東九州支部 報 第 社 団法 人 日本 山岳会 57号 東九州 支部 2012年 4月 25日 発行 定期総会 1.平 成 24年 度 (2012年 4月 14日 ) 5.ベ ン リレー 総会報告 ・…………………・…………………・ 飯 田 「ペ ン リレー」通 して 勝之 通子 12 『正 しい事 とは ??』 ・……………… 安東 桂 三 12 考 えさせ られた こ と………… 荒金 2.月 例 山行報告 一 月 の 山行 …・……………………… 佐藤 壮吾 5 二 月 の 山行 ……… 児 玉 壮吾 6 章良 佐藤 7.イ ン フ ォメ ー シ ヨン 3.三 角点 と山城探訪 シ リーズ 第 2回 三等 三 角点 冠 山、星河城、王子 山城、岩瀬砦 14 可人 9 蒲江森崎 の稜線歩 き……………… 飯 田 勝之 10 ・… …………………・……………… 。安部 6.よ り安全な登山のために No.4 4.無 名山ガイ ドブック NO.48 2012年 4月 25日 発行 りな どが報告 された。 また、会計決算報告 に関 しては、 1日 平成 24年 度■‐ 議会報告 当初予算 で は 昨年度 までの編成 を行 っていた もの を、 24年 度か らの公益社 団法 人 に 向 けた編 成 に組 み 替 え ての決算 となった ことな どが 説明 されて、全 ての報告 が承認 された。 続 い て、 平成 24年 度 の 事業計画案 と予算 案が提案 され、原案通 りに承認 された。事業計画で は、何 とい っ て も公益事業 の取 り組 みが課題 で あ り、 い くつ かの新 規事業 の提案があ り、具体化 につい て は役員会 にゆだ ねた上で原案通 りに決定 を見 た。 また、予算案では正 式 な公益法人 として、本部 に報告義務 の ある部分 を特 別会計 として分離 した、決算書 と同 じかたちの編成 に よる予算編 成 となった こ と、 収 入 につ い て は、23年 度 は事業 に よる ものが あ ったが 今年度 はその見込なが 一 ない な ど、 前年度 に比 べ てか な りの 緊縮財政 となった 平成 24年 度支部定期総会終わる 飯田 ことが説明 された。それに対 して、支部費 の年 間 1.000 勝之 円は低す ぎる。 この際値 上 げを した らど うか、 な どの 意見 も出 され、それについ ては次期総 会 へ 向け て役員 会 で検討す る こととな り、そ の こと も含 めて原案 どお 公益社団法人 としての第一歩の年 りの決定 となった。 (土 ) このほか 、総会 では、公益社団法人 となった ことに 午後 6時 か ら、大分 市 コンパ ルホール「視聴覚室」 で よる、大幅 な規約改正案や支部協 賛事業 の新制 度、支 開かれ た。 日本 山岳会が 4月 1日 か ら正式 に公益 法人 部 の 山の決定 な どの議 案 も提案 され、原案通 りに決定 として認可 されて ス ター トした初年度 の支部総会 とい された。 平成 24年 度 の 支部定期 総会 が去 る 4月 14日 うことに なる。 総会はまず、三浦敬志会員を議長に選出。加藤支部 長が挨拶 に立ち「昨年度、それまで長年支部 をリー ド 公益社団法人へ の移行 について してきた梅木支部長t西 事務局長体制か ら、我 々の新 体制になって一年。公益法人化へ 向けての準備 の年 と 会計処理 の新方式移行 してい ろい ろ取 り組 んで きた。昨年 の総会 で新支部長 の就任 の挨拶 で言 った よ うに、『我 々が何故 日本 山岳 公益 法人制度 の 改正 に よ り、民法 第 34条 に よ り設 会 に加入届 を出 したか』 を考えてなよう、 と言 うこと 立 された 日本 山岳会 の よ うな法人 は、 平成 25年 11月 をもう一度 この場 で言 いたい。そ して、みんなで支部 まで に一 般法人にな るか、公益 法人にな るか、 ある い を盛 り立ててい き、 いっそ う活性化 していこ うではあ は解散す るか しか な くなる。 日本 山岳会 はその設立 の りませんか」な どと述べ た。 趣 旨か ら公益 法人 を選 ぶ こととなった。公益法人にな この後、23年 度 の事業報告、会計決算報告、会計 れば、事業支 出 の半分 以上 は公益 のために使 わな け れ 監査報告がお こなわれ、特 に事業報告では、公益社団 ばな らな くなる。 これ は本部 に全面適用 され る ことに 法人化へ 向けての事業 として取 り組 んだ植村直己賞受 な るが、本 部 か ら交 付 を受 け て い る会 員 1人 あ た り 賞記念講演会 な どが成功裡 の うち に実施で きた こと 2,500円 (会 費 12,000円 の うち支部 に還元される金額) や、10回 目を迎 えた青少年体験登 山大会 の盛 り上が の助成金にも適用 される。 この金はこれまではその使 -2- 2012年 4月 25日 発行 い道 を全 て支部 にゆだね られていた。 しか し、今後 は、 こ とで あ り、そ の具体化 には多 くの会員 の参加協力が この 2,500円 の『助成金』は、共益事業 に使 う『交付金』 必要 な こ とはい うまで もない。 と、公益事業に使 う『補助金』 とに分けられる。 その うちの 1,∞ 0円 が従来通 り、支 部会員 の活動費 (共 益事業費)に 使 える『交付金』 とな り、 残 共益事業の実施 りの 1,500 円は公益 のため に行 う事業 に補助する『補助金』となっ 共益事業 とは外部 を対象 とはせず、従来か らやって た。つ まり、各支部 においては、補助金に相当する公 る我 々支部会員だけのための事業 である。今年は次の 益的事業 は最低限実施 しなければな らな くなるとい う よ うなものが総会で決 まった。 こ とである。 ①支部会員登山研修会 (会 員 。会友 の登 山技術の研 しか も、 この金は全て本部 の管理下にあるため、使 鑽 をはかるため研修会 を実施する) い切 らなければ残額は全て本部に返納 しなければなら ②韓 国山岳会蔚 山支部 との交流登 山 (5月 25日 夜 交流会、26日 由布岳 。27日 鶴見岳 ) ず、なおかつ、使ったお金については、領収書等 の証 拠書類 をつ けて、 本部に決算報告 しなければならない。 し このため、 会計方式 も、支部一般会計 と、本部へ報告 ③合宿交歓会 (10月 ごろ、あせび小屋 にて) ④合宿登 山 (11月 3日 。4日 ごろ 。伯者大山 。キャ する交付金会計及び補助金会計 の二本 立て とする必要 ンプ) ⑤忘年登 山と忘年会 (12月 8日 19日 、国東半島ま がでて きたのである。 たは九重 山系 ) ⑥月例山行 公 益 事 業 の展 開 24年 度 のテーマ 「九州各県及び近県の最高峰に登る」 公益目的事業 とはどういうものか。認定法第 2条 第 5月 山口県 寂地山(1337m) (別 表の 6月 定めあり)の 事業で不特定かつ多数の者の利益の増進 7月 高知県・徳島県 三嶺山(18934m)。 剣山(19547m) 長崎県 雲仙岳 。 普賢岳 (1359.3m) に寄与す るもの」 とある。 これ を受 けて、本部が認可 8月 熊本県 窓回の総 務省 と協議 して決 めた大 まか な事業の分類 は 9月 福 岡県 釈迦岳 (1229.5m) 10月 愛媛県 石鎚 山 (1982m) 4号 に「学術、技芸、慈善その他公的な種類 「登 山振興事業」 「 調査研究事業」 「 環境保全事業」となっ し ている。 12月 大山 (1709。 4m)(合 宿登 山) 。 島根県 広島県 恐羅漢山 (1346.4m) 1月 香川県 龍王山 (1059.8m) 2月 鹿児島県 宮之浦岳なので本土最高峰。 韓回岳(lЮ O.lm) 3月 佐賀県 4月 宮崎県 祖母山 (1756.4m) 11月 `鳥 取県 これ を もとに、定期総会 で提 案 され た 24年 度 の 公 益事業 は次 の とお りで ある。 ① 第 11回 青少年体験登 山大会 (7月 22日 (日 )久 住 山 を予定 ) ②視聴覚障害者支援登 山大会 (11月 頃) ③登山教室 国見岳 (1738.8m) (中 高年や若者 をはじめ初心者 を対象 に した登 山教室 を開催 ) 経ヶ岳 (1075。 7m) 役員会 で毎回の山行 リー ダー を決め、その リー ダー の もとで具体的実施計画 を決めた うえで会員 に周知 ④祖母傾山系 のスズ タケの枯死状況調査 (実 施方法 し、参加 を募 ることとなった。 は別途検討) ⑤清掃登山の実施 (年 二 回実施する) 支部協賛事業制度 いずれ も具体的に役員会 で協議 し、実施計画を出 し て支部会員 の出来るだけの参加 で取 り組む こ ととなっ た。 新 しい事業制度 として支部協賛事業制度を新設する こととな り、その実施要項が次のように定められた。 何 しろ、公益 法人 としては じめて本格的に取 り組む -3- これは、支部会員が支部の行事 とは関係なく、独自に 2012年 4月 25日 発行 計画 (山 行 に限 らず、調査研 究活動や、講習会 、講演 致 で決定。 ちなみに、第二位 の得票 は由布岳 19票 。 会、旅行等 々)し てその参加者 を支部会員 の 中に求 め よ うす る ときに、役員会 の承認 を得 て支 部協 賛事業 と 規約 の全面改正 して取 り組 めることとした もので、今後 のあ りように よっては、新 しい支部活性化 の種 となることも期待 さ 本部 の公益社団法人へ の移行 を受けて、支部 の規約 れる。 も大幅な改正が必要 とな り、本部に作 られた「支部に 支部協賛事業実施要項 関す る規程」及び、支部規約準則 をふ まえて、東九州 ①支部員 が個人 または複数で主催者 とな り、計画 支部規約 の改正案が総会 に提案 され、原案通 りに決定 的に行 う山行等 を支部協賛事業 として実施す る された。新 しい規約 は、創立当初か らある従来の簡易 ことがで きる。 な規定事項 のみではな く、公益社団法人の支部 として ②支部協賛事業 を実施 しようとす るものは、その 備え るべ き条項を多 く設けた規約で、ほぼ全面的な改 実施計画 を提 出 し、支部役員会の承認 を得 なけ 正 とな り、従来の規約は廃上 の うえ 4月 1日 か ら新 し ればならない。 く施行 されることとなった。 この新 しい規約 のお もな 改正点 のポイン トは次 の とお りである。 ③支部協賛事業 と認 め られ事業 については、支 部 の機 関の場 を通 じて参加者の募集等 を行 うこと V ① 「事務所は大分県内にお く」 ことと「主 として大 分県 の地域」 とい うことを明記 がで きる。 ④支部協賛事業 を実施 した ときには、その結果 を ②支部会員 は 『会員』 と『会友』 としてその位置づ けを明記 支部に報告するもの とする。 ⑤支部協賛事業行 う ときには、必 ず保険 をかける ③支部会員 の資格 を明記 し、支部費 を 3年 以上滞納 した場合は、会員は資格停止、会友は除名 とする など全て 自己責任 で実施するものとする。 こ とを 明記 ④支部長は選任後本部の承認を必要とすることを明 山の安全を祈る集いを恒例行事 に 記 80年 前 の九重山にお ける最初の遭難者 をはじめ、 過去の九重や県内の山での遭難者の慰霊を行うととも ⑤役員の中の常任委員を事務局長に変え、会計を新 設 に、山の安全を祈 るため「山の安全を祈る集い」(仮 称) ⑥役員条項 に顧間を置 く条項 を新設 (安 全登山祈願祭)を 、東九州支部の恒例行事 として、 ⑦支部費 はその年度の 6月 末 までに納入義務 を明記 法華院温泉 と共催で毎年実施することを定期総会で決 めた。なお、この行事 については、広 く一般登山者ヘ ③総会終了後 は、事業報告、決算報告、事業計画、 の参加 も呼びかけて行 うことになった。 ① 日 時 毎年 8月 第 1日 曜日 (本 年 は 8月 5日 ) ⑨本部 か ら交付 される交付金及び補助金 の決算 は年 度終了後 1ケ 月以内に本部へ報告義務 の明記 ②場 所 久住避難小屋上の遭難慰霊碑前 ⑩規約 の重要な改正 予算等 を本部に報告義務 を明記 の承認 を明記 『支 部 の 山 』 は 九 重 山 に 決 定 「支部の山」について、ア ンケー トを行 った結果、 有効投票数 66票 のうち、久住山 29票 をはじめ、大船 山、中岳、九重連山な ど、九重山の関係が 42票 を占 めて全体 の 64%と なっていたことをふまえて、役員 会で九重山とすることを決めて総会に提案 し、全会一 -4- (名 称、地域 の変更等 )は 本部 W 2012年 4月 25日 発行 佐志 生港 を 10時 15分 に出発 し、わずか 3分 で 日の 前 にあった 『黒島』へ到着。 この島 は江戸時代 (1600 年・慶長 3年 )に 、歴史に影響 を与えたオラ ンダの難 破船 『リー フデ号』が漂着 した場 所 で もある。そのた 一月の山行 蔦島・ 黒島・ 三ツ子島 佐藤 めか上 陸記念公園が整備 され、その乗組員 であ ったウ 壮吾 イリアム・ アダムス (三 浦按 人)、 ヤ ン・ ヨーステ ン といった歴 史上 の人物の像が立ってい た。付近 には、 1月 29日 今 回予 定 の最初 の 島、津久見 島へ は、 瀬 渡 し船が予約で きず に取 り止 め とな り、佐 賀関半 島近 夏に利用 される海水浴やキャンプのための宿泊施設や シャワールームなど備 えた施設が整備 されてい た。 くにある『蔦 島』か らは じめる こととなった。出発 の『幸 昼食 のだん ご汁 に使 う食材 を島 の施設 の方 に預 け の浦』 に集 まったの は 13名 。 その中 には、 今 回 は新 て、 10時 半 に公園近辺 の登 り日か ら登 り始め、わず たに 日本 山岳会 へ 加入 した若 い二 人 も参加 して い た。 か 10分 で 島 の最高地点 に到 着。 三 等 三 角点 だった。 下 りは反対 の別 ルー トで下山 した。 このルー ト沿 い に は柑橘類 の栽培がお こなわれてい る畑が広が り、そ こ ‐ ・ │■ を通過 して、再び園地へ 10分 ほどで下った。 │= │‐ │■ 蔦島の三角点にて 瀬渡 し船で 『幸 の浦』か ら 7時 50分 に出て 『蔦島』 の南 の入 り江 に 8時 着。浜 の沖か ら船外機 の小舟 に乗 り移 り、3回 分乗 して砂浜 に上陸。船頭 さんの話 によ 三角 点 のある三 ツ子島 れば、子 どもの頃に何度か登 っていたそ うだ。 そ の経 そ の あ と、再 び船 に乗 り込 み、 11時 に 『黒 島』 の 験か ら、南 の入 り江か ら山頂 まで 1時 間はかかるとの 南 に三 つ 連 なる小 島 『三 ッ子 島』 の 中央 の 島へ 向か っ 話 を聞いていたが、実際は、稜線へ の登 り口を発見後、 た。 5分 ほ どで 目的 の 島 に近 づ く。手前 で 船 を止 め、 山頂へ は 8時 20分 とい うわずか 20分 の時間で到着 し ここ も引 い ていった船外機船 で 4人 ず つ ビス トンで 島 た。 に輸送 された。先発隊か ら登 山開始、藪分 け急斜面 を 山頂では、 ウラジロの 中、 三角点探 しに 15分 。発 10分 ほ どで登 りきる。小 島南端 の 山頂 には三 角点が 見 した三等三角点 の周 りを整備 して記念撮影後す ぐに 埋 もれて い た。狭 い 山頂 で記念撮影後、発見 された反 下山 し、登 り日の入 り江へ 向か った。予定 よ り早 い 8 対側 の緩 やかなル ー トか ら下 山。再 び、ボ ー トの ビス 時 55分 に入 り江 の浜へ到着 し、 対岸 の『幸 の浦』へ 戻 っ トン輸送 を経 て 12時 半 には 『黒 島』 へ 再 び上 陸、 こ ていた船頭 さんに連絡 し、あわてて船 を 『蔦島』 に向 こで昼食のだん ご汁 を食べ る。 い よい よ佐志 生 へ 戻 ろ け出発 した。そ して 9時 25分 には 『幸 の浦』へ戻 り、 う と船 に乗 り込 み出発 した 直後、『三 ツ子 島』 へ 忘 れ そ こか ら、次の 島 『黒島』へ 渡 るため自杵市佐志生へ 物があ るのに気付 き、船 は再 び 『黒島』 へ 上 陸。そ し 向か った。 て、 浜 の広場 でだん ご汁 の昼 食会 だ。 -5- 2012年 4月 25日 発行 な りに植え られていた鮮やかな緋色 とは違い、梅 の花 ような ピンク色だった。2時 間強 の ドライブで「大和 村側登 山口」着。今回は小雨が降っていたので、北側 の短 いコース を選んだ。長 いコース は「宇検村」狽1に あ り約 1時 間の南 コー スとなってい るよ うである。山 頂近 くまで滑 りやす いが本 の立派な階段が続 いて、亜 熱帯雨林 らしく、 うっそ うとした森 で あ った。夏なら 間違 い な く「ハ ブちゃん」が でそ うな雰囲気 だった。 階段 を 15分 も歩 くとち ょっとした広場 にでる。 ここ には立派なお社 と馬 の像があ った。大 きな展望台 もあ り、晴れた 日は東 シナ海が一望で きるのであろう。 こ 三 ッ子島の三 角点 にて こか らさらに湿地帯 のような登山道 を行 くと 5∼ 6分 そ の あ と、 再 び佐志 生 に 向 けて 出発、2時 50分 に で山頂 に着 く。全行程約 20分 だ。かな り傷 んだ「湯 が出迎 えて くれた。展望 W は佐志生港 に到着 し解散 した。その後、登 り足 りない 湾岳 一等 三角点 若者 二 人 と児 玉 ・ 佐 藤 (壮 )は 、『津 久見 峠 三 角 点』 もな く、霧 に包 まれてい たので、早 々記念撮影 をし、 (427.3m。 二 等 )へ 向か い、4時 半 に峠 へ 到 着 して帰 下山。再び車に乗 り込み、「湯湾展望公園」 を通過 し、 路 につ いた。 (694.4m)」 「宇検村役場」 まで下山。 参加者 :飯 田勝之、渡 部昭 三、 後藤英文、池永光希、 道 の両側 には「 ハ イ ビスカス」が花 をつ けて いた。 芝崎隼 人、岐部威 吉、 中野稔、久保洋 一 、 「ハ イ ビスカス街道」 とい うそ うだ。 ここか ら再び県 児玉章良、佐藤壮吾、 牧野信江、遠江 洋子 道 79号 海岸沿 い を南下。「名柄」か ら峠 を越 え、 「久 慈」に下 り、再び海岸沿 い を「加 計呂麻島」 を見なが ら西へ 。峠 まで上 り詰 め、車 を止め、登山を試みたが、 二月 の山行 崖になってお り、 とて も登れそ うにない。少 しバ ック 奄美大島の山々 児玉 章良、佐藤 す ると山の尾根が国土交通省 の地積調査のために切 り 開かれてい る。 ここを登 るこ とにした。かな り急登だ 壮吾 が 20分 ぐらいで山頂 に到着。誰 も登 る人はい ないの 2月 10日 (金 )、 昼前、車 2台 で鹿児島市 に向か う。 約 5時 間のカーチェイスで到着。車 を飯 田さんの友人 登山道 らしきもの も無 い ようだ。当然展望 も無 い。 「戸 にあずけ、新港 に。 フェリー「あけぼの」号 で 17時 半、奄美大 島へ 向け出港。約 12時 間の船旅 で「名瀬 港」到着。エ ンジンの真 上か ?う るさ くて、 うるさく て、眠れなかった。途中、甲板 に出ると雨が降っていた。 嫌な予感 も当た り案 の定、奄美は雨だった。早 々予約 していた 7人 乗 リレンタカー に乗 り込教、 朝食へ 。ジ ョ イフルで済 ませ、 エ ヴリワ ンで昼食等を調達 し、 い ざ 「湯湾岳」へ 。 県道 79号 を海岸 に沿 って東 シナ海 を見 なが ら南下、 「大和村」か ら山へ の車道に入 り、「 マテ リア滝」横 を 通過 し、「奄美 フォレス トポ リス」 の公園に立寄 った。 ここで、「緋寒桜」の記念撮影会 を行 った。 ただ し道 -6- W であろう。三角点 のあた りが少 しだ け開けてい るのみ。 湯湾岳 にて 2012年 4月 25日 発行 の程 度が名物 か ?と 思 ったが ・・ 。2時 間あ ま りの 反 省会 も終 わ り、再 びホテルヘ 。皆 さんは 2次 会 で盛 り 上が っていた よ うだが、 昨晩 の フェ リー で眠れ なかっ たため、即、爆睡。 目が覚め た ら朝 6時 で あ った。7時 にホテルで朝 食 を済 ませ た。 この時 の「 ゴー ヤの炒 め物」 とち ょっ と した刺 身が うまか った。8時 に出発 し国道 58号 で北 上 開始。幸 い天気 は回復 に向かいそ うだった。 1時 間 あ ま りで、「住用村」 の「マ ング ロー ブ群生地 」着。 ここの道の駅で休憩 を と り、再 び北上。30分 ぐらい で「新和瀬 トンネル」通過。す ぐ「松長山」へ伸 びる 戸倉山にて ぐら)山 一 等 三角′ 点 (41lm)」 がポ ツ ン と鎮座 てお り、上れない とのこと。案 の定、 い きな り通行止 して い るだ け だった。 記念撮影 を済 まし、 早 々下 山。 めの看板があ った。 日曜 日なので工事 はやっていない 車 に乗 り込み、今宵 の宿 に 向け出発。帰 りは、 この だろ う、 とい うことで、上れる所 まで上 ってみた。 し 半 島 の尾根 を縦 貫す る林 道 で 79号 へ 。 ガス に巻 かれ か し、残念なが ら工事 は行 われてお り、ユ ンボをどけ て何 も見えない。峠か ら再 び 79号 に出て、 南下開始。 て通 して くれるとは言って くれた ものの、崩壊がある 海岸 の 防波堤 で昼 食 を取 り、「油井岳」 へ 。「瀬戸 内町 とい うことなので、ここに車 を止め歩 くこ ととなった。 油井」 か ら林 道 へ 。「展望 公 園」 まで は林道 とい う よ ユ ンボの横 を通 り抜 け、 ひたす ら林道歩 き。道 は十分 り立派 な車道 だったが、 それ以後 は、拡 張 工 事真 っ直 車が通れた。失敗。車 を取 りに帰 ろ うか とも思 った り 中で、 荒れ ま くっていた。途 中で車 を止 め、徒歩 で山 もしたが、奄美に来 て本格的な登 山はやってい ないの 頂 を 目指す。NTT電 波塔 まで登 り、 そ の フェ ンス脇 で、1つ くらい は苦労 しよ う、 とい うこ とになった。 を通 り、1∼ 2分 で「 7由 井岳 三等 三 角′ 点 (482.8m)」 着。 歩 き始めて 50分 。大崩落現場着。わずかに残 った車 展望 な し。 帰 りに、す ぐ隣 の「 高知 山」 に も寄 ってみ 道 を怖 々通過 し、25分 で三 角点入 口 と看板 がある場 ることに したが、三角点 は見 当 た らなか った。 この 山 所 に到着。 ここか ら、 さ らに未舗装 の 荒れた林道 を には多 くの電波塔 が立 ってお り、立派 な 4階 立ての 円 20分 歩 いて稜線 に取 り付 く。5∼ 6分 で「松長山一等 形展望台 もあ る。 この上 か らは天気 が悪か ったが「加 三角点 計 呂麻 島」や 「大 島海峡」 を行 き交 う船が手 に取 るよ 振 りで三等 の大 きさであった。いたる所 にマ ングース 倉 ・ レ こレ 車道へ 入ってい く。情報によると台風 で林道が崩壊 し (と (455.2m)」 着。展望 な し。一 等 三角点 だが小 うに見えた。 ここを中心に周回公園にもなってい るよ うで、観光バ スが上がって くる観光 スポ ッ トになって い るようだ。緋寒桜が植 えられた一画 もあ り、絶好の 撮影スポ ッ トにもなっているようだ。 「瀬戸内町古仁屋 」 に下 り、 ビジネスホ テ ル着。ホ テルの窓か らは先 ほどの高知山が 目の前 に見えた。 18 時過 ぎには近 くの居酒屋で反省会開始。 島時間なのか 料理がなかなか出てこない し、注文の品 もまともには 出て こない。料金 も食った割 には安す ぎる。かな り計 算漏れがあったようだが。奄美 の名物 「鶏飯 (け い は ん)」 も頂 い たが、当初、 炊 き込み飯だ と思っていたが、 全 く違った、 いわゅる「お茶漬け」だった。何 と、 こ -7- 松長山にて 2012年 4月 25日 発行 の罠があ ったが、 遠江 さんが実物 を見 つ け出 した。残 から、鹿児島の山に登って帰ることにした。ただし、 念 なが らマ ングース はい なかった。記念撮影 を済 ま し、 小雨 も降っていたので手軽に登れそうな山を考えた。 ひたす ら来 た林道 を引 き返す。 三 重嶽 、八重 山あた りと思 ったが、 1回 登 ってい るの 奄 美 は す で に タラの 芽 が食 べ 頃 に なってお り、 10 で、 三 重嶽 近辺 にあ る「花尾 山」 に登 る こ とに した。 数個 ゲ ッ トした。 また、キ クラゲが大量 にでてお リレ 安部号 と別 れ、佐藤号 に佐藤、渡部そ して私 と 3人 で ジ袋 い っぱいゲ ッ トした。 これ を持 って帰 り、天 ぷ ら 市内 のガス トで朝食 を済 ませ、 まず「花尾神社」 に向 に して食べ た までは よか ったが、 この時人差 し指 に刺 か った。 薩摩 日光 と呼 ばれる神社 で、 この上 官 の ある さって いた とげが 災 い し、1週 間後、外科 で切 開 され、 山が花尾 山である。神社 に参拝 を済 ませ、 ガイ ドブ ッ 二針 も縫 う惨事 となって しまった。途中、お嬢 さん連 クにあ る林 道歩 き 50分 を車 で上 り、登 山口へ 。本格 中は若 い兄 ちゃんの軽 トラに乗せて もらい下山 したそ 的 な雨 になったが、 カ ッパ に身 を包み登 山開始。かな うだ。後 ろ姿 が若 い子に見 えたのか ?男 連中には声 も り急 な山だったが約 30分 で 山頂着。「花尾 山三 等 三角 掛 けて くれなか ったのに。13時 着。再 び 58号 に出て 点 (540.4m)」 北上。「名瀬」を通 り、コンビニで昼食 を買 い、途中「植 一 番 きつ か った と思 う。「鹿児 島北 物公園」 で昼 食を済 ませ、最後 の 目的地へ。「赤尾木」 「益城熊本空港 ば し、途 中 で昼 食 を済 ま し、 か ら県道 82号 に入 り空港方面へ。「アヤマル岬」 を見 俵 山バ イパ ス、高森、遊雀、波野、竹 田、大野 を経 由 なが ら 15時 、電波塔 の入口着。ゲー ト横 を通 り抜 け、 して、着工 が始 まったばか りの「 高江 ニ ュー タウ ン」 電波塔へ 。 ここか ら森に分 け入 ってい くが、人の通れ の 我 が土 地 を見 て、 自宅 へ 。 18時 前 で あ った。 あ い る道が山頂 まで続 い て い た。少 し寄 り道 を したが 20 に く雨 に祟 られた登 山であ ったが、2度 と行 くこ との 分 あま りで「 高岳 一 等 三角点 ない 山 々 に登 れたのは、 よか った。特 に「松 長 山」 は (183.6m)」 着。 ここ も が 出迎 えて くれ た。 今 回 の 山で これが IC」 か ら高速 を飛 IC」 で 降 り、W 一等 なのに大 きさは三等 だった。天気 も回復 し、360 林道 の崩壊 で ガ イ ドブ ックには登 れな い、とあ ったが、 度 のパ ノ ラマが広がってい た。 今 回強引 に も登 れた ことは ラ ッキー であった。 記念撮影を済 ませ、車に戻 り、帰路 につ く。サ トウ キ ビ畑で飯田さんがお じさんに声 をかけてサ トウキ ビ の大木 を数本 ゲ ッ ト。「奄美 パ ー ク園」 に立 ち寄 る。 ここは元 NHKの キャス ター宮崎緑 さんが園長 を務め てお り、会 えると信 じてい たが、無情 にも不在だった。 「西郷南州遺跡」にも立ち寄 り、 「名瀬」 の港へ 。出港 が 21時 20分 とい うことで繁華街 の居酒屋 で最後 の反 省会。「誇羅司屋」 とい う大衆居酒屋 だったが、 島の 魚や名物が味わえるお勧めのお店 である。アバ ス リセ ンボン)の 唐揚 げや甘鯛の刺 身、赤 うるめ (ハ (グ ル ク ン)の 塩焼 き、 ミミガ ー大根 サ ラダ、 山羊汁 な ど 本 当にお い しかった。 これだけで も奄美 に来たかい があった。21時 乗船。程 な く消灯。帰 りは波 もな く、 エ ンジン音に も苦 しめられずゆっ くり眠れた。8時 30 分前「鹿児島新港」着。奄美 には一等三角点が 4つ し かな く、今回は全部踏破 で きた。 また、奄美 の 山には 全 く山名板がない。あま り登 る人はい ないのであろ う。 奄美をでる ときは天気が よかったのに、鹿児島 に帰 る と雨模様 だった。 しか し、せっか くここまで来たのだ -8- 参加者 :安 部可人、 渡部昭 三、 飯 田勝之、今 山アヤ、 遠江洋子、 児玉章良、佐藤壮吾 2012年 4月 25日 発行 か る こ とを言 うのか と「豊 薩戦記」 そ の死 を惜 しんで 岬 ,審 =│三 =‐ 訪認り ■ス│ いる。野津合戦 では相 当数 の勇敢 な土豪 の名が残 って いて、吉 四六 さん の祖先 もい る。 (第 21直) ヤ ブ山初 め頃の宇 目塩見 園 の 。343 朝 日岳 城跡 再 訪。39線 、 町教 委 の 説 明板 あ り。森 の作 業 道、整備 二等三角点 冠山 617.5、 星河城 520、 王子山城、岩瀬砦 安部 され た小径 20分 。平坦 で広 い 眺望 の 山頂、奥 に 2基 の石祠、 山城跡 の雰 囲気。耳 川大敗 か ら 8年 、かれ ら はや って 来 た。派遣 された城主柴 田紹安 は南部衆が 島 津恐怖症 であった うに (落 ち 目の大友、 内応裏切 り沢 可人 山)、 武略、思慮 の深 い この 人物 も心 変 わ り、 主城星 今 回の主役 は野津 院 の柴 田紹安 ,宗 麟 を恨 んで謀反、 き 河城 へ 妻子疎 開 させ (実 は人 質 )、 最重要 防衛 線 を捨 そ の悲濠l。 将来 い かほ どの勇士 になったか宮千代丸 そ て 自身 は 島津 占領 の二 等 三 角点 天面 山 (尼 顔 ず ら城 ) の悲 話。 へ入 る 番 匠川 の波寄 の 山口へ 、林道 山回線 350先 端 の 山 の (自 分 も人質 )。 紹安悲報 に後 悔 して逃 げ出す が島津 に斬 られた。 神駐車。後 か ら行 く伐採作 業道 み える。5分 で 400の 分岐点、58104.1‖ ,45147.9H。 西 へ 荒 れ 作 業 道 20分 で 取 付 き点 の 500崩 壊 峠、 54.9"、 45.71。 西 へ 雑木軽 ヤブ、北 へ 植林尾根 、楽 々 35分 。 617.5冠 山着、冠嶽城 とい う。 つ ぎは、謎 の 星河城 へ 。3年 前、 中 の谷 トンネ ル南 1キ ロの三等 万地 409.5か ら恐 ろ しい岩 山 。534見 えて、それがそ うか、忘 れて いたが梅木デ ー タのおか げ特定できた。さきの400分 岐が作業道基点。最初は 登 り、450で 大 きく回 りこみ、500の 平坦道、伐採展 望快適。途中、四等呉木 518.6あ り。丁度冠山 と椿山 で 520,地 星 跡 河 城 ヽ シ』 ∬ 融 こ 誓 1■、 薯 ][量堪 地籍標石、雑 木林、破 れ鹿 ネ ッ ト、他 なに もな い、 星河城 冬 の 戸次川 の戦 い。豊後侵攻そ の最盛期 は 1586年 。 島津 家久軍 はの ち の西郷軍 とお な じ道梓 峠 (四 等 梓 別名 星 降城、 1600年 もう一 度 こ こが 戦場 に な る。 さ らに北 西 の 絶 景 の 岩 山 。476詰 城 は 15分 (佐 藤 )。 嶺 725.0登 山 してその峠不 明 )か ら侵 入、難 な く朝 日 岳城 か ら三重 の 。273松 尾 山山麓 一帯 に一 万 の兵布 陣 1586年 冬、 紹 安 の 本 貫 地 野津 院 へ 島津 侵 攻 と同時、 (松 尾 山 は展 望 の 山頂 に見 張 り台、20分 の 楽 しい登 栂牟礼城 の若武者佐伯惟定 の武将が南 か ら後方か く乱 山)。 ここは 1年 間空 き本 陣 で、 そ の 周辺攻撃。府 内 の 目的 もあ って こん な山奥 に きて、 内応放火 、紹安妻 は見捨 て られて、放火破壊、乱暴狼藉、 3000人 拉 致、 子 一 族 を生 け捕 り (人 質 だ ったか、 薩摩兵 もい た )、 宗麟 は自杵城 に逃 げ て、 あ の大砲 で撃退、息子義統 は 佐伯西正 寺 で殺 害。 高崎 山か ら竜王 山へ 逃 げ、無責任 。鶴崎城 の吉 岡妙林 さて、 同時進行 の対薩軍戦 。険阻な北側 の野津 院で かれ らは鍾乳洞 の 裏 山王子 山城 。455か ら岩瀬砦 へ 移 尼 の 武勇伝 と佐 伯惟 定 の 活躍 が うれ しい。・ 193利 光 り善戦 ,討 死 したが、 13才 宮千代丸 と妹 は生 け捕 りに 武者信 親 の墓地 (2人 も英雄 )と 散歩 に よい。 三 等 三 反抗、隠 した短剣で油 断 した敵 の部将 を一 撃 、殺 され 角点 の坂 原 山 248.1(10分 )、 梨尾 山 179.8(25分 )は た悲話あ り。 一 寸 の松 の 中 に も、棟 梁 の姿 あ りとはか 敵軍 の 陣地跡、激戦 の念仏坂 あ り。 -9- 山 (鶴 賀城 )、 下 の 成大寺 ・ 利 光宗魚 墓 か ら四国の若 2012年 4月 25日 発行 4:‐ 無名山ガイドプツタI No48 蒲江森崎の稜線歩き 飯田 勝之 今回はややハー ドだけ ど、結構面 白い蒲江町にある 稜線歩 きコースを紹介 しよう。一 日のんび り、ひと一 人会うこともない静かな山旅を保証できるコースだ。 森崎湾に注 ぎ込む三つ の川の うち一番西 の森崎川に 割後橋の欄干の案内 沿 って上ってい くと、高速道路 (工 事中)の 下 を くぐっ (注 )星 河城 の北登 山ルー トは割後場か らダム手前分 て約 300mで 、道路の左 に山が追 る。そのあた りが と りつ くのによい。 ヒノキ林の急斜面 をやや左斜 めに登 セ 岐東へ 、観音滝案内 (駐 車 )を 右 に地図にない恐怖の れば稜線状 となってお り、右が ヒノキ林、左が天然林 ブル林道、暗 くおそろしい。実線の道 と 280大 曲が り の境 に蒲江町の測量杭が点 々 と上べ続 いている。 これ で合流、 あの 500峠 三叉路 まで 1時 間 30分 、そ こか を目印に登 るとよい。やがて ヒノキ林 も終わ り快適 な ら数分 稜線登 りとなる。急 になった り緩 くなった りしなが ら (同 行者佐藤、私 しば ら く腰痛 )。 登 ってい くと、再 び右 にヒノキ林が現れ、登 り始めて 岩瀬砦 380 01'8.デ t4イ 14.1は 岩瀬地区の池左入 り、 10数 分 で 0145.σ 与 4353.イ i林 道合流、安部 は林道あ る き 40分 、終点の上に砦跡。 道が右へ と続 いてい るのに出会 う。 この道は森崎天満 宮 の横か ら登 って きてい る道で、古 くか らある宮崎県 佐藤 は 日前の急斜 の 320台 地の 1つ 墓 39。 約 50分 ほ どで、左か ら斜 めに登 って きて い る古 い柚 (自 杵東泉 ) 7t02.31の 前衛激戦地か ら尾根 を砦へ 、40分 。 へ と通 じてい る道だ。 この道を横切 りその まま直登 し てい く。かな り急 な登 りだが、lo分 ほどで登 りつ くと、 そ こは稜線上 の小 さな コブの上。 ここには「滝内」 の (参 考 : 古賀敏夫「大友宗麟」 、「 日本城郭大系 地形図 新版 の「植松 」「犬飼」 四等三角点 (362.9m)が ある。 16」 三角′ 点よら北へ稜線 を伝 うと、緩 く下 った ところで ) 右か ら先 ほどの柚道 と合流 する。 これか ら後 は、稜線 を忠実に登 って も良 いが、常 に稜線 の東側 を巻 き気味 に登 っているこの道 を登 った方が、楽だ し、それに古 い道 をた どると、歴史を秘めた ようなその独特 の雰囲 気 を味わ うことがで きる。 さらに高度が 450mを 越す あた りで、稜線は高 い岩壁が立 ちふ さがるので柚道 を いった方が安全。 三角′ 点か ら約 1時 間で 574mの 独標 に達 す る。 ここ は佐伯湾 と外海 との間に連 なる長 い分水嶺 の一角 であ り、元越山か ら場照山にいたる県南最大 の縦走路の一 角 で もある。 ルー トはここよ り右 に縦走路 をたどるの であるが、時間と体力 に余裕 のある場合 は左 に場照山 まで足 を伸 ばす と面 白い。場照へ は稜線沿 い に柚道が -10- も 2012年 4月 25日 発行 続 い てお り、道 を行 って もよい し、稜線 を行 って も、 平 らな鞍部 には古 い柚道があ り、 この道は稜線 の東斜 緩やか な稜線漫歩 を楽 しめる。やや急 な登 りを登 った 面 を下 ってい く。 この道 をたどって も良いが、 これは ところの、 分岐 か ら 35分 ほ どの ところに地 蔵尊が あ 稜線 を避 けて山腹 を巻 きなが ら林 の中を野 々河内浦 の り、さらに 5分 ほ どやや急登 す る と小 ピー クに達 す る。 神社 の横へ と下ってい く。それよりも稜線下 りが よい。 ここが 県境稜線 上 で、 前方 の宮崎県側 は広 い範囲で皆 明 るい灌木 の稜線 を下ってい くと、山頂か ら約 1時 間 伐 され、眼下 に広 い谷 間が広 が り、遠 く傾 山 までの景 10分 余 りの ところの、 平 らな稜線 の一角 に四等 三角 色が見 える。場照 山は右手向 こ うに見 える ピー クで、 点 (292.9m)の 「金正」がある。ひ と休みするのにちょ ここよ り県境添 い に行 くことになるが、鹿避けの ネッ うど良 い ところだ。 トが延 々 と張 られてい る。 ネ ッ ト伝 い に緩 く下 って、 ここよ り再 び急 な下 りとな り、南へ南へ と下ってい 登 り返 せ ばその奥 に二 等 三 角点 (660.7m)の 山頂。独 く。落葉樹 の多 い明るい林か ら、照葉所 の多 いやや暗 標か らほぼ 1時 間。以前 は鬱蒼 とした照葉樹 の木立 の い林 の中になるといっそ う急 にな り、稜線が判然 とし 中にあ ったが、今 は大分県側 は以前 の ままだが、宮崎 な くなる。落ち葉 の多 い斜面 を足下に注意 しなが らひ 県側が広大 な規模で伐採 されて明る く展望 も良 く、場 たす ら下る。稜線 が分か りづ らいので方向を間違 えな し 照山の音 の面影 はない。 いよう、南南西方向の稜線 を拾 うように しよう。突然 独標 まで引 き返 し、縦走路 を北東 にとる。三方に稜 木立が途絶 えて明るい稜線 に出た ら、下方が高速道路 線 を持 つ この独標地点、滝口方向へ戻 らない ように注 の工事現場 だ。工事 中の道路 の脇 を通る道に出て、津 意 しよ う。緩 く下 って緩 く登 り返す と 15分 ほ どで狭 江川 を越 えて西にた どれば、朝登 り始 めた森崎川の岸 い 山頂に達する。三等三角点 (564.6m)の ある 「森崎」だ。 に着 く。 標石意外 は何 もな く、展望のない狭 い山頂。 ここ も稜 線 を三つ持ち、北へ た どる稜線 の方 に迷 い込みやすい 参考 コースタイム】 【 ので要注意。東 に向けて少 しヤブをわけなが ら急斜面 森崎 の登 り口∼ 60分 ∼滝内三角点∼ 70分 ∼主稜線分 を下るとはっき りした稜線道 とな り、再び快適な稜線 岐 ∼ 40分 ∼県境稜線 ∼ 15分 ∼場照 山∼ 15分 ∼県境 「豊豫要塞第三 区」 漫歩。25分 ほど行 った稜線 の鞍部に 稜線 ∼ 40分 ∼主稜線分岐 ∼ 15分 ∼森崎 三角点 ∼ 60 と書かれた石柱が立ってい る。横 に昭和 一五年一二月 分∼坂本 三角点∼ 75分 ∼金正三角点 ∼ 30分 ∼津江川 と読 める。鶴見半島や佐賀関半島で も見かけた1日 陸軍 の 産だ。 こ 遺 三 三 と緩 い ア ップダウ ンの 度、 度 地図】 25,000分 の1(蒲 江・三川内 【 ) あ と、か な りの急 傾斜 の登 りとなる。そ の手前 で シイ、 カシの大木の間 か ら、 後方 の展望が開け て、 場照、森崎 の ピー クをふ り返 るこ とがで きる。登 りは道が判然 としないが とに か く登 る とほ どな く山頂 で、 ヒシ ャカキ、 アセ ビ、 ユ ズ リハ 、 ネジキな どの低木 に囲 まれた狭 い空間の真 ん 中に、 四等三 角点「坂本」 の標石 がある。 ここか ら稜線 は北 に平 らに続 くが、そち らに行かず、 鋭角 に引 き返 し気味 に南 東 に下 る。 ここ も下 り始 めは 低木 の ブ ッシュが あ るが、少 し下 る と楽 な稜線 漫歩。 小 さなア ップダウ ンの 四つ 目で稜線 は直角 に南 東方面 と南西方面 へ と分かれ る。 前者 は轟峠 を経 て元越 へ と 続 く主稜線で、 これ と分かれ て南西方向へ 、そ して南 方向へ と緩 くカー ブ しなが ら下 ってい く。下 りきった -11- 2012年 4月 25日 発行 炒顆 │^││ が当初 の方法 だったので しょう。回るように努力 して 壌 い くのが大切 な ことであると思 い ますが、今回のよ う に回せないこ とだってあ ります。何泣 き言言 っている のか とい われるか もしれ ませんが、「 ペ ンリレー」 の 「ベンリレー」を通 して 考えさせられたこと 荒金 コー ナー を使 い提案 をさせて ください。皆 さんの中に は、ずっと受け身で リレーの順番が何時回って くるの 通子 か待 っている方 は、積極 的 に載 せ てみてはい かがで しょうか。是非私 の文 を載せたい、読んでい ただきた 皆 さんは「パ ンリレー」がスムーズに回るのが 当然 い と思われる方な らなおの こと。 自薦、他薦関係 な く と考えます か、それ とも回 らないことだってある と考 遠慮 な く編集担 当に送付 してみてはい かがで しょう 「 ペ ンリ レー」 の当該者 にな り、両 えますか。私は、 か。皆 さんのサ ロンです。 次回は皆 さんに「ペ ンリレー」の依頼 をいた します。 方 のことを考えるチ ャ ンス をいただ きました。 よろ しくお願 いいた します。 「東九州支部報」を読む立場、読者側 にい るときは、 スムーズ に回るのが当然 と捉 えて い ました。 (正 直 に し 「ペ ン リレー」 のことを通 して「束九州支部報」 の 言 い ます と忙 しい とい う言葉 に隠れ、真剣 に読んでな 1冊 、今 まで当然 の ように して受け取 ってい ました。 かったが、ペ ンリレーの話があ った、改 めて読むよう 今 回のことを通 してい ろい ろな角度か ら捉 えなおす良 な ことで した。)と ころが「 ペ ン リ レー」 の原稿 を書 い きっかけがで きました。感謝 いた します。再び登場 き、次 の方ヘバ トンを渡す立場 になった時、バ トンを した ことをお許 しください。 渡 したいのだが受けて くれる側がなかなか居 ない。(依 頼 の努力 が足 りない、 日頃か ら会 の活動 に参加 してな い か ら、その結果 と言われればそ の通 りか もしれな い。時間的な余裕 をもって したのか。同 じ会の仲間 と い えども、親 しき仲 にも礼儀あ りを忘れ て、安易 に考 えていたのではないのか。お願 い さえすれば、当然引 き受けて くださるだろ う と勝手 に信 じ、判断 していた のではないか。相手 のおかれている状況や立場 など深 く考えたのか、念の入れ方 は十分だったのか、石橋 を ヽ :│ず P Tめ にい4 ■ ■ ‐ ││■ │■ ■ , ■ 1 『正 しい事 とは ??』 公益社 団法人 日本 山岳会東九州支部 安東 桂 三 (9193) し たたいて渡 る慎重 さが欠けていたのではないか。私に バ トンが渡 された時、 どう感 じたのかを思 い出せば相 手が どの様 に思 うか、何 を望んで い るか分かっていた 山 と渓谷 (2011年 12月 号 )に 、 あ る ニ ュースが掲 載 され ま した。以下 に紹介す る と。 はず ですが、「の どもと過 ぎれば」 とい うこ とばの通 り、原稿 を書 いて送 り、誰かにお願 いすれば責任 を果 北 ア登 山道で不必要 なベ ンキの道案内が増加 た した気分 になって い た。)回 してい くことが思 った 北 アルプスの槍 ケ岳周辺 か ら北穂 高岳 に向 か う稜線 上 よ り困難 で、回 らないこ とだってあるのだ と分か りま にある中岳 と大 キ レッ ト、 また槍 ケ岳 山頂下 の槍沢 の した。今 まで回っていたことが とて も素晴 らしいこと 登 山道 に、 白いペ ンキで道案内 に見 える印 (失 印、丸 だ と強 く思 い ました。私は、回す ことがで きませんで 印、 バ ツ印 )が 勝手 につ け られて い る ことが、10月 7 した。甘 い考えの 自分 を反省 します。結果、編集担当 日発見 された。 (一 部、省略 )今 回発見 された印では、 の皆 さんをは じめ会員 の皆 さんに多大な心配や ら迷惑 通行止 めになって い る廃道 に も丸 印 が つい てお り、安 をかける ことにな りました。本当にごめんなさい。 全上 の 問題が指摘 されて い る。 (以 下、省 略 ) 「 ペ ン リレー」 の コー ナー は リレーで繋 いでい くの -12- 2012年 4月 25日 発行 このようなニュースでした。 『ここは万次越』 やはり、そ こを正 しい『万次越』と思い、 過去 にも、 同 じような ことがあ りました。たぶん、 10年 位前 のことで、場所 は、北 アの槍 ヶ岳北鎌尾根。 だが、国土地理院の 1/25000地 形図では、点線 のルー 同様 に、 間違 ったルー トにも、丸 印や矢印が勝手につ 卜が、1241mピ ー ク直前 の 1200m標 高付近 よ り、迂 け られていま した。 この時は、槍 ヶ岳 山荘 の職員や、 回 し、県境尾根 を越 えてい ます。1/25000図 には、岩 長野県の山岳関係者が、 このペ ンキ印を、 シ ンナーで マー クはあ りませんが、現地では、岩が出て くる所 で 消 して まわ りま した。 す。かって万次さんは、その岩を巻 くように、歩きや す く、標高の低い所を、越えていたのでしょう。藤河 ちようど、このころ、JAC東 九州支部の星子先輩が、 私に、『阿蘇の鷲がlllに 、誰かが、マーキ ングをして 内から祝子川へ、あるいは、祝子川から藤河内へ、荷 いる。木にテープを巻 くように、鷲が峰の弾丸ルー ト 物を運んでいたので しょう。現在では、万次さんもい の岩 コプのあちこちにテープを巻いている。それも、 ませんが、推察するに、『ここは万次越』は、『ここは 間違 った所 もある。危険なところ もある。 』 と、教え 万次越ではあ りません』です。 て くれ ま した。 この時、私 は、星 子先輩 と、 この 問題 し と紹介 したので しょう。 `に でも、立派な看板 と、それを紹介する多 くのブログ つい て話 し合 った記憶があ ります。 やホームページにより、『ここは万次越』は『万次越』 先 の、北 アの不必要 なペ ンキは、 つ け た本 人は、必 となって しまい ました。 要 と思 って つ け て まわ ったのか ?人 を遭 難 させ るた 北 アの不必 要 なペ ンキ と同様、不必要 な看板。 それ め に、 わ ざ とつ け たのか ?と にか く、要 らぬお 世話 らを信用す る人 (登 山者 )は 、 もしか した ら危 険な場 と思います。 所 にい るか もしれない し、 間違 っている ところにいる 大分 の 山 々 に も、テ ー プは、 氾濫 し、道 しるべ も氾 のか もしれな い。 濫 して い ます。 だが、一 般 の登 山者 は、そのテ ー プや、 基本 は、 自分 の能力で、判断す ること。その能力 を 道 じるべ を信用 し、 それのみ を見 て、登 ってい ます。 高 める努力 をす ること。 ペ ンキ 印があるか ら、 安全 と そ して、そのル ー トを登 った登 山者 は、それ を、 イ ン か、看板 があ るか ら、 間違 って ない とは、 ………。 ター ネッ トのブログなどで、一般に紹介 してい ます。 そのブログを見た人は、 その内容 を信用 し、その コー ス を登 ります。それが、正 しい と思 って。で も、 もし し か した ら、間違 ったルー トか もしれない し、 危険なルー トか もしれない。 大分百山の一 山の桑原山。2002年 当支部発行 の『登 山ガイ ド 大分百山』 には、万次越経由で、桑原山の 山頂へ のルー トを記載 してあ ります。その『大分百山』 発行時は、そのルー トはスズ タケに覆われ、万次越が どこであるか分か らず、本文には 『峠 と言えるような 踏み跡 を探す ことも困難である』と記載 されてい ます。 だが、現在 では、スズタケ も枯れてな く、1241mピ ー クには、『ここは万 次越』 と、立派 な看板が設置 され ています。そ して、 い くつ ものホームペー ジゃプログ には、その立派な看板が紹介 されてい ます。 立派な看板 を、設置 した人は、本当に、そ こが、『万 次越』 と思い、『ここは万 次越』 と設置 したのだ と推 察 します。 また、 最初にそれをブ ログで紹介 した人は、 -13- 万次越 の看 板 1 ‐ 看板は、木ネジで生木に締め付けられている。 山師は、生きている木には、釘などを打つ ことを絶対にしなかった。 縄などで くくることはあったが、 釘などを打ち付けることを嫌ったの 議 2012年 4月 25日 発行 一 ・ 一一一 一 一 一. 一一 一 一 一 一 一 一一一 一一 一 一 一 一 一 一 ・ 2012自 然保護全国集会 「尾瀬 を考 える」 韓国山岳会蔚山支部との交流登山 月 日 :6月 30日 (土 )∼ 7月 1日 場 所 :尾 瀬高原 ホテ ル 程が次 の よ うに決 ま りました。 多数 の会員・ 会友 の TEL0287-58-7511) ご参加 をよろ しくお願 い します。 参力I費 :13,000円 (1泊 2日 ) 1.懇 親会 参加 申込締切 :5月 15日 場 所 ※詳 しくは事務局 まで :「 新龍門」別府市北浜 1-14-1 (ホ テル・ニュー ツル タの裏手 ) 2012自 然保護全国集会プレスタディ TEL 0977-75-9258 会 ) (群 馬県利根 郡片 品村戸倉 329 今年 は蔚 山支部 を、当方が案内す る順 番 です。 日 日 時 :5月 25日 (金 )午 後 6時 か ら (日 「東日本大震災被災地慰霊と支援の旅」 費 :5,000円 2.山 行 5月 26日 (午 前 (土 )由 布岳 日 8時 30分南登 山口発 ) コ ー ス 東北 自動車道で仙台 ∼石巻 ∼猪苗代 (泊 ) 宿泊場所 猪苗代 観光 ホテルで「 被災地支援 の タ ベ 」 南 登 山 口 ∼ また え∼ 西峯 ∼ お 鉢廻 り∼ 東 峰 時 ∼猪瀬戸登 山口 5月 27日 (午 前 (日 6月 29日 (金 ) を開催 )鶴 見岳 参 加 費 自然保 護全 国周 回費 13,000円 プ ラス 20,000円 (バ ス・ 宿泊代 ) 8時 30分 `鳥 居 山口発 ) 鳥居登 山 口 ∼ 鶴 見岳 ∼ 鞍 ヶ戸 ∼ 内 山 ∼ 塚 原 ※詳 しくは事務局 まで 越 ∼伽藍岳 ∼塚原越 ∼塚原温泉 3.参 加 申 し込み 作品募集 「日本百名山」写真 コンテス ト 参加 で きる方 は、 次 の 要領 で 事 務 局 まで ご連 絡 く だ さい。 ①懇親会及 び二 日間の山行全てに参加する 主 ②部分的 に参加する この場合 は、「25日 ・懇親会」「26日・由布岳登 山」 「27日 ・鶴見岳登 山」に分 けて、参加 で きる日を ご連絡下 さい。 催 :深 田久弥 の文化館 テ ー マ :深 田久弥 の百名 山 応募締切 :11月 15日 ※詳 しくは事務局 まで 4.参 加申 し込み期限 5月 15日 までに事務局 まで ご連絡下さい。 役員会開催のお知 らせ 平成 24年 度第 1回 役 員会 を次 の とお り開催 します ので、各役員 には万 障お繰 り合 わせ の うえ ご出席下 さ い。 なお、都合が つ かず欠席 され る場合 は事務局 まで ご連絡下 さい。 -14- 2012年 4月 25日 発行 日 場 時 :5月 9日 (水 )午 後 6時 か ら 6月 月例山行予定 剣山∼三嶺 所 :大 分市 「 コンパ ルホール」 月 日 6月 2日 (土 )、 3日 出 発 登山案内 「―等三角点全国ガイ ド」 集合場所 大分駅上野 の森 口駐 車場 金 1人 約 10,000円 額 6月 2日 ー 等 三角点研 究会 佐 賀 関発 7:00→ 三 崎着 8:10→ 大洲 イ ン 910美 馬 1125→ 見 ノ越 12301⇔ 名 頃 (下 山 ロヘ ー 台 車 を まわす往 復 2時 編著 間)1見 ノ越 1430→ 剣 山山頂着 1600 ナカニ シヤ出版 6月 3日 A5版 260頁 日本 山岳会員割引価格 :1,890円 (定 価 2,100円 wご : ター着 をガイ ド ) 午前 5時 コース 及 び 日程 全 国 に あ る標 高 500m以 上 の一 等 三 角 点 (546点 ) (日 剣 山 山頂発 3Ю O→ 三 嶺 着 1000, 三 嶺 発 11:00→ 名 頃 着 14:00→ 三 崎 着 ) 2130→ 佐賀 関着 2240 希望 の方 は事務局 まで リー ダー :下 川 幸一 進 E 名 計夕 L :090-8662-5100 月例 山 行 予 定 申 し込み 5月 月例山行予定 寂地山 月 日 :5月 19日 出 発 登 る 山 7月 月例山行予定 普賢岳 月 日 :7月 8日 午前 5時 出 発 :午 前 5時 19日 ・鬼 ヶ城 山 (1030.9m)、 集合場所 :大 分 イ ン ター入 口 3∞ (土 )、 20日 (日 ) 20日 ・右谷 山 (1233.9m)、 寂地 山 (1337m) W :5月 26日 迄 (日 ) m手 前 の交差点角 の セブ ンイ レブ ン :1人 (予 定 は寂地 山だけであ るが、せ っか く遠 金 路行 くので 、 二つ 追加 ) コース及 び 日程 ー ソ ン前 ) 額 約 5,000円 : 大分 イ ン ター 500→ 金立 SA 730→ 諫早 集合場所 大分駅 上 野 の森 口広場 金 高速道路代 4,750円 (片 道 )及 び 自動車代 IC仁 田峠 930 (ガ ソ リ ン代 等 )を 参加 者 で 分担。 あ と、 仁 田峠 食料 ・飲料 。お酒等 は各 自調達持参。 11:15→ 普賢岳 1230昼 食 (六 日市 のス ーパ ー で食糧購入予 定 ) 仁 田峠 1345→ 大分 1&00到 着予定 額 コー ス及 び 日程 (ロ 7月 8日 リー ダー :中 野 : 5月 19日 大 分 ∼ 中津 ∼ 小 倉 東 IC∼ 六 日市 IC∼ 国道 434号 まで約 5時 間 10Ю O発 → 妙 見 岳 1040→ 国 見 岳 稔 漣 E ネ トタ し:090-2712-5225 申 し込み :7月 5日 迄 国道 434号 ∼ 50分 ∼林道登 山口∼ 50分 ∼ 鬼 ヶ城 山∼ 45分 ∼林道登 山口∼ 40分 ∼ 国 8月 月例山行予定 国見岳 (八 代市,椎葉村) 道 434号 月 日 8月 18日 出 発 5月 20日 寂 地 峡 ∼ 2時 間 30分 ∼ 右 谷 山 ∼ 1時 間 30分 ∼寂地 山∼ 1時 間 45分 ∼寂地峡 (土 )、 19日 (日 午前 9時 集合場所 大分駅上野 の森 口駐 車場 リー ダー :飯 田 勝之 金 1人 約 5,000円 美 ≧ 名ト タ L :090-2503-8409 コース 及 び 日程 申 し込み :5月 11日 迄 額 ) : 8月 18日 大分駅 900→ 1;00⇔ 下 山ロヘ ー 台車 を -15- 2012年 4月 25日 発行 まわす往復 1時 間 8月 19日 不上野発 3:∞ ■雷坂 → 国見岳着 1000,国 見 岳発 1lЮ O→ 1509m分 岐 13“ → 1424.6m 三角点 15:tXl■ 下 山口着 1630→ 大分 21:30 到着予定 リー ダー :久 保 洋一 美 E 糸 静夕 し:090-8353‐ 9770 申し込み :8月 11日 迄 お し らせ ◆編集部からのお願い 。原稿は原則 としてメールでお送 りください。 メールア ドレス [email protected] V ・原稿 は記事内容 にもよるで しょうが、800字 ∼ 1200字 を目処にお願いいたします。 400字 詰め原稿用紙 2∼ 3枚 tパ ソコンですと26 字詰 31行 ∼ 46行 です。 2012年 4月 25日 発行 東九州支部 支部報第 57号 発行者 加藤 英彦 編集者 久保洋一 。中野 稔 発行所 事務局 〒 8740820 別府市原町 5114 飯田勝之方 TEL・ FAX 0977-21_3437 り -16-
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