いて'逆接の接続詞的用法における﹁然﹂字の使用を取り上 げて考えてみたい。 本稿では、和化漢文資料における用字法の差異の間道につ 鬼欺吾欺、 (拾遺往生伝・第32話) 特に霊験記の類においてはへ この﹁然﹂の使用率が﹁而﹂ のそれを上回ることが知られるのである。 ○其明朝へ尼謂常住僧云'吾去夜可赴他界へ而命尚存夷、邪 磯 貝 淳 一 - 霊験記・仏教説話の用字法に注目して- 和化漢文資料における﹁然﹂字の使用について はじめに 和化漢文資料においては'文頭に立つ ﹁而﹂字が逆接の接 続詞として使用されるのが一般的であるとされる。このこと は、峰岸明氏が古記録を中心とした和化漢文資料の調査を通 じて明らかにされたところである。斯かる用法において使用 一、和化漢文資料における﹁然﹂字の接続詞的用法 される漢字を和化漢文資料中に調査すると、全般に﹁而﹂が 優勢で.あることが分かる。 しかし、時に以下に示すように類似の文脈において、或る 調査資料において﹁然﹂は以下のように使用されている。 1 接続詞的に使用される a 順接接続 ①此女昔汝家御炊也、矧汝殿一里人死受施、汝有普願置一俵 A 単独で使用 資料では﹁然﹂の、或る資料では﹁而﹂の使用を見るものが ある。 ○後二人倶死同至間魔王所、即令岐州沙珊坐黄金座甚以恭敬 蘇息、 (探要法花験記・下1 6オ8) 之へ楊州比丘坐白銀座恭心不重へ然二人供有鎗命'即以得 10 ェ ク B 軌⋮合して使用 ヽ ノ ♭ ソ ヲ ○間比丘垂云汝尺種浄飯王子也。伏.:何依得少食罷"作虚妄之音 のように多-﹁シカルニ﹂と訓読される。しかし' 米・・・此女乍供倍後譲形醜' (注好選・中30オ3) ②碓大夫参詣六披羅寺値過諦延、矧事前有雨三尼へ 喜耶 (金剛寺本注好選・中13オ2) の如-﹁シカルヲ﹂と訓読される場合もある。 ヲ a 順接接続 ⑦操浴身垢、執悌手之緒、諦両者園浮之文如昨日へ矧矧北首 之へ (婁州往来・43ウ2) (探要法花験記・上28ウ-) ③右彰望之慶事投恩簡幸甚々々'矧所召微牛錐恥繭栗随命奉 ﹁然﹂が順接の接続詞的に使用される場合、前件を受けて 後件に続ける働きを担う。また﹁さて﹂という意味で話を起 右脇へ如眠気絶、 (続本朝往生伝・第10話) ⑧告知此経是諸悌出世本懐衆生成悌之直道也、矧矧三位量功 す る 4 J よ り る _ - - こす役割を担う。探要法花験記の加点例を確忍すると、 ○記章-悪等之人見其作-法'尤町長-怖'然傍有貴1倍(﹂) b 逆接接続 ⑲年齢衰老月来病悩'矧剛其病不重行へ ﹁然後﹂﹁然別﹂﹁無間﹂の如-熟合して順接接続の用法を 担う。 セ t L 探 要 法 戎 頗 記 ・ 上 2 3 ウ 2 ) 絶一代十箇響喰徳超四味、 (探要法花験記・上3ウ4) ⑨偏仕蒲陀'久慕極#'矧副長承四年三月十八日、告弟子日、 ○別出雲林院(反)行大-宮大路。然於大-垣連荘)有不例之人、 (探算法花験記・下3オー) (高野山往生伝・第1 0話) のように'これらを﹁シカルニ﹂と訓じていることが分かる。 b 逆接接続 ④剃除頭染衣、削跡深山、避色遁世、準心戒律、矧寮妾在側' (探要法花験記・上13オ12) ⑬間魔法王引帳検札云'依罪業探可遭地獄也へ矧矧此度脱罪 忽然捨難、 (大日本国法華経験記・第蛸話) ⑤暴風頻吹逆浪成山不能船浮'事依火急乗船渡河へ衆人見者 英不恐歎'矧僧都出船時へ天童数十人棒船不沈水へ 延算道本餌へ (大日本国法華経験記・第32話) (注好選・中10オ2) 2 動詞として使用される ⑬五人取措花以置薮上'供十方備一人刊矧へ ﹁然而﹂は専ら逆接の接続詞的用法を担う。 m (探要法花験記・上15オ4) ⑥晋撃石へ孟嘗君五月生へ矧無音へ (東山往来・第1状復) ﹁然﹂が逆接の用法を示す場合へ前件を受けてこれと反対 の事柄を述べる'もし-は前件において予想される事柄と 一7 言喜邪。 (注好選・中13オ6) は異カ.っ亮柘果が,dじる頒となる >Jの場合t,,スソ ○間比丘亘云汝尺粗浄飯王子也。矧称依得少食''*.作虚妄之 11 (婁州往来・2ウ1) ⑬若是鷲鳳群偏嫌鳥雀之類欺、其理可然々々 以上﹁然﹂の用法について概観を行った。これらの中へ本 採 ォ 1 帥 1 8 0 6 1 級 1 2 1 4 4 0 0 4 2 0 0 3 塞 5 1 4 3 1 稿で対象とするのは﹁-接続詞的に使用される﹂場合である。 当該用法を中心に調査資料全体における使用をまとめたのが 大 2 東 注 2 秩 7 1 1 ⋮ 後 然 1 妖 1 然一 間 1 7 7 1 5 1 6 5 1 1 1 然‖ 者 3 6 5 1 2 然 8 4 2 ︰ り 妖. . 良 然而 0 1 醍然 車 2 1 以下の表1である。 表慕 用法 撹 揺 順 逆 a *資料略称及び各資料の表記主体 注 注好選(仏) 大 大日本回法華経験記(也) 探 探要法花験妃(仏) 高 高野山往生伝(紘) 続 続本朝往生伝(俗) 東 東山往来(也) 裏 書州往来(俗) 帥 帥紀(俗) 後 後二俵師通紀(俗) この表は﹁然﹂字の接続詞的用法を順接接続と逆接接続と に分かちへ 用例数を計上したものである。 この中で'注目したいのが逆接接続の用法における単独の 1然﹂の使用であ ﹁然﹂の単独での接続詞的用法は、順接・ 逆接を通じて注好選・大日本国法華経験記・探要法花験記・ 雲州往来に認められる。この他'高野山往生伝・東山往来・ 帥記・後二僚師通記にも例が存する。 漢字の有無は、当該字が表す語の有無に関わるのであって' このことが﹁然﹂の使用の偏りを直接的に示すものではない。 しかし'当該字と類似の用法を持つ﹁而﹂の使用と比較する ことによってt より明確に使用差が看取される。 ﹁而﹂は和化漢文資料とりわけ古記録において'﹁接続詞 的用法は'専ら逆接接続の職能を果たし'接続助詞的用法は' 専ら順接接続の職能を果たす﹂ことが峰岸明氏によって明ら 12 探要法花験記a・大日本国法華経験記=・・注好選=・・東山往 (5) かにされている。つまり、先に提示した﹁然﹂の用法の内、 朝往生伝o・帥記O 1 高 2 3 2 続 栄 2 7 1 1 旦 帥 4- 級 1 3 3 はならない。すなわち、以下の二点を考慮に入れて検討を重 しかしへ この検討のみでは表記主体の社会的属性の違いを 背景とした用字法の差異が存していることを証明したことに 記の場合は高い割合で) ﹁然﹂が使用されるというもののよ うである。 いるのは﹁而﹂であり'仏家の場合ある程度の割合で(霊験 以上の検討から'﹁然﹂﹁而﹂両字は'逆接の接続詞的用法 において用法上の重なりを見せつつも、その使用において差 異が存することが分かる。つま-仏・俗を通じて使用されて の使用される割合は極めて低い。 る程度の割合を持って使用されている。これに対して、俗家 の手に成る資料では﹁而﹂が使用の大半を占めてお-、﹁然﹂ 料である。これらの資料においては'﹁然﹂が中心的乃至あ の使用率が上位になっているのはいずれも仏家の手に成る資 の如-である。﹁然﹂の使用率が低いものほど逆に﹁而﹂の 使用率は高いことになる。ここで、表記主体に注目すると﹁然﹂ 来=・・雲州往来=・・後二催師通記;・・高野山往生伝o・続本 ﹁-接続詞的に使用されるA単独で使用b逆接接続﹂の用 法と重なる部分が存するわけである。以下の用例からも分か るようにも いずれも﹁然﹂と類似の意味用法となっているこ とが確認されよう。 ⑭亀語猿云汝開吾責任者也、漸有腹痛、 (注好遺・中39オ3) ⑬右件男従竹馬之従時、住家中者也'漸習丹青業以来へ不致 朝 夕之格勲へ (雲州往来・7ウ10) ⑲仰云'是乍居陣令奏欺、申道理審弓場殿可令奏也'耐宿徳 7 ps fc 注 大 採 7 4 而則 而 而後 大臣乍座令奏候欺、 (帥記・康平8年8月3日) これらの使用を中心にまとめたものを表2に示す。 J 用法 接 佃間 7 9 1 4 ねる必要がある。 I注好選・大日本国法華経験記・探要法花験記は説話及び霊 験記であって俗家の文章として取りたてた古記録類とは 0 2 内容を大きく異にする。(表記主体の社会的属性の違いと 5 1 先の表1と比較すると、逆接接続の用法におい1 て﹁1 然﹂﹁而﹂ 言うよりは資料の内容の違いに関わる問題ではないか) 瞑 而 逆 h n 山 r の両字の使用率に差異が認められることが分かる。当該用法 (6) の﹁然﹂の使用を百分率で計上するとへ 13 探要法花験記は、中国出典の存する資料であって、正格漢 Ⅱ先に﹁仏家の手に成るもの﹂とした資料のうち、注好選・ (7) (8) 体の社会的属性の違いに関わる差異針というものを単純に認 めることはできないということになる。 て、この点と用字法の差異との関わ-について検討する。 記と古記録との間には、表記主体の社会的属性の適い以外に' 日常実用の文章であるか否かという違いが存していた。続い 先の調査で﹁然﹂の用字法に顕著な差異が認められた霊験 文の用字法に影響を受けていることが考えられる。(和化 表3﹁然﹂ 表4﹁而﹂ 漢文資料の用字法として取り上げるべき問題であるか) 俗 計 以下、これら問題点の確認を行うこととする。 仏 仏 俗 計 8 3 1 0 4 4 解 解 1 6 7 3 二、﹁然﹂字の使用差の意味 6 6 日 8 8 宣巳 1 塞 冒 5 5 下文 4 1 5 6 1 7 売券 1 ﹁平安遺文﹂ における﹁然﹂﹁而﹂ の使用 2 2 4 3 1 4 9 8 7 請文 煤 先ず、r平安遺文)に所収される文書類(長保三年胤-文 2 3 2 1 3 売券 1 4 5 永三年塑を対象に検討を行う。当該資料は当時の日常実用 下文 2 1 3 3 0 3 申文 虫 9 8 7 文が網羅されてお-正格漢文との直接的な因果関係が存しな 臼 文 三 一 日 目 1 0 2 2 い。またへ表記主体の社会的属性が明確なものが多-仏・俗 書状 2 4 6 啓状 両者が共に作成している。以上の点から、先の問題の検討に 劫注 状 1 1 4 4 勘注状 適していると判断される。 0 1 1 煤 施入状 3 1 4 r平安遺文L においては'逆接の接続詞的用法での﹁然﹂ 施 入状 0 l1 1 2 2 4 ﹁而﹂両字の使用は表3・4のようになっている。 申文 空 聖 4 6 仏俗それぞれにおいて﹁然﹂の使用率を計上するとへ仏家 合fc ! 7 7 合計 9 4 1 3 11.6%・俗家8.1%となる。この使用率は'先に計上したところ 1 3 2霊験記と往生伝とに見られる﹁然﹂使用の差異 の古往来類の数値に近-なっている。仏家が表記主体となる 文書において﹁然﹂の使用率が僅かに高-なるものの、両者 に顕著な使用の差異は認め難い。文書類は全体として﹁然﹂ の使用率はさほど高-ないもののようである。このように見 てくると、先に提示した問題点の内Iについては'﹁表記主 14 尼へ 流涙謂云、 (拾遺往生伝・第15話) 探要法花験記と拾遺往生伝の同文的個所(①と②及び③と ◎右京碓大夫詣六波羅蜜寺'勝間雑演へ車前有三尼'中有1 ④)を比較すると'前者は﹁然﹂を用いて接続を表現し'後 表1において'往生伝には逆接の﹁然しの使用が見られな かった。往生伝は往生者の伝記であって、日常実用の文章と は性格を異にする。ところが﹁然﹂の使用率が貴も高かった 率がさほど高-はなかったことを考え合わせると、霊験記と 往生伝は共に日常実用の文章ではな-、また仏教に関わる内 者はこれを使用しないことが分かる。往生伝に﹁然﹂の使用 探要法花験記は、霊験記であり往生伝とは比較的近いジャン 往生伝が霊験記と深い関わりを有していることは'両者が ルに属する。この両者の﹁妖⋮﹂﹁而﹂に差異が存するのはど のような理由に拠るのであろうか。 容を持つ (時に類語が存する)という共通性を持ちつつも' 用字法において必ずしも一致しない面が存していることが分 かるのである。 続に﹁然﹂を使用する割合が高い用字法﹂が往生伝に見られ ない要因は'仏教的な内容を俗家が作成しているというこの 種の文章の成立に関わるように思われる。 (12) ここで考えてお-必要があるのは'往生伝が内容は仏教に 開わるものであってもへ その作者は俗家である儒者が中心で (11) 話を多-収載するが'同時に往生伝である拾遺往生伝も大日 あったということである。霊験記を中心に見られる﹁逆接接 出典を同じ-する頼話を持つことからも知ることができる。 霊験記である探要法花験記は、大日本国法華験記に取材した 本国法牽験紀に拠った話がある。これらの﹁然﹂の使用を比 較すると'両者の使用が必ずしも1致しない事象が認められ る。 ①人骨日是非業死へ譲清浄聖人故蒙現罰也、僧都有急事徽山 科寺京上、然於淀河暴風頻吹逆浪成山不能船浮へ事依火急 乗船渡河へ衆人見者莫不恐歓へ然僧都出船時へ 天童救十人 上洛臭へ淀河芝へ風波駿、僧都1身乗船、剣山矧矧1刊矧 用字法は、﹁表記主体が仏家であって表記内容が霊験記・説 -'内容的に近い霊験記と往生伝にあっては'霊験記にのみ 認められるものであることが分かる。このことから'斯かる 以上の検討から(2)において指摘した問題点について、﹁然﹂ の使用差は'日常実用に資する文章には認めがたいものであ 天童十許人出於河中、棒船而渡へ然後天童還入河中而共へ 話の類である場合に見られるもの﹂との想定を行うことがで きよう。 樺船不沈水へ者彼岸尭天童通人河了' (探要法花験記・上15オ2) ②督人云'誹誇清浄人へ放棄現前也云々、胤細利割判1痢別 (拾遺往生伝・第6話) ③槽大夫参詣六波羅蜜寺へ矧矧﹁矧劃甜利矧ヨ矧へ一人 流涙語日へ (探要法花験記・上28ウ1) 15 三、﹁然﹂字の使用と和化漢文資料 -霊験記とその出典との関わりから- (2) 続いてへ先に掲げたⅡの問題について、中国文献と和化漢 文資料(霊験記)との用字法の関わりから考えることとする。 探要法花験記は中国・日本のそれぞれに出典を持ちへ中国 の部は法華伝記へ 日本の部は大日本国法華験記に概ね拠って いることが知られる。そこでこれら二書において'出典とそ れに基づ-和化漢文資料という関係にある説話間で﹁然﹂の 使用がいかに為されているかを見ることとする。 まずへ 二書において殆ど同文と認められる説話は全42話存 している。この中で探要法花験記に接続詞的用法の﹁然﹂が 使用されている部分(全1 5箇所) について比較を行った。以 下に用例を挙げる。(①と②'③と④がそれぞれ類話) ①日師昔在地獄受苦知否へ其地獄業者成鳥父母へ鳥主君殺害 羊鶏鳴等'錐非日放思業へ必頗受報'又烏比丘威儀不調へ 犯用僧分へ其罪無量、鷹堕地獄、然今以諦法華故'其罪締 轟へ 普生十方備前へ (探要法花験記・上20ウ-) ②語吾音阿師昔有地獄定受莱虚、其地獄業者へ父母璃君殺害 猪羊鶏鳴等'錐非自殺へ悪業故必鷹受報、又沙珊時犯用僧 分、威儀不調、其非無量、勝地地獄'今以細法華故へ其罪 鏑壷、生十方備前、 (法華伝記・巻第6唐真寂寺釈寮生l) ③僧徹醇師者練州南孤山之人也へ曾行路之次即退職者、醇 引之至山中へ構居給食へ令譲法華経へ然本性頑都不識一字、 句々難授'更元可得へ (探要法花験記・下24ウ2) ④輝僧徹へ住縫州南孤山陥泉寺、昔行退城者在穴中へ徹引至 山中'鵠竪穴給食へ令諭法華へ素不識文字へ加又頑郡へ句 旬授之へ終不辞借へ (法華伝記・巻第5縫州陥泉寺稗僧徹9) 共にも探要法花験記に存している﹁然﹂が出典である法華 伝記には無いことが分かる。これは1 5例総てが同様であって' 出典には存しない﹁然]=,が探要法花験記において補われてい ると認められるのである。つま-探要法花験記の場合、接耗 詞的用法の﹁妖⋮﹂は出典の影響下に無い独自の用法である蓋 然性が高いことが分かる。 ここでへ更に詳細に出典の法華伝記から和化漢文資料の探 EE 要法花験記への変化について考えたい。探要法花験記には' 1例存する。添加される接続詞の内 出典に存しない語を添加する例が多-認められる。この内、 接続詞を添加する例が全9 訳は、﹁即32﹂﹁時1 8(含、千時-)﹂﹁然1 5﹂﹁又9﹂﹁則4﹂ ﹁於是4﹂﹁但SL﹁乃至2﹂﹁仇・及・戎・故 各-﹂(算用 数字は用例数) となっている。これらの内へ逆接の接続詞的 用法を担うのは﹁然﹂のみである。この用法に供するために、 例えば類似の用法を有する﹁而﹂が用いられることは無い。 このことから探要法花験記においては'出典には存しない逆 接の接続詞を添加する際に、専ら﹁然﹂を選択する用字意識 が存していることが明らかになるのである。 16 以上の検討から'今回問題とした逆接の接続詞的用法の ﹁然﹂字の使用についてへその使用率が他資料に比して高- き好個のものと見られている﹂とされる色兼字類抄の所収語 について、一つの特徴を明らかにするもののように思われる。 その成立当時'即ち、院政期に使用された日常通行語でへ こ の字書はそれら国語を漢字をもって﹁書-ため﹂に利用すべ とは異なる用字法が用いられていることへ実用的な性格を有 する文章においては仏俗の差異が認められないことが分かっ きた。一漢字の一用法のみの検討からではあるが'当該期の 和化漢文資料にあっては'仏家の霊験記・説話において俗家 受けない独自の用字法が存していることを確認することがで 字であって、特に霊験記において高い割合で使用されている ことが明らかとなった。その中で'霊験記には出典の影響を 法には仏家俗家ともに﹁而﹂字を使用することが確認された。 ﹁然﹂字については、基本的に仏家中心に使用が見られる漢 料における用字法の差異について考察を行った。 その結果、当該期の和化漢文資料では'逆接の接続詞的用 平安時代後期の和化漢文資料において﹁然﹂字の逆接の接 続詞的用法に使用差が存することを対象として'和化漢文資 むすび 出していると解し得るのではないかと考える。 ( t ) 載する当時の漢字と和訓との結び付きが、仏教説話・霊廟記 の和化漢文資料におけるそれとは直接に重ならない実態が表 に碓認されなかったことを考え合わせると、色薬字類抄が収 これまでの考察と'﹁然﹂に対する逆接の和訓が色薬字類抄 t 帽 - なるのは霊験記を中心とする仏家の艶話資料の特徴であるこ とへまたこの用字が必ずしも出典の影響下には無-、和化漢 文資料独自のものと目されることが確認できた。 四、古辞書における﹁然﹂字の記載 最後に、古辞啓における﹁然﹂ の記載を確認する。 \ 、 シ カ モ \ シカリ 云- 巳上伺 而烹)如之反 爾鬼氏反 然如延反 喰 如 愈云曳 (前田本色薫字類抄・下77オ-) 如施反 シカナリ シツカナリ コタフ 然 ウク ウ<*-)ケタマハル シ車力至り(ォー> オ至ノ(!ッ(上再︼ヵ(上-ラ壬 タカシ ホシイマ、 シ(サ)ヵ(+)モ至 禾ネン (観智院本類衆名義抄・仏下末8-0 色葉字類抄・類衆名義抄共に﹁シカモ﹂の項において記載 が見える。しかし、これは何れも順接の接続用法を担う接続 詞であって'今回検討してきたような﹁然﹂の逆接の用法に 相当する語の記職は確認できないのである。この逆接の接続 詞の表記として前田本色葉字類抄には' \ 而シカルヲ (前田本色薬字類抄・下78オ-) が掲出される。このことは'特に﹁r色薬字類抄﹂の所収語は' 17 霊験記や説話に多-見られるのかという問題については触れ ることができなかった。またへ当該字が日本語の表記として 今回の考察では﹁然﹂字についてへ この使用がなぜ仏家の る。注好遺・大日本国法華経験記・探要法花験記・高野山 から本資料の編者を考える際に資する面があると考える。 川 順接の場合にも資料による差異が認められるようであ 資料の用字法を広-帰納することは、例えば社会的属性等 もありへ便宜上仏家例の資料として取-立てた。和化漢文 どのような和訓と結びついているのかという問題は検肘しき 往生伝には当該字の使用が認められ、後に指摘する迎接 ﹁然﹂の使用と同様に解釈することができそうである。こ のことは説話を展開する﹁さて﹂に当たる語がこの種の資 れない部分を残した。今後これらの問題を含め、和化漢文資 料内部における差異とそれを支える要因についてへ仏家の文 章を中心に考えていきたい。 目的が為るため'古記録類に用法自体が僅少であるこれら 順接の用法を特に取り立てないこととした。 限って﹁而﹂字の使用を調査したものである。未調査の文 ㈱ この使用率は﹁然﹂字の使用が認められた文書の種類に ㈱ 表中の﹁oLは'用例が認められないもの。﹁-﹂は'文 書自体が存在しないことを示す。 したものである。今後へ用字法等の研究成果をフィードバッ クし、枠を再構築してい-必要があろう。 記録類を﹁(日常)実用文﹂それ以外を﹁非実用文﹂と称 ﹁而﹂の合計における﹁然﹂の使用率を計上した。 間 実用文・非実用文という文章分類は、国語学的なアプ ローチに基づいて帰納されたものではな-、便宜上へ文書・ ㈱ 前掲注-論文。 ㈲ 表-・2からへ逆接の接続詞町用法を単独で担う﹁然﹂ 料に用いられることと関わると考えられ、当該資料群の一 特徴とDEされる。しかし'本稿では用字法の比較に主たる ( 注 ) 川 峰岸明﹁平安時代記録資料における﹁而﹂字の用法につ いて-記録語研究の一方法-﹂(﹃国語学﹄第六二輯'昭和 四〇年九月) 脚 調査対象とした平安時代後期の和化漢文資料における ﹁然而﹂の意味用法についてはへ鈴木恵氏の論考に詳しい (﹁r然而]をめぐってL r鎌倉時代譜研究J第六輯、昭和 五八年五月)氏は、上代から平安時代後期にかけての和化 漢文資料を適時的に検討し'寛平-延書頃を境として' ﹁然而﹂の意味用法が順接から逆接へと転化する様相を指 摘している。 脚 注好選は、編者が未詳である。但し、﹁寺家における小 童の教育用として編集されたものか﹂ (浅見和彦・小島孝 之﹁解抱・艶話文学一〇〇選﹂小島氏解説t r別冊国文学 今昔物語集宇治拾遺物語必携] 1九八八年1月)との指摘 18 なる。 書類にも﹁而﹂字は存しているのであって'これを計上す ればr平安遺文﹂における﹁然﹂字の使用率はさらに低一月)﹁解説﹂ ㈹﹁醍醐寺蔵探要法花験記﹂(馬測和夫箱へ昭和六〇年一 ㈹逆接の接続詞的用法の﹁然﹂だけではなく、順接の接続 詞的用法も補われる例が認められる。15例には、これらを 26 112 用に特徴が認められるという指摘はある。(山本真吾﹁平 ㈹ ただしr平安遺文]所収の文書において'僧侶の漢字使 語 字 含め計上してある。注4において指摘した点と関わり、霊 連 助 験記の和化漢文資料の特徴として'今後考えたい問題であ 2 7 安・鎌倉時代に於ける副詞﹁たとひしの漢字表記について- 動 詞 尾 語 僧侶使用漢字の世界IL r三重大学日本語学文学L第1号へ 一九九〇年六月) 助 接 ㈹ その概略をまとめると以下に示すようになる。 1 的 霊験記と往生伝とを比較して、用語・用字の違いが認め られるという指摘は既に藤井俊博氏によって成されてい 補助 励詞 ㈹ 前掲注-論文。峰岸氏は'﹁而﹂字と逆説接続の和訓と の対応が類釆名義抄には見えず'色葉字類抄に見られるこ 計 26 409 文 91 詞 詞 副 接 続 る。(﹁本朝法華験記の語嚢と表記-霊験記・往生伝の文体 をめぐって-﹂ r京都橘女子大学研究紀要し第二一号、一 九九四年〓1月、﹁r大日本国法華経験記Lの﹁臭﹂﹁蔦﹂﹁也﹂ r云々﹂ ﹂r大日本国法華経験記校本・索引と研究J l九 九六年11月)等。 佃 現存する主要な往生伝'日本往生極楽記・続本朝往生 伝・拾遺往生伝・後拾遺往生伝・三外往生記・本朝新修往 19 35 解説へ1九七四年九月、による)。本資料の成立が保延五(1139) 年からまもなくであろうと目される (前掲解説による) こ ずも露呈した一つの例である﹂と指摘される。今回の考察 が﹁当時における日常一般の文章様式である変体漢文・漢 字仮名交-文を書-際に利用すべき字書であることを図ら ㈹ 前掲注-論文では'注1 6の指摘と関わって、色葉字類抄 とから考えると、純粋に仏家側の人物と認めるには難があ なく出家﹂したとされる(日本思想大系﹁往生伝法華験記﹂ 野山往生伝のみである。三外往生記も仏家の手に成るもの とについてへ両辞書の﹁読むためしと﹁奮-ため﹂という の、表記主体である沙弥蓮禅は'保延元(1135)年の後 使用 ま目 も的の相違を指摘している。 生伝・高野山往生伝の内、表記主体が仏家であるのは、高 詞 動 64 名 詞 指示代 名詞 4 22 容 詞 形 詞 品 19 はへ この峰岸氏の指摘を別の角度から補強することになる と考える。しかし'本稿における検討は、一漢字の一用法 のみを対象としたものである。この間題を考察するために は色葉字類抄そのものを対象とし、周辺資料との比較を行 う必要があろう。今後の課題としたい。 [調査資料︰テキスト] ○末寺観智院本注好選 (r古代説話集注好選(原本影印井釈 文)﹂)○大日本国法華経験紀(r大日本国法華経験記校本・ 索引と研究]) ○醍醐寺蔵探要法花験記 (r醍醐寺蔵探要法花 験記])○高野山往生伝(﹁往生伝法華験記﹂日本思想大系7) ○続本朝往生伝 (r往生伝法華験記] 日本思想大系7) ○東 山往来(r日本教科書大系往来編J第一巻古往来(!))○雲 州往来(r雲州往来享禄本研究と総索引)本文研究篇) ○後 二債師通記 (大日本古記録r後二健師通記]一-≡) ○帥記 (増補史料大成r権記二帥記)) ○平安遺文 (﹁平安遺文﹂) ○拾遺雀生伝(﹁往生伝法華験記﹂日本思想大系7)○法華 伝記(大正新傭r大蔵経)第五十1冊史伝部三) *用例の引用に際しては、論旨に直接関わらない訓点等を省 略した。また、理解に資するため私に読点を付した。訓点資 料の加点例を引用する場合には、資料に存するヲコト点を平 仮名で'仮名点を片仮名で'読点・句点をそれぞれ﹁'﹂﹁。﹂ で示した。 [付記] 本稿は'第二六回新潟大学教育学部国語国文学会(平成一 〇年二月七日、於新潟大学) における口頭発表に基づいてま とめたものである。席上'鈴木恵先生をはじめ多-の方々か ら貴重な御教示を賜った。ここに記して感謝申し上げる。 20
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