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戦前期三井銀行の電力金融 : 財閥と電力資本との関係
橘川, 武郎
社会経済史学, 47(1): 14-41
1981-05
Journal Article
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/17730
Right
Hitotsubashi University Repository
財 閥 と 電 力 資 本 と の 関 係-
戦前 期 三井 銀行 の電 力 金 融
-
橘
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武
け
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月
出 し た発 展を とげ る こと が でき た。 こ のよう な電力 業 の 展 開
好条 件 に恵 まれ た電 力業 は、 他 の重 化学 工業 諸部 門 に比 し て突
1課 題 と対 象
次
2電力 業 の資 金 調達 の概 観
は、 産 業 合 理化 、 生 産 コスト削 減 、 産業 連 関的 な市 場 の創出 、
(
1)
新 産 業 の勃 興等 の多 面的 な 経 路を 通 じ て、 一九 二〇年 代 後 半以
(
2)
降 の重 化学 工業 化 進 展 の基盤 と な った。 電 力業 は'重化 学 工業
目
4 三井銀 行 の電 力 金融
化 の主 導部 門 と し て機 能 した のであ る。
3六大 金融 系 統 の電 力 金融
5結 論
こ のよう な電 力 業 の展 開 に必要 な資 金を確 保 す る ことは、 後
通 じ た資 金 調達 には 限界 があ った ため、社 債 ・借 入金 によ る 一
進 資 本 主義 国 日本 にお いては困難 な課 題 であ った。 株 式市 場を
本 稿 の課 題 は' 日露戦 後 期 から 戦時 統 制 期 にかけ て の三井 銀
層 の外部資 金 の吸収 が要請 され た。 そ の要請 は財 閥系を中 心 と
- 課 題と対象
行 の電力 金 融 の実 態 を解 明 し' 財 閥 と電 力資 本 と の関係 に新 た
し た国内 金融機 関 や欧米 先 進 諸 国 の投 資 銀 行 の仲介 によ ってと
も かく も は たさ れ' こう し た資 金経 路 を確 保 し た電力業 は個別
な光 を あ てる こと であ る。
戦 前 の日本 にお いて' 国際 競 争 が存 在 しな いと いう 例外 的 な
(
1
4
)1
4
戦前期三井銀行 の電力金融
産業部門としては最大規模 の資金調達を実現するこ と が で き
たO電力業は'金融資本的蓄積様式 の 7特質 である社会的遊休
資金 の動員を、最も本格的に展開した産業部門とな ったのであ
る 。
はな-'
ー社債発行と貸付金を通じた支配(
5)
されたのである。
の典型であるtと
とも に明らかにする作業は、戦前期日本資本主義分析の中 でも
で不十分なも のであ った。支配関係 の最大 の論拠 とされ ている
しかしこうした理解は'既にい- つかの批判的見解が示され て
(
7)
いる ことからもわかるよう に、肝心の支配関係 の実証と いう点
このように、電力金融を通じて財閥系金融機関が電力資本を
(
6)
支配するに至 ったとする理解は、通説的なも のと言 ってよ い。
重要な位置を占めると言える。 この作業を進めるに あ た っ て
かく て'電力業 の資金調達を可能 にした扱横をその限界性と
は、①電力資本、㊥財閥系を中心とした国内金融換開、③欧米
異なる評価も存在する。また'もともと、 1銀行と 芸屯力会社
投資銀行t の三者 の動向を視野に入れる必要がある。本稿 では
のは、 一九 二七∼三二年 の三井銀行 による東京電灯の経営 への
(
8)
介入 であるが・ これ に ついては, 「
介入の主眼は債権保崇 にあ
(
9)
り'電力事業が財閥傘下に包摂され て行く訳 ではな い」と いう
このうち財閥と電力資本との関係をとりあげ、財閥系金融機関
(
3)
が電力業 の資金調達 にはたした役割を明らかにしてゆきたい。
との 一時的関係 (
たとえそれが、最大 の財閥系銀行と最大 の電
と電力資本との関係を全体として特徴づける結論を導き出すと
力会社との関係 であ ったにしても)をも って'財閥系金融機関
問題の所在を明確 にするために、電力金融に関する研究史を
若干 ふりかえ ってお こう。
財閥系金融捜関による電力金融は、産業資本確立期 における
いう のは、方法的 に見て大きな難点をも っていると言う べき で
化」という質的内容が問題とされた。電力金融を通じた財閥系
的内容 のみならず'銀行と産業資本との関係 の 「
恒常 且緊密
どまらず、財閥系金融換関による電力金融 の実態を全体として
価を下している三井銀行と東京電灯との関係という 一事例にと
従 って論点を深めてい- ためには'従来 の研究が異な った評
あろう。
銀行 の電力資本支配 こそ、日本的特色をも った銀行 の産業資本
解明することが必要 であろう。 しかし' この実態解明はきわめ
紡績金融に代わる'金融扱関の産業金融の帝国主義成立期 にお
(
4)
ける典型とされ てきた。 そこでは、融 通規模 の巨大 さと いう量
支配- ドイ ツで見られたような株式発行業務を通じた支配で
1
5(
1
5
)
て遅れ ており' 一九 二〇年代 の三井銀行を対象とした浅井良夫
(
10)
氏 の労作が唯 一の業績 であると言 っても過言 ではな い。
そこで本稿 では'財閥系金融機関による電力金融 の実態解明
3」(
﹃
電気 通信大学学報﹄第 二七巻第 二号)三三六貢参雁.
一九七 一年) 一六四真'林健久 ・山崎広明 ・柴垣和夫 ﹃
講
2) 中村隆英 ﹃
戦前期日本経済成長 の分析﹄ (
岩波書店、
(
座帝国主義 の研究6日本資本主義﹄ (
青木書店、 一九七三
年) 1五五頁参照。
(
3) 電力外債 の発行引受を中心とした欧米投資銀行と電力
に力点を置 いて'財閥系金融放閲が電力業 の登金調達機構 の中
でいかなる機能をはたしたかを明らかにしてゆきたい。 この課
資本 との関係 に ついては'別 の機会 に論 じるこ と に し た
ヽ
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(
森山書店' 1九 三九年) 一八〇頁。松島春海 「
電気事業
(
4) 白井規矩椎 ﹃日本 の金融機関-其 の生 成 と 発 展-﹄
題をはたす ためには、①五大銀行および同系列の信託会社'さ
らには電力金融 の重要な 一翼を担 った興銀'② 五大電力および
その関連会社'さら には主要な地方電力tに対象を拡張Ltま
に於ける資金構成 に ついて」 (
法政大学 ﹃
社会労働研究﹄
第一
〇号) 一四 一頁。
(
5) 松島前掲論文 一三三∼ 一四四頁。
た時期的 にも'㊥電力業が 一基軸産業として産業構造 の中 に定
(
ll)
着した日露戦後期から'電力 の国家管理が完成し主要な民間電
力会社が解散した戦時統制期までの全期間、を対象とする必要
(
6) 松島春海 「
電力外債 の歴史的意義」(
﹃
社会経済史学﹄
は、支配関係 のいま 1つの論拠として' 1九 三二年 に財閥
8) 例えば浅井前掲論文 三 一
〇∼三 二 貢。な お 浅 井 氏
(
講座日本歴史18近代5﹄
' 一九七 五年)
'橋本前掲論文、を
あげることができる。
して、高村直助 「
独占資本主義 の確立と中小企業」(
﹃
岩波
(
7) 電力資本 の財閥から の相対的自立性を強調し.
た論稿と
井銀行と三井財閥」(
﹃三井文庫論叢﹄第 二 号)
0
刊現代史﹄第 五号)
。 浅井良夫 「一九 二〇年代 における三
。 坂本雅子 「
電力国家管理と官僚統制」 (
﹃
季
一九七〇年)
第 二六巻第六号)。加藤俊彦 ﹃日本 の銀行家﹄(
中央公論社 、
があろう。
ただし本稿は'主として資料上 の制約から第 一の点に ついて
十分な成果をあげることが できず、 三井銀行中心 の検討 にとど
まらざるを得なか った。 そこで、検討 の過程で'可能な限り 三
菱 ・住友 ・安田 ・第 一の各金融系統および興銀 の電力金融 に言
橋本寿朗 「﹃五大電力﹄体制の成立と電力市場 の 展 開
及することによ って' この点を補うよう努めた。
註
(
1)
(
1
6
)1
6
戦前期三井銀行 の電力金融
代表者 が強 い琴 富力をも った電力連盟が成立した ことをあ
げ ている。しかし、 この点 に ついても、財閥側 の意向を 一
方的 に強調す る のは無 理 であり'破滅的競争を調整するカ
ルテ ル放閑を必要とした五大電力側 の利害 の反映 と いう側
面を見落 とす ことは できな いと思われ る。
.ただし' この点
昇 紗
沸
紅
.
粉
2 電 力 業 の資 金 調 達 の概 観
財閥系 金融 機関 の電力金融 に ついての具体的な検討 に移 る前
(
1)
に'戦前期 の電力業 の資 金調達 の全体像を、第1表 によ って概
観し てお こう。
電力業 の資金量 が著 しく増大 した のは'増加率 では日露戦後
期と 一九 二〇年代前半、増加額 では 一九 二〇年代 であり、資金
調達 が停滞したのは第 一次大戦期と 一九 三〇年代 であ った。第
1次大戦期ま では株式が主要な資金調達手段 であ ったが、 1九
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二〇年代 には いると社債 の比率 が高まり、 二〇年代後半には社
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に ついての最終的判断は'電力連盟 の捜能 に関す る全面的
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換討を ふまえた上 で下される必要があろう。
(
9) 高村前掲論文九 一貢。
(10) 浅井前掲論文。
(
鵠
(n) 林 ・山崎 ・柴垣前掲書 1三貢参照。
(
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債が株 式を凌 駕 した。 しかし' 一九 三〇年代 には社 債 が 後 退
し、株式 が再 び主要な 調達 手 段 とな った。 借入金 の寄与率 は 日
露戦 後期 と 一九 二〇年代後 半 に高 か ったが、 1九 三〇年代 には
そ の残高自体 が減 少 したO
ただしへ 注意を要す る のは'第2表 から 明ら かな よう に' 一
九 三〇年 代 にも 多額 の社 債 が発行 され' その発行高 は同時 期 の
株式 の払 込徴収高を上 回 ったと いう点 であ る。 一九 三〇年代 の
(
註) 1
.1
9
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-1
0
年の償還高は不明のため,*は
(出典) 興銀 『
社債一覧 』『
全国公債社債明細表』
1
9
1
1
-1
4
年の累計値。
(
単位千円)
は'準 備中 の別稿 「
戦 前 期 日本電力業 の資 金 調達 の長 期的
す る予定 であ る。
動 向」(
東京大 学 ﹃
経済学研究 ﹄第 二四号掲載予定 )で詳述
3 六 大 金 融 系統 の電力 金融
こ こでは'財 閥系 金融 機 関全体 の電力 金融を検討 し' そ の中
での三井銀行 の電力金融 の位置 を 問題とす る。六大 金融系統 と
は、① 三井銀行 と 三井信託、㊤ 三菱銀行 と 三菱信託、④ 住友銀
行 と住友信託'④ 安 田銀行 と安 田信託へ⑤ 第 一銀行 と第 一信託
⑥ 興銀 の六者 のこと であ る。
金 の供給 と いう点 で
下さ せたが、 必要資
な よう に、 一九 三〇年 下期 末 現在 '主要電 力百社 の延 べ千名 の
ま た'財閥 による電力会社株式 の所 有も '第3表 から明ら か
の叙 述 による限り' 一九 一九年 と 二六年 に興銀 が白山水力 の株
(
1)
式 応募 引受を行 な った事 例 が存在す るだけ であ る。
これら の金融 機 関 の株 式 発行業 務 と し ては'各社 史
は、株 式 より むしろ
株式
重要 な役割を は たし
う。 しかも ' 持株 の主体 は財 閥本社 であり '銀行 ・信託 と いう
大株 主 のう ち 二五名 を占 めた に過ぎず'低 調 であ ったと言 えよ
認 できる。
期 から第 一次大戦 期 にかけ て株 式所有を やや積極化 七た安 田 ・
(
2)
三菱 に比 し て、 三井 は株式所有 により消極的 であ った ことも 確
財 閥系 金融機関 の株式所 有高 はき わ め て小 さか った。 日露戦 後
成 過程 および時
(
1) 第1表 の作
期 区分 に ついて
註
た のであ る。
段 とし ての機能 を低
に'新規 資金 調達手
大 と いう事情 のため
社 債 は' 一九 二〇年 代以降 の社債 発行 の累積 による償 還高 の増
く第 2表) 電力社債の発行高 ・償還高 (
1
9
0
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)
(
1
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)1
8
戦前期三井銀行の電力金融
(
第 3表) 財閥による電力株式の所有 (
1
9
3
0
年下期末)
(
註) 1.主要 1
0
0電力会社上位1
0
名の大株主,のベ 1
0
0
0名の中か ら財閥関係者を選び
出 した。
『ダイヤモ ン ド臨時増刊第1
9
巻第 1
1
号,銀行会社の実質 A編 』(
1
9
31
)
(出典)
財
2.0内は持株順位。3.( ) 内は,持株数/総株数。
井
菱
住
友
安
田
貸出 金
資 料上 の制約 が大 き- 全容
の解 明は困難 であ る が、各社 史 の叙述 お
よび第4表 等 から次 の点 が判明す る。 ま
ず各 金融系統 に共 通す る点 とし ては' 日
(
3)
露戦 後期 と 1九 二〇年代 後半- 1九 三三
年 の時 期 に活発 に電力 向け貸出 を行 な っ
た こと'低利社 債発行 による貸出 金回収
(
4)
が進 んだ 三四年 を 画期 にそれ以降 は電力
向 け貸出比率 を顕著 に減 退させた こと'
銀行 より信託 の方 が電力向 け貸出 に積極
的 であり 一九 三〇年代 には両者 の融資 規
(
5)
模 はほ ぼ同 水準 に達 した こ と' 等 で あ
る。社 史等 により 三井 に特有 な点を見れ
ば'他系 統 より 1足早- 一九 二〇年代前
(
6)
半 から電力向け貸出を活 発化 した こと、
一九 二〇年代 から 一九 三〇年代 にかけ て
他系統 より かなり多額 の貸出 を行 な いそ
の融資規模 は電力業 の仝借 入金残高 の二
(
7)
∼ 三割 に及 んだ こと、 五大電 力 への重点
(
8)
的 な貸出 を行 な った こと、等 があげられ
1
9(
1
9
)
3.1
2
月末の残高oそれ以外は, 左の ( ) 内に何月末かを示 した。
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興
行
田 銀
安
信 託
友
住
信 託
三 菱
託
信
三 井
行
井 銀
年 l三
(
単位千円)
4.*印は信託勘定のみで固有勘定を含 まず。
5
.三菱信託 ・安 田銀行 ・興銀はガス業への貸出残高 も含む。
6.空欄 は不明。
買
気
ヽ
J
(出典) 『三井銀行八十年史』,三井銀行 『貸金事業別担保別調 』(
1
9
4
3
)
,『三井信託銀行三十年史 』F三菱信託銀行四十年史』
『
住友信託銀行五十年史 』『富士銀行七十年誌 』『日本興業銀行五十年史』
(
註) 1
.右側の数値 は,各金融機関の総貸出残高 に対す る電力向 け貸出残高の百分比。
2
.( ) 内は推計値。
(
第 4表) 各金融機関の電力業への貸出残高
戦前期三井銀行 の電力金融
(
第 1図) 6大金融 系統 の電力社債発行引受比率
39
る。ただし'三四年以降 の電力向け貸出
から の撤退、 一九 二〇年代 の銀行主軸型
の貸出 から 一九 三〇年代 の銀行 ・信託並
立型の貸出 への移行tという点では' 三
7
3
る。
株式所有が副次的な意味しか
井も他系統と同様 の動きを見せたと言え
社債
5
3
3
3
りえな いのに対して、財閥系金融激闘の
=1 もたず'貸出金に ついてはその全容を知
3
電力金融の主要な手段 であ った社債発行
29
7
2
業務 に ついては'興銀 発 行 の ﹃
社債 一
(
9)
覧﹄ によ って、日本 で最初 の電力社債が
額 の六四 ・九%に達したこと (
第5表)∼
よる引受額が国内発行 の全電力社債発行
発行引受 に ついては'六大金融系統 に
とができる。
一九 四二年まで'その全容を把握するこ
電力会社が存在した戦前最後 の年 である
発行された 一八九 二年から、主要な民間
5
2
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3
日
り
908
1
一九 二〇年代後半以降六大金融系統 の引
2
1 (21)
4
1(
午)
な
ヨ
⊂
:
I
田
安
。
3.右側の数値 は㊧ に対す る百分比
4.安 田信託 には共済信託を含む。
5
.*は1892-1923年,**は1892-1924年の累計値。
(
単位千円)
受 比率 が高 まり 金融恐慌 の年 であ る 二七年を 契機
にそ の比率 が五割を こえた こと (
第 1 図㌧ た だ
し 三〇年 は 一時的 に低下)' やはり 二七年 以降新
たな引受機 関 であ る信託 の役割 が増大 し た こ と
(
第1図)、等 が確 認 できる。 ま た、 金融機関 と
(
.
1O)
電力会社 と の緊密 な関係を端的 に示す単 独 引受 に
ついては、第2図 から、 二 一年以降 それ が活発化
し特 に二八
∼ 三三年 には引受形態 の主流 とな った
が' 三四年 以降は共同 引受 の定着 によ って急減 し
(
ll)
た ことがわ かる。 これら の諸事実 から 、社債発行
面 での電力資本 の財閥系 金融機関 への依 存は金融
恐慌後 一貫 し て続 いたも のの、 三四年以降 は単 独
引受 が減 退 し、個別 電力会社 と個別 金融機 関 と の
関係 はむしろ稀薄化 し たと言う ことが でき よう。
各 金融系統別 の発行引受 の概要 は、第5表 ・第
6表 に示 され て いる。 引受 規模 に ついて見 ると'
国内発行 全電力 社債 の 一七 ・七%を 引受 けた 三井
が最大 であ り、大 き-離 れ て 二 ・六% の興鋭 '
1〇 ・Q
〇 ・五% の住友、 1〇 ・t有 の三菱、
1
% の安 田が続 き' 四 ・八% の第 一はさら にひき離
(22) 22
戦前期三井銀行の電力金融
く第 5表) 6大金融系統の電力社債の発行引受 ・担保受託
(出典) 興銀 『
社債一覧』
.共 同引受 (受託)社債は,引受 (受託)会社数で発行総額を等分 した。 た だ
(
註) 1
し,配分比が判明す るものはそれを利用 した。
2.㊧欄は,発行引受については 「
電力社債国内発行高」
。担保受 託 に つ い て は
「
担保付電力社債発行高」
。
期
間
銀
井
信 託 l
す
行 L
す
菱
銀 行 T
す I信 託 l
す
住
友
銀 行 l
す T信 託
区
発
1
9
2
1
3
4
-3
∼2
2
3 2
8
3
,
0
2
2
0
7
31
1
7
.
0
96
5
,
2
2
84.
11
4
8
7
,
3
0
3
1
55
43
.
6
021
,
8
8
41.
45
3
6
.
2
0
0
3
2
93
1
」
.
0
55
8
.
4
5
93
.
7
行
3
3
.
-4
2 3
4
9
,
6
8
61
0.
12
4
3
.
8
7
87
.
12
7
0,
3
9
57.
81
8
8
,
7
1
55
.
52
6
6
,
2
0
27
.
71
7
9
.
2
9
55
.
2
引 ⑳合 計
受
◎ 銘柄数
⑧′1
ノ
◎銘
引受額
柄当
6
3
5
て
9
1
6
L
1
1
.
93
0
9
,
1
0
6
15
.
83
3
5
,
7
4
4
16
.32
1
0
.
5
9
9
l
示
4
.
1
2
4
8
9
7
2
1
.
3
2
6
7
3
4
6
21
,
3
0
0
00
担
1
9
0
2
8
5
∼2
-3
2
4 3
6
7
,
1
4
35
9
.
36
6
,
2
7
51
0
.
7
保
3
3
-4
2 6
8
5
,
502
1
.
91
4
0
,
8
0
04
.
5
受
⑳ 合
0
計 1
,
0
5
2
.
6
4
32
7
.e
9
7J
O
7
5
15
.
≡
O
◎ 銘柄数
.
1
0
2
2
一
0
6
5
2
1
.
4
1
8
9
9
2
1
,
0
1
8
9
1
00
0 0 5
,
0
0
00.
8
00
0 08
0
一
5
0
02
.
6
0 02
3
8,
6
5
07
.
6
0
o
l o2
5
3
.
6
5
0
16
.
5
0
8
0 01
5
,
0
0
02
.
4
5
.
5
0
0
1 2.2
0
9
2
,
2
4
1
3
0
1
4
2
4
され ていた.金融機関別 でも 二 ・九% の三井銀
行 が僅差 で興銀をおさえ第 一位 であり、第 五位 の
三井信託も信託会社 としては最大 であ った。各時
期毎の特徴としては、 一九 二1
1 二三年 には興銀
・安田 二 二菱が発行 し三井は立ち遅れ て い た こ
と、 二四∼ 三二年 には 三井が他系統 と隔絶した規
模 の引受を行な ったこと'三三十 四二年 には各系
統 が 1斉 に引受を活発化し相互格差が縮小すると
。単独引受 に つ い
ることが できる (
以上第5表)
とも に興銀が三井銀行を凌駕したことtを括摘す
て見ると、三井 二 二菱 ・住友は、銀行が大電力'
信託が地方電力と いう分担 の上 で'少数会社 にし
ぼ って引受を行な っていた。 これ に対 し安 田 ・興
銀は'広範囲 で多数 の地方電力 の社債を単独引受
した。 三井銀行 の単独引受は特 に大規模 であり、
⑧
それが第5表 の三井銀行 の 一銘柄当り引受額 (
/◎) の巨大さをも たらした。関係 が深か った大
電力は、 三井は東京電灯 ・東邦電力、 三菱は大同
電力'住友は宇治川電気へ安 田は東京電灯'第 一
は京都電灯'興銀は大同電力 であ った (
以上第6
2
3 (
2
3
)
2
5
,
0
4
2
6
3
32
5
,
4
4
36
.
12
3
7
,
7
5
444
く
第 6表) 6大金融系統の電力社債の単独引受
(出典) 興銀 『
社債一覧』
(
註) 1
.5
0
%以上の引受, 2社引受 も含む。
2.( )内は単独引受を行なった期間を示す。
3.右側の数値は引受額を示す。
電
力
(
単位千円)
会
社
銀 行
1
9
2
4
-4
2
年)
1
9
1
,
5
0
0 東 京 電 灯(
2
4
-3
2
)
1
6
0
,
0
0
0
東 邦 電 力(
信 託
昭2
和京浜電力
電 力(
3
1
-3
6
)
3
5
,
5
第
(
3
3
-3
5
)
9
,
0
0
0 吾妻川電力(
2
7
-3
3
)
7
,
8
0
0
銀
行
大 同 電 力(
2
7
-2
8
)
1
7
,
4
5
5
富 士 電 力(
2
8
-3
4)
2
5
,
0
0
0
猪苗代水電 (
1
8
)
2,
0
0
0
菱
信 託
合同 電 気(
2
9
-3
3
)
l
l,
0
0
0
土 佐 電 気(
3
4
)
2,
5
0
0
熊本電気 (
3
1
)
3
球磨川電気(
2
8
-3
6
)
6
,
5
0
0
住
銀 行
宇治川電気 (
2
5
-3
1
)
1
0
,
2
5
0
九 州 送 電(
3
4
-4
1
)
1
2,
5
0
0
大 同 電 力(
2
9
)
1
0,
0
0
0
伊予鉄道電気(
2
8
-3
3
)
5
,
0
0
0
罪
電送電
同 州形
大九山
友
.1.T
L
胴
.
跳相
鯛緋
東武群中
安
力(
2
9
)
1
0,
0
0
0
電(
3
4
-4
1
)
1
2,
5
0
0
気(
3
4
-3
6
)
6
.
1
2
5
中 部 電 力(
3
3
)
3,
5
0
0
北 海 水 電(
2
8
-3
3
)
l
l,
5
0
0
伊予鉄道電気(
2
8
-3
3
)
5
,
0
0
0
2
7
-2
9
)
A
5
,
0
0
0
灯(
電(
2
1
)
4,
0
0
0
カ(
2
2)
3,
0
0
0
電気 (
1
8
)
5
0
0
富士水電 ( 1
)0
00
東 信 電 気( 6 3 4 ) 2 ,
5
0
0
庄川水電 ( 8
)0 ,0
熊 本 電 気 ( 5 3 1) ,0
0
0
東 部 電 力 ( 5) ,5
00
上 毛 電 力 (28 3 5 )7 ,0
0
0
富 士 電 気(
2
1
)
5
,
0
0
0
福 島 電 灯(
2
1
)
3,
5
0
0
田
信 託
広
-4
2
)78
,
0
0
0
東 京 電 灯(
3
2)
1
0
,
0
0
0
東 信 電 気(
20
-2
4
)8,
5
0
0
中 部 電 力(
3
2
-3
3
)6,
5
0
0
山陽中央水電(
3
4
-39)14,
E
l
本海電気(
33
-3
5
)17
,
7
5
0
郡 山 電 気(
21
)
3
,
5
0
0
気(
27
-4
1
)1
3,
6
0
0
(
26
-3
3
)
3,
4
5
0
34
-3
6
)6,
1
2
5
(
(
3
33
7
)
21
,
5
0
0
4
2
)5,
0
0
0
(
行 l京 都 電 灯(
28
500
輿
東 信 電 気 (2
6
-3
4
)
4
2
,
5
0
0
熊 本 電 気(
2
5
-3
1
)
3,
0
0
0
東 部 電 力(35
)
8
,
5
0
0
島電 気(
2
8
)
2
,
5
0
0
南朝鮮電気(
2
9
)
1
,
2
0
0
2
2
5
-
2
2
3
1
-
3
.
0 0
6
8
-
岡 山 電 灯(
2
8
)
5
,
0
0
0
鹿児島電気(
2
8
)
2,
5
0
0
上 毛 電 力(
2
8
-3
5
)
7
,
0
0
0
長 野 電 灯(
2
8
-3
3)
5
,
2
5
0
気気電電
電電電水送
州松形本鮮
力気力電力灯気
電儒水水電電電
同製作州部島野
大揖矢九東福長奥日
第-l銀
,
0
0
0
0
(
2
3
-28)26,03
(
2
1
-38)34,
00
0
(
2
3
)
3,
00
0
(
1
6
)
6,
0
0
0
(
2
6
-34)
36,
5
0
0
(
3
0
-3
7
)
3
5
,
0
0
0
(
1
8
.
-2
8
)
5
,
5
0
0
羽 電 灯(
2
8
-3
7
)
2
5
,
1
0
0
立 電 力(
3
2
-4
1
)
1
3
,
5
4
0
北鮮合同電気(
4
2
)
2,
5
0
0
山 陽 配 電(
4
2
)
6
,
3
0
0
(
2
4
)2
4
戦前期三井銀行の電力金融
(
第 2図) 電力社債 の単独引受の比率
円
い
hu
件
41
39
表)
0
担保受託に ついては、第5表から、六大
金融系統 の受託額が仝担保付電力社債発行
額 の七九 ・七%に達したこと、興銀と三井
したこと、がわかる。 五大電力社債も電力
の二者が受託規模 の点で他 の四系統を圧倒
5
3
外債も興銀と三井だけが担保受託したので
7
3
3
3
あり'東京電灯 ・東邦電力は三井、大同電
受託 であ った。 三菱銀行 ・住友銀行は電力
力 ・宇治川電気は興銀、日本電力は両者 の
1
3
社債 の担保受託を行なわず' 一九二六年以
29
7
2
は、興銀 の広範囲小旗模型 (
三四社
′受託、
を受託したことになるが、両行 の 受 託 に
の二行だけで仝担保付電力社債の六割以上
降 の安田銀行、四〇年以前 の第 一銀行も同
(
12)
様 であ った。 これに対 し'興銀と三井銀行
向
-1
2
3
2
r
:
2
9
1
7
1
一銘柄平均九九 四万円)
、三井銀行 の 重 点
大塊模型 (
四社受託' 一銘柄平均 二五〇六
万円)と いう対照的な特徴が認められる。
なお、六大金融系統 のうち二四年以前に担
25 (
2
5
)
向
■
」
日
日
1
91
3
三井銀行は当初立ち遅れを見 せていた。 三井銀行はl二
五∼ 三二
保受託を行な ったのは興銀 と安 田銀行だけ であり、この面 でも
した規模 の電力金融を展開 したのは、 一九 二〇年代前半∼ 一九
きを示した のであり、 三井銀行が他 の財閥系金融機関とは隔絶
転換'電力向け貸出 から の撤退と いう点 では他財閥と同様 の動
った。 しかし' 三四年以降 の社債 の単独引受から共同引受 へ切
三三年 の期間 であ ったと言う ことができる。また'三井銀行 の
年 に圧倒的な規模 の担保受託を行な ったが、 三三∼四二年 には
電力金融が、 五大電力中心 の貸出、三社 のみの単独引受へ四社
地位を低下させ首位 の座を興銀 に明け渡した。 ただし'発行引
の格差は縮小しなか った。
的 に展開された点も'重要な特徴点として指摘 できる。
のみの担保受託 に見られるよう に、少数 の大電力を対象に重点
受 の場合とは異なり' 三三年以降も興銀 二 二井と他 の四系統と
ここま での検討をまとめると'およそ以下 の通り である。
(
13)
財閥系金融機関は' 一九 二〇年代後半以降 の社債発行 引受、
註
に'活発に電力金融を展開した。 そこでは'鍍行 のみならず信
日露戦後期と 1九 二〇年代後半∼ 一九 三三年 の資金貸出を中心
﹃日本 興業銀行五十年史﹄ (一九五七年) 二二六∼二二七
(
1) ﹃日本興業銀行最近十年史﹄ (一九 三四年)七五頁'
六∼四七四頁 によれば'安田は 一九〇 一年 に熊本電灯、 一
(
2) ﹃安田保善社とその関係事業史﹄ (一九七四年) 二九
頁参照。
託会社も'地方電力社債 の発行引受 ・担保受託' 一九 三〇年代
の貸出等 の点 で重要な役割をはたしたc LかLt 三 四 年 以 降
は、単独引受 の後退や電力向け貸出 の減退が生 じ、財閥系金融
九〇五年 に東京電力、 一九〇九年 に熊本電気、 一九 一
〇年
に桂川電力へ 1九 〓 年 に日本電灯' 1九 1七年 に秋 田電
機関と電力会社と の個別的関係は稀薄化 した。
その中 で三井銀行は、融資規模 の巨大さ、社債 の発行引受 ・
気、 一九 一九年 に群馬電力 へそれぞれ出資した.また'旗
も のだと言える。
に見られる安田 ・三菱 の株式所有は' これら の出資 による
出資した。合併等 による社名 の変更を考慮すれば'第3表
真 によれば' 三菱 (
岩崎家)は 一九 二 年 に猪苗代水電 へ
手勲 ﹃日本 の財閥と三菱﹄ (
楽辞書房' 一九七八年)八五
担保受託面 での優位等 の点 で'他 の財閥系金融機関とは隔絶し
た規模 の電力金融を展開した。 三井銀行 の場合' 一九 二〇年代
の努頭 では安 田 ・三菱 に遅れをとりながらも、他財閥 の電力金
融が停滞した 一九 二〇年代前半に社債発行業務と資金貸出を積
極化 し、 一挙 に電力金融 の中心的担 い手とな った点 に特徴があ
(
2
6
)2
6
戦前期三井銀行 の電力金融
3
( ) .
日露戦後期 における財閥系金融機関 の電力向け貸出 の
四 二二
∼四 一四貢' ﹃三菱銀行史﹄ (一九五四年) 二 一
六
活発化に ついては' ﹃三井銀行八十年史﹄ (一九 五七年)
∼ 一二七真等を参願。
(4) ﹃日本興業銀行五十年史﹄三三九∼ 三、
四〇頁参照。
力統制私案其 ノ 一電力統制計画案概説﹄付属調表 一一 (一
5) 三井銀行調査部泉山三六 ﹃民営 ヲ基調トスル地帯別電
(
銀および五大銀行が 一億 一四二〇万円、 三大信託が 一億〇
九 三六年) によれば'主要電力 二〇社 への貸出残高は'興
五二〇万円、その他が七八八〇万円 であ った。
(6) ﹃三井銀行八十年史﹄ 四 一七頁参照。
(
7) ﹃三井銀行八十年史﹄四二四貢。
(
8) 三井銀行調査課 ﹃五大金融系統別 五大電力 会 社 融 資
額﹄ (一九 三 一年) によれば' 一九 三〇年上期末現在、 五
大電力全借入金残高 の四 一・三%を 三井銀行および三井信
託が融資 していた。
後 であり、第 1銀行 の担保受託は四 1年 の京都電灯社債が
最初 である。
株式所有 に対 し ては'きわめて消極的 であ った。各
三 井 銀 行 の電 力 金 融
(13) 当然 のことながら'興銀は含まれな い。
4
株式
・
期末 の会社別株式所有高が把握できる 一九 二八年以降 の時期に
ついて見れば、 三 一年 に東京電灯株を 一時的 に所有 した事例が
(
1)
存在するだけ である。
ただし、間接的 ではあるが、株主 に対する株式担保貸出は'
電力会社 の増資 や未払込株金徴収 の際 に賀金を供給する役割を
はたLt株式を通じた電力業 の資金調達 に貢献 したと考 えられ
る。 この点 に ついては後段でふれる。
第7表 からわかるように' 一九 四二年ま での業種別
社債発行引受額 では、第 1位が電力業、第 二位が製造業'第 三
社債
(10) 本稿 では'同 一金融系統 の銀行 ・信託 の引受が多-見
9) 日本興業銀行特別調査室 ﹃
社債 一覧﹄ (1九 七〇年).
(
位が植民地関係 でありへ この三者 で全体 の八割以上を占めてい
植 民地関係となり、電力業は 二四
∼ 三七年 の期間 に中心的な引
∼三七年は電力業'三八∼ 四二年は製造業と
業と製造業' 三 一
業' 一九∼二三年 は植民地関係と製造業' 二四∼ 三〇年は電力
た。時系列的 に中心業種を追うと' 一九〇七∼ 一八 年 は 製 造
られる二社 引受や、共同引受会社中 の 一
社 の引受比率 が五
割以上 の引受 に ついても'単独引受と同様 に取り扱 った。
〇年代までの単独引受比率 の低さは、直接発行
(11) 一九 一
や引受会社不明 によるも のであり'共同引受 の普及による
も のではない。
(
12) 安 田銀行 の担保受託は 一九 二五年 の富士水電社債が最
2
7(
2
7
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(健 在 寸 Fq )
であ った。 社 債 発 行 業 務 を 通 じ た関 係 が 最 も 緊 密 であ った のは
行 な った のも 、 こ の三社 に日本 電 力 を 加 え た 四社 に対 し てだ け
東 京 電 灯 ・昭 潮 電 力 の 三社 に対 し てだ け であ った。 担 保 受 託 を
受 を 行 な った が' そ の中 で単 独 引受 を 行 な った のは東 邦 電∫
力・
第8表 にあ る よう に' 三井 銀 行 は 二〇 社 の電 力社 債 の発 行 引
では あ る が 東邦 電 力 に及 ば な か った。 これ は '単 独 引受 が 三 二
は 三 二 ・六 % と東邦 電力 の場 合 より か なり 低 - ' 引 受 額 も 僅 差
た、 東 京 電 灯 の場 合 '担 保 受 託率 は 一〇 〇 虜 だ った が、 引受率
に近 か った、 こと を そ の論 拠 と し てあ げ る こと が で き る。 ま
電 力 会 社 中 最大 であ った'④ 三井 銀 行 の担 保 受 託率 が 一〇 〇 %
二年 にも 七 割 引 受 が 行 な わ れ た (
第6表 )'③ 引 受 額 で同 社 が
受 業 種 であ った こと が わ か る。
ul
●
東 邦 電 力 であ り 、① 同社 社 債 の国内 発 行 高 に対 す る 三井 銀 行 引
受 率 が 六 四 ・二% に達 し た、④ 単 独 引 受 が 三七 年 ま で継 続 し 四
紗変薙 ・霊激藤並 ・申革潜淋痴琳 琵ゆ 沖鳥.
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8
戦前期三井銀行の電力金融
く
第 8表) 三井銀行の電力社債の発行引受 ・担保受託
(出典) 興銀 『
社債一覧』
,三井銀行 『
取締役会議事録』
(
註) 1
.共同引受 (
受託)社債は,
_(
第 5表)(
註)1
.参照。
2.単独引受については,く第 6表)(
註)1
.参原。
3.㊧は,三井銀行の引受高/ 当該社債の国内発行高O
⑳は,三井銀行の受託高/ 当該会社の担保付社債発行高。
4
.( )内は銘柄数。
(
単位千円)
東 京 電 灯
東 邦 電 力
日 本 電 力
大 同 電 力
東 信 電 気
東 京 電 力
合 同 電 気
昭 和 電 力
京 都 電 灯
九 州 水 電
鬼 慈 川 水 電
関 西 共 同 火力
朝 鮮 電 力
山 陽 配 電
台 湾 電 力
東 北 振 興 電力
日本 発 送 電
清 洲 電 業
満洲鴨緑江水電
朝鮮境線江水電
合
2
9(
2
9
)
計
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(
第 9表) 三井銀行の電力社債保有 (
1
9
2
6
-4
1
)
宍
(出典) 三井銀行経理課 ・経理部 『
業況報告』
7
⊂)
ロつ
l
芦ち
(
註) 1
.額面残高の集計値。
2.内国関係のみの集計で,満洲電業等を含まず。
(
単位千円)
戦前期三井銀行 の電力金融
00
である昭和電力との間 にも、担保受託率、引受率 とも に 1
灯に比して引受額は小規模だ ったが、大同電力 の最大 の子会社
両者 の関係は稀薄化したのである。 さら に'東邦電力 ・東京電
たのは二七∼ 三二年 の時期 であるが'その後、 三四年を画期 に
たととによるも のである。 三井銀行が東京電灯 の経営に介入し
年ま でで打ち切られ (
第6表)へ 三四年 からは共同引受と な っ
具体例として' 一九〇七年 の東京電灯の増資払込の場合をとり
力会社 の株金徴収 によ って、三井銀行は貸出金を回収すること
(
2)
ができた。株式担保貸出 の全容は知りえな いので' ここでは、
が、株式を通じた電力業 の資金調達 に貢献した。また、 この電
主 に払込資金を供給する役割をはたしへ間接的な形 で は あ る
株式担保貸出は、電力会社 の増資や未払込株金徴収 の際 に株
〇〇
一九〇五年 に東京電灯は'駒橋発電所建設費用として 一
あげへ検討する。
日本電力とは、 二八年 の外債担保受託以来、担保受託面 での関
%という点から'緊密な関係が存在 したと考えられる。 一万㌧
係 こそ深化したも のの'発行引受面 では共同引受 の 一員として
万円 の借入を 三井銀行 に申し入れ' 三井銀行は'増資または払
(
3)
込徴収 による返済を条件に、 これを受諾した。現 に推計 によれ
の地位にとどまり、引受率も 二 ・七%に過ぎなか った。 その
他 の 一六社 に ついで も、共同引受 の 一員としての引受 にとどま
ば、 一九〇五年下期から 一九〇六年上期 にかけて'対東京電灯
(
4)
貸出残高は約 一
〇〇万円増大 した。 一九〇六年 八月 に東京電灯
(
5)
は株主割当 による増資を決定し'翌 一九〇七年 二月五日に第 一
り'引受率は いずれも低率 であ った。なお'五大電力 のうち、
宇治川電気およびその関連会社 に ついてはへ全く発行引受を行
回払込分として二七 1万円を徴収した〇 三井銀行は、払込日寸
つ。株金徴収を終 えた東京電灯は借入金返済を行な い'推計 に
貸金は払込資金にふりむけられたという推測が'当 然 成 り 立
二八日に東京電灯と関係が深 い若尾銀行 に 一
〇〇万円を'それ
(
6
)
ぞれ東京電灯株をおもな担保として貸出 したO佐竹や若尾 1族
(
7)
が東京電灯 の大株主 であ ったことを考え合わせれば' これら の
前 の 一月 一七日に東京電灯社長 の佐竹作太郎 に 一八万円' 一月
なわなか った点が注目される。
社債保有 に ついても、第9表から'東邦電力 ・東京電灯 ・日
本電力 ・昭和電力 の四社 の社債がおもな保有対象 で あ っ た こ
と 、 一九 三三年を画期 に保有 の中心が東京電灯社債から東邦電
力社債に移 ったことt等がわかる。
貸出金 .貸出金に ついては'電力会社 に対する資金貸出と
ともに、
.株主に対する株式担保貸出を検討する必要がある。
3
1(
3
1
)
く
第 3図) 三井銀行の貸 出金担保規程 中に掲載 され た電力会社の変遷 (
1
9
0
1
-4
2
) (出典) 三井銀行 『報机 F報知号則
1
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1
0
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満州 電 業
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(
註) 1.
0:掲 載開始
△ :社 名変更
× :削除 を示す。 2.-t
J は合併 を示す。 3.?は点数期 間中の いつ掲載 (削除)か不 明 を示す。
戦前期三井銀行の電力金融
三井銀行経理課 ・経理部 r
業況報告J
三井銀行 r
抜革大 口貸出先J
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三井銀行八十年史J
,
H
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年末)
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3
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3
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3
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2
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0
一五年' 一九年 の株金徴収 の際 にも'借入金を返済した。池田
〇万円以上減少し翫 )東京電灯は・ 1九〇九2 10年、 l四と
第3図は'担保貸出を認定した電力会社 の変遷を示したも の
期末現在 の株式債券担保貸出高は、東京電灯に ついて三九 四万
(
10)
円、東邦電力 に ついて三八九万円にのぼ った。
である。認定先は、五大電力やその主要な関連会社'地方大電
力 に限定され ていた。また'東邦電力 の前身 である九州電灯鉄
2
6
924
1
三井銀行調査課 r
調査週報号外11
9
2
5
年 6月1
0日付
よれば、三井銀行 の対東京電灯貸出残高は、 一九〇七年 に 一
〇
(
出典)三井銀行内国課 r
事業別貸出金調J
成彬 によれば、三井銀行 のこの金融方式は、東京電 灯 に 対 し
(
9)
て、関東大震災ま では順調に展開されたと いう。 二九 二四年下
3
3(
3
3
)
く
第 4図) 三井銀行 の電力会社貸 出残高 (
1
9
2
4
-4
1
)
く
第1
0表) 三井銀行の電力会社向け大 口新規貸出 (
1
9
2
0
-4
2
)
'
寸t
⊂
Y
つ
(出典) 三井銀行 『
取締役会議事録』
.取締役会で議決 した貸出額の累計値。 2.内訳は上位 5杜のみ表示。
(
註) 1
(
■
寸
I
C
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)
(
単位千円)
年
2
8
Q把嶺#日 揮橿鮮
雇噸 L
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道や広島電気 の前身 二社 の認定が早か った こと、 五大電力 のう
から' 三井銀行 の電力向け貸出 の動向を時系列的 に述 べると、
(
16)
(
7.
1)
残高' ﹃
報知付録﹄ の記述および ﹃三井銀行 八十年史﹄ の叙述
竜等 へも貸出 が行なわれ た。
電灯 ・神戸電灯 ・横浜電気 ・九 州電灯鉄道 ・九 州水電 ・日英水
出先 であ った東京電灯は、融資規模 の点 で三井銀行 の全貸出先
(
18)
の中 でも上位を占 めた。他 に小規模ながら'名古屋電灯 ・京都
日露戦後期 には電力向け貸出 が積極的 に行なわれ、主要な貸
およそ以下 のどとく になる。
ち、宇治川電気 (1九〇六年設立)'日本電力 (1九年設立)
∼
大同電力 (
二〇年設立) の認定 が遅れ た ことt等が 注 目 さ れ
る.当時 は 1地方電力 に過ぎなか った九 州電灯鉄道 の三井銀行
への貸出担保質入株数は'会社 設立からわずか三ケ月後 の 二 一
年九月 三〇 日の時点 で、総株数 の 一割以上 に及んだと言われ て
(
ll)
いる。
電力会社 に対す る資 金貸出 に ついては'酪計値も含 めて、 一
(
12)
同が把握 でき る。東
九 二四年 末∼ 三六年末 の電力会社別貸出堕 口
一九 一五年以降電力向け貸出 は減退Lt東京電灯 ・京都電灯
(
19)
への貸出 は中断され た。 この間 にも'東邦電力 の前身 であ る名
古屋電灯 ・九州電灯鉄道 の二社 や九 州水電 ・横浜電気 への貸出
京 電灯 ・東邦 電 力に ついては' 二 八∼ 四 一年 の四半 期末毎 の残
(
13)
よ う に'
高を 記し た資 料 もあ る。 ま た'既 に第 4表 に示 し た
れ た。
は続けられ'新 たに朝鮮電気 ・広島呉電力等 へも貸出 が行なわ
﹃三井銀行 八十年史﹄ には' 二九年末∼ 三八年末 の電力向け貸
(
14)
出 の総残高が掲載 され ている。 これら にもとづ いて、 二四年末
た。
であ った。 しかし、 二四年以降 は、 二三年 二 一
月 に貸出 の再開
貸出先は'東邦電力と大同電力 (
当時は東邦電力 の関連会社)
は電力業が中心的な貸出業種 とな った。 二 一
∼ 二三年 の主要な
一九 二 1年 に電力向け貸出 は再 び活発化 Lt 二二∼ 三三年 に
また'電力会社別新規貸出 に ついては、 ﹃
報知付録﹄ に 一九
(
15)
- 四二年 の記述がありへ そのうち の大 口に
〓 ∼ 三二年へ 四 1
を みた東京電灯が主要な貸出先 となり、 二四年 から 三五年 にか
∼ 四 1年末 の電力向け貸出残高 の推移を示す第4図 を 作 成 し
ついては、 ﹃
取締役会議事録﹄ に二〇∼ 四二年 の記述がある。
け て、同社 への貸出残高は、 一時期を除 いて'全電力向け貸出
残高 の五∼七割台を占めた。 また、東邦電力は、東京電灯 に次
後者 の記述を概括して'第 10表を作成 した。
第4図、第 10表、 一九 二四年末∼ 三六年末 の電力会社別貸出
(
3
6
)3
6
戦前期三井銀行の電力金融
宇治川電気 ・大同電力 の三社'東京電灯の関連会社東信電気、
ぐ貸出先 であ った。他 の貸出先は、残る五大電力 の日本電力 ・
得なか った。
多額 の社債を発行し、 三井銀行から の借入金返済 にあてざるを
め東京電灯は'二五年下期、二八年上期、三四年 に外債を含む
ここまでの検討をまとめると、およそ以下 の通り である。
東邦電力 の関連会社合同電気、大同電力 の関連会社昭和電力'
宇治川電気 の関連会社山陽中央水電 ・今津発電'地方電力 の京
三井銀行は'日露戦後期から 一九 二〇年代初 頭にかけ ての株
- 三三年 の資金貸出'二四
式担保貸出、日露戟後期と 1九 二 1
都電灯 ・九州水電 ・鬼怒川水電等 であ った。
一九 三四年以降総貸出残高 に対する電力向け貸出残高 の比率
年以降 の社債発行引受' 二五年以降 の社債担保受託を通じて'
残高の五∼八割 (二八年末は 一時的 に低比率)を、 二社だけで
は顕著に低下し'新規大 口貸出 の中 での電力向け貸出 の割 合 も
。東邦電力との金融的関係が、 第 一
占めた (
第8表'第4図)
活発に電力金融を展開した。 三井銀行 の電力金融 の特徴は'少
以上 のように、電力向け貸出は日露戦後期と 1九 二 1
- 三三
次大戦期や三四年以降 の時期も含めて 1貫して緊密 であ ったの
三六年以降縮小した。主要な貸出先は三六年以降再 び東邦電力
年 に活発 であり' 一五∼ 二〇年と三四∼四二年 には後退した。
に対して'東京電灯との金融的関係は、貸出が中絶した 一五∼
数 の大電力を対象に重点的 に展開された点 にあ ったが、中 でも
貸出先は大電力 に集中 しており、第4図から明らかなよう に'
二三年 の時期や'貸出残高が減退し社債も共同引受 と な っ た
となり'東京電灯がこれに続 いた。 この二社 に比して小規模 で
二四年末から 三六年末 にかけ て'五大電力とその関連会社 への
三四年以降 の時期 には稀薄化した。電力向け貸出比 率 の 低 落
東邦電力へ東京電灯 の比重が大きく'社債発行引受額 の六四 ・
貸出残高は、全電力向け貸出残高 の八∼九割台に達した。中 で
や、他 の財閥系金融機関に対する電力社債発行引受面 での優位
はあ ったが、各地 の共同火力 ・日本電力 ・大同電力等 へも貸出
も東京電灯 ・東邦電力 の二社 が主要な貸出先 であり'日露戦後
の解消 に示される' 三四年を画期とした三井銀行 の電力金融 の
六%、担保受託額 の八 一・五%' 二四年末∼ 三八年末の貸出金
期と二四∼三五年は東京電灯を中心に' 一五∼ 二三年と三六∼
(
20)
四 一年は東邦電力を中心に、貸出が行なわれた。東京電灯に対
後退は、 この東京電灯との関係稀薄化 によるも のだ ったのであ
が行なわれた。
する貸出金は、 二三年から 三三年 にかけて固定化した。 このた
3
7 (
3
7
)
る。
読
(
1) 三井銀行経理課 ・経理部 ﹃
業況報告﹄ による。所有高
は額面 で二〇万円弱であ った。
2) 電力会社 に対する貸出に比して'株主に対する株式担
(
保貸出は'担保がし っかりしている上貸付期間も短く'回
収が容易 であ った。従 って'株式担保貸出1株金払込徴収
にと っても有利 であ った。
1電力会社向け貸出金の回収 という金融方式は' 三井銀行
一八∼ 二 一九貢。
3)池田成彬 ﹃
財界回顧﹄ (
世界の日本社' 一九四九年) 二
(
作太郎 であ った。 そのほか'同社 の監査役 であ った若尾幾
造、 二六年 に同社社長とな った若尾環八等も大株主として
名を連らねていた。
(
8) 東京電灯 への貸出平均残高 (
推計値)は、 一九〇六年
下期 一九 五万円、 1九〇七年下期八〇万円 で あ っ た. 註
三井銀行調査課 ﹃
調査週報号外﹄ (一九 二五年六月 一
(
4)参照C
(
9) 池田前掲書 二二 l頁O
10
( )
〇日付) による。
月九日付) による。
(
11) 三井銀行 ﹃
報知付録﹄第 一三三三号 (一九 二 一
年一
〇
(
12) 一九 二九年上期末
∼ 三三年下期末の電力会社別貸出残
高 に ついては、 三井銀行内国課 ﹃
事業別貸出金調﹄から数
値を得ることが できる。さら に各期毎 の会社別貸出残高 の
三井銀行本店 ﹃
損益勘定元帳﹄ に記された利子収取額
を各期毎 に集計し、平均利率 で除することによ って' 一九
末∼ 二八年下期末' 三四年上期末∼三六年下期末 の電力会
大 口増減を記した前掲 ﹃
業況報告﹄ によ って、二四年下期
(4 )
を推計することができる。推計によれば平均残高は' 一九
(16) 一九 二四年末∼ 三六年末 の電力会社別貸出残高を表示
は、資料名は ﹃
本部内報﹄
。
∼四二年 に ついて
(
15) 一九 三〇年 八月∼ 三二年 五月、四 一
(
14) ﹃三井銀行八十年史﹄ 四二四頁。
査週報号外﹄ に数値が記載され ている。
力 二社 への 一九 二四年末の貸出残高 に ついては'前掲 ﹃
調
(
13) 三井銀行 ﹃
抜琴大 口貸出先﹄。なお '東京電灯 ・東邦電
社別貸出残高を推計することが できる。
〇 四年下期∼ 一九〇九年下期 の東京電灯 への貸出平均残高
〇五年上期 三 一万円' 一九〇六年上期 二 一
六万 円 で あ っ
た。
(
5) ﹃東京電灯株式会社第四 1回営業報告書﹄ によるO
6) 合名会社 三井銀行 ﹃貸付金記入帳﹄第 二五号 (一九〇
(
七年) による。
(
7) 東京電灯 の 一九〇八年 五月 三 一日現在 の株主名簿 によ
の株主は若尾民造 (
若尾銀行 頭取)
' 第 三位 の株主は 佐竹
れば'同社 の筆頭株主は若尾逸平 (
同社取締役)
、第 二 位
(
3
8
)3
8
戦前期三井銀行の電力金融
する ことは、貸出先が四六社 にのぼるため'紙幅 の制約上
不可能 であるO別 の機会に譲りた い.
(17) ﹃三井銀行 八十年史﹄ 四 二 ∼ 四二五頁。
役割も増大したが' この時期 の主要な資金調達手段はあくま で
も株式 であ った。安 田 二 二菱 による直接出資' 三井銀行 による
達 に部分的'間接的 に貢献 したにとどま った。 この時期 の電力
株式担保貸出も行なわれたが' これらは、株式を 通じた資 金調
資本 は'財閥系金融機関 に補完されながらも'基本的 には自力
日本経営史研究
(18) ﹃三井銀行史料5規則 ・資金運用﹄.(
勘定 元帳﹄
) によれば' 融資規模 の点 で' 東京電灯は全貸
所' 一九七八年) 二〇六∼ 二 二 頁 (
原資料は前掲 ﹃
損益
で資金調達を遂行 したのである。
が'その地位は後退Lt社債 の役割が増大 した。 この時期 は、
の時期 の電力業 の主要な資 金調達手 段はひき続き株式 であ った
り'三井銀行は二 1年以降電力向け貸出を再 び活発化したO こ
た。安 田 二 二菱 に代わり 三井が電力金融 の中 心的担 い 手 と な
一九 二〇年代前半には'財閥系金融機関 による電力社債 の発
(
1)
行 引受が本格的 に開始されたo引受方法は単独引受 が 多 か っ
関係が最も稀薄化 した時期 だ ったのである。
した。 この時期は、戦前期 の中 で、財閥と電力資本 と の金融的
・
第 一次大戦期 には'財閥系金融機関 の電力金融は低調に推移
出先 の中 で次 のような順位を占 めた。 一九〇 四年下期 二
位、 1九〇 五年上期九位'同下期 五位、 1九〇六年上期1九〇七年上期 二位へ 1九〇七年下期∼ 一九〇八年下期 三
上期以降 の順位は不明 である。
位、 一九〇九年上期 二位、同下期 三位。 なお、 一九 一
〇年
(19) ﹃
報知付録﹄ によれば'東京電灯 に対 しては 一九 一五
年 五月∼ 二三年 二 月 の期間'京都電灯 に対 しては 二二年
六月∼ 一八年 四月 の期間'新規貸出 が行なわれなか った。
(20) ここでは、東邦電力 の前身 である名古屋電灯'九州電
論
灯鉄道'関西電気 の各社を、東邦電力と 一括して取り扱 っ
た。
5 結
ったのである。
電力資本 が財閥 への金融的依存を徐 々に強 めた過渡的な時期 だ
1九 二〇年代後半- 1九 三三年 には' 三井を中心 に財閥系金
財閥系金融機関 による電力金融が電力業 の資金調達 にはたし
た役割を、各時期毎 に総括すると、およそ以下 の通り である。
融機関は活発 に電力金融を展開した。従来から の銀 行 に 加 え
て、信託が新 たな電力金融 の担 い手 として登場した。 この時期
日露戦後期 には'財閥系金融機関は電力向け貸出を活発 に行
な った。 これに対応して'電力業 の資金調達 における借入金 の
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が'社債 の多-は財閥系金融捜閑 の単独 引受 によ って発行され
には株式 に代わり社債が電力業 の主要な資金調達手 段とな った
る。例えば'東邦電力と三井銀行 の関係は、関係 の継続性 の点
本 の支配と'ただち に結 び つける ことは できな いと いう点 であ
金融的依存を、通説的理解が指緒するような財閥 による電力資
で東京電灯と 三井銀行 の関係より緊密 であ ったと思われるが、
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3)
三井銀行は東邦電力 の経営 へ介入しなか った のである。
た。財閥系金融機関 の電力向け貸出も拡大 し' これ に 対 応 し
て'電力業 の資金調達 における借入金 の役割も増大 した。 一九
二〇年代後半以降 (
特 に金融恐慌以降)' 電力資本は 財閥 に金
一九 三四年以降も、必要資金 の調達 と いう点 では株式 より社
るO 三井銀行と東京電灯 の関係が 三四年以降稀薄化したことを
係 の稀薄化)を'事実上見落としていると いう問題点も存在す
資本 と の関係 の変化 (
財閥系金融機関と電力会社 と の個別的関
また'通説的理解 には、 一九 三四年を画期 とした財閥と電力
債 の方 が重要な役割をはたしたのであり、社債発行業務を通じ
(
2)
た電力資本 の財閥 への金融的依存は継続した。 しかし、 三四年
融的 に依存するよう にな ったのである。
を画期 に財閥系金融機関 の電力金融 のあり方 は大き-変化 し、
け では' 1面的だとの批判をま ぬがれ得な いであろう。
見落 とし' 二七∼ 三二年 に介入が行なわれた ことを強調するだ
以上、本稿 では'主として実態解明 に力点を置 いて'財閥系
社債 の単独引受 から共同引受 への転換 や、電力向け貸出 の減 退
が生 じた。 三四年以降 の時期 には'電力資本 の財閥 への金融的
前者 による後者 の支配と把握する のは'大 いに問題があると思
依存は続 きながらも'電力会社 と財閥系金融機関との個別的関
われるC両者 の関係を最終的 に確定す るためには、 三 井 銀 行
たが'財閥と電力資本と の関係を' 通説的理解 のよう に単純 に
以上 の経緯から、財閥系金融機関の電力金融は社外負債 によ
金融機関が電力業 の資 金調達 にはたした役割を明ら かにしてき
る電力業 の資金調達 に決定的な役割をはたしたのであり、社債
係 は稀薄化 したのである。
が株式 より重要な資金調達手段とな った 一九 二〇年代後半以降
必要とするが'それらは今後 に残され た課題 である。
(
および三井信託)が担保受託し欧米投資銀行 が発行 引受した
(
4)
電力外債 についての換討 や'電力連盟の機能 に ついての分析を
(
特 に金融恐慌以降)
、 電力資本は 財閥 に金融的 に依存するよ
う にな ったと結論 づける ことができる。
ただし、注意を要する のは、 このような電力資本 の財閥 への
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戦前期三井銀行の電力金融
註
附記 史料閲覧 にあた って'三井銀行調査部から多大な御配
た点 に注目す る必要があろう。
三年 の五大銀行等 による鬼怒川水電社債 の発行引受を噂矢
慮を賜 った。末尾ながら記し て感謝 の意を表します。
(
1) 財閥系金融機関による電力社債 の発行引受は' 一九 一
とする。 しかし、 二〇年以前 の引受親槙 は小さく'発行引
受が本格化 したのは 二 一年以降であると言う ことが できよ
うO
段としては十分 に機能 しなか った点 にも'注意を払う必要
(
2) ここでは' 一九 三〇年代 の電力社債が新規資金調達手
がある。 一九 三〇年代には、財閥 に依存した電力資本 の資
金調達方式 の限界性 が明らかにな ったのである。
力 の子会社)と東京電灯との合併も'東邦電力側の意向と
(
3) 三井銀行 の調停 による 一九 二七年 の東京電力 (
東邦電
矛盾したも のではなか った。な ぜなら、東邦電力は、 この
合併によ ってへ筆 頭株主 の地位を獲得し重役 二名 の派遣を
実現して'東京電灯 の経営 に大きな発言力をも つよう にな
ったから である。 この点 に ついては、 橋本寿朗 「五 大 電
力﹄体制 の成立と電力市場 の展開物」(
﹃
電気通 信 大 学 学
日露戦後期 の九州電灯鉄道との深 い関係等を考えあわ せる
報﹄第 二八巻第 言で) 一四九貢参照。 むしろ三井銀行は'
と'東邦電力 二代社長松永安左衛門 の東進戦略 (
九州電灯
鉄道1東邦電力1東京電灯) の 一貫した協力者 であ ったと
言う ことが できよう。
その際、電力連盟による調停が' 一九 三四年 の東京電
灯-大同電力間 の調停を最後 に、 その後は行なわれなか っ
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