「市民派」の政治参加とその構成 - HERMES-IR

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「市民派」の政治参加とその構成 : 東京都東久留米市の
市民運動を例に
市川, 虎彦; 菊谷, 和宏; 酒巻, 秀明; 高橋, 準
一橋論叢, 113(2): 197-216
1995-02-01
Departmental Bulletin Paper
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URL
http://hdl.handle.net/10086/12245
Right
Hitotsubashi University Repository
(21)「市民派」の政治参加とその構成
準明宏彦
﹁市民派﹂の政治参加とその構成
−東京都東久留米市の市民運動を例に−
秀和虎
この地の市民運動を理解するためにここで簡単に東久
﹁市民派﹂なるものを実証的に解明しようとしてきた。
てきている。我々はこの運動を調査対象として選び、
心になって市長を擁立するという独特の運動が展開され
の北西部に位置する東久留米市では、市民運動団体が中
の政治参加に着目し研究を進めてきた。とりわけ東京都
我々はここ数年、﹁市民派﹂と称される市民運動団体
集め、座り込みなどの実力行使をしても学校給食の合理
反対運動を繰り広げた。しかし、膨大な数の反対署名を
の親子方式化に関して市民は大いなる関心をよせ、その
市的な盛り上がりをみせることになる。とくに学校給食
を無視した行革が遂行され、これに抗して反対運動が全
その後、吉田市政下︵一九八二三九〇年︶に市民の意向
の原点といえる︵これは初の革新市政誕生に結実する︶。
辞任した時の汚職追放運動が東久留米における市民運動
年代後半の保守系市長が二代連続して汚職の責任をとり
巻谷』1
化を止めることはできなかうた。こうした経緯から、自
はじめに
橋
留米の運動を振り返ってみる。さかのぼれぱ、一九七〇
197
高酒菊市
一橋論叢 第113巻 第2号平成7年(1995年)2月号(22)
分たちの考えを市政に反映させるには、議会勢力を変え
なければいけない、そして市民の声を聞き届ける市長を
接法で調査を行った。対象者は四五名、うち市民の会の
正規会員は三八名であった︵その成果は﹃一橋研究﹄第
挙への市民参加が模索されていくことになる。議会勢力
聞に醸成されてくることになる。ここにおいて、まず選
数八九、回収数六九、回収率七七・五%︶。本稿は以上
て一九九四年三月に郵送法による調査を実施した︵配布
葉市長再選を受けて前回調査よりもさらに対象者を広げ
一八巻第一∫二号に掲載されている︶。さらに今回、稲
の変更ということに関しては、行革反対の立場にたつ生
の二つの調査結果をもとに﹁市民派﹂の運動とその参加
選ばなければならない、という意識が市民運動参加者の
活者ネットワークの女性議員が誕生し一歩前進をみたが、
者の構成や理念を明らかにしようとするものである。ま
市長運動に支持されて当選を果たした市長とその市民運
どのような施策が実際にとられたか検討する。三節では、
ず次節においては、稲葉市長の一期目の四年間において
勢力変更にまではいまだに至っていない。そしてもう一
つ、市民の声を聞いてくれる市長の誕生を目指して﹁市
略す︶が結成される。一九九〇年の市長選では、市民の
動とがどのような関係をお互いに結ぼうとしたのか、選
民の声が届く市長を選ぶ市民の会﹂︵以下、市民の会と
会が候補者を稲葉氏に選定し、市民の会の粘り強い努力
挙後の市民参加のあり方についてみてみる。四節では、
では、この運動参加者たちが自ら﹁市民﹂ならびに﹁市
成されているか調査結果に基づいて考察していく。五節
こうした運動を展開してきた参加者たちがどのように構
によって、社会党・共産党・民社連・生活者ネットの四
た、一九九四年一月の市長選においても、、自民・公
民派﹂といったことに関していかなる考えを抱いている
党派の推薦を取りつけ、稲葉市長誕生を実現させた。ま
明・民社・日本新党・新生の各党が推薦した、いわゆる
してみたい。
派﹂にとって現時点で何が課題として指摘できるか考察
か明らかにしようとしている。最後に、今後の﹁市民
基礎票で圧倒的に上回る対立候補を破って再選を果たし
た。
我々は所期の目的を果たすために、一九九一年九月、
この市民の会およびその周辺の中心的な参加者に対し面
198
(23)「市民派」の政治参加とその構成
ととする。 ︵市川虎彦︶
にするために、各担当部分に執筆者名を付記しておくこ
文であるが、具体的に執筆を担当した箇所の責任を明確
なお、本稿は、市川・菊谷・酒巻・高橋四名の共同論
十歳未満の構成比が減り、高齢者の人口増加が目立ウて
策定された八五年と比べても、二十歳未満と三十から五
きな変化が生じている。後で述べる市の長期総合計画が
人口の流入が安定した結果、年齢別人口構成の面では大
いる。とりわけ六十五歳以上の人口については、八五年
ドタウン化していった。当時の状況を豊田尚は次のよう
東久留米市は七十年代の半ぱぐらいまでに急激にベッ
ると八五年に七三バーセントであったものが、九〇年に
間人口と夜間人口の差は、増え続け、昼問人口指数で見
九・ニバーセントを占めるようになっている、地方、昼
に合計で五・三パーセントであったものが、九四年には
にまとめている。一、転出、転入の多さ、二、人口の年
二番目の数字である、従って、東久留米市のベッドタウ
二 東久留米市の現状と稲葉市政の四年間
齢構成上の特性、三、昼間と夜間の人口差、四、幼児お
︵1︶
よび義務教育の施設の拡充の必要性、である。二と四は
ンとしての性格には変化はないと言えるだろう。
転入数が転出数を上まわることは少なく、九三年には転
しかし七八年に初めて転出が転入を上まわってからは
拡充していくかで手一杯と言ってもよかった。
な人口増加にどう対処するか、とりわナ義務教育施設を
その親の世代である。このため当時の市政の課題は急激
の平均と比べても高かった。これは義務教育期の子供と
人口は十五歳未満と三十から四十五歳未満の構成比が都
開発、とりわけずっと懸案であった駅西口の開発、都市
都市基盤の整備が中心となっており、東久留米駅の周辺
米”﹂をスローガンに、人口の増加に追い付けなかった
る。計画の内容は﹁水と緑とふれあいのまち”東久留
は稲葉市長のもとでもこの計画が市政の基本となってい
が策定されている。この計画は十年分の長期計画で、実
田三郎氏のもとで﹁東久留米市長期総合計画基本計画﹂
義務教育施設の拡充が一段落した八五年に前市長の吉
は六九バーセントとすすんでいる。これは東京都市部で
関連していることだが、一九七五年当時の菓久留米市の
入数六九七〇人に対し、転出数八○〇九人となっている。
199
令涌
鱗H﹀鴎
聴茸糠滋
講鵠鳩
沌時鴻
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⋮⋮:
睾oo
賢一
一ω﹄
曽bお一−窪
り、そのため﹁市民との対話を市政の中心に据える﹂と
ちづくりは市民が主役であり、市政は市民のもの﹂であ
葉氏も市長就任後初めての所信表明演説のなかで、﹁ま
本方針となっていたことに注意しておく必要がある。稲
時から、都市基盤の整備と高齢化社会への対応が市の基
さて、以上のような状況からすでに前市長の吉田氏の
ろう。
sもo〇一soo
ントを超え、人権費削減の必要性は高かったのだが、削
た。当時東久留米市の財政の経常収支比率は九〇バーセ
子方式の導入など後に問題となるような内容を含んでい
が、市の行革の方針として保育園の民問委託や給食の親
ていた。またこの時同時に出された行財政対策基本方針
︵2︶
竃
蝪−隷︾困米吾θ鐵庄
⋮三:
蜀蜆
一甲蜆
彗
計画遣路の整備、下水遣の整備が特に重要な課題とされ
議騎十ヨ
爵H鳩
↑斗鴎
誼罫潮
蝉坤潮
ウ愈鴫
騨料圧
蟹
りやすいところを削うたとの印象を残したのも事実であ
竃
9
竃竃竃
竃
竃塞
;
竃
冨竃
竃
二 麦
竃竃
冨
竃
; ミ
=
婁
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二
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竃
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; 竃
二
竃竃; ご
竃
豪
宝
=
;
三 竃
竃
芸
箒
平成7年(1995年)2月号 (24)
第113巻第2号
一橋論叢
200
(25) 「市民派」の政治参加とその構成
言っている。稲葉氏はさらに、市民の行政二ーズに直結
する一方で、﹁市政の継続性、連続性を重視﹂するとも
↓o峯目︶﹄へと充実を図らなけれぱならないと感じてい
市に、いうならぱ﹃リビング・タウン︵=三畠
る﹂と、九四年の市長選挙のスロiガンとなうた﹁ベッ
︵3︶
した﹁小さな政治﹂が﹁大きな政治﹂そのものになうて
ドタウンからリビングタウンヘ﹂の原形となる言葉も現
れている。
︵4︶
いけるならすばらしいとしながらも、財政事情を中心と
した行政能力の制約のために市民の二−ズに順序づけを
米駅周辺開発の中心であった駅西口の開発はほぼ完成に
き継いだ事業も完成のめどがつくようになった。東久留
稲葉氏の任期の後半になってようやく、前市長から引
況は厳しいままであった。
公債費比率は一五パーセント台を推移しており、財政状
事業﹂の推進に力点が置かれている。他方東久留米市の
福祉駅になったこと、二、全国初の救急﹁赤バイ﹂が四
ると、稲葉市長の業績は、一、東久留米駅が全国有数の
九四年の市長選挙の際に稲葉氏陣営の配ったビラによ
れているのも事実である。
任以前の八九年度の八五・八バーセントと比べて改善さ
年度の経常収支比率は、七七・九パiセントと稲葉氏就
たな財政上の負担を抱えることになった。ともかく九二
もっとも九三年には老朽化したうえに分散化していた
近づき、下水道の人口普及率も九三年度末には九四・八
台になったこと、三、高齢者住宅サービスセンターが三
しなければならないことを認めている。従ってその後の
バーセントに達し、稲葉氏市長就任以来続いてきた、市
ケ所増やされたこと、四、審議会への女性参加が全国で
予算の中心も、上記の東久留米駅の周辺開発、都市計画
の予算に占める土木費の割合も初めて減少にむかように
もトップクラスなこと、である。この中で高齢者住宅サ
ーとして駅西口近くへ移転、新築されることになり、新
なった。このようなゆとりのためか九三年の施政方針演
ービスセンター事業は前市長のときに開始されたものを
市庁舎の統合、新築問題に一応の結論を見、行政センタ
説のなかで、﹁私たちのまちづくりも﹃住宅都市︵雰o
継続した側面があり、﹁赤バイ﹂に。ついては市長という
道路の整備、公共下水道事業という、﹁まちづくり三大
↓o峯目︶﹄から市民の暮らしに目を向けた活力のある都
201
らない中、教育問題がひとつの争点となったのには、稲
の留学生から投書も影響しているようである。投書の内
よりも市消防本部の熱意に負うところが大きいので稲葉
くと、﹁赤バイ﹂とはオートバイが救急車よりも早く現
容は、東久留米市の公立小学校を訪れてみて、小学校の
葉氏に反対する中心となる市議が文教委員会に多かった
場に到着できる利点をいかし、救急救命士がオートバイ
貧しさに大変驚いた、というものだった。特にいすや机
他に、九三年七月二八日付けの朝日新聞に載った中国人
に乗り、救急車の到着以前に救急措置を行い、救急車の
の古さや図書館にある新しい本の数の少なさなど、学校
なるだろう。ここで﹁赤バイ﹂について少し補足してお
到著と共に病院へ向かう、という制度のことである。警
の根本となる次元の問題だけに盲点をつかれた形になっ
氏の方針が現れているとすれば残りの二つということに
視庁からのクレームで一躍有名になったこの制度も、始
このようなこともあって、稲葉氏に対し、教育費の割
の割合が増えたことには市民との対話を重視する稲葉氏
となったことや、審議会に市民公募方式を採用し、女性
タ⊥二基、エスカレーター四基を備えた橋上型の福祉駅
もちろん東久留米駅が、市民の要望の結果、エレベー
四台になったことが重要とされているのである。
のため稲葉氏の業績としては﹁赤バイ﹂の創設ではなく、
なく、それ以前からのつけがたまっていたためだとも言
われる。本や学校の備品の問題は稲葉氏だけの責任では
投資すべきかという根本的な点で問題があったように思
が少ないのは必ずしも教育費の額のせいではなく、何に
ピューターの導入などに使われていることから、図書費
た。とは言っても、教育費の多くが校舎の改修や、コン
合のみでなく、実質的な減額をしたとの非難が加えられ
備品の充実という項目が付け加えられている。
の姿勢が現れていると言えるだろう。なお東久留米市は
︵6︶
コンテスト﹂では全国三位に選ばれている。
おそらく以上のような事情から、都市環境整備に一応
えよう。九四年度の予算ではさっそく図書の購入や教材
他方、九四年の市長選挙では選挙戦があまりもりあが
全国フェミニスト議員連盟主催の﹁全国自治体男女平等
たようだ。
めはオートバイ購入の予算がつかず、オートバイニ台の
︵5︶
寄贈があったことで行えるようになったものである。そ
第2号 平成7年(1995年)2月号 (26)
一橋論叢 第113巻
202
(27)「市民派」の政治参加とその構成
の決着を見た二期目以降に市政の稲葉氏らしさが現れて
いくように思われる。九四年の選挙後の所信表明演説で
は三つの基本的姿勢として、﹁明日を支える福祉のまち
︵7︶ ﹁広報ひがしくるめ﹂
一九九四年三月一五日号
︵酒巻秀明︶
市民参加に関して、その高選な理念や意義については
三 市民運動と市長の相互関係
個性ある文化のまちづくり﹂が挙げられている。東久留
多くの論議がなされている。市民参加は肯定的に評価さ
づくり﹂、﹁環境にやさしいまちづくり﹂、﹁共に学び合う
︵7︶
米市の財政は七〇年代の始めより、教育費の増加、次に
れ、さまざまな論者がその旗振り役になっている。しか
議会との関係はどうなるのか、参加の形態は何が望まし
し、実のところ、市民参加を市政にどう位置づけるのか、
れるようになるのか、﹁そこに生きる権利を保証し、自
いのか、こうした基本的な諸点に関してまだ議論がつめ
の問題を抱えながら、今後はどのような所に重点が置か
立して参加するということを基本とする総合的なまちづ
られているわけではない。いきおい、地方目治の現場で
土木費の増加という道を通ってきた。住民の高齢化など
くり﹂としての﹁リビングタウン﹂の内容はこれから問
は、試行錯誤が重ねられることになる。ここでは東久留
て、市民運動と市政の関係に関して考えてみたい。
米市で市民運動団体によって行われた﹁実験﹂をつうじ
わ れようとしている。
︵1︶ 豊田尚﹁東久留米市ベツドタウン化の軌跡﹂﹃地方自
民参加としては大変な成功例であったといえる。稲葉氏
稲葉氏の選挙を支えた市民の会の運動は、選挙への市
︵3︶ ﹁広報ひが し く る め ﹂ 一 九 九 〇 年 三 月 一 五 日 号
︵2︶ ﹁広報ひがしくるめ﹂一九八六年一月一五日号
治真空地帯﹄五〇−六九ぺージ参照
︵4︶ ﹁広報ひが し く る め ﹂ 一 九 九 三 年 三 月 一 五 日 号
葉市長を支えていくということで対応はすっきりしてい
会党や共産党のような既成政党は議会内の与党として稲
ることになる。稲葉選挙を共に闘った勢力の中でも、社
当選後は、当然、政策形成過程への市民参加が模索され
︵5︶ ﹁東久留米こうみんかん﹂一九九四年六月一五日号
一一壬一二ぺージ
︵6︶ 東久留米市発行の女性憎報誌﹁ウイメン﹂九四年三月
号による
203
平成7年(1995年)2月号 (28〕
うということに関しての功罪については、東久留米とは
者や有識者が市政に積極的に関与し多大な影響力をふる
係を形成し、いかなる形態で市政へ参画していくのか、
切り離して議論する余地があろう。
る。他方、市民運動団体の側では、市長とどのような関
会の内部でも合意があったとは言い難かった。
第二に、自前の市長が生まれたという大きな期待感と
なく市民全体のものであるという考えで、それゆえ市民
てくれた特定の団体や意見の近い人たちだけのものでは
四年四月実施︶によれぱ、市長というものは自分を推し
方式がそのまま継続されたことに対しての失望感がとり
い側面がある。こうした層にとっては、学校給食の親子
も選挙での勝利という成果が大きかっただけに無理もな
らずのうちに傍観者的な立場にたった人々。こうなるの
一つのことをやりとげたという安堵感の中で、知らず知
の会も特別扱いせずあえて特殊なかかわりをもたないよ
わけ大きかったと思われる。これは、すぐさま﹁稲葉さ
ていく。我々の第一回調査時において、三分の一近くの
んになっても何も変わらない﹂という批判に移り変わウ
一方、市民の会に集った人々の対応は主に三通りあっ
うても、﹁稲葉市政で評価しないもの﹂に﹁学校給食問
人々がこのような意見を述べていた。また、現在にいた
画や政策策定に積極的に関与した例として、すぐに恩い
ついては距離を置き、市民団体独自の立場から市民参加
第三に、選挙では稲葉氏を応援したが、市政の運営に
題﹂をあげる人が二十九名おり、他の選択肢を引き離し
浮かぶのは一九六〇∫七〇年代の武蔵野市である︵いわ
なり政策擾言なりを進めていこうとした人々。市民参加
﹁ブレーン会議﹂を創設し、そこを中心に市政に参画し
ゆる武蔵野方式︶。この方式が、前述した稲葉市長の方
ということに関しては、稲葉市長がそれぞれの政策課題
て第一位の多さである。
針と相いれるわけがなく、実現をみなかった。少数の学
ていこうというものである。学者や有識者が市の長期計
った考えで、稲葉市長のもとに政策醤言を目的とした
たと思われる。第一に、学者や文化人といわれる層にあ
って任じているようであった。
うにしたと述ぺている。多様な意見や利害の調整役をも
一貫していたといえる。市長へのインタビュー︵一九九
稲葉市長の対応あるいは政治姿勢は、一期目の四年間、
第113巻第2号
一橋論叢
204
(29)「市民派」の政治参加とその構成
にそって各種審議会を設置し、委員を公募。で選ぷという
今回の稲葉再選へとつながづていった。
もっとも有効
だつた方法
自分の意見を市政に反映させるためにとった方法
もっとも多く
とった方法
二二
七
八
九
七
二
三
以上のように、稲葉市政一期目は、選挙への市民参加
二〇
かったろうか。そうした中で四年間の最後に、市内の主
と比して、政策形成過程への市民参加は必ずしも成功し
DK・NA
その他
投書
市議会議員を通じて
陳情・請願
審議会に参加して
市長に直接会って話す
市民団体を通じて
ような市民参加施策を進めたため、市民の会の関係者も
これに参加していく形で前進をみた。﹁審議会への市民
参加﹂は、今回のアンケート調査において、稲葉市政で
評価するものとして三十人の人があげている。これは
﹁汚職追放﹂の三十一人についで第二位の多さで、その
評価は高い。政策握言に関しては、﹁ブレーン会議﹂と
いう形態が機能しなかったことも考えあわせ、予算措置
のともなわない課題に関してのみ行うというような禁欲
的な態度でなされた。けっき上く、実質的な活動はこの
立場に立った人々によってなされたわけだが、市長との
だった市民運動団体︵市民の会、市民連合、生活者ネヅ
たとはいえなかった。しかし、とはいっても、﹁自分の
距離をどうとっていくのか、考えながらの四年間ではな
ト︶が合同して行った稲葉市政の点検作業が、もうとも
意見を市政に反映させる方法﹂についてたずねた質問の
をもっていたことがわかる。また﹁市長と直接会って話
市民運動らしい活動でかつ有効な作業ではなかったかと
﹁何もしてくれない﹂というような市政への誤解も薄れ
す﹂という選択肢をあげる人がこれだけの数になるのは、
結果をみれば、市民団体が一つの窓口として重要な機能
たといえる。また、この活動によって市民運動に参加し
市民運動出身の市長ならではのことだといえるだろう。
思われる。この結果、稲葉市政の実績が明らかにされ、
ている人々が再び団体を超えて交流しあえた。これが、
205
三七一六七七九九
審議会も名目的なものではなく、一定の役割をはたして
通路が開かれたこと。
うした市民層へ訴えかけるよい機会ともなりうる。市長
を変えていくという方向がめざされるならば、選挙はそ
者による市民参加ではなく、多くの市民が参加して市政
まれて継続への意欲ももたらされる。また、少数の有識
性格の中で、市長選との連動は、運動の節目・山場が生
ないので、より困難をきわめると考えられる。そうした
ていくというのは、目標が漢然としていてしかも限りが
運動と違って、市政全体を視野に入れた市民運動を続け
動だったがゆえの利点であろう。単一課題を目的とした
運動が再活性化されたこと、これは、選挙と連動した運
目があるゆえに、市政点検運動という形で、容易に市民
ることにする。利点からいえば、選挙という四年目の節
利点と問題点を以上述べてきた運動の経過から探ってみ
独特であうたわけである。最後に、こうした運動ゆえの
く、市長選という選挙への参加から開始されたところが
東久留米の市民参加の運動はあらためていうまでもな
運動団体独自の市議会議員をたてるというのがあると思
られよう。こうしたことの打開策の一つとしては、市民
が、審議会以外に制度化されていないことも理由にあげ
こうした難しさが生まれるのには、市民団体の市政参加
との関係づくりに−かえって難しい側面が現れてきたこと。
市政への要求をかなり禁欲したりと、市長と市民運動側
長の足を引う張ることをしないように配慮するがために
を無視した過大な期待感が支持者にもたれたり、逆に市
自分たちの選んだ市長であるがゆえに、財政上の制約等
うつなげていくかが再び問われるところである。第二に、
から市長選へときた流れを、政策形成への市民参加にど
になりやすいのではないだろうか。今後、市政点検作業
果が大きく、またそれが盛り上がるほど、こうしたこと
運動の休止期間と化してしまいがちなこと。選挙での成
選挙が一大イベントとしてあるため、それ以外の時期が
生み出されてしまいがちなこと。同じようなこととして、
ため、以後、かえ一て市長個人に依存してしまう心性が
問題点としては、選挙と連動ししかもそれが華々しい
選はもっとも大きな広報・宣伝の場でもある。第二に、
う。実際、他の多摩地方の各市では、﹁市民派﹂を名の
いることがうかがわれる。
調査結果からもわかるように確実に市長との話し合いの
第2号 平成7年(1995年)2月号 (30)
一橋論叢 第113巻
206
(31) 「市民派」の政治参加とその構成
る市民運動と深い関係をもつ議員がたいてい存在し、活
に労働市場に参入する層、すなわち一九六〇年以降の出
ω学歴資格一中等教育以上、ただし、一九七五年以降
無職−無職、ないしは無職−専業主婦の組み合わせは別
いても妻が専業主婦の場合は夫の職業で判断する。また、
満たさないものを準新中間層とした。いずれの場合にお
新中間層、本人または配偶者の職業のうち片方が条件を
および配偶者の職業の二つが条件を満たさないものを非
という条件をいずれも満たすものを新中問層とし、本人
㈹配偶者職業一本人職業に同じ
ω本人職業一非肉体雇用労働、および自由業
る学歴
生コーホートに所属するものに対しては高等学校を超え
発な活動を繰り広げている。議員を通じての参加ならば
正統性の点でも問題がないし、日常活動も議員を中心に
これまで以上のことが期待できるようになるのではない
かと考えられる。 ︵市川虎彦︶
四担い手たち−誰が・なぜ参加するのか
では、このような﹁市民派﹂の運動に、どのような人
が、なぜ、参加するのであろうか。
まず、前回調査から得られた知見は、﹁新中間層﹂で
﹁定着型新住民﹂がその担い手の中心であるということ
であった。このことを今回の調査データから検証してい
︵1︶
と考えることとする︵主に高齢者世帯である︶。
四〇名
結果は下の表のとおりである。
こう 。
新中間層の規定は、階級関係の構造化︵学歴資格とい
う市場能力と職業の接続︶およぴ生活関係の構造化︵小
新中問層
準新中間層
非新中間層
無職
DK・NA
七 六 九 七
規模核家族、学校教育志向︶との双方から考えていかな
ければならないが、高度成長期以後の日本社会において
︵2︶
生活関係が全般的に﹁新中間層化﹂していることを考慮
し、今回の調査では前者を重視した。本人学歴、本人職
業と配偶者職業の三つ に つ い て 、
207
6rpa
一橋論叢 第113巻 第2号 平成7隼(1995年)2月号 (32)
では、これらの人々はなぜ、どのようなきづかけで、
選んだ候補者を市長へという運動に参加なさったきっか
六九名
有効回答者数六二名のうちの四〇名︵六四・五%︶が
けは次のうちどれでしょうか。﹂という問いに対する答
運動に参加してきたのであろうか。﹁あなたが、市民が
新中間層と規定できる︵前回調査では、三八名中二三名、
えの総計は以下のとおり。
よう。まず、市外に居住する二名を差し引いた六七名の
居住年数と持ち家率︵二ログ建、マンシ目ン共︶を参照し
次に、運動参加者の市内への定着度であるが、これは
る︵前回調査では三八名中三一名、八一・六%︶。
その他 二
で 一〇
すでに加入していた団体がこの運動に参加したの
友人・知人に誘われて参加した 。二二
自発的に参加した 四三名
DK・NA 一
三名にのぼる。前者のみでも市内居住者のうちの七四.
たって居住する意志があるものと認められるもの︶が一
体が加入したから﹂というような、比較的個人の初発の
ということは、﹁誘われて﹂あるいは﹁参加していた団
かなりの人が、﹁自発的に﹂運動に参加してきている。
計 六九名
六%、後者を含めると九四・○%になる。
︵3︶
たとみることができるだろう。また、参加時期をみると、
る場合よりも強い動因が個人に内在してた場合が多かっ
動機づけが弱くても運動にかかわるきっかけが与えられ
証できる。
型新住民がそのほとんどを占めること、という二つが検
以上より、運動参加者には新中間層が多いこと、定着
ち家に居住するもの︵今後東久留米市に比較的長期にわ
米市に居住するものが五〇名、また、一五年未満でも持
いわゆる﹁新住民﹂である。そのうち一五年以上東久留
市内居住者の全員が中途で東久留米市内に転入してきた、
名となり、約四分の三︵七五・八%︶を占めることにな
六〇・五%︶。準新中間層を含めて考えるならば、四七
計
208
(33) 「市民派」の政治参加とその構成
一九八九年の﹁市民の会﹂発足時までにかなりの人が運
体では、六九名中男性四一名・女性二六名・NA二名︶。
は、それぞれ六九名中四四名、三一名︵DK・NA一
経験者が七名、市民運動未経験者が四名である。総計で
三名中、学生運動未経験者が二茗、労働組合の活動未
が他に運動経験が無い人が多いということであろう。一
この層は、ほかの層と比較すると、まず一番目立つの
その意義を考えていこう。
う層である。以下、この層について調査結果を見ながら
ここで注目すべきなのは﹁誘われて﹂参加した、とい
性は相対的に低くなりつつあるし、また、人□の流動牲
いつつあるということで外部からの新たな参加者の可能
近年、東久留米市の人口は徐々に定着する方向へと向か
降に新たに運動に加わってきた成員は、極端に少ない。
結果から参加時期を見ても、稲葉市長の一回目の当選以
は比較的早期にリクルートが完了している。今回の調査
で選ぶ﹂運動にとっては、﹁自発的に﹂参加してくる層
ことができる。ところが、東久留米の﹁市長を市民の手
ルギーを与えるものの一つが新規参入者であると考える
さて、﹁市民運動にとって、運動は、始めるよりも継
名︶、一一名であるから、学生運動を除いては統計的に
が高い部分からの参入者はあまり期待できない︵定着型
動に加わっている︵四三名中二六名、なお九名がDK・
有意とは言えないが、比較的多いとは言えるだろう。こ
新住民に運動参加者が多いのであるから︶。となると、
続するほうが難しい﹂というのはよく聞く言葉であるが、
うした、その他の面ではかならずしも積極的な活動をし
既参加者の人的ネツトワークによって﹁誘われて﹂参加
NA︶。市民の活動的な層は比較的早期にこの運動に参
ているとは言えないような層が、﹁誘われて﹂運動に参
してくる層が重要になる。おそらく、こうした﹁ネット
続けることが難しい市民運動を活性化し、持続へのエネ
加し、相当の割合で選挙期間中も半分以上の日に活動に
ワーク型﹂の参加者をこれからどのような運動へとリク
加するようになったとみてよいであろう。
参加しているのである。選挙期間八日のうち四日以上参
ルートしてくるかということが、市民運動の拡大と質の
転換にとって重要になづてくるのではないだろうか。
加した人が二二名中八名いる。また、二二名中男性五
名・女性八名と、女性が比較的多いのも特徴である︵全
209
一橋論叢 第113巻 第2号 平成7年(1995年)2月号 (34)
現﹂する回路をそれまではいろいろな理由で持ウていな
因はあったものの、それを運動への参加という形で﹁表
る以前には運動に関わらなかったのではなく、内的な動
への内的動因に欠けていたから﹁誘われて﹂参加してく
ない。おそらく、﹁ネソトワーク型﹂の参加者は、運動
おり、実際の運動への参加が低調だったというわけでは
言えないが、選挙期間中の参加度を見てみるとわかると
型﹂参加者は、あまりその他の面での活動性が高いとは
民運動にとって、このことは重要な課題として常に目の
クとの接触などによっても可能であろう。各々個別の市
いイシューでのネットワークの形成や既存のネソトワー
ークの活用によってもなされるであろうし、また、新し
力をもたらす新規参入者の獲得は、既参加者のネットワ
したがって、一般的に言えることとして、運動体に活
動してきたのだ。
人と考えられる。その人が運動のネットワークの中に移
へのリクルート源となっていたネットワークの外にいた
う。今回の﹁ネヅトワーク型﹂参加者は、こうした運動
かったということなのではないだろう・か。比較的早期に
前に置かれている。
調査データに見るとおり、これらの﹁ネットワーク
﹁誘われて﹂参加したインフォーマントが、その後さま
︵1︶高橋準、﹁社会運動の担い手たち一階層、価値意識、
︵3︶ 個人の内的な動機づけの詳細については今回の調査で
﹁社会運動の担い手たち﹂、二七−二八頁、を参照。
三−四、三七七−三七八頁、一九九三年。また、高橋、
︵2︶ 高橋準、﹁新中間層の再生産戦略﹂、﹃社会学評論﹄四
三年。
運動参加の条件−東久留米市長選挙におけるケーススタ
ディー﹂、﹃一橋研究﹄一八 一、二一−四〇頁、一九九
ざまな市民運動との関わりを持っていったということか
らも、この仮説は裏付けることができるだろう︵追加調
査によ る ︶ 。
これまでの調査からも、﹁市民の会﹂の成員はその他
のさまざまな市民運動に関わっており、かなりの部分が
﹁市民の会﹂の設立以前からネットワークを形成してい
はふれることができなかったが、前回調査からの仮説とし
た運動参加者も、おそらくはこうしたネxトワークの中
のではないかということがあげられる。
ては、個人のアイデンティティにかかわる動機づけがある
たということがわかうている。﹁自発的に﹂参加してき
︵4︶
にいて、その中から﹁目発的に﹂参加してきたのであろ
210
(35)「市民派」の政治参加とその構成
︵4︶ 井川・市川・酒巻・高橋・古田・安原・善本、﹁東久
留米市長選挙運動の研究﹂︵報告書、未発表︶、一九九二年。
︵高橋準︶
﹁そのようにお考えになる理由を具体的にお聞かせく
ださい。︵自由回答︶﹂
この質問に対する回答から、特に自由な記述回答を基
にして、市民団体参加者の﹁市民派﹂像を分類するなら
一□に﹁市民派選挙﹂といっても、その意味するとこ
からの、特にそのイデオロギー的利害からの、市民団体
まず第一の、そして最も多い回答は、既成政党の利害
ば、それは以下の二種類に大別されうる。
ろは必ずしも明らかではない。とりわけ、そこで言われ
の独立性・自立性によづて﹁市民派﹂を規定するもので
五 ﹁市民派﹂の自己像−既成政党との関係から
ている﹁市民派﹂の概念は不明確である。そこで、本節
ある。この種の規定は回答全体の約半数︵六九人中三三
て活動していたと恩われるから﹂︵四十代男性︶﹁市民運
党支持者︵与党の︶としてよりも市民団体の参加者とし
った理由として、﹁選挙運動を行うたほとんどの人が政
典型的な例としては、今回の選挙運動が市民派選挙であ
人一以下単に33/69の様に表記︶を占める。この規定の
では、﹁市民派﹂の定義という大きな問題を解くための、
一つの手掛・かりとして、今回の調査結果を基に、﹁市民
派選挙﹂において実際の選挙運動を担うた市民団体の参
加者自身が、﹁市民派﹂という概念をどのように捉えて
いるかを明らかにしようと田甘う。
今回の調査では、この問題に関して次の質問をおこな
動を軸として政党がこれをフォローする形がとられた﹂
︵七十代以上男性︶﹁政党の利害によづて選挙活動が左右
った。
﹁今回の稲葉候補の選挙活動について、あなた自身は、
されることがなかった﹂︵五十代男性︶といった理由を
ているということになっているが、実際は組合、政党の
った理由として、﹁形としては市民の会が主導権をとっ
示す回答が挙げられる。また今回は市民派選挙ではなか
市民派選挙であうたとお考えですか。そうでなかった
とお考えですか。
1 市民派選挙であった 2 市民派選挙ではなかっ
た 3 どちらともいえない﹂
211
一橋論叢第113巻第2号平成7年(1995年)2月号(36)
において﹁市民派﹂は、既成政党︵今回の選挙では社会
は先の諸例と同様であるといえよう。つまり、この規定
運動の評価こそ正反対であれ、﹁市民派﹂の規定として
おいては、この両者が明確に区別され、後者の前者に対
に当然の前提とされていた。しかるにこの第二の規定に
た。というよりもむしろ、この両者の一致は、暗黙の内
﹁一般市民﹂との違いはまったく問題にされていなかっ
第一の規定においては、市民団体参加者とそれ以外の
党および共産党︶の利害・方針一組織力からは相対的に
する支持の大きさによって、﹁市民派選挙﹂が定義され
大きな支援があったこと﹂︵五十代女性︶を挙げる例も、
せよ独立して活動をおこなう選挙運動団体としてのみ把
る。この規定に属する回答は約四分の一︵17/69︶存在
﹁あった﹂と回答を寄せたのは三割程︵10/33︶にすぎ
になった、と言えるのではないか、そこで総体としてみ
を目の当たりにして、それを支援する投票活動に積極的
ったし、一般の市民も、活動的な市民派市民の活動ぶり
し、その例を挙げれば、﹁市民派市民の活動が活発であ
握されており、その具体的な理念.内容といったものは
まったく述べられない。実際、この規定を支持する回答
ず、その内容も多くは﹁市民本位の市政か政党中心の市
れば明らかに﹃市民派選挙﹄であったと考える﹂︵六十
の内、今回の選挙に争点があったか否かとの質問に対し、
政か﹂︵四十代男性︶といった抽象的なものまであり、
代男性︶﹁市長選の前は決定的に支持者が優勢ではなか
るは市民の方々にわかって頂だけたといふる以外、何も
ったのに五千票[実際は約七千票]の差で勝てたといふ
マ ﹃
既存の社会党や共産党の掲げる理念とは区別された﹁市
った。したがって、この規定は具体的な内容によるもの
のでもないと思うので市民派選挙であったと思う﹂︵仮
民派﹂独自の具体的な理念を打ち出した回答は皆無であ
ではなく、そこでは﹁市民派﹂は、﹁市政全体﹂から
残余範晴としてしか定義され得ていないのである。
て規定されているのではなく、むしろ市民団体参加者か
つまり、ここでは﹁市民派﹂は、市長運動の存在によっ
名遣いは原文のまま︶︵年齢性別無回答︶などがある。
第二の回答は、市民団体参加者といわゆる﹁一般市
ら区別されたそれ以外の多くの有権者が、市民団体の主
﹁既成政党﹂を除いたその他の部分、その意味でいわば
民﹂との関係において﹁市民派﹂を規定するものである。
212
(37)「市民派」の政治参加とその構成
でありうると思われるかもしれない。というのも、市民
この第二の規定は、第一の規定よりも、積極的な規定
解できないほど多かった、ということを意味しているの
選挙における組織を基盤とした票読み︵基礎票︶では理
のような回答例から分かるように、旧来のいわゆる政党
のである。なぜなら、この規定の支持者が幅広い市民の
団体の推した候補に投票した有権者は、その具体的な公
である。﹁いわゆる基礎票では勝ちめはないとされたの
張に賛同することをもって定義されているのである。そ
的・理念を支持して票を投じたと考えられるからである。
を圧勝に持っていったのは・・⋮市民の意識が高・かったか
賛同を得られたとする根拠は、先に確認したように得票
しかるに、この規定に属する市民団体参加者自身は、具
ら﹂︵七十代以上男性︶﹁七千票の差は、政党間の選挙戦
してその際、多くの有権者が市民団体を支持したという
体的に自分達のいかなる理念が賛同されたのか、ほとん
ではあらわれない。政党とは無関係の多くの市民が個の
数の多さにあづた。そして、この得票数の多さとは、実
ど把握していない。そのことは、先にも見た選挙の争点
立場で運動し⋮⋮﹂︵五十代男性︶。このような把握と、
その根拠は、実際の得票数が多かったという事実に求め
に関する質問に対して肯定の回答をしたのは半分以下
しかし先に見た通り、﹁市民派﹂独自のいかなる具体的
は、単に相手候補より多かったということではなく、次
︵7/16︶であり、その内容はどれも﹁幅広い市民層の
な主張・理念が二般市民﹂に受け入れられたのはまっ
られている。
ための市政か、何となく限定された市民層のための市政
たく不明であるという点からすれば、やはりここでも
ず、あくまで既成政党ではない何かとしてのみ規定され
か﹂︵六十代男性︶といったやはり抽象的なものに止ま
規定も第一のそれと同様、具体的な内容による積極的な
︵1︶
ているのである。
﹁市民派﹂は、具体的な内容によって理解されてはおら
規定とは言い難いのである。
しかし、誤解の無いようここで強調しなけれぱならな
うているという事実から明らかである。こうして、この
のみならず、第二の規定も、実は第一の規定と同様、
いことは、この結論は、﹁市民派﹂の選挙運動が、既成
、 、 、 、
本質的には既成政党ではないという形で定義されている
213
一橋論叢 第113巻 第2号平成7年(1995年)2月号(38)
問う質問に対し、明確に支持政党も好きな政党もないと
実際のところ、支持政党︵無い場合は好きな政党︶を
係に 注 目 す る こ と で 明 ら か に な る 。
とは、運動参加者の支持政党と﹁市民派﹂像との相関関
という主張を支持しはしないということである。このこ
支持はしないが好きではあるとの層を加えれば、この市
また、これら三党の明確な支持者に、先と同様にして、
党は、支持政党全体の実に九割以上︵29/31︶にのぼる。
会民主連合支持者を加えれぱ、いわゆる従来の革新系政
政党全体の約八割︵25/31︶を占めている。これに、社
共産党支持が圧倒的に多く、この両党だけで支持された
さらに、その政党別内訳を見てみると、社会党および
答えたのは、回答全体の二割に満たない︵13/69︶。逆
民団体参加者の約六割︵41/69︶はこれら三党のいずれ
政党に属さない人々の単なる﹁反既成政党﹂運動である
に明確にいずれかの政党を支持する回答は半数弱︵31/
このような事実からみて、﹁市民派﹂とは、単なる反
・かに対しなんらかの共感を抱いていることが分かる。
あるという回答を加えれば、既成政党になんらかの点で
既成政党の集団でもなければ、単なる従来の革新勢力で
69︶もあり、これに支持政党はないが好きな政党ならば
共感を抱く回答は実に七割以上︵49/69︶にのぼる。ま
の理念が大枠で共感を得つつも、政党という形での地方
もないことが理解されよう。そこでは、旧来の革新勢力
政治への関り方ははっきりと拒否されている。したがっ
た、﹁市民派﹂をはっきりと既成政党との対比において
そこで既成政党に対しまったく共感を抱かないものは約
て、その独自の理念・組織形態・運動形態といった具体
把握した先の第一の規定に属する回答のみを見てみても、
三割︵10/33︶にすぎず、逆にはっきりと支持政党を表
をおぼろげながら志向しつつも政党という形ではない形
はいえ、﹁市民派﹂とは、従来の革新系政党に近い理念
でその実現を目指す、その意味で地方政治に対する新し
像は未だ当事者にとってさえほとんど明らかではないと
のは七割弱︵22/33︶に達する。またこの中には、数こ
い関り方を模索する運動であると言うことができるであ
明する回答は五割弱︵16/33︶、好きな政党ならばある
そ少ないものの七名の政党関係者が存在し︵7/33︶、
という回答を加えれば、なんらかの政党に共感を持つも
その内三名は役職に就 い て い る ︵ 3 / 3 3 ︶ 。
214
(39)「市民派」の政治参加とその構成
ろう。
参加者自身の間でも、いまだに﹁市民派﹂は既成政党と
体的に確立していくことがあげられる。五節において、
極的な定義づけに乏しいというのである。そこで今後、
摘されている。﹁市民派﹂とはこういうものだという積
の違い・から規定されるにとどまっているということが指
︵1︶ もちろんこの二種の規定に属さない回答も一割程︵7
/69︶存在する。が、それらの中に特に共通性は見られな
い回これらの回答の例を挙げれぱ、﹁すべてにおいて手作
単なるムード的なものではない、保守でも革新でもない
りであったこと﹂︵年齢性別無回答︶﹁自治会の婦人達が住
性︶﹁内部分裂が、前回より目についたと思います﹂︵四十
るのではないだろうか。その際、政党の綱領のような参
新しい政治理念としての﹁市民派﹂の肉付けが求められ
みよい市をつくるために、がんぱったと思う﹂︵五十代女
代女性︶などがある。また、自由回答に対する無回答が二
割弱︵12/69︶にのぼり、その内八割以上︵10/12︶がそ
加者を拘束するような厳格なものは必要ないと思う。そ
の直前の三つの選択肢のいずれかは選んでいるという事実
は、今回の調査対象者が、漠然としたイメージとしては
れは、自由で多様で参加しやすい﹁市民派﹂の魅力をそ
具体的に﹁市民派﹂の理念を明瞭にしていくべきであろ
ぐことになる。そうではなく、現実の政策策定の場で、
﹁市民派﹂というものを捉えてはいても、その具体的な理
由を挙げられるほど明確にはこの概念を杷握できていない
ということを、再び示していると言えよう。︵菊谷和宏︶
う。二節でも触れられているように、九四年で前市長時
以上、﹁市民派﹂の市長が誕生してからの四年間の施
ているのである。運動参加者も、今後の課題として﹁も
自らの手で長期計画を策定する作業を行う時期に当たっ
に策定された長期計画が終了する。稲葉市長の二期目は、
策と市民参加の実際、およびこの運動の参加者の特質と
っと稲葉カラーを出してほしい﹂と多くの人が述べてい
﹁市民派﹂にとっての課題
思考について、それぞれ二節から五節までで検討してき
た。稲葉カラーを出すということは、同時に市民団体の
六 まとめ壬今後の
た。各節の内容をもとに、今後の﹁市民派﹂にもとめら
方でも﹁市民派﹂の特徴を確立していくということなの
である。
れることを二点ほど指摘したい。
一点目としては、﹁市民派﹂の理念を市政の現場で具
215
が課題として上ってくる。とりあえず市民の会としては、
動団体からも注目されてきた。次は日常の市政への参加
動は、選挙における市民参加は成功例として他の市民運
りあげていくということがあげられよう。東久留米の運
するグループの範例となるような市民参加の形態をつく
二点目として、他の市民運動団体や﹁市民派﹂を標梼
* 本論文は、市川・菊谷の両名それぞれに交付された文部
︵市川虎彦︶
後とも注目に値する実践例であり続けているのである。
以上の二点のみをとってみても、東久留米の事例は今
ような参加の形態が望まれているのである。
はある。とりわけ、運動未経験の人々でも加わってくる
ろう。これは参加者自身の間でも自覚されていることで
︵松山大学専任講師︶
省科学研究費補助金による研究成果の一部である。
少数の有識者を中心とした﹁プレーン会議﹂方式は採用
しないようである。もっと、多くの人々に開かれた参加
として間違いではないだろう。そこで、四節で指摘され
︵一橋大学大学院博士課程︶
︵木更津工業古岡専講師︶
︵一橋大学大学院博士課程・学術振興会特別研究員︶
ている、新規参入者の少なさというのは大きな閻題とな
形態を模索しようとしている。これは﹁市民派﹂の方向
第2号 平成7年(1995年)2月号 (40)
一橋論叢 第113巻
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