~すべてはこの言葉のために~ [スタッフインタビュー] Bande 代表 野口桂佑 × メインコーチ 吉野雅大 「人間力を求めて・・・」 ゴールキーパーとは・・・人間力そのものである。Bande 代表の野口さんの表現だ。 この言葉に、野口さんが何を目指しているのかが映し出されている。 Bande GK School からBande GK Academy への新しい門出に当たって、代表の野口さん、コーチの 吉野さんを取材した。ここでは、野口さんの熱い気持ちとそれに呼応する吉野コーチの熱いチャレンジを 感じ取ることができた。この師弟コンビが創るであろうゴールキーパーの輝かしい未来に目が離せない。 運命の出会い。 。 。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------吉野コーチは、野口さんの当時勤めていたサッカースクールの最初の生徒だったとのこと。 小学6年生で入って今年19歳。もう 8 年くらいになる、長い付き合いである。 吉野コーチは、少年団からジュニアユースに入る際にレッズ、大宮、ジェフ千葉から声がかかったという。 そしてレッズのジュニアユースでU-13 代表、 ユース時代には国体代表、 最近までレッズで2 種登録され、 トップの選手と一緒に練習していた。 野口さんが当時のスクールを辞めて独立した後も、スクールに顔を出すなど交流は続いていたという。 そして将来は指導者になるという夢を叶えるためにも、今回、なじみの深かった野口さんの門戸を叩いた のである。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------野口 吉野コーチはすごく僕のところでやりたいと言ってくれていた。彼には言ってなかったが、僕自身 の中では彼が大学を卒業した後の就職口として広げておきたかった。そして将来は一緒にやりたいと思っ ていたんです。 そしたら彼の方から、高校卒業したと同時に、 「一緒にやりたいんですけど、雇ってもらえませんか?」 と連絡があった。僕の中では 4 年早かったけれど、早かったからこそ余計に大きくしたいなと思った。 あこがれは選手でなく指導者なんです。 野口 僕は、選手というよりもコーチに憧れていたんです。なぜかと考えると、僕はコーチにずっと恵ま れていたから。 小学校の時の藤原先生が大卒バリバリで、サッカーの楽しさを教えてもらった。 「すげえ、うまい、かっ こいい」という感じ。勝つためのサッカーというよりも、 「楽しいよ、サッカーは」というのを教えてく れた。みんな仲良かったし、みんなサッカー好きだったし、みんな藤原先生が好きだった。根本的に指導 者に思い入れがあるのはそこがあるからかな。 中学校では、掛川 JFC というクラブチームでサッカーをやった時の大場コーチ(ジュビロ磐田サテライト チームのキャプテン経験者でゴン中山の同世代)もサッカーは楽しいということを教えてくれた。もちろ ん人間力も成長させてもらったし、ジュビロのトレーニングや、ジュビロユースのセレクションにも推薦 してくれたりと、たくさんの経験をさせていただくなど、そういう部分でも恵まれていた。だからこそ、 今の Bande の選手にもたくさんの経験をさせてあげたいです。 ――身近な人に恵まれていたのですね? 野口 たぶんそうだと思います。母親にも、 「あんた、やっぱりいいコーチに恵まれていたからコーチに なりたかったんじゃない?」と言われました。 ――吉野さんは? 吉野 同じです。どっちかっていうと指導者の方に憧れました。学校の先生もいい人ばかりだった。小中 高で必ずそういう人がいるんですよ。 小学校は、もちろん野口さんです。所属していた少年団は、9 時から 17 時まで練習をやっていたし、環 境も良くなくて、5 年生の時なんて楽しくなかった。 サッカーを辞めたいと思ったことは一度もないが、楽しくはなかった。プロを目指しているんだからしょ うがないかと割り切ろうと思ったけれど、割り切れなくてモヤモヤしていた。 そんな時に野口さんの勤めていたスクールがあって、5 年生の終わりの時に行ってみたら、何やってもい いんです。 (少年団ではトリックプレイをやると怒られる環境だったけど、そういうのをやりたかった) スクールでは、またぎもOK、ヒールリフトをやっても「ナイス!」って言ってくれる。それでサッカー って楽しいなと感じた。 そこで野口さんと知り合ってここにいるという感じ。僕のサッカーの原点です。 中学校は、今ユースのコーチをやっている池田伸康さんから、サッカーを通じて何を学ぶのか、上手いだ けじゃないっていうのをホント教わったし、人としての生き様のようなものを教わりました。 僕は中 2 の時まで試合に出ていたのだけれど、中 3 でやっと俺の代だって時に出られなくなって、最初 はもう、 「ふざけんな!」 「何で俺出さないんだ!」と思っていました。しかし、ノブさん(池田さん)と接 していくうちに、フィールドの中だけでサッカーをやるんじゃなくて、生活面から繋がっているし、キー パーというのは一歩引いて見なきゃいけないし、そういう意味で、チームとして勝てるためには自分は何 をしなければいけないか?とか、人間形成で一番土台となるところを教えていただきました。 ほんとに熱い人で僕の恩師であり慕っても慕いきれないくらいの人です。 高校の時は、ユースでの3年間、井嶋さんにキーパーとしての生き方、プロというのは何か、妥協しない とか、積み重ねることの大切さだとか、プロに直結する指導をたくさんして頂いた。ピッチの中もそうだ しピッチの外のこともそうです。 敢えて名前を上げるなら、その 3 名によって指導者になりたいという気持ちになった、外せない人です。 野口 僕も入っている、嬉しいね!やっぱり指導者は内側ですよね(笑) ――それで吉野さんはここに戻ってきたんですね。絶妙なコンビネーションですね。 野口 真面目なので吉野君が。ありがたかったのはレッズに在籍していた時もオフシーズンとかに顔を出 してくれていたし、常にコミュニケーションがとれていたし、どういう思いでどういうふうにやっていき たいというのを常に話していた。 各年代でずっと聞いてくれていたので、いざ一緒にやるとなった時に今までの僕の思いがわかっているか ら同じスタートが切れる状態だった。パッと来てバイトしたいと言ってきた人間と全然違って、僕の指導 をずっと見てきているんで僕の思いを分かってくれる。あれやこれやと言わなくても済むし、ある意味楽 です。 考えてみるに、キーパーのコーチを探すだけでも大変なのに、そして見つけたところで、同じ指導の感覚 を持っているかというのも大変なのに、ここまでリンクできるというのが凄くありがたい。 吉野 ユースでは、専門的なこと、レベルの高いことを要求されるんですが、ここ(Bande)で言っている ことが変わらないんですよ。ただフレーズが違うだけ。 難しい表現を小学生に言っても解らないのだけど、全く同じことを野口さんはわかりやすい言葉に変換し て言っている。僕に足りないところはそこかな、と。 自分が教えて来てもらったことを、言葉に表現しなきゃならない時に、野口さんはすごくうまくて、そこ をもっと学びたい。 実際、自分が教わってきたことと同じことをやっているので戸惑いはなかった。あとはボキャブラリーを 増やすために、ここでもっと訓練しなきゃなあと思った。レッズにいることもできたが、自分に足りない ものがこの Bande というフィールドにあったので、ここを選んだ。帰れる場所があるってありがたい。 野口 「レッズでもこの練習やってる?」などと確認しながらやったりしているよね。 吉野 プロのプロが言われることと、小学生が習うことが一緒なんです。何が違うかと言えばプロの方が 年数積み上げてるだけで、導入はほんと一緒なんで。それを翻訳して表現できるのが野口さん。本当に勉 強になります。 ルーツ ――ところでサッカーを始めた理由は? 吉野 家にボールがあったから。 野口 なにそのかっこいい理由は! 吉野 親父のボールを蹴っていた。やれとは言われてないです。 野口 僕の場合は、野球よりサッカーが小2から始められて早かったから。野球は3年生からしか入れな くて、サッカーは2年生から入ることができた。親は野球をやっていたから、野球をやらせたかったよう ですが。 吉野 じゃあ、野球が2年生からでサッカーが3年生からだったら? 野口 野球をやっていて、サッカーはやってなかっただろう。 同級生の長谷川君に「桂ちゃん、サッカーやろうよ」と誘われて、2年生からやれるし、親は運動させた かったから。2年生でサッカーをやって、3年生になった時に野球をやるか決めればいいじゃんというこ とで始めて、3年生の時点ではサッカーが好きだったということ。 自分の意志で何かをしたいというのはないんだなあ。キーパーもサッカーも(笑) ――野口さんは特に静岡だから(土地柄)ということではないんですか? 野口 いや、長谷川君に誘われたからです(笑)。サッカーに全く興味なかったし、サッカーという種目自 体知らなかった。92年に始めたので、93年に開幕したJリーグもまだ無かった。だからJリーグが始 まったからサッカーをやったということでもない。 ――長谷川君、大きな役割を演じてくれたのですね(笑) 。彼がいなかったら野口さんはここにはいなか ったということですからね。 ――吉野さんは、物心がついたころにはJリーグがあった? 吉野 僕は95年生まれなんで、Jリーグは当たり前のようにありましたね。 ――あこがれの選手は? 野口 いませんでした。今でこそ見ているけれど、当時は全然サッカー選手を知らなかった。見ておけば よかった。 ――では、好きな選手は? 野口 えー、いないです。王道のキーパーかな?オリバー・カーン、ファン・デル・サールとか、いいと は思うがこれといってこの人というのはいないです。 ――吉野さんは好きな選手は? 吉野 僕もいないですね。2~3歳上の宮崎泰右君(現Jリーガー)に追いつきたいというのはあったが。 いいキーパーがいれば盗みたいとかは思うけれど、この人だけというのはいない。 野口 強いてあげれば、川島世代、川口世代というのくらいじゃないかな。自分は川口世代だけれど、だ からといって川口が絶対好きという風にはならなかった。 ――以外とそういうものなんですかね? 野口 そういう意味でいえば、カズが好きとかそういうのはありますけど、プロフェッショナルなところ が。 ――カズが好きっていうのは選手としてですか?人間として? 野口 生き方ですかね。人間的に素晴らしい人だから、最近では指導者の目線で見ているから余計にそう であって、あの年齢であれだけ動けているなんてすごいな、って分かるんだけど。 ――カズ選手は別格ですからね。 ゴールキーパーになったわけ、それは・・・ 吉野 もともと幼稚園からサッカーをやっていて、最初はキーパーをやらされていた。なぜかと言えば、 ポッチャリ体型で走れないし蹴れない。 「おまえ、だったらキーパーやってろ」と言われて。 ――やらされていたんですね? 嫌だったけれど、 「走れないししょうがないか」と思いながらやっていたんですが、小学 3 年の時、紅白 戦で少し年上の宮崎泰右選手(現Jリーガー)から飛んできたシュートをセービングした。その時に、キ ーパーって楽しいなと思えた。 宮崎選手がアルディージャに行くと聞いて、対戦したいなという思いになり、プロになりたいな、レッズ に入って泰右選手と対戦したいなと思いキーパーを目指したのがきっかけ。 ――なるほど、たった一本のセービングが人生の方向性を決めたわけですね。 ――野口さんは? 野口 小2でサッカーを初めて、当時は対外試合が無くて、練習だけを2年間やっていた。 4年生の時に初めて試合があって、ポジションとかも全員決まっていなくて、初めてやった試合で、藤原 コーチが「好きなところでいいからやりたいところ手を上げて」と言った。 なぜか「キーパー」 、と言った時に手を上げていた。なんで手を上げたかは覚えていない。なんでキーパ ーが良かったかも覚えていない。 ――とにかく一番先に手を上げたい人だったんですね(笑) 野口 その時たまたま2人が手を上げて、ジャンケンで決めて負けたので、後半から出ることになった。 前半ぼろぼろにやられて、後半は相手にも疲れが出ていた。そこで自分がキーパーをやった後半は、たま たま0点で抑えた。もう一人の友達は入れられたからもうやりたくない。自分は守れてたから「いいよ」 と思ってそこから続けてました。 小6、中 1 の段階で身長が 165cm くらいあり大きかった。今でこそ「小柄だね」と言われるが。 。 。でも キーパーをやってて後悔はない。キーパーだからこそ、ここまでサッカーに携わっていただろうし、キー パーじゃなかったら辞めていたかなとも思う。 ――キーパーは疲れないんですか? 練習でも走らない? 野口 練習は疲れる。試合が楽で練習がきついのがキーパー。練習が楽で試合がきついのはフィールド。 対照的ですね(笑) ――キーパーは、チームでレギュラー1 人というパターンになると思うが、レギュラー争いにどういう気 持ちで臨んできたか? そして出られない時の気持ちは? 野口 出てる時期と出てない時期を経験してきた。なかでも出てない時期が大事だと思う。 出てる時に意識するのは、おまえだったら出られてて当たり前だよな、と言われるような練習(態度)を 普段からしていること。お前だったら出てるの分かるよ、と納得してもらえること。 出てない時は、出ている選手が気持ちよく望めるように意識していた。ライバルではあるが、調子の良い、 あるいは普段からやっている人間が出るのが当たり前。そこで負けてる自分がいるのに言い訳をする人間 ではいけないと思う。 ――スクール生には、たった 1 人のポジションに対してどのような気構えが大事と指導するのか? 野口 試合の結果で一喜一憂してはいけない、今出られなくても、相手を認め、その上で自分の足りない ところを一所懸命トレーニングし、未来を見据えた気持ちで取り組む姿勢が大事だと言っている。 ――ここだけではないという指導をしているということですね、なるほど。 「埼玉初」のキーパー専門スクールに。 ――また少しフィードバックして、Bande を始めた動機は? 野口 サッカースクールを 6 年くらいやっていて、26 歳で肩書はバイトしているだけのコーチだった。 そろそろ社会的にやばいよなということと、所属していたスクールの人数が減ってきていたのに打開策を 出していかなかったそのスクールに付いていけなかった。 埼玉県のゴールキーパートレセンに携わらせてもらって、その時の人たちが熱い人たちだった。キーパー をどうしよう、ああしようと考えていた。そういう熱い人たちと関わるのか、衰退していく人たちと関わ るのか?だったら、熱い人たちと関わりたいと思った。 名の知れないコーチが普通のスクールやってもたかが知れている。キーパーやっていたから、キーパース クールに特化しようと思った。 やるなら今やらないと、 「埼玉初」という称号が得られない。 「埼玉初」を名乗れるのは初の人だけ。 プロが僕の後に始めても、僕の方が初だから。 ――Bande の対象の年齢は? 野口 小中学生ですが、ゆくゆく、5 年後には高校生もやりたい。まだまだ高校も育成が上手く出来てい ないので。だったら小中高一貫でやっていきたいな、と。 ――小学生はキーパーを適当に決めて適当に練習していることが多いように思うが? 野口 そうです、適当に決めて、練習もお父さんがボールを投げて、という感じ。だからこそ、キーパー コーチというのにはニーズがあり、ニーズがあるからやる。 フィールド指導者の方のキーパーへの認知を高めていきたいと思っている。 「スクール」から「アカデミー」へ ~込められた思い~ ――今回 Bande を School から Academy に変えた理由は? 野口 大きく変えるのにはいろいろな理由があり、柱が 5 つ 6 つあるんですが、その中のひとつとして は、在籍している選手たちのスクールに対しての優先順位を高めたかったから。 それに、ここまで本気で変えようかなと思ったのも、吉野コーチが 12 月から入ってきてくれたことで、 僕自身にひとつ大きな支えができた。一人でやってきた時よりも二人で一緒にやっていくとなった時に、 この波に乗っていくべきだという思いが湧いてきた。 僕からしてみたら、この Bande にレッズに在籍していた吉野選手が来てくれている環境とか、いろんな 指導者の方が指導に来てくれているということとか、普通でないスクールになってきている思いがあるん だけれど、それがいまいち生徒たちに伝わっていないかな、と感じていました。親御さんたちにも、同じ ようにです。 スクールというイメージだと、ただの習い事の延長線上みたいになっているんじゃないか?というところ から、もっと特化してやっていく。本気でそこ(プロ)になりたいから学んでいるんだよ、と。 それこそフィギアスケートって、やるからにはプロだよって直結しているじゃないですか。趣味でやって いるんじゃなくて、本気でやっているという、あれぐらいの勢いでやっていかないと変わらないな、と。 こちらだけが熱くなっていて温度差が出てきちゃったら意味がないし。そういう意味でもスイッチを変え たかった。外側から名前を変えることで気持ちが変わるんだったら、と思ったからですね。 他とは違う何かを求めて. . . 野口 あと、Jリーグとかでも最近ゴールキーパースクールができたりとか、グローブのメーカーさんと かがタイアップしてキーパースクールができたりとかしている中で、これからそういうものがどんどん立 ち上がってくると思われるわけです。 普通のところはサッカースクールから「キーパークラス」ができたという枝分かれのしかたになると思う が、ここはそうではなくて、キーパー専門のスクールだという軸がぶれていないというところ、 「他とは 違うよ」という風にしたかったですね。 あとは Bande に色を付けたかったというか、これからいろんなスクールが出てくる中で、例えばキー パーグローブのメーカーがやっているキーパースクールとか、元プロが指導、と言ったら説得力がある でしょ。自分には何があるのかと考えたわけです。 「サッカーだけ」 、という悲劇にはしたくないから。 野口 この Bande では、選手の将来を見据えた進路を斡旋したりとかいう、人格形成のステップアップ の場として大きなものにしたい。ただサッカーを学ぶのではなく、です。 サッカーだけやっててサッカーだけしか知らないとなった時に怖いのは、あるテレビの特集でやっていた んですが、20 歳の子がプロ 2 年目で戦力外となり、トライアウトで受からなかった時、じゃあ何をやる の?となった時に、 「サッカー以外に何もやったことがない、自分に何が向いているかがわからないから 不安」こう言ってたんです。 一般的なことができないという悲劇。こういう子を育てたらいけないと思う。サッカーを上手くするため には人間的にできていないと、そういうところが上手くいかない。だからそういうところを高められる Bande にしたかった。 Bande が原点と言われるような、価値のある場所に。 野口 振り返った時に、俺は Bande にいたからいろんな経験ができたとか、Bande で人間ってつながり が大事だとか、仲間ってこういうことなんだなということが解ったな、とか。何年先でもいいから振り返 った時が Bande だったという場所でありたい。 そして親御さんに対して、何かここからそういう恩返しをしたいな。あそこに行かせていたことに価値が あったなって思ってもらえる場所でありたい。 スキルだけじゃない、育てたいのは人間力。 野口 スキルだけ教えるなんてぶっちゃけた話、誰でもできると思う。キーパーというポジションは人間 ができていないと。 人に指示して、人を奮起させたりたくさんコーチングするポジションですから、私生活はダラけてる、時 間にルーズ、人にもルーズ、お金にもルーズ、約束も守らないという人間が、ピッチに出た時だけしゃべ ったって何の説得力もない。 ピッチに出てる時の声掛けが、あいつに言われたらしょうがない、やるしかないよな、と思えるような人 間でないと。キーパーってそういうポジションだと思う。 例えば、FWなら一匹狼で、 「オレが!」というのでもいいのかも知れないけれど、キーパーは調和させ ていかなければならないポジションで、それこそリーダーシップが求められるポジションだと思う。サッ カーだけじゃない部分が実は一番大事なのかな。 試合の中で、 「お前何やってんだー」みたいなことを言わなきゃならない時もあるが、そこに信頼関係が 無ければただの悪口になってしまうけれど、ちゃんとコミュニケーションがとれている仲のいい奴に、ピ ッチの中だけは同じように厳しいことを言われても、 「悪かった」と修正して、ピッチを出た時にはノー サイドで笑って過ごせるというふうに、信頼関係があるからできる。 そこを育てるためにはまずコミュニケーション能力だったり人間を育てないと。 人生の塾でありたいですね。 野口 これからの時代は、頭がいい(=勉強ができる)人間じゃなくて、賢い(人間力のある)人間にな らないと。 頭がいいからいいのかというと、今の世の中、すべてが優秀な大学を出た人で回しているのかというとそ うではないですよね。 一般のことも知らなきゃいけないし、人の心も知らなきゃいけないし、賢い人間じゃなきゃいけないのか なあ、と。 自分の経験からもそうですけど、学業だけではなく人間関係というのがあって、ご縁を頂いて、今の立場 があるから。ただ頭だけよくてもどうなんだろうって。 教師もそうですよね。この人が人間的にできているから憧れるとか、言っていることが合っていたとして も、人間が嫌いだったら嫌いで終わってしまう。 そういうことを考えさせたい。考えられる選手を育てたい。 今の子たちは考えることが少ない、だから考える時間が必要だと思う。 ――他のスクールで座学をやっているところは聞いたことがないんですが、なぜ、敢えて座学をやってい るんですか? 野口 最近の子たちは練習し過ぎ。時間も長いし、9 時-17 時は普通だし、平日もやり過ぎじゃないか? 週 4 日とか普通にやっている。僕たちの時代は土日のみだった。数をこなしても浅い内容で週 4 回だっ たら彼らの時間を潰しているだけ。それってどうなの?と思う。 やっぱり座学をやろうと思ったのも、体は使っているけれど頭を使っている時間が無い。 「ああじゃない、 こうじゃない」と現場で言われててもなぜそうなのかがわかっていない。 特にキーパーは「前でろよ!」などと指示した内容について、アフターフォローしてくれる人がいない。 なんで、ああで、こうで、こうだったのか、ということを、ホワイトボードを使って一回頭で冷静に考え ようよ、理解しようよ、理解できれば自分がプレーした時に考えられるよね、ということ。 ミスした時にも何であのミスをしたのか、ああだったから駄目だったんだと自分の中で解決できる、考え る力を付けたかった。 常にワクワクしてほしいから。 野口 卒業していった子のお母さんも、 「座学がすごく役に立ったというのを本人が言ってますよ」と言 ってくれた。 コーチが思いをしゃべるから、ただの練習と違う。吉野コーチにもレッズにいた現役の時代にもしゃべっ てもらっていた。熱いものが必ず伝わると思ったから。 子どもたちを常にワクワクさせていたい。ずっといい意味で吉野コーチをモチーフにさせてもらってきて、 ほら、ユースに上がったんだよすごいだろ、国体選ばれたんだよ、プロに登録されたんだよ、プロと一緒 にやってんだよ、そのやってる人から教わってんだよ、とか。 Bande だったらいいよ、といわれるブランドに 。 。 。 ――将来的にはどういう方向性を考えているのですか? クラブチームの創設とか? 野口 いや、あくまでもキーパー専門ですね。1~2 年後のことを言えば、今住んでいる川越市にはキー パーコーチがいない。 うちのとこに来ると、所属チームと練習日がかぶっているから行けないんですということじゃなくて、所 属チームの監督が、Bande だったらいいよと言ってくれる、まずそこを目指しています。 「あ、あそこのキーパー専門のスクールだね。行きたいんだったらいいよ。 」と言ってくれるのを目指し ていて、3 年後には、うちに入っていることが一つのステータスになるくらい、 「お前 Bande に入れてる の?」と言われるくらい。 その先、逆にキーパー界から見た時に、Bande に入っとかないとキーパーとして遅れちゃうよ。キーパ ーやるんだったらあそこでしょ。川越の中では「あそこで習うよね」のようなキーパーの登竜門的なポジ ションを目指したい。 ゆくゆくは対戦相手が Bande 出身者なら. . . 野口 今もなりつつあるんですが、チームで対戦する時に、Bande の選手同士が試合でお互いのチーム で対戦したり、声を掛け合ったりという状況があって、子どもたちはそれが楽しいらしい。 親御さんからも、 「子どもが他チームの子から声をかけられてすごくうれしくて言ってきたんです。こう やって繋がれているって Bande ならではですね」と言われました。 小学校でそれができていて、中学校に行っても近隣だから大会で同じような状況が起き、その子たちが高 校に行ったら、更に地域の範囲が広がって対戦した時に、お前もそうか、お前もか、となってくると嬉し いですね。ベスト 8 とかになった時に、対戦相手同士で出身が Bande でした、となれば最高ですね。 そうなって初めて、僕たちのやってきたことが認められるのかなと思います。もちろん最終目標がプロと いうのはブレることなく、です。 うちが老舗みたいになりたい。他にもできてくるでしょうから。 Bande はどんなアカデミー? ――どんな人にこのアカデミーに入って欲しいのでしょうか? 野口 僕はこれからもこのアカデミーを、技術だけではなく、人間としての付加価値を身に付けられるよ うな場所にしていきたいと思っています。 Bande というチームに関わることが、子どもにとってベストだと感じていただける方に是非来ていただ きたいです。 それが、僕が常々選手たちに伝えている、人間性やマナーの部分だと思うんですよね。 ――もう一度聞きますが、このアカデミーはどんなアカデミーですか? 長い子だと、以前勤めていたスクール時代から含めて、年中から中2まで7年育てている子がいる。 息子の悩み事などは、学校の先生よりも先に相談してくれたりしていて、彼らの人生に踏み込めているな と感じています。もちろんサッカーだけでなく、プライベートなことも話してくれる。そしてそういう相 談にも対応しているからこそ、ファミリー的な付き合いができるアカデミーだと思います。その部分を継 続するためにも、人数は僕の思いが伝わる人数でやっていきたい。 ――親にできない教育こそコーチができるのでしょうね。実感します。 大人がもっと楽しまなきゃ。 ――練習でゲームをやる時の野口さんは子ども相手に本気でやるそうだ。 小学生だからと手を抜くことはしない。普通はゴール前で子どもに渡して決めさせるというパターンが多 いと思うが、野口コーチはゴールまで決めてしまって、しかも大喜び。 コーチ自らが楽しさを感じて表現するから、子どもはそれに追いつこうと目線が上がる。コーチが本気の スクールで、親御さんも見ていて面白いと感じてくれているのが分かる。 問題意識(サッカー界の問題は社会の問題) 野口 グランドが取れないのが問題。現状、高校とかフットサル場を借りてやっている。2020 年にオリ ンピックが決まって、それに向けてのことを言うが、実際育成するための場がない。 利益を出している団体には貸出できないといわれては、文化が広がるわけもない。 ボランティアの限界 野口 何で日本には良い指導者が育たないかというと、プロでやっていける道がないから。そんな国が世 界を取れるはずがない。 もちろんすべてのボランティアスタッフの方というわけではなく、実際にある一部のボランティアスタッ フの方になると思うのですが、 「やってやっている」感のボランティアスタッフのレベルでは、そのボラ ンティアレベルでの選手しか育たないと思います。そういう指導者から指導を受けた子どもはかわいそう でたまらない。 そんな指導では、子ども達のサッカー人生という未来を潰してしまうことになるのではないだろうか。 。 。 ★ライターの所感★ これからの時代は、心の時代であり、人間力の時代であると思う。 野口さんの、 「キーパーとは、人間力そのもの」という言葉の通り、キーパー専門のアカデミーでありな がら、 「人間力創造塾」とでも名付けたくなる、熱いアカデミ―である。このアカデミーは、小学生のチ ームによくありがちな練習がダラダラとか、大人が怒ってばかりいるという、今の少年世代の「育成の歪 み」の受け皿にもなっていくと思う。そして、こんなコーチ陣に教わることのできる子どもたちは本当に 幸せだ。 この Bande から代表キーパーを輩出する日もそう遠くはないだろう。 そういう意味でも、今後の動向には目が離せない。 Bande GK Academy 専属ライター 磯部敦史
© Copyright 2024 ExpyDoc