論 文 内 容 の 要 旨

氏
名
:江﨑
加代子
論文題目
:Disruption of lipid homeostasis by L-serine deficiency
( L-セリン欠乏による脂質恒常性の破綻)
区
:甲
分
論
文
内
容
の
要
旨
非必須アミノ酸 L-セリンの de novo 合成経路において、第 1 段階を触媒する酵素 3-Phosphoglycerate
dehydrogenase(Phgdh)の遺伝子変異による
L-セリン合成不全は、ヒトにおいて小頭症など重度の
中枢神経系障害を引き起こす。また、全身性 Phgdh KO マウスは脳形成不全を伴う胎生致死に至り、
脳特異的 Phgdh KO(BKO)マウスも生後小頭症を呈し、脳内 L-セリン及び D-セリン含量の顕著な
減少及び各種行動異常を示す。これらのヒト疾患及び各種 Phgdh KO マウスの神経症状は、 L-セリ
ンの de novo 合成が、特に中枢神経系の発達と機能発現に不可欠であることを示す。しかし、L-セリ
ン欠乏による細胞・個体死の機序や、成熟期におけるセリン合成能の低下が各臓器の機能や疾患リ
スクに及ぼす影響は未だ分子レベルで十分に理解されていない。 L-セリンはタンパク質の構成要素
であるだけなく、他アミノ酸や細胞膜脂質類等の様々な生体分子の生合成に不可欠な前駆体として
の代謝機能を担う。本研究では、 L-セリン欠乏による表現型に関与し得る分子としてセリンを前駆
体として必要とするグリセロリン脂質とスフィンゴ脂質に着目し、 L-セリン欠乏が導く脂質代謝変
化について包括的な解析を行ない、脂質代謝恒常性維持とセリン生合成の機能的連関の解明を目指
した。さらに、L-セリン欠乏から生じる病態の予防・治療への貢献を目的に、中枢および末梢組織
への効率的な L-セリンの供給を果たす食品成分の候補として、大豆タンパク質中に高頻度で存在す
る配列から L-セリン- L-チロシン(SY)を選択し、その合成ジペプチドの経口投与による脳内およ
び血中セリン増加効果を検討した。
de novo セリン合成活性を喪失した Phgdh 欠損線維芽細胞(KO-MEF)を用い、まず L-セリン欠乏
によるグリセロリン脂質の変化を検討したところ、 L-セリン制限条件下で、僅かではあるがホスフ
ァチジルセリン(PS)の有意な減少を見いだした。他の主要グリセロリン脂質では有意な変化を認
めなかった。続いて serine palmitoyltransferase (SPT)による L-セリンとパルミトイル CoA の縮合反応
から合成が開始されるスフィンゴ脂質類について、 L-セリン欠乏による量及び質的変化を解析する
ため、 三連四重極 質量分析装置を用いたスフィンゴ脂質高感度一斉測定系を確立した。その 結果、
KO-MEF では短時間(6h)の L-セリン制限条件培養で既存スフィンゴ脂質量が減少し、一方で正常
細胞では存在が稀な L-アラニンとパルミトイル CoA が縮合した異常スフィンゴ脂質類(doxSL)が
L-セリン添加条件の
7 倍にまで増加することを見いだした。SPT の阻害剤である D-セリン処理によ
り doxSL の合成は抑制されたことから、L-セリン欠乏状態で SPT は親和性が低い L-アラニンを基質
として利用し doxSL を産生すると考えられた。また、 L-セリン制限条件培養 24h 後の doxSL は 6h
培養後の 30 倍にまで顕著に増加したことから、doxSL は通常のスフィンゴ脂質分解経路で代謝され
ず細胞内に蓄積することも見いだした。さらに、セリン制限条件で L-アラニンを添加し細胞内のア
ラニン/セリン比を上昇させると、顕著に doxSL 量が増加することも確認した。また、BKO 脳でも
doxSL の有意な含量増加を検出した。一方で L-ロイシン制限条件では KO-MEF に doxSL は検出され
なかったことから、doxSL が細胞内 L-セリン欠乏に鋭敏に応答する分子マーカーであることを明ら
かにした。
L-アラニン/ L-セリン比の上昇は糖尿病や精神疾患等で起こり、これらの疾患においてはスフィン
ゴ脂質類の変化を伴う例も報告されている。そこで、経口摂取可能な食品タンパク質の中で、 L-セ
リンを体内で効率よく増加させる作用を持つ配列を同定することを目的に、前述の合成ジペ プチド
SY を用いて、
その組織移行能について L-セリン単体との比較検討を行った。SY 溶液の経口投与は、
L-セリン溶液投与よりも効率よく血中 L-セリン濃度を増加させ、その状態を長時間維持することが
できた。脳内 L-セリン含量も SY 溶液投与で増加したが、 L-セリン溶液投与と有意な差は認められ
なかった。すなわち SY は、 L-セリン単体よりも効率よく血液循環を介し末梢組織において L-アラ
ニン/ L-セリン比の改善に貢献可能であることを示した。
以上の結果より、セリン欠乏は既存正常分子種の量的減少と doxSL 産生・蓄積によりスフィンゴ
脂質類の恒常性を破綻に導くことが示された。de novo 合成された L-セリンが、スフィンゴ脂質合成
系への L-アラニンの流入による doxSL 産生と蓄積を抑制する代謝的防御機構として機能することを
初めて明らかにした。