NRIの挑戦(IT基盤技術編) - Nomura Research Institute

温故知 新
NRI の挑戦(IT 基盤技術編)
野村総合研究所(NRI)は創業以来、高い付加価値を提供するビジ
ネスモデルの確立に取り組み、これは現在「ナビゲーション×ソ
リューション」
(コンサルティングサービスとITサービスの相乗効果)
として事業の柱になっている。本稿では、その重要な要素である IT
サービスの実現に NRI が挑戦してきた内容について整理してみた。
野村総合研究所 監査役
すえなが
まもる
末永 守
ハードウエアの 3 要素の変遷を概
観する
セントくらいが基盤技術の費用と考えていた
だいて結構である。
さて、前置きが長くなったが、IT 基盤技
IT サービスとは現在ではクラウド、ASP、
術の重要性を認識していただいた上で、NRI
IT アウトソーシングなどという形で提供さ
の技術者の挑戦をハードウェアの視点から整
れるサービス全てを指しており、これらを
理してみたい。
高品質で提供できるのが NRI の最大の強みに
NRI はハードウェアを作っているわけでは
なっている。
ない。ソフトウェアをベースソフト、ミド
これらサービスのイメージからはアプリ
ルソフト、アプリケーションに分けた場合、
ケーションが最も重要であると考えがちだ
NRI の守備範囲はミドルウェアとアプリケー
が、話はそう簡単ではない。アプリケーショ
ションになる。ハードウェアとの接点となる
ンだけではサービスという形態での提供はで
ベースソフトさえ開発していないのに、なぜ
きない。アプリケーションと IT 基盤技術の
ハードの視点から見るのかといえば、ハード
両方が整って初めてサービスとして提供でき
を使いこなすという視点から見た方が、時
るのである。
系列で分析するのに適しているからである。
また、昨今の IT 基盤技術の進化はシステ
今回はハードウェアの 3 要素である、コン
ムを構築する上で多くの選択肢を提供してい
ピュータ、ネットワーク、端末について技術
るが、その結果、あまりにも多数の技術要素
の変遷と NRI の挑戦を概観してみる。
が生まれてしまった。皮肉ではあるがさまざ
まな技術要素を統合しないと良いサービスが
提供できない事態になっている。端的にいえ
ば、システムの構築コストのうちの 40 パー
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メインフレームとマルチベンダー
ご存じのように、NRI の IT 事業の歴史の初
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期段階は野村證券の IT 化と同一である。野
プラットフォームの異なるシステムを PC 端
村證券が日本最初の商用コンピュータを導入
末上に統合するミドルウェア「Infoworks」、
したのが 1955 年(昭和 30 年)であり、初
開発フレームワーク「O3W」など、業界の
期のトラブルに悩まされ、数カ月は苦闘を繰
先端を行く技術開発に結実していった。
り返したと記録されている。
当時のコンピュータは UNIVAC120 であ
ダウンサイジングの進展
り、いわゆる汎用コンピュータといわれる
IBM の System/360 が利用される以前のもの
次の大きな技術革新はいわゆるダウンサイ
だった。System/360 の発表は 1964 年であ
ジングの流れであろう。メインフレームから
り、全ての用途に対応できる OS(基本ソフ
サーバーへの流れとオープン化が同時に進行
ト)を搭載し、これ以降のコンピュータはメ
した。NRI がこの技術を最初に本格的に採用
インフレームとも呼ばれるようになった。
したのはセブン‐イレブンのシステムであ
このように NRI がメインフレームを使い始
り、UNIX サーバーと ORACLE Database を活
めたなかで、特筆されるのはやはり 1979 年
用した先進的なシステムであった。しかし、
に稼働を開始した野村證券の第 2 次オンライ
この結果、今も続くオープンシステムの不安
ンシステムであろう。コンピュータから見た
定さとの戦いがここで始まったのである。 このシステムの技術的な特徴は、業務の大く
もう 1 つ、オープン化を語るには 1996 年
くりごとに 1 台のコンピュータに分割され、
に稼働した野村證券の革新的なシステム(以
かつ複数のコンピュータを統合的に使うこと
下、野村 BPR)に触れなければならない。野
のできる分散オンラインシステムであったこ
村證券はピーク時には 10 台を超えるメイン
とだ。これを実現するため、NRI は特別な技
フレームを使用していたが、これらをすべて
術を用いてネットワークを構築した(詳しく
UNIX サーバーと PC サーバーに置き換えよう
は後述)
。
とする野心的な挑戦であった。
ま た、 こ の シ ス テ ム は 日 立 製 作 所 と
ここでも NRI がマルチベンダーに関して蓄
UNIVAC( 当 時 ) と い う 異 な る メ ー カ ー
積した技術がいかんなく発揮され、メインフ
(アーキテクチャー)のメインフレームを
レームと数多くのメーカーの UNIX サーバー
使ったマルチベンダーシステムであり、言語
や PC サーバーが利用でき、かつ統合して使
やコードを含めた多くの技術的な相違を吸収
用できるようにミドルウェアを中心とした技
するために非常に複雑なミドルウェアを開発
術開発を行った。
し、また徹底した標準化に取り組んだ。これ
この当時、NRI 社内でも実現不可能という
以降の NRI のシステムは、すべてマルチベン
論者が多く、識者ほど尻込みをする状態で
ダーを意識した技術が使われており、ライブ
あった。そこで NRI は技術者の世代交代を一
ラリー管理システムや運用自動化システム、
気に進めることで、無謀とも思える技術開発
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温故知 新
に取り組み、若い技術者が見事に期待に応え
Architecture)技術を使ったものか、または
たのである。
それをいくらか変更したものであり、いず
現在は Web やスマートフォンの時代とい
れもコンピュータを中心とした、かつコン
えるが、コンピュータセンターのサーバーと
ピュータメーカー専用のものであった。前述
いう視点で見れば、集積度は上がったもの
のとおりコンピュータからのネットワークの
の、大きな技術革新は発生していない。当時
独立はマルチベンダー実現には避けて通れな
いかに革新的であったか理解していただける
い技術開発だったのである。
だろう。
ネ ッ ト ワ ー ク 技 術 へ の 挑 戦 は そ の 後、
1988 年の野村證券第 3 次オンライン向けの
Web 時代に先駆けたネットワーク
技術
OSI(Open Systems Interconnection)を全
面採用したネットワークの開発を経て、イ
ン タ ー ネ ッ ト 技 術 を 採 用 し た、 い わ ゆ る
さて、次はネットワークの観点から見て
TCP/IP ネ ッ ト ワ ー ク へ と 進 ん で い く。 野
みたい。NRI はセブン‐イレブンの先進的な
村 BPR で は 大 規 模 ネ ッ ト ワ ー ク を す べ て
ネットワークを何世代にもわたって構築して
TCP/IP ベースで構築しており、ネットワー
いるが、誌面の都合上、野村證券の話になる
ク 技 術 と し て は 現 在 の Web 化 の 先 駆 け と
ことをお許しいただきたい。
なった。
初期のネットワークはテレタイプネット
ワークであった。1957 年(昭和 32 年)に
稼 働 し た も の で、 日 本 の IDP(Integrated
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端末の変遷と Windows の採用
Data Processing)方式の先駆けといわれて
最後は端末の観点から見ることにする。本
いる。
来はコンピュータセンターも大事な要素であ
次の大きな波は、先ほど触れた分散オンラ
り、NRI はこれに対しても大変な挑戦と数多
イン実現のためのパケット交換ネットワーク
くの技術開発を行ったが、今回は残念ながら
である。パケット交換機で構成された独立し
割愛する。また、端末についても野村證券中
たネットワークとコンピュータを接続すると
心となることをお詫びする。
いうものであり、この中でのコンピュータは
テレタイプの活用は前述のとおり 1957 年
ネットワークの中の1ノードにすぎなくなる。
からである。その次のエポックは野村證券の
分散オンラインとともにパーソナルターミナ
第 2 次オンライン向けの専用端末であるミニ
ル 3,000 台の導入が図られ、野村證券の事業
ビデオ、ミニプリンターの開発になる。ミニ
拡大に大いに貢献した。
ビデオは、パーソナル端末として使用するた
当時の標準的なコンピュータネット
めに、使いやすさや大きさなどにさまざまな
ワ ー ク は IBM の SNA(Systems Network
工夫が盛り込まれていた。
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を中心とした総合サービス「全力案内!」を
できるハードウェアが存在しなかったので、
開始した。現在は当サービスは終了してい
ハードウェアそのものの開発が必要だった。
るが、サービスの期間中に真っ先にスマー
NRI(と野村證券)はその実現に当たって、
トフォンでのサービスを開始し、i モード、
ハードウェアメーカーとの共同開発方式を採
iPhone、Android 携帯などのマルチベンダー
用した。
利用を他社に先駆けて実現していた。
温故知新﹁NRIの挑戦︵IT基盤技術編︶﹂
また、当時の技術ではこれらの要求を実現
その次の第 3 次オンラインでは、できる
だけ汎用の端末にシフトすることを目的に
UNIX ワークステーションを採用した。1988
NRI の技術開発の特徴
年当時、大量の UNIX ワークステーションを
ここまでの話をまとめると、NRI の技術開
パーソナルユースとして採用する企業はほか
発の特徴は、先進性、ネットワーク重視、マ
にはなかったと思う。しかも、このワークス
ルチベンダー、ミドルウェア、標準化の 5 つ
テーションもマルチベンダーで実現されてお
と考えてよい。
り、NRI の伝統が継承されている。
今回はミドルウェアや標準化の話がほとん
また野村 BPR では、さらなる汎用化を進
どできなかったが、ここまでの内容から類推
めるため、PC 端末の全面的な採用に踏み切っ
していただけるだろう。すなわち、世の中に
た。当時は PC が OA(事務処理の自動化)以
あるかないかにかかわらず、最新のハード
外に使われることはほとんどなかった状態
ウェアや技術をアプリケーションやユーザー
で、OS も Windows を 採 用 す べ き か IBM の
が利用できるようにすることに、NRI は取り
OS/2 を採用すべきかなど、技術者の中でも
組んできたのである。
意見が 2 つに分かれるような状態だった。
現在はクラウドの時代といえるが、これ
この時、NRI は将来性を見込んで、安定し
こそ NRI の技術開発の特徴がよく表れたもの
ているといわれた OS/2 ではなく、まだ出た
で、同時にサービスの高度化、低コスト化に
ばかりの Windows の全面採用に踏み切った
貢献するものである。
のである。今振り返れば、これが正しい判断
今後も IT の世界は絶え間なく技術開発が
であったことは疑いないが、一方で、ハード
行われ、これまで蓄積された技術が急速に陳
ウェアやデータベースソフトの不安定さとの
腐化してしまう状態が繰り返されるだろう。
戦いはそれ以降ずっと続いている。
しかしここまで述べてきたとおり、しっかり
なお、今後はスマートフォンやタブレット
した考え方を持って対応していけば、キャッ
端末の利用が加速すると思われるが、これ
チアップし続けることができると思う。NRI
についても初期段階での挑戦を行っているの
の技術者はアプリケーションやその先のユー
で、簡単に紹介したい。
ザーの使い方を十分に意識しながら、今後も
2007 年に NRI は携帯電話向けのカーナビ
技術開発に取り組んでいくであろう。
■
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