アブドゥルガニー・ナーブルスィー研究の軌跡と課題

月)
イスラーム世界研究 第 7 巻(2014 年 3 月)362‒368
頁
Kyoto Bulletin of Islamic Area Studies, 7 (March 2014), pp. 362–368
アブドゥルガニー・ナーブルスィー研究の軌跡と課題
山本 直輝*
A Comprehensive Review on the Works and Thoughts of ‘Abd al-Ghanī al-Nābulusī
YAMAMOTO Naoki
This paper examines previous studies about ʻAbd al-Ghanī ibn Ismā‘īl al-Nābulusī (d.
1143/1731) and clarifies how research on him has progressed so far.
Al-Nābulusī was one of the most distinguished mystical scholars in 18th century Ottoman
Syria. He belonged to the School of Ibn al-‘Arabī and was known worldwide for his writings on
waḥdat al-wujūd (the Unity of Existence). Nābulusī was a traveler, and his works on his travels
give us a rounded understanding of the history and cultural conditions of the Ottoman Empire in
the 18th century. From the mystical aspect, Nābulusī is remembered as the scholar who untangled
the complicated thoughts of Ibn al-‘Arabī into a simpler form. Despite his caliber in the world of
Islamic philosophy, studies on the characteristics of his mystical thought remain limited.
Recent studies have revealed that Nābulusī may not have been merely an annotator of
Ibn al-‘Arabī for the following reasons; first, He emphasized the human’s sin (dhanb) against
Allah in the doctrine of his waḥdat al-wujūd. This may be a new approach in the history of the
School of Ibn al-‘Arabi. Second, he focused on using the word denoting Allah’s command (amr)
in his Sharḥ on Ibn al-Fāriḍ’s poems, even though Ibn al-Fāriḍ himself didn’t use this term
himself. By focusing on these specific terms, it is believed that studying Nābulusī’s waḥdat
al-wujūd can present us with a new perspective towards the understanding of both inherited
and developed thoughts in the School of Ibn al-‘Arabī in the Ottoman Empire.
1. はじめに
本稿は、アブドゥルガニー・ナーブルスィーに関する先行研究を概観し、今までの研究の特徴と
今後の課題を明らかにすることを目的とする。
まずはナーブルスィーの人物像・生涯について簡単な紹介をしたい。アブドゥルガニー・ナーブ
ルスィー(ʻAbd al-Ghanī ibn Ismāʻīl al-Nābulusī, d. 1143/1731)は、18 世紀シリアのダマスカスを中心
として活動したイスラーム知識人であり、
「オスマン帝国統治下シリアにおける最も偉大なアラブ
人スーフィー」1)と評される。
彼は 1050/1641 年、ダマスカスに生まれる。高名なハナフィー派法学者であった父からイスラー
ム学の手ほどきを受けるが、父は彼が 12 歳の時に亡くなってしまう。その後 7 年間家に籠り、イブン・
アラビー(d. 638/1240)、ティリムサーニー(d. 690/1291)などイブン・アラビー学派の思想家の著作
の研究に没頭する。一般にアラブ世界では遊学が尊ばれる傾向にあるが、隠遁生活の中でひたすら
読書にふけるという異常な精神集中によって彼独自の思想は磨かれることとなる2)。隠遁生活の後、
彼はイスタンブル、パレスチナ、カイロなど様々な場所を訪れ、旅行記を多く著す。またスーフィー
教団としては、カーディリー教団、ナクシュバンディー教団に属した。後年はイブン・アラビーの
* 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
1) Elizabeth Sirriyeh , Sufi Visionary of Ottoman Damascus: ʻAbd al-Ghani al-Nabulusi 1641–1731, London and New York:
Routledge Curzon, 2005, p. ix.
2)
松本耿郎「ナーブルスィー」大塚和夫他(編)
(2002)
『岩波イスラーム辞典』、713 頁。
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廟があるダマスカスのサーリヒーヤ地区に住居を移し執筆に専念する。1143/1731 年、90 歳でその
生涯を閉じる。
現代のイスラーム世界では、彼は夢解釈の著者として広くその名が知られている。またダマスカ
スのサーリヒーヤ地区には彼の霊廟があり、多くの参詣者が訪れている。
イスラーム思想史におけるナーブルスィーの位置付け
イスラーム思想史の中では、東長[2013]、Masters[2013]
、Schimmel[1975]などが、18 世紀を代
表する思想家としてナーブルスィーを挙げている。彼は何よりもまずオスマン朝期のイブン・アラ
ビー学派に名を連ねる思想家として理解されている。
また Grehan[2006]
、al-Aqḥiṣārī[2011]ではオスマン朝時代の法学論争であるタバコ許容問題に対
して、タバコ許容説の代表的論客としてナーブルスィーの名が挙げられている。イディリス[2008]
はナーブルスィーと同時期に活躍したイブン・アラビー学派であるブルセヴィー(d. 1137/1725)に
関する研究であるが、そこでもタバコ許容論争においてタバコ禁止の立場を取ったブルセヴィーに
対してタバコ許容の立場を取った論争相手としてナーブルスィーが登場する。Badeen[2012]はオ
スマン朝時代のマートゥリーディー学派とアシュアリー学派の相違について書かれた 7 編の論考
を収録したアンソロジーであり、人間の自由意思の問題に関してアシュアリー学派とマートゥリー
ディー学派の間の意見の一致を述べたナーブルスィーの論考が収録されている。
以上から、イスラーム思想史の中で彼はイブン・アラビー学派としてのみならず、18 世紀の神学・
法学を代表する思想家としてイスラーム思想史の中に位置づけられていることが分かる。
2. ナーブルスィー研究史
ナ ー ブ ル ス ィ ー は 非 常 な 多 作 家 で あ り、Bakri[1985]で は 280 点、 松 本[1997]で は 188 点、
al-Nābulusī[2008]の校訂者の前書きでは 225 点が彼の著作として確認されている。その扱うジャン
ルも多岐にわたるが、ナーブルスィーの文献目録を作成した Bakri[1985]では、ナーブルスィーの
文献を以下の 18 のカテゴリに分けている。
ハナフィー学派行動規範学(81 点)
、
夢判断(1 点)
、
歴史(旅行記)
(12 点)
、
神学(22 点)
、
農学(1 点)
、
文学(17 点)、タサウウフ(89 点)、啓典解釈学(12 点)、詩(3 点)、ハディース学(16 点)、占い(8 点)、
palmomancie3)
(1 点)、啓典読誦学(4 点)、哲学(1 点)、夢占い(2 点)、論理学(1 点)、文法学(2 点)、
無分類(7 点)4)
しかし、この著作全てに研究がなされているわけではなく、Kremer[1851]を始めとした旅行記
研究が主であった。二節では彼の先行研究に関して「伝記」、「旅行記」、
「法学」、
「夢解釈」、三節
では筆者の研究対象である「神秘思想」のカテゴリに分け、研究の傾向・特徴を論じる。
伝記
彼の人物像については、Schlegell、Sirriyeh、Akkach 等が、ガッズィー(Kamāl al-Dīn al-Ghazzī)
(d.1214/1799)が書き残したナーブルスィーの伝記を参照している。Akkach は Ghazzī によるナーブ
ルスィーの伝記の校訂、ナーブルスィーの残した往復書簡の校訂を行っている。 3)
睡眠中の体の動きを解釈する占い学の一種。
4)
Alauddin[1995]ではカテゴリが再整理され、啓典解釈学(15 点)、神秘主義思想(89 点)、ハディース学(17 点)、
神学(21 点)、ハナフィー学派行動規範学(86 点)、歴史(旅行記)
(9 点)、文学(34 点)、その他(8 点)の 279 作品
となっている。
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Schlegell[1997]、Sirriyeh[2005]、Akkach[2007]が、彼とナクシュバンディー教団、カーディリー
教団との関係を論じている。Schlegell はオスマン朝期におけるイスラーム復興運動であるカドゥ
ザーデ運動5)との対立、少年愛を勧めるハディース集の執筆によって批判を浴びたことなど、当
時の社会状況やナーブルスィー個人の嗜好についてまで幅広く論じている。また彼はタリーカの
師とのつながりよりも夢や読書によって神秘的知識を得ることを重視したといわれている。Winter
[1988]によれば彼はアラビア語を流暢に話すことのできる能力を重んじており、従ってアラビア
語を母語として話すアラブ人は非アラブ人より優位であるとした。トルコ人6)の学者を軽んじる記
述を残していることから、トルコ人のイスラーム学者であったブルセヴィーやイスタンブルのイス
ラーム復興主義運動カドゥザーデ運動との対立などナーブルスィーとトルコ人との対立の中には彼
のアラブ人としてのプライドも影響しているのかもしれない。
旅行記
旅行記に関する研究としては、ナーブルスィーに関する最初の研究であろう Kremer[1851]に始
まり、Gildemeister[1882]
、Sirriyeh[1979a; 1979b]、Akkach[2005]があり、ナーブルスィーの著作
では研究が最も進んでいる分野である。Kremer[1851]は、ナーブルスィーが訪れた地域の記述で
あり具体的な解説には乏しいものの、ナーブルスィー研究が旅行記の研究によって始まったことを
示す意味で意義のある研究といえる。Sirriyeh[1979a]は、ナーブルスィーが訪れたシリアのダマス
カス、ヒムス、ハマーの各聖者の墓をリストアップしている。参詣先にはマウルーラ村のキリスト
教の聖者廟も含まれ、当時のムスリムは、ウラマーも含めイスラームの聖者のみならずキリスト教
の聖者の参詣地も訪れていたことを示す点で興味深い研究である。
しかしこれらの研究はいずれも、彼の旅した各地域の 18 世紀の状況を探るための資料としてナー
ブルスィーの旅行記を用いており、彼の思想的特徴を明らかにすることは目的とされていない。
法学
ナーブルスィーの法学に関する著作は、神秘主義に関するものに次ぎ最も多く、Bakri[1985]
の分類によれば離婚規定、礼拝など様々な事項について書き残しているが、個別研究としては煙
草の歴史、喫煙を巡るイスラーム法上の議論の争点をまとめた Berger[2001]のみである。Berger
は、エジプトの法学者で喫煙の危険性を訴えたイブラーヒーム・ラーカーニー(Ibrāhīm al-Lāqānī, d.
1041/1631)と、喫煙擁護派のナーブルスィーを中心としながら、イスラーム法学上における煙草、
喫煙についての議論の歴史を論じている。彼らの煙草の害悪の議論については、近代科学の観点か
らすると前近代的な世界観の中に留まっているとみなしている。ナーブルスィーは喫煙の法学判断
に関してハディースに明文がないことから個々の判断に任されるとして喫煙擁護の姿勢をとった。
イディリス[2008]でも指摘されている通り、同時代のイブン・アラビー学派の思想家の間でも法
学的態度は異なる。オスマン朝時代のイブン・アラビー学派をより多角的な視点から考察するため
5)
17 世紀、ビルギヴィー(Birgivî Mehmed)
(d. 980-981/1573)に影響を受けたカドゥザーデ(Kadızade Mehmed, d.
1044/1635)とその支持者達によるイスラーム復興運動。当時のオスマン帝国の状況を預言者ムハンマドの時代か
ら逸脱した状態と考え、正しいイスラームへの回帰を訴えた。特に聖者崇敬、タリーカを批判しテッケの破壊な
どの反スーフィズム運動を行った。イブン・タイミーヤ、イブン・カイイムの思想の影響を受けているとされる。
カドゥザーデ運動については Madeline Zilfi, ‘‘The Kādīzādelīs: Discordant Revivalism in Seventeenth-Century Istanbul,’’
Journal of Near Eastern Studies 45(4), pp. 259–269 参照。
6)
Winter[1988]は Turkish scholar と表現しているため筆者もトルコ人という言葉を用いた。もっともナーブル
スィーの生きたオスマン帝国期には、現代の国民国家の枠組みの中での「アラブ人」
、「トルコ人」などの概念は
存在しない。ナーブルシィーは「アラブ人(‘Arab)」、
「非アラブ人(‘Ajam)」との表現を用いている。ここでのト
ルコ人とは当時のトルコ語を母語として話し、アラビア語を母語としない者たちの意味として用いる。
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アブドゥルガニー・ナーブルスィー研究の軌跡と課題
にも法学に関する研究を進めることは有意義であると考えられる。
夢解釈
ナーブルスィーの夢解釈書 Ta‘ṭīr al-Anām fī Ta‘bīr al-Manām は、イブン・スィーリーン(Ibn Sīrīn,
d.110/728)の夢解釈と並ぶイスラーム世界の夢解釈本のベストセラーである。Schwarz[1913]はナー
ブルスィーの夢解釈について扱っており、彼についての最初の思想研究として位置づけられよう。
Schwarz は、夢に出てきた動物、植物、食べ物、鉱物などがそれぞれ象徴的な意味を表すことを述
べている。しかし Sirriyeh[2005]は、ナーブルスィーの解釈は伝統的な夢解釈の域を出ておらず、
彼の著作の中では独自性のかなり少ない作品だと評価している7)。
3. 神秘思想研究
ナーブルスィーの神秘思想に関する従来の評価
ナーブルスィーはアブー・マドヤン(Abū Madyan, d. 594/1198)に代表されるアンダルス系スー
フィズムとビルギヴィー(Birgivî, d. 981/1573)に代表されるペルシャ・アナトリア系スーフィズム
の統合を試みた神秘思想家であると言われながらも8)、彼の神秘思想については近年になるまでは
その独自性が指摘されることは稀であった。
‘Aṭā[1987]が彼の著作からの引用を豊富に交えながらナーブルスィーの思想の概略を紹介し
ており、存在一性論に関するナーブルスィーの基本的な理解や主要著作を知ることができるが、
深い考察は行われてない。Bakri[1995]は al-Wujūd al-Ḥaqq の校訂を行い、同書の中でナーブル
スィーがイブン・アラビーの思想を神学的観点から批判するタフターザーニー(Mas‘ūd ibn ‘Umar
al-Taftāzānī, d. 792/1390)に対して再批判を行いながら存在一性論を展開していることを明らかにし
た。Pagani[2007]は存在一性論を批判し目撃一性論(waḥda al-shuhūd)という独自の存在論を展開し
たスィルヒンディー(Aḥmad Sirhindī, d. 1034/1634)の思想をナーブルスィーがどのように解釈した
かについて論じている。ナーブルスィーは死者(預言者、預言者の教友、イブン・アラビーなどの
ウラマーたち)との霊的出会い(spiritual encounter)を重視する伝統的スーフィーの立場をとってい
た。彼は全体としてはスィルヒンディーの思想を評価しながらも、スィルヒンディーの思想をその
まま受け入れ説明を行うことは避け、あくまでイブン・アラビーの語彙、解釈に従いながら注釈を
付けている。
松本[1997]は Ῑḍāḥ Maqṣūd min Maʻnā Waḥda al-Wujūd を用い、ナーブルスィーの存在論の基本構
造の解説を試みている。この小論でもナーブルスィーは神学者の批判に応える形で存在一性論の正
しさの証明を試みており、松本は、Ῑḍāḥ の中でナーブルスィーは存在一性論学派特有の専門用語
をなるべく用いず、存在一性論の思想の正しさを紹介することを試みていると指摘している。
ナーブルスィーは、イスラーム世界の伝統的な議論を基本として存在一性論を平易な言葉で解説
する思想家として評価されており、イスラーム思想史の中でイブン・アラビー学派における彼の思
想的特徴についてはあまり考察されることはなかった。
7) Elizabeth Sirriyeh, Sufi Visionary of Ottoman Damascus: ʻAbd al-Ghani al-Nabulusi 1641–1731, London and New York:
Routledge Curzon, 2005, p. 71.
8)
EI2 参照。しかしここで使われている「ペルシャ・アナトリア系スーフィズム」については、例えば名前が挙げ
られているビルギヴィーをアナトリアのスーフィズムの代表的思想家と挙げてよいのか、ペルシャのシーア派イ
ルファーン哲学と同じ潮流に入れられるのかなどいくつもの問題がある。アナトリア・スーフィズム研究の思想
潮流の解明が今度の課題となるだろう。
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ナーブルスィーの神秘主義思想に関する新しい評価
しかし近年の研究では、ナーブルスィーの個別研究が進み、彼の思想的特徴を指摘する研究が増
えつつある。
Lane[2001]はイブン・アラビーの主著である Fuṣūṣ al-Ḥikam へのナーブルスィーの注釈書に関
する研究である。ナーブルスィーは注釈の中で、クルアーンやハディースの引用を積極的に行って
おり、それがイブン・アラビー学派における彼の注釈スタイルの特徴となっていると指摘している。
また 18 世紀のクルアーン解釈学の研究は手薄であり、彼の Fuṣūṣ al-Ḥikam におけるクルアーン理
解を探ることは、18 世紀の思想家達のクルアーン理解(解釈)を探るうえで貴重な資料に成り得る
とも主張している。
Sirriyeh[2005]は、 存 在 顕 現 説 を 論 じ た 主 要 著 作 の 一 つ で あ る al-Fatḥ al-Rabbanī wa al-Fayḍ
al-Raḥmānī の一部を翻訳、紹介すると共に、彼の存在顕現説の基本構造を明らかにしている。
Sirriyeh は、al-Fatḥ は彼の後年の著作と比較しても最も深淵な神秘思想を論じた著作と評価してい
る。al-Fatḥ ではナーブルスィーは、真の信仰と人間が抱える「罪(dhanb)
」の問題について存在一
性論の枠組みの中で論じている。Sirriyeh によるとスーフィズム思想史において悔悟(tawba)はスー
フィーの修行道の最初の階梯として論じられることはあっても、悔悟に先行する罪については特別
な関心が払われることはなかった。以上の指摘は、罪を存在一性論の議論の中心に置くナーブル
スィーの存在一性論のスーフィズム思想史における特異性を示す点で非常に重要であるが、その罪
の詳細についてまでは残念ながら論じていない。
山本[2013]では、al-Fatḥ、Khamra al-Ḥān wa-Ranna al-Alḥān、Maqṣūd というナーブルスィーが
存在一性論について論じた著作を用い、ナーブルスィーの存在顕現説における罪の思想と、悔悟の
理論における宗教実践の倫理的側面との照応関係を明らかにしている。
また鎌田[1982]と Homerin[2007]は、イブン・ファーリド(Ibn al-Fāriḍ, d. 632/1235)の詩に対す
るナーブルスィーの注釈である Kashf al-Sirr al-Ghāmiḍ fī Sharḥ Dīwān Ibn al-Fāriḍ に関する研究であ
る。Kashf は 18 ‒ 19 世紀にムスリムの間でイブン・ファーリドの詩に対する優れた注釈として広く
読まれていた。本論文は Kashf におけるナーブルスィーの解釈の特徴の解説を試みている。ナーブ
ルスィーはイブン・アラビーの思想を下敷きとした神秘的解釈を行っており、それはしばしばイブ
ン・ファーリドの本文にとらわれず語義的な意味の説明から離れたものであることを指摘している。
Homerin[2007]は Kashf の翻訳を載せつつ解説を行っている。ナーブルスィーはイブン・ファー
リドの詩中に、
「アッラーの命令 amr」の用語が見られないにもかかわらず、ナーブルスィーは注
釈を書く中で「命令」の語を用い、イブン・ファーリドの詩の意味を説明していることを指摘して
いる。ナーブルスィーの神秘思想におけるキーワードを指摘している点で興味深い研究である。
4. おわりに ナーブルスィーは 18 世紀シリアにおけるイブン・アラビー学派の代表的思想家との評価を受け
ているにもかかわらず、彼についての研究は旅行記が主であり、彼のイブン・アラビー学派的思想、
すなわち存在一性論に関する研究は非常に少ない。
しかし近年になり彼の神秘思想の研究も進展を見せつつある。その中で、特に従来あまりスーフィ
ズム思想史の中で深く論じられてこなかった罪を存在一性論の中心課題として論じる点は、
イブン・
アラビー学派における従来の存在一性論とは異なる論理展開を持っており注目に値する。彼の存在
一性論のイブン・アラビー学派内における思想史的位置を探ることが今後の課題となろう。
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アブドゥルガニー・ナーブルスィー研究の軌跡と課題
ナーブルスィー先行研究リスト
ナーブルスィーに関する先行研究としては以下が挙げられる。
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Leiden and Boston: Brill.
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からの脱却」小原克博(編)
『神学の射程と諸相―2013 年度小原ゼミ卒業論文集―』アマゾン
kindle 書籍.
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