現代建築ヤブニラミ中谷正人

COLUMN
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◆連載ー Vol.9
執筆者プロフィール
中谷 正人(なかたに・まさと)
1948 神 奈 川 生 ま れ。1971 年
現代建築 ヤブニラミ
千葉大学建築学科卒業、
『住宅
特集』
『新建築』編集長 を 経 て
1994 年 か ら フ リ ー 編 集 者。
1999 年∼ 2014 年千葉大学客
中谷 正人(建築ジャーナリスト)
員教授。木の建築フォラム理事、
日本建築学会建築文化事業委員
会幹事
モダニズム 建築 の 揺籃期 その 1
思想的 にはサンテリアの 流 れを 汲 んではいるものの 、建築
リスト 教 の 教義 にある 天 と地、神 と人 などの 関係性 を 垂直性
た 新都市 だが 、第二次世界大戦 の 勃発 によって 万博 は 流 れて
的表現としてはさらに 過激 になり、様式性 や 装飾性 を 見事 な
に 置 き 換 え 、 そ れを 建築 に 与 えて 表現したのです 。 ミラノの
しまい 、遺跡(?)が 残った 。 いまでは 普通 の 都市 になってい
第一次大戦後 の 廃墟 からの 復興 は 、新しい 世界 の 建設 を
までに 排除した 。 面白 いことに 、 そ れが 現代建築 に 親しんだ
ドゥオモの 尖塔 ゴシックは 、 より神 に 近 づくためのデザインで
るようだが 、私 が 訪 れた の は 1975 年。 まだ 都市 としては 未
促 すは ず だった 。 しかし、 まだまだヨー ロッパ 社会 は モダ ニ
私 たちにはほとんど 違和感 がなく、 すん なりと受 け 入 れられ
した 。 ところが 15 世紀 ごろにドームを 得意 とした 建築家、 フ
完成 な 印象 が 強 かったが 、逆 にそれが 乾 いた 空間 の 印象 を 与
ズム 建築 を 受 け 入 れてはいなかったし、 19 世紀 までの 長く重
てしまうのだから 何 とも 皮肉 で ある。 時代的 にはモダニズム
ィリッポ・ブ ルネッレスキがドームは 無限 の 広 がりを 示 すとい
えてくれた 。 まるでジョルジオ・デ・キリコが 描く絵 のように 、
い 尻尾 を 引 き 摺っていた 。
の 黎明期 であり、表面的 なデザインにおいてはその 路線 にあ
う解釈 をしたため 、 そ の 後 の 教会 はほとんどがドーム 天井 に
時間 は 止 まり、音 も 聞 こえず 、 まるで 凍りつ い たような 不思
だからこの 時期 はモダ ニズム 建築 の 揺籃期 と 言うべきか 、
りながら、思想的 な 背景 は 異 なっていたにも 関 わらずである。
なりました 。 表現形式 は 変 わろうとも 、 あくまでも 空間 や 建
議 な 魅力 に 惹 き 込 まれた 。
あるいは 様式建築 の 断末魔 の 叫 びが 木霊した 時代と言うべき
テラーニの 代表作ともいえる「カサ・デル・ファッショ」を 今
築自体 の 垂直性こそ 重要 なテーマだったのです 。
この 私見 が 正しいかどうかの 判断 は 読者諸賢 にお 任 せする
だろうか 。 そのいくつかを 拾って 概観してみよう。
から 25 年以上 も 前 にツアー の 視察対象 に 組 み 込 ん だ の は 講
さて 、 このカサ・デ ル・ファッショですが 、外観 はまさにモ
が 、 コモにはリベラ 財団 があって 、理事長 にお 会 いする 機会
師 のはずだった 北川原温。 ミラノから 北 へ 車 で 1 時間弱、 イ
ダニズムそ の もの 、装飾 など 何 ひとつ ありませ んし、 どちら
があった 。 タカビーな 婆 さんだったが 、 その 時に同じ話 をして
イタリア グルッポ・セッテ ̶̶ モダニズム 本来 の 姿
タリアの 高級リゾート地として 知られるコモ 湖畔 から歩 いて 数
かというと水平性 が 強調 されているように 見 えます 。 しかし、
みた 。果 たして 的外 れかどうか 、心配になったのだ 。 タカビー
まず 、今日においても 重要 な 意味 を 持 つと思 われるのがイ
分、トラムがドゥオモとの 間 を 走って い た 。 外観 は 幾何学的
建物中心 のこの 吹抜 けを 見上 げてください 。 天井 はガラスブ
な 婆 さんがいきなり優しい 老貴婦人 に 変身し、満面 の 笑 みを
タリア 。 ここでは 第一次大戦以前 から「未来派」と呼 ばれる芸
で 端正。 外壁 は 白 い 大理石張りで 太陽 の 光 を 強く反射してい
ロックですよ 。 かなりリスキーだと思 いませんか 。 1936 年 の
たたえながら「 そ の 通り」と答 えてくれた 時 には 心底 ホッとし
術運動 が 起 こっていた 。 アー ル・ヌーボーと時期的 には 近 い
た 。 背後 にはなだらかな 山稜 が 見 えて 、 なんとも 静 かな 雰囲
建設技術 で 雨漏りは 大丈夫 でしょうかね 。 でも 、 そ のリスク
た 。 驚 いたことに 理事長 はテラー ニ の 姪 だったので 、 オレの
が 決定的 に 違うの は 、過去 の 芸術 の 徹底的 な 破壊 と 機械文
気 の 中 で 輝 いていた 。
を 冒してまで 天井 にガラスブロックを 用 い た の は 、上 からの
読 みは 間違ってなかったと、余計 な自信まで 持ってしまった 。
明 の 全面的 な 肯定 を 標榜したことであり、その 暴力性 ゆえか 、
しかし、簡単 には 入 れなかった 。 当時 は 国境警備隊 の 詰所
光 に 垂直性 を 託したのですよ 。 形式的 にはモダニズムの 言語
イタリアはモダンデ ザインの 本場 だと言 い 切っても 、誰 も
未来派 の 一部 はファシズムに 走った 。
で 、機関銃 を 持った 警備隊員 が 見張っていた 。 何とか 許可 を
を 用 いながらも 、 イタリア 建築 が 歴史的 に 追 い 求 め 続 けてき
反対しないだろう。 私 たちは 眼前 にあるデザイン 自体 に 魅了
思想的 な 意味 はともかく、未来派建築家 の 代表ともいうべ
もらって 吹抜 け の 中 に 立ったとき 、同行した 建築家 からいき
た 垂直 の 空間性 が 光 によって 表現 されているのです 。」
さ れてしまう。 ところが 、 そ の デ ザ イン の 根底 には 歴史 が 、
きアントニオ・サ ンテリアが 描く建築像 は 様式的 で あり、権
なり質問 を 受 けた 。「 この 建物、 どこがい い の?」どうやらイ
よくもまあ 出 まかせが …、 そう言 い ながら自分 でも 気 が 付
大 げさに 言 えばローマ 時代 からの 歴史 が 潜 んでいるのだ 。 長
威主義 や 威圧感 を 感じてしまうものだ 。
ンパクトが 薄 かったようだ 。
いた 。 これまでに 見 たグルッポ・セッテのメンバーが 設計した
い 歴史との 葛藤 の 末 に 、今日 のモダンデザインが 生 み 出 され
そ の 未来派 の 流 れを 汲 ん で 1926 年、 7 人 のイタリアの 若
おそらく私 より北川原 の ほうが 見 たかったに 違 い な い 。 事
建物には 、これでもかというほどにトップライトやハイサイドラ
ているということを 忘 れてはいけない 。
手建築家 が 集 まってグルッポ・セッテ( Gruppo Sette )を 結
情 があって 北川原 が 参加 できなくなってしまったから「講師 の
イトが 多用 されていたのだ 。 リベラが 設計したアヴェンティー
リベラにつ いて 言 えば 、 カプリ島 のマリンブ ル ー の 地中海
成、翌 27 年 にモンツァのビエンナーレに 参加して 一躍 その 名
はずだった 」と書 いた 。 本来 は 同行講師 が 答 えるべきことを 、
ノの 郵便局 などは 、こんなに明るさが 必要 なのかというくらい
を 望 む 絶景 の 断崖 の 上 に 立 つ「カサ・マラパルテ 」が 有名 だ 。
を 知られるようになった 。
にわか 代理講師 の 私 が 答 えなければならなくなった 。 そこで
大袈裟 だ 。E.U.R. の 会議場 の 内部 は 劇的というくらい 効果的。
幸 いなことに 、私 はマラパルテ 一族 の 末裔 にご案内 いただい
中心的 な 役割 を 果 たしたのはアダルベ ルト・リベラとジュセ
改 めて 考 えた 。 美しいとか 輝 いているなどの 印象的 な 言葉 で
またグルッポ・セッテの 一員、 ジュセッペ・ヴァッカーロがナポ
た 。 赤 いテラコッタタイルの 屋上 にも 上 げてもらった 。
ッペ・テラー ニで 、 イタリアの 初期 モダニズム 建築 の 旗手 と
は 済 まない 。 いったい 何 がいいんだろうか 。
リに 設計した 郵便局 ではエントランスホー ル の 吹抜 けに 沿っ
この 屋上 はジャン=リュック・ゴダー ル 監督、 ブリジット・バ
して 知られて いるが 、 そ れ 以上 にこの ふ たりは 真 にイタリア
以下 はその 場 で 、苦し紛 れに 考 え 出した 理由 である。
て 、 GL から天井まで 高く垂直 なサイドライトがとられていた 。
ルドー 主演 の 映画「軽蔑」( 1963 )の 舞台にもなった 。 そして
的 な 建築家 であり、本来的 な 意味 での「現代建築」の 先駆者
「 イタリアの 伝統的 な 建築、 そ れはとりもな おさず 教会 で
なお 、 E.U.R. についてはもう少し説明したい 。 1942 年 に
磯崎新 も 著書『栖 12 』で 採り上 げていたので 一読 をお 勧 めし
だと私 は 考 えている。
すが 、 それはどのような 空間 をつくってきたのでしょうか 。 キ
予定 されていたローマ 万博 のため 、ローマの 郊外 に 計画 され
たい 。(続く)
コモ 湖 の 風景。 イタリアでは 高級リゾート 地 で 、
背後 に 遠くアルプスを 望 む
カサデルファッショ 正面全景
カサデルファッショ 1 階 ホー ル
カサ デ ルファッショ 天井 のトップライト。 ガラス
E.U.R. の 議場。 頂部 の 緩 やかなヴォー ルトの 妻
郵便局 のホー ル 。 ハイサイドライトがステンレス
G. ヴァッカー ロ の ナポリ郵便局 は 階段室全体 が
ブロックの 上 に 透明 ガラスが 架 けられている
側 から採光 されている
に 反射 する
スリットになって 採光 されている
カサ・マラパルテを 専用 のポートから見 る
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