Title Author(s) Citation Issue Date Type 「16-18世紀法学文献コレクション」のその後 : その整 理作業と研究の参考として 村上, 裕 一橋大学社会科学古典資料センター年報, 10: 8-11 1990-03-31 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/5505 Right Hitotsubashi University Repository r16−18世紀法学文献コレクシヨン」のその後 一その整理作業と研究の参考として一 Vom nachherigen Arbeitsgang der Kollektion der juristischen Dissertationen und Disputationen im Zeitraum vom16.bis zum18。Jahrhundert 村 上 裕 MURAKAMI Yutaka 社会科学古典資料センターに所蔵されている「16−18世紀法学文献コレクション」については, すでに勝田有恒法学部教授によって,この法学文献の類型についての説明とマックスプランクヨ ーロッパ法史研究所(MaxPlanck・Institut fUreuropaische Rechtsgeschichte〉における研究始 動の紹介がなされておりω,また筆者は大学院在籍中に勝田教授の指導のもとでこのコレクショ ンの簡単な整理を行った。しかし,その後マックスプランク研究所ではラニエリ(F。Ranieri)を 中心とする研究プロジェクトによって,17−18世紀の法学博士学位請求論文(Dissertationen,以 下Diss.と略す)の資料(2)が発表され,日本でも中央大学法学部の津野柳一助教授により同種の資 料である「ローシュトック・コレクション」(中央大学図書館所蔵〉のカタログ(3〕が公刊されるな どの進展が見られ,センターのコレクションもさらに整理を進めなければならない時期に来てい ると思われる。そこで,Diss.研究の意義,方法そしてその成果の一部を発表したラニエリの論文 と,このコレクションの現在までの整理状況を紹介し,今後さらに整理が行われ,研究されるた めの一つの覚書としたい。 *********************** ラニエリが1982年に発表した論文(4)は,マックスプランク研究所におけるDiss.研究の基本方 針を示したもので,文献社会学(Literatursoziologie)の問題設定と方法を法史研究に応用する 旨を明らかにしている。文献社会学は,文献を個々の著作家の精神的所産として個別的に評価す るという従来の観点を放棄し,r純粋な事実」としての文献を包括的に考察することによって,社 会の基本構造を解明しようとする。そこでは,かつての観点では無視されてきた膨大な文献も考 察の姐上に置かれ,その分析も計量的・統計的な方法が要求される。ラニエリは文献へのこのよ うなアプ・一チが法史研究にとっても意義があると主張する。伝統的な法史研究は学説史・理念 史上重要であると考えられてきた「少数の重要な著作家の作品」にのみ関心を向け,それゆえ法 学文献の研究は個々の作品を分析するものでしかなかった。この観点では,Diss。はr取るに足り ぬ法学文献(juristische Trivialliteratur)」と評価され,またその膨大な数量ゆえに考察できなか った。だが,文献社会学的な問題設定と研究方法を導入することにより,この種の法学文献を考 察対象とすることができるのである。そして,彼はDiss.が法史研究にとって重要な資料である ことを次の2点から指摘する。第1に,この文献ジャンルは法学専門雑誌が存在しなかった時代 に,法律家間の情報伝達の機能を果たしていたと考えられること。第2に,当時の大学は教育・ 研究の場であると同時に,ラント裁判所への鑑定活動等を通じて実務にも関与しており,Diss.の テーマ設定には実務の影響があると考えられる点である。したがって,この二つの仮説に基づい たDiss.についての研究は,当時の重要な法学者の教科書的文献を個々に分析するという従来の 研究によっては明らかにされなかった問題,つまり当時の「平均的法律家」がどのようなテーマ に関心をもっていたのか,r現代的慣用(Usus modemus)」と呼ばれる時代の法学と実務がどの ような問題に従事していたのか,という問題の解明に貢献しうると言うのである。 一8一 このような問題設定のもとでラニエリはDiss.についての具体的な計量的・統計的分析を試み ている。その際,次のようにしてデータベースが作成された(5}。まず,時代の変化が捉えられる ように160H605,1651−1655,1701−1705,1751−1755年の4つに時代区分され,マックスプランク 研究所に所蔵されている約60,000のDiss。と当時の書籍見本市カタ・グ・蔵書目録等からこの時 代区分内のDiss.約5,000点が取り出された。これらは各時代区分内に発行されたDiss.の実際 の総数ではない。そこで,ここから採取されたデータが各時代の傾向を反映したものかどうかを 確認するために,姓がEで始まる学位請求者(Respondent)のDiss.約900点が抽出された。ラ ニエリはこの2つをデータベースとして,Diss.の情報伝達機能を検討している(6》。それを簡単に 紹介すると,まず第1段階では刊行件数の推移と大学別の割合が調査された。Diss.の刊行件数は 17世紀を通じて上昇し18世紀の半ぱに急激に減少しているが,この減少の時期は法学の情報伝 達の他のメディア,つまり定期刊行物の出現時期に合致している。それゆえ,以下の計量的分析 はその最盛期である18世紀前半に焦点が置かれている。大学別の割合は時代によって異なるが, 18世紀前半ではHalle,Jena,Leiden等の大学が平均以上の数値を示している。第2段階では, 18世紀前半の2つのDiss.販売カタ・グを資料に加えて,各大学のDiss.の市場への供給数が調 べられた。ここでもHalle,Jena大学が平均以上の割合を占めていることが確認されている。続 いて刊行件数とカタ・グヘの掲載数を比較し,両者の傾向が異なることを明らかにしている。こ れはオランダの大学のDiss.に顕著に見られることで,例えばLeiden大学のDiss.は1701−1705 年の刊行件数では全体の約15%と最も多いにもかかわらず,この2つのカタ・グには1点も掲 載されていない。ラニエリはこの現象について,実務指向がより強くなっていた当時のドイツの 法学がオランダのローマ法的・古事学的傾向にもはや関心を持っていなかったことを表すものと 解釈している。以上の統計的分析から彼は次のように推論している。刊行されたDiss,は盲目的 に市場に供給されたのではなく,大学の研究・教育水準とDiss.が扱っているテーマと実務との 関連が考慮されて,特定のDiss.が選択されていたと考えられ,このように特殊法学的な関心が 選択基準であったことは,Diss.が法律家間の情報伝達機能をもっていたことを示すものなので ある。 Diss.の機能の検討に先だって,ラニエリは18世紀前半のDiss.の表題を試験的に分析してい る〔7)。それによると,親族・相続法,訴訟法,公法(jus publicum)の分野に属するDiss.が平均 以上の割合を占めているが,これについてラニエ1ノは次のような説明を加えている。親族法に関 するD1ss.の増加は,社会批判を目的とする啓蒙期の文献が家族についての法的秩序の問題を論 点の中心としていたことと対応しており,訴訟法と公法の分野のDiss.については,18世紀の国 家改革の中心課題が官庁機構と民事司法(Zivilrechtspnege)であったことに合致する。また,訴 訟法や公法などの,ローマ法に法源をあまり持たない分野がテーマに取り上げられているのは, 古典的な普通法が意義を失いつつあった当時のドイツの法学の傾向から理解されるべきものとし ている。つまり,Diss.のテーマ設定は,当時の社会状況とそれに直面する法学の構造的な関連を 示すものと考えられるのである。 以上の分析結果は,ラニエリ自身も認めているように試験的なものであるが,Diss.の歴史的・ 計量的分析が法史研究,とくに「現代的慣用」の時代の研究にとって意義があることは十分に示 されていると思われる。中世後期・近世初期以降のドイツでは,・一マ法継受に伴い,大学で法 学を学んだ所謂r学識法律家(gelehrteJuristen)」が裁判所・行政機関に進出し,法生活の担い 手となったことは周知のことである。そして17−18世紀は,中世イタリア法学によって加工され 一9一 た・一マ法を中心とする伝統的なヨー・ッパ共通法(juscommme)がドイツの実務上の諸課題 に直面し,普通法の内容の変化すなわちアシミレーションが要求された時代であり,それゆえ 「パンデクテンの現代的慣用」(Ususmodemuspandectamm)の時代と呼ぱれるのである。まさ にこの時代に大学の法学教育・研究の中で生産され,その機能から実務に携わっていたr平均的 法律家」の共通関心を捉えることのできるDiss.の研究は,この時代のドイツの法的な現実の解 明に従来の法史研究の観点とは異なった新たな視角を与えるこ.とになる。(例えば,17−18世紀は 近代自然法論の時代とも理解されてきたが,ラニエリが調ぺた範囲では,18世紀前半のDiss.で 自然法をテーマとするものは驚くほど少ない。)このような研究の成果に対する評価,とりわけ従 来の法史研究の成果と比較検討した総合的評価をすることはまだできない。Diss.についての研 究はその端緒が開かれて間もなく,さらにその進展が期待されるが,本学及ぴ中央大学に同じ研 究素材を持つ日本でもこの研究に参加することが可能なのである。 *********************** センターのr16−18世紀法学文献コレクション」は購入時点で,1・推薦教授ごとに整理された 11,928点(398巻),IL大学ごとに整理された2,547点(86巻),IIL刑事法学に関するもの476点 (15巻),IV.著者名で整理された単行論文487点(32巻),V.その他未分類のもの2,235点(85 巻)と分類されていたが,これらをさらに次のように整理してある。コレクションの大半を占め るDiss.は通常その表紙に表題,推薦教授(Praeses)と学位請求者の氏名,出身地,大学名,報 告年月日及び出版年,出版元,出版地等が記載されている。そこで,整理作業を容易にするため に全ての表紙をコピーし,そして,コピーからの検索が可能なように番号(例えば,1の第1巻 の1番目のDiss.であれば,1−1−1)を記入して,学位請求者名のアルファベット順にファイルし てある。その際,通常のDiss.とは形式が異なり,学位請求者を特定できないもの等はファイル から除外されている。学位請求者名で整理したのは,一部がすでに推薦教授ごとに分類されてお り,推薦教授の検索はある程度可能だからである。現在,コレクションの整理はこの段階で終わ っているが,ここまでの作業で指摘しておかねばならないのは,重複が多く見られたことである。 勝田教授はこのコレクションが特定の学者や収集家の文庫でも,特定の研究領域について収集さ れたものでもないことを一つの特徴として挙げておられ(8》,上に示したようにこのコレクション は異なった基準によって収集された複数のグループから成り立っている。したがって,重複は当 然予想されたが,中には同じグループ内での重複や,重複分が2桁に及ぶものもある。この原因 を明らかにするために,これらのDiss.がどのようにして収集されたのかを確認することは,将 来採取されたデータを評価するためにも必要であろう。しかし,その手懸りとなる購入以前につ いての資料は現在残されていない。ただし,蔵書印からかつての所蔵先が判明するものも多く, 今後の整理及びデータ採取に際して,この点も考慮されねばならないと思われる。 このコレクションの現状での利用可能性は,伝統的な法史研究の枠内に留まっている。しかし, そのような研究にとってもこのコレクションは価値がある。何故なら,推薦教授自身によって, またはその強い影響のもとで書かれたDiss.の中には学説史上重要なものも存在することが指摘 されており(9),有名な法学者が推薦教授(あるいは学位請求者)であるDiss.を検索し,その内容 を検討することによって新たな発見を得ることも期待できるからである。だが,すでに紹介して きたことからも明らかなように,このような個別的なDiss。の研究はこの資料群の本来の価値を 活かしたものとは言えず,データを収集して計量的分析を行えるようにしなけれぱならない。そ の際,次の2点は不可欠な条件である。 一10一 ! 第1に,コンピューターの導入である。ラニエリは膨大な数のDiss.が研究可能になった条件 の一つに,EDV(電子データ処理)が可能になったことを挙げている。このコレクションも総数 17,673点に及んでおり,この数量に対処できるようにも,また他の研究機関との提携などを可能 にするためにもコンピューターは不可欠である。このコレクションの整理が中断しているのも, この不備が決定的な要因となっている。近い将来図書館にコンピューターが導入されるというこ となので,このコレクションの整理にも利用できるようになることを期待したい。第2に,この コレクションについての研究プ・ジェクトグループの結成である。データを採取する場合には, 表紙に記載されているどの事項をデrタとして選ぶかが問題になるが,少なくとも表題について は採取されなけれぱならない。そして,当時の法学の傾向を探るためには,表題そのものだけで なく,テーマ分類も必要となる。筆者は整理作業の初期段階で一部の表題を試験的に調べてみた が,分類は多岐にわたるものと想像された。したがって,専攻(例えぱ,公法史と私法史など) の異なる法史研究者から成るプロジェクトチームが組まれるのが理想であろう。 残念ながら,現在このコレクションについての研究計画は立てられていないが,ここで記した ことがr16−18世紀法学文献コレクション」活用の参考となれば,現在までの作業を担当した者と して幸いである。 (一橋大学法学部助手) (1)勝田有恒『16−18世紀法学文献コレクション』r一橋大学社会科学古典資料センター年報No, 6」,1986年。 (2) Juristische Dissertationen deutscher Universitatβn17.一18.Jh,;Dokumentation/zgest,von e. Arbeitsgmppe unter d.Leit㎝g von Filippo Ranieri.Ffm.1986(Ius Commune,Sonderhefte 27). (3)R.Tsuno(Hrsg.),KatalogjuristischerDissertationen,Disputationen,Pro即a㎜e und anderer Hochschulschriften im Zeitraum von1600bis1800aus den Banden der Universitat Rostock,Tokyo(Chuo Universitatbibliothek〉1989. (4) F.Ranieri,Juristische Literatur aus dem Ancien R6gime und historische Literatur− soziologie,Einige methodische VorUberlegungen,in:Aspekte europaischer Rechtsgeschichte. Festgabe fUr Helmut Coing zum70Geburtstag,Ffm.1982,S.293−322. (5)以下で取り出された約6,000のDiss.は注(2)で発表されている。 (6) E Ranieri,Juristische Universitatsdisputationen im17.und18,Jh.:Zur Analyse des deutschen Autoren−und Handlersmarktes,in:Soziologie der Rechtswissenschaft(hrsg.v,Erk V,Heyen)(IusCo㎜une,Sonderhefte26)Ffm.1985,S.157−172, (7) ただし,ここでは上に紹介したのとは異なるデータベースが用いられている。(Op.cit.(N.4), S.314ff.) (8)勝田前掲論文,7頁。ちなみに中央大学の「ローシュトック・コレクション」は,すでに学位請 求者の名前で整理されていたため,重複はないということである。(Op.cit.(N.3)Einleitendes Vorwort,S.V.) (9)例えぱ,Jena大学におけるドイツ国法学(Staatsrecht)研究の基礎を築いた法学者アルメーウ ス(D,Ar㎜aeus)のDiscursus academici ad Auream Bullam,1617はDisputatioの形式で出さ れたもので,そこには複数の学位請求者名が記載されているが,アルメーウス自身によって書かれ たものと推測されている。(VgL R.Hoke,Die Reichsstaatsrechtslehre des Johannes Limnaeus, Aalen1968,S.36.) 一11一
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