Title FDについて : 平成25年度首都大学東京FDセミナ ー報告 Author(s

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FDについて : 平成25年度首都大学東京FDセミナ
ー報告
杉野, 昭博
人文学報. 社会福祉学(30): 83-94
2014-03-20
http://hdl.handle.net/10748/6537
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Departmental Bulletin Paper
publisher
http://www.tmu.ac.jp/
首都大学東京 機関リポジトリ
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資料
FDについて
――平成 25 年度首都大学東京FDセミナー報告――
杉野昭博
1.平成 25 年度首都大学東京FDセミナー
平成 25 年度首都大学東京FDセミナーは、2013 年 11 月 6 日に南大沢キャン
パスで開催された。当日のプログラムは以下のとおりである。
テーマ「授業の理解を深めるアクティブ・ラーニングの導入」
【司会】金子 新 (FD委員会委員・システムデザイン学部准教授)
13:30 開会挨拶 首都大学東京 副学長
13:40 趣旨説明
江原 由美子
山下 英明(首都大学東京 大学教育センター長・FD委員
会委員長)
14:00 基調講演
「授業時間内外での能動的学習をいかに支援するか 」
-能動的・主体的な学習を作り出すための理論と実践 -
講師:杉原 真晃 氏(山形大学 基盤教育院 准教授)
15:20 事例紹介とパネルディスカッション
「知識伝達型の授業におけるアクティブ・ラーニング実践」
【パネラー】
杉野 昭博(都市教養学部人文・社会系 教授)
渡辺 隆裕(都市教養学部経営学系 教授)
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林 文男(都市教養学部理工学系 准教授)
櫻井 毅司(システムデザイン学部航空宇宙システム工学コース 准教授)
大谷 浩樹(健康福祉学部放射線学科 准教授)
16:50 閉会挨拶 首都大学東京 学長
原島 文雄
首都大学東京 FD 委員会の HP によれば、第 1 回 FD セミナーは平成 21 年度
に「シラバス」をテーマに開催されている。その後、「単位制度の実質化」「学
生の自発的学習の促進」
「本学基礎・教養教育の課題と今後の方向性―教育検討
プロジェクトチームでの検討内容」
「大学らしい知にこだわったアクティブ・ラ
ーニング」
「学生の自主的学習を促す授業デザイン~DP・CPで明示した学習
成果を身につけるために~」といったテーマが順次取り上げられている。実習
や演習やゼミなど、小規模の双方向性授業におけるアクティブ・ラーニングの
実践例は、これらの過去のセミナーでも取り上げられているので、今年度は「知
識伝達型の授業でのアクティブ・ラーニングの実践例」を各教員が紹介するこ
とになり、人文・社会系からは社会福祉分野の FD 委員である杉野が実践事例
の報告をおこなった。
2.趣旨説明と基調講演と事例紹介の内容
当日のプログラムでは、学長による開会あいさつの後、山下英明大学教育セ
ンター長より、本学の DP(ディプロマ・ポリシー)に続いて、2008 年の中教
審による「学士力」答申と、2012 年の「質的転換」答申の概要が説明され、
「教
育の質的転換に向けた対策案」として下記の 5 点が示された。
(1)学習成果の周知
(2)学習成果習得のための授業の再設計
(3)厳正な成績評価とその提供
(4)シラバスの充実
(5)授業補助体制の強化
そして上記対策案のうち(2)学習成果習得のための授業の再設計は、
「知識伝
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達型の授業」と「課題解決型の授業」による役割分担によって達成されなけれ
ばならないことが確認され、今回のFDセミナーでは前者の「知識伝達型の授
業」において、
「授業時間内外での能動的学習」をいかに導入するかという点で
の基調講演と、
「知識伝達型授業でアクティブ・ラーニングを導入している実践
例」という 2 点を取り上げていることが述べられ、首都大学東京におけるFD
活動全体のなかで今回のFDセミナーの位置づけが示された。
以上の「趣旨説明」に続いて、山形大学准教授の杉原 真晃 氏による基調講
演「授業時間内外での能動的学習をいかに支援するか -能動的・主体的な学習
を作り出すための理論と実践-」がおこなわれた。杉原氏は、幼稚園教諭とし
ての実践経験などをまじえながら、能動的学習を導入する上で、診断評価(当
初評価)、形成評価(授業期間中における評価と修正)、総括評価(学習達成評
価)といった一連の診断評価が必要であることを強調した。こうした評価を通
じて、能動的学習が導入できない、導入できても学習が深まらないといった問
題点を発見し、その要因を学生の知識的要因、技能的要因、情意的要因の3つ
に分けて分析して、対応策を見つける作業の具体例が示された。
続いて、情意的要因により能動的学習が進まないケース、つまり、学生がな
かなかやる気を見せない場合の要因について、2004 年度後期と 2005 年度前期
における熊本大学の「授業改善のための学生アンケート」結果をもとに、教員
の授業技術に関する問題が多く指摘されていること、深刻な問題として「教員
のやる気」や「授業態度」における問題を紹介し、
「好評な授業への意見」とし
て、学生の質問やコメントに丁寧に答えたり、学生とのコミュニケーションが
強く意識されている例や、レジュメや視聴覚教材に工夫が見られることや、
「私
語を注意する」ことがあげられた。
その後、学生の学習意欲を高める授業の工夫の手掛かりとして Keller の「A
RCS」モデルが提示された。A(Attention)は、授業における注意喚起で、
図やスライドなどの知覚的要素や、学生の関心を引くトピックなどを意図的に
授業に組み込むような探究心の要素と、説明方法に工夫をするといった授業技
術面の要素である。R(Relevance)は、授業内容の関連づけであり、授業での
学習が何に役立つかといった目的志向の関連づけのほか、学生の興味や動機と
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の関連づけ、学生の身近な場面との関連づけなどがある。C(Confidence)は、
成績評価方法や基準を明示し、学生に成功機会を与え、学生自身が学習の達成
方法や機会を選択できるようにすることである。最後のS(Satisfaction)は、
学習達成内容を学生が自分で確認したり、他者から承認される機会を与えるこ
とであり、また、日常の授業と成績評価の一貫性を維持することによって公平
感をもたせることも重要である。学生の能動的学習が引き出せていない授業は、
以上のARCSモデルに照らして、どこかにその原因が見つかるはずだという。
要約すると、基調講演は以上のような内容だった。
基調講演に続いて「知識伝達型の授業におけるアクティブ・ラーニング実践」
の事例紹介に移り、最初に杉野が「障害福祉論」の講義について紹介した。こ
の講義は、社会福祉士養成課程における指定科目であるため、養成課程全体に
おいて個々の指定科目は密接に関連づけられていること、3 年次の実習に向け
た準備学習という側面もあり「障害者支援の基本姿勢」を身につけさせること
が外部の実習機関からも要求されていること、他の指定科目や実習や演習とい
った授業と有機的に連携していること、さらに授業外の福祉関係のボランティ
アやアルバイトとも関連していることを述べた。その上で、杉野個人として留
意していることは、まず学生に「障害に関心をもたせること」であり、一般学
生への障害問題のアンケート結果を紹介したり、スポーツ障害を取り上げたり、
少しでも障害を身近に感じてもらう工夫をする一方で、障害アスリートの一般
試合参加問題や、障害者の結婚や出産や、選択的妊娠中絶など論争的な話題を
とりあげるようにしていることを述べた。
次に経営系の渡辺隆裕教授が、大講義室の講義で、ゲーム理論を用いた問題
演習授業の実践例を紹介し、理工学系の林文雄准教授は生態学の講義における
ノート提出による成績評価の実践例を紹介した。その後、システムデザイン学
部の櫻井毅司准教授が、湯浅三郎客員教授の講義と自作ロケットの打ち上げ実
験授業を紹介し、自作ロケットの打ち上げに至るまでの「ロケットの歴史」や
「ロケットエンジンのしくみ」などの講義にも湯浅教授の長年の教育経験に基
づく授業の魅力があることを櫻井准教授は伝えた。最後に、健康福祉学部放射
線学科の大谷浩樹准教授は、国家試験で要求される知識に加えて、放射線を学
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問的にとらえる授業を心がけていて、
「見えない放射線」を教室で可視化する授
業の工夫について紹介した。
実践事例報告に続いて、システムデザイン学部の金子新准教授の司会で、会
場からの質問に講師が答えたり、パネラーが答えるかたちでディスカッション
が進められた。ディスカッションは、どのように授業をしたらよいのかという
新人大学教員の悩みに対して、大学組織としていかに応えることができるのか
といった話題が中心になった。こうしたセミナーや、実践事例集や、ガイドブ
ックや、高等教育技術の研究者による講義録などは大いに参考になるだろう。
しかし、自分のことを考えてみると、私たちが大学教員になった時代は、そう
した授業の工夫のガイドや実践事例集など存在しなかったし、FDという概念
すらなかった。そうしたなかで私自身はどのようにして授業技術を身に着けて
きたのか、おのずと振り返る機会になったのが、今回のFDセミナーの個人的
経験だった。
3.私のFD履歴
私は 1982 年から 1988 年まで 6 年間高校教員の経験がある。最初の 5 年間は
1 クラス定員が 10 名の盲学校高等部という特殊な環境で授業をしていたので、
集団指導や教科指導の技術は心もとないものだった。ただ、盲学校の保健理療
科という比較的「古風な」教育現場で「教師稼業」の第一歩を踏み出した経験
は私にとっては貴重なものだった。盲学校の保健理療科というのは、あんま指
圧マッサージと鍼灸の授業をおこない、その国家資格試験合格をめざすととも
に、高等学校卒業資格を取得する職業高校の教育課程に準じる課程である。し
たがって、教員は理療科教員と普通科教員が半分ずつで、私は社会科担当の普
通科教員として勤務していた。理療科教員にはベテランが多く、なかには助手
から助教諭を経て教諭になるという「たたき上げ」の教員もおり、大学で教職
課程を履修して教員免許を取得して教員採用試験を受けるという一般的なルー
トしか知らなかった私にはとても興味深い世界だった。
そうした職場で新任教員として最初に戸惑ったことは、生徒との接し方、生
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徒指導の悩みだった。とくに、生徒の半数が中途失明の社会人学生であり、私
よりも年上の生徒がほとんどのなか、どのように生徒の前に立っていいのかわ
からなかった。彼らを「生徒」と呼ぶこと自体に違和感があった。自分の親と
同じような年齢の人に対して「教師」として立つのは、私にとってはなかなか
きつい経験だった。何がきついのか当時はわからなかったが、今思えば、
「大人
の人生を引き受ける覚悟」や、そういう「責任」を負うことが嫌だったのだと
思う。しかし、
「彼ら」に信頼してもらうためには、「あなたの人生引き受けま
す」というような覚悟が必要な気がしていた。
実はそれは大きな勘違いで、「そこそこ親切」で「そこそこ公平」な教師を
彼らは期待していただけだし、それは盲学校や社会人生徒に限らず、普通学校
でも、大学でも、およそ教師たる者すべてにあてはまる要件だと思う。しかし
当時の私は「そこそこ親切でそこそこ公平」というポジションをなかなか見い
だせず、
「覚悟と責任」に押しつぶされそうな日々を送っていた。ただ、今にな
って思うことは、おそらく多くの教員が、
「覚悟と責任」のような重圧に悩まさ
れる経験を通じてしか、
「そこそこ親切でそこそこ公平な教師」という定常状態
には至れないのではないかと思う。初等教育や中等教育の教員には、やはり「逃
れられない責任」というものがついてまわるし、その部分への感受性が欠けて
いると職業人生のなかで大きくつまづくこともあるような気がする。
教壇に立つ上でのこうした「覚悟と責任」は高等教育の教員にも実は同様に
求められていると思う。ただ、それが目には見えにくいだけにやっかいなのだ
と思う。最近は少し違ってきているが、私の世代の大学教員には「研究者」と
してのアイデンティテイはあっても「教育者」というアイデンティテイはない
ことが多いと思う。とくに 1960 年代後半から 70 年代前半くらいに大学で過ご
した世代にとっては、
「教育者」という言葉自体がどこかいかがわしく感じられ
たりもするし、どちらかと言えばなりたくない対象だろう。そういう世代に属
する自分にとって、盲学校で「覚悟と責任」の踏み絵を経験できたことは、そ
の後、セクハラやアカハラといった問題もなく大学教員人生を順調に歩んでこ
れた理由かもしれない。教壇のこっち側に立つ者と向う側に立つ者は、けっし
て「同じ人間」ではないし、平等でも対等でもないということは、誰に教わる
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わけでもなく、現場で生き残るために自然に身に着いた「保身術」である。た
だ、それがすべての教員にあてはまるものだとは思わない。私の場合はそうだ
ったということである。
授業の工夫についても高校教員の頃に意識はしたが、あまりうまくいったと
いう記憶はない。今思えば、一番大切なのは「授業がうまくなりたい」と願う
気持ちだと思う。普通科目の高校教員は、少なくとも若い時は誰もが「授業が
うまくなりたい」と考えているし、表面的な技術(声が大きい、板書がきれい
など)よりも、
「教え方(説明の仕方)のうまさ」を追求したい欲求が強いし、
結局それは教科に関する確かな知識に裏打ちされたものだとすぐに気づくと思
う。また教育委員会なども、教科ごとに研修などを開いて「うまい授業」を見
せつけてくれたりするので、教材の精選や、提示の順序などに気をつかう習慣
は自然と身についたのだと思う。未だに、授業中に配布する図表の印刷の鮮明
さや、レジュメの順序にしつこくこだわっている自分がいる。このあたりは、
もって生まれた性格なのかもしれないが、高校教師のころの習慣で強化された
のかもしれない。
しかし、授業の工夫の具体的方法は、教科によっても異なるし、教員一人ひ
とりの個性によっても異なってくる。数学などでは、やはり問題演習形式の授
業が基本になるだろうし、問題演習形式での生徒との応答などが得意なタイプ
の教員もいれば、なかなかそれが似合わないタイプの人もいるだろう。私は教
員それぞれが自分に合った方法を見つければよいのだと思う。その時、役に立
つのは、他の教師はどうやって教えているかといった情報だし、それは現在の
ように「実践事例集」などなくても、同僚にたずねたりすればもっとよくわか
るはずだ。結局、教員の授業の工夫を支えるのは動機、つまり「うまく教えた
い」という願望につきると思う。動機がなければ、どのような事例集や情報が
あってもけっして活用されることはないだろう。
それでは「うまく教えたい」という動機はどこから来るのだろうか。それは
結局のところ自分が教える教科に対する「愛着」だと思う。高校教員として私
が挫折した理由は「教科への愛情」が欠けていたからだと思っている。高校の
社会科教員室は、ほぼ、日本史教員と世界史教員の二派に分かれる。私は世界
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史に魅力を感じており世界史授業を担当していたのだが、私が世界史に目覚め
たのは教員になってからであり、それまで高校や大学で世界史の勉強に没頭し
たことがなかった。一方、社会科教員の大半は若いころからの「歴史マニア」
である。教師になってから「教えるなら世界史が面白そうだ」という程度の関
心では、高校や大学で歴史を愛した人たちと同じ土俵に立つことは難しかった。
その時私が思ったのは、結局のところ、他人にものごとを教える自信の根幹と
なるのは、
「教えるものごと」に対する教師自身の愛着の強さであるということ
である。
社会福祉学が好きだから、社会福祉学を自信をもって教えられるのであり、
たとえ社会福祉学者としての研究業績は世界レベルでなかったとしても、社会
福祉学を愛する気持ちはリチャード・ティトマスにも負けないと私は思ってい
る。だからこそ、この学問の魅力を少しでも多くの人に伝えたいと思うし、授
業もうまくなりたいと考えるのである。学問の徒として学問に仕えることの使
命と喜びはそこにある。新人の大学教員の人たちは、自らよって立つ学問分野
(ディシプリン)を将来リードする可能性をもっているし、またそうした志を
ぜひもっていただきたい。しかし、誰もがディシプリンのトップリーダーにな
れるわけではない。1 人のトップを作るために 100 人の研究者が競い合ってい
ると言ってよいだろう。しかし、トップになれなかった 99 人にこそ、その学問
の命運がかかっていると言ってよいだろう。平凡な研究者 99 人が、その学問に
対する愛情を保持できなければ、結局その学問は滅んでいくからである。
少子高齢化による後継者不足という問題は、中小企業や町工場だけの話では
ない。学問の世界も同様である。学生のレベルの低下を嘆いている暇などない
はずだ。学生をあまり大事にし過ぎてスポイルしないように気をつけないとい
けないが、
「このご時世に、よくぞこの学問を選んでくれました、後継者ができ
てありがたい」という気持ちが私のホンネである。
4.
「私語」対策について
以上のように、どのような大学教員も、自分の学問に対する愛情があれば、
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それぞれの個性に合わせて、さまざまな情報から自らの授業を工夫するだろう
し、それなりの成果を得られると思う。また、たとえ多数の学生による評価が
低い授業であっても、少数の学生にとっては「かけがえのない授業」というの
もある。以前同僚だった私の先輩教員は、毎週授業に 30 分ほど遅れてふらっと
あらわれて、レジュメや板書も一切なく、授業計画もなく、ただ、ひたすら雑
談をして終わるという講義を定年退職まで続けていた。学生の評価も悪く、同
僚教員からの評判も悪かった。いわゆる「やる気が感じられない教員」に属す
ると思う。しかし、彼の講義を楽しみにしている学生が 10 名程度はつねに存在
した。1 学年 800 人以上のマンモス私大で 10 人の学生を相手にどんなによい授
業をしたところで、効用は皆無に等しいかもしれない。しかし、彼の講義を愛
していた学生は私に「A 先生の授業で自分は本当に救われたんです」と何度も
語ってくれた。
「何の準備もない授業」というのは教育技術的には評価の対象にもなりえな
い授業だろう。しかし、彼がおこなっていたのは、公開思考実験のようなもの
で、学術的思考が自分の脳内で発生する過程を学生たちにシンクロさせようと
いう試みだったと私は思っている。そのような授業方法は私にはとてもできな
いが、自分の学生時代を考えると、そんな授業をしている教授が何人かいたよ
うに思う。その意味では彼の「講義」は、文系大学における古典的授業技能の
一つであるし、そのような技能を継承する教員がいなくなるということは、少
なくとも一つの文化遺産が消滅することであり残念でもある。現在進められて
いる FD 基準による授業改善の視点は、大半の教員にとって参考になるものだ
が、学問の世界においては、そうした基準で推し量れない「規格外の授業」と
いうものもあり、それらの授業の保存継承ということも無形文化財と同様に考
えていくべきだと思う。
ところで「無計画な授業」をしていた A 先生も学生の「私語」に対しては、
厳しく注意していたそうだ。私は、FD としてすべての教員が最低限守らなけ
ればならない基準は、
「授業中の私語を許さない」ということだと思う。私語さ
えなければ、授業の進め方は一人ひとりの教員が多様な工夫をすればよい。私
語対策は、個々の教員が工夫してもどうにもならないものであり、大学として
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組織的に取り組む必要がある。私はこれまで X と Y という二つの私立大学の似
たような学部で勤務した経験がある。両大学でも私語には悩まされたが、X 大
学の同僚に相談したところ「授業中しゃべってる奴がいたら、教壇から黙って
指さしてると気づいておとなしくなる」と言われ、私もそのようにして対応し
ていた。ところが Y 大学に来て同じように指さすと、私語をしていた女子学生
に逆に睨み返されてしまったのである。この「指さし指導」は X 大学では効果
的だが、Y 大学では無効だった。その理由は検証したわけではないが、
「Y 大学
は私語を一切注意しない大学」と呼ばれていることが関係していると思う。私
語の禁止は、授業中の飲食や喫煙の禁止と同様の「マナー指導」に属する問題
であり、大学全体で指導を徹底しないと効果はない。半数の教員が私語を野放
しにすれば、学生は指導に従わなくなる。
本学では、小規模講義が多く、私語指導をする必要を感じないのは実にあり
がたいことである。しかし、100 名以上の大教室で完全に私語を抑制できるの
か本学においても私は不安である。なぜなら、私語の管理は教室環境と密接に
関係するからである。50 名程度の教室であれば、充分に私語はおさえることが
できるだろう。しかし、100 名以上の規模の教室になると難しい。また、教室
の形状とも関係する。100 名以上の教室でも教壇から最後列までが 10 列程度で
あれば比較的管理しやすいが、細長い教室だと 80 名程度の教室でも教壇から一
番遠い場所での私語は抑制できなくなる。履修者数が 300 名くらいで、実際に
授業に出席する学生が 200 名を超えるような場合は、私語があちこちで始まる
と、注意するのも「もぐらたたき」状態になり授業が進行できなくなる。また
大教室では、私のように視力や聴力が落ちてくると、
「声はすれども姿は見えず」
で、私語があることに気づいても誰が話しているのか見つからないとか、私語
そのものに気づかないといった事態も出てくる。
私語の管理は、教員の努力だけでなく、教室環境といった物理的条件とも
密接に結びついている。また、そうした大規模授業を成立させてしまう「必
修」や「選択必修」といった教育課程とも関連がある。さらに、そうした「必
修科目」は、卒業要件との関係から、教員側もそうそう厳しく成績評価がで
きないということを学生も理解しているので受講態度に緊張感を欠くし、出
FD について
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欠によって成績評価をするので動機の低い学生が出席して私語をするといっ
た事態になる。
以上は、私が私大教員として 20 年あまり「私語とのいたちごっこ」を経験し
たことから得た認識である。本学に赴任したことで、おかげさまで「いたちご
っこ」から解放されたが、60 歳以上の教員が 200 名規模の教室で私語を注意す
るのは体力的にも難しい。私語を発生させないようなカリキュラムと教室環境
を整えた上で、個々の教員が自らの教科に愛情をもって授業をすれば私語は管
理できると思う。
最後に、若い教員にとっての私語管理の難しさについても触れておく必要が
あるだろう。私自身、学生の私語を注意できるようになったのは、大学教員に
なって 10 年近くたってからだと思う。30 代のころは、まだ私語が少なかった
こともあったが、「大学生相手に私語の注意をするなんて」という気持ちから、
なかなか注意できない時期があった。私語を注意しないことについては、当時
の私のなかでは、10 個以上の色々な理由があったと思うが、今から振り返れば、
つまるところは「そんなことは大学教員としての私の仕事ではない」というプ
ライドのせいだったような気がする。若い人が「大学で教えることは高校生に
教えるのとは違うのだ」というプライドをもつことも必要だとは思う。
しかし、
40 歳を過ぎてもそういう意識でいるとしたら、
「ちょっとイタい」気もする。
「私
語をしている学生」というのが「現実」なのであり、
「理想の講義」をめざすに
しても「現実」から出発すべきだろう。私は、45 歳くらいで「現実」に向き合
えたので、「イタ」くなる手前の「ちょっとイタい」くらいですんだと思う。
5.FD とは何か
大学における授業改善という意味で FD(ファカルティ・ディベロップメン
ト)という用語が新聞等で用いられ始めたのは 1998 年のようだ。(朝日新聞デ
ータベース「聞蔵」によると 1998 年 7 月 20 日の朝刊の「授業改善 教師にば
らつき
大學・提言の行方:3」という記事が最初である。)それから 15 年が
たち、今や大学業界で DP、CP、AP、FD という略号の意味を知らない者はい
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ないだろう。しかし、私が大学教員になった 1992 年にはどれも知られていなか
った。
私はイギリスに留学するまで faculty というのは「学部」という意味だと思っ
ていた。ところが実際に留学してみると、学部という意味では、department か
school が使われることが多く、faculty と言えばその学部の教授を意味するのだ
ということを知った。しかし professors と言わずに faculty という集合名詞で呼
ぶのは、faculty がたんなる professors の集まりではなく、一体としての教員組
織であることを意味しているのだろう。
そもそも近代的な学校教育は組織的教育を前提としているはずだ。つまり大
学に限らず、近代的な学校教育とはもともとチーム・ティーチングによって行
われている。その意味では、教員一人の影響力など微々たるものであり、週に
1 回の自分の講義が学生に与える影響は、学生が 1 週間に受講する 12 コマほど
の授業のうちの1つ、つまり 12 分の 1 に過ぎない。それにもかかわらず、「若
者を育てたい」とか、
「若者の未来に影響を与えたい」とか、大学教育における
「教授の影響」を過大視しがちな大学教員に時々出会う。しかし、週に 1 回、4
年に一度しか習わない専門の先生よりも、毎週 2 回、1 年次と 2 年次と 2 年間
続けて習う語学の先生の方が、学生に対する影響力が圧倒的に強いこともある。
個人プレーでは、けっして大学教育の目標を達成することはできない。私た
ちは、専門科目と基礎教育科目のカリキュラムの総体に基づいて、ファカルテ
ィ・メンバーだけでなく多くの非常勤教員も含めて全体として教育に当たって
いるのであり、そうした教育機能全体の中で個々の教員が果たしている役割を
考える機会になるのであれば、FD という概念が日本に上陸した意義があると
思う。そういう意味では、たとえば教育能力によって個々の教員を評価するこ
とは、ファカルティが一体となって研究教育能力を高めていくという FD の目
標とは必ずしも合致しないということにも留意すべきだろう。10 名の教員組織
の中で、1 人や 2 人、人気教授がいたとしても、残りの 8 人に意欲がなければ
意味がない。10 名の研究教育能力の総和こそが「ファカルティ」であり、それ
が学生の力を養うのだということを忘れるべきではないだろう。