。以下の検討は村岡訳による。
12,Horbury and McNeil参照。特にルカの受難記事が先行する古代ユダヤ教殉教文学の影
響を強く受けている可能性については,Beck参照。
13.日本聖書協会訳口語訳(荒井もこれ’を踏襲)ではルカ23;1にr群衆」が登場する。そう
すると,マタイとマルコでは民の指導者に与えられている役割が,ルカでは群衆に与えられ’
ていることになる。しかし,原文はr彼らの群」であり・これは・そり前の場画に登揚する
民の指導者たちを指しており,内容的たマタイおよぴマルコと同じことになる。むしろ逆に,
ルカでは,群衆は,迫害者よりはむしろイエスの側につく傾向にある。22:2,23=27・48参
照。これに対して,23:35では民衆(2α6g)が傍観者として登揚(この個所の両義性につい
てはBeck,32参照)。もっとも,r,ピラトゥスヘの訴えに関する限り・r群衆」またはr民」
が他の福音書に増してイエスに敵対的である」(荒井,321頁)。
14。Cf.Beck l Frend,The Persecutions量1491荒井・333頁。
15.Fischel,381は殉教者が天使のごとくなるというモチーフを(V)とは区別する。
16.ステパノはr天が開いて,人の子が神の右に立つのを見る」と語るが(7:56)・Fischel,
368は,r開いた天」のモチーフを,独立したものとして扱う。
17.rパウロの殉教」とrパウロ行伝」の関係については,青野訳rパウ・行伝」へのr概説」
参照。青野訳rパウ・行伝」にはrパウ・の殉教」は含まれていないムここでは,テキスト
としてLipsius,104−117を用いる。
(
古代キリスト教の殉教文学
35
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弓削達r・一マ皇帝礼拝とキリスト教徒迫害』(日本基督教団出版局,1984)
38 言語文化No.24
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古代キリスト教の殉教文学
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10G Er=7(6),12(5)P
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13G T5=6(4)∼
12L U,S,Tr1=7(later addition∼)
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14L T3A=9(1)(3)∼
15BL 12−23
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T4=7(2)∼
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T3=4(3)7,Re1=5(6)∼
T4=4(2)∼,T5=2(2)⊇,C=4(2)∼
T3=2(2)P,T4=2(2)∼
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古代キリスト教の殉教文学