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明治維新 150 年記念事業∼明治維新と郷土の人々∼
中間取りまとめの特色
明治維新を含め通史においては藩主や武士を中心に記述されることが多い
が,この事業においては,当時の郷土の人々の生き方について探るため,「明
治維新と武士」,「明治維新と市井の人々」「明治維新と女性」,「明治維
新と子ども」のテーマを設定した。
また,明治維新における薩摩藩の活躍は,開明君主・島津斉彬や西郷隆盛,
大久保利通などを中心に語られることが多いが,今回の取りまとめでは,こ
れに加え,家老等や郷士の役割等を含め,藩の組織・機能上の特徴等にも着
目し,薩摩藩が明治維新において重要な役割を果たし得た要因を整理した。
調査に当たっては,専門家ヒアリングを実施するとともに,県内市町村へ
の照会等により新たな史料の収集・解読等を行い,これまであまり知られて
いなかった人物等も含めて整理し,現時点において中間的な取りまとめを行
った。
(1)明治維新と武士
【調査の視点】
薩摩藩が,明治維新において重要な役割を果たし得た要因について,当
時の藩の組織・機能上の特徴等も含め整理した。
【調 査 手 法】
専門家ヒアリングや様々な研究論文・書籍,新たな史料の収集・解読等
の調査を行った。
【
概 要 】
薩摩藩は明治維新において重要な役割を果たした。それは,「倒幕」が目的
であったのではなく,世界の潮流を踏まえ,「新たな国家を建設」しようとするも
のであった。
薩摩藩がそうした役割を果たし得た要因としては,次のようなものが挙げられ
る。
①
薩摩藩士の学問的背景
薩摩藩は,朱子学や武士道,国学などの学問レベルが高く,武士達は,
新たな時代の国家像に向けて自ら行動していく志や,公のために身を捧
げるという倫理・道徳規範を有していた。
②
朝廷との関係構築
薩摩藩は,主に近衛家を介して朝廷と通じており,そこから得られた
情報等が藩の方針決定に寄与するとともに,行動を起こす際,朝廷の後
ろ盾を得ることが可能であった。
③
海外情勢の把握
薩摩藩は,琉球を通じて,藩独自に海外の情報を得ることが可能であり,
西欧列強の動きなどの情報を収集・分析していた。また,琉球への度重なる
西欧列強の来航は領土への危機でもあり,日本の独立を守るためには,攘
夷ではなく,国が一つにまとまり近代化を図っていく必要があることをいち早く
認識していた。
1
④
薩摩藩の組織体制
島津斉彬が打ち出した開明的な方向性を受け継いだ島津久光が,上級
・下級武士の挙藩体制を確立し,藩の分裂を回避しながら激動期を率い
た。
また,薩摩藩は,調所広郷による天保の改革で中国貿易や全国との通
商を拡大するとともに,徹底した専売制度を実施し,人々の労苦を伴い
ながらも財政基盤を強化していったことが組織力の充実につながった。
⑤
家老等の役割
藩を代表して幕府や朝廷と巧みに交渉したり,島津久光と誠忠組出身
の下級武士を結ぶなど,開明的な家老クラスの上級武士が重要な役割を
果たした。
⑥
郷士の役割
薩摩藩は,他藩に比べ圧倒的に武士が多く,特に郷士が多かったことが特
徴。有事に対応できる体制であったことが,明治維新において大きな力となっ
て現れた。
(2)明治維新と市井の人々
【調査の視点】
明治維新は支配階級である武士が中心となって行われた政治変革であ
り,庶民は明治維新の動きに直接関わることはなかったが,特に武士比率
が高かった薩摩藩の経済力等を支えた百姓や商人などに着目して整理し
た。
【調 査 手 法】
庶民の記録は非常に少なく,通史においても記述がほとんどなされてい
ないことから,市町村郷土誌や明治期の新聞記事,新たな史料の収集・解
読等の調査を行った。
【
・
概 要 】
薩摩藩は,他藩に比べ圧倒的に武士の比率が高く,有事に対応できる
体制であった反面,少ない百姓で武士たちを支える必要があった。百姓
は農作物の生産に多大な労苦を要したが,それが藩全体としての力とな
って現れた。
・ 百姓は,苦労して生産した米を自らは消費せず藩に納め,また,藩の
徹底した専売制度の下で黒糖その他の商品作物等を栽培し,藩の経済力
を支えた。
・ 薩摩藩は,中国との貿易で得た唐物(からもの)や奄美の黒糖をはじ
めとする物産の長崎や大坂への運搬・販売を,藩内の豪商たちに担わせ
ており,こうした豪商たちは,藩の経済に大きく貢献をした。
・ 集成館事業の反射炉建造においては,耐火レンガ(薩摩焼陶工の技術)
や石組み(石工の技術)など,在来技術を持った技術者たちが寄与した。
また,集成館事業を担った技術者たちは,維新後は各地の官営工場な
どの技術指導に当たり,我が国の産業の近代化に大きく貢献した。
2
(3)明治維新と女性
【調査の視点】
武士を育てた母親,農漁村での生産や家事を担った女性,戊辰戦争や西
南戦争などの際に不足した労働力を担った女性,明治維新後の女子教育な
どに着目して整理した。
【調 査 手 法】
女性については,特に資料が少ないことから,書籍や市町村郷土誌の調
査を行ったほか,新たな史料の一部解読も行った。
【 概 要 】
・ 一人前の武士に育てる任を負うものとして,武士の母親は尊重された。
母親たちは,自ら婦道(女子が行うべき規範)の実践者として子どもた
ちに手本を示しながら厳しく躾け,明治維新期に活躍する武士を育て
た。
・ 農漁村の女性は,台風の来襲や火山灰台地などの厳しい自然条件の中,
男性と協力して働き,米や商品作物の生産などを担った。
また,糸紡ぎなどの夜なべ仕事にも励んだ。
・ 戊辰戦争や西南戦争などの際,男性が長期間徴用されることにより生
じた労働力不足を,女性が担った。
・ 女子の初等職業学校である伊作小学校附属裁縫学校が明治 13 年(1880
年)に設立されるなど,女子教育を行う学校は,鹿児島では西南戦争後
に整備されていった。
(4)明治維新と子ども
【調査の視点】
武士の子どもについては,海外に目を向けた薩摩藩の人材育成,庶民の
子どもについては,農漁村における作業見習いを通じた躾などに着目して
整理した。
【調 査 手 法】
子どもについての直接的な資料はほとんどないが,武士の子どもについ
ては研究論文・書籍や史料,庶民の子どもについては市町村郷土誌等の調
査を行った。
【 概 要 】
・ 武士の子どもたちは,伝統的な郷中教育に加え,藩校・造士館で儒学な
どの学問を学び,武士としての心構えや教養を身に付けていった。
・ 薩摩藩は,鎖国体制下にもかかわらず,元治元年(1864 年)に英語や技
術等の教授を行う目的で開成所を設置するなど,海外に目を向けた人材
の育成を図った。
・ 百姓は,よき村人として一生を終わることが理想的な生き方とされた。
農村では,子どもをよき村人に育てるための躾が厳しかった。百姓の子
どもへの教育は,農作業等の技術教育から情操教育に至るまで,全て実
践活動を通じて行われた。
・ 西南戦争後の鹿児島県も,明治政府と同様,「教育は国づくりの基本」
という認識の下,厳しい財政状況の中でも教育の充実を図っていった。
特に教育に熱心な県令の下で小学校の整備も急速に進み,入学する子ど
もも増加した。
3
【参考1】専門家へのヒアリングの経過
時 期
H26.4
対
象
者
原口泉県立図書館長,田村省三尚古集成館長,
松尾千歳尚古集成館副館長
H26.5
宮地正人東京大学名誉教授,犬塚孝明鹿児島純心女子大学名誉教授,
寺尾美保東京大学大学院博士課程(元尚古集成館学芸員)
H26.11 佐々木克京都大学名誉教授,落合弘樹明治大学教授
H27.2
坂野潤治東京大学名誉教授
【参考2】今回の調査で新たに着目した主な人物
名
岩下
前
方平
概
要
該当頁
薩摩藩家老で国学者。国学を通じた朝廷や他 2,4,
藩の国学者とのネットワークは,藩の方針の決 6,15,16
定に影響を与えた。誠忠組のメンバーでもあり,
島津久光と西郷隆盛や大久保利通ら下級武士と
の間を取り持った。
薩英戦争後の講和会議をまとめ,薩摩藩が単
独で出展したパリ万博に使節団を率いて参加。
喜入
久高
鹿籠(かご。枕崎)領主。島津久光の率兵上 11,15,
京に当たって抜擢された。首席家老として,琉 16
球掛(かかり),御軍役掛,鋳製方(いせいほ
う)掛,唐物取締掛,造士館掛など重職も兼ね
た。
南部
弥八郎
幕末期,薩摩藩に探索方として雇われ,横浜 9,10,
の居留地で発行されている英字新聞の翻訳を行 70,71
い,また幕府の洋書調所の学者などから欧米諸
国等の情報を精力的に収集し,薩摩藩に報告し
た。
税所
敦子
京都の歌人。京都詰の薩摩藩士に嫁ぎ,夫と 51
の死別後,鹿児島に赴き姑に孝養を尽くした。
後に近衛家に仕えた。
押川
栄
鹿児島の女性として最も早い時期に高等教育 53
を受けた。明治9年に県から東京女子師範学校
に派遣され,入学。
4
【参考3】今回の調査で新たに収集又は解読(翻刻)した史料
テーマ
史
料
武士
市井の
人々
女性
子ども
※
該当頁
5,13,
・「観光集」秋月悌次郎
(万延元年(1860 年)に薩摩藩を訪れた会津藩士によ 18
る記録)(鹿児島県立図書館蔵)
・葛城彦一(かつらぎ ひこいち。薩摩藩の国学者)の 6
書状等(黎明館蔵)
・平田鉄胤(ひらた かねたね。江戸の国学者)の書状 6
等(黎明館蔵)
・岩下方平(いわした みちひら。薩摩藩家老で国学者)6
の書状等(黎明館蔵)
・「喜入家十七代大概之譜・十八代履暦荒増」
16,72
(薩摩藩の首席家老・喜入久高に係る記録)
(枕崎市文化資料センター南溟館蔵)
・「伊藤祐徳日記」(出水郷の噯(あつかい:責任者)17,73
であった伊藤祐徳の日記)(個人蔵,黎明館保管)
24,29 ∼
・「頴娃郷日帳」
(郷政の記録。商品作物に関わる庶民,役人等)(黎 31
明館蔵)
25,26
・「観光集」秋月悌次郎
(万延元年(1860 年)に薩摩藩を訪れた会津藩士に
よる記録)(鹿児島県立図書館蔵)〔再掲〕
・「月野村非常日誌」(西南戦争時に庶民が協力した様 37,76
子等)(曽於市大隅郷土館蔵)
・有村れんの書状(海江田信義など有村兄弟の母の手紙)47,48
(黎明館蔵)
・税所敦子の書状(薩摩藩士の妻。近衛家に仕えた。)51
(黎明館蔵)
・押川栄(えい)の資料(城下士の娘。県令への謝辞等)53
(黎明館蔵)
61∼63,
・「観光集」秋月悌次郎
(万延元年(1860 年)に薩摩藩を訪れた会津藩士に 81
よる記録)(鹿児島県立図書館蔵)〔再掲〕
・「諸役,文武館掛及郷校教官仰付書」
66
(日置市吹上歴史民俗資料館蔵)
このほか,新たに現代語訳した史料(『守屋舎人日帳』(秀村選三
校注)など)や,当時の新聞記事,市町村郷土誌(市井の人々,女性
など),研究論文・書籍等あり。
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