独学で写真を覚え 実力を培った 戦前の土門拳

特集 : 山形文化考
実力を培った
の関係で、祖父母の下で育つ
として生まれた。父母の仕事
に父・熊造、母・とみの長男
酒 田 町( 現・ 酒 田 市 相 生 町 )
み込んだ。仕事は多忙だった
真場に就職。内弟子として住
に上野池之端の宮内幸太郎写
の仕事を転々とし、
歳の時
と答えた。卒業後はいくつか
頭試問で、
将来の夢を「画家」
翠嵐高校)へ入学。入試の口
川県立横浜第二中学校(現・
る。海外への写真配信と対外
を見て応募。すぐに採用され
師志願者を求む」という広告
頃、ふと日本工房の「写真技
カメラ雑誌のコンテスト等
に応募し、入賞もした 歳の
に達した。
その数は約2年間で500冊
』
ア メ リ カ の グ ラ フ 誌『 LIFE
に掲載されるまでになった
ついには土門の名で作品が
』写真部に配属さ
『 NIPPON
れ、ここでカメラ技術を磨く。
名取洋之助やデザイナーの
に は、 代 表 で 報 道 写 真 家 の
を図るために上京する。その
7歳の春、一家は生活の打開
が、そのことで名取との関係
亀 倉 雄 策 ら が い た。 土 門 は
が、小学校に上がろうとする
が、寝床に入ってから写真関
《娘 伊豆》1936 年
が悪化。
日本工房を退社する。
《陶工 菊揉み》
1938-39 年頃
係 の 書 籍 や 雑 誌 を 読 み 漁 る。
14
26
《文楽 政岡
「伽羅先代萩 」
》
1941年
24
10
戦前の土門拳
』の
宣伝グラフ誌『 NIPPON
発行を行なっていた日本工房
1909(明治 )年 月
日、土門拳は山形県飽海郡
独学で写真を覚え
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後横浜に転居し、 歳で神奈
《山女釣り 伊豆》
1936 年
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