インドIT産業の成長から見える 日本のIT環境の課題

特集「フラット化する世界におけるビジネスモデルの新潮流」
インドIT産業の成長から見える
日本のIT環境の課題
The challenge of Japanese IT industry
through the rapid growth of India IT industry
ウィプロ・テクノロジーズ 経営企画室長
兼 マーケティング本部長
若林 稔
Executive summary
ウィプロ・テクノロジーズはインドを本社とする総合ITサービス企業であり、世界の大企業とのビジネスを通して、高い成
長を遂げている。ウィプロに限らず、
インドIT産業は豊富な人材を武器に、世界の大手IT企業との強力なアライアンスを築
き、顧客となる欧米企業にとって戦略的パートナーとしての地位を占めつつある。その中でウィプロは、独自の企業理念と
人材育成施策によって優秀なエンジニアを豊富に確保し、顧客企業のプロセス改善にまで入り込むコンサルティングサー
ビスから、開発、保守、運用、
BPOに至るすべてのサービスを提供することで成長してきた。このようなインドIT産業、インド
企業と対照的に、日本のIT産業は高度成長期のプロセスに固執し、これらの企業が提供する新たなサービスなどを効率
的に利用できていないように見受けられる。
はじめに
1.インドという国のパワー
私は、大学卒業後、
日系システムインテグレータに9
我々日本人がイメージするインド人は、褐色の肌に
年間在籍し、流通ネットワークシステムの開発、医科大
ターバンを巻いた白い民族服を着たインド人であろう。
学との共同プロジェクトによる地域医療に携わる若い
自身、
ウィプロに入社するまでは、
それ以上のイメージ
医師を支援する電子カルテシステムの企画、開発、
を持つことはできなかった。
しかし、
インドには、
28の州
マーケティングに携わった。その後、米系ソフトウェア
があり、
それぞれ州ごとにまったく異なる言葉や文化も
企業で、12年間在籍し、
マーケティングと社長補佐業
違い、人種としてもアラブ系、東洋系の人や、チベット
務等に携わった。2007年からインドのバンガロールを
系、原住民といった多種多様な人種が混在している。
本社とするウィプロ・テクノロジーズに移り、現在に至っ
我々日本人がイメージするインド、
インド人は、
インドとい
ている。現在は日本市場における経営企画、マーケ
う巨大な国のほんの一部だけを見た報道等によるも
ティング、PR(広報)、IR(インベスタ・リレーション)AR
のであり、
インドの実態は、我々の想像を絶する巨大
(アナリスト・リレーション)
の責任を持っている。
な国であり、
インドの実態はひとつの国と捕らえるより、
自身の日本、米国、
インドのIT企業での経験を通し
大陸と捉えたほうが理解しやすい。
て見えてきた、今の日本のIT産業の課題に関する一
周知の事実も含め、
インドの概要を簡単に説明する
考察を説明させていただく。
まず、
インドIT企業を知る
と、南アジアに位置し、5000年以上の歴史を持ち、国
ことで、今の世界のIT産業が見えてくる。そこから、今
土は3,287,590k㎡で世界第7番目の面積を持つ。
これ
の日本のIT産業の課題が見えてくるのである。
まず
は日本の8.8倍になる。人口は世界第2位、
日本の10倍
は、今のインドという国、
インド人を知ることがインドIT
以上となる11億8千万人である。国内で使われている
企業を理解する近道になると考える。
言語には、324の言葉と、
日本でいう方言は、1,652ある
— 24 —
と言われている。
このように多様な言語と触れあってい
の悪い両国の間を取り持つ役目を期待された日本は
るためか、彼らは言葉を習得することに抵抗がない。
ますます影が薄れていくことが予想される。
IT業界に従事するインド人は、
ビジネス上は、母国語
インドのパワーをもっとも明確に示すのが人材であ
であるヒンドゥー語ではなく、英語でコミュニケーション
る。圧倒的な数と高い教育を受けたインド人の世界で
をとる。
したがって、世界各国とビジネスを行う上でのコ
の活躍は目覚しい。一例であるが、NASAの技術者
ミュニケーションの問題は、ほぼないと言える。
ちなみ
の36%、米国の医師の38%、米国の科学者12%がイン
に、
日本語に関しては1年も日本に滞在すれば、聞く、
ド人(インド系)であるといわれている。
また、PepsiCo
話すについては、支障なくビジネスを行うことができる。
のインドラ・ノーイCEO、Sun Microsystemsのビノッ
まずこの点で、
グローバルな世界に順応していくため
ド・コースラ氏、Vodafoneのアル・サリン元CEO、Citiグ
の最初の壁をクリアしている。
ループのVikram Pandit CEOなどといった大手企
次にインドを語る上で宗教を避けて語ることはでき
業の経営者をも、輩出している。
さらに経 済 成 長 率は、世 界 的 経 済 危 機の中でも
ないが、
いうまでもなく約80%はヒンドゥー教徒である。
イスラム教徒13%、
キリスト教2%、
シーク教2%、仏教
6%台を維持した。
また、エネルギー事情も改善し、石
0.7%、
ジャイナ教、
ゾロアスター教と続く
(2001年インド
炭から原子力への移行が急速に進むものと思われ、
国勢調査)が、
インド人の13%は、
1億5千万人となり、
今後4~5年で原子力発電所が12ヵ所ぐらいに立つと
インドは、
インドネシア、
パキスタンに続く世界3位のイス
いわれている。
これらによって、電力、道路、鉄道、空
ラム国家である。我々日本人は、
イスラム問題をアラブ、
港、通信といったインフラが今後急速に整備されてい
中東地区の問題と捉えがちだが、世界のイスラム教に
くことが考えられ、
これにより、
自動車、製薬を始めとし、
関する問題はインドを無視して語ることはできない。言
製造業への期待も大きい。
さらに、
インドは市場として
い換えれば、
インドの将来を左右するアキレス腱にもな
も魅力的である。例えば、2008年の携帯電話契約数
りえることいえる。
日本ではあまり報道されないが、
イン
は1億1300万件である。
日本の場合、買い替えも含め
ド国内においても、格差に対する不満や、
ヒンドゥー教
た年間契約数が数百万件であり、
インドの消費市場と
徒とイスラム教徒との対立から、
テロが頻繁に起きてい
してのポテンシャルも計り知れないものがある。
る。
またインド人といえば日本人が真っ先に連想する
ターバンは、
インド国内では100人に二人というマイノリ
2.インドの IT パワー
ティーのシーク教徒の装身具であり、
これだけでも日本
続いてインドのIT産業について説明する。
人のインドに対する誤認識が明確である。
インドにおいては1950年代からに理系の教育を重
ただし、
現在のインドのマンモハン・シン首相がターバ
視してきた。国内産業が育たず、発展途上国であった
ンを巻いていることからますます認識を変えることは難
インドにとって、国力を上げるためには、特化した優秀
しいかもしれないが、
マイノリティーの宗教であっても
な人材を育て、海外で活躍させることであった。特に、
首相になれるという、政治と宗教が分離され、
ある程
医療、薬品、科学の分野では、米国を始めとして、多く
度健全に政治が行われている証と捉えることもできる。
のインド人が活躍しているが、90年代以降、国内でIT
軍事力は132万人の兵力をもち、
これは世界第3位
産業が急成長し、理系大学を卒業した優秀な学生
であり、
日本の自衛隊の5倍である。
インドは核保有国
は、世界中のIT産業に職を求めた。一例を挙げると、
でもあり、世界の有事を語る上でも、
インドなくしては語
世界の金融システムの開発にはその30%にインド人
れない状態にあることは言うまでもない。
が関 与していると言われている。
IBMの従 業 員の
歴史上、隣接するパキスタン、
中国との領土紛争が
28%、
マイクロソフトの従業員の34%、
オラクルにおい
繰り返されてきたが、前政権からの対話政策もあり、
ても、同様にインド人エンジニアが所属し、主力ソフト
現在は安定している。特に、経済におけるインドと中国
ウェア製品の開発総責任者もインド人であるなど、世
との関係は急速に改善されつつあり、
これにより関係
界の大手IT企業ではインド人エンジニアが数、質とも
— 25 —
に確固たる地位を築いている。
る。第四に「低コスト」、
インド国内で開発を行うことで、
世界のIT企業でインド人エンジニアが活躍する一
欧米に比べ、低コストでの開発が可能であったが、昨
方で、
ウィプロなど大手インド発のIT企業も数多く世
今は、中国やベトナムといった新興国に比べ、人件費
界を相手にできるまでに成長した。
での優位性は薄れてきたが、英語でのコミュニケー
インドにおいてIT産業は花形産業であり、
自然と優
ション、技術力といった点で、差別化を図っている。第
秀な学生がIT産業に就職希望する。
なぜ彼らがIT
五に「研究開発における強み」、下流の工程よりも研
産業を希望するかというと、
「キャリアを築くことができ
究開発に力を注ぎ、世界企業から信頼を得るように
る」、
「 給料がいい」、
「 世界を相手にできる」の3つの理
なった結果、世界の大手企業の研究開発センターが
由があるといわれている。一方で日本のIT産業を見る
インドに集結している。第六に「テクノロジー集団」、
よ
と、
「キャリアアップが難しい」、
「 給料も安く」、
「 仕事は
り高く、新しい技術を追い求める傾向がインドIT企業
国内に限定される」
という真逆の状態である。
にあり、
これが世界から認められた。そして第七として
特に、
「世界を相手に」
という点は重要なポイントであ
「政府のインセンティブ」があげられる。
インド政府が、
る。
インド人は、
世界中のすべての業種、
業態でITエン
税の優遇措置やIT特区を作るなど、世界に通用する
ジニアが必要とされないことはない、
という考えを持ち、
企業を育てるための施策をとり、かつ政府が積極的
スキルさえあれば、
どこでも仕事があると考えている。
に海外に売り込みを行ってきた。
ウィプロの例だが、
毎日エンジニアの募集メールが全社
こうした要因に加え、
90年代後半から世界的に普及
員に配信され、
どの国でどのようなプロジェクトが立ち
したインターネットのおかげで、
ITアウトソーシングという
上がったなどの情報が共有されている。例えば、
「フラ
点で、
インドは世界のアウトソーシング先の1番手として
ンスで通信会社のCRMシステムプロジェクトが立ち上
の地位を確立した。
日本企業がアウトソーシングを考え
がりました。必要とされるエンジニアのスキルは以下の
るときに、
中国、
インド、
ベトナムなどを考えるが、米国企
とおり。赴任場所:パリ。期間:6ヶ月。募集要項を確認し
業は、
オーストラリア、
アルゼンチン、
ブラジル、
カナダ、
チ
て、
いつまでに応募してください。」
というメールに対し
リ、
コスタリカ、
メキシコ、
ウルグアイ、
そしてアジア各国を
て10万人の社員のうち希望者が応募する。
1日7~8件
総合的に検討する。欧州企業は、
チェコやハンガリー、
のプロジェクトがメールで知らされ、各自で自らの意思
アイルランド、
ルーマニア、
イスラエル、北アイルランド、
で手を上げることができる。
自らのキャリアを自分で伸ば
ポーランド、
ロシア、
スロバキア、
南アフリカ、
スペイン、
ウク
すことができるのである。
ライナを検討する。欧米企業はアウトソースする業務と
さらにインドの特徴は、世界で経験を積んだインド人
各国の環境を評価しながらアウトソーシング先を検討
がインドにUターンしてきていることである。世界に散っ
している。
コスト、国のセキュリティーレベル、法制度の
ていたインドの頭脳によって様々なスペシャリティを
成熟レベル、文化的整合性、政治・経済環境、政府の
持った企業がインドに生まれている。
支援などを考慮しながら、
どこが1番良いのかを考えた
うえでアウトソーシングを行っている。ITのアウトソーシ
インドのITパワーの要因をあげると7つある。それ
は、
まず、
インド国内の「急速なインフラ改善」があげら
ングを検討するにあたり、通信が発展している現在に
おいては、
基本、
距離は判断基準には入らない。
れる。国策で、
インド国内のエネルギー、通信インフラ
その中でもアウトソーシング国として総合的評価が
が改善され、
オフショアリング先としてのインドの地位
高い国は、
インドをはじめ、
オーストラリア、
ニュージーラン
が確固たるものになりつつある。第二に「優秀な人材
ド、
カナダ、
メキシコである。
中国やベトナムなどは、
セキュ
の大量確保」、毎年40万人の理工系大学卒業生が
リティの問題や法制度の成熟レベル、
そして英語スキ
輩出され、多くがIT業界を志望する。第三に「高品質
ルが低いため、
欧米企業からは低評価を受けている。
の教育体制」、IIT、IISCをはじめとする、世界でも評
さらに世界のI Tエンジニアリングのトレンドを見る
価の高い理工系大学が数多くあり、国が支援してい
と、1990年代に始まった国内企業へのアウトソーシン
— 26 —
グから、国境を越えたオフショア・アウトソーシング、
より
21歳で社長となってウィプロ・リミテッドを指揮し、現在
近い海外開発拠点でのニアショア・アウトソーシングを
の規模にまで会社を拡大してきた。
このような彼の手
経て、今は場所や国を問わず、それぞれの国、企業
腕は大きく評価され、2007年ビジネスウイーク誌にお
の優位性によって複数の企業がネットワークによって
いて、人類史上最も優れた起業家30人の一人に選出
開発をおこなう、
グローバル・デリバリー・モデルが主流
された。
となりつつある。
オフショアリングは、
自国開発を低コス
企業は、経営者の志が映し出されると言われるが、
トで高い技術力を持った国で行なうことであるが、ニ
彼が来日する際、
インド人従業員が取り囲んで写真を
アショワは外の国に単純に出すのではなく、顧客企業
撮る光景を必ず見かける。彼がいかに従業員に尊敬
のより近いエリアにおいてローカルの意見や文化、商
されているかがわかる光景である。彼自身、
自分の行
習慣を取り入れて開発を行っていくことである。その
動が10万人の従業員に与える影響を理解しており、
ため、
ウィプロを始め、多くのインドIT企業も米国企業
短距離であればエコノミークラスを使い、
日本に滞在
のビジネスをすべてインドで行うのではなく、米国内の
中は、基本電車で移動する。ある記者からの「どうし
人材を使って、
より精度の高い開発を行なっている。
よ
て電車で移動するのか」
との質問に対して、
「日本の
り近いところでコンサルティングから開発、運用保守に
電車は、時間に正確で、遅れることはない。
ビジネスで
いたるすべてのサービスを完結させることができるの
使う以上、信頼でき、かつ安い交通手段を使うのは当
である。
然だろう」
と答えた。海外渡航も一人でこなし、宿泊ホ
テルも移動により便利な場所を指定する。
自分で持ち
3.ウィプロに見るインド IT
歩く古い革のカバンには溢れるほどの資料が詰め込
ここでは、
ウィプロを通してインドのIT産業の強みを
まれている。世界でもトップクラスの資産家でありなが
ら、
この姿勢には、驚かされる。余談だが、
オラクルのラ
見ていく。
ウィプロの本社はインドのバンガロールにあり、従業
リー・エリソンは、
自家用ジェットでボディーガード数人と
員の約70%はインド人である。
ウィプロ・テクノロジーは
スタッフを従えて来日し、最高級スイートに、足が伸ば
ウィプロ・リミテッドのITサービスを提供する部門の呼
せるリムジン、
そして彼が歩く道は、
ボディーカードによ
称である。
ウィプロ・リミテッドは、1945年にコンシューマ
るインスペクションが必須であった。対照的ではある
商品(食用油、石鹸、
シャンプー)の企業として設立さ
が、一方は経営者が自ら率先して経営理念を示し、
れた企業である。
ウィプロ・リミテッドの現会長はウィプ
一方は経営者のカリスマ性を示すことで、従業員に夢
ロ・リミテッド創業者の息子であるアジム・プレムジであ
を与える。
る。彼はスタンフォード大学に学び、1966年から、当時
— 27 —
ウィプロがIT産業に進出した背景としては、
日本が
かつて海外コンピュータ企業を排除したのと同様、
名を始め、
インド人、
アメリカ人、中国人、韓国人、バン
IBMを始めとする外国ITベンダーを排除し、国産IT
グラディッシュ人、
ホンジュラス人など、多様な国籍を
ベンダーを育てるという国策のもと、1980年にウィプロ・
持った人材を含め、170名が在籍している。加えて約
リミテッドもITビジネスを始めることになった。
250名のインドからのエンジニアがプロジェクトごとに
現在も、IT部門以外にも石鹸やシャンプー、ベビー
数ヶ月から1年くらいの期間で来日している。
よって、
日
オイル、照明器具などのコンシューマ商品を製造・販
本国内では、約420名前後のウィプロのスタッフが日本
売する部門、工業機器などを製造・販売する部門が
のビジネスに従事している。
また、
インドなどで日本向け
あるが、売上げの90%を占めるのがIT部門であるウィ
プロジェクトに従 事しているスタッフを加えると合 計
プロ・テクノロジーズである。
ただし、
インド国内では、石
1,500名となる。
日本国内のエンジニアは、
インドで開発
鹸やベビーオイルなどのシェアは高く、TVCMも行っ
を行うスタッフとのブリッジの役目を持ち、高いプロジェ
ていることから、
スーパーなどでは、P&GやJ&Jに次
クトマネージメントの経験と英語でのコミュニケーション
ぎ、必ず見かけるブランドとなっている。
能力が求められる。
ITサービス部門であるウィプロ・テクノロジーズは、
ウィプロの体制は、産業別(金融/保険サービス、流
バンガロールに本社を構え、2009年12月末現在、社
通/物流、製造・ヘルスケア・メディカル、エネルギー・公
員数は102,746人で世界54ヵ国の顧客企業822社を
共サービス、通信・メディア&テクノロジー)
と垂直に編
相手にビジネスを展開している。72箇所ある各開発セ
成され、それに各ITサービスが水平的に配備されて
ンターでは現地の人間を採用し、それぞれの国の商
いる。サービスとしては、
コンサルティング・サービス、
プ
習慣や法律に基づいた開発体制をとっている。
ロダクト・エンジニアリング・サービス、企業向けアプリ
2008年度の売上げは51億ドルであり、
利益率は20%
ケーション・サービス、
ビジネス・テクノロジー・サービス、
を超える。
全世界の顧客の822社は少ないようにみえる
テクノロジー・インフラ・サービス、
テスティングサービス、
が、
ウィプロは大手企業とのビジネスに限定し、
大規模
BPOが存在し、ITサービスの上流から下流まで全般
で継続的な開発に大量のエンジニアを投入できるとい
請け負うことが可能となっている。
うウィプロの価値を最大限に発揮していることによる。
ま
た高度な専門技術を研究開発する、
専門機関COEを
業種別、
ソリューション別に50以上設置している。
ウィプロの産業別、地域別の売上げを見たものが
図表1である。産業別のデータからわかることは、特定
日本オフィスは、横浜にあり、
日本人エンジニア120
の産業に頼ることなく、比較的バランス良くビジネスを
— 28 —
図表1 ウィプロの売上げ構成(産業、地域別)
展開していることである。一方地域別で見ると、
アメリ
界での売上げであるが、
日本だけに絞ると、組み込み
カに依存していることがわかるが、
ウィプロは他のイン
系が50%以上である。
この点でも、
日本における環境
ド会社よりも北米の割合がやや少なく、欧州や中東に
に違いが現れている。
バランスよくビジネスを展開する努力をしている。
しか
し一方で日本でのビジネスが、世界のIT投資額の比
ウィプロのテクニカル・パートナーは世界中に多数あ
率に比べて非常に少ない。後述するが、
これは日本の
るが、特にSAP、
オラクル、
マイクロソフト、HP、
シスコと
ITサービスにおける環境が、
アメリカ、
ヨーロッパと大き
の関係が深い。SAPでは、
ウィプロのエンジニア3,000
く異なっているために、
アメリカ、
ヨーロッパで培った経
名近くが、
SAP製品開発、
製品サポートを行っている。
験を、
日本で生かすことができないためである。
オラクルでは、
オラクルのR&Dセンターがウィプロのオ
フィス内に設置され、
そこでオラクル社が買収した製品
また、
サービス別の売上げ構成(図表2)
を見ると、
ソ
群の統合作業を行っている。
また、
マイクロソフトでは、
フトウェアの開発、運用保守が最も多いが、
こちらもバ
Windows Serverの開発に加え、
ISV(独立系ソフト
ランスよく仕事をしているといえるだろう。
これは全世
ウェア開発会社)
製品の評価・認証を任されている。
図表2 ウィプロの売上げ構成(サービス別)
— 29 —
また、
ウィプロは開発における品質を重視している。
発、
テスティング、運用サポートの段階までカバーでき
特に、GE社との関係が深いことから、ITサービス企業
ること。そして、大規模なプロジェクトに対して大量の
としてはいち早くSix Sigmaを導入し、
また、前述した
エンジニアを投入できることがウィプロの強みである。
アジム・プレムジは、
トヨタやパナソニックなど日本の製
サービスの一例をあげると、
企業のTCO
(トータル・コ
造業の品質管理を非常にリスペクトし、
トヨタのカイゼ
スト
・オーナーシップ)
削減を目的としたコンサルティング・
ンや、
リーン生産方式などをソフトウェア開発の品質管
サービスがある。顧客企業は真っ先に開発人件費の
理に取り入れている。
ソフトウェア開発組織の能力を
削減を目的としてアウトソーシングを検討するが、
ウィプ
評価するCMMレベル5を世界ではじめて取得したIT
ロではまず、
お客様と一緒に業務・開発・運用のプロセ
サービス企業はウィプロである。
スのアセスメントを行い、
最適化を図るコンサルティング
サービスからスタートし、
それらでまず一定のコスト改善
では、
このようなウィプロの価値はどこにあるのか。
を行う。
その上で、
オフショアリングによってさらにコスト
世界中の企業とのプロジェクトで培った経験と技術を
削減を行う。
またシステムのサポートサービスにおいても
自社のものとし、効率的に次のプロジェクトに生かすこ
コスト削減を図り、
トータルでのコスト削減を図る。
ただ
とができること。上流のコンサルティングから、設計、開
単にじ人材が安いだけでなく、
プロセスからコストを下
初期費用削減による
早期の損益分岐点
Leicaによる研究開発・初期試作品
コスト負担
研究開発コストの支援
マージンゼロの試作品
Wipro:1チップごとの
ロイヤリティ
使用可能なICのみ承認
売上はLeica側の結果に直結
— 30 —
げていくのがウィプロのやり方である。
の下に、
二次、
三次といったサプライヤーがぶら下がる
という構造をとっているため、
2次サプライヤー以下の
ウィプロで現在推進しているプロダクト・エンジニアリ
企業は顧客との直接的な接点も薄く、下請けとして、
ングの形はグローバル・デリバリーモデルである。各工
受託した業務に限定される。
さらに、海外から新しい
程において、
より優位性のある企業とパートナーシップ
技術もなかなか入りづらい状態になっていると考えら
を結び、製品企画から、販売に至るまでを請け負うと
れる。安定的な雇用がある程度維持されるという利点
いうモデルである。国境を越え、
グローバルなネットワー
もあるが、
2次サプライヤー、
3次サプライヤーは価格競
クの中で、
マーケティングリサーチ、製品設計、
プロトタ
争に追い込まれ、
また、顧客との関係は戦略的パート
イプの作成、
テスト、IC製作、実装パッケージング、製
ナーではなく、
下請けの立場を脱却することは難しい。
品テスト、
サプライチェーン管理がそれぞれ分担され、
次に、
日本のIT環境はインドを含め、欧米に比べ10
ウィプロは、顧客とともに、その製造における、
リスクと
年近く遅れているという印象である。一例であるが、
利益をシェアしていくことになる。
1980年代前半には欧米ではオープン系システムが普
及した。
これにより、
システム間の汎用性が高まり、
より
4.日本の IT 業界を取り巻く環境
柔軟なシステム開発を行われた。
その時、汎用機の売
最後に、
日本のIT業界について考えてみる。
り上げが落ちることを危惧した国内のメーカーを中心
日本国内のIT投資額は決して少なくなく、世界の
に、
オープンシステムの信頼性を問題とした結果、
オー
IT投資額の10%近くを占めている。産業別ITサービ
プン化が国内で普及したのは90年代だった。
また、80
ス投資シェアを見ていると
(図表3)、世界のITサービ
年代後半から、
欧米ではデータベース、
GUIツール、
開
ス投資の構成とほぼ同じシェア構成に見えるが、
その
発ツールなどのパッケージソフトウェアが普及した。
これ
実態は、
メガバンクの統合と大手携帯電話関係による
により、
開発期間が大幅に短縮され、世界で同じソフト
投資が大きな比率を占めている。
しかしながら、
日本の
を使う技術者間の交流も積極的に行われ、技術の世
産業の30%以上を占める製造業における投資額は
界的フラット化が進んだ。
しかし日本のシステムインテグ
極めて低く、産業構造に比例した投資にはなっていな
レータにとって、開発期間が短縮されることは、必ずし
いのが現状である。
も利益をもたらさず、
また国産パッケージベンダーが日
本語対応が不十分なパッケージに抵抗し、1990年代
また、IT業界は、国産4社とIBM社が国内IT投資
額の70%近くを売り上げるという状況となっている。
そ
半ばにようやく海外で普及したパッケージソフトが日本
語化されて普及した。
図表3 日本における産業別ITサービス投資シェア
— 31 —
さらに1980年代後半、
アメリカ、
ヨーロッパではパッ
却する必要がある。
日本では信頼関係を重要視する
ケージ業務アプリケーションソフト
(ERP)導入が普及
ことから、契約などを明確にせず、仕様がプロセスの
した。
その結果、会計や人事システムなど数年かけて
中で変更されることもある。一方の欧米は契約などで
一から開発を行う必要がなく、
ベストプラクティスという
リスクマネジメントをしっかり行ったうえで仕様を固め、
形で成長する企業での導入が進み、業務の標準化、
仕様通りのものを作っていく。長期間の開発において
効率化にも繋がった。
しかし日本のシステムインテグ
は、
日本型の方が顧客の満足するものが出来上がる
レータにとって、
数年の開発期間とその独自システムの
という利 点があるが、
ビジネスとI Tが直 結し、
よりス
サポート業務により保障される雇用と売り上げが脅か
ピーディーなIT対応が求められる現在、
日本型の開
されることにつながるERPの普及は、競合でしかなく、
発プロセスでは、
リスクだけが残される結果になる。
ま
日本語対応が不十分、
日本の商習慣に合わない、
カス
た、
このような特有の開発プロセスでは、海外の技術
タマイズができない、等を理由に顧客への導入を推進
や経験を活用することは難しい。
してこなかった。
エンドユーザー企業もこれまで永くメン
そして、
グローバル化への理解・対応も重要である。
テナンスしてきたレガシーシステムを捨てきることができ
グローバル化の是非は別にして、
日本経済は海外との
ず、
国内でのERP本格導入は、
2000年以降となった。
ビジネスなくしては成立しない以上、
グローバルな考え
ERPの普及は、企業統合、
グループ経営、業務改
方、
ものの進め方、市場の特性を理解することは不可
善の際にも導入スピードの速さから効果を発揮し、欧
欠であるが、
それにITも対応していかなければいけな
米では、変化に対応した企業作りを行うことができた。
い。
さらにグローバル・スタンダード技術を積極的に活
一方日本では、
レガシーシステムに縛られた企業に
用すべきである。
グローバル化に対応するためには、
よる統合には時間を要し、
それにかかるコストも莫大な
世界に使われている技術をまず導入した上で、差別
ものとなり、統合メリットを発揮するタイムリーな手を打
化を図るべきである。
つことができないでいた。
さらにいえば、
日本企業は世界で実績のある企業と
そして、
欧米で1990年代に積極的に進めてきたオフ
積極的にパートナーシップを組んだ方がよいだろう。
日
ショアリング開発も、
日本では2000年を越えてようやく
トラ
本企業は1980年から1990年代の成功体験を捨てき
イアルが始まったが、
言葉の壁、
開発プロセスの違い、
ることができないでいるが、
その日本の技術や品質管
商習慣の違いから、
成功事例が少なかった。
その上、
理を学んだ、世界企業がすでにその先を歩んでいる
開発の失敗は、
中国、
インドを始めとするアウトソース先
ことを知るべきだろう。
そして世界的に競争力のあるビ
の問題であり、
日本サイドの反省は行われなかった。
ジネスを展開する企業、先進的な経営を行っている
結果、
日本におけるIT産業は、技術面でも構造上
でも世界から遅れをとり、変化とスピードが必要となる
企業、
などと戦略的なパートナーシップを考える必要
があるだろう。
企業経営を支援する武器とは言えないため、経営者
2009年現在、世界経済は回復したとはいえない
もITに興味を示すことはなく、保守サポート費用だけ
が、欧米企業は、復活への準備が整いつつある。
ウィ
が膨れ上がる足手まといとなっている。
プロのビジネスは、好調を維持しているといえる。欧米
企業もコストを抑えることに躍起になっているが、そこ
5.日本の IT 業界に期待される課題
で彼らはコアの業務、
ビジネスを残し、
できるだけアウト
では、
日本のIT業界はどうあるべきであろうか。
ま
ソースを行うことで、会社をスリムにする努力を行って
ず、経営者がIT戦略を持つことであろう。経営にIT
いる。その結果としてウィプロが活躍する場は増えて
が融合することによって、効率的で、変化に対応でき
いる。一方、
日本では、
自社内の雇用を守るために、
で
る経営が行えるのであり、経営戦略同様、経営者の
きるだけアウトソースを抑えて、
自社内のリソースの最
トップダウンによるIT戦略の推進が必要となる。
大活用を考える。
次に、
日本企業は、
日本特有の開発プロセスから脱
— 32 —
また、欧米企業は、生き残りをかけて、新しいビジネ
ス、他社より先んずるための施策を打ち、そのための
IT投資は必須と考えている。
したがって、
ウィプロが
パートナーとして声をかけてもらう機会が増えている。
一方、
日本企業は、
できるだけ先の見えない投資を避
けて、
この経済不況を乗り切ろうとしている。
日本の国は今元気がなく、政治には期待できる状
況ではない。中国、
インド、
ロシアといった新興大国に
飲み込まれる日も遠くはない。
しかし、
日本企業にはま
だまだ莫大な資産と技術力が残されており、国境を越
えて、世界との競争に勝ち残るチャンスがある。過去
そうであったように、今の自身の実力、国際競争力を
真摯に受け止め、
もう一度、世界から学び、取り入れ、
その上で日本独自の価値を作り上げていこうという、
一人一人の日本人の姿勢が今本当に必要と考える。
以上
わかばやし みのる
1987年3月、上智大学経済学部卒業後、同年4月株式会社
インテック入社。流通業界のPOSネットワークシステムの開発、
医科大学と共同で、僻地診療所における電子カルテシステム
の企画、開発、マーケティングに従事。1996年日本オラクル株
式会社にて、
日本におけるマーケティング、社長補佐業務等に
従事。2007年ウィプロ・リミテッドにて、
日本における経営企画、
マーケティング、PR、AR、IRの責任を持ち、現在に至る。
— 33 —