創立120周年記念誌[17-33Page](PDF 2.0MB)

歴 代 校 長
初代 H I 元 議 治
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2 代 石 神 徳 蔵
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口仲 末 P I
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4 代 小 日 仲 助
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7 代 山 元 ― 彦
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大Iビ0コ:―1 li)
9 代 稲 奏 栄 二
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原伊太志
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1 4 代鈴 木 芳 章
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創 立 1 2 0 周年 に 思 う こ と
児堂代表 6年 平 野 椅 子
120年 本 当に気の遠 くなるような1:Jで す。この1如年の間にどの くらいの 人
が手☆ していかれたことで しょう。私の祖父 もlE母 も そ して父 もこの細山田小
学校 で学 び 卒 業 してい ます。
学校 のiど
革 党を見 てみます と 明 治 7年 に剤立 され 学 校 のあった場所 も変 わ
り 学 校 の名称 も変わつてい ます。すい分歴史ある射 女であることがよく分か り
ます。
120年 巳とい うのは 相1山田小学校 の歴史の中では た った 1回 き'し か あ り
ません`そ のたつた 1回 しかない年 t卒 業で きるとい うことは 私 に とつては大
変お りに思えます。
私 たち 6年 JIは す み柱 きがまを作 りました。特上をこねた り た たい て回め
│しの時は 皮 が鞭
た り か ま入れ か ま‖ しと 貴 重 な体暁 をしました。かま日
につ と大失 いて した。りJ子はわごと額 にお り 大 きわ きにな りました。 このこと
ま一上忘 れないは い出に もなることで しよう。
学校で学 んだこと 先 生た
私たちは 門 もな く■業 してい きますが vL山 田」ヽ
ちとの11会い 友 だち との出会いを大切 にして 中 学松で活か してい きたい と決
意 してい ます。
在夜生のみなさん 私 たちの足 りなかったところを締 つて こ の伝耗あ る細 山
口小学校 を さ らに立派 な学校へ と発展 させて下さい。
完成 した炭焼 き窯
黎への火入式
整備 充 実 された観察池周辺
-21-
― 範 ―
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大すきな細山田小学校
2年 2祖 ホ 野 はら さ ち子
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わたしのねがいは わ たしが大 き(な って も抑 亡日に小学校があるとい なあ
iあ
い
とい うことです。な r ゎ た しが大 きくなっても学校方 って ましいう と う と
から学校の中にひみつ きち を11った り か くしもの を し
ぉ友 たちと 1年 生のR子
た りして思 ,WHを 作 って きたか らです。だか ら わ た しが大 きくなつてもあ つて
は しヽ1ましょなのです。
わたしは ま だ 2年 ■ですか ら こ れか らもいっばい ひみつ きちやか くしもの
をして お 友 だちと思い出を作 っていこ うと思 つてい ます。そ して 大 き くなっ
てお友 たちと学技へ来て
tla.J
あそ こげびみつ きちだつたわ
「
ああ そ ういえ(ま
と む か しのように会話が したい と思 って 1年 生の時か らは じめているのです。
わた とは 今 で もお 言えていますが 1年 生の時下枚 ていのきりう本をつ くえ
― ー
がわ りにして お 絵わ さをした ことがあ 'ま す。 また す ッ方 ゴ ルのそ ばの
ス ー
上てにあながあ り そ のあなの中1'とてもあたたかかつたのて み んなで ト
ブとよんてい ま した。 これなひみつ 言ちをまた作 ってい くつ もりです
このように 細 山田小学校 よとつて もいい ところなので大す きです。
ゎた したちの学校
3年 1松 亡 下
陽 子
わた したちの学校 細 山田小学校 は とて もいい ところです。
わたしの住んでいる束うや場地区では 毎 月 「くしうJ と い うこうに うf F を活3 つ
い
てい ます。それ には t r 内の上小原 申 良 綱 山【のことが くわ しくの つて ま
にとんど 「
花国がいつ もされいです。J と 書 い てあ
す 細 山口については E I I 年
新 しいたや
ります。それを続 むと と て もいい気分 になつて きます。ほかにも 「
ながふ えて学校か とれいにな りました J な ど ヤR
Jと か 「
とわi = ができました。
てい ます
山口のいい所わf たくさん古か' ■
掟ゃ きが まのことについては M B C ラ ジオで もj t 送されました。 わた しも
を聞いて うれ しく思い ました
そ4 ■
が
今年 は 学 校がで きて1 2 0 年になるそ うです。 これか ら ま 細 ‖ 田小学校
さらに りっぱな学校 になるようにl i んば ' た い と思 います。
-21-
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細山田小学校120チおめでとう
4 年2 祉 今 村 広
美
わた し ま 昨 年の 4月 沖維県から'つ 赳 してきました。そこの■在 は た つて
か らまだ 1年 しかたつていない新 しい学校で した。細山田小学校 にきて 今 年が
Ⅲ
を
120年日だ と師いて び つ くりしま した。綱山田小学校 │ そ れ だけ長 歴 史
の
田小に
もってい ます。その間にいろいろと変化 した と思い ます。 120年前 細 山
い
は
は プ ールや作す館 はあつたので しようか。 また 今 のようにきれ な化や木
あったのか。 もっ と/nりたいてす。
│き い
も
前の学校 とくらべて │は ■日小学校 は 花 や木わ れ で す。申良町llで
口小学校
県内のどの学校 の中で も 1番 か 2番 だ と思 います。だれがみても 細 山
いこ
1まど れいな学校 だ と思 うで しよう。それか ら み んなが と て も礼儀 正 し
学校 をよりきれいに してい きなが
とにもお どろきました。 こんな立派な細山口Jヽ
ら こ れか らも大手 に してい きたいてヽ。
い
で 200年 も
細 山口小学校 1抑 オカめて とう。こ'tからも明る く 率 し 学校
側,年 もず つと長生 きしていつてほ しいです。
l 回小」
ぼくの細Ⅲ
「
5 年1 組 中 力 行 健
て られ そ れ
1言くの通 っている細 山田小学校 は 祉 父が生まれるず つと前 にl・
から1抑年の歴史 をもってい ます
ー
っ
ぼ くの父や兄 姉 そ してほかのたくさんの人たちt 勉 強やスポ ツをかん1ま
て牛紫 してい きました。
からわ つ
父から 選 勁場 にあ るいちようの本 とくすの水 ま 父 の代 のず っと前
たと問 きました。あり水々は 何 十年間 も細 亡田小学校 の子供達の実FBや泣 き傾
とて も心
を見ていたのか も しれません。大 きくて や さしい は くら,ことつては
い
強 く 大 切 にしていか なければいけない本オだ と あ らためて思 ます。
の栄い 3で も元気
Im小の子供達 ま と ても仲が良いです。支の暑Ⅲ Hで も 冬
ることも
に外でた り日 つてい ます 時 にはいたず らをして先生 に しかられた りす
か ら 6年 生まで 1学 校 1学 継が的力的なす まらしい学校 だ
あ りますうi l年 │に
一
こ の一つが
と思い ます。は くが細 H口 小学校 の 人 と して周 りに自まんできる と
元気です。元気 だった ら世界中のだれにもまけない ような気が します。
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上 をこれ 雄 のす さ岡をうめた, ■ │ ( す
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りませたて した.て もとって も緊張 しました
かま‖ tの ときは 大 変お よしろいて した。かまから11された】tは 'i殻 別 に
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たのは女十で 現 子 よう ヨ 十11って 制 に成 をぬ Ⅲ ま とんど真‖になった開 を
お iい に比令つて大去いで した。
今 このかまを使 って ll=4ル をしてい ます ど んな1」古=な るか4し ユモす
こんな波lt営が まを■ っているところは 少 しい と問さます (子くたちもと っ
たこのか まを =く は 1に したいです。
1 2 0 周年記 念の 学校
6 年2 1 1 札
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よ た ちの抑H“■小学校 は と てもきれⅢ 〔あい さつ をよくする■枚です キ
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化 の合いこと│よよ 「
十セ 流せlm‖回の子Jで す。だか ら そ うしをFj‖
"│えば ります。週 ― ]■ けひちいや石 ころひらいがあって 学 校 が 言lLいに,中
ました
ともピまたの つ です 31う と抗 ヨンクールて金■ をもちいました !く た ち
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1まイ,H札 こJ(を″【
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力(吹〈ようにすんrFってヽヽます
)モ =イ [tヽ
今4 1 ま 波 ャ= が = も て 言ました 6 年 十は■4 1 方のてつだいをi r を‖[ しなが
【 きたとみんな革 んでい
らい つ しょうけたいいにしました ど こに もない ものう`
ます も う= い も快を焼 = ま した. こ のオまで焼 占物 もで 言ます.
と気 よく, い て します. ム たな ど会, た ときは 元 気 よ くあい
全下枝 は イ1 畳う
さつ をしまⅢ, と て もタモ
持 ちがいヽて, .
の子 どもは み たなやさしい心 を討 ってい ます。モ 米中も前かで
‖“
‖L U 小学t え
令 H 発 表 します. ま ち力i って もた″[ も実い ません │ 十枝 は ま ちが うところだと
をす るとと
思 っていろか らです。体み' i 惜もネんなでl Ⅲ
よ くう
とたてい ます. 喧 │ ‖
もあるけれどヽす ( l P なお りして来 しく進 び ます。
7 く│ よこ んな常‖1 出小学f 打 人好 苫です
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細 山田小学校 120周 年記念事業題意彗
初冬 の候 朝 夕の命え込みは肌 を別す ようになって まい りましたが 皆 様方 に
はご健勝 にて各方面 にご活羅の こととお首 び中し上 げます。
さて わ た したちの細山日ガヰ 権 は明治 ″年 1月 下中に細山田刀ヽ
学校 鎌 口郷
に山宮小学校 と して設立 され 以 来幾多の変遷を経 て 平 成 6年 1月 に創立 ]20
周年 を迎えることにな りました。
願 み ます と こ の 1世 紀有余の長1明 の間に多 くの人拐 を業出 し 本 県及 び本
地強の教育党に も特筆すべ 誉教育の業撤 を上げ 輝 か しい歴史 と伝れ を築いて ま
い りました。 この伝権 と細山田魂を うけついだ現在の細H宙 小学校は 児童教330
名 FTA戸
数236戸で構成されてお り 「 汗 を流せ細 ■日の■Jを キャッチフ
ー
レ ズに学力 作 力 気 力向上 をめざした人格形成 に補魂傾 けてまい りました。
すなわち 「 あかる くJ「か しこくJ「た くましくJを 学怯の教育 巳標 に令 人格
的な資質の向上のために 戦 貝 PTA 校
区民方‐ 作 となって 「
歩いて豊下劇
「
花 いっばいの学校」JItllを
すすめてい ます。その結果 今 年 は常 日本花 だん ヨ
ー
ンタ ルで 3年 連続 の金賞 に揮 きました
今年は 町 当局の計 らいで ヨ ンビュー タ教室の新設が進み 来 年度か らはこ
のFd設の利用 活 用が始 ま りますが 激 動す るこれからの社会に由ら判出Fし 自
らた くましくす
す応 してい く創造性豊かな人間のす成におおいに役立 ってい くもの
と期待 されます。
綱日口小学校 1抑年の歴史 とlF tを築 き 今 日の姿 が あるの は,子 弟 を本校 で
学ばせた保Hr者の皆さん 本 校 を卒業された先坐の方 々をは じめ関係各位の努力
の'易たと考 えま,L
巴において も 今 年は大変革の年 になりました。米の輸入問題は日本浅業 を根
特から嶺 るカイしてお ります し 政 治改革 も大 きなに換期 になっております。また
及育 1こ
おいては明治以来の教育改革が行 われ 学 投週 5E制 が導入され 軌 道 に
のって まい りました。
この ように 大 きな変革の時,日に1抑年 とい う節 目の年 を迎 え 21世 紀 に大 苫
くはばたいて発展 飛 鶴する細山田小学校を祈念 して 記 念事業 を尉画実施い た
します。
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事 業 経 過 報 告
9月 22日 ⑤
準備会
10月14■ ⑥
及び歴代 PTA会
(PTA=役
一
第 回実行委 員会
長)
t)記 念車業実施 の決定
第一 回推進委員会
11月25日 ◎
t)組 織 芋 半内容の具現化
12月8日
第ニロ推進委員会
③
,1 趣 吉苦決定
セ)草 F月
部活動の具体舞
12月13日 0第
二 J実 行委員会
“)組 織のたた
0 事 業内容のFL定
12月15H
◎
を家庭に趣意書 要 盆依憶の文書発送
〕月 8日
③
1月 10日 ③
特志争付の開始
町タト 県 外者への趣吉吉 環 金依頼の文普発進
1月 21]
第二回推進委員会
③
tl 記 合式典 協 賛会の内容 について
1】 31日 ③
第二回実行妻員会
に)経 過報告
0 事 業の4F進状況
O p・L念式典及び協賛会について
2月 6 Ff-2月 10i
国 タ イムカプをルエTr
O tLの なるIFl本
2月 10コ ◎
芥口回推進委員会
は)記 念式り
に比び脇茸会の係分jn
杉)事 業の海チ ェツク
2月lS日 「 創立,20周
年式典J挙 行
2月21 B
⑤ お1[状発送
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後
3
言
日程的 に と て もあわただしい中で作成 された記念誌.皆 祥方 のご協力のおか
Fすをもうまして よ うや く完成の退 びとなりました。
あれもこれも掲載 しようと思いなか らも 話 1党の判 ■で十分 で 営なかったこと
心 よ りおわび中 し上十
ナます。
作成の過程 においては さ まざまな□雑 に もネつか け談論を代わ したこともあ
こな誌 にあ さわ しい内容 にで =ま した こ
りました。それで も 1す と'■20周年のこ
とは こ の上ない享びであ ります。
この記念志が 細 山田夜 区の方 'は もちろんのこと 県 内タト
で ご活羅の同郷 の
方 々にとつて 貴 重な記録 となれ ま芋 いです。 さらにはす今後 10年 ご とに催 さ
れる記念事業 の良 き参考資llと なることを祈 ります。
最後 に 今 回の事業に関 しまして い ちいろを立場から文 えて下 さった方 々 に
改 めておltを 中 し上げ は 前の音 を表 します。
創立百二十周年記念誌
汗 を 流 そ う 細 山 田 の子
創 i 古 〓 +川 f 記 な 事 業
実 行 委 貨 会
I■M“I 町剤山 U四t 本充
十二t 00
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所 打 文 化 印 劇 祈 慎 会 社
葡盗 発行 中 R 町 立 細 山 田 小 学 校
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