5. イトゴカイ(Capitella sp.Ⅰ)撒布による堆積物の浄化

5. イトゴカイ(Capitella sp.Ⅰ)撒布による堆積物の浄化
5.
1
はじめに
閉鎖性海域における富栄養化の進行は、最終的に海底堆積物の有機汚染を引き起こす。
その結果、高水温期に海水の成層構造が発達すると底層では表層からの酸素供給が制限さ
れて貧酸素化状態が発生し、海底の生態系が大きく攪乱される。このような事例は日本だ
けでなく、北海、バルト海、アメリカ西海岸をはじめ世界各地の閉鎖性内湾から報告され
ている(UNEP, 2004 ; Diaz & Rosenberg, 2008)。
これまで閉鎖性海域における堆積物の有機汚染を改善する方法として、汚泥の浚渫や覆
砂などの土木的手法や石灰の撒布や曝気などの化学的手法が実施されてきたが、いずれの
方法も持続性やコストに問題があり、さらに、これらの方法は二次的な環境攪乱を招くと
いう生態系への影響が懸念される。そのため、近年、環境への負荷が少なく、持続性が期
待できる生物機能を活用・強化した環境修復法が提案されている(門谷ら, 1998 ; 堤ら,
1998 ; 山田ら, 1998)
。このような生物による環境修復法の1つに、世界各地の有機汚染
域に高密度で生息する堆積物食性小型多毛類のイトゴカイ(Grassle & Grassle, 1976)に
よる堆積物浄化法がある(堤・門谷, 1993)。イトゴカイは夏季に環境条件が悪化すると、
他種と同様に個体群が消滅するが、生活環が 1〜2 カ月程度と極端に短く、周年にわたっ
て繁殖することが可能である(Tsutsumi & Kikuchi, 1984)。そのため、秋季から冬季に
かけて環境条件が回復するとすばやく再移民し、爆発的な増殖能力を発揮する特性をもっ
ている(Tsutsumi & Kikuchi, 1984 ; Tsutsumi, 1987, 1990)。
本研究では、典型的な富栄養海域の1つであり、夏季には底層で貧酸素水塊が発生し、
海底生態系に大きなインパクトを与える現象が起こっている洞海湾において(Ueda et al.,
1994, 2000)、湾の最奥部の有機汚泥がもっとも堆積した海底に、1996 年~1999 年の毎年
晩秋から初冬期にイトゴカイの培養コロニーを撒布した。撒布したイトゴカイコロニーの
爆発的な増殖を誘導し、海底堆積物中の有機物の分解を促進して、より酸化的な環境を形
成し、多様な底生動物が生息できる海底を創成することをめざした。ここでは、イトゴカ
イの撒布実験の事前および事後調査も含めて、1995 年~2001 年の 6 年間にわたる実験地
点の水質および堆積物の物理・化学的調査、ならびにイトゴカイを含む底生動物群集の動
態に関する調査結果を解析し、イトゴカイの培養コロニーの撒布による堆積物浄化法が、
有機汚泥の堆積した沿岸閉鎖性海域の海底環境を改善することに有効な手段となりうるか
どうかについて考察する。
5.2
調査方法
5.2.1
実験(調査)地点
洞海湾は湾口から湾奥にかけて、両岸からほぼ中央部が水深 8~10m で、航路として利
用されている。イトゴカイ撒布による堆積物浄化実験の定点は、最奥部の中央部(水深約
10m)に設定した(図 5.1)
。
図 5.1
5.2.2
イトゴカイ撒布による堆積物浄化実験の定点
調査および分析方法
実験は 1995 年 9 月から 2001 年 9 月まで行い、2001 年 3 月までは毎月 1 回、その後は
2 ヶ月に 1 回、水質および堆積物の物理・化学的環境条件に関する調査および底生動物群
集の定量調査を行った。水質は、船上から多項目水質計を用いて、水深 1m ごとに水温、
塩分および溶存酸素濃度(DO)の測定を行った。堆積物は KK 式コアサンプラーで採取
し、深さ 1 cm までの表層をサブサンプリングし、酸揮発性硫化物(AVS)を検知管法で
測定した。また、全有機炭素含量(TOC)および全窒素含量(TN)は CN 自動分析装置
を用いて測定した。底生動物群集の定量調査用の堆積物は、エックマンバージ型採泥器
(15×15 cm、採泥面積 225 cm2)を用いて採取し、方形コア(5×5×5 cm、採泥面積 25 cm2)
によりサブサンプリングを行った。10 個の試料を採取した後に、各試料をローズベンガル
入りの 10%ホルマリンで固定した。研究室において、この堆積物試料を 1mm 目の篩でふ
るい、その上に残ったものから底生動物を選別し、種の同定を行い、個体数の計数と現存
量(湿重量)の測定を行った。
5.2.3
イトゴカイの培養コロニー撒布実験
洞海湾の湾奥部で事前に採集したイトゴカイを seed colonies として、マリンバイオ(株)
八代工場内で培養して、撒布用のコロニーを作成した。実験地点へのイトゴカイ培養コロ
ニーの撒布は、海底直上水の DO が回復し、イトゴカイの生息が可能になる晩秋から初冬
期に行った。最初の撒布は、1996 年 10 月~1997 年 1 月に 4 回に分けて撒布した。2 年目
の撒布は、1997 年 12 月および 1998 年 1 月に 2 回行った。3 年目および 4 年目のイトゴ
カイ撒布は、それぞれ 1998 年 12 月および 1999 年 12 月に 1 回ずつ行った。いずれの年
のイトゴカイ培養コロニーの撒布も、現存量で合計約 1 kg (約 10,000,000 個体)を撒
布した。撒布作業は、ダイバーが培養基質とイトゴカイ培養コロニーの入ったビニール袋
を海底まで運び、それらの袋を破って撒布した。
5.3
結果
5.3.1
水質の季節変化
実験地点における 1996 年 4 月~2001 年 9 月の海水表面および海底直上水の水温、塩分
および DO の変化を図 5.2 に示す。海水表面の水温は毎年 7 月~8 月に最高値(27.0~
28.7℃)、1 月~2 月に最低値(10.1~11.2℃)に達した。海水表面と海底直上水の温度差
は、毎年 4 月~7 月の水温上昇期に 2~4℃の差が発生するが、海水表面の水温が最高値を
記録する 8 月の温度差はわずかで、水温成層はこの時期にはほとんど形成されなかった。
塩分は、海水表面が 3.85~31.76 の範囲で大きく変動したのに対して、海底直上水は
28.76~33.44 の範囲で安定していた。海水表面の塩分低下は大雨に伴う河川水の流入によ
るもので、春先の 3 月~4 月、梅雨時の 6 月~7 月、台風が通過した 9 月~10 月に発生し
た。そのため、年によっては 3 月~10 月まで長期間にわたって塩分成層が形成された。
DO の季節変化については、塩分成層が形成され、海底直上水の水温が 20℃を超えた時に、
海底直上水の DO が 3 mg l-1 以下の貧酸素状態が発生した。特に、7 月~8 月の水温がも
っとも高い時期には、毎年、DO が 1 mg l-1 以下のほとんど無酸素状態が発生した。10 月
以降は、底層に溶存酸素が供給されるようになり、いずれの年も DO は急速に回復した。
図 5.2
海水表面および海底直上水の水温、塩分および DO の変化(1996 年 4 月~
2001 年 9 月)
(矢印はイトゴカイ培養コロニーの撒布を示す。
)
5.3.2
培養コロニーの撒布によるイトゴカイ個体群の密度および現存量の変化
この研究では、海底直上水の DO が飽和状態へ回復したことが確認された晩秋から初冬
期に、イトゴカイの培養コロニーを有機汚泥の堆積した海底へ撒布し、自然状態よりも速
い個体群の増殖を誘導し、堆積物中の有機物の分解を促進することを試みた。
図 5.3 および図 5.4 に、実験地点におけるイトゴカイの密度および現存量の季節変化を
それぞれ示す。イトゴカイを撒布する前の 1995 年 9 月~1996 年 9 月には、イトゴカイの
密度および現存量は冬季(2 月)に最大となり、それぞれ 6,160 個体 m-2 および 9.9 gww
m-2 を記録した。6 月以降は密度および現存量ともに急速に減少し、7 月〜11 月まで生息
を確認できない状態が続いた。
1996 年 10 月~1997 年 1 月に 4 回行ったイトゴカイ培養コロニーの撒布後、イトゴカ
イの増殖が確認され、密度は 1997 年 5 月に 11,400 個体 m-2、現存量は 1997 年 3 月に 22.3
gww m-2 まで増加した。撒布前と比較すると、密度および現存量 の最高値がそれぞれ約
1.9 倍および 2.3 倍に増加した。翌年、1997 年 12 月~1998 年 1 月に行ったイトゴカイ培
養コロニーの撒布後は、前年とほぼ同様に 1998 年 3 月に 9,520 個体 m-2、現存量は 1998
年 2 月に 12.8 gww m-2 まで増加した。1998 年 12 月(3 年目)のイトゴカイ培養コロニー
の撒布後は、イトゴカイの増殖が前年および前々年よりも速く、1999 年 2 月に 10,720 個
体 m-2、4 月に 19,840 個体 m-2 まで増加し、現存量も 1999 年 3 月に 28.0 gww m-2 に達
し、それぞれ本実験における最高値を記録した。
一方、1999 年 12 月(4 年目)のイトゴカイ培養コロニーの撒布は、それまでと同様の
方法で撒布したにもかかわらず、撒布後にイトゴカイの密度および現存量の増加がみられ
ず、2000 年 4 月に密度が 1,780 個体 m-2、現存量が 1.2 gww m-2 を記録したにとどまっ
た。また、イトゴカイ培養コロニーの撒布を中止した 2000 年~2001 年の冬季には、イト
ゴカイの増殖は小規模で、密度は 2001 年 1 月に 11,240 個体 m-2 まで増加したが、現存量
は 7.7 gww m-2 にとどまった。
図 5.3
イトゴカイの密度の季節変化(1995 年 9 月~2001 年 9 月)
(矢印はイトゴカイ培養コロニーの撒布を示す。)
図 5.4
イトゴカイの現存量の季節変化(1995 年 9 月~2001 年 9 月)
(矢印はイトゴカイ培養コロニーの撒布を示す。)
5.3.3
堆積物の季節変化
(1)堆積物表層の AVS の季節変化
実験地点の堆積物表層について、その嫌気性の指標となる AVS の季節変化を図 5.5 に示
す。実験地点では、調査期間をとおして、夏季に貧酸素水塊(無酸素水塊)が発生すると
同時に、
堆積物表層の AVS が急激に上昇する現象が見られ、最高値は 1996 年 10 月に 5.52
mg g-1、1997 年 1 月に 5.64 mg g-1 を記録した。10 月以降海底直上水の DO は急速に回復
したのに対して(図 5.2)、底質は極度に嫌気化した状態が冬季にも続いていたこと示して
いる。
イトゴカイ培養コロニーの撒布との関係をみると、撒布前の 1995 年 9 月~1996 年 9 月
ならびに最初の撒布後の 1997 年 10 月の期間中は AVS が 1.0 mg g-1 を下回ることはなか
った。しかしながら、2 回目および 3 回目のイトゴカイ培養コロニーの撒布後に起きたイ
トゴカイ個体群の増殖期には、それぞれ AVS の値が 1 mg g-1 を大きく下回り、それぞれ
1998 年 5 月におよび 1999 年 5 月には 0.18 mg g-1 および 0.38 mg g-1 を記録し、酸化的
な底質が形成された。一方、イトゴカイ培養コロニーを 2000 年の初冬期に撒布しなかっ
た後は、冬季における AVS の減少が遅く、最低値も 2001 年 3 月の 0.75 mg g-1 にとどま
り、再び嫌気的な条件が強まる傾向が認められた。
図 5.5
堆積物表層の AVS の季節変化(1996 年 4 月~2001 年 9 月)
(矢印はイトゴカイ培養コロニーの撒布を示す。
)
(2)堆積物表層の TN、TOC、C/N 比の季節変化
実験地点の堆積物表層の TN、TOC、C/N 比の季節変化を図 5.6 に示す。実験地点では
イトゴカイ培養コロニー撒布直前の 1996 年 10 月には TOC が 65.2 mg g-1 に達していた。
イトゴカイ培養コロニーの撒布を開始した後は、イトゴカイの冬季の増殖を経た後に TOC
が著しく低下する現象が確認され、1997 年 3 月~4 月には 47.2~47.5 mg g-1、1997 年
12 月~1998 年 1 月には 53.5~54.9 mg g-1、1999 年 7 月~10 月には 31.6~42.1 mg g-1
に低下した。
図 5.7 には、1996 年〜2001 年までの調査結果より、冬季のイトゴカイ個体群のバイオ
マスの最大値(図 5.4)とその後に確認された堆積物表層の TOC の最小値(図 5.6)の関
係を示す。両者には相関係数は大きくないが有意な負の相関関係が認められた(r2=0.215)。
したがって、イトゴカイ培養コロニーの撒布によって調査地点のイトゴカイ個体群の増殖
が促進されると、その後に堆積物表層の TOC が減少することが示された。TOC の減少は、
いずれもイトゴカイが増殖した期間またはその後で発生していた。
一方、堆積物表層の TN の季節変化に関しては、TOC とは逆の変化が見られた。イトゴ
カイの培養コロニー撒布直前の 1996 年 10 月には 2.68 mg g-1 を記録した。イトゴカイの
培養コロニー撒布後の冬期におけるイトゴカイの増殖を経ると、TN の著しい増加が見ら
れ、1997 年 2 月には 5.60 mg g-1、1999 年 2 月~2000 年 8 月には 5.9~10.3 mg g-1 に
達した。また、この TN の上昇した期間の C/N 比は、ぞれぞれ 13.2、5.9~12.5 で、その
他の期間の 21.2~40.1と比較して著しく低い値を示した。図 5.8 には 1996 年〜2001 年
までの調査結果より、冬季のイトゴカイ個体群のバイオマスの最大値(図 5.4)とその後
に確認された堆積物表層の TN の最大値(図 5.6)の関係を示す。両者には有意な正の相
関関係が認められた(r2=0.783)
。この関係は、イトゴカイ培養コロニーの撒布によって調
査地点のイトゴカイ個体群の増殖が促進されると、その後に堆積物表層に含まれる有機物
において有機炭素分の分解が促進される一方で、有機窒素分は増加および C/N 比の変化を
考慮すると、窒素分の高い有機物が生産されたことを示している。
図 5.6
堆積物表層の TN、TOC、C/N 比の季節変化(1996 年 4 月~2001 年 9 月)
(矢印はイトゴカイ培養コロニーの撒布を示す。)
図 5.7
撒布後のイトゴカイ現存量の最大値と堆積物の TOC の最小値の関係
図 5.8
撒布後のイトゴカイ現存量の最大値と堆積物の TN の最大値の関係)
5.3.4
底生動物群集の変化
イトゴカイの個体群動態と同様に、大型底生動物の現存量も毎年春季に1年中でもっと
も豊富になった。そこで、実験地点における、1996 年~2001 年における 3 月または 4 月
の大型底生動物群集の湿重量とその種組成を示す(図 5.9)
。大型底生動物の現存量は、イ
トゴカイ培養コロニー撒布前の 1996 年 3 月にはわずか 9.3 gww m-2 であった。それでも
最優占種はイトゴカイで、群集全体の現存量の 81.7%の 8.1 gww m-2 を占めた。イトゴカ
イ培養コロニーの撒布実験を開始した後の 1997 年 3 月には大型底生動物群集の現存量が
25.7 gww m-2 と、イトゴカイ撒布前の約 2.8 倍に増加した。最優占種は前年同様にイトゴ
カ イ で あ っ た が 、 1 種 で 22.3 gww m-2 を 占 め た 。 次 い で ス ピ オ 科 の 小 型 多 毛 類
Pseudopolydora paucibranchiata が 1.4 gww m-2 を占めた。これらの 2 種の多毛類が卓
越する大型底生動物群集の構造は 1998 年 3 月および 1999 年 3 月も続いたが、1999 年 3
月には大型底生動物群集全体の現存量が 42.4 gww m-2 に増加し、小型二枚貝類のシズクガ
イ(Theora lubrica)も現存量で 2.8 gww m-2 採集された。
2000 年 4 月なると大型底生生物群集の現存量が調査期間で最大の 62.1 gww m-2 に増加
し、群集構造にも大きな変化が見られた。1999 年 12 月に撒布したイトゴカイは前年のよ
うに増加せず、2000 年 4 月の現存量はわずか 1.2 gww m-2 にとどまった。一方で、過去 4
年間の春季には見られなかった比較的大型のスピオ科の多毛類の Paraprionospio patiens
および二枚貝類のコウロエンカワヒバリガイ(Xenostrobus securis)の現存量がそれぞれ
24.2 gww m-2 および 20.2 gww m-2 に達し、シズクガイ(T. lubrica)の現存量も 8.5 gww
m-2 に増加した。
イトゴカイ培養コロニーの撒布実験を中止した後の 2001 年 4 月には、大型底生動物群
集の現存量が前年より大幅に減少しただけでなく(9.8 gww m-2)
、種組成も再び単純化し、
P. patiens の現存量が 8.8 gww m-2 と現存量の 89.1%を占めた。
図 5.9
5.4
大型底生動物群集の湿重量および種組成の変化
考察
今回の実験では、イトゴカイ培養コロニーの撒布による堆積物浄化法が、富栄養化が進
行して有機汚泥の堆積した閉鎖性海域の海底環境を改善することに、有効な手段となりう
るかどうかを検証した。実験海域では 2001 年まで毎年夏季の高水温時に貧酸素水塊が発
生し(図 5.2)
、一時的に底生動物の生息困難な状況が形成されていた。そこで、実験では、
イトゴカイの増殖条件が整った晩秋から初冬期に毎年新たに培養コロニーを撒布する必要
があった。それでも、この時期に実験地点においてイトゴカイ個体群の増殖を促進するこ
とができ、1999 年春季に密度では 19,840 個体 m-2(1999 年 4 月)
、現存量では 28.0 gww
m-2 (1999 年 3 月)に達した。Tsutsumi et al. (2005) および Kinoshita et al. (2008) が
魚類養殖場直下の海底に堆積した有機汚泥に対して、同様にイトゴカイ培養コロニーの撒
布によって浄化する実験を行ったが、これらの実験例では密度が 100 万個体 m-2(ただし、
堆積物サンプルを目合い 0.125 mm の篩でふるった値なので、この研究で用いた目合い 1
mm の篩でふるえば、密度はその 1/10 の以下となると考えられる)、湿重量では 100 gww
m-2 を超える値に達した。それらの実験例と比較すると、本研究でイトゴカイの培養コロ
ニー撒布後の個体群増殖は限定的なものであったが、それでも図 5.7 に示すように、増殖
したイトゴカイの湿重量と堆積物表層の TOC の間に有意な負の相関関係が認められた。
その相関関係において、相関係数は r2=0.215 で、弱い相関関係を示している。これは 1999
年〜2000 年の冬季においてイトゴカイの培養コロニーを撒布してもほとんど増殖しなか
ったにもかかわらず(最高湿重量 1.19 gww m-2 2000 年 4 月)
、 比較的低い TOC の最低
値(45.09 mg g-1 2000 年 4 月)が記録されたことによるところが大きい。しかしながら、
この時は、
図 5.9 に示すように 2000 年 4 月の大型底生動物群集は多毛類の Paraprionospio
patiens、二枚貝類のコウロエンカワヒバリガイ(Xenostrobus securis)およびシズクガ
イ(Theora lubrica)が卓越し、合計の湿重量は 62.1 gww m-2 にも達していた。1996 年
〜1999 年の春季のようにイトゴカイに独占された大型底生動物群集とは対照的な種組成
の群集が形成されていた。イトゴカイがほとんど棲息していなくても、これらの種による
堆積物中の有機物の分解促進効果が起きていたことが想定され、そのために結果として図
5.7 のイトゴカイの湿重量と堆積物表層の TOC の相関関係の係数が低くなったと考えられ
る。また、イトゴカイ培養コロニーの撒布を毎年晩秋〜冬季に続けていると、翌年の夏季
には貧酸素水の発生にともなって、イトゴカイの密度も極端に低下するか、ほとんど個体
群が消滅した状態に陥るが、潜在的には海底環境の変化が進行していて、Pearson &
Rosenberg(1978)が提唱した海底における有機汚泥の堆積に伴う大型底生動物相の遷移
パターンを逆にたどるような変化が起きたことも示唆している。このような大型底生動物
群集の種組成の変化は、Kinoshita et al. (2008) が行った魚類養殖場における実験でも見
られている。
筆者らはさらに 1999 年 2 月〜8 月に起きた堆積物中の TN の急速な増加にも注目する。
堆積物の有機物含量は採取したサンプルをそのまま分析した値であり、堆積物中に含まれ
るイトゴカイなどの大型底生動物を取り除いた値ではない。したがって、イトゴカイが増
殖した場合、そのバイオマス由来の有機物も有機物含量に含まれる。しかしながら、その
量は、イトゴカイの湿重量に関する定量調査結果の分析から判断して、堆積物サンプルの
有機物含量の測定値の 10%にも満たないと推定される。注目する TN の急速な増加は、こ
の時期に窒素分の高い有機物が大量に海底に堆積するというイベントが発生しないかぎり、
窒素含量の高い有機物が堆積物表層で新たに生産されたことを意味している。ここで、イ
トゴカイの増殖が堆積物中の有機物の酸化分解を促進するメカニズムとして、Kunihiro et
al. (2008, 2011) は 、 イ ト ゴ カ イ が 堆 積 物 中 で 特 定 の バ ク テ リ ア ( 主 と し て α
-proteobacteria)をガーデニングして、それらのバクテリアが有機物を分解することを示
す一方で、
イトゴカイはそれを餌として増殖していることを示唆している。この実験でも、
バクテリアの細胞の C/N 比は洞海湾の堆積物の平均的な値(21.2~40.1)と比較すると
かなり低いので、イトゴカイ個体群の増殖が堆積物中のバクテリアの増殖を促進した結果、
TOC は減少する一方で、TN は増加した可能性が考えられる。
以上のことから、今回の実験によって、たとえ翌年の夏季に貧酸素水塊の発生によって
イトゴカイを含む大型底生生物が死滅するような事態が発生したとしても、イトゴカイ培
養コロニーの撒布を秋季〜冬季に繰り返していくことが、有機汚泥の堆積した海底の環境
改善には一定の効果を示しうる可能性が示された。この方法の利点は、イトゴカイは生活
環が冬季でも1〜2カ月程度と短く、当初の撒布量よりも爆発的な増殖を誘導することが
可能になれば、その効果を大きく増幅させることができる点にある。今回は湾奥部の1地
点で行った実験であり、さらに規模を拡大し、少なくとも 5 年〜10 年に及ぶ期間継続する
ことができれば、洞海湾の湾奥部にも、より酸化的な、多くの底生生物の棲息可能な海底
を形成できる可能性を示している。
(上田直子・堤
裕昭)
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