思 い 出 が 映 し た 面 影 、 あ の 時 代

 座談会
ルクコーヒー﹂です。父親がフ
イは、門田尚美さんの﹁父のミ
意味で一番印象的だったエッセ
えられたのが驚きでした。その
ない歴史的な事実をいくつも教
三輪 食のエッセイでありなが
ら、歴史の専門書からは得られ
ものでした。
らよいものかと、選考は難しい
いうことなのですが。どうした
太田 これは皆さんのエッセイ
がどれも大変素晴らしかったと
編集部 本日はおつかれさまで
した。
今回、八十代から十代まで、幅
ザシや糠味 の匂いであったり。
されたバラックであったり、メ
ぱいありました。 びたまま残
ると、貧しい時代の痕跡がいっ
は、表通りから一本路地裏に入
太田治子
三輪太郎
島村菜津
ね。でも、昭和の終わり頃まで
三輪 今、東京の街並みは、路
地の奥に入ってもきれいですよ
何度も唸りました。
の世代の方たちの話は濃厚で、
ゃないかしら。それくらい、こ
を集めて、もう一冊出来るんじ
ことを聞きましたが、たとえば
作品を集めた作品集が作られる
ィリピンの激戦地ネグロス島で
広い世代のエッセイを読みなが
作品選考会を終えて —
—
「私の思い出。あの日あの味」の
捕虜になる。収容所では、おや
戦争体験世代の食の思い出だけ
作品選考会は、二〇一五年十一
つの時間があって、捕虜にはミ
思い出が映した面影、あの時代
月 十 八 日 に、 東 京・ 新 宿 区 の
『望星』編集部で開催された。
本来だったら屈辱的な体験で、
父と子のせつなさ
がえるのを感じました。
ルク入りのコーヒーが出された。 ら、そんな路地裏の匂いがよみ
選考会終了後、選考委員の方々
忘れたい出来事でしょうが、食
べ物が関わってくることによっ
生活の必要に強いられて、とい
三輪 父の味は、これからもっ
と増えていきますね。始まりは
でした。
編集部 佳作の伊藤さん、馬場
さんの作品も、父のエピソード
華すぎる仕出しの残り物だった
おにぎりだったり、ある時は豪
供に持たせるのがダイナマイト
島村 酢めしのお父さん、とあ
えて呼ばせてもらいますが、子
はないでしょうか。
の味とが半々の割合になるので
クールをやったら、母の味と父
それを聞いたとき、ああ、し
かったの﹂と。
怖くてあなたのそばに近寄れな
ら母が私に言ったのは、
﹁私は
いたそうですが、後になってか
ゅうに口から泡を吹いて倒れて
が台所で作っていて、それを横
かけたときは、お稲荷さんを母
私が幼い頃、消化不良で死に
(構成・編集部)
に感想を語り合ってもらった。
て、記憶が宙に浮かぶといいま
すか、恩讐を超えたものになる。
れば嬉しいな。だっていま、お
うことであっても、同じ料理を
り。バランスが崩れちゃってい
ういうところがあるな、と思い
編集部 最優秀賞は、柏美香さ
んの﹁父の手と酢めしの味﹂に
父さんたちにあまり元気がない
にはどうしたらいいか、工夫を
当は、次の世代のことを考えて、 作るにも少しでもおいしくする
ように見えるでしょう。でも本
凝らすと料理は楽しくなる。料
るところ、嫌いになれないな。
ました。別の言い方をすれば、
島村 今回、入選作と予選通過
懸命に働いているんですよね。
理はモノ作りの一種ですから、
三輪 でも、娘は栄養失調で倒
れているんですよね、二度も。
いですよね。話題になってくれ
から。
だから、お父さんと子供が、こ
基本的に男にむいています。う
複雑です。
三十年後に、もう一度このコン
んな濃密な食を介した思い出で
ちの大学の学生でも、料理する
決まりました。
つながっていることが伝わる作
男子が増えています。たとえば
島村 最優秀賞がお父さんの思
い出というのは、ちょっと面白
品に決まったことは、素敵なこ
ょうがないな、うちの母にはそ
目に見ながら寝ていた私は、き
とだと思いました。
化不良を起こして、死にそうに
も小さい時分はしょっちゅう消
いので、栄養失調のことはあま
質ということもあるかもしれな
とにかく、子供時代特有の体
太田 本当に幼いときでしょう。 冷たい母とも言える出来事かも
こういうことが起きるのは。私
しれませんけれども。
なっていました。栄養失調では
り気にならなかったです。
ないものを食べたかもしれなく
ものを、同じようには食べられ
に、普通の子ががつがつ食べる
幼い頃の柏さんも、私のよう
なく、消化不良の子供だった私
て。でも、それだって消化不良
なかったのではないかと想像し
の場合は、きっと食べてはいけ
にならない子供もいるわけです
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