論文要旨・審査の要旨

学位論文の内容の要旨
論文申請者氏名
論文審査担当者
論 文 題 目
今井
主査:村松
正明
副査:西村
栄美
副査:田中
裕二郎
良紀
Crosstalk of FoxO3a and FoxM1 determines cell fate choice between
senescence and quiescence
(論文内容の要旨)
<要旨>
細胞老化は、発癌の危険性のある様々なストレスによって引き起こされる不可逆的な増殖
停止状態であり、生体内で重要な癌抑制機構として働いていることが、近年明らかになって
きた。一方、細胞周期の休止期(G0 期)は、可逆的な増殖停止状態であることが知られてい
る。いずれの場合も RB ファミリー蛋白が重要な働きをしていることが知られているが、RB
ファミリー蛋白が細胞老化を誘導するのか、それとも休止期を誘導するのかをどのように選
択するのかについては殆ど明らかになっていない。そこで私は、ヒトの正常繊維芽細胞を用
いて解析を行い、RB ファミリー蛋白と AKT キナーゼがフォークヘッド転写因子である
FoxO3a と FoxM1 の活性を制御することで細胞内の活性酸素種(ROS)のレベルを規定し、
細胞老化を起こすか、それとも休止期を起こすかという細胞運命を決定していることを見出
した。興味深いことに、このメカニズムがマウスの肝臓においても働いていることを示す結
果が得られ、生体の恒常性の維持に貢献している可能性が示唆された。
<緒言>
ヒトを含む哺乳動物の正常な体細胞に、テロメアの短小化や癌遺伝子の活性化など、発癌
の危険性のあるストレスが生じると、多くの場合、アポトーシスを起こして細胞が死滅する
か、または細胞老化を起こして細胞増殖が不可逆的に停止することが知られている。これら
の現象は異常をもった細胞がそのまま増殖を続け、癌化することを防ぐ重要な癌抑制機構と
して働いていると考えられている。しかし、アポトーシスとは異なり、細胞老化を起こして
も細胞が直ぐに死滅するわけではないので、細胞老化を起こした細胞(老化細胞)は生体内
に長期間存在し続けると考えられる。このため、時間が経つと、老化細胞が再び増殖を開始
して癌化する可能性が心配されてきた。これまでに当研究室は、この細胞老化の不可逆性に
ついての解析を行い、癌抑制遺伝子として知られる p16INK4a が細胞老化の誘導及び不可逆性
に重要な働きを担っていることを報告してきた。p16INK4a の発現レベルは正常細胞において極
めて低く殆ど機能していないが、細胞に発癌の危険性があるストレスが生じるとその発現が
誘導され、サイクリン依存性キナーゼ(CDK)を阻害することで RB ファミリー蛋白を活性
化させる。そのため RB ファミリー蛋白が、細胞周期の進行に必要な E2F/DP 転写因子複合
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体と結合し、その転写活性能を抑制することで細胞周期が G1 期に停止し、細胞老化が誘導
される。そして、一旦完全に細胞老化が誘導されると、その後 RB ファミリー蛋白を失活さ
せたとしても細胞分裂は再開しない(Takahashi, A et al., Nat. Cell Biol., 2006)
。このことは、
細胞老化の増殖停止状態が不可逆であることを示している。一方、培養細胞において培養液
中の血清濃度を下げたり(Serum starvation)、細胞を高密度で培養することで接触阻害(Contact
inhibition)を起こさせたりすることにより、細胞の増殖シグナルを遮断すると、RB ファミリ
ー蛋白が活性化し、休止期を誘導できることが知られている。つまり、増殖シグナルの非存
在下で RB ファミリー蛋白が活性化した場合には細胞老化ではなく休止期が誘導されること
を示しており、細胞老化の誘導には、RB ファミリー蛋白の活性化だけでなく、増殖シグナ
ルも必要であると考えられるが、その分子機構については不明なままである。
そこで本研究では、RB ファミリー蛋白と協調して細胞老化を誘導する細胞増殖シグナル
伝達機構を解明することで、休止期と細胞老化の誘導を規定する細胞運命決定機構の詳細を
明らかにすることを目的として研究を行い、以下の研究成果を得た。
<方法・結果>
細胞老化の誘導機構を明らかにするために、ヒト正常線維芽細胞(TIG-3)を用いて CDK
インヒビターである p16INK4a の活性を 4-hydroxytamoxifen(4-OHT)依存的に活性化できる細
胞株(ER-p16)を樹立した。ER-p16 細胞に 4-OHT を 7 日間投与して RB を活性化させると、
細胞増殖を停止するが、その後 4-OHT を除いて RB を不活性化させたとしても細胞増殖は再
開しなかった。即ち、不可逆的な増殖停止状態である細胞老化が誘導されたことが確認され
た。しかし、p16INK4a を活性化させる際に Contact inhibition や Serum starvation によって増殖シ
グナルを遮断しておくと、細胞老化ではなく、休止期が誘導された。これらの結果から、細
胞老化の誘導には RB ファミリー蛋白の活性化とともに増殖シグナルが必要であることも確
認された。
次に、RB ファミリー蛋白と増殖シグナルが如何に協調して細胞老化を誘導しているのか
を明らかにするために、282 種類の阻害剤キットを用いて細胞老化の誘導に必要な増殖シグ
ナルの伝達経路を探索した。その結果、PI3K 阻害剤や AKT 阻害剤の添加によって、細胞老
化ではなく休止期が誘導されるようになったことから、増殖シグナルの下流で AKT シグナ
ルが活性化することが細胞老化の誘導に必要であると考えた。AKT はフォークヘッド転写因
子 FoxO3a をリン酸化して核外へ移行させ、失活させることで ROS を産生する働きがあるこ
とが知られている。そこで、ER-p16 細胞を用いて検討した結果、増殖シグナルの存在下で
p16INK4a が活性化すると、AKT により FoxO3a が失活するためにその標的遺伝子産物の一つで
あり ROS の産生を抑制する SOD2 の発現レベルが低下することを見出した。一方、Contact
inhibition や Serum starvation により増殖シグナルを阻害しておくと、AKT が活性化されず、
p16INK4a が活性化したとしても FoxO3a が核内に留まり、SOD2 の発現が維持されるために
ROS のレベルが上昇せず、細胞老化の誘導が阻害された。更に興味深いことに、増殖中の細
胞では AKT によって FoxO3a は不活性化されているが、FoxO とは異なるフォークヘッド転
写因子 FoxM1 の発現が E2F/DP 転写因子複合体によって誘導されるために、SOD2 の転写が
維持されることで ROS のレベルが低く保たれているために細胞老化が起こらないことを見
出した。
FoxO3a と FoxM1 は同じフォークヘッドファミリーに属する転写因子であるが、これまで
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結合する DNA 配列は異なると考えられてきた。しかし、私はクロマチン免疫沈降法(ChIP
解析)やレポーター解析の結果から、FoxO3a と FoxM1 が SOD2 遺伝子のプロモーター上の
同じ配列に結合し、それぞれに転写を活性化する作用があることを明らかにした。即ち、増
殖中の細胞では FoxM1、休止期の細胞では FoxO3a がそれぞれ SOD2 の発現を維持すること
で ROS のレベルが低く保たれているが、もし増殖シグナルの存在下で RB ファミリー蛋白が
活性化すると、E2F/DP が失活するために FoxM1 の発現が低下し、増殖シグナルにより AKT
が活性化するために FoxO3a がリン酸化されて失活することで、SOD2 の発現が低下する。そ
の結果、細胞内の ROS レベルが上昇し、DNA ダメージが蓄積することで、不可逆的な増殖
停止状態(細胞老化)が誘導されると考えられる。事実、抗酸化剤である NAC を添加する
ことにより ROS レベルを低下させたり、DNA ダメージ応答の主要な下流因子である ATM を
ノックダウンしておくと細胞老化の誘導が回避されることからも、過度な ROS レベルの上昇
が修復不可能な DNA ダメージを引き起こし、細胞老化が誘導されると考えられる。
最後に、これら培養細胞を用いて見出した細胞運命決定機構が生体内でも作用しているか
どうか検討するために、様々な週齢のマウスの肝臓の組織を用いて ChIP 解析を行った。そ
の結果、肝臓の細胞が増殖している 3 週齢の子供のマウスでは、FoxM1 が SOD2 のプロモー
ター上に結合し、ROS レベルが低く保たれていた。一方、24 週齢の大人のマウスの肝臓では
増殖が止まり休止期にいるために、FoxM1 ではなく FoxO3a が SOD2 のプロモーター上に結
合し、ROS レベルが低く維持されていた。しかし、109 週齢の老齢マウスでは FoxM1 の発現
が低く、更に FoxO3a も失活しているために SOD2 の発現レベルが低下して ROS が産生され、
細胞老化が誘導されていることが示唆された。
<考察>
本研究の結果から、ヒト正常繊維芽細胞においては、異なるフォークヘッド転写因子であ
る FoxO3a と FoxM1 がそれぞれの状況に応じて ROS を適切なレベルに制御することで、細
胞老化(不可逆的な増殖停止)を誘導するのか、それとも休止期(可逆的な増殖停止)を誘
導するのか、という細胞運命を決定していることが明らかになった。更に、様々な週齢のマ
ウスの肝臓を用いた解析から、同様の細胞運命決定機構が生体内の恒常性の維持に寄与して
いる可能性があると考えられる。今後は生体内のどの組織で、どのような状況の時に今回私
が見出した細胞運命決定機構が働いているのかを明らかにしていくとともに、発癌や他の
様々な疾患にこのメカニズムの破綻が関与しているかどうかについても検討していきたい。
このような研究を通して、生体の恒常性維持機構としての細胞老化と休止期の役割の解明と、
その制御に繋げていきたいと願っている。
<結論>
以上の結果から本研究は、フォークヘッドファミリー転写因子である FoxO3a と FoxM1 が
RB ファミリー蛋白と協調して細胞運命を決定するメカニズムの一端を明らかにしたと結論
する。
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学位論文の審査の要旨
論文申請者氏名
論文審査担当者
今井
良紀(甲第 4646 号)
主査
村松
正明
副査
西村
栄美
副査
田中
裕二郎
(論文審査の要旨)
細胞の老化は不可逆的な細胞増殖停止状態であり、細胞周期上可逆的な停止状態である
休止期(G0)と異なる。この両者において重要な働きを持つ RB タンパク質が運命決定
を担う分子メカニズムを解明した。細胞老化に向かう時は、RB タンパク質が AKT キナ
ーゼとともにフォークヘッド転写因子である FoxO3a と FoxM1 の活性を制御することで
細胞内活性酸素種(ROS)のレベルを決定することを介して細胞老化を誘導することを明
らかにした。このことは試験管内においてヒト繊維芽細胞のみならず、マウスの肝臓にお
いてもこの機序が働いていることを示す結果を提示し得た。本研究成果は細胞老化の分子
メカニズムに大きく踏み込んだものと高く評価出来る。
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