「団塊の世代」の一員として

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「団塊の世代」
の一員として
古
川
伸
夫
団塊の世代とは1947年から1949年までに生まれ
給付費54兆円、介護給付費は19.8兆円になると試
た世代を指します。
大学の頃は学生運動が盛んで、
算されています。地域包括ケアシステムが核と
佐世保の原子力空母エンタープライズ入港反対や
なって各種の事業が計画されておりますが、各々
沖縄返還などを求めて中核、革マル、民青等々が
計画の整合性が煩雑で年毎に微妙に異なる計画が
入り乱れ、学生同士や学生(一般市民も含めた)
提出されており、それらの関連性を理解する事は
と機動隊が衝突していた時代でした。ノンポリも
複雑なパズルを解いているような思いがします。
多かったのですが、権力(親や教師も含めた)に
一方でこれらの事業の推進は、2025年問題を口実
対しては反発心が強く、心情的にもその活動に賛
に各医療機関(病院、診療所)及び薬局、介護施
同していた世代ではないかと思っています。しか
設をネットワーク化し、各々データを共有するこ
し連合赤軍のあさま山荘事件や日本赤軍のテルア
とによって、医療機関の診療状況を丸裸にし「突
ビブ事件などあまりに過激になりすぎた学生運動
合点検」や「縦覧点検」など国が医療機関を管理
は人心を失い、やがて各々活動も終焉を迎え、同
しやすいシステムを作るためではないかと思って
時にその世代の若者に大きな虚脱感を味あわせる
います。
事になりました。
後 期 高 齢 者 は2015年 に は1,645万 人 で す が、
その頃の医師会は武見太郎先生が日医会長とし
2025年には2,167万人に増え、独居世帯・高齢者
て昭和32年から25年間君臨されており、現在の日
世帯も今以上に増加するとも言われています。年
本医師会の礎を築き上げられました。先生は厚生
間死亡者は160万人になり、病院や施設で看取る
省に対し常に攻撃的で、厚生行政に医師会の意見
ことができるのは120万人で40万人が看取り難民
を強く反映させました。当時の医師会として終戦
になる可能性があります。これからの病院は早期
後で病院が少なく勤務医も少なかった為、開業医
な退院を促され、在宅や介護施設への誘導が行わ
中心の活動もやむを得なかったと考えますが、そ
れます。一方、受け入れる在宅医療体制や介護施
れが後々、日医が開業医に利益誘導している集団
設が十分といえず、どこで「終の棲家」を迎える
であるとの印象を国民に植えつける結果になりま
かという課題に直面する状況に追い込まれます。
した(厚生省が国民に対してそのように誘導した
どこまで医療が関与すべきか、
そして「終の棲家」
疑いも残りますが)
。1983年に武見先生が亡くな
をどこにするかを各々の死生観をしっかりと認識
り、時を同じくして当時の吉村仁厚生省保険局長
し、元気なうちに「不治の病、手の施しようのな
が同年1月にいわゆる「医療費亡国論」を発表し、
いがん末期状態、経口摂取が全くできなくなった
厚生省の医師会に対しての反撃が始まりました。
状態では延命治療を断る」という意思表示を明確
その後、徐々に医師会は劣勢に立たされ、現在で
にしておく必要があります。そのためには尊厳死
は役所の会議で医療費抑制計画という言葉が飛び
を認めさせ、医師が殺人罪に問われることのなき
交い、ジェネリックを積極的に使うようにと医師
よう法整備を2025年問題と並行して進めてもらう
会や市民に指示する状況になっています。
ことを願っております。
しかし2025年に団塊の世代が後期高齢者になる
(燕市医師会長)
にあたって、医療費が膨れ上がるのも事実で医療
新潟県医師会報 H27.1 № 778